『哲学者たちの思想、戦わせてみました 比べてわかる哲学事典』

哲学者たちの思想、戦わせてみました.jpg21日に出ていたんだけど、現物届いたのが昨日。

代々木ゼミナール講師・畠山創監修、『哲学者たちの思想、戦わせてみました 比べてわかる哲学事典』。
”執筆協力”として、お手伝いさせていただきました。

正直言って、ここ何年かで俺が関わってきた書籍の中でも、屈指の面白さ。
紀元前から現代に至る名だたる哲学者たちが、「勉強・仕事」「お金」「心と体」「人生」「世の中」というテーマに沿って論戦を繰り広げるという1冊。
いろんな哲学者・思想家たちが登場します。

犬儒派の先鋭・ディオゲネスの主張に呆れ果てるサルトルとか。
革命を主張するマルクスにこれまた呆れ果てるベンサムとか。
挫折を克服しろと説くヤスパースに対して苦悩からは逃げまくれと説くエピクロスとか。
ニーチェを心配するイエスとか。
承認欲求の是非を問うハイデッガーとマズローとか。
カミュの説く不条理を認めないカントとか。
ほとんど茶飲み話みたいなイエスとブッダの問答とか。
「正しさ」についての議論を果てしなく展開するロールズと吉本隆明とか。
令和の世を生き抜くヒントが、時空を超えた賢人たちの言葉で語られます。

たきれいさんのポップなイラストも超ナイス。
哲学を面白くわかりやすく理解するのには最適な1冊ではないかと。
コレは本当にお勧め。
皆様、是非お求めください。
超お勧め。

真夏の死

SHADOWS OF KNIGHT.jpg24日、ヴィットリオ・デ・スカルツィが亡くなったとのこと。
死因は不明。
72歳。
近年のごたごたでどっちがどれやらすっかりわからなくなっているので、ざっくりNEW TROLLSの顔、と言っておこう。
メンバー交代やら分裂やらはありつつも、シンフォニック・ロックとしてのNEW TROLLSを牽引したのは間違いなくこの人だった。
正直なところ、ヴィットリオがニコ・ディ・パーロより先に逝くとは思っていなかったな…。

25日に島田陽子が。
大腸癌だったという。
69歳。
名作・代表作数あれど、個人的には『仮面ライダー』『山河燃ゆ』『犬神家の一族』となる。
薄幸な感じの美人と言ったらもうこの人に尽きた。

26日には加藤智大。
39歳。
秋葉原の事件から14年、遂に死刑が執行された。
「やまゆり園」事件と同じ日に死刑執行というのは偶然なのだろうか…。

そして29日、ジム・ソーンズことジェイムズ・アラン・ソーンズが亡くなったという。
死因は不明。
75歳。
オリジナル・メンバーがただ一人となっても、THE SHADOWS OF KNIGHTの活動を諦めなかった男。
近年は60年代のメンバーの生き残りで再編ライヴをやったり、もう一人のオリジナル・メンバーであるジェリー・マクジョージを含む編成でシングルをリリースしたりと、相変わらず続けていたのだが。
THE SHADOWS OF KNIGHTについては
https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1358.html
を御参照あれ。
QUESTION MARK AND THE MYSTERIANSと並んで、ローカルのガレージ・バンドがいきなり全米大ヒットを飛ばした先駆であった。
個人的には、臆面もなく(?)ハード・ロックにアプローチしていた70年代の発掘ライヴ音源『LIVE』が今でも大好きだ。
いろいろな意味で得難い存在だったと思う。


今日も死ぬほど暑かったが、死ななかった。
俺は今日も生きている。

MITCH RYDER/IN THE CHINA SHOP(1986)

MITCH RYDER.jpg60年代、MITCH RYDER & THE DETROIT WHEELSでブイブイいわしたミッチ・ライダー。
しかしソロ転向に失敗。
1969年にDETROITを結成し、71年にアルバムをリリースしたものの、73年にバンドが解散すると、28歳の若さで音楽活動から引退し、デトロイトを離れてコロラド州デンヴァーに引っ込んでしまう。

デンヴァーでのミッチ・ライダーは、フツーに働いて家族を養いながら、夜には曲作りをしていたという。
そして引退から5年後の1978年、デトロイトに戻り、ソロとして音楽活動を再開。
78年の『HOW I SPENT MY VACATION』以降、精力的にリリースを続ける。
(81年にはライヴ盤含めてアルバム3枚も出している)

しかし、『HOW I SPENT MY VACATION』、『NAKED BUT NOT DEAD』(1980年)、『GOT CHANGE FOR A MILLION』(81年)、『LOOK MA, NO WHEELS』(81年)、『SMART ASS』(82年)と、当時のアルバム・タイトルが妙に自虐的なのは何故だ…。
活動再開一発目が”どのように休暇を過ごしたか”で、以下”裸だけど死んでない””ミリオンのために変化を””ママ見てくれ、車輪(←つまりTHE DETROIT WHEELSのこと)がない””賢い阿呆”って。
そして『LOOK MA, NO WHEELS』というタイトルからも明らかなように、音楽性はTHE DETROIT WHEELS時代とはまったく違うモノになっていた。
81年のライヴ盤(スタジオ・ライヴ)『LIVE TALKIES』に至っては、2枚組LP+12inchというヴォリュームなのに往年のヒット曲が一切入っていないという…。

一方で、活動再開後のアルバムは、ドイツではライン・レコーズがディストリビュートしていた。
『LIVE TALKIES』では遂にラインからのリリースとなり、レコーディングもドイツで行なわれている。
(80年代後半以降のBLUE CHEERがドイツを拠点にしていたように、ドイツにはこのあたりのアメリカ人ミュージシャンのファンベースがあったようだ)
ただし例外もあり、『LOOK MA, NO WHEELS』はカナダのレーベルからリリースされ、『NEVER KICK A SLEEPING DOG』(1983年)はジョン・クーガーが所属していたリヴァ・レコーズからのリリース。
(ドイツでのディストリビューションはラインではなくマーキュリー・レコーズだった)
コレはジョンの引き合いだったようで(この頃ジョンやブルース・スプリングスティーンがミッチ・ライダーからの影響を公言するようになっていた)、『NEVER KICK A SLEEPING DOG』はジョンが”リトル・バスタード”(…)名義でプロデュースも手掛けて曲も提供し、レコーディングもインディアナとフロリダで行なわれている。
そしてこのアルバムに収録されたプリンス(!)のカヴァー「When You Were Mine」は、ミッチにとって全米100位以内に入った最後の曲となった。

…前置きが長くなったが、『IN THE CHINA SHOP』は、そんなミッチ・ライダーが(多分)初めてドイツで録音してラインからリリースしたオリジナル・スタジオ・アルバム。
バックを務めるのはロバート・ギレスピー(ギター:元THE ROB TYNER BAND)、ジョー・ガック(ギター)、マーク・グージョン(ベース)、ビリー・サーミッツ(キーボード)、ウィルソン・オーウェンズ(ドラム:元UPRISING)。
ロバート以外は、活動再開以来の固定したバック・バンドだった。
ここでの”CHINA”というのは中国ではなく磁器のことだろう。
(しかし何故そんなタイトルに…)
奇妙なジャケットも、磁器をイメージしたのかも知れない。

1曲目「Where Is The Next One Coming From?」はジョン・ハイアットのカヴァー。
6曲目「I'm Not Sad Tonite」はWET WILLIEのキーボーディストだったマイク・デュークの提供曲。
(マイクはソングライターとして、HUEY LEWIS & THE NEWSにも多くの楽曲提供を行なっている)
それ以外はオリジナル曲。
ミッチ・ライダーと並んでソングライティングにクレジットされているキンバリー・リーヴァイスというのは、多分ミッチの奥さんだろう。
裏ジャケットには9曲がクレジットされているが、実際には最後にもう1曲「Everybody Loses」が収録されている。
(またなんちゅう曲名だ…)

カヴァー曲が示す通り、ここでもかつての熱いR&Rは聴かれない。
アンサンブルの主役は2本のギターよりもむしろキーボードで、同時代のコンテンポラリーな大人のロックを目指したのではと思われる。
曲によってはシンセ・ポップに寄ったようなアレンジも。
需要は何処に、という気もするものの、41歳になっていたミッチ・ライダーの渋い喉、コレはコレで悪くない。
1回聴いてもなかなか魅力がわかりにくいアルバムだと思うが、10回ぐらい聴くと(?)味わいが理解出来ると思う。
「I'm Not Sad Tonite」はいかにもサザン・ロック系のバラードという感じの佳曲で、作曲者のマイク・デュークも自身のバンドで現在まで歌い続けている。

このアルバム以降、ミッチ・ライダーは本格的に拠点をドイツに移し、コンスタントにアルバムのリリースとライヴ活動を続けていく。
バック・バンドのメンバーたちはデトロイトでの暮らしを望んだのか、その後ミッチの元を離れてしまったが。
ジョー・ガックだけは、90年代後半までミッチのバックを務めている。
ビリー・サーミッツは一時期スコット・モーガンのSCOTS PIRATESに参加。
そしてミッチは、喜寿を迎えた今も歌い続けているはず。