
BLUE OYSTER CULTの前座として。
この時にBLUE OYSTER CULTがMOTORHEADにサウンドチェックをさせなかったというエピソードは有名だ。
結局その時のMOTORHEADの音響は、ひどいモノになったらしい。
MOTORHEADもBLUE OYSTER CULTも大好きな俺にとっては、なんとも残念な話だ。
ちなみにIGGY AND THE STOOGESも1973年(だったと思う)の大晦日にBLUE OYSTER CULTの前座を務めているが、BLUE OYSTER CULTのメンバーをにこやかに談笑するイギー・ポップらの写真が残されている。
更についでに言うと、95年のレミー50歳の誕生パーティー(METALLICAが”LEMMY'S”として出演したことで有名なやつ)には、イギーも顔を出していたという。
そんなMOTORHEADも、1978年11月にはHAMMERSMITH ODEONにヘッドライナーとして出演するようになる。
そして81年、全英チャートを席巻する存在となっていたMOTORHEADは、ドイツのニュルンベルクで開催されたフェスティヴァルで、憎き(?)BLUE OYSTER CULTよりも後の出番で出演を果たすのだった。
レミー自伝『ホワイト・ライン・フィーヴァー』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1867.html)で、レミーは1981年当時のBLUE OYSTER CULTについて「結局のところ、あいつらはもう過去の存在だからな」と断じている。
実際には、この発言は少々正確さを欠く。
BLUE OYSTER CULTが81年にリリースしたアルバム『FIRE OF UNKNOWN ORIGIN』は、全米24位とそれなりのヒット作なのだった。
(一方同年に全英1位を獲得したMOTORHEADのライヴ盤『NO SLEEP 'TIL HAMMERSMITH』は全米チャートには入っていない)
BLUE OYSTER CULTがチャート・アクションを大きく下げて明らかな退潮となるのは、もう少し後のことだ。
(しかもBLUE OYSTER CULTが明らかに低迷期に入っていた80年代半ば、MOTORHEADも五十歩百歩の状況だった…)
そしてレミーが逝ってから今年で10年。
BLUE OYSTER CULTは今後新作の予定はないとしているものの、いまだ現役である。
ちょっと皮肉な気もする。
レミーを偲ぶとか言いながらBLUE OYSTER CULTの話になってきたので、話を1975年に戻す。
MOTORHEADはのちに『ON PAROLE』(画像)として知られることになる(幻の)1stアルバムのレコーディングを始めていた。
当初のプロデューサーはデイヴ・エドマンズ。
レミーは『ホワイト・ライン・フィーヴァー』で、デイヴとのレコーディングが楽しかったことを語っているが。
ホント残念だったよなあ。
MOTORHEADがデイヴのプロデュースでアルバムを完成させ、それが76年に『MOTORHEAD』としてリリースされていたら…。
いや、それでも多分ルーカス・フォックスはクビになり、ラリー・ウォリスは脱退していたのでは、と思う。