若い頃、“サイケデリック”というと、すぐに歪んだギターやワケのわからない音響効果を想った。何しろパンクの方を先に聴いていたもんだから、何事にも過剰さや先鋭さを求めた。
で、(前にも書いたけど)THE STOOGESとかTHE VELVET UNDERGROUNDとかを聴きまくっては、「サイケデリックは東海岸や中西部! ヘロインやコカイン! ハッパ吸って夢みたいなこと言ってる西海岸のヒッピーはダメ!」みたいなことを言い始めたワケで。
ヘロインもハッパもやったことなかったくせに(苦笑)。
…このブログでEARTH OPERAについて書いた時にも言ったような気がするが、その後有象無象のサイケデリックを聴き漁って、サイケデリックというモノをどんどん追求していくうちに、感覚も考え方も変わっていった。
(単にトシをとったというのも多分にあるとは思うが)
GRATEFUL DEADが、わざわざツイン・ドラムをフィーチュアして、カントリー・ロックみたいにしか聴こえないユルくて軽い音楽を追求していったのは何故か。
そもそもアメリカで“サイケの名盤”みたいに言われるアルバムが、どうしてカントリーとかのルーツ・ミュージックに傾倒した方向を示すのか。
そういうのが感覚としてわかるようになってきたのは、30歳過ぎてからだった。
そうなると、若い頃に軽視していた西海岸サイケデリックの良さが、じんわりと心に沁みるようになってくる。
そうして大好きになったのが、この1枚…QUICKSILVER MESSENGER SERVICEの5thアルバム。
西海岸のサイケデリック・ロックを聴いていて、特に俺が気にしているのは、どのバンドにもそのキャリアの中でほんの一瞬しか訪れない、アメリカン・サイケ特有の儚さ、センシビリティを獲得する瞬間。
その瞬間は、バンドによって違うが、大体1968~71年くらいの間に集中している。
そのバンドの、それ以前ともそれ以後とも違う脆さ・儚さを前面に浮かび上がらせた音。
QUICKSILVER MESSENGER SERVICEなら、このアルバムの頃。
ちなみに、後の再編作『SOLID SILVER』(75年)を除くと、ジョン・シポリナ(ギター)が参加した最後のアルバムになったのがコレ。
1stアルバム『QUICKSILVER MESSENGER SERVICE』(1968年)での、少々荒さの残る演奏でも、野太い(?)コーラスでもなく。
名作2nd『HAPPY TRAILS』(69年)での、豪快なボ・ディドリー・ビートでもなく。
もちろん、ゲイリー・ダンカン(ギター)を中心に復活した80年代以後の、ファンクやジャズの要素を色濃くした音でもなく。
(いや、どれもそれぞれに素晴らしいんだけど)
『WHAT ABOUT ME』にしかない、独特の浮遊感と繊細さ。
ディノ・ヴァレンティ(ヴォーカル)参加(というか復帰)後の諸作は評価の分かれるところみたいだが、このアルバム、個人的には本当に大好き。
ディノ・ヴァレンティの、ざらりとした感触なのに、手を伸ばして触れようとすると砂のように崩れ落ちてしまいそうなヴォーカルとか。
ジョン・シポリナの、金属的なのにエキゾティックにして酩酊感がこぼれ落ちるギターとか。
ニッキー・ホプキンスの、あの細長い顔を思い出さずにいられない夢見がちな(?)ピアノとか。
前作『JUST FOR LOVE』(1970年)ではディノがほとんどの曲を書いていたけど、『WHAT ABOUT ME』では各メンバーのソングライティングのバランスも絶妙。
特に、当時のメンバーの技量と持ち味がとんでもないレベルで1曲に結実したのが、名バラード「Long Haired Lady」。
空中に、蜃気楼のように揺らめく音像。
英語がまるで堪能でない俺の頭の中にも無限のイメージを喚起させる、ファンタジックな歌詞とヴォーカル。
涙なしには聴けない…なんていうのははっきり言って大げさだが、それにしても史上に残る名曲だと思う。
でもどうなんだろう、このブログ見てる多くの若い野郎どもが、予備知識とか経験値とかなしにいきなりこのアルバム聴いたら、「なんだこりゃ、ヌルいだけじゃん」とかなるのかしら…。
EARTH OPERAについて書いた時も、アクセス少なかったし、その後の反響も全然なかったしなあ。
ともあれ、アルバムのリリース前にニッキー・ホプキンスが脱退。
ジョン・シポリナも脱退し、COPPERHEADを結成。
ニッキーとジョンはその後TERRY & THE PIRATESで再び合流することに。
そしてディノ・ヴァレンティもジョンもニッキーも、もうこの世にいない。
(2023.1.18.全面改訂)
この記事へのコメント