
キム・シモンズが12月13日に亡くなっていたことを、つい最近まで知らなかった。
12月13日というと仕事が猛烈に忙しかった頃で、ネットのニュースなども全くチェックしていなかったのだ。
癌だったそうで。
75歳。
FLEETWOOD MACがとうの昔にブルーズ・バンドではなくなっていることを思えば、”英国三大ブルーズ・バンド”は今やCHICKEN SHACKだけになってしまった。
SAVOY BROWNは2013年の唯一の来日の際に観ているが(もう10年前か…)、その時点で65歳だったキム、相応に枯れてはいながらまったくヨレることのなかった現役感バリバリのプレイを思い出す。
12月22日にはウォルター”ウルフマン”ワシントンが亡くなっている。
彼も癌だったという。
79歳。
この人のことは90年代、当時付き合っていた彼女に勧められて知った。
ブルーズマンだったが、ニューオーリンズ出身者らしく、R&Bやファンクも取り入れたモダンで楽しいブルーズを聴かせる人だった。
12月25日にポール・フォックスが。
コレも最近知った。
死因は不明。
68歳。
THE POINTER SISTERSやCOMMONDORESのアルバムでキーボードやシンセサイザーをプレイし、その後XTC『ORANGES & LEMONS』やSWEET 75『SWEET 75』他、多くのアルバムでプロデューサーとして活躍。
大プロデューサーというワケではなかったかも知れないが、なかなかに見逃せない実績があった。
今月11日に鈴木邦男が亡くなっていたというのにも驚いた。
誤嚥性肺炎。
79歳。
元・一水会代表。
新右翼と言われながら、『がんばれ! 新左翼』とか『私たち、日本共産党の味方です。』なんて本を書いてしまう、北朝鮮に行ってよど号事件メンバーに会う…最終的には右も左も超越した、とんでもない論客となった。
LOFT PLUS ONEに彼を呼び続けた、平野悠氏の落胆はいかばかりか。
15日にブルース・ガワーズ。
急性呼吸器感染症。
82歳。
TVディレクター、プロデューサーなど多くの肩書を持ち、とんでもない数の音楽PVを手掛けた人物。
QUEEN「Bohemian Rhapsody」「Somebody To Love」、10cc「I'm Not In Love」、THE ROLLING STONES「Hot Stuff」、THE BEE GEES「Stayin' Alive」、ロッド・ステュアート「Hot Legs」「Da Ya Think I'm Sexy?」、SUPERTRAMP「Breakfast In America」、THE SPARKS「The Number One Song In Heaven」、TOTO「99」、クリストファー・クロス「Ride Like The Wind」、RUSH「Limelight」、プリンス「1999」、ジョン・クーガー「Jack And Diane」、HUEY LEWIS & THE NEWS「The Heart Of Rock & Roll」…これでもまだほんの一部。
このブログを御覧の皆様で、ブルースが制作した映像を観たことがない、という人は皆無だろう。
19日にはキャリン・ゴールドバーグが。
死因は不明。
69歳。
多くのアルバム・ジャケットを手掛けたグラフィック・アーティスト。
THE J. GEILS BAND『LOVE STINKS』、WHITFORD/St.HOLMES『WHITFORD/St.HOLMES』、SLY & FAMILY STONE『ANTHOLOGY』、マドンナ『MADONNA』、ピーター・ウルフ『LIGHTS OUT』、ウェイン・ホーヴィッツ『THIS NEW GENERATION』他多数。
このブログを御覧の皆様にも、彼女がアートワークを担当したアルバムを持っている人は少なくないはず。
23日にアンソニー”トップ”トーパム。
死因は不明。
75歳。
THE YARDBIRDSのオリジナル・ギタリストながら、その後の”三大ギタリスト”とは違って、知られざる存在。
しかし地味に活動続けていたのだな。
(地味にというか、YARDBIRDS復帰も果たしていた)
そして28日、トム・ヴァーレインも逝ってしまった。
昨日の朝、訃報に接した時のショックと言ったら。
死因は公表されていないが、短い闘病の後の死だったという。
73歳。
TELEVISION「Marquee Moon」を初めて聴いたのは、NHK-FM「クロスオーバー・イレブン」でだった。
不思議過ぎるイントロにまず度肝を抜かれ、洋楽初心者だった俺の持っていたパンクのイメージからかけ離れた歌と演奏に、たちまち引き込まれた。
『MARQUEE MOON』も『ADVENTURE』も、これまでに何度聴いたか全くわからない。
(今日もこの2枚を中心に繰り返し聴き返している)
ロンドン・パンクとは違い、それ以前の音楽との断絶をことさらに強調することのなかったニューヨーク・パンクにあって、60年代サイケデリックからの水脈を如実に感じさせるその音楽をして、NYパンクの代表格と目されるようになるのは自然なことだった。
トム・ヴァーレインがキム・シモンズやトップ・トーパムと2歳しか違わなかったということからも、NYパンクがロンドンのそれとは違い、昨日ギターを持ったような小僧たちが初期衝動だけでぶちかます音楽ではなかった、その意味合いがわかろうというモノだ。
『TELEVISION』でアルバム・デビューを果たした時点でトム27歳。
彼の愛したジム・モリソンの死んだ年齢だったのだから。
(プロト・パンクだったはずのジョニー・サンダースよりも年上)
とにかくあの氷のナイフのようなギターと、瀕死の白鳥が人間に転生したような(?)声。
TELEVISIONは2003年に渋谷AXで(うわっ、もう20年前か…)、ソロ(ジミー・リップとのデュオ)は10年に下北沢GARDENで観た。
AXもGARDENももうない。
トム・ヴァーレインもいなくなった。
あとは音源と、そして俺が生きている限りは記憶が残る。
…さて、明日にはBIGLOBEウェブリブログのサービスが終わります。
ウェブリブログのURLからの自動転送でこのブログを御覧の皆様も、明後日以降はどうなるかわからないので、ブックマークをSeesaaブログの方に変更するとよいかも知れません。
https://lsdblog.seesaa.net/もっとも、このブログをブックマークしてる人がどれぐらいいるのかわからんが…。
とりあえず俺は状況が許す限りもうちょっと生きようと思ってるんで。
このブログ、今日現在Seesaaブログの音楽部門で35位です。
皆様ありがとうございます…。