音は鏡かハンマーか(そしてFAUST偏愛)

FAUST TAPES.jpg相変わらず、仕事の合間に1989年のNEWSWAVE VOL.19をパラパラやっている。

FAUSTの記事があった。
そうだ、俺はNEWSWAVEのこの号を、FAUSTの記事があったから買ったのだった。
1989年、FAUSTの記事を載せる音楽誌なんて、他には当時(ほぼ)なかった(はず)。

しかし、その記事には最初から違和感があった。
タイトルは”FAUST/音の鏡”とある。
曰く、”音は鏡に似ている。もしくは、鏡は音に似ている”と始まり。
そこからFAUSTのバイオグラフィその他がつづられ。
最後に”音は鏡であり、鏡は音である。煙草は後に匂いを残し、火は消えた後に闇を残す。では鏡が取り外された後に僕たちは何を見る。音楽が終わった後に僕たちは何を聴く”と締められる。

時は1989年。
俺は87年頃に、レコメンデッド・レコーズから再発されていたHENRY COWの『IN PRAISE OF LEARNING』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_227.html)を買い、聴きまくっていた。
そのアルバムの裏ジャケットには、“ART IS NOT A MIRROR-IT IS A HAMMER”とあった。
”アートは鏡ではない、それはハンマーである”と。

同じ頃、やはりレコメンデッド盤で入手したFAUSTの1stアルバム『FAUST』(https://lsdblog.seesaa.net/article/202205article_25.html)と2nd『SO FAR』(https://lsdblog.seesaa.net/article/202210article_25.html)も聴きまくっていた。
HENRY COWと同様に当時レコメンデッドから再発されていたFAUSTの音楽…が”鏡”であるとは、俺には思えなかった。
今でもそうだ。

あるバンドについて音楽誌やライナーノーツなどで書かれたことに対しての「違う、そうじゃない」という想いは、俺がその後ファンジンや音楽雑誌やこのブログなどで音楽に関して書く際の指針になっただけではなく。
よろず売文業として音楽以外のあれこれの文章で生計を立てている今でも、自身の知識や考えや経験に基づいて、出来る限り違った視点からの自分なりの考察をしようという姿勢につながっていると思う。
(そしてそれがあるからこそ、いまだ仕事が切れずにどうにか食えているのではと)
1989年のNEWSWAVEに載ったFAUSTの記事、及びそれに対して抱いた違和感は、その端緒となったかも知れない。

今でも思う。
FAUSTの音楽は断じて鏡などではなかったと。
俺にとってのそれは、大きくて重いハンマーだった。

FAUSTの70年代のアルバム4枚については既に全部紹介してしまったので、今後このブログでFAUSTについて書くことはあまりないのではと思う。
しかしFAUSTは今後も俺の人生にいびつな影を落とし続けるだろう。
(HENRY COWについてはまだ書く余地がある)

LA PESTE/”BETTER OFF LA PESTE”(2006)

LA PESTE.jpg『KILLED BY DEATH #9』に収録された「Better Off Dead」で知られるが、活動中にはシングル1枚しかリリースがなかった70年代ボストンのパンク・バンド。
件のシングル「Better Off Dead」に加え、1977~78年の未発表スタジオ/ライヴ録音を詰め込んだ編集盤。
26曲75分。

1976年末に結成。
60年代にTHE LOSTで歌っていたウィリー”ロコ”アレキサンダー(末期THE VELVET UNDERGROUNDにも参加!)が70年代後半にはTHE BOOM BOOM BANDで活動していたりと、プロト・パンクとパンク・ロックの境界があいまいだったボストン界隈だが、LA PESTEはボストンで最初期の”パンク・バンド”だったという。
メンバーはピーター・デイトン(ギター、ヴォーカル)、マーク・カールことマーク・アンドレアソン(ベース、ヴォーカル)、ロジャー・トリップ(ドラム、ヴォーカル)の3人。
マークのステージネームは、カール・マルクスのもじりだったとか。
(ははあ、てめえさしずめインテリだな?)
このCDのライナーノーツはピーター自身が書いている。

デイヴィッド・ボウイやROXY MUSIC、SILVERHEAD、GOLDEN EARRINGなどを好んでいたピーター・デイトンは1975年にCBGBでRAMONESのライヴを観て、その”新しいサウンド”にショックを受ける。
ピーターによれば、RAMONESを聴いてすべてが変わったとのこと。
しかもピーターは、そのショウを録音していたのだという。
そしてピーターはマーク・カールとロジャー・トリップにそのテープを聴かせ、自分たちで新しいサウンドのバンドを組むことになる。

ピーター・デイトンはボストンのTHE RATSでTHE DAMNEDも観たという。
(ピーターによれば1976年だったというが、DAMNEDのアメリカ・ツアーは77年のことだ)
ピーターはその時ブライアン・ジェイムズと話し、イギリスで何が起こっているのかと尋ねた。
ブライアンの答えは”It's just us, The Clash, The Sex Pistols, and Subway Sect.”というモノだったそうで。
その言葉(そしてRAMONESからの影響)が、LA PESTEの方向性の指針になったのだろう。

しかしLA PESTEのメンバー全員が、パンクを体験するまで楽器に触ったこともなかった。
バンドの活動はまず楽器の練習から始まる。
このCDでは1977年初頭のライヴ「After Dinner Crisis」が最も初期の音源だそうだが、バンドの活動が本格化したのは77年夏からだったらしい。
LA PESTEはボストンのストリップ・クラブ、THE BIRD CAGEで木曜から日曜の晩に演奏するようになり、一晩に100ドルのギャラを受け取っていたという。
ピーター・デイトンによれば、LA PESTEは77年の秋にはボストンのパンク・シーンでトップに位置していたとか。
78年にはシングル「Better Off Dead」をリリース。

そしてこのCDには当時の彼らのサウンドが詰め込まれている。
歪んだギターと手数の多いベース、ドコダカダカダカと忙しくオカズを突っ込むドラムに、ほとんど激することのないヴォーカルが乗る。
(ジョーイ・ラモーンのヴォーカルもそんなに激しくなかったしね)
ダークにしてクール、それでいて性急、かつメロディアスでキャッチー。
転調・展開のセンスに独特なモノを感じる。
ひょっとしてROXY MUSICやGOLDEN EARRINGとかだけじゃなく、プログレなんかも聴いていた人たちだったのでは、と思ったりも。

CBGBにも出演し、ボストンとニューヨークを股にかけて活躍していたというLA PESTEだった。
しかし、それで稼ぎがあったかというとそうではなかったらしい。
アルバムを制作するに足る資金はなく。
彼らが範としていたRAMONESも当時商業的に成功していたワケではなかったし、SEX PISTOLSもLA PESTEがシングルを出した1978年には解散してしまい。
そしてボストンのシーンの主流は、すぐにシンセサイザーと細いネクタイの、THE CARSのようなニュー・ウェイヴ/ポスト・パンクにとって代わられてしまったのだった。
(もっとも、リック・オケイセクらはLA PESTEをリスペクトし、活動をサポートしていたようだが)

ともあれ活動を続けていたLA PESTEだったが、前進はままならず。
1979年にはそれまで全曲を作詞していたピーター・デイトンが脱退。
マーク・カールとロジャー・トリップは新たにイアン・カリノスキーを迎え、80年にボストンでデモを録音。
しかし結局バンドは解散となった。

その後ピーター・デイトンはウィリー・アレキサンダーのソロ作『SOLO LOCO』(1981年)他、MISSION OF BURMAやJERRY'S KIDSなどのアルバムにゲスト参加。
(JERRY'S KIDSはLA PESTEの「Spymaster」をカヴァーしていた)
LA PESTE結成から30年近く経った2005年には初のソロ・アルバム『PETER DAYTON』をリリースしている。
ロジャー・トリップは93年の大晦日に自動車事故で亡くなったとのこと。

松下のおばちゃんを送ろう

松下弘子出発式.jpg先月16日に88歳で世を去った”松下のおばちゃん”こと松下弘子さん。
お別れ会…というか、89歳の誕生日と、高円寺からの出発を寿ぐ会、の開催が決定しています。

以下、主催者からのインフォメーションを無断転載。


「HIROKO MATSUSHITA 89th BIRTHDAY&高円寺出発式」
2025.5.18(Sun)PM12:00-0:00
@高円寺CAFE&BAR LUCCY(東京都杉並東京都杉並区高円寺南2-1-3 日本アタックビル1F)
入場無料(要1Drink Order)
・親族公認ですが、あくまで有志による会です。香典などはご遠慮ください。
・祭壇を用意します。お祈り、写真撮影、ご自由にどうぞ。
・1曲捧げても大丈夫です!(アンプラグドのみ)
・寄せ書き用の布も用意します、ご自由に書き込んでください。
・松下弘子ミニ写真展も開催します。
大勢のご来場をお待ちしています!


場所は東高円寺U.F.O.CLUBの近くらしいです。
俺は午後から泣きながら(?)飲んだくれる予定。
松下のおばちゃんにちょっとでも世話になったことがある人は、ちょっとでも顔出しましょう。
(顔出せない人は心の中で祈りましょう)
俺たちのおばちゃんに献杯。