よくチェックしてみたら、2010年にINDEXのアルバムが2枚組で再発された時のライナーと、カブってる話が多かったけどね。
それにしても、INDEXの再発は重大な出来事だった。
…なんつって、俺が入手したのは残念ながらリリースから約1年後。
リリースと同時にゲットしていたら、間違いなく2010年のリイシュー・ベストの1位に入れたはず。
(ちなみに俺が10年のリイシューで1位に選出したのは、チェコスロヴァキアのTHE PLASTIC PEOPLE OF THE UNIVERSE。コレはコレで全然OKだけどね)
ともあれ、ジム・ヴァリスがドラムを始めたのは高校生だった1966年。
学生バンド、THE PEGGSで活動を始める。
ジムによると、PEGGSでも11曲の録音があって、それをリリースするつもりがあるらしい(おお!)。
ちなみにジム以外のPEGGSのメンバーは、その後ベーシストが交通事故で、ギタリストがドラッグで、それぞれ死んでしまったそうで。
続いてジム・ヴァリスはTHE CHOCOLATE MESSに参加。
しかしシリアスなバンドではなく、ジム以外のメンバーは、基本的にビールと女のことしか考えてなかったらしい。
そんな折…1967年春、ゲイリー・フランシス(ベース)に誘われたジム・ヴァリスはジョン・フォード(ギター)と3人でセッション。
それがきっかけとなって、67年夏にINDEXが結成される。
3人はそれぞれ、音楽的にも人間性の面でも、パーフェクトにフィットするモノを感じたらしい。
バンドはしばらく、CHICKEN EVERY SUNDAYと名乗って活動していたらしい(コレはまた…ひどいバンド名だね)。
当然ながら(?)、バンド名を変えようという話が出て、ジョン・フォードが本棚から出した本を片手に、「コレを投げるから、開いたページにあった言葉をバンド名にしよう」と。
床に投げ出した本の、開かれたページは…索引だった(笑)。
それでバンド名はINDEXに。
当時、ジョンとジム・ヴァリスが18歳、ゲイリー・フランシスは16歳だったという。
INDEXの3人ともがTHE BEATLES、THE ROLLING STONES、THE WHO、THE KINKS、THE YARDBIRDS…といったいわゆるブリティッシュ・インヴェイジョンの影響を受けていたそうで。
ジョン・フォードはジェフ・ベックのギターに影響されつつも、一方でBUFFALO SPRINGFIELDに入れ込んでいたという。
(レニー・ケイが「60年代のボストンでジェフ・ベックの影響は絶大だった」と言った…という話は先日書いたが、やはりYARDBIRDS時代のジェフのギター・サウンドは、ボストンに限らず60年代のガレージ/サイケに大きく影響していたのだなあ、と改めて思う)
個人的に、INDEX…というと、その骨組だけみたいな特異な(つまりフォーキーにしてスカスカな)音楽性で、いわゆるミシガン・ガレージとかデトロイト・ロックとかから切り離して考えてしまっていたんだけど。
このインタヴュー(あとCDのライナーも)を読むと、INDEXがやっぱりTHE STOOGESやMC5といった地元のバンドからも大きな影響を受けていたことが知れる。
このバンドも、学生バンドながら、デトロイト・ロックの端の方に位置していたのだなあ。
ちなみに当時、THE RATIONALSとかSRCとかTHE PLEASURE SEEKERSとかと対バンしてたらしい。
ジム・ヴァリスによると、当時のBOB SEGER & THE LAST HEARDのドラマーのツーバスが凄かったとか。
INDEXのメンバーは、当時デトロイトのシーンで有名だったクラブ・HIDEOUTに出入りし、ジムはPLEASURE SEEKERSのドラマーだったナンシー・ボールと恋に落ちる。
(ナンシーは2003年に交通事故で亡くなったという)
学生のパーティーを中心に、R&Bのカヴァーを中心としたダンス向けの音楽を提供していたINDEXだったが、当然のことながらドラッグが大きな影響を与え、彼らはよりサイケデリックな方向へと進む。
特にジミ・ヘンドリックスを聴いて以降、ワウを導入したジョン・フォードのギターはよりラウドになり、フィードバックを多用したスタイルに変化。
ジム・ヴァリス曰く、当時のシーンでジョンのギターはテッド・ニュージェントに匹敵するモノだったとか。
(それは…正直、どうかな。タイプが違い過ぎる気もするし)
そして1967年12月、INDEXはアルバムのレコーディングにトライする。
ジョン・フォードの家をスタジオ代わりに、十分にリハーサルを重ねた上でのモノラル一発録り。
(誰かが間違えたら1曲最初からやり直し)
一般に“BLACK ALBUM”と呼ばれるINDEXの1stアルバムは、そうしてレコーディングされた。
THE BYRDSの「Eight Miles High」やVANILLA FUDGEで有名な「You Keep Me Hanging On」の、これまたスカスカなカヴァーに混じって、ジョン・フォードの強烈なフィードバックをフィーチュアしたオリジナル曲、そしてリヴァーブ過多なサウンド。
よく“レアで手に入らないことに一番の価値がある”みたいな言われ方をしたINDEXだが、ミシガンの学生バンドがその時にやりたいこととやれることをぶち込んでしまった結果として、ガレージ・パンクとサイケデリックの間に真っ黒な橋を架けるような怪盤が出来上がった。
特に曲名からして「Feedback」と名付けられた4分50秒は、ジョンが自分の中で醸成したジミ・ヘンドリックスとジェフ・ベックからの影響を如何なく吐き出した名演。
(それにしても、「You Keep Me Hanging On」を、果敢にもというかVANILLA FUDGEヴァージョンでカヴァーしていて、あのドラマティックなオルガンのイントロをギター1本で必死に再現しようとするジョン…泣けるというか笑えるというか)
…せっかくのアルバムだったが、メンバー3人の所持金を合わせても、150枚(!)プレスするのがやっと、という結論に達した。
そこで尽力したのがINDEXのマネージャー、ドゥワイト・コンガーだった。
しかしドゥワイトはメンバー3人の友人というだけでマネージャーを引き受けたに過ぎず、ロックにもカウンター・カルチャーにもまったく関心のないスクエアな男だったという。
当時ミシガン州立大学で、リチャード・ニクソンを支持していた唯一の学生だったとか(笑)。
アルバムへのクレジットを固辞したドゥワイトに対して、INDEXからのせめてもの花向けが、彼のイニシャルから取ってリリース元を“DCレコーズ”とすることだった…という(ええ話や)。
…それまで、ベーシストのゲイリー・フランシスが12弦ギターなども兼ねていたが(えっ、一発録りだというレコーディングはどーやってたんですか)、1968年、ゲイリーはリズム・ギターに専念することを決定。新たなベーシストとしてトム・バリューが加入し、INDEXは4人編成となる。
そして68年8月、バンドは“RED ALBUM”と呼ばれることになる2ndアルバムのレコーディングに入る。
今度はステレオ録音となり、サウンドは多少クリアになった。
実際、よりフォーキーな感じになったが、基本的には前作の延長線上だ。
(一発録りも前作同様)
…しかしプロではない学生バンドの悲しさ、音楽以外のことで煩わされることは多かった。
2ndアルバムのレコーディング後、1968年秋にはゲイリー・フランシスがINDEXを脱退する。
バンドは新たにダグ・ワイス(ヴォーカル)を迎えての4人編成となる。
その編成でレコーディングもしたものの、ジョン・フォードはイェール大学に進んで、ミシガンに戻る機会が減り。
トム・バリューとジム・ヴァリスも学業を優先せざるを得なかった。
結局、INDEXは69年後半に解散する。
…2010年に2枚組でリイシューされたINDEXのアルバム(画像)は、ディスク1が“BLACK ALBUM”と“RED ALBUM”の全曲、ディスク2が69年頃に録音されたらしい未発表音源(ヴォーカルはダグ・ワイス)、となっている。
しかしHUMAN BEING LAWNMOWERのジム・ヴァリスのインタヴューによると、1970~71年にかけて、ジムとジョン・フォードの二人で『JUST US』と題したINDEXの3rdアルバム用の録音…が行われていて、その音源が現存するという(!)。
それ以外にも、ジムが聴き直していないオープンリールのテープが存在するということで、この21世紀にINDEXの発掘音源がまだ出てくる可能性がある…というワケだ。
おお~。
(2023.10.18.改訂)
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