…といいつつ、THE DOORSといえばやはりロック史上に残るカリスマ、ジム・モリソンの話から。
ジェイムズ・ダグラス・モリソン、1943年12月8日フロリダ生まれ。DOORSのデビュー当時「家族はいない、天涯孤独」とか吹きまくっていたジムだったが、実は父親は海軍のエリートで、つまるところ元々はボンボンだったと言ってもイイだろう。
父親の転任であちこちを転々としたジム少年はいつも転校生。なかなか友達も出来ず、一人家にこもって読書にふける、という暗い少年時代を送ったらしい。そんなジムが一生懸命読んでいたのはジャック・ケルアックをはじめとするビートニク文学だったという。
ビート・ジェネレーション…ケルアック、ウィリアム・バロウズ、アレン・ギンズバーグなんかによる、旧来の文学の枠組みにとらわれない自由な、時には背徳的な作風と独特の語法は、ジム以後もパティ・スミスやジム・キャロルなんかの文系ロッカー(?)に大きな影響を与えていく。
その後フロリダ州立大学に進学したジム・モリソンは、ニーチェやサルトルなんかの哲学、ランボーやブレイクなどの詩を愛好する文系青年の道を突っ走る一方、エルヴィス・プレスリーやボ・ディドリーといったR&Rにもハマっていった。しかしジムが最初に目指したのはロックンローラーではなく映像作家で、映画制作の夢を描いたジムは家族の反対を尻目に1964年1月、UCLAの映画学科へ転籍し、西海岸に移り住んだ。
同時期にUCLAにいて、その後映画の世界でビッグになったのはあのフランシス・フォード・コッポラだが、一方のジムはといえばどんどん音楽と詩作にその興味をシフトさせていくのだった。ドラッグ(LSDは1965年までは合法だったそうで)をキメては詩を書いて、というキャンパス・ライフを送っていたその頃、ジムはレイ・マンザレクと知り合うのだった…。
レイモンド・ダニエル・マンザレクは1939年2月12日、シカゴの生まれ。ジム・モリソンと同じUCLA映画学科の学生だった。子供の頃から正統なクラシックの教育を受けたピアニストでもあり、当時は兄のリチャード・マンザレクとRICK & THE RAVENSというバンドで活動していた(レコードも出していたそうで)。
レイ・マンザレクと意気投合したジムは、レイに幾つかの自作詩や曲を語ったり歌ったりして聴かせた。その中にはTHE DOORSの2ndアルバム『STRANGE DAYS』に収録される「Moonlight Drive」が既に含まれていた…というのは有名な話で、DOORSの核となる部分はバンド結成以前のこの時点でほとんど完成されていたという訳だ。
ジム・モリソンの才能にほれ込んだレイ・マンザレクはRICK & THE RAVENSの活動に見切りをつけて、早速ジムと新バンドをスタートさせる。1965年のことだった。THE DOORSというバンド名はよく知られるとおり、ウィリアム・ブレイクの詩から頂いたモノだった。ジム(ヴォーカル)、リック・マンザレク(ギター)、レイ(キーボード)、それにジョン・デンズモア(ドラム)というメンバーでデモ音源を作るが、バンドの活動が順調に進み出したのはリックが脱退して、新ギタリスト、ロビー・クリーガーが参加してからのこと。ここでDOORSのラインナップが完成する。ベースレスという特殊な編成(レコーディングにはセッション・ベーシストも参加したものの、基本的にはレイがベース・ラインを担当していた)。メンバーと音楽的方向性が固まったバンドはLA市内のクラブで活発にライヴをやるようになり、その特異なステージングはすぐに評判となる。
同じ西海岸のサンフランシスコではGRATEFUL DEADやJEFFERSON AIRPLANEといった新しいバンドが始動していたし、フォークの神様ボブ・ディランがエレキギターを持ってフォーク・ロックを演り始めたりと、当時既にロック音楽は3分間のラヴ・ソングだけじゃない深い歌詞と音を追い始めていた。それにしてもTHE DOORSのロックは他のどのバンドともまた随分違っていた。
まず、クラシックからフラメンコまで弾きこなす異能のギタリスト、ロビー・クリーガー。彼は当時のギタリストの神器(?)、ファズをまったく使用しなかった(あちこちで“キュイン”と斬り込むオブリガードは、ひょっとしてTHE SEEDSのジャン・サヴェージの影響?)。そこにクラシック畑出身のレイ・マンザレクのピアノとオルガンが絡むことで、サウンドに特有の透明感が生じていた。そしてそれらがジョン・デンズモアの微妙にジャジーなドラミングに乗ると、当時のフォーク・ロックともブルーズ・ロックとも違ったDOORSのマジカルなグルーヴが。
何よりも特異だったのは稀代のパフォーマー、ジム・モリソンの存在だ。黒い革のパンツをはいて体をくねらせ、ポエトリー・リーディングとR&Rの間を行きつ戻りつする官能的で挑発的なステージングは、イギー・ポップやパティ・スミスなんかに決定的な影響を与えている。そんなジムの個性がバンドの個性とぶつかり合って、テンションの高い独特のロックが生まれていた。
そしてバンドはエレクトラ・レコーズと契約を取り付ける。THE DOORSのデビュー・アルバムにして(多分)最高傑作、そしていわゆるロックの名盤的なポジションでも絶対に外すことの出来ないアルバム『THE DOORS』がリリースされたのは1967年1月だった。
これまで書いてきたDOORSの特異な音楽性はここにすべてそろっている。「向こう側に突き抜けろ!」と絶叫する1曲目「Break On Through」から濃厚な詩と演奏が爆発。長いギター・ソロやオルガン・ソロをフィーチュアした代表曲「Light My Fire」では独特なセンスに満ちた彼らの演奏の真髄を聴くことが出来るし、ウィリー・ディクソン「Back Door Man」のカヴァーにはこのバンドならではの奇妙なブルーズ・フィーリングが横溢。
ブレヒト/ワイルの曲を取り上げたロック・バンドというのも、DOORSが最初だろう。一方で、あまりにも美しく儚い「The Crystal Ship」があり。バンドの主役はジム・モリソンだった、と言い切ってしまってもいいのかも知れないが、これらの楽曲における、レイ・マンザレクのピアノやオルガンは実に貢献度が高い。
そして…60年代ロック最大の問題作のひとつ「The End」。シタールを真似たギターとタブラを真似たドラムに乗せて「これで終わりだ、美しき友よ…」と始まる序盤、そして「人殺しが夜明け前に目を覚ます。彼は古代の仮面をかぶっていて…」と歌われる中盤。その後ギリシャ神話に登場するエディプス(オイディプス)の悲劇的エピソード(父を殺し、母と交わる呪われた運命)を連想させる「父さん、俺はあんたを殺したい。母さん、俺はあんたを…」という背徳的な歌詞、それに続く絶望的な絶叫…。11分半の暗黒のドラマ。
THE DOORSの殺伐としたロックは、ヴェトナム戦争の泥沼にハマり込んでいたアメリカの、表向き健全なイメージ…にノーを突きつける一方で、その牙はラヴ&ピースを標榜する当時のロックにまつわる幻想をも暴き立てようとするモノだった(と思う)。パンクはヒッピー的なラヴ&ピースを否定したが、ジム・モリソンはパンクの10年前、まさにヒッピー全盛の時代にそれをやってのけていた訳で(同時期にそんなことをしていたのは、DOORS以外にはフランク・ザッパくらいのモノだろう)。
…DOORSのアルバムはどれも素晴らしいけれど、個人的にはやはりデビュー・アルバムに尽きる。もしDOORS聴いたことない、という人がいたなら、この1stアルバムだけは是非とも聴いておいて欲しいと思う。そしてどのアルバムにしても、お勧めしたいのは歌詞を読むこと。それも英詞で。意味がわからなくてもいい。英語の歌詞カードを眺めるだけで、その言葉遣いのリズム感と押韻の美しさはよくわかると思う。
さて、アルバム1枚でTHE DOORSは全米の人気バンドに上り詰める(シングル・カットされた「Light My Fire」は全米1位に)。ダークで危険極まりない歌とパフォーマンスを武器としながら、一方でその非凡なポップ・センスはDOORSを人気者にした。ここからはスター街道を全力で駆け抜けるのと奈落へ転落するのを同時進行で体験するような流転の日々が待っていた。
前作から1年も経たず、1967年12月には早くも2ndアルバム『STRANGE DAYS』をリリース。タイトルといい、よく言われるようにフェリーニの映画を連想させるジャケットといい、まさにストレンジな世界。タイトル曲をはじめ、「You're Lost Little Girl」「Love Me Two Times」「People Are Strange」etc…と、このアルバムも暗い詩情に彩られた名曲ぞろい。ジム・モリソンの歌も冴え冴えとしているが、演奏も多彩さを増し、鋭利さとポップさのバランスが見事。
…余談ながら、『STRANGE DAYS』リリース後の68年3月、ニューヨークのクラブでジミ・ヘンドリックスを中心に行われたジャム・セッションに、ジムが乱入した、というのはわりと有名な話。ジミの『WOKE UP THIS MORNING AND MYSELF DEAD』というブートでその時の音源が聴ける。しかし、完全に酔っぱらったジムは何か喚いているだけ…。
その後、またも前作から1年に満たない早さで1968年9月には3rdアルバム『WAITING FOR THE SUN』をリリース。前2作に較べてポップな作りで、シングル「Hello, I Love You」(THE KINKS「All Day And All Of The Night」のリフを大胆にパクったことで有名?)は「Light My Fire」に続く全米1位に。アルバム・リリースとほぼ同時に、初の(唯一の)ヨーロッパ・ツアーも行なわれている。
しかし…人気が頂点に達していた一方で、デビュー1年半にして、ジム・モリソンは既にポップ・スターを演じることに疲れ果てていたという。ステージでのスキャンダラスなパフォーマンスは自暴自棄にも近いエスカレートぶり(そもそも、持ち歌を粛々と歌うだけのステージは最初から目指していなかっただろう)。
ヨーロッパから戻ったTHE DOORSはアメリカ国内をツアーしていたが、69年3月1日のマイアミでのライヴで、ジムがステージで露出したとかオナニーしたとかのカドで逮捕される(真相は不明)。逮捕にまで至ったのは、南部マイアミだったから、というのがあったように思われる。西海岸だったらそんなことにはならなかったのかも知れない。
ともあれ、マイアミの一件がきっかけでツアーはキャンセルとなる。その後裁判などもあって活動がごたごたしたTHE DOORSだったが、それでもまたしても前作から1年弱の1969年7月にはアルバム『THE SOFT PARADE』をリリース。ソングライティングに占めるロビー・クリーガーの貢献度が更に増し、ロビー作詞作曲のシングル「Touch Me」はこれまた全米1位の大ヒットとなる。ただ、ホーンズやストリングスをフィーチュアしたにぎやかともいえるアルバムの音作りに反比例するように、かつての妖しくも緊密なテンションは減退気味に思える。
ちなみにこの時点でレイ・マンザレクは既に30歳になっている。DOORSが1stアルバムをリリースした時点で27歳。意外と遅咲き(?)なレイだった。
『THE SOFT PARADE』がリリースされた1969年7月、THE DOORSはライヴ活動を再開する。バンドは次の段階に向かいつつあった。そして、これまた前作から1年未満で、70年2月にはアルバム『MORRISON HOTEL』がリリースされる(当時のアルバムのリリース・ペースの早さにはまったく驚かされる)。前2作のポップな音から離れ、ブルージーな感覚をたたえつつハードめに仕上げられた好盤。冒頭の「Roadhouse Blues」を筆頭に、パワフルな演奏が聴ける。一方で、「Ship Of Fools」や「Indian Summer」といった詩情を持った作品も健在。しかし…ジャケットのジム・モリソンの顔が、丸い!…ドラッグとアルコールは確実にジムの体を蝕んでいた。
『MORRISON HOTEL』から半年も経たず、70年7月には、バンドの活動中に唯一リリースされたライヴ・アルバム『ABSOLUTELY LIVE』が登場。続いて71年4月、アルバム『L.A.WOMAN』がリリースされる。疾走感溢れるタイトル曲をはじめ、『MORRISON HOTEL』以上に力強いシャキッとした演奏が特徴の名盤。当時LAスワンプ・シーンで注目されていたマーク・ベノ(ギター:元ASYLUM CHOIR)がジェリー・シェフ(ベース:当時DELANEY & BONNIE & FRIENDS)と共にセッションマンとして参加しているあたりにも、バンドが新しい方向性を見据えていたことが窺われる。
…だが、ジムの才気と命の炎は既に燃え尽きつつあったのかも知れない。「Hyacinth House」や「Riders On The Storm」といったリリカルな曲が、まるで別れのあいさつのようにも聴こえる。ジム同様に60年代後半を駆け抜け、かつてニューヨークでジャムったジミ・ヘンドリックスは、『L.A.WOMAN』リリースの前年9月にこの世を去っていた…。
1970年12月を最後にTHE DOORSのライヴは行われず、『L.A.WOMAN』のレコーディングを終えたジム・モリソンはフランスに移住して、パリでの生活を開始した。しかしそれもわずかな間のことだった。…71年7月3日、ジムはこの世から消えた。27歳だった。パリでもやはりドラッグと酒にまみれていた(らしい)ジムは、浴室で心臓麻痺を起こしたと発表された。それはヘロインのオーヴァードーズによるモノだったらしいが、一方でDOORSのメンバーたちも、ジムの遺体は見ていない、と語っていたりして、いまだに生存しているなんて説まであったり。
ジム・モリソンを失ったTHE DOORSにはイギー・ポップ(!)加入の話も出たらしいが、結局バンドは残る3人での活動を選択する。レイ・マンザレクを中心にヴォーカルをとり、ジムの死から4ヵ月後の1971年11月には早くもアルバム『OTHER VOICES』がリリースされる。ジムとは違う声によるDOORS、を宣言するようなタイトルは、一方でジムの不在を強く意識させるモノでもあった。
…ジム抜きのDOORSの人気は振るわず。前作から1年も経たない72年8月にはアルバム『FULL CIRCLE』をリリースしたものの、コレもまったく売れなかったらしい。やはり新たなフロントマンが必要ということになり、73年にはイギリスで新ヴォーカリスト発掘のためオーディションも行なったという。しかし(当然ながら)、ジムの後任にかなう人材が見つかるはずもなく、結局バンドは解散となる。
73年のバンド解散後、ジム在籍時のベスト盤や発掘ライヴ音源の類がどれほど出たことか。その一方で、残されたメンバーにはジム存命中よりもずっとずっと長い、その後の人生がある(またはあった)訳で。
メンバー中最年長で、音楽面でのリーダーでもあったレイ・マンザレクは、自身の活動に入る(もちろんロビー・クリーガーとジョン・デンズモアにもBUTTS BAND以降それぞれの活動があったが、ここでは割愛)。レイは1974年に初のソロ・アルバム『THE GOLDEN SCARAB』(ラリー・カールトンやジョー・ウォルシュが参加)を、続いて『THE WHOLE THING STARTED WITH ROCK & ROLL NOW IT’S OUT OF CONTROL』(パティ・スミス他参加)をリリース。
その後レイは再びバンドでの活動をもくろみ、ナイジェル・ハリスン(ベース:SILVERHEAD~BLONDIE)らとNITE CITYを結成。77年に『NITE CITY』、78年に『GOLDEN DAYS, GOLDEN NIGHTS』をリリースした。しかし、成功には至らず(1stアルバムは昔よく中古盤屋で見かけた)。
ちなみに78年11月、THE DOORSの“新作”『AN AMERICAN PRAYER』がリリースされている。ジム・モリソンが70年12月8日(27歳の誕生日)に録音した自作詩の朗読テープに、レイたちDOORSのメンバーをはじめとするミュージシャンが演奏を重ねたモノだった。そして、皮肉なことにこのアルバムはNITE CITYやBUTTS BANDとは比較にならないほどのセールスを記録するのだった。
83年には前年に亡くなったドイツの作曲家カール・オルフの代表作をロック化するという試みのソロ・アルバム『CARMINA BURANA』をリリースするなど、80年代以降もレイは自身の活動を続けたが、むしろ目立っていたのは、DOORSを慕う若いバンド連中への助力の方ではなかったか、と思う。LAを代表するパンク・バンド、Xの初期4枚のプロデュースや、英国のECHO & THE BUNNYMENのDOORSカヴァー「People Are Strange」へのゲスト参加など。
90年代以降もジョン・デンズモアがTHE DOORSについての本を出したり、オリヴァー・ストーンがDOORSをネタに映画を制作したり、バンド/ジム・モリソンの伝説化は尽きることなく。21世紀に入ってDOORSの“再結成”などということもあったものの(THE CULTのイアン・アストベリーが歌った。2003年には来日も)、やはりレイをはじめとするメンバーたちには、何があってもジムの不在こそが強烈に意識されたのではないか、と思わずにいられない(個人的に、DOORSを考える上で、リアルタイムでジム抜きのDOORSから入った…という日本一のDOORSコレクター・野沢収さんの著書『ザ・ドアーズ 永遠の輪廻』に大きく影響されたせいか、とも思う)。レイの1997年のソロ・アルバム『THE DOORS, MYTH AND REALITY:THE SPOKEN WORD HISTORY』は、インストゥルメンタル1曲を除いて、CD2枚に渡ってレイがDOORSを語るというスポークン・ワードのアルバムらしい(流石に手が出ない…)。
80年代後半以降、元CRUSHED BUTLERのダリル・リード(ドラム)やビート詩人マイケル・マクルーア(ジムと親しかったという)とコラボレーションするなど、近年も活動を続けていたレイだったが、この5月20日、胆管癌により死去。74歳だった。
上に挙げた通り、ECHO & THE BUNNYMENが「People Are Strange」をカヴァーしているし、Xが「Soul Kitchen」を、SHAM 69が「Break On Through」を、RAMONESが「Take It As It Comes」を、THE CUREが「Hello, I Love You」を、BLUE OYSTER CULTが「Roadhouse Blues」を、THE DAMNEDが「L.A.Woman」を、ニコが「The End」を…と、カヴァーだけ見ても、THE DOORSが後世のバンドに与えた影響はまったく計り知れない。カヴァーだけでなく、THE STOOGESの「We Will Fall」を聴けばイギー・ポップがどれだけジム・モリソンの影響を受けているかは明白だし、そのあたり語り出せば本当にキリがない。
ジムのカリスマ性やバンドの楽曲だけでなく…レイ・マンザレクを偲ぶためにも、THE STRANGLERSがDOORSの影響下に、当時のパンクでは珍しいキーボード入りの編成だった…ということを、最後に挙げておこう。
レイの御冥福をお祈りします。
(2023.11.24.改訂)
この記事へのコメント
willy
かなりショックでした。
しかもThe Outsidersのロニー・スプリンター氏の訃報ありと・・・
ダブルショックですわ。
大越よしはる
コメントありがとうございます。
SLAYERのジェフ・ハンネマンを皮切りに、今月も訃報が続きますね…。
トレヴァー・ボルダーがまだ62歳だったことにも、驚かされました。
そして(俺は参加出来ませんでしたが)16年続いた「SOUND CAFE」も、今夜がラストです。