HAWKWIND:HUW LLOYD LANGTON追悼

HAWKWIND.jpgはい、再開です。


 キメキメ…のイメージが強いHAWKWINDだが、メンバー/元メンバー全般に何だか頑健(?)で、今もわりと元気に活動してる人が多い(レミーとか)。
 そこに入った訃報…HAWKWINDのリード・ギタリストとしてバンドを出入りしたヒュー・ロイド・ラントンが、12月6日に癌で亡くなったという。61歳。
 HAWKWINDの主要メンバーでは、1988年8月に他界したロバート・カルヴァート(作詞、ヴォーカル)以来の物故者じゃないだろうか。…今回はヒュー追悼の想いを込めて、DOLL誌2004年9月号に掲載したHAWKWINDについての記事に、(原形をとどめないレベルの)大幅な加筆訂正の上、再掲載します。

 …元々DOLL誌上では、HAWKWINDについては取り上げるつもりがなかった。いわゆる“ノッティングヒルゲイト系”では、既によりパンキッシュなTHE DEVIANTSやPINK FAIRIESを紹介していたし、もう十分だろうとか思っていた。改めて取り上げることにした一番の要因は、当時の担当編集者(DOLLが廃刊になるよりも前に退職。先見の明があった…?)のリクエストがあったからだ。
 今回は当時の原稿を大幅に改稿して、ヒュー・ロイド・ラントン在籍時を多少フィーチュアしつつ、改めて紹介します。


 ロンドン西部、ノッティングヒルゲイト…といえば、この21世紀は、ジュリア・ロバーツ主演の映画『ノッティングヒルの恋人』に代表されるような(?)、アンティーク・ショップなんかの充実したおしゃれでスマートな街、というイメージ。しかし、第二次世界大戦の前は、いわゆる貧民街だったらしい。
 …で、戦後はジャマイカあたりから流れてきた黒人が大勢住み着いて、リトル・キングストン状態(?)に。更に60年代半ばには、安い家賃やジャマイカ産のマリワナ目当てに潜り込んだ貧乏学生や売れない芸術家やミュージシャン気取りのヒッピーがたむろして、ますますヤバげな街になっていた。そんな怪しい有象無象の中から、HAWKWINDは立ち上がった。

 60年代後半。当時ブームだったブルーズ・ロックのシーンで活動していたギタリスト、デイヴ・ブロック…はDHARMA BLUES BAND他幾つかのブルーズ・ロック系バンドを経たあと、次なるブームに乗ってサイケデリックを志向し、新たなバンドを結成する。GROUP XとかHAWKWIND ZOOとか名乗っていたバンド名がHAWKWINDに固まったのは、1969年夏のことだった。HAWKWIND名義での初ライヴは、69年8月29日、ノッティングヒルゲイトのALL SAINTS HALLで行なわれたという。
 …現在に至るまで、HAWKWINDの歴史はメンバー・チェンジの歴史でもあり。この頃からもう、メンバーはどんどん変わっている。69年末~70年初めにかけてはTHE PRETTY THINGSを脱退したディック・テイラー(ギター)も参加していたが、バンドがユナイテッド・アーティスツと契約を取り付けてデビュー・アルバムの制作にかかった頃には、もう脱退していた(その代わりというか、ディックはプロデュースを担当)。ディックに代わるリード・ギタリストとしてバンドに参加したのが、ヒュー・ロイド・ラントンだった(今年61歳で亡くなったということは、この時点で19歳の若さということに)。
 ちなみに、GROUP X/HAWKWIND ZOOから数えると、ヒューの時点で既に3代目のリード・ギタリストだった。アルバム・デビューを果たしたのはHAWKWINDとしてだったが、HAWKWIND ZOO時代(リード・ギタリストはミック・スラッテリー、ベーシストはトーマス・グリンブル)には既に録音はあって、ずっと後の81年になって当時の音源がEPとしてリリースされている。

 …ともあれ1970年8月、ユナイテッド・アーティスツ・レコーズからHAWKWINDのデビュー・アルバム『HAWKWIND』がリリースされる。当時のメンバーは、デイヴ・ブロック(ヴォーカル、ギター、ハープ、パーカッション)、ヒュー・ロイド・ラントン(ギター)、ジョン・ハリスン(ベース)、ニック・ターナー(アルト・サックス、パーカッション、ヴォーカル)、ディック・ミック(エレクトロニクス)、テリー・オリス(ドラム)の6人。
 …デビュー当時のHAWKWINDの音楽性は基本的にブルーズ・ロックを引きずっていたが、ギター、ベース、ドラムに加えてバンドのサウンドを特徴付けていたのは、サックス、そしてエレクトロニクス担当のメンバーがいたところだった。ヒプノティックでトライバルにも聴こえるリフの反復が続く長めの曲に、サックスとイカレた電子音が浮遊するというスタイル。
 初期のHAWKWINDの音楽はそんな感じの、かなりドラッギーなサウンドで(マリワナをキメると時間の感覚が変わるので、演奏は自然に長めになる)、実際この頃のHAWKWINDは「音だけでトバしてやるぜ!」みたいなつもりで演奏していたらしい。『HAWKWIND』がCD化された際に、未発表だったPINK FLOYDのカヴァー「Cymbaline」が収録されていたのも、彼らのルーツを考える上では興味深い。

 『HAWKWIND』リリースと前後して、ジョン・ハリスンとヒュー・ロイド・ラントンが相次いで脱退(ヒューは、バンドがワイト島フェスティヴァルの会場の外で演奏した後、「散歩に行ってくる」と言い残したまま失踪し、その後5年近く行方知れずだったという)。ギタリストがデイヴ・ブロック一人になった一方で、ベーシストとしてあのAMON DUUL Ⅱに在籍していたデイヴ・アンダーソンが参加。そしてデル・デットマー(シンセサイザー)も加入し、ギタリストは減ったがトビ道具が増えた…という状態に。
 そしてHAWKWINDのサイケデリック・サウンドは、2ndアルバム『IN SEARCH OF SPACE』(1971年10月)で更にヘヴィかつグルーヴィーなモノになる。その後もライヴで演奏され続ける代表曲「Master Of The Universe」をフィーチュアし、スピーディーな反復ビートをベースにした長尺曲、というスタイルを確立。そして『IN SEARCH OF SPACE』のリリースと前後して、あの有名なダンサー、ステイシアがバンドに参加。更にベーシストがイアン“レミー”キルミスター(元SAM GOPAL)に交代。

 …果たして、レミーが歌ったシングル「Silver Machine」(1972年6月)は全英チャートの3位に入る大ヒットとなり、72年11月には一般に代表作とされる3rdアルバム『DOREMI FASOL LATIDO』(それにしてもムチャクチャなタイトルだな…)リリース。「Silver Machine」「Master Of The Universe」などと並ぶ代表曲「Brainstorm」収録。そして『DOREMI FASOL LATIDO』から半年後の73年5月にはこれまた名盤の誉れ高い2枚組ライヴ・アルバム『SPACE RITUAL』リリース…と、この頃をHAWKWINDの黄金時代と見る人は最も多いだろう。
 その“黄金時代”…『DOREMI FASOL LATIDO』『SPACE RITUAL』当時のラインナップは、デイヴ・ブロック(ギター、ヴォーカル)、ロバート・カルヴァート(作詞、ヴォーカル)、レミー(ベース、ヴォーカル)、ニック・ターナー(サックス、フルート、ヴォーカル)、ディック・ミック(発振器、エレクトロニクス)、デル・デットマー(シンセサイザー)、サイモン・キング(ドラム)…の7人(ダンサーのステイシアを入れると8人)。大所帯。

 サイモン・キング(HAWKWINDの前にはレミーと一緒にOPAL BUTTERFLYで活動)のマシンガン・ドラムとレミーの爆撃ベースに乗せて、デイヴ・ブロックのダイナマイト・ギターとニック・ターナーのアッパッパーなサックスが吠え、更にディック・ミックの電子ノイズとデル・デットマーのアナログ・シンセサイザーが唸りをあげる。そして180cmを超える巨体&巨乳を揺らして半裸または全裸(!)で踊り狂うダンサー、ステイシア(ツアーでは常に二人以上の男をホテルの部屋に連れ込んでヤリまくってたとか)。
 …全盛期のHAWKWINDの演奏は、そんな感じだったらしい。曲は長かったが、当時のプログレとかにありがちな勿体つけた複雑な展開なんかは皆無で、シンプルなリフの反復を中心にトバしまくる。サイケデリックまたはスペーシーなライト・ショウも、ライヴにおいては70年代から現在に至るまで重要な要素。

 アルバム・デビューを果たした1970年から21世紀の今に至るまで英国サイケデリックの代表格として君臨するHAWKWINDだし、時にはプログレッシヴ・ロックに近いところで語られることもあるが、70年代前半はちょっと(というか、かなり)ヘンテコなサウンドながら、基本はR&Rそのものだ。実際、当時のHAWKWINDのレパートリーの何曲かは、そのまま初期MOTORHEADのレパートリーとして受け継がれていくことになる。
 とにかく、当時の(特にライヴでの)サウンドの強度は凄まじかった。73年の「MELODY MAKER」誌に掲載されたHAWKWINDのライヴ評では“疑いなく世界でもベストなへヴィ・メタル・バンドのひとつ”と書かれている。その記事で引き合いに出されているのがTHE STOOGESということからしても、ここでの“へヴィ・メタル”というのが後の音楽ジャンルとは関係なく、HAWKWINDの強烈なサウンドを評するために用いられていることがわかる。
 実際、この頃のHAWKWINDの影響力はジャンルを超えたモノがある。代表曲「Silver Machine」は再結成後のSEX PISTOLSがライヴで演奏しているし、他にもNew Wave Of British Heavy Metalのブギー野郎VARDISや、80年代英国ネオ・サイケの徒花(?)DOCTOR & THE MEDICS、更には日本が世界に誇るノイズ帝王・非常階段と、実に様々なバンドにカヴァーされているし(MOTORHEADも時々ライヴで演奏していた)、名曲「Brainstorm」などは、リフや楽曲の構造としてはTHE DAMNEDの「Neat Neat Neat」にヒジョーによく似ていたりする(大体DAMNED自体、人脈的にはHAWKWINDとつながってる)。

 1973年夏にリリースされたシングル「Urban Guerrilla」は、IRAによるテロが相次いでいた御時世で不謹慎とされ、BBCでは放送禁止…などということもあったものの、HAWKWINDの勢いは止まらず。ディック・ミックが脱退して元HIGH TIDE他のヴァイオリニスト、サイモン・ハウスを迎えたバンドは74年9月にアルバム『HALL OF THE MOUNTAIN GRILL』をリリース。その後デル・デットマーも脱退するが、今度は元CHICKEN SHACK他のドラマー、アラン・パウエルが参加してツイン・ドラム(!)となり、75年5月には『WARRIOR ON THE EDGE OF TIME』をリリースする。
 エレクトロ・ノイズ/シンセに代わってサイモンのヴァイオリンとメロトロンなどを前面に出すようになったサウンド…は少々プログレ寄りになっていたが、一方で『HALL OF THE MOUNTAIN GRILL』にはその後MOTORHEADのレパートリーとなる「Lost Johnny」が収録されていたし、75年3月にリリースしたシングル「Kings Of Speed」は曲名どおりのドライヴィンR&Rだった。何よりそのB面にはあの(!)「Motorhead」が収録されていた。もちろんレミーのその後のバンド名となった名曲で、レミーの手で演奏され続けることになる。『HALL OF THE MOUNTAIN GRILL』には74年の時点で「Psychedelic Warlord」などという曲があり、HAWKWINDが“ラスト・サイケデリック・ヒーロー”などと呼ばれるのも納得だ。

 『WARRIOR ON THE EDGE OF TIME』リリースと同時に北米ツアーが開始されたが、ここでレミーがいきなりクビになる(ちなみに後任は元PINK FAIRIESのギタリストだったポール・ルドルフ)。そしてレミーはMOTORHEADを結成するワケで、それ以後のHAWKWINDには全く興味を失ってしまう人も多い。
 だが、HAWKWINDの長い歴史の中で、レミーが在籍したのはたったの4年。MOTORHEADがいわゆる“黄金トリオ時代”よりも今の3人編成の方が長いのと同じで、HAWKWINDも“レミーが在籍したバンド”だけでは済まされない長いキャリアと、大きな魅力を持っている。

 ちなみにMOTORHEADがデビュー・ライヴを行なった1975年7月、“社会復帰”を果たしたヒュー・ロイド・ラントンも新しいバンド、WIDOWMAKERの結成に参加している。メンバーはスティーヴ・エリス(ヴォーカル:元ELLIS)、ヒュー(ギター)、アリエル・ベンダー(ギター:元MOTT THE HOOPLE)、ボブ・デイズリー(ベース:元CHICKEN SHACK他)、ポール・ニコルズ(ドラム:元LINDISFARNE他)という、かなり豪華なメンツ。
 WIDOWMAKERは76年にアルバム『WIDOWMAKER』をリリースした後、ヴォーカリストが交代して、77年に2ndアルバム『TOO LATE TO CRY』をリリースしているが、同年解散。パンクの時代とあって、アルバムの売り上げが不振だったらしい(ボブだけはRAINBOWなど、その後もハード・ロックの第一線で活躍し続ける)。ちなみにアリエルにはWIDOWMAKER在籍中にMOTORHEAD加入の話が舞い込み、バンドとセッションするも上手く行かず、結局MOTORHEADには“ファスト”エディ・クラーク(元CURTIS KNIGHT ZEUS他)が参加している。

 …話をHAWKWINDに戻すと、レミー脱退後のバンドはUAからカリズマ・レコーズに移籍し、作詞を担当していたロバート・カルヴァートを専任ヴォーカリストに据えて、歌モノ(?)的な路線に転向する。メンバー交代毎に音楽性がコロコロ変わっていくのがHAWKWINDの真骨頂(?)で、ある意味民主的というか。
 ともあれ1976年8月に『ASTOUNDING SOUNDS AND AMAZING MUSIC』をリリースした後、70年代後半はパンク/ニュー・ウェイヴの影響を受けつつ、ヴォーカルとキーボードをフィーチュアしたかなりポップな方向へ。ファンキーな部分もあるのは、ポール・ルドルフとアラン・パウエルのリズム・セクションの志向によるモノだったらしい。
 77年6月には『QUARK STRANGENESS AND CHARM』をリリースしたが、ファンからのウケはあんまりよくなくて、その2作の間にもニック・ターナー、ポール・ルドルフ、アラン・パウエル、サイモン・ハウス…と、メンバーが続々脱退する(あらかたクビだったらしい。ニックはジリ・スマイスのMOTHER GONGに参加。アランはポールとのKICKSを経て、元THE DAMNEDのブライアン・ジェイムズとTANZ DER YOUTHを結成)。

 エイドリアン・ショウ(ベース:元MAGIC MUSCLE)を迎えて『QUARK STRANGENESS AND CHARM』をリリースした後、ポール・ヘイルズ(キーボード)を迎えてアメリカをツアーしたHAWKWINDだったが、思い余った(?)デイヴ・ブロックとロバート・カルヴァートは1978年夏、いきなりバンド名をHAWKLORDSと改名(というか、デイヴとロバート以外のメンバーは全員入れ替わっていて、一応この時点でそれまでのHAWKWINDは解散、した…らしい)。78年10月にはアルバム『HAWKLORDS 25 YEARS ON』をリリースするも、79年に入るとロバートもクビになり、バンド名をHAWKWINDに戻して、ブロンズ・レーベルに移籍(ロバートはソロ活動に)。
 カリズマとはまだ契約が残っていて、HAWKLORDS以前の77~78年の音源を収録したアルバム『P.X.R.5』がHAWKWIND名義で79年にリリースされる。復活したHAWKWINDの新作はあくまでそれ以降のモノだが、このあたりから、複数のレーベルから新作だかなんだかわからないアルバムがどんどん出る…というHAWKWINDの特徴的な(?)リリース攻勢が始まるのであります(当時の広告を見ると『P.X.R.5』も“Lost Tapes”とか書いてあるけど、今では未発表音源集というよりは基本的にオリジナル・アルバムに数えられている、はず)。
 …とにかくディスコグラフィが錯綜していることで本当に有名なHAWKWIND。しかし、少なくともここまでを読んでいる限りでは、大体1年に1枚アルバムを出す普通(?)のバンド、だったことがわかるだろう(このあと一気にワケがわからなくなる)。

 …ともあれ、晴れて“復活”となったHAWKWINDでありました。かつてのメンバーがやっているMOTORHEADの成功や、New Wave Of British Heavy Metalの盛り上がりも追い風になったんだろう(実際、HAWKWINDはこのあと1981年に「Motorhead」をシングルとして再リリースしている。明らかに便乗商法…)。
 この時のメンバーは、デイヴ・ブロック(ヴォーカル、ギター、シンセサイザー)、ヒュー・ロイド・ラントン(ギター)、ハーヴェイ・ベインブリッジ(ベース:HAWKLORDSから残留)、ティム・ブレイク(シンセサイザー:元GONG。HAWKWINDには当初ローディーとして参加したとか)、サイモン・キング(ドラム)の5人。
 そう、この時点で、70年にバンドを離脱したヒューが、しれっと(?)復帰していた。そしてHAWKLORDSの時にはいなかったサイモンも。以後のHAWKWINDは、旧メンバーの出戻りが常態化する。

 バンドはブロンズ・レコーズと契約し(かつてクビにしたレミーのMOTORHEADとレーベル・メイトに)、1979年のライヴを収録した『LIVE SEVENTY NINE』を80年にリリースする。ここまでの数年で何人か入れ替わったキーボード奏者はそれぞれに素晴らしいプレイを聴かせたが、ここではかつてGONGの主要メンバーだった“クリスタル・マシーン”ことティム・ブレイクが大活躍(HAWKLORDS時代のキーボーディストで、PILOTの録音にも参加していたスティーヴ・スウィンデルズの置き土産「Shot Down In The Night」も超名曲)。アルバムは全英15位のヒットとなり、HAWKWINDはレミー在籍時以来久々にチャートを賑わせるバンドとなった。
 その後すぐにサイモン・キングが脱退したが、バンドは元CREAM(!)の伝説的なドラマー、ジンジャー・ベイカーを迎え、80年に改めてスタジオ復活作『LEVITATION』をリリース。ブロンズとの契約は2枚で終わったが、HAWKWINDは続いてメジャーのRCAと契約する。

 その後ティム・ブレイクが脱退するも、バンドのむやみな勢いは止まらず(ティムの後任として、元COMUSのキース・ヘイルが加入)。『P.X.R.5』以降は、以前のスタジオ録音なんかをごちゃ混ぜにしてアルバム1枚の体裁でリリースする、というのをどんどんやるようになる。しかもサイモン・ハウスとかニック・ターナーとかティムとか、旧メンバーが出入りを繰り返すんで、本当にワケがわからなくなっていくのでした。
 結局ジンジャー・ベイカーとキースは脱退。ジンジャーの後任として、HAWKLORDSのドラマーだったマーティン・グリフィンが“復帰”。1981年にはRCAからアルバム『SONIC ATTACK』をリリース。この頃RCAではなくインディのフリックナイフ・レコーズからリリースしたシングル「Motorhead」(75年のシングルとは別テイクで、デイヴ・ブロックが歌っている)は、インディ・チャートで1位となっている(ナショナル・チャートでは69位)。
 82年に『CHOOSE YOUR MASQUES』(ニックが復帰!)をリリースした後、バンドはRCAから契約を切られ、改めてフリックナイフと契約。『CHOOSE YOUR MASQUES』と同じ82年にはアルバム『CHURCH OF HAWKWIND』をリリースしている。

 1979年から10年間くらいのHAWKWIND…リリースも編成も本当に錯綜しているが、音楽的にはキーボード/シンセサイザーを前面に押し出したスピーディーでスペーシーなハード・ポップ、といったところ。SFテイストも70年代以上に全開で、このあたりは同時期のBLUE OYSTER CULTなんかにも通じるモノがあると、個人的には思う(ただ、基本的にはHAWKLORDSの前あたりからそんなに変わってないような気がするけど)。
 一方で、この時期に出入りを繰り返したメンバーの中で、出たり入ったりしないで約10年ずっと在籍していたキーパーソン…が、ヒュー・ロイド・ラントン(そして80年代半ばにベーシストからキーボーディストにコンバートしたハーヴェイ・ベインブリッジ)だったと思う。70年の『HAWKWIND』の時点では混沌とした音の中でそれほど目立っていなかったヒューのギターだったが、この時期は確かなテクニックで、鍵盤類と共に前面に出ている。

 …話を戻す。1983年にはフリックナイフから寄せ集め的なアルバム『ZONES』をリリース(ジンジャー・ベイカーやキース・ヘイル在籍時の音源を含み、ニック・ターナーも参加)。前後してドラマーが元THE PRETTY THINGSのジョン・クラークに交代している。
 84年にはかつてクビにしたレミーと遂に(一応)和解し、EP「THE EARTH RITUAL PREVIEW」に収録された「Night Of The Hawks」(名曲)では、実に9年ぶりにレミーが参加している(全英73位、インディ・チャートでは1位のヒット)。その後ドラマーはダニー・トンプソンに交代し、80~84年の音源(一部ニック参加)を編集したライヴ・アルバム『STONEHENGE-THIS IS HAWKWIND DO NOT PANIC』をリリース(いやいや、パニックになりますよマジで!)。更にこの頃、デイヴ・ブロックはソロ活動も開始している。
 「Night Of The Hawks」でキーボードを担当していたハーヴェイ・ベインブリッジはその後本格的にキーボーディストにコンバートし、アラン・デイヴィー(ベース、ヴォーカル)が加入。85年にはマイケル・ムアコックのSF小説を題材にした『THE CHRONICLE OF THE BLACK SWORD』をリリースする。シングル・カットされた「Needle Gun」は、インディ・チャートで3位のヒットとなった。
 そしてレミーとの関係が修復すると、HAWKWINDはMOTORHEADのマネージメントが設立したレーベル、GWRからリリースするようになる。『THE CHRONICLE OF THE BLACK SWORD』はフリックナイフからのリリースだったが、そのアルバムに伴うツアーを収録したライヴ盤『LIVE CHRONICLES』(86年)はGWRからのリリース。一方で87年のアルバム『OUT & INTAKE』はフリックナイフから(タイトルからしても、このアルバムをオリジナル・アルバムとして扱うかどうかは、意見が分かれると思う…『P.X.R.5』や『ZONES』同様、微妙なポジション)。

 …そして1988年。久しぶりに、全曲が新たにスタジオで録音された、『THE CHRONICLE OF THE BLACK SWORD』以来の純然たるオリジナル・アルバム『THE XENON CODEX』が、GWRからリリースされる。
 当時のメンバーは、デイヴ・ブロック(ヴォーカル、ギター、キーボード、シンセサイザー)、ヒュー・ロイド・ラントン(ギター)、アラン・デイヴィー(ベース、ヴォーカル)、ハーヴェイ・ベインブリッジ(ヴォーカル、キーボード、シンセサイザー)、ダニー・トンプソン(ドラム、パーカッション、ヴォーカル)の5人。
 『THE XENON CODEX』は、俺が初めてリアルタイムで買ったHAWKWINDのアルバムだ。そして奇しくも、ヒューが参加した最後のアルバムとなった(はずだが…)。なので、とても思い入れが強い1枚。当時のHAWKWINDが目指していたメロディアスでスペーシーなロック…は、このアルバムで一応の完成を見たと思っている(特に、ドラマティックな「Neon Skyline」は名曲!)。
 そしてヒューは翌89年にHAWKWINDを脱退。その後は自身のバンド、THE LLOYD LANGTON GROUPでの活動がメインとなる。

 その後、『SPACE BANDITS』(1990年)、『PALACE SPRINGS』(91年)、ライヴ盤『CALIFORNIA BRAINSTORM』(92年)あたりでは女性ヴォーカルが加入したと思ったら脱退したり、サイモン・ハウスが出たり入ったり、とにかくやたらとメンバー・チェンジを繰り返しつつ、92年の『ELECTRIC TEPEE』以降しばらくはデイヴ・ブロック(ヴォーカル、ギター、シンセサイザー)、アラン・デイヴィー(ベース、ヴォーカル)、リチャード・チャドウィック(ドラム)の3人を中心に活動。『IT IS THE BUSINESS OF THE FUTURE TO BE DANGEROUS』(93年)、ライヴ盤『THE BUSINESS TRIP』(94年)と、コンスタントにリリースを続けた。
 3人というHAWKWIND史上最小編成を補うためか、バンドは打ち込みを大幅に導入するようになる。音楽性はだんだんハウス/テクノの影響を取り入れ、レイヴ・カルチャーに接近。接近…というか、実際にはHAWKWINDこそレイヴ・カルチャーの元祖なんだが。この頃には、サマンサ・フォックスと共演なんて出来事もあった。

 1995年にPSYCHEDELIC WARRIORS名義でアルバム『WHITE ZONE』をリリースしたのを機にトリオ期は終わり、ロン・トゥリー(ヴォーカル)を迎えたHAWKWINDは95年の『ALIEN 4』と続くライヴ盤『LOVE IN SPACE』(96年)をリリース。その後アラン・デイヴィーが脱退すると、97年の『DISTANT HORIZONS』ではロンがベースを兼任し、新たにジェリー・リチャーズ(ギター)が加入。HAWKWINDはヒュー・ロイド・ラントン脱退以来約8年ぶりにギター2本の編成となる。
 それ以降もハーヴェイ・ベインブリッジやティム・ブレイクといった旧メンバーが出入りを繰り返す一方で、ヴォーカルやギターやベースには新たなメンバーが加わり(コレもアルバム毎に入れ替わる)、HAWKWINDは限りなくデイヴ・ブロックのソロ・プロジェクトに近い活動ぶりとなる。そして遂に自身のレーベル、ホーク・レコーズを設立し、現在も活発なリリースを続けている。オリジナル・スタジオ作にライヴ・アルバム、発掘音源の編集盤…とそのリリース数は凄まじく、俺も全然そろえられない。

 それにしても…とんでもない人数が出たり入ったりしたHAWKWINDだが、よく見てみると、1970年の『HAWKWIND』以後、10年近くギタリストはデイヴ・ブロック一人で、その後79年以降は、トリオ編成をやめた後の90年代後半にジェリー・リチャーズがギタリストとして参加するまで、デイヴを差し置いて“リード・ギター”としてクレジットされたのは…実はヒュー・ロイド・ラントンただ一人なのだった!
 考えれば、HAWKWINDが現在まで続く音楽性の根幹を確立したのは70年代前半ではなくむしろ79年以降。…その時代のアンサンブルを支えたヒューの存在感の大きさを、改めて思う。ヒューの御冥福をお祈りします。


(2023.10.18.改訂)

この記事へのコメント

  • 大越よしはる

    TITLE: LLOYD LANGTON
    コメントありがとうございます。
    HAWKWINDのギタリスト、というとやっぱりデイヴ・ブロック、というイメージが強いし、90年代以降のTHE LLOYD LANGTON GROUPはあんまりピンとこなかったんで、正直長いこと軽視していたんですが、『LIVE SEVENTY NINE』~『XENON CODEX』までを聴き直すと、改めて当時のアンサンブルの中では重要な存在でしたね、ヒュー・ロイド・ラントン。
    2016年07月23日 22:47
  • willy

    TITLE: HUW
    is the great gitarlist!!!
    読んでてうんうん!って言ってた自分w
    年代順でwikiなんかよりずっと解りやすくてただ感動!
    lest in the PEACE!!!
    R.I.P.
    2016年07月23日 22:47

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