BACTERIA@高円寺HIGH

画像ちょっと仕事が首締まってきて、ブログ2日休んだりとか。
それ以外にもモロモロあって、先週のライヴの話を今頃。
25日、高円寺HIGH。
“今週のライヴ”じゃなくて“先週のライヴ”だね。

HIGHは、実は初めて。
先日このブログでもアルバム『WHITEOUT』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201805article_18.html)を紹介したBACTERIAのレコ発ワンマン。

フロアに入ると、重々しい音響に迎えられる。
中2階を見上げれば、黒ずくめの森川誠一郎(血と雫)の姿が。
ノイジシャンの人が使うような電子機材で、サウンド・コラージュを紡ぎ続けていた。
場内は満員。
しかしギュウギュウではなく、それなりにスペースがあって息苦しさはない。

定刻の3分前には、早くもメンバーがステージに現れる。
演奏がスタートしたのは定刻の1分前、19時59分だった。
DEN(ドラム)による銅鑼1発でライヴ開始。
今回のライヴは2部構成。
第1部は“BLACKOUT”と題され、過去の代表曲が次々に演奏される30分。
「Another Fall」「Wipe Out」「Hate All」と3連発。
しかしそこでTOYOKI KAWAGUCHI(ギター、ヴォーカル)のアンプがトラブって中断。
DENが「いいところだったのにな…」とつぶやき、フロアに笑いが。
HIROSHI SUZUKI(ベース)の「皆様、御歓談を…」という一言で、更に場が和む。

ロン毛を二つに振り分け、キャミソールのように肩紐の細いタンクトップを着たDEN。
毛皮の帽子をかぶったTOYOKI KAWAGUCHI。
そして“悪魔くん”を思わせる(?)浮世離れしたルックスのHIROSHI SUZUKI。
見た目から実にナイスなトライアングル。
ジョン・ボーナムばりのデカいバスドラにワンタム(!)のドラムセットはすっきりと低くまとめられ、DENの上半身の動きがよく見える。
KAWAGUCHIとSUZUKIの足元も、出ている音からは考えられないようなすっきり具合。

アンプの交換後もMCらしきMCはなく、TOYOKI KAWAGUCHIの「BACTERIAです…」という一言で演奏再開。
ライヴ冒頭、これまでに何度か経験したBACTERIAのライヴほどの轟音じゃないな…と思ったのだが、演奏再開後は明らかに音圧が増したように感じた。
トータル約30分あまり、「この世の終わりに鳴り響く」まで突進してバンドは引っ込む。
HIGH、音がとても良いね。

そこで再び森川誠一郎が重低音を響かせる。
20時45分には再びメンバーが登場し、第2部“WHITEOUT”スタート。
「Close The Eyes」に始まり、アルバム『WHITEOUT』を全曲再現する形で聴かせていく。
「Monologue」「Downfall」というスポークン・ワード的なところではナマではなく音源を流しつつ。
プロジェクターからはアルバムのテーマである“冬”をイメージした映像が投影され。
Tシャツで十分な5月下旬のフロアが、真冬のイメージに彩られる。
「三月」ではMVの映像も混じり。

生々しくもメカニカルな轟音。
メトロノームのように正確にキープするドラマーとして、俺などは故ヤキ・リーベツァイト(CAN)を思い出したりするし。
シークェンサーと完璧に同調するドラマーとしてはハラルド・グロスコフ(ASHRA)が挙げられるが。
DENのドラムは彼らのように正確無比でありつつ、とてつもなくへヴィ。
TOYOKI KAWAGUCHIも、ギターを振り上げたり振り下ろしたり、身をよじりつつ激情のままに爆音を奏でているようでいて、随所に挿入される同期モノとぴったりシンクロ。
初期衝動の爆発を思わせるノイズが、一方で完全にコントロールされている。
そのアンサンブルを黙々と支えるHIROSHI SUZUKIのベース。
稀有なバンドだと思う。

アッパーでダンサブルな「Core Booster」で本編終了。
森川誠一郎が控えめな音量でノイズを流し始めるが、オーディエンスの熱狂的なアンコールでバンドはステージに戻る。
アンコールはBACTERIA随一のハードコア・ナンバー「Cult」。
銅鑼の連打で演奏が終わる。
しかしその後もオーディエンスの手拍子はやまず。
メンバー3人が再びステージに登場し、ライヴ終了を宣言。
約2時間のワンマンは終わりを告げた。

冷徹な爆音の連続から、多幸感溢れる「Core Booster」へと。
スタートから30年余り、メンバーや音楽性の変遷を経て辿り着いたBACTERIAの完成形。
すべてを吐き出し切った『WHITEOUT』を経て、しかしメンバーは更にその先を見据えているはず。
今後にまだまだ期待。
イイ夜だった。


(2025.5.7.改訂)

少年老い易く…

画像4月27日に朝丘雪路が亡くなっていたのだという。
82歳。
アルツハイマーを患っていたそうで。
伝説の天然ボケも、もう80代になっていたのか。
俺が子供の頃に初めてこの人を知った時点で既に40代だったはずだが、いつまでもにこやかできれいな人という印象だったな。

今月13日にはグレン・ブランカが亡くなっている。
69歳。
死因は知らない。
サーストン・ムーアの師として有名で。
だからもっと高齢だと思っていた。
ちょうど昨夜THE COACHMEN(サーストン抜き)の話をしたところだが。
この人がいなかったら、SONIC YOUTHの音は違っていたのだろうか。

西城秀樹の訃報は大ショックだった。
16日、63歳。
急性心不全。
2度の脳梗塞を経て、完全復帰は難しかったかも知れないが、それでももっと長生きしてほしかった。
昔は単にアイドル歌手と思っていて…この人のカッコよさが理解出来たのは、比較的近年になってからだ。
ネットなどで動画が簡単に観られるようになって、「細い! スタイルいい! カッコいい!」となった。
もちろん圧倒的な個性を放つ歌も。
シングルでの洋楽カヴァー(VILLAGE PEOPLEやスティーヴィー・ワンダーやWHAM!)に本人の意思がどれだけ反映されていたのかは知らないけど。
しかしライヴでの、ハード・ロックを中心とする数々の洋楽カヴァーには間違いなく本人の志向/嗜好が丸出しだったはず。
あと、70年代の人だと思っていたのが、「ギャランドゥ」は1983年になってからだったか。
それにしても葬儀での野口五郎の弔辞には泣かずにいられなかった。

西城秀樹と同じ16日には、星由里子も亡くなっている。
心房細動と肺癌。
74歳。
最近も広告で写真を見かけて、ああまだ元気でやってるんだなあと思ったばかりだったんだが。
“若大将シリーズ”のマドンナも、もう74歳だったか。

21日には栗城史多がエベレストで滑落死。
(当初は低体温症とされていた)
35歳。
この人、凍傷で指9本なくしても登山を諦めない人という認識しかなかったんだけど。
出身が今金町だったとは。
今金は俺の親父の出身地。
つまり大越の(北海道の)本家がある町だ。
俺自身はもう何十年も今金には行ってないが、ひょっとしたら俺の親戚で直接知ってる人とかいたのかな…。


自分はヒデキが還暦過ぎて死ぬ時代に生きているのだ、と改めて考える。
恐ろしい、実に恐ろしい。


(2025.5.7.改訂)

THE COACHMEN/TEN COMPOSITIONS(1997)

画像THE COACHMENと言えば、サーストン・ムーアが最初に参加したバンドとして知られるニューヨークのポスト・パンク・バンド。
当時新宿にあったBARN HOMESでこのアルバムを目にした時、何も確認せずにすぐ飛びついた。
したらサーストン抜きの新録だったという…。

オリジナルのTHE COACHMENは、1978年初頭から80年8月にかけて活動している。
当時のメンバーはサーストン・ムーア(ギター)、JD・キング(ギター)、ボブ・プーリン(ベース)、ダン・ウォルワース(ドラム)の4人。
活動当時にリリースはなく、88年になってデモ音源が発掘されている。
その頃にはサーストンがSONIC YOUTHで知られるようになっていたのは言うまでもないだろう。

で、このアルバムでのTHE COACHMENは1997年当時の新編成。
メンバーはJD・キング(ギター)、ヴァレリー・ボイド(キーボード)、デイヴ・ウェイン(ベース)、シモン・クイック(ドラム)の4人で、オリジナル・メンバーはJDのみ。
JDは“ジミ・ヘンドリックス、TELEVISION、リンク・レイ、ソニー・シャーロック、ガボール・ザボの、神に見捨てられた弟子の生き残り”を自称。
アンサンブルの中心になっているのは新加入のヴァレリーで、ラリー・ヤングとマイク・ラトリッジに影響された一方、デイヴ・ブルーベックの熱狂的なファンという。
デイヴはヴァレリーによれば“何でも弾ける!”とのこと。
当時26歳だったシモンはイギリス出身の女性で、英国ジャズ・シーンで活動していたらしい。

サーストン・ムーア主宰のエクスタティック・ピースからのリリースなので、サーストンも1枚噛んでいるのは間違いないんだろうけど、彼の名前は何処にも見当たらない。
副題は“NEW FRONTIERS IN FREE ROCK”。
“フリー・ロックの新しいフロンティア”で“10の作曲”って、ちょっと意味がよくわからないような。
とりあえずメンバー全員にジャズからの影響があるのは間違いなく、曲によってはアーチー・シェップやスタン・ケントンに捧げられている。
一方で1966~67年のガレージ~サイケデリック・バンドの基本的なセットアップであるギター、ベース、ファーフィサ、ドラムという編成も意識しているそうで。
ますますよくわからないんですが。
更に、アーサー・チャイルズという人による『Somthin good』という詩集が添付されている。
(表紙と裏表紙に掲載された写真はデイヴ・ウェイン撮影)

実際に聴いてみると、“TEN COMPOSITIONS”ってホントかあ?…と思う。
多分10人中10人がそう思うのでは。
サイケデリックをはじめとして、インプロヴィゼーションをフィーチュアした音楽でよく“垂れ流し”という言葉が使われるが。
これほど垂れ流しな演奏ってなかなかないんじゃないかなー。
ほぼデタラメに聴こえるぞ。
JD・キングのギターはとりあえず思いっきり歪んでいるけど、彼が名を挙げた先人たちのようなキレは皆無。
ヴァレリー・ボイドのファーフィサを聴くと「マイク・ラトリッジに土下座して謝れ!」と思ってしまう(笑)。
デイヴ・ウェインのベースも「何も弾けないが故に“何でも弾ける”ということになるのだろうか…」などと禅問答的な思考が頭を巡る。
シモン・クイックのドラムも、ジャズ畑出身というよりは初めて叩いた素人みたいに聴こえるし。

そして、B面ラストの「Room Tone」。
訳すなら“部屋の音色”か。
無音のトラック。
ハッとなってクレジットを見ると、「Room Tone」の収録時間は4分33秒!
ジョン・ケージかよ!

自身のレーベルからコレをリリースしたサーストン・ムーアがこのレコードに何を見出していたのかはわからない。
多分ほとんどの人にとってゴミみたいなアルバムではないかと思うんだけど。
ただ、こんなモノが出てしまった、というその点はユニーク(?)だと思う。
あと、意識して積極的に聴かずにアンビエントとして流しっぱなしにしていると、意外とよい(笑)。
まあ、珍盤だよなあ。

バンドはその後もJD KING & THE COACHMEN名義でリリースがあるものの、流石に(?)買ってない(笑)。
ちなみにバンド名義をちょっと変えたのも、60年代風にしようという意図があったらしいが…。


(2025.5.6.改訂)