WALTER CARLOS/SWITCHED- ON BACH(1968)

WALTER CARLOS.jpg有名なアルバムだが、ジャケットの印象だけで、珍盤・奇盤・怪盤の類と思い込んでいた。
んなこたあなかった。

ジャケットにはTRANS-ELECTRONIC MUSIC PRODUCTIONSとだけ記されている。
その主役はウォルター・カーロス。
1939年11月14日、ロードアイランド州ポータケット出身。
6歳からピアノを始め、10歳で作曲を始め、14歳でコンピューターを自作したという、天才少年であった。
ブラウン大学とコロンビア大学で電子音楽を学び、レナード・バーンスタインの電子音楽コンサートの助手を務め。
66年からロバート・モーグ博士とのコラボレーションを開始。

そんなウォルター・カーロスが自身の作品として初めて世に問うたのは、モーグ・シンセサイザーによるバッハの編曲/演奏だった。
ウォルター曰く、”真に聴くに堪える音楽””(当時の)前衛のような醜いものではない音楽”を目指したのだとか。
なるほど、和田則彦(あの山本直純とも関係が深かったピアニスト/作曲家/シンセサイザー奏者/音響デザイナー。かつていたずら電話で逮捕された…というニュースを覚えている人はもう少ないだろうな)による国内盤ライナーノーツでも、電子音楽=”ラジオが故障したのかと心配させられるピーピーガリガリという雑音”と書かれている。
当時の現代音楽/前衛音楽/電子音楽と言えば、世間一般にはそのような認識であった。
ウォルターはそこに一石を投じようとしたのだった。

それを実現するためにロバート・モーグがウォルター・カーロスに提供したのが、当時の最新機種”MOOG Ⅲ”だったという。
ジャケットに写っているのがそれ。
シンセサイザーが単純に電子キーボードの一種となっている現在とはまったく違い、この時点でもいわゆる”箪笥のような”と言いたくなる威容だが。
その前のモデル”MOOG Mark.Ⅱ”が幅5m、高さ2mという、それこそ箪笥どころか要塞のような(?)大きさだったことを考えれば(初期の『ルパン三世』など60~70年代のアニメに出てくるような、大量のパンチカードを吐き出す代物だった)、遥かにコンパクトになっていた。
しかも、シンセサイザーとして初めて(!)鍵盤を備えていた。
ウォルターをはじめとするシンセサイザー奏者は、この時点で初めて、電子的に合成された音を鍵盤で奏でることが出来るようになったのだった。
ちなみにEURO-ROCK PRESS Vol.93で、マイケル・クアトロ(スージー・クアトロの兄)は”ボブ・モーグはシンセサイザーを始めるに当って、他人に3台提供しただけだった。つまり、EMERSON LAKE & PALMER、ガーション・キングスレイ、そしてマイケル・クアトロの3人だ”と豪語しているものの、それは大ウソだったと知れる(苦笑)。

で、ジャケットでバッハに扮しているおっさんがウォルター・カーロスだと思ったんだよ。
…全然違った。
ジャケットに写っているのはバッハっぽい(?)モデルに過ぎず。
ネットで検索してみると、当時29歳だったウォルターはなかなかのハンサム。
このジャケット、失敗だった気がする…。

音を聴いてみると。
珍盤でも奇盤でも怪盤でもない。
当時のモーグ・シンセサイザーを限界まで駆使して、バッハの名曲の数々をきちんと電子音に移し替えている。
音色の選び方ひとつにしても、現在のようなピアノが存在しなかった18世紀に作曲されたバッハの楽曲をシンセサイザーでいかに現代的に再現するか、ということに本当に真摯に向かい合ったのであろうことが窺われる。
シャープにして、とても上品に聴こえる。
特に「G線上のアリア」の素晴らしさ。
同じくバッハの名曲である「トッカータとフーガ・ニ短調」が収録されていないのは惜しいが、それはのちのジョン・ロードの編曲を待つことになる(?)。

当時の反響は、ウォルター・カーロスの予想を超えたモノだったかも知れない、
50万枚を売り上げ、”クラシック”として初のプラチナ・レコードを記録。
ビルボードで全米10位となったばかりか、クラシカル・アルバム・チャートでは1969年1月から72年1月まで、実に3年に渡って1位(!)。
70年のグラミー賞では3部門を獲得。
ブライアン・ウィルソンやグレン・グールドが絶賛。
そしてこのアルバムは、冨田勲にも多大な影響を与えることになる。

一方ウォルター・カーロスには、音楽で得た名声などとはまったく別の次元の悩みがあった。
5~6歳から自分の性別に違和感があったウォルターは、1972年に性別適合手術を受け、ウェンディ・カーロスとなる。
その後もしばらくはウォルター・カーロスとして作品を発表していたものの、79年には性転換をカミングアウト。
その間に『時計じかけのオレンジ』『シャイニング』『トロン』と映画サントラを手掛けたウェンディ。
88年には”ウィアード”アル・ヤンコヴィックともコラボレーションしている。
そして82歳の現在も存命とのこと。

俺が所有しているLPは国内盤なのだが。
いつリリースされたのかは不明。
ライナーノーツで1939年生まれのウォルター(ウェンディ)・カーロスが30歳と書かれていることからして、69年のリリースではと思う。
裏ジャケットには(60年代当時の)CGを駆使したバッハの肖像画があり。
(多分当時の国内盤のみの仕様と思われる)
当時の日本IBMの最新機種を用いて、バッハの肖像画を4色に分解したうえで、その4色をそれぞれ10段階で再構成したのだという。
(しかも肖像画はB・A・C・Hの四つの文字と色の組み合わせだけで作られている)
このLPがリリースされた当時、PCが今みたいに各家庭にフツーに普及すると考えた人が、どれほどいただろうか…。

Linernotes

マリア観音.jpgしばらく前、自分がライナーノーツ書いたアルバムを十数枚紹介したが。
俺が初めて文章書いてお金もらったのがTHE DEVIANTS『HUMAN GARBAGE』(1997年)のライナー。
25年前。
この四半世紀で、俺は何枚ライナー書いたのかしら。
試しに数えてみました。


ACID MOTHERS TEMPLE & THE MELTING PARAISO UFO/ESCAPADE『A THOUSAND SHADES OF GREY』
THE AFRIKA KORPS(THE GIZMOS人脈)『LIVE AT CANTONE'S 1977』
AGITATION FREE『LAST』『LIVE '74』『FRAGMENTS』『RIVER OF RETURN』
AMON DUUL Ⅱ『PHALLUS DEI』『YETI』『TANZ DER LEMMINGE』『CARNIVAL IN BABYLON』『WOLF CITY』『LIVE IN LONDON』『VIVE LA TRANCE』『HIJACK』『MADE IN GERMANY』『PYRAGONY』『LEMMINGMANIA』
ANGELIC UPSTARTS『WE GOTTA GET OUT OF THIS PLACE』
ASH RA TEMPEL『GIN ROSE』
BAG『BAG OF FEAR』
BLUE CHEER『HIGHLIGHTS AND LOWLIVES』
BLUE PINE『BLUE PINE』
THE BRIAN JAMES GANG『THE BRIAN JAMES GANG』
シベールの日曜日『CHAOS & SYSTEMS』
DANCING CIGARETTES『THE SCHOOL OF SECRET MUSIC』『THE GULCHER RECORDINGS』
DEBRIS'『STATIC DISPOSAL』
THE DEVIANTS『PTOOFF!』『DISPOSABLE』『THE DEVIANTS』『HUMAN GARBAGE』『THE DEVIANTS HAVE LEFT THE PLANET』『BARBARIAN PRINCES』『Dr.CROW』
THE DICTATORS『MANIFEST DESTINY』『BLOODBROTHERS』
EMBRYO『ROCKSESSION』『BREMEN 1971』
FLASH BASTARD『BASTARD RADIO』
FROG EYES『THE BLOODY HAND』
FRUMPY『ALL WILL BE CHANGED』『2』『LIVE』
GONG『REJOICE! I'M DEAD!』
GURU GURU『KANGURU』『DON'T CALL US(WE CALL YOU)』『SHAKE WELL』『WAH WAH』『ESSEN 1970』
HAWKWIND『ALL ABOARD THE SKYLARK』『50 LIVE』『SOMNIA』『DREAMWORKERS OF TIME』
THE ISEBEL'S PAIN『VOL.1』
KENNE HIGHLAND AND THE VATICAN SEX KITTENS(GIZMOS人脈)『BE MORE FLAMBOYANT!』
LIQUID VISIONS『FROM THE CUBE』
MANDRA GORA LIGHTSHOW SOCIETY『LUCILE'S GROTESQUE DIARY OF HER INTERSTELLAR JOURNEY TO THE INFAMOUS PAISLEY DUNGEONS OF THE PSYCHOTIC LEATHERNUNS』
マリア観音『東夷偽史先住民拙言滅裂多仁』(画像)
MICK FARREN『MONA』『VAMPIRE STOLE MY LUNCH MONEY』
THE MODERN ART『ALL ABOARD THE MIND TRAIN』
MUSHROOM『ALIVE AND IN FULL BLOOM』『HYDROGEN JUKEBOX』
MX-80『BIG HITS/HARD ATTACK』『LIVE AT THE LIBRARY』『DAS LOVE BOAT』『I'VE SEEN ENOUGH』
脳不安/FOMO=FAVEL/木端微塵『PAST/OUT 1981 to 1993』
PACK『PACK』
PAT THOMAS『STEAL THIS RIFF LIVE EVIL VOLUME TWO』
PLASTICLAND『MINK DRESS AND OTHER CATS』
PLAYGROUND(BLUE CHEER人脈)『PLAYGROUND』『…AND THE GODS, THEY PLAY』
シャイガンティ『テメーのケツに火を点けて』
SISTER PAUL『THE EDGE OF THE WORLD』
THIRD EAR BAND『MOSAICS』
TWINK『THINK PINK』
UTOPIA(ドイツの方)『UTOPIA』
THE VIBRATORS『PUNK: THE EARLY YEARS』
THE VISION(ドイツのレゲエ・バンド)『REVISION』『MENTAL HEALING』『INSTRUMENTAL HEALING』『NAMASTE』『DUB LIGHT』
THE WALKING RUINS『FALL OF THE HOUSE OF RUIN』
V.A.『HEAD SET SHOW CASE VOL.1』『MOTORCYCLES, U.S.A.』『PORN TO ROCK』『THE PSYCHEDELIC AVENGERS AND THE CURSE OF THE UNIVERSE』『THE PSYCHEDELIC AVENGERS AND THE DECTERIAN BLOOD EMPIRE』


90枚。
思ったより少ない。
(100枚は書いてると思った。抜けもあるかも知れないし、AMON DUUL Ⅱの諸作は再リリースの度に書き直してるが)
25年で90枚というと、1年に3.6枚だから、3~4ヵ月に1枚となる。
70'sパンクからドイツのレゲエ・バンドまで随分幅広いけど、なんだかんだで半分以上がサイケとは。
で、『YETI』や『PTOOFF!』や『MONA』や『THINK PINK』みたいな文句なしの名盤もある一方で、誰も知らないようなのも凄く多いね…。


追記:
やっぱり抜けがあったので追加しました。
ってか書いたこと自体忘れているのの多いこと…。

(2022.11.21.)

Copernicus

BASIA.jpgDJでしょっちゅうバーシャの「Copernicus」を回すんだけど。
(ライヴ・ヴァージョン)
なんで「Copernicus」なんてタイトルなんだっけ、と改めて思った。

改めて歌詞カードを見直す。
(30年ほど前に初めて聴いた時に1回目を通しただけで、歌詞の内容なんて全然覚えていなかった)
後半、1回だけコペルニクスの名前が出てくる。

”And if I say, that on this planet today
We all have the same hearts,
I don't claim I'm Curie or Copernicus”

直訳だと”今日この地球にいる私たち全員がみんな同じハートを持っている、って私が言うとして、その私がキュリーとかコペルニクスでございなんて言うつもりはない”みたいな感じか。
つまり、”自分はキュリーやコペルニクスみたいな偉人でもなんでもないけど、今の時代を生きる地球人類全員が同じハートを持っていることはわかってる、そうじゃない?”ということだろう。
”This is a song about the place I came from”という歌い出しからしても、バーシャの故郷であるポーランドに発して世界へと至る眼差しについて歌われた曲で。
そこで祖国の偉人であるキュリー夫人とコペルニクスを引き合いに出したというワケか。
前半の歌詞ではエスペラント語に言及されているが、エスペラント語を創ったザメンホフもポーランド人だ。

ポーランド出身のバーシャがそうやって歌詞にするぐらい、ザメンホフやキュリー夫人やコペルニクスは祖国の英雄なのだろうなあ。
(あともちろんショパンも)
特にコペルニクス。
彼が地動説を説く『天体の回転について』を発表したのは、なんと「それでも地球は動く」と言ったガリレイが生まれる20年以上前。
同じく地動説を唱えたことでガリレイが宗教裁判にかけられたのは1633年のことで、『天体の回転について』が出てから、そしてコペルニクスが亡くなってから実に90年経っていた。

しかもコペルニクスって、ガリレイみたいなゴリゴリの学者じゃなくて、カトリックの司祭でもあったんだよな。
よりにもよってカトリックの司祭が、天動説を否定するって。
相当の確信と決意があったに違いない。
すげえなコペルニクス。