
んなこたあなかった。
ジャケットにはTRANS-ELECTRONIC MUSIC PRODUCTIONSとだけ記されている。
その主役はウォルター・カーロス。
1939年11月14日、ロードアイランド州ポータケット出身。
6歳からピアノを始め、10歳で作曲を始め、14歳でコンピューターを自作したという、天才少年であった。
ブラウン大学とコロンビア大学で電子音楽を学び、レナード・バーンスタインの電子音楽コンサートの助手を務め。
66年からロバート・モーグ博士とのコラボレーションを開始。
そんなウォルター・カーロスが自身の作品として初めて世に問うたのは、モーグ・シンセサイザーによるバッハの編曲/演奏だった。
ウォルター曰く、”真に聴くに堪える音楽””(当時の)前衛のような醜いものではない音楽”を目指したのだとか。
なるほど、和田則彦(あの山本直純とも関係が深かったピアニスト/作曲家/シンセサイザー奏者/音響デザイナー。かつていたずら電話で逮捕された…というニュースを覚えている人はもう少ないだろうな)による国内盤ライナーノーツでも、電子音楽=”ラジオが故障したのかと心配させられるピーピーガリガリという雑音”と書かれている。
当時の現代音楽/前衛音楽/電子音楽と言えば、世間一般にはそのような認識であった。
ウォルターはそこに一石を投じようとしたのだった。
それを実現するためにロバート・モーグがウォルター・カーロスに提供したのが、当時の最新機種”MOOG Ⅲ”だったという。
ジャケットに写っているのがそれ。
シンセサイザーが単純に電子キーボードの一種となっている現在とはまったく違い、この時点でもいわゆる”箪笥のような”と言いたくなる威容だが。
その前のモデル”MOOG Mark.Ⅱ”が幅5m、高さ2mという、それこそ箪笥どころか要塞のような(?)大きさだったことを考えれば(初期の『ルパン三世』など60~70年代のアニメに出てくるような、大量のパンチカードを吐き出す代物だった)、遥かにコンパクトになっていた。
しかも、シンセサイザーとして初めて(!)鍵盤を備えていた。
ウォルターをはじめとするシンセサイザー奏者は、この時点で初めて、電子的に合成された音を鍵盤で奏でることが出来るようになったのだった。
ちなみにEURO-ROCK PRESS Vol.93で、マイケル・クアトロ(スージー・クアトロの兄)は”ボブ・モーグはシンセサイザーを始めるに当って、他人に3台提供しただけだった。つまり、EMERSON LAKE & PALMER、ガーション・キングスレイ、そしてマイケル・クアトロの3人だ”と豪語しているものの、それは大ウソだったと知れる(苦笑)。
で、ジャケットでバッハに扮しているおっさんがウォルター・カーロスだと思ったんだよ。
…全然違った。
ジャケットに写っているのはバッハっぽい(?)モデルに過ぎず。
ネットで検索してみると、当時29歳だったウォルターはなかなかのハンサム。
このジャケット、失敗だった気がする…。
音を聴いてみると。
珍盤でも奇盤でも怪盤でもない。
当時のモーグ・シンセサイザーを限界まで駆使して、バッハの名曲の数々をきちんと電子音に移し替えている。
音色の選び方ひとつにしても、現在のようなピアノが存在しなかった18世紀に作曲されたバッハの楽曲をシンセサイザーでいかに現代的に再現するか、ということに本当に真摯に向かい合ったのであろうことが窺われる。
シャープにして、とても上品に聴こえる。
特に「G線上のアリア」の素晴らしさ。
同じくバッハの名曲である「トッカータとフーガ・ニ短調」が収録されていないのは惜しいが、それはのちのジョン・ロードの編曲を待つことになる(?)。
当時の反響は、ウォルター・カーロスの予想を超えたモノだったかも知れない、
50万枚を売り上げ、”クラシック”として初のプラチナ・レコードを記録。
ビルボードで全米10位となったばかりか、クラシカル・アルバム・チャートでは1969年1月から72年1月まで、実に3年に渡って1位(!)。
70年のグラミー賞では3部門を獲得。
ブライアン・ウィルソンやグレン・グールドが絶賛。
そしてこのアルバムは、冨田勲にも多大な影響を与えることになる。
一方ウォルター・カーロスには、音楽で得た名声などとはまったく別の次元の悩みがあった。
5~6歳から自分の性別に違和感があったウォルターは、1972年に性別適合手術を受け、ウェンディ・カーロスとなる。
その後もしばらくはウォルター・カーロスとして作品を発表していたものの、79年には性転換をカミングアウト。
その間に『時計じかけのオレンジ』『シャイニング』『トロン』と映画サントラを手掛けたウェンディ。
88年には”ウィアード”アル・ヤンコヴィックともコラボレーションしている。
そして82歳の現在も存命とのこと。
俺が所有しているLPは国内盤なのだが。
いつリリースされたのかは不明。
ライナーノーツで1939年生まれのウォルター(ウェンディ)・カーロスが30歳と書かれていることからして、69年のリリースではと思う。
裏ジャケットには(60年代当時の)CGを駆使したバッハの肖像画があり。
(多分当時の国内盤のみの仕様と思われる)
当時の日本IBMの最新機種を用いて、バッハの肖像画を4色に分解したうえで、その4色をそれぞれ10段階で再構成したのだという。
(しかも肖像画はB・A・C・Hの四つの文字と色の組み合わせだけで作られている)
このLPがリリースされた当時、PCが今みたいに各家庭にフツーに普及すると考えた人が、どれほどいただろうか…。