怪力乱神を語らず

孔子.jpg何年か前から、12時過ぎには寝てしまい、毎日8時間寝て、糖質(≒炭水化物)を摂り過ぎない、という生活を続けている。
(若い頃の自分からは想像もつかない…)
おかげでけっこう健康。
(身長181cmで今日現在の体重は66.5kg)

で、しばらく前からこのブログでたまに健康について書くようになり。
(ブログ始めた頃の自分の想像もしなかったこと…)

ところで健康ってのは体に限ったことじゃない。
このブログで健康について書き始めた時に、”WELL-BEING”というカテゴリを設定した。
単に体の健康だけじゃなく、心の健康を含めて、より善く生きることについて改めて考えたいと思ったから。
(ホンット昔の自分にそんなこと言っても「ハァ?」って感じだったはず…)
ともあれ最近『スッと頭に入る孔子の教え』(https://lsdblog.seesaa.net/article/515204831.html)でも仕事したことだし、孔子の話でもしましょうか。


孔子が目指したのは”君子”。
徳の高い人物のこと。
中世以降のヨーロッパでは”王権神授説”が有力だったが、孔子は紀元前の時代に早くもそのような考えを否定していた。
そればかりか、武力による政権掌握も否定。

孔子の教えの基本に「怪力乱神を語らず」(述而第七-二十)というのがある。
つまり孔子は神などによる超自然の力を認めず、ただひたすら論理的に人間の徳を追及することで、理想の社会を実現しようとしていたのだった。
それも、今から2500年ぐらい前に。
今なら迷信と言われることが全然迷信ではなかった時代…に、孔子はとっても現実主義だったと言える。
(日本じゃ80年前まで”神風”とか言ってたのに)
一方で、”徳”や”礼”や”信”で世の中が上手く収まる/治まるという考えは、全然現実的じゃない…と思う人も多いかもだけど。

何しろ現在の世界の情勢は、とかく徳よりも力、となりがちに見える。
果たして、今のアメリカやロシアや中国などの大国の指導者たち、そして日本の総理大臣や政治家に、徳は備わっているだろうか。


心の健康云々とか言って、いきなり大きい(?)話になっちゃったし、しかも俺自身は君子なんて程遠い小人物だけど。
それでも出来るだけ善く生きたいと思うんですよ、クズなりに。
同じように思ってる人は決して少なくないのでは。


いや、本当は今日は全然違う話を書くはずだった。
まあイイか。

5月になってもレミーを偲ぶ

MOTORHEAD ON PAROLE.jpg昨年12月に始めたこのシリーズ、結局今年の12月まで続くんじゃないだろうか…。

MC5を範としていたレミーは、当初MOTORHEADもツイン・ギターの4人編成にする構想があったそうだが。
結局ツイン・ギター編成も、MOTORHEAD結成から10年近く経ってようやく実現することになる。
(それとて、ブライアン”ロボ”ロバートソン脱退後のオーディションではギタリストを二人雇うつもりではなかった)

もうひとつレミーが考えていたのは、トリオ編成のバンドで全員が歌えること。
(ラリー・ウォリスの提案でもあったという)
で、ラリーは上手いシンガーではなかったものの、イイ味の歌を聴かせた。
ラリー脱退後に加入した”ファスト”エディ・クラークも特異なだみ声に味があったが、積極的に歌おうとはせず。
(エディがヴォーカルに意欲的だったら、MOTORHEADは随分違ったバンドになっていたはずだ)
しかしルーカス・フォックスの後任として迎えられたフィル”フィルシー・アニマル”テイラーは…残念ながらまったく歌えなかった。
レミー自伝『ホワイト・ライン・フィーヴァー』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1867.html)でレミーが言うには、フィルの声は”2匹のネコがホチキスで留められちまったみたいな声”(!)だったと…。

ところで初期MOTORHEADのレパートリー「Vibrator」と「Iron Horse/Born To Lose」と「Fools」のクレジットに”Brown”とあって。
何者だろう、と思っていたが。
デレク”デズ”ブラウン…ラリー・ウォリスのローディーだったんですってね。
彼はラリーがMOTORHEADを脱退した後、ライヴ盤『LIVE STIFFS LIVE』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201608article_2.html)に収録されるラリー参加のスティッフ・レコーズのパッケージ・ツアーのマネージメントも担当している。

結局ラリー・ウォリスは脱退し、MOTORHEADはレミー、エディ・クラーク、フィル・テイラーのトリオとなる。
以前このブログでも書いた通り、アリエル・ベンダーやマイケル・シェンカー(!)にも声がかかっていたものの、70年代のMOTORHEADが3人以上になることはなかった。

ラインナップが固まったMOTORHEADはチズウィック・レコーズから遂に”正式な”デビューを果たす。
当時のマネージャーはアンソニー・マイケル・セクンダ。
THE MOVEやT.REXのマネージャーを務めていた男。
そのトニー・セクンダがレミーに会ったのはクリッシー・ハインドの紹介で。
レミーによればトニーは”正真正銘のキじるし”だったということだが、一方でマネージャー/仕掛け人としての才能は確かなモノだったらしい。
クリッシーがNMEのライターを辞めてミュージシャンとして活動出来るようになったのも、トニーの尽力だったという。
しかしトニーはMOTORHEADの3人に髪を切れと命じ。
(パンクに便乗しようとしたのかも知れない)
結局レミーとトニーは袂を分かつ。

レミーのアメリカ移住に先立ち、80年代半ばにアメリカに移り住んでいたトニー・セクンダは音楽業界での仕事を続けていたが、1995年2月12日に心臓発作で亡くなっている。
54歳の若さだったという。
当時のレミーは49歳、アルバム『SACRIFICE』リリース直前のことだった。

『スッと頭に入る孔子の教え』

スッと頭に入る孔子の教え.jpg先月25日発売だったけど、現物届いたのが14日。
『まっぷるキッズ 図解でバッチリわかる宇宙旅行おもしろ図鑑』(https://lsdblog.seesaa.net/article/504125530.html)以来約1年ぶり、昭文社で仕事。

平成国際大学新学部設置準備室学術顧問・大東文化大学名誉教授・中国山東大学客員教授、山口謠司監修、『スッと頭に入る孔子の教え』。
一部の執筆をお手伝いしています。
昭文社の「スッと頭に入るシリーズ」新刊。

ここ1年ほどの間に、ブッダの教えとか老子の言葉とかの本で仕事をしてきて。
今度は孔子の教えです。
(思想・哲学・宗教関連の執筆仕事は今後も予定)

「孔子の教えは、人としてのありかたや他者への思いやり、正しい行いの重要性を説くものであり、時代を経ても心を整え、前向きに生きるためのヒントを与えてくれます。とくに先行きの見えにくい現代においては、混乱や不安の中でも自分の軸を保ち、よりよい生き方を模索するための道しるべとなるでしょう」
(「はじめに」より)

…という本なんだけど。
第1章で孔子の生涯をわかりやすく説明することにかなり多くのページが割かれていて。
第2章が「孔子のことばに見る教え」。
そして第3章が儒教についての解説。
更に第4章では朱子学や陽明学についても解説。
孔子の言葉だけじゃなくて、儒教全体についても学べる1冊。

”最後に幸福なのは正直な人””同調圧力に流されない””人間関係で最も大切なのが信頼”など、孔子の説いたことがわかりやすい現代語で解説されています。
善く生きる・ポジティヴに生きるために大切なことばかり。
(ってか孔子ってホントにポジティヴ思考の人だなあ)
皆様、是非お読みください。

PHYSICALS/SKULLDUGGERY(1999)

PHYSICALS.jpg元THE RINGSのアラン・リー・ショウが、MANIACS解散後の一時期やっていたバンド…の編集盤。
活動中にはEPとシングルを1枚ずつしか出していないのに、17曲70分近く入っている。

アラン・リー・ショウ(ギター、ヴォーカル)を中心に、ドイツ人のスティーヴ・シュミット(ギター)、フィンランド人のクリスター・ソル(ベース)、スティーヴ・バイ(ドラム)というメンバーで1978年初頭に結成。
78年9月に自主制作EP「All Sexed Up」をリリース。
5000枚限定だった。

アラン・リー・ショウはPHYSICALSで、MANIACS時代よりもメロディックな方向を目指していたという。
確かにMANIACSでの性急なパンク・ロックよりも、よりR&Rに揺り戻したような感じ。
NEW YORK DOLLSやMC5に影響されていたというアランは、PHYSICALSではMANIACS以上にデイヴィッド・ジョハンセンっぽい歌い方。
一方で「All Sexed Up」や「Should Have Been You」のリフや唱法にはフィル・ライノットを思わせる部分も。
(PHYSICALSはTHIN LIZZYのアイルランド・ツアーをサポートしている)

ただ、PHYSICALSのその後の活動は曲折を経るのだった。
マネージャーのイアン・ディクソンが本業のフォトグラファーに注力するためマネージメント業から手を引き。
THIN LIZZYのロード・マネージャーだったフランク・マーレイが後を引き継ぐ。
一方スティーヴ・バイが脱退し、ドラマー不在に。
(スティーヴは本当はヘヴィ・メタルがやりたかったのだという。しかしその後スカ・バンドVILLAINSに参加している)

そこでなんとポール・クック(元SEX PISTOLS)がドラムとプロデュースを担当し、PHYSICALSはシングルをレコーディングする。
(フランク・マーレイの紹介だったという。THIN LIZZYとSEX PISTOLSのつながりを考えれば納得)
一方でアラン・リー・ショウはTHE RINGS時代に知り合っていたブライアン・ジェイムズ(元THE DAMNED)に誘われ、1978年12月にBRIAN JAMES ALL STARSのライヴに参加。
(ドラムはTHE POLICEのステュワート・コープランドだったという)
いろいろあってPHYSICALSのシングルがリリースされないまま、アランは79年3月からBRIAN JAMES AND THE BRAINSのメンバーとしても活動することに。

BRIAN JAMES AND THE BRAINSは1979年7月にリズム・セクションが交代。
一方ブライアン・ジェイムズは79年11月からイギー・ポップのバックでツアーに出てしまう。
そこでアラン・リー・ショウはフランク・マーレイの手引きで、THE BRAINSのリズム・セクション、アルヴィン・ギブス(ベース:元THE USERS)&ジョン・トウ(ドラム:元GENERATION X)にスティーヴ・シュミットを加えた4人編成でPHYSICALSとしてTHIN LIZZYのライヴの前座を務める一方、デモを録音している。

1980年初頭にはポール・クックが参加した録音がシングル「Be Like Me」としてリリースされる。
(まさにポールそのものなドラムが聴ける)
一方ブライアン・ジェイムズがイギー・ポップのツアーから戻り、BRAIN JAMES AND THE BRAINSはHELLIONSとして活動を再開。
しかし80年の「READING FESTIVAL」にも出演したHELLIONSは9月に解散。
そしてPHYSICALSもそのまま立ち消えになってしまったのだった。

このCDには「All Sexed Up」「Be Like Me」に加え、1978年と79年のデモ、そしてELECTRIC BALLROOMでのライヴも収録されている。
ライヴとデモではイギー・ポップ「Lust For Life」、THE MUSIC MACHINE「Talk Talk」、THE ELECTRIC PRUNES「Get Me To The World On Time」というカヴァーが披露されているのが興味深い。
(特にサックスをフィーチュアした「Get Me To The World On Time」は、ガレージ・パンク/サイケのカヴァーというよりもニュー・ウェイヴ/ポスト・パンクを意識したアレンジに聴こえる)

アラン・リー・ショウはその後もブライアン・ジェイムズとの腐れ縁(?)が続いていたが、彼の名前が改めて知られるようになったのは、90年代半ばの一時期THE DAMNEDに参加した時だっただろう。
00年代後半までは自身のバンドで活動していたはずだけど、最近はどうしていることか。

たまには健康の話でも・その21

DOORS STRANGE DAYS.jpgアブラナ科の野菜は体に良い。
特にブロッコリーのビタミンCの多さは群を抜いている。
しかしブロッコリーを頻繁に食べる人って、そう多くないのでは。
俺もそうだ。

その点、同じアブラナ科のキャベツは、よく食べている人も多いだろう。
俺も回鍋肉とか大好きでさあ。
(キャベツ最近高価いけどね…)

アブラナ科の野菜にはビタミンC以外にも、βカロテン、ビタミンE、ビタミンK、食物繊維、カリウムなどが豊富に含まれる。
そして血糖値を下げるスルフォラファンも。
糖尿病がヤバい人は糖質を減らしてキャベツを食べるがよいのです。

ビタミンC、ビタミンE、ビタミンKの豊富さなら、セリ科の野菜も負けていない。
付け合わせのパセリは飾りじゃないのよ。
食べましょう。

今日はネギをたくさん食った。
コレがまた体に良い。
(タマネギも)
抗酸化作用の高い硫化アリル(ネギやタマネギの匂いの素)が含まれている。
ビタミンB₁が豊富な豚肉と一緒に食べるとなお良い。


前述の通り俺回鍋肉大好きなんですよ。
ランチタイムに中華料理屋に入ると、大抵回鍋肉定食を食っている。
しかし近年の物価高騰で、「なんだ、豚肉少なくてキャベツばっかりだなあ…」と思うことが多くなっていた。
そこにキャベツの高騰。
で、中華屋で回鍋肉をよく見てみると。
「タマネギを増やしてかさ増ししている…」
う、うん、いいよ、タマネギと豚肉一緒に食べるのは体に良いからね…。


ともあれ野菜を摂ることは重要。
ビタミンは三大栄養素には含まれないけど、人間は三大栄養素だけで生きていけるワケではない。
健康は大事。


とか言って、今はドラッグやら何やらで早死にしたジム・モリスン率いたTHE DOORSを聴いてるんだけどね。

THE DEVIANTSも遥かな思い出と化し

MICK FARREN AND JACK LANCASTER.jpg先月28日、マイク・ピーターズが亡くなったとのこと。
正確な死因は不明だが、彼が慢性リンパ性白血病で長く闘病していたことは、多くの人が知るところだろう。
66歳。
元THE ALARM、BIG COUNTRYのヴォーカリスト。
THE CLASHの弟分などとも呼ばれたALARM。
(マイクは実際、THE MESCALEROSに客演したこともある)
若くて元気いっぱいなイメージだったマイクも、もう66歳だったか。
それにしても長い闘病生活、お疲れ様でした。

今月4日には、ジャック・ランカスターが亡くなったという。
死因、年齢ともに不明。
多分80歳前後だったのでは。
BLODWYN PIGやBRAND X人脈との活動で知られた人だが、個人的には90年代にミック・ファレンと一緒にやっていた人、という認識に尽きる。
一時期は再編THE DEVIANTSのメンバーでもあった。
しかも90年代以降はサックスだけではなくEWIも駆使して、多彩な音を出していた人物。
(もっとも、エレクトロニクスに入れ込み過ぎたのがミックらに嫌がられる原因ともなってしまった)
他にもピート・ブラウン、アルヴィン・リー、KAYAK、アンソニー・フィリップス、ロッド・アージェントなど、参加作は多数。

そして10日にはエディ藩が。
感染性心内膜炎とのこと。
77歳。
ザ・ゴールデン・カップスのオリジナル・メンバーが、遂に一人もいなくなってしまった。
バンド後期に参加していた柳ジョージやアイ高野も既に亡い。
ゴールデン・カップスだけでなく、その後のエディ藩とオリエント・エキスプレスもカッコよかった。
そして何と言っても「ヨコハマ・ホンキートンク・ブルース」。
俺が初めて横浜中華街に行った時には、「鴻昌」がまだあったんだよなあ。
(結局一度も入ったことはなかった)
来月ミッキー吉野とライヴ予定だったという。
残念。


今はミック・ファレンとジャック・ランカスターの連名作『THE DEATHRAY TAPES』(1995年:画像)を聴いている。
このアルバムに参加したメンバーも、ミック、ジャックだけでなくウェイン・クレイマーもダグ・ランももういない。
そう言えばリック・パーネルも世を去り…うわ、99年に来日したTHE DEVIANTSも、もうアンディ・コルホーンしか残っていないのか。

THE ONLY ONES(1978)

ONLY ONES.jpgTHE ONLY ONESはDOLLの『パンク天国』にもシンコーミュージックのディスクガイドにも載っているが、本当に70'sパンクと言ってよいのだろうか…。

1976年8月結成。
メンバーはピーター・ペレット(ヴォーカル、ギター)、ジョン・ペリー(ギター、キーボード)、アラン・メア(ベース)、マイク・ケリー(ドラム)という不動の4人。
ピーターは元ENGLAND'S GLORY。
ジョンは元GRAPEFRUITS、MAGIC MUSCLE他。
アランは元THE BEATSTALKERS。
マイクに至っては元ART、SPOOKY TOOTH他。
ピーター以外の全員、60年代からプロとしてのキャリアがあった。

1977年にシングル「Lovers Of Today」を自主制作した後、いきなりCBSとの契約を取り付けてメジャー・デビュー。
78年4月にリリースされたのが『THE ONLY ONES』だった。
ジャケットを見ても、多少なりともパンクっぽく見えないこともないピーター・ペレットとアラン・メアに対して、ジョン・ペリーとマイク・ケリーは…。
(ピーターは当時26歳、マイクは既に31歳だった)

改めて聴き直しても、やっぱり改めて「?」となる。
しかしまあ、ニューヨークではTELEVISIONあたりがパンクの代表格だったのだから、THE ONLY ONESもアリだろう。
(一方で、パンク・ムーヴメントがなかったら彼らのデビューもなかったかも知れない、という気もする)
この1stアルバムには代表曲中の代表曲「Another Girl, Another Planet」(全英57位)が収録されているが、パンクっぽさという点だけで言ったらむしろピーターがわめいてギターもとげとげしく鳴らされる「Language Problem」に尽きるかも知れない。
ハードな2本のギターとドライヴするベースが絡み合う「City Of Fun」もナイス。

ともあれサイケデリックを引きずりつつピーター・ペレットがダルに歌い、十分なキャリアとスキルを持つメンバーたちが縦横な演奏を聴かせる彼らのロックは、単純にカッコいい。
特にヘヴィネスと軽妙さを併せ持つマイク・ケリーのドラミングは素晴らしい。
(ラストの「The Immortal Story」では大暴れ)

ミッキー・ギャラガー(キーボード:IAN DURY & THE BLOCKHEADS)らがゲスト参加し、プロデューサーとしてブレイクする直前のスティーヴ・リリーホワイトがエンジニアを務めた『THE ONLY ONES』は、全英56位を記録する。
意外なことに、3枚のアルバムのうち一番チャート順位が低い。
1979年3月には2ndアルバム『EVEN SERPENTS SHINE』(42位)を、80年には3rd『BABY'S GOT A GUN』(37位)をリリース。
DOCTORS OF MADNESSなんかと同様に、ジャンルの狭間に落ち込んでまともに評価されなかったバンド、みたいなイメージを勝手に持っていたので、びっくりした。
しかもTHE ONLY ONESは、80年にはTHE WHOの全米ツアーの前座に抜擢されている。

しかし1982年に解散。
メンバーのドラッグ問題などが影響したのではと思われる。
(ピーター・ペレットがTHE ONEとして来日した時も、奇行が目立ったとか)

2007年にまさかの再結成。
『パンク天国』にはジョン・ペリーはドラッグで半ば廃人、マイク・ケリーはタクシー運転手と書いてあったので、コレも驚いた。
17年1月18日にマイクが亡くなって以降は活動休止していたが、19年に復活し、現在も活動中とのこと。

6月のDJ(その2)

IGGY POP FAN CLUB JUNE 2025.jpgはい、6月2本目のDJは7日(土)「SCREAM & SOUNDZ」@西荻窪PitBarの翌日、渋谷です。
3月に爆裂大盛り上がりだった「IGGY POP FAN CLUB」の続編です。
イギー・ポップ来日のアフター・パーティー。









「IGGY POP FAN CLUB naked」
2025/6/8(日)16:00〜
DJ BAR Edge End(渋谷道玄坂)

Charge:¥1,000w/1d

DJ
大越よしはる
DJ hiroxi
朱(A.K.A.)


イギー・ポップ来日を改めて寿ぐDJイヴェントです。
皆様、是非お越しください。
ヨロシクです。

6月のDJ(その1)

SCREAM AND SOUNDZ JUNE 2025.jpg昨日出かけたのは良かったが、帰りは電車が動いておらず、4時間(!)かけて帰宅。
ハァ…。

ともあれ。
4月と5月はDJなしだけど、6月は2回あります。
しかも2日連続。
まず1本目。



2025.6.7(土) 西荻窪 PitBar
『SCREAM & SOUNDZ』

だくろぷかん
calque
おまえ
Vladivostok Powder Genocide
九蓮宝燈
BRAIN STUPID

DJ 大越よしはる
SHOP 棘男

open 18:00 (DJ start)
start 18:30

adv ¥2,500
door ¥2,800


PitBar、2回目の出演です。
今回は6バンド。
良いメンツ。
皆様、是非お越しください。
ヨロシクです。

NIKKI AND THE CORVETTES(1980/2008)

NIKKI AND THE CORVETTES.jpg”今日の旧譜”、ここしばらく70'sパンクを紹介してきたが。
今回はオリジナル・リリースが1980年のこのアルバム。
しかしグループの発足は70年代に遡るのだった。

1977年、デトロイトでNIKKI CORVETTE AND THE CONVERTIBLESとして結成。
ニッキー・コルヴェットことドミニク・ロレンツ(ニッキーでもコルヴェットでもなかった…)、ロリ・ジェリことロリ・ジャーゼンボウスキ、サリー・ディーの3人組。
中心人物ニッキーは、16歳の時にMC5のライヴを観に行くのを親に止められて家出した、という筋金入りのR&Rガールだったのだそうで。

女性ヴォーカル・グループをバンドがバックアップするというスタイルは、デボラ・ハリーがいたTHE STILLETTOSあたりを参考にしていたのか、とも思ったが、どうもTHE RONETTES+RAMONESというセンだったらしい。
(当時STILLETTOSには音源なかったしな)
ともあれNIKKI CORVETTE AND THE CONVERTIBLESは1977年にシングル「Young & Crazy」をリリース。

俺の手元にあるのは2008年に出たボーナス・トラック入りのCD。
1977年のシングルも収録されている。
アルバム本編以上にガチャガチャした性急なパンク・ロック。

1980年にNIKKI AND THE CORVETTESと改名。
その時点ではニッキー・コルヴェット、ロリ・ジェリ、クリスティ・ケイことクリスティン・コミサーズの3人になっていた。
(アルバムにはサリー・ディー在籍時の曲も収録)
当時ニッキーの彼氏だったピーター・ジェイムズ(元THE RAMRODS~THE ROMANTICS)がプロデュースと作曲とギターを担当し、アルバムがレコーディングされる。

このアルバムについては、俺が今更あれこれ言う必要はないだろう。
とにかくポップでキャッチーな楽曲にパンキッシュな演奏、そこに乗る3人娘の激キュートな声。
ピーター・ジェイムズの貢献度は大きかったと思う。
(こんなにイイ曲書いてたのに、その後大成しなかったのは不思議だ)
2008年の再発にはニッキー・コルヴェットとピーターも関わり、ボーナス・トラック収録だけでなく、オリジナル盤では速過ぎたというピッチが修正されている。
(しかも見開き紙ジャケット)

しかし彼女たちの存在は、早過ぎたのかも知れない。
当時はほとんど評価されなかったという。
1981年にはシングル「I Gotta Move」をリリースしたが(そちらもこのCDに収録)、80年代前半には解散となる。

だがこのアルバムがその後ポップ・パンク/パワー・ポップのマスターピースのひとつとなったことは、これまた言うまでもない。
そしてニッキー・コルヴェットは21世紀に復活を果たすことに。