
60年代、MITCH RYDER & THE DETROIT WHEELSでブイブイいわしたミッチ・ライダー。
しかしソロ転向に失敗。
1969年にDETROITを結成し、71年にアルバムをリリースしたものの、73年にバンドが解散すると、28歳の若さで音楽活動から引退し、デトロイトを離れてコロラド州デンヴァーに引っ込んでしまう。
デンヴァーでのミッチ・ライダーは、フツーに働いて家族を養いながら、夜には曲作りをしていたという。
そして引退から5年後の1978年、デトロイトに戻り、ソロとして音楽活動を再開。
78年の『HOW I SPENT MY VACATION』以降、精力的にリリースを続ける。
(81年にはライヴ盤含めてアルバム3枚も出している)
しかし、『HOW I SPENT MY VACATION』、『NAKED BUT NOT DEAD』(1980年)、『GOT CHANGE FOR A MILLION』(81年)、『LOOK MA, NO WHEELS』(81年)、『SMART ASS』(82年)と、当時のアルバム・タイトルが妙に自虐的なのは何故だ…。
活動再開一発目が”どのように休暇を過ごしたか”で、以下”裸だけど死んでない””ミリオンのために変化を””ママ見てくれ、車輪(←つまりTHE DETROIT WHEELSのこと)がない””賢い阿呆”って。
そして『LOOK MA, NO WHEELS』というタイトルからも明らかなように、音楽性はTHE DETROIT WHEELS時代とはまったく違うモノになっていた。
81年のライヴ盤(スタジオ・ライヴ)『LIVE TALKIES』に至っては、2枚組LP+12inchというヴォリュームなのに往年のヒット曲が一切入っていないという…。
一方で、活動再開後のアルバムは、ドイツではライン・レコーズがディストリビュートしていた。
『LIVE TALKIES』では遂にラインからのリリースとなり、レコーディングもドイツで行なわれている。
(80年代後半以降のBLUE CHEERがドイツを拠点にしていたように、ドイツにはこのあたりのアメリカ人ミュージシャンのファンベースがあったようだ)
ただし例外もあり、『LOOK MA, NO WHEELS』はカナダのレーベルからリリースされ、『NEVER KICK A SLEEPING DOG』(1983年)はジョン・クーガーが所属していたリヴァ・レコーズからのリリース。
(ドイツでのディストリビューションはラインではなくマーキュリー・レコーズだった)
コレはジョンの引き合いだったようで(この頃ジョンやブルース・スプリングスティーンがミッチ・ライダーからの影響を公言するようになっていた)、『NEVER KICK A SLEEPING DOG』はジョンが”リトル・バスタード”(…)名義でプロデュースも手掛けて曲も提供し、レコーディングもインディアナとフロリダで行なわれている。
そしてこのアルバムに収録されたプリンス(!)のカヴァー「When You Were Mine」は、ミッチにとって全米100位以内に入った最後の曲となった。
…前置きが長くなったが、『IN THE CHINA SHOP』は、そんなミッチ・ライダーが(多分)初めてドイツで録音してラインからリリースしたオリジナル・スタジオ・アルバム。
バックを務めるのはロバート・ギレスピー(ギター:元THE ROB TYNER BAND)、ジョー・ガック(ギター)、マーク・グージョン(ベース)、ビリー・サーミッツ(キーボード)、ウィルソン・オーウェンズ(ドラム:元UPRISING)。
ロバート以外は、活動再開以来の固定したバック・バンドだった。
ここでの”CHINA”というのは中国ではなく磁器のことだろう。
(しかし何故そんなタイトルに…)
奇妙なジャケットも、磁器をイメージしたのかも知れない。
1曲目「Where Is The Next One Coming From?」はジョン・ハイアットのカヴァー。
6曲目「I'm Not Sad Tonite」はWET WILLIEのキーボーディストだったマイク・デュークの提供曲。
(マイクはソングライターとして、HUEY LEWIS & THE NEWSにも多くの楽曲提供を行なっている)
それ以外はオリジナル曲。
ミッチ・ライダーと並んでソングライティングにクレジットされているキンバリー・リーヴァイスというのは、多分ミッチの奥さんだろう。
裏ジャケットには9曲がクレジットされているが、実際には最後にもう1曲「Everybody Loses」が収録されている。
(またなんちゅう曲名だ…)
カヴァー曲が示す通り、ここでもかつての熱いR&Rは聴かれない。
アンサンブルの主役は2本のギターよりもむしろキーボードで、同時代のコンテンポラリーな大人のロックを目指したのではと思われる。
曲によってはシンセ・ポップに寄ったようなアレンジも。
需要は何処に、という気もするものの、41歳になっていたミッチ・ライダーの渋い喉、コレはコレで悪くない。
1回聴いてもなかなか魅力がわかりにくいアルバムだと思うが、10回ぐらい聴くと(?)味わいが理解出来ると思う。
「I'm Not Sad Tonite」はいかにもサザン・ロック系のバラードという感じの佳曲で、作曲者のマイク・デュークも自身のバンドで現在まで歌い続けている。
このアルバム以降、ミッチ・ライダーは本格的に拠点をドイツに移し、コンスタントにアルバムのリリースとライヴ活動を続けていく。
バック・バンドのメンバーたちはデトロイトでの暮らしを望んだのか、その後ミッチの元を離れてしまったが。
ジョー・ガックだけは、90年代後半までミッチのバックを務めている。
ビリー・サーミッツは一時期スコット・モーガンのSCOTS PIRATESに参加。
そしてミッチは、喜寿を迎えた今も歌い続けているはず。