
全英4位・全米5位を記録した1974年の『RELAYER』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201911article_18.html)で多大な貢献を果たしたパトリック・モラーツは、結局その1作きりで脱退。
(クビだったらしい)
後任にはまさかのリック・ウェイクマンが復帰し、YESは『TALES FROM TOPOGRAPHIC OCEAN』(73年)当時の編成に戻る。
しかし『TALES FROM TOPOGRAPHIC OCEAN』の大作志向を嫌って脱退したリックが戻ったからには、音楽性のシフトは当然だった。
3年ぶりのオリジナル・アルバムとなった『GOING FOR THE ONE』(77年)では、15分半の「Awaken」を除いて3~8分と、楽曲はコンパクトになり。
パンク・ムーヴメントの年に出た『GOING FOR THE ONE』は、全英1位・全米8位の大ヒット作となっている。
そして、続く『TORMATO』(78年)ではすべての楽曲が2~7分と、更にコンパクトになった。
ヒプノシスがデザインしたジャケットにロジャー・ディーンのロゴが載っている『GOING FOR THE ONE』『TORMATO』共に、何となく木に竹を接いだような(?)印象があるものの、『TORMATO』も全英8位・全米10位と大健闘。
『TORMATO』リリースと前後して1978年8月からスタートしたツアーはYES結成10周年記念として位置づけられ、バンドはアメリカとイギリスを精力的に廻る。
で、このCD。
放送用音源ということだが…コレ、オーディエンス録音じゃないでしょうか。
(ただし当時のオーディエンス録音としてはかなり良好な音質)
オープニングの「Close Encounters Of The Third Kind」からいきなり「Siberian Khatru」で盛り上がる。
ただ、音色やアレンジにやや違和感。
リック・ウェイクマン、機材のアップデートが裏目に出たか。
ともあれ新しい曲に古い曲、2時間以上にわたって次々に繰り出される。
クリス・スクワイアのベースが唸る「The Fish」、ジョン・アンダーソンの独壇場「Soon」、そしてリック・ウェイクマンのソロ…と、各メンバーの見せ場もたんまり。
パンクが既にニュー・ウェイヴへと移行していたこの時期にあって、恐竜扱いされていたプログレの人たちが現役ぶりを見せつける。
当時オールド・ウェイヴ勢を揶揄する際に”お城に住んで3年に1枚しかアルバム出さない…”みたいな常套句があったみたいだけど、何しろYESは『RELAYER』から『GOING FOR THE ONE』までのブランクを除けば、どうかすると1年に満たないペースでアルバムを出しまくり、ツアーもしまくっていたんであって。
メンバーにしてみれば、ロートルの恐竜扱いなんぞは身に覚えのないことだったろう。
そして、パンクもニュー・ウェイヴもほとんど「なんじゃそりゃ」だったに違いないアメリカ地方都市のオーディエンスも。
もちろん最後は「I've Seen All Good People」「Roundabout」で大いに盛り上がる。
しかしこの編成は続かず。
ツアー後の1979年9月から新作の制作を開始しようとしたYESだったが、ジョン・アンダーソン、リック・ウェイクマンと他の3人との方向性の違いが露わになり、レコーディングは頓挫。
80年3月に改めてレコーディングが開始された時には、ヴォーカルとキーボードはトレヴァー・ホーンとジェフ・ダウンズに交代していた。
ジョンとリックは本人たちが知らないうちに脱退扱いにされていたらしい。
そして、クリス・スクワイアとアラン・ホワイト以外はその後出入りを繰り返すことになるのだった。
メンバーの入れ替わりを重ねながらも『UNION』(91年)までは全英・全米20位以内に入り続けていたYESのアルバムは、『TALK』(94年)以降はチャート上位に顔を出すことがなくなっていく。