夜、物故者の夜

裸のラリーズ.jpg水谷孝が2019年に亡くなっていたというのには驚いたが。
当時71歳という年齢を考えれば、驚くにはあたらないかもと思ったりも。
10月21日に突如として裸のラリーズの公式HPが開設されたのにも驚いた。
水谷、そして裸のラリーズについては、今更俺が書くようなこともない気がする。
とりあえず77年録音のライヴ盤をもとにしたブートCDと、唯一の7inch(画像)については既にこのブログで書いた。
1996年のライヴを観ることが出来たのは、実に幸運だった。
(裸のラリーズ名義では最後のライヴだったらしい)

8日に白土三平が亡くなっていたという。
誤嚥性肺炎、89歳。
そして、12日には『カムイ伝 第2部』の作画を担当した実弟の岡本鉄二も。
間質性肺炎、88歳。
4日ちがいで、どちらも肺炎か。
『カムイ伝 第3部』は遂に実現せず。
もっとも、個人的には子供の頃にTVで観た『カムイ外伝』と『サスケ』のアニメの方が心に残っているのだが。
少年漫画然とした初期の絵柄が後身に与えた影響について思う。
矢口高雄や、初期の荒木飛呂彦なんかは相当影響されていたはず。

20日には川口真。
敗血症とのこと。
81歳。
『ウルトラマンタロウ』主題歌にカールのCMソング、弘田三枝子「人形の家」、布施明「積木の部屋」、新沼謙治「嫁に来ないか」、金井克子「他人の関係」、夏木マリ「絹の靴下」…。
名曲ばかりではないか。
そして編曲家としても活躍。
昭和の音楽業界の職人たちもどんどんいなくなるね…。
そして漫画家も。


御冥福をお祈りします。

寺内タケシとバニーズ/レッツ・ゴー「運命」(1967)

寺内タケシとバニーズ.jpg寺内タケシとバニーズは、以前シングル「運命」を紹介したことがあった。
https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1359.html
こちらはアルバム。
シングルよりもずっと後になって買ったモノで、シングルよりもずっと安かった。

寺内タケシとバニーズとしては4thアルバム。
全曲がクラシックのエレキ・インストゥルメンタル化という。
当時エレキ=不良という世間の風潮に我慢ならなかった寺内タケシが、じゃあエレキで何を演ったら不良扱いじゃないんだ、となった末に向かったのが、クラシックと民謡だった、ということらしい。

当時のメンバーは寺内タケシ(リード・ギター)、黒沢博(サイド・ギター、ヴォーカル)、鈴木義之(リズム・ギター、ヴォーカル)、小野肇(ベース)、荻野達也(エレクトーン)、井上正(ドラム、尺八、ヴォーカル)。
”サイド・ギター”と”リズム・ギター”って、役割的にどういう違いがあったのか…とか思ったりもするが、ともあれギター3本の6人編成。
エレキ・インストゥルメンタルはギター2本の4人組スモール・コンボ…という常道なんぞはハナから無視し、自身の頭にある音像を実現するためだけにひたすら突き進んだ寺内であった。
(その後の新生ブルージーンズではツイン・ドラム化したりも)

で、シングルとしても紹介した「運命」がA面1曲目で、やっぱり強烈。
寺内タケシの鬼気迫るブチ切れた速弾きと、バンドの異様なハイテンション。
熱い。
(シングルを紹介した時にも書いたけど、この人当時最速ギタリストの一人だったのでは)
かと思ったら「白鳥の湖」でいきなり井上正の尺八が主旋律を吹いていたりして、別の意味でぶっ飛ばされる。
(「ドナウ川のさざなみ」でも尺八が登場)
「熊蜂の飛行」「エリーゼのために」では凄まじい歪みを炸裂させる一方で、「ショパンのノクターン」ではしっとりと優雅なソロを披露し。
(ピアノ曲をギターに置き換えるにはかなりの苦労があったらしい)
「剣の舞」はデイヴ・エドマンズのLOVE SCULPTUREより1年早い。
「未完成」のソロもかなりエグいぞ。

全体的には、凶暴さが支配している。
ガレージ・パンクとかじゃないのにな…。
見開きジャケットの内側には寺内タケシらメンバーのコメントだけでなくミキサーのコメントも寄せられているが、「ともかく音が大きいので、それをいかにそのままレコードに入れるかで苦心しました」とある。
実際、ロック後進国だった1967年当時の日本のレコーディング環境では、相当な苦労があったはず。
一方、単にクラシックをエレキ化しただけでなく、奏法や音色の多彩なヴァリエーションを聴かせ。
原曲の持つ味わいを相当に研究した上でのレコーディングではなかったか。
寺内自身「これが若い世代のクラシック音楽だと思っています」とコメントしている。
(御大、この時28歳であった。全然20代に見えないんだけど…)

果たして日本レコード大賞編曲賞を受賞。
しかし、このアルバムの中ジャケットで全員が「尊敬する人=寺内タケシ」と答えていたメンバーはその後離反。
バンドは分裂/独立し、荻野達也とバニーズとなる。
もっとも、腕達者がそろいながらもカリスマ・寺内タケシを欠いた新バンドは成功から遠く、1971年には解散している。
そして昨年6月に寺内が亡くなるよりも前に、井上正、鈴木義之、荻野達也が世を去っていて。
当時の6人のうち生き残っているのは二人だけという…。

某所で復活

MOTORHEAD NO SLEEP TIL HAMMERSMITH.jpgはい、28日(水)は都内某所で告知しない某DJイヴェントでした。
実に11ヵ月ぶりの再開。

交通機関が遅れていたものの、どうにか晩飯を食ってからハコ入りする時間の余裕はあり。
各DJとの再会を喜ぶ。

で、このイヴェントでは例によって一番手を務め。


SET LIST
Hotel California/EAGLES
Dominance And Submission/BLUE OYSTER CULT
No Woman, No Cry/BOB MARLEY AND THE WAILERS
Overkill/MOTORHEAD


全曲ライヴ・ヴァージョンで、全曲長めの曲。
(5~7分)

自分の出番が終わったら、あとはビール飲んでゆっくり楽しむだけ。
ゆっくりと言っても、電車の都合で途中で退出したんだけど。
(コロナ禍以降完全な朝型となってしまい、今や夜は12時頃に寝てしまうのだ)
ともあれ楽しゅうございました。


年内は11月と12月にもDJあります。
改めて告知したりしなかったり。