
以前紹介した3rdアルバム『KANGURU』(1972年:
https://lsdblog.seesaa.net/article/201908article_6.html)と同じオリジナル・ラインナップによる、最も古いライヴ音源ではと思われる1枚。
70年10月25日、エッセンのGRUGAHALLEで開催された第3回の「ESSENER POP &BLUES FESTIVAL」での3曲37分。
ミュンヘンで生まれスイスで育ったマニ・ノイマイアー(ドラム)が、チューリッヒでウリ・トレプテ(ベース)、イレーネ・シュヴァイツァー(ピアノ)と出会ったのは1963年のことだった。
一緒に演奏するようになった彼らが正式にIRENE SCHWEIZER TRIOを名乗るようになったのは、65年の大晦日だったという。
ドイツ最初期のフリー・ジャズ・グループとしてシーンで名を馳せた彼らだったが、ツアー生活に疲れたイレーネとライヴ大好きだったマニ&ウリは67年に袂を分かつ。
マンフレッド・ショーフやペーター・ブロッツマンと活動していたマニ・ノイマイアーが、ウッドベースからエレキに持ち替えたウリ・トレプテとGURU GURU GROOVEを結成したのは1968年夏。
69年春にはバンド名をGURU GURUと短縮。
マニとウリ以外のメンバーは交代を繰り返したが(サックス奏者や専任ヴォーカリストがいたことも)、最終的に元AGITATION FREEのアクス・ゲンリッヒ(ギター)を迎えたトリオとしてラインナップが固まる。
そして彼らは70年6月にデビュー・アルバムの録音を行なうのだった。
1970年10月22日~25日にかけて開催された「ESSENER POP & BLUES FESTIVAL」は、メイン・ステージにTASTE、FOTHERIGHAY、EAST OF EDEN、GUN、MAY BLITZ、SAVOY BROWN、BRINSLEY SCHWARZ、QUIVER、TYRANNOSAURUS REX、GINGER BAKER'S AIR FORCEといった英国勢が出演(アメリカからジョン・マクラフリンも)。
対して地元ドイツ勢にはサブ・ステージがあてがわれた。
FRUMPY、XHOL、EMBRYOといった連中に混じって、1stアルバム『UFO』をリリースして間もなかったGURU GURUも出演したのだった。
フェスティヴァルの模様は録音されていたが、当時リリースされたのはSAVOY BROWN、MAY BLITZ、FOTHERINGHAYの演奏をLP1枚に収録したライヴ盤『LIVE』(そのまんま)のみ。
それ以外のテープは長い間行方不明のままだった。
ドイツのバンドを鬼のように再発・発掘しまくっていたレーベル、ガーデン・オブ・ディライツがGURU GURUのテープを発見し、CD化したのは2002年。
フェスティヴァルから実に32年が経過していた。
それ以前にリリースされていたGURU GURUのライヴ音源で最も古かったのは、1999年にキャプテン・トリップ・レコーズから出ていた『GURU GURU 98 LIVE』にボーナス収録されていた71年フランクフルトでの演奏だったはず。
このエッセンでのライヴは、その前年。
それだけでも価値ある再発と言えたが、驚かされたのはその高音質だった。
かつてこの手の発掘音源の定番だった72年ライヴ(95年のカップリング盤『GURU GURU/ULI TREPTE』に収録。71年9月説も)とは比較にならないクリアさ、シャープさ。
初めて聴いた時は本当にびっくりした。
ただし、問題もあった。
当時20分近かったはずの「Bo Diddley」が11分半ほど演奏されたところで、テープが終わってしまっている。
(残りは全く見つからなかったという)
1曲目「Stone In」も、ちょっとフェイドアウトっぽい終わり方。
しかし、それらを不問に出来るくらいの素晴らしい演奏と素晴らしい音質が楽しめる37分。
初めて聴いた時には、細かい金物類まではっきり聴こえるドラムに較べてギターのバランスが今ひとつ…と思ったモノだったが、今ではさほど気にならない。
2ndアルバム『HINTEN』がリリースされた1971年のライヴで「Der LSD-Marsch」と「Girl Call」、『KANGURU』がリリースされた72年のライヴでも「Der LSD-Marsch」と、『UFO』の収録曲をステージで演奏し続けていたGURU GURU。
しかしこのCDで聴ける「Stone In」と「Der LSD-Marsch」は、まさに『UFO』リリース当時の演奏。
そして『UFO』リリース間もなかったGURU GURUが、この頃既に『HINTEN』収録曲「Bo Diddley」を演っていたことも知れるワケで。
(『HINTEN』のレコーディングは71年7月)
水銀のように沈み込む異形のヘヴィ・ロックを聴かせる『UFO』と、ジャズ・ロックとハード・ロックと妙なユーモラスさを混ぜ合わせた『HINTEN』の間をつなぐようなサウンドを聴くことが出来る。
このCDはオリジナル・リリースの翌年、2003年に国内配給され、ライナーノーツは俺が担当した。
AMON DUUL Ⅱのように10枚以上書いているワケではないが、実はGURU GURUも『KANGURU』とコレに加えて、『DON'T CALL US(WE CALL YOU)』(73年)、『SHAKE WELL』(93年)、『WAH WAH』(95年)と、5枚もライナー書いていたのだった。
(半ば忘れていた)
それにしても。
ジャケットの写真は1970年頃、彼らが暮らしていたハイデルベルクで録られたモノというが。
マニ・ノイマイアーとウリ・トレプテが当時29歳。
それはイイとして。
赤いズボンにヒゲ面のアクス・ゲンリッヒ…この時点で25歳!
み、見えねえ…。
GURU GURUは『UFO』『HINTEN』のリリースに続き、1972年2月から3月にかけて『KANGURU』をレコーディング。
しかし『KANGURU』のリリースと前後してウリ・トレプテがバンドを脱退。
デビュー時のトリオは3年ほどしか続かなかった。