He's Flash

ROKKETS.jpg昨日の夕方、キム・シモンズからトム・ヴァーレインに至る数多くの訃報についてブログを書き終え、画面を切り替えたまさにその瞬間だった。
29日に鮎川誠が亡くなったと。
しばらく放心してしまった。

昨年5月に膵臓癌で余命宣告を受けていたのだという。
74歳。

俺がSHEENA & THE ROKKETSを知ったのは、”YMOファミリー”としてだった。
『スネークマンショー』で「Lemon Tea」を聴いたのは、その少し後だったと思う。
R&Rというモノを全く知らなかった子供には、かなりの刺激だった。

最初に買ったのはシーナ抜きで1984年にリリースされた『ROKKET SIZE』(画像:https://lsdblog.seesaa.net/article/201609article_22.html)だった。
以来40年近く俺の中では、鮎川誠は日本のロック史上最高のギタリストの一人であり続けている。

そう言いながら、何故かSHEENA & THE ROKKETSのライヴは一度も観ていない。
縁がなかったと言うべきなのか。
しかし鮎川誠の演奏は2回ナマで観ている。
一度はシーナと鮎川の二人に、リズムを鮎川自身が操作するノートPCで賄っていたライヴ。
(新宿LOFTだったはず)
二度目はサンハウスの再結成ライヴ。
もちろんどちらも最高だった。

話をさせていただいたことは何度かある。
取材ではなく、ライヴハウスや路上とかで。
とても気さくな人だった。
(シーナは更に輪をかけて、びっくりするぐらい気さくだった)
ウェイン・クレイマー(MC5)の来日時、50人ぐらいしか入っていなかった渋谷CLUB QUATTROで最前かぶりつきの4人が俺・友人・シーナ・鮎川誠の4人だった…という話は、大いに盛り上がった。
最後に言葉を交わしたのは5~6年前、世田谷区内の路上で。
最後に姿を見かけたのは2~3年前、やはり世田谷区内の路上だった。
そして一昨日から、世田谷区は鮎川誠のいない世田谷区になってしまった。


正直、まだちょっと受け止め切れない。
今はただ、鮎川さんありがとうございました、としか。
とにかく手元にある音源は、俺が死ぬまで何度も何度も再生され続ける。
俺が持っている眼鏡のうち1本は、鮎川誠監修のデザインだ。

訃報止まず

TELEVISION 1st★.jpgキム・シモンズが12月13日に亡くなっていたことを、つい最近まで知らなかった。
12月13日というと仕事が猛烈に忙しかった頃で、ネットのニュースなども全くチェックしていなかったのだ。
癌だったそうで。
75歳。
FLEETWOOD MACがとうの昔にブルーズ・バンドではなくなっていることを思えば、”英国三大ブルーズ・バンド”は今やCHICKEN SHACKだけになってしまった。
SAVOY BROWNは2013年の唯一の来日の際に観ているが(もう10年前か…)、その時点で65歳だったキム、相応に枯れてはいながらまったくヨレることのなかった現役感バリバリのプレイを思い出す。

12月22日にはウォルター”ウルフマン”ワシントンが亡くなっている。
彼も癌だったという。
79歳。
この人のことは90年代、当時付き合っていた彼女に勧められて知った。
ブルーズマンだったが、ニューオーリンズ出身者らしく、R&Bやファンクも取り入れたモダンで楽しいブルーズを聴かせる人だった。

12月25日にポール・フォックスが。
コレも最近知った。
死因は不明。
68歳。
THE POINTER SISTERSやCOMMONDORESのアルバムでキーボードやシンセサイザーをプレイし、その後XTC『ORANGES & LEMONS』やSWEET 75『SWEET 75』他、多くのアルバムでプロデューサーとして活躍。
大プロデューサーというワケではなかったかも知れないが、なかなかに見逃せない実績があった。

今月11日に鈴木邦男が亡くなっていたというのにも驚いた。
誤嚥性肺炎。
79歳。
元・一水会代表。
新右翼と言われながら、『がんばれ! 新左翼』とか『私たち、日本共産党の味方です。』なんて本を書いてしまう、北朝鮮に行ってよど号事件メンバーに会う…最終的には右も左も超越した、とんでもない論客となった。
LOFT PLUS ONEに彼を呼び続けた、平野悠氏の落胆はいかばかりか。

15日にブルース・ガワーズ。
急性呼吸器感染症。
82歳。
TVディレクター、プロデューサーなど多くの肩書を持ち、とんでもない数の音楽PVを手掛けた人物。
QUEEN「Bohemian Rhapsody」「Somebody To Love」、10cc「I'm Not In Love」、THE ROLLING STONES「Hot Stuff」、THE BEE GEES「Stayin' Alive」、ロッド・ステュアート「Hot Legs」「Da Ya Think I'm Sexy?」、SUPERTRAMP「Breakfast In America」、THE SPARKS「The Number One Song In Heaven」、TOTO「99」、クリストファー・クロス「Ride Like The Wind」、RUSH「Limelight」、プリンス「1999」、ジョン・クーガー「Jack And Diane」、HUEY LEWIS & THE NEWS「The Heart Of Rock & Roll」…これでもまだほんの一部。
このブログを御覧の皆様で、ブルースが制作した映像を観たことがない、という人は皆無だろう。

19日にはキャリン・ゴールドバーグが。
死因は不明。
69歳。
多くのアルバム・ジャケットを手掛けたグラフィック・アーティスト。
THE J. GEILS BAND『LOVE STINKS』、WHITFORD/St.HOLMES『WHITFORD/St.HOLMES』、SLY & FAMILY STONE『ANTHOLOGY』、マドンナ『MADONNA』、ピーター・ウルフ『LIGHTS OUT』、ウェイン・ホーヴィッツ『THIS NEW GENERATION』他多数。
このブログを御覧の皆様にも、彼女がアートワークを担当したアルバムを持っている人は少なくないはず。

23日にアンソニー”トップ”トーパム。
死因は不明。
75歳。
THE YARDBIRDSのオリジナル・ギタリストながら、その後の”三大ギタリスト”とは違って、知られざる存在。
しかし地味に活動続けていたのだな。
(地味にというか、YARDBIRDS復帰も果たしていた)


そして28日、トム・ヴァーレインも逝ってしまった。
昨日の朝、訃報に接した時のショックと言ったら。
死因は公表されていないが、短い闘病の後の死だったという。
73歳。

TELEVISION「Marquee Moon」を初めて聴いたのは、NHK-FM「クロスオーバー・イレブン」でだった。
不思議過ぎるイントロにまず度肝を抜かれ、洋楽初心者だった俺の持っていたパンクのイメージからかけ離れた歌と演奏に、たちまち引き込まれた。
『MARQUEE MOON』も『ADVENTURE』も、これまでに何度聴いたか全くわからない。
(今日もこの2枚を中心に繰り返し聴き返している)

ロンドン・パンクとは違い、それ以前の音楽との断絶をことさらに強調することのなかったニューヨーク・パンクにあって、60年代サイケデリックからの水脈を如実に感じさせるその音楽をして、NYパンクの代表格と目されるようになるのは自然なことだった。
トム・ヴァーレインがキム・シモンズやトップ・トーパムと2歳しか違わなかったということからも、NYパンクがロンドンのそれとは違い、昨日ギターを持ったような小僧たちが初期衝動だけでぶちかます音楽ではなかった、その意味合いがわかろうというモノだ。
『TELEVISION』でアルバム・デビューを果たした時点でトム27歳。
彼の愛したジム・モリソンの死んだ年齢だったのだから。
(プロト・パンクだったはずのジョニー・サンダースよりも年上)

とにかくあの氷のナイフのようなギターと、瀕死の白鳥が人間に転生したような(?)声。
TELEVISIONは2003年に渋谷AXで(うわっ、もう20年前か…)、ソロ(ジミー・リップとのデュオ)は10年に下北沢GARDENで観た。
AXもGARDENももうない。
トム・ヴァーレインもいなくなった。
あとは音源と、そして俺が生きている限りは記憶が残る。


…さて、明日にはBIGLOBEウェブリブログのサービスが終わります。
ウェブリブログのURLからの自動転送でこのブログを御覧の皆様も、明後日以降はどうなるかわからないので、ブックマークをSeesaaブログの方に変更するとよいかも知れません。
https://lsdblog.seesaa.net/
もっとも、このブログをブックマークしてる人がどれぐらいいるのかわからんが…。
とりあえず俺は状況が許す限りもうちょっと生きようと思ってるんで。
このブログ、今日現在Seesaaブログの音楽部門で35位です。
皆様ありがとうございます…。

BACHMAN-TURNER OVERDRIVE/BEST OF B.T.O.(SO FAR)(1976)

BACHMAN TURNER OVERDRIVE.jpgBACHMAN-TURNER OVERDRIVEのドラマーだったロビー・バックマンが、12日に69歳で亡くなったという。
それでというワケじゃないんだけど、BACHMAN-TURNER OVERDRIVEのベスト盤。
以前紹介したBILLY JOEL『52ND STREET』(https://lsdblog.seesaa.net/article/202005article_3.html)やハンク・ウィリアムズのベスト盤(https://lsdblog.seesaa.net/article/202005article_18.html)なんかと同時に、もの凄く安く入手したと思う。

俺がBACHMAN-TURNER OVERDRIVEの名前を知ったのは、80年代のBURRN!に載っていた70年代ハード・ロック特集でだった、と記憶する。
確か3rdアルバム『NOT FRAGILE』(1974年)が紹介されていたはず。
直後にFMで2nd『BACHMAN-TURNER OVERDRIVE Ⅱ』(73年)収録曲「Takin' Care Of Business」を聴いて、「おお、こりゃカッコいい」となったのだった。
ランディ・バックマンが在籍していたGUESS WHOの「American Woman」も、ほとんど同時に聴いたはず。

1970年にGUESS WHOを脱退したランディ・バックマン(ギター、ヴォーカル)とチャド・アラン(キーボード、ヴォーカル)が、ランディの弟ロビー・バックマン(ドラム)と共に71年にBRAVE BELTを結成。
アルバム2枚をリリースするも、成功せず。
その間にチャドが脱退し、これまたランディの弟ティム・バックマン(ギター)とC.F.ターナー(ベース、ヴォーカル)が加入。
マネージメントの勧めでバンド名を変更する。

1973年の『BACHMAN-TURNER OVERDRIVE』はやはり売れず。
しかし同年末にリリースした『BACHMAN-TURNER OVERDRIVE Ⅱ』からは「Takin' Care Of Business」が全米12位、「Let It Ride」が23位のヒットとなり、アルバムも全米4位と大ヒット。
74年にティム・バックマンが脱退し、後任ギタリストとしてブレア・ソーントンを迎えた3rdアルバム『NOT FRAGILE』は全米1位となる。
シングル「You Ain't Seen Nothing Yet」は全米1位・全英2位、「Roll On Down The Highway」は全米14位。

1975年の4thアルバム『Four Wheel Drive』は全米5位。
しかしトラック・ドライヴァーに的を絞って豪快なR&Rを聴かせ続けたバンドは、ポップ色を強めた75年の5thアルバム『HEAD ON』で全米23位と、勢いに翳りが見えてくる。
このベスト盤はその頃にリリースされたモノ。
型押しジャケットには、マーキュリー・レコーズの期待が透けて見える。

全米チャートを席巻していた全盛期のバンドの勢いが、たった9曲に余すところなく収められている。
もちろん当時のヒット曲は全部収録。
一方で、このバンドがただただ豪快なだけのカナダの木こりロックではなかったこともよくわかる。
「Lookin' Out For #1」は全米65位と振るわなかったものの、なんとボサノヴァ風。
そして「Blue Collar」はラテン・ジャズ/ジャズ・ロック。
実は懐深い実力派でした。
(「Let It Ride」は同時期のTHE DOOBIE BROTHERSあたりを思わせる)

しかし、メンバーの懐深く幅広い音楽的素養がリスナーの需要と合致していたかというとそうでもなく。
そしてメンバー間にも齟齬が生まれ。
このベスト盤がリリースされた1976年には来日を果たし、77年には『B.T.O. LIVE-JAPAN TOUR』をリリースしたものの、同年の5thアルバム『FREEWAYS』を最後にランディ・バックマンが脱退。
ポップな音楽性を推進しようとした他のメンバーとの不和が原因だったという。

フロントマンがいなくなったBACHMAN-TURNER OVERDRIVEは元APRIL WINEのジム・クレンチ(ヴォーカル、ベース)を迎え、C.F.ターナーがリズム・ギターにコンバートして、バンド名もB.T.O.と短縮。
1978年に6thアルバム『STREET ACTION』、79年には初期のR&R路線に回帰した7thアルバム『ROCK N' ROLL NIGHTS』をリリースするも、GUESS WHO以来バンドの方向性を特徴づけていたランディ・バックマンが抜けた穴は埋められず、セールスは低迷。
結局解散してしまう。

しかしその後のランディ・バックマンの活動ではかつてのバンドのマジックは再現出来なかったようで、1983年にランディとC.F.ターナーを中心に再結成。
88年にはロビー・バックマンが復帰して全盛期の編成に戻ったものの、コンスタントにアルバムをリリースするような活動ではなく。
2005年には再び解散。
09年以降は新たにBACHMAN & TURNERとして活動している。

ともあれこのベスト盤には、バンドの一番良かった時期が詰め込まれている。
「Roll On Down The Highway」で始まり、途中に「Lookin' Out For #1」と「Blue Collar」を挿み、「Takin' Care Of Business」で終わるという構成もとても良い。
BACHMAN-TURNER OVERDRIVE、このブログの読者様でも(多分)ノーチェックの人が多いのではという気がするのだが、機会があったらチェックしてみてください。
単なるトラック野郎向けの木こりロックではありません。