
『ジョニー・サンダース コンプリート・ワークス』を読みながらジョニー・サンダースやNEW YORK DOLLSを聴いていて。
もちろんそのへんばかり聴いているワケじゃなく、合間に他のを聴くことも。
で、ミートローフの『BAT OUT OF HELL』(1977年)を聴いていて、思い出した。
ああ、コレも『NEW YORK DOLLS』(73年:画像)も、トッド・ラングレンのプロデュースじゃん。
『NEW YORK DOLLS』と同じ1973年7月にリリースされたGRAND FUNKの『WE'RE AN AMERICAN BAND』も、トッド・ラングレンのプロデュース。
『WE'RE AN AMERICAN BAND』は全米2位、『NEW YORK DOLLS』は116位。
随分開きがあるものの、どちらもバンドにとっては最もチャート・アクションがよかったアルバムということになる。
『WE'RE AN AMERICAN BAND』からは、シングル・カットされたタイトル曲が全米1位となり。
トッド・ラングレンはGRAND FUNKの次作『SHININ' ON』(1974年)もプロデュースし、このアルバムも全米5位の大ヒット、シングル「The Loco-motion」はこれまた全米1位となっている。
一方でその次のアルバム『ALL THE GIRLS IN THE WORLD BEWARE!!!』(74年)は10位、ライヴ盤『CAUGHT IN THE ACT』(75年)は21位、更にその次の『BORN TO DIE』(76年)は47位…と、トッドがプロデュースから離れた後のバンドは急速に勢いを失い。
フランク・ザッパが立て直しに手を上げたアルバム『GOOD SINGIN', GOOD PLAYIN'』(76年)も52位に終わり、バンドは解散することに。
NEW YORK DOLLSにしても、オリジナル・アルバムは2枚しか出していないとはいえ、『NEW YORK DOLLS』の全米116位に対して2ndアルバム『IN TOO MUCH TOO SOON』は167位。
チャート・アクションだけではなく、音作りの面でも優劣ははっきりしている。
(もっとも『NEW YORK DOLLS』も彼らにとってベストなサウンドだったとはおよそ言い難いが)
それらを見ると、トッド・ラングレンのプロデューサーとしての才覚を改めて思わずにいられない。
もちろんトッドがプロデュースしたアルバムのすべてがヒットしたワケではないとはいえ。
全米14位まで上がった『BAT OUT OF HELL』の後、ミートローフは売れない時期が長く続いたが、『BAT OUT OF HELL Ⅱ:BACK INTO HELL』(1993年)が今度は全米1位の特大ヒットになったのは、トッドのプロデュースの有無以上に作詞・作曲のジム・スタインマンの存在が大きかった。
そういう例もあるものの、それでもトッドが時にバンドの実力以上のモノを引き出して(そして時にはそのバンド本来の音ではない、ほとんどトッドの音のアルバムにしてしまったりもして)、完成度が高く売れ筋の作品を仕上げる、それ自体は間違いないだろう。
PATTI SMITH GROUPの『WAVE』(79年)の全米18位も、パティ・スミスにとってチャート最高位だったし、BADFINGER『STRAIGHT UP』(71年)の31位も、前作『NO DICE』(70年)の28位に次ぐ成績だった。
HALL & OATESの『WAR BABIES』(74年:全米86位)やCHEAP TRICKの『NEXT POSITION PLEASE』(83年:61位)あたりはヒットこそしなかったものの、元々才能あるミュージシャンたちにトッドが手を貸すことで、HALL & OATESはその後の躍進の、CHEAP TRICKはその後の復活の、それぞれきっかけをつかむことが出来たのでは。
その点、一番の問題作なのは、やはりと言うべきかXTCの『SKYLARKING』(1986年)ということになるのだろう。
素晴らしいアルバムに仕上がったとはいえ、天才肌なアンディ・パートリッジ率いるXTCのアルバム制作にトッド・ラングレンをぶつけたら、トラブルになるのは不可避という感じ。
そのせいなのかどうなのか、『SKYLARKING』は全英90位と、高い完成度にも関わらずXTCのアルバム中でも最も低い順位となっている。
(全米チャートでは70位とまずまず)
ちなみにトッドが起用されたのは、デイヴ・グレゴリーがトッドのファンだったかららしい。
ずっと以前にも書いたが、凄腕のミュージシャンが集まったからといって必ず素晴らしい音楽が出来るワケでもない。
XTCの場合は素晴らしい音楽こそ出来たものの、完璧主義者の天才同士を一緒に仕事させたらその場の空気が最悪になった、それは間違いない。
結局トッド・ラングレンにとって‟素材”として完璧だったのは、アーティスティックな自己主張がなかった(?)であろうGRAND FUNKだったのでは。
そしてバンドを完全に素材として、トッドが好き勝手に腕をふるえたからこその『WE'RE AN AMERICAN BAND』大ヒットだったのでは、という気がする。
アルバムが全米2位、シングルが全米1位というのは、トッドのプロデュース作中でも他にない規模の成功だった。
(でも画像は『NEW YORK DOLLS』ね)