くんゆうり/なめたおれ

くんゆうり なめたおれ.jpgHIROSHI、ひろしNa、ひろしNarなど様々な名を持つ楢崎裕史(元だててんりゅう、頭脳警察、裸のラリーズ他)が“燻裕理”名義でリリースするソロ作の、実に13作目。
あれ?…燻裕理じゃなくて“くんゆうり”になってるな…。
その昔、村八分は“ひらがなのロック”と言われたモノだが、バンド名は漢字だったので、燻裕理がくんゆうりになってしまったらもうコレこそ最強のひらがなのロックではないか(?)。

今回はニプリッツ時代の楽曲のセルフ・カヴァーを中心に、新曲も含む40分16曲。
燻裕理としての1stアルバム以来変わらず、本人がヴォーカルとギターとベースとキーボードを一人で演奏して重ね、ドラムはここ数作で叩いているBLONDnewHALFのCozが継続して参加。

前から何回も言ってるけど、この人のレコーディング風景がどんなのか、一度見てみたい。
脱力しきった歌詞とヴォーカルにこっちも全身が弛緩してしまう、ゆる~い8ビートのR&R、しかし全曲分のギター(リード&リズム)とベースとキーボードを一人で演奏して重ねるなんて、絶対根気が要るに違いない…はず。
しかも空間をぐにゃりと、いやふにゃりと曲げるキーボードに、サイケデリックで鋭いギター、シンプルながらよくドライヴするベース…全部一人でって。
多分天才に違いない。
Coz嬢(しばらく前のEL ZINEにインタヴューが載っていた)のドラムも、他の楽器全員(しかし実は一人)と「せーの」で録ったみたいにしか聴こえないし。

とにかくこの歌詞とヴォーカルの、あまりに独自過ぎるセンス。
“唄を忘れたカナリアが/おぼんのキリコをさらってみれば/唄を知らないカナリアも/おぼんをぐらりとまわします”(「夜話」)
“ビートの中おばけのギターはさかさにとんだ/本にはさまれ言葉うめこみドーナツたべた”(「人生は」)
“まほうのじゅうたんだいへんたい/イラク軍のこうげきだ/アメリカ軍は逃げ出すが/スパイダーマンでまきかえし”(「大戦場」)
「ろっかじった」に至っては“あっぱらっとつかまうゆ/ぱろうじゃなけろうさ/やっぱろれったあらゆべー/ろっかじったばっかびっとぶー”って…。

あと今回は、裸のラリーズの代表曲「夜、暗殺者の夜」の改作「白い夜」も聴きモノ。
あのリフはそのままに、ラリーズと違って4分ちょっとで終わってしまうのだが、60年代ガレージみたいなオルガンと咆哮するギター・ソロが実にカッコいい。

それにしてもなんというか人間がサイケデリック。
基本的にはとてもポップで人なつこい音楽だと思うのだが、一方で随所に毒を含んでいて、一筋縄どころか二筋縄も三筋縄も行かないロック。
多分天才に違いない。


『なめたおれ』、10月1日発売。
リリース元のいぬん堂とライヴの物販のみの取扱で、250枚限定とのこと。

「80's 90's飯店」@西大井美華飯店

KIMG0244.JPG本日。
あちこちで興味深いイヴェントがあったが、身体はひとつしかなく。
夕方渋谷にいて。
そこから電車一本で行けて安くて美味しい料理も食べられる西大井の美華飯店へ。


「80's 90's飯店」。
文字通り80年代と90年代に特化したイヴェント。
縛りはそれだけで、ジャンル関係なし。

15時からやっていたイヴェントだが、俺がお店に行ったのは19時近く。
美味しいカレーをいただく。

DJ山村茜。
“Eテレでおっぱい出した人”として、今やツイッターのフォロワー1万人を超える。
うん、今日も片乳出てるなあ。
(乳首は隠してるけど)
80年代のアイドル(ゆうゆとか)やアニソン(「ラムのラブソング」とか)やJ-POP(PRINCESS PRINCESSとか)を、踊りながら楽しく回す。
楽しかったです。

続いてFJことバラナンブの藤井政英(画像)。
彼が以前からDJをやっていることは知っていて、興味があったのだが、ようやく聴くことが出来た。
慣れない機材に四苦八苦しながら、フツーに曲をつないで行くDJのスタイルではなく、2枚がけで謎のノイズを紡いでいくようなプレイ。
CDJながらいわゆるターンテーブリストみたいな。
うん、面白い。
途中からお客さんがガンガン踊り出して、ダンサブルな方向にシフトして行ったけど。
最後はCULTURE CLUBでシメる。

藤井政英の出番が終わって退出。
昨年までは「西大井って…何処よ?」とか思っていたが、乗り換え1回で帰れるのでアクセスは良い。
美華飯店、俺は昨年1回出演しただけだけど、また呼ばれたら喜んで出るつもり。
料理はどれも安くて美味いよ。

ASIA/Don't Cry(1983)

ASIA.jpg俺が初めて聴いたASIAの曲が「Don't Cry」だった。
洋楽を聴き始めたばかりの頃、当時FMでやっていた「ベストリクエスト」という番組。
パーソナリティーは野沢那智だった。
(彼は番組で何故か毎週イタチの話ばかりしていたためか、間もなく神谷明に交代)
同じ日にRAINBOWの「Street Of Dreams」もかかったのを覚えている。

とにかくカッコいいイントロにカッコいいAメロにカッコいいサビにカッコいい声。
(すげえ頭の悪い表現)
前年の1stアルバム『ASIA』が全米1位、シングル「Heat Of The Moment」が4位に対して、「Don't Cry」が収録された2ndアルバム『ALPHA』は全米6位、シングル「Don't Cry」は10位。
しかしASIAで一番イイ曲は「Don't Cry」だと思っている。

当時は洋楽超初心者だったので、当然ASIAのメンバーが過去にやっていたバンドのことなど微塵も知らず。
その後KING CRIMSONやYESやEMERSON,LAKE & PALMERを聴いて。
YESやEL&Pはともかくとして、ジョン・ウェットン在籍時のKING CRIMSONとASIAの落差にはぶったまげた。
で、ASIAはあんな凄い音楽を演っていた人たちが売れ線を狙った志の低いバンドじゃないか…という、実に中二病的な感想を抱いて軽んじてみたり。

ずっと前にU.K.の『NIGHT AFTER NIGHT』(1979年)を紹介した時にも書いた話だが、80年代に“産業ロック”的な方向に向かった元プログレの人たちを擁護していた友人は、ASIAや80年代のYESについて「プログレのエッセンスを維持しながら商業性にも対応して見せたのだ」と力説した。
しかし俺は納得出来なかった。
エッセンスなんて要らねえよ、俺はプログレが聴きたいんだ、と。

今では友人の言っていたこともわからなくはない。
前述の『NIGHT AFTER NIGHT』についての記事で、トリオになってからのU.K.を“ルックスが良くてもの凄くテクニカルなポップ・バンド”と書いた。
ジョン・ウェットンが後期のU.K.以上に割り切って、どプログレな面々を集めながらも思いっきりポップ方面に寄せて、結果的に大成功したのがASIAだった。
後期U.K.と違って全員がピンナップになるような見た目ではなかったにもかかわらず(笑)、ASIAがU.K.とは比較にならないほどの商業的成功を手に入れたのは、確かにプログレのわずかな“エッセンス”だけを残しながらその職人的なソングライティングの技量を3分間のポップ・ソングに押し込めることが出来ていたからだろう。
「Don't Cry」は(「Heat Of The Moment」も)プログレじゃないし、それで全然イイ。
10代の俺が素直にカッコいいと思ったポップでドラマティックなロック、それだけだ。

もっとも、上手く行ったのは最初の2作までだった。
バンドの商業的成功を見て、レコード会社は同一路線、あるいはよりポップな方向を望み。
一方メンバーは「Heat Of The Moment」や「Don't Cry」以上にポップな楽曲を作り続ける気はなかったようで。
スティーヴ・ハウが脱退し、後任ギタリストにマンディ・メイヤー(元KROKUS)を迎えたASIAは次作『ASTRA』(1985年)でややハードな方向に向かったものの、チャート・アクションは鈍り。
(全米67位。シングル「Go」は46位。ただ出来は全然悪くない)
結局バンドの顔であり声であるジョン・ウェットンが脱退、ASIAは消滅する。
(まあその後復活するワケだが)

この7inchはDJで使うために買った。
俺が初めて「Don't Cry」を聴いてから20年以上あとのこと。
B面の「Daylight」はLPには入っておらず、カセットだけに収録されていた曲。
コレもイイ曲だ。


(2020.7.22.改訂)