The Marshall Plan

BLUE OYSTER CULT CULTOSAURUS ERECTUS.jpg第二次世界大戦後、ヨーロッパが東西に二分された状況を、チャーチルは1946年の演説で”鉄のカーテン”と言い表した。
上手い言い方だとは思うが、ソ連が態度を硬化させるきっかけにもなったはず。

翌1947年、トルーマンは東欧諸国に地理的に近いギリシャとトルコを援助することを決め、共産主義封じ込め政策”トルーマン・ドクトリン”を発表する。
東側はそれに対抗し、同年ソ連を中心にコミンフォルム(国際共産党情報局)を設立。

同じ1947年、アメリカは西欧諸国への経済援助を決定し、”マーシャル・プラン”を発表。
それに対抗したソ連は同年、東欧諸国への経済援助のため”モロトフ・プラン”を発表し、49年にコメコン(経済相互援助会議)が創設される。
そして49年にはNATO(北大西洋条約機構)が、55年にはWTO(ワルシャワ条約機構)がそれぞれ結成され…と、東西冷戦の構造は確たるモノになって行くのでありました。


ところでBLUE OYSTER CULT(また出た!)に「The Marshall Plan」という曲がある。
はて、東西冷戦を歌った曲かしら、と思いながら歌詞を読んでみたら…意中の彼女をロック・スターに取られてしまったジョニーくんが、自分もギターを手にしてブイブイいわしたろうと一念発起する、という歌で。
この曲、歌詞の中に”The Marshall Plan”なんて言葉は一切出てこず。
元々のタイトルは「Here's Johnny」だったようで(なるほど”Here's Johnny”というセリフは曲中にも出てくる)、YouTubeでも曲名は「Here's Johnny」となっている。

https://www.youtube.com/watch?v=bd8sYxkvV5s

この曲、シングルは「Here's Johnny(The Marshall Plan)」というタイトルで出ていたのね。
(流石にシングルは持ってない…)
なんで「Here's Johnny」が「The Marshall Plan」なんてまったく関係ない曲名に…と思ったけど。
アレか、ジョニーがギターを手に入れて、マーシャル・アンプを鳴らすってことなんだな?
(歌詞には単に”a big amp”とある)
それを冷戦期の”マーシャル・プラン”にひっかけたと…。


BLUE OYSTER CULTが「The Marshall Plan」なんて曲名を付けるからには、冷戦について歌っているのでは…と思う根拠は、ひとつあった。
「The Marshall Plan」がB面1曲目に収録されたアルバム『CULTOSAURUS ERECTUS』(1980年:画像)には、A面に「Divine Wind」が入っている。
”あいつが本気で俺たちのことを悪魔と思っているんだったら、地獄に送ってやろうじゃないか”というサビの歌詞を初めて読んだ時、珍しくサタニズムっぽい内容?…などと思ってしまったのだが。
そうじゃなかった。
この曲、親米だったのが革命で厳格なイスラム教国となり、アメリカを悪魔呼ばわりするようになったイラン(=ホメイニ師)をディスる曲だったんだよな。
(そのことにはずっと後になって気付いた)

『ROCKET TO RUSSIA』なんてアルバムを出したRAMONESにも通じるような(?)メンタリティが、BLUE OYSTER CULTにもちょっとあったらしい、というのは、なかなか興味深い。
西海岸サイケに少なからず影響されながら、本人たちは東海岸の大学生からミュージシャンになった、いわゆるラヴ&ピースのヒッピーではなかった人たちだし、わからなくもない。
そう考えれば、ギターにつなぐマーシャル・アンプにアメリカ政府のマーシャル・プランをかけるセンスも、納得と言えるのかも知れない。


マーシャル・プランは東西の分断を招く一因となった一方で、西欧諸国の戦後復興に寄与し。
提唱したアメリカ国務長官ジョージ・マーシャルは、その後ノーベル平和賞を受けている。

V.A./SET IT ON FIRE!(1993)

SET IT ON FIRE.jpgオージー・ガレージ/パンクの伝説・THE SCIENTISTSのトリビュート・アルバム。

参加バンドはアメリカ、イギリス、オーストラリアから12組。
説明不要の有名バンドはMUDHONEY(アメリカ)ぐらいだろう。
それなりに有名なのはCHEATER SLICKS(アメリカ)、HONEYMOON KILLERS(アメリカ)、MONOMEN(アメリカ)、LAUGHING HYENAS(アメリカ)あたりか。
HONEYMOON KILLERSはベルギーのバンドじゃなくて、ジョン・スペンサーの別バンド。
(THE JON SPENCER BLUES EXPLOSION全員が参加していた)
LAUGHING HYENASは元NEGATIVE APPROACHのジョン・ブラノンがやっていたバンド。
STUMP WIZARDS(アメリカ)、WALKINGSEEDS(イギリス)、SUGAR SHACK(アメリカ)なんかはやや苦しい。
(しかしSTUMP WIZARDSもWALKINGSEEDSもこのブログでは紹介している…)
残るSTAR SPANGLED BANANA(オーストラリア)、VERTIGO(アメリカ)、PHILISTEINS(オーストラリア)、THE SUNSET STRIP(オーストラリア)は誰も知らなそうな…。

それにしても…意外にもオーストラリアのバンドが3組しかいない。
コレはそれだけ、THE SCIENTISTSがオーストラリア国内に限らず、広範な影響力を持っていたことの証だろう。

THE SCIENTISTS1986年の再録ベスト『WEIRD LOVE』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_287.html)に収録されているような、中期ガレージ時代の楽曲…に出来の良いカヴァーが多い。
HONEYMOON KILLERS「Murderess In A Purple Dress」、MONOMEN「Swampland」、MUDHONEY「We Had Love」、LAUGHING HYENAS「Solid Gold Hell」あたり。
コレは楽曲自体の良さもさることながら、やはりカヴァーしているバンドの実力もあってのことだろう。
ただし、ジョン・スペンサーやマーク・アームやジョン・ブラノンをもってしても、(当然というべきか)SCIENTISTSのオリジナルは超えられていない。

一方STAR SPANGLED BANANA「Frantic Romantic」、VERTIGO「Pissed On Another Planet」といった初期パンク時代のカヴァーは正直つまらない。
これまた、楽曲自体ではなく演奏しているバンドの責任になると思う。
無名組(?)の中で気を吐いているのはタスマニアのガレージ・バンドPHILISTEINS。
彼らがカヴァーしたのもTHE SCIENTISTS初期の楽曲「Teenage Dreamer」だが、コレがノイジーかつトラッシーでなかなかナイス。

あと、このトリビュート・アルバムで唯一、THE SCIENTISTSのアルバム中でも一番評価に困る(というか唯一の駄作?)ラスト・アルバム『THE HUMAN JUKEBOX』(1987年)からの「It Must Be Nice」を取り上げているメルボルンのTHE SUNSET STRIPが、また悪くない。
ダークでダルにして、侘しくサイケデリック。
『THE HUMAN JUKEBOX』の評価を今一度見直すべきか、とも思わされるぐらいの出来。
ここに収録された12組のうち、現在も活動しているのはCHEATER SLICKS、MUDHONEY、 SUNSET STRIPの3組だけらしく、やはり長く続くバンドにはそれなりのポテンシャルがあったりするのだなと思ったりも。


しかしまあ、THE SCIENTISTSのファン自体は日本にもそれなりにいるかも知れないけど、トリビュート・アルバムを喜んで聴いてるような人間は少ないだろうな…。

People Have The Power

PATTI SMITH DREAM OF LIFE.jpg先月の話だが。
立憲民主党の石垣のりこ参院議員がツイッターで”主権者たる人民”という言葉を出したことが、いわゆる”炎上”のネタになったことで、驚いた人は多いはず。

”人民”という言葉に反発したネトウヨの皆さんは、ほとんど脊髄反射的に(?)中華人民共和国を思い出したのだろう。
で、「人民という言葉は民主主義に馴染まない」みたいなことを言い出す連中が。

いやいや、待て待て。
リンカーンのゲティスバーグ演説(1863年)にある”The Goverment of the people, by the people, for the people”は、何と訳されていますか。
”人民の、人民による、人民のための政治”じゃありませんか。
石垣のりこ議員の発言でも、”人民”は”主権者”であると、はっきり主張されている。
人民は主権者、それこそ民主主義ってもんでしょう。
”主権在民”や”国民の生活が大事”は間違っているとかのたまう自民党議員の方がよっぽど民主主義から遠いと思うわ。
(ただし個人的に最近の立憲民主党にもまったく期待していないが…)

パティ・スミスは”People have the power”と歌った。
リンカーンやパティの言う”people”とは何だったか。
奴隷解放に尽くしたリンカーンが人種を超えた”人民”を念頭に置いていたのはもちろんのこと。
「Rock N Roll Nigger」で”ジミ・ヘンドリックスはニガーだった/ジーザス・クライストもおばあちゃんも/そう、ジャクソン・ポロックもニガーだった/ニガーニガーニガーニガー””社会の外側で、彼らが私を待っている/社会の外側、そこが私のいたい場所”と歌ったパティは、”nigger”の意味を”黒人”よりも広く捉えていた。
ならば彼女の言う”people”は、障害者やLGBTQや外国籍の人なども含む、”社会の外側”にいるあらゆるマイノリティをも包摂したすべての”人民”となるだろう。
そして彼女は”人々は力を持っている”と歌う。

そんなパティ・スミス、「Rock N Roll Nigger」が入っているのは、ブルース・スプリングスティーンと共作した美しいバラード「Because The Night」が収録されているのと同じ『EASTER』(1978年)。
まったくブレがない人ですね。
ところで今ではいわゆる”ハートランド・ロック”の人と目されているブルースも実はSUICIDEのファンで…って、どんどん何の話かわからなくなってきたんでもうやめておこう。


一夜明けて、どうにか歩けるようになった…。
posted by 大越よしはる at 13:46Comment(0)音楽夜話

White Light/Flash Light

VELVET UNDERGROUND 1st.jpg生前のアンディ・ウォーホルは、サイケデリックの時代に流行したライト・ショウの創始者は西海岸サイケ勢ではなく自分だ、と主張していたらしい。
それはどうかなー、と思う。
サイケデリックというとSummer Of Love=1967年、という印象が強いが、西海岸でロック・バンドの連中がLSDとかキメ始めたのはもっと早く、65年頃みたいで。
最も早い段階でライト・ショウを始めたのはTHE CHARLATANS(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1084.html)で、65年のことだったという。
ウォーホルがニューヨークで有名なイヴェント「EXPLODING PLASTIC INEVITABLE」の初回を開催したのが66年1月だったそうなんで、自分が創始者、というウォーホルの主張はちょっと分が悪いんじゃないかと。

ただし、少なくとも1966年の時点では、西海岸サイケ勢のライト・ショウと「EXPLODING PLASTIC INEVITABLE」の間には、質的には大きな開きがあった様子。
当時の西海岸のライト・ショウでは、「EXPLODING PLASTIC INEVITABLE」を特徴づけていたストロボやスライドなどは用いられていなかったらしいので。
「EXPLODING PLASTIC INEVITABLE」にインスパイアされた”本格的な”ライト・ショウが西海岸で常時行われるようになったのは、FILLMORE WESTがオープンした68年のことだったとか。

で、「EXPLODING PLASTIC INEVITABLE」での刺激的なライト・ショウも…もちろん原案はアンディ・ウォーホルだったかも知れないが、当然ながらウォーホルが自分でライティング・システムを作ったワケじゃない。
実際の照明デザインを担当したのは、ハーヴァード大学を中退して当時ウォーホルの”ファクトリー”で照明エンジニアを務めていたダニー・ウィリアムズという人物だった。

このダニー・ウィリアムズという人、書籍・雑誌でもネットでも、日本語で紹介された文章がほとんど見当たらない。
あの『プリーズ・キル・ミー』(https://lsdblog.seesaa.net/article/202006article_22.html)にも、名前が出てこない(はず)。
海外のサイトを当たってみると、けっこうヒットする。
数少ない日本語の記事では”ハーヴァード大卒の電気技師”みたいな紹介だったが、実際には単にエンジニアというだけでなく、アンディ・ウォーホルのファクトリーで20本以上の映画を監督した映像作家でもあったらしい。
しかもウォーホルの愛人でもあったんだそうで。

しかしダニー・ウィリアムズは、その後アンディ・ウォーホルの寵愛を失い。
主導権争いを繰り広げていたファクトリーの他のメンバーたちに追放されるような形で1966年7月にNYを離れたウィリアムズは、マサチューセッツ州の実家に戻った後、母親の車を運転して失踪し、そのまま海で入水自殺を遂げたのだという。

ダニー・ウィリアムズの存在はその後長い間忘れられたままだったが、21世紀に入ってウィリアムズの姪である映画監督エスター・B・ロビンソンが、若くして亡くなった叔父の物語について改めてリサーチし、2007年に『A WALK INTO THE SEA: DANNY WILLIAMS AND THE WARHOL FACTORY』という映画を自主制作している。
DVDにもなっているけど、日本で紹介されたり公開されたりしたことはない様子。
(もちろん俺も観たことはない)
日本語字幕付きで改めて公開されたりしたら面白いんじゃないかなー…などと思いながら、今夜は『THE VELVET UNDERGROUND & NICO』(画像)を聴き直している。
単に思い付いた話で、タイムリーな意味があるワケじゃない。


夕方に転倒して右足をひねった。
その時は大量に出血した右手に気を取られていたが、約7時間経過した現在、右足の激痛で歩行が著しく困難。
(酒飲んで少しだけましになった)
これから右足にロキソニンテープ貼って寝るけど、明日はどうなってるかな…。
posted by 大越よしはる at 23:40Comment(0)音楽夜話

YES/LIVE IN THE USA, '79(2021)

YES 1979.jpg1979年4月26日、ウィスコンシン州ミルウォーキーのMECCA ARENAでの演奏をフル収録したCD2枚組。

全英4位・全米5位を記録した1974年の『RELAYER』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201911article_18.html)で多大な貢献を果たしたパトリック・モラーツは、結局その1作きりで脱退。
(クビだったらしい)
後任にはまさかのリック・ウェイクマンが復帰し、YESは『TALES FROM TOPOGRAPHIC OCEAN』(73年)当時の編成に戻る。
しかし『TALES FROM TOPOGRAPHIC OCEAN』の大作志向を嫌って脱退したリックが戻ったからには、音楽性のシフトは当然だった。
3年ぶりのオリジナル・アルバムとなった『GOING FOR THE ONE』(77年)では、15分半の「Awaken」を除いて3~8分と、楽曲はコンパクトになり。
パンク・ムーヴメントの年に出た『GOING FOR THE ONE』は、全英1位・全米8位の大ヒット作となっている。
そして、続く『TORMATO』(78年)ではすべての楽曲が2~7分と、更にコンパクトになった。
ヒプノシスがデザインしたジャケットにロジャー・ディーンのロゴが載っている『GOING FOR THE ONE』『TORMATO』共に、何となく木に竹を接いだような(?)印象があるものの、『TORMATO』も全英8位・全米10位と大健闘。

『TORMATO』リリースと前後して1978年8月からスタートしたツアーはYES結成10周年記念として位置づけられ、バンドはアメリカとイギリスを精力的に廻る。
で、このCD。
放送用音源ということだが…コレ、オーディエンス録音じゃないでしょうか。
(ただし当時のオーディエンス録音としてはかなり良好な音質)
オープニングの「Close Encounters Of The Third Kind」からいきなり「Siberian Khatru」で盛り上がる。
ただ、音色やアレンジにやや違和感。
リック・ウェイクマン、機材のアップデートが裏目に出たか。

ともあれ新しい曲に古い曲、2時間以上にわたって次々に繰り出される。
クリス・スクワイアのベースが唸る「The Fish」、ジョン・アンダーソンの独壇場「Soon」、そしてリック・ウェイクマンのソロ…と、各メンバーの見せ場もたんまり。
パンクが既にニュー・ウェイヴへと移行していたこの時期にあって、恐竜扱いされていたプログレの人たちが現役ぶりを見せつける。
当時オールド・ウェイヴ勢を揶揄する際に”お城に住んで3年に1枚しかアルバム出さない…”みたいな常套句があったみたいだけど、何しろYESは『RELAYER』から『GOING FOR THE ONE』までのブランクを除けば、どうかすると1年に満たないペースでアルバムを出しまくり、ツアーもしまくっていたんであって。
メンバーにしてみれば、ロートルの恐竜扱いなんぞは身に覚えのないことだったろう。
そして、パンクもニュー・ウェイヴもほとんど「なんじゃそりゃ」だったに違いないアメリカ地方都市のオーディエンスも。
もちろん最後は「I've Seen All Good People」「Roundabout」で大いに盛り上がる。

しかしこの編成は続かず。
ツアー後の1979年9月から新作の制作を開始しようとしたYESだったが、ジョン・アンダーソン、リック・ウェイクマンと他の3人との方向性の違いが露わになり、レコーディングは頓挫。
80年3月に改めてレコーディングが開始された時には、ヴォーカルとキーボードはトレヴァー・ホーンとジェフ・ダウンズに交代していた。
ジョンとリックは本人たちが知らないうちに脱退扱いにされていたらしい。
そして、クリス・スクワイアとアラン・ホワイト以外はその後出入りを繰り返すことになるのだった。
メンバーの入れ替わりを重ねながらも『UNION』(91年)までは全英・全米20位以内に入り続けていたYESのアルバムは、『TALK』(94年)以降はチャート上位に顔を出すことがなくなっていく。

EURO-ROCK PRESS Vol.97

EURO-ROCK PRESS Vol.97.jpgはい、EURO-ROCK PRESS最新号、明日31日発売です。


今回は、けっこう大変なこと(?)になっていて。


まず、例によってレヴューをたくさん書いています。
ラインナップは以下の通り。






THE ANSWER
ATOMIC ROOSTER(×3)
DELAIN
DIE KRUPPS(×2)
THE DOOBIE BROTHERS(×3)
DRAGON'S EYE
FOCUS
GUARDIAN'S NAIL
HAINT
IN FLAMES
INSOMNIUM
MANESKIN
THE MODERN LOVERS(EURO-ROCK PRESSにMODERN LOVERS!)
NODENS ICTUS
OZRIC TENTACLES
サイケ奉行
RISE OF THE NORTHSTAR
清水保光
SUOTANA
V2 SCHNEIDER(×2)
V.A./GUITAR LEGENDSFROM EXPO '92 SEVILIA ROCK NIGHT VOL.3

27枚。

他にも。
表紙と巻頭はVAN DER GRAAF GENERATORで、ここでも旧作のレヴューを1枚。
2月に来日したアクス・ゲンリッヒのライヴレポートとインタヴュー。
3月に来日(というか帰国)したTUKICOこと山根星子(TANGERINE DREAM)のライヴレポートとインタヴュー。
更に、山根さんの3年前のインタヴュー(TANGERINE DREAM来日キャンセルでお蔵入りになりかけてたやつ)。
TANGERINE DREAMのアルバムのレヴューも4枚。

そして、4月にあったXOXO EXTREMEワンマンのライヴレポート。
コレがカラー3ページにちょろっとテキスト、ほとんどキスエクのグラビア…。
(実は俺が写り込んでる写真も1枚あるんだけど、絶対わからない)


…と、今回書きまくりました。
皆様、是非お読みください。

6月は大森

CLUB-D.jpgはい、6月は3ヵ月ぶりに「CLUB-D」で回します。

以下、主催者Die-sukeの告知文を無断転載。






SOUTH TOKYO ROCK&DJ EVENT 「CLUB-D」 Vol.78

6.22(Thu)
大森AIN'T NO#
Open 19:00
Start 20:00
Close 23:00
Charge \1,000(1Drink込み)

大森AIN'T NO#
大田区大森北1-34-14 ツインビル1F(JR京浜東北線大森駅東口徒歩5分)
Tel:09041340191

DJ
Die-suke
Z
大越よしはる
ヨカローモン(ガリリン會)
KIMI
いでっち(美華飯店)
ジャンクエナジー

タイムテーブル
20:00〜20:25 大越
20:25〜20:50 ジャンク
20:50〜21:15 ヨカ
21:15〜21:40 KIMI
21:40〜22:10 DJバトル
22:10〜22:35 Z
22:35〜23:00 いでっち
23:00〜 クローズ(Die-suke)

久々通常回です、たぶん今年初?スライダーズ祭りが終了したので、色々回したいの増えてるからバトル辺りで色々出したいと思います。後は、今度こそ甘食を確保する。
皆さん遊びに来てねー^_^


以上。
さて、何を回そうかな。
ゆっくり考えよう。
皆様、是非おいでください。
posted by 大越よしはる at 12:24Comment(0)告知系

THE TROGGS/WILD THINGS…PLUS(1989)

TROGGS WILD THINGS.jpg60年代に「Wild Thing」他のヒット曲でブイブイ言わしながら、70年代にはほとんど終わっていたはずだった(?)THE TROGGSが、突然復活を果たした時期…1975年の『THE TROGGS』と76年の『THE TROGG TAPES』を”カップリング”したCD。
俺が初めて買ったTROGGSのCDがコレだった。

『WILD THINGS…PLUS』というタイトルからは、アルバム2枚をカップリングした上にボーナス・トラックも?…とか思ってしまうが、そうではなく。
元々LP1枚でリリースされたモノなので、当然ながらアルバム2枚分の全曲は入らず。
それがCDヴァージョンは曲数が増えて2in1に近い状態になったということでこのタイトル。
ただし完全な2in1にはならず、『WILD THING』からは1曲削られ、『THE TROGG TAPES』は曲順が入れ替わっている。

THE TROGGS自体については、レグ・プレスリーが亡くなった時にアップした記事(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1163.html)を御参照ください。
70年代半ばのTROGGSは、レグ(ヴォーカル)、ロニー・ボンド(ドラム、ヴォーカル)のオリジナル・メンバーに、リチャード・ムーア(ギター)、トニー・マレイ(ベース:元PLASTIC PENNY)。
『THE TROGG TAPES』ではコリン・フレッチャー(ギター:元CAROL GRIMES BAND)が加わり、ギター2本の5人編成となっている。

以前にも書いたが、『THE TROGGS』は、俺が初めて買ったTHE TROGGSのアルバムだった。
(当時はLP)
カヴァーが多い。
1曲目からスリム・ハーポの「I Got Lovin' If You Want It」。
それがガツンとロックな仕上がりで、えらくカッコいい。
「No Particular Place To Go」「Memphis Tennessee」というチャック・ベリー2曲も、なかなか悪くない。
しかしTHE BEACH BOYS「Good Vibrations」とかTHE ROLLING STONES「Satisfaction」とかバディ・ホリー「Peggy Sue」とかは、いかにもなTROGGS流ズンドコR&Rアレンジが裏目というか、気持ち悪さが先に立つ(苦笑)。
そしてレゲエでリメイクされた名曲「Wild Thing」が完全に蛇足。
初めて聴いた時は「…」となったアルバムだった。
しかし今ではあばたもえくぼというか…わりと好きなアルバム。

この編集盤のジャケットは、『THE TROGG TAPES』のジャケットがベースになっている。
意外なことに(?)撮影はあのキーフ。
『THE TROGG TAPES』はオリジナル曲中心。
パワー・ポップ色も感じられるシャキッとした楽曲が続き、けっこうナイス。
(何しろヴォーカルがアレ過ぎてパワー・ポップそのものには聴こえないが)
2本のギターが絡み合う「Walkin' The Dog」(ルーファス・トーマスのカヴァー)もなかなかの聴きモノだと思う。

復活成ったTHE TROGGSだったが、『THE TROGGS』『THE TROGG TAPES』ともチャート的な成功とは無縁。
ただしシングル・カットされた「Good Vibrations」だけは、意外なことに(?)全米チャートで102位を記録している。
そして、結局バンドにはオリジナル・ギタリストのクリス・ブリットンが戻り、以後も活動を続けることに。

ともあれこの時期のTHE TROGGSは不人気も甚だしい。
ってかまともに語られる機会自体がまずない。
『THE TROGGS』は単独でCD化されたことが一度しかないらしく。
『THE TROGG TAPES』は2004年に国内盤紙ジャケCD化されているが、どれぐらい売れたんだろうなあ。
俺はどうかすると60年代のアルバムやシングル集とかよりもこの時期のをよく聴いている気がする…。

ロニー・ボンドは1992年11月に、レグ・プレスリーは2013年2月に、リチャード・ムーアも16年4月に亡くなっている。
つまり、この当時のメンバーはもう半数以上があっちに行ってしまった。
唯一のオリジナル・メンバー(出戻りだが)として活動を継続していたクリス・ブリットンも、17年にツアー活動から引退。
今ではオリジナル・メンバーが一人もいないTHE TROGGSが活動を続けているという…。

That Charming Men

TANK.jpg11日にケネス・アンガーが亡くなっていたという。
死因は不明。
96歳。
先月出たEL ZINE VOL.60(https://lsdblog.seesaa.net/article/499139422.html)で、イライザ・ロイヤル女王様とアンガーの話をしたばかりだった。
95歳にしてCANDLEMASSの新作にナレーションで参加したということだったが。
『花火』『快楽殿の創造』『スコピオ・ライジング』『我が悪魔の兄弟の呪文』『ルシファー・ライジング』『ラビッツ・ムーン』…と、アンガー作品はけっこう観た。
EL ZINEでも語った通り、決して激しく悪魔主義的だったり直接的にヴァイオレントだったりしなかったせいで、80年代に初めて観た時にはどの作品も正直あまりピンとこなかった。
味わいがわかるようになったのは随分経ってからのことだ。
それにしても…この人死なないんじゃないかとか思ってたけどな。

17日にアルジー・ワードが。
死因は不明だが、健康状態がよくないのは以前から知られていたところ。
63歳。
THE SAINTS~THE DAMNED~TANK。
改めて、凄い経歴だ。
あの「Love Song」イントロでのベース、そして初期TANKでの元祖メタル・パンク/パンク・メタルや、1984年の名作『HONOUR & BLOOD』(画像:https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_293.html)前後の男泣きメタル…それらすべてがファンの記憶に刻まれ続ける。
99年の来日の模様を収めたオムニバス『METAL CRUSADE '99』もよく聴いたなあ。

19日にはアンディ・ルーク。
膵臓癌で長く闘病していたとのこと。
59歳。
言わずと知れたTHE SMITHのベーシスト。
並外れたテクニシャンとかではなかったものの、ジョニー・マーにとってもマイク・ジョイスにとっても(特にマイク)、かけがえのない相棒だったはず。
もちろんSMITHはとっくの昔に終わっていたが、コレで本当に終わってしまった。

アンディ・ルークと同じ19日、ピート・ブラウンも。
彼も癌を患っていたという。
82歳。
CREAM「White Room」(https://lsdblog.seesaa.net/article/201710article_20.html)やMOUNTAIN「Theme For An Imaginary Western」(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_534.html)をはじめとする名曲の数々で作詞を担当しただけではなく。
PETE BROWN & HIS BATTERED ORNAMENTSやPETE BROWN & PIBLOKTO!でも活躍。
俺がピートの名を初めて知ったのもPIBLOKTO!でだった。
盟友ジャック・ブルースも、そしてジャックと共にCREAMをドライヴさせたジンジャー・ベイカーも既に亡く。

そして24日にティナ・ターナーが。
死因は公表されていないが、腎臓をはじめとして長く健康に問題を抱えていたという。
83歳。
俺が「What's Love Got To Do With It」の大ヒットでティナという人を知ったのが39年前。
ティナはその時点で44歳。
50年代から活動していた一方で、80年代以降も活躍を続けた、驚嘆すべきキャリアの持ち主。
「River Deep-Mountain High」はFLAMIN' GROOVIESが、「Nutbush City Limits」はNASHVILLE PUSSYがカヴァーし、ロック勢への影響も絶大。
(ありえないほど短いスカートというスタイルは、シーナにも影響したのでは)
そして映画『トミー』でのアシッド・クイーン役でのトラウマ級の演技!
個人的にはブライアン・アダムズとの「It's Only Love」も好きだったなあ。
この人も死なないんじゃないかと思ってしまうタイプだったけど、そんなワケもなく。


今日は午前中からTHE SMITH→THE SAINTS→THE DAMNED→TANKと聴き続けている。
TANKを一通り聴き終えたら、IKE & TINA TURNERを聴こうと思う。
posted by 大越よしはる at 12:08Comment(0)弔い

THE DEVIANTSの3枚

DEVIANTS PTOOFF!.jpgMOTORHEAD「Lost Johnny」「Damage Case」の作詞でも知られる、我らがミック・ファレン…がかつて率いたノッティングヒルゲイト系の起点・THE DEVIANTS。
そのオリジナル・アルバム3枚が、実に19年ぶり(!)の国内再発。
ライナーノーツを書きました。
(ってか、19年前の国内盤でも俺がライナー書いたんだが…)

R&R/R&B/ボブ・ディラン/フランク・ザッパ他の影響を未整理なままぶち込み、初期の混沌とした音楽性を余すことなく音盤に刻んだ闇鍋的な名作『PTOOFF!』(1968年:画像)。
ダンカン”サンディ”サンダーソン(ベース、ヴォーカル)を迎えてPINK FAIRIESまで続くラッセル・ハンター(ドラム)とのリズム・セクションが確立した一方で、ゲストのホーンズもフィーチュアした『DISPOSABLE』(68年)。
そしてポール・ルドルフ(ギター)が参加し、ミック・ファレンがのちのPINK FAIRIESをバックに歌う形になり、音楽的完成度と冗談度が共に最高潮に達した『THE DEVIANTS』(69年)。
…という3枚。

紙ジャケ(『PTOOFF!』はもちろんポスター・ジャケット再現。『DISPOSABLE』は見開きジャケット。『THE DEVIANTS』はシングル・ジャケットだが、付属のブックレットが復刻されている)。
輸入盤帯付き国内仕様ではなく、一昨年のトゥインク『THINK PINK』(https://lsdblog.seesaa.net/article/202109article_27.html)同様、最新リマスターで国内プレスのSHM-CD。
(ボーナス・トラックはないが)
そして『PTOOFF!』のみ、歌詞・対訳が付いている。
当然ながら新訳なので、同じく歌詞・対訳が付随していた90年代の『PTOOFF!』MSI盤を持っている人は、較べてみるのも面白いと思う。
以前の再発盤持っている人も、買い直す価値大アリの3枚になっています。

半世紀以上前にリリースされて、評価の定まっている3枚なので、19年ぶりに改めてライナーノーツを書いたと言っても、当然ながら19年前と全然違うことを書いているワケではないのだが。
大きく違うのは、2004年当時はミック・ファレンもダンカン・サンダーソンも存命で、THE DEVIANTS自体が(メンバーは異なりつつも)現役バンドとして存続していたのに対し、今はミックもサンディも鬼籍に入り、DEVIANTSを完全なる過去として改めて俯瞰した…という点だと思う。
ってか、19年経ってまたこの3枚のライナーを依頼されるとは、正直まったく予想もしなかったですよ…。


本日リリース。
目白WORLD DISQUE店頭または通販で3枚まとめて買うと、3枚を収納出来るBOXが付いてくるそうですよ。