THE SHADOWS OF KNIGHT:JOE KELLEY追悼

SHADOWS OF KNIGHT.jpg 以下は、DOLL2007年4月号に掲載されたTHE SHADOWS OF KNIGHTの記事に、大幅に加筆訂正したモノです。このシリーズ、最近誰か死なないとやらない気がするけど、まあそれはそれとして。






 THE SHADOWS OF KNIGHT(実にカッコいいバンド名だなあ)。彼らの代表曲「Gloria」はTHEM(ヴァン・モリソン)のカヴァーだが、後々に与えた影響力はひょっとしたらTHEM以上のモノがあったかもしれない。イリノイ州から世界中の若い野郎どもをぶっ飛ばしたガレージの怪物。…しかしバンドにはそれ以後も長い歴史があった。
 バンドが結成されたのは1964年。シカゴ郊外の小さな街、アーリントン・ハイツでのことだった。当時のガレージ・パンクのお決まりのパターンに漏れず、60年代初めにサーフ・バンドをやっていたような連中がTHE BEATLESやTHE ROLLING STONESといった英国ビート・グループの登場に刺激されてR&BやR&R寄りの方向にシフトする中で、バンドは生まれた。最初は単にTHE SHADOWSと名乗っていたらしい。
 当時のメンバーはジム・ソーンズ(ヴォーカル、パーカッション)、ウォーレン・ロジャース(リード・ギター)、ノーム・ゴッチ(リズム・ギター)、ウェイン・パーセル(ベース)、トム・スキッフォー(ドラム)の5人。バンドはROLLING STONESやTHE YARDBIRDSといった英国バンドのカヴァー、そしてそれらのバンドのレパートリーだったブルーズやR&Bなんかを演奏して、すぐに地元の人気バンドになった。

 1965年、THE SHADOWSはアーリントン・ハイツのクラブ・THE CELLARのハウス・バンドとなる。そしてバンドはシカゴでもすぐに人気となり(一方でR&Rを悪魔の音楽呼ばわりするお堅い“大人たち”とのありがちな軋轢も大きかったようだが)、新興レーベルのダンウィッチ・レコーズがバンドに契約を持ちかける。65年秋、ベーシストがウェイン・パーセルからジョー・ケリーに、リズム・ギタリストがノーム・ゴッチからジェリー・マクジョージに交代したバンドはTHE SHADOWS OF KNIGHTと改名し、65年12月にはシングルのレコーディングに入った。
 そして66年1月にリリースされたのがシングル「Gloria / Dark Side」だ。そのシングルのA面曲「Gloria」は、SHADOWS OF KNIGHTを永遠に代表する名曲となった。名曲…というか、曲自体はヴァン・モリソンが在籍したTHEMのカヴァーだが。ともあれ、まるで黒人みたいに聴こえるヴァンのヴォーカルとはまた全然持ち味の違うジム・ソーンズの声。軽くて甘酸っぱいそのヴォーカルは、ヴァンが放つ渋みと激情の対極にあるような、10代の煩悩を垂れ流すような歌唱となっている(歌詞の一部も書き直されていた)。そして乱暴にドライヴする演奏。ある意味ガレージ・パンクのお手本のような1曲だと思う。

 果たして「Gloria」はシカゴのラジオで爆発的な反響を呼び、その人気は少し経ってアメリカ全土に拡大。1966年5月には「ビルボード」全米チャートで10位の大ヒットとなり、チャート内に3ヵ月留まり続けた。ダンウィッチはすぐに2ndシングル「Oh Yeah / Light Bulb Blues」、そしてデビュー・アルバム『GLORIA』をリリース。アルバムはメジャーのアトランティック・レコーズの配給を得る。一部のプレスはバンドを“アメリカのTHE ROLLING STONES”などと呼び…シカゴ界隈のローカルな人気バンドだったTHE SHADOWS OF KNIGHTは全米ツアーにTV出演と、今や全国区のスター街道を驀進していた。
 アルバム『GLORIA』は収録曲の大半がウィリー・ディクソンやボ・ディドリーなんかのブルーズやR&Bのカヴァーで占められている。やはりというか白人の若い野郎どもらしいタメのないビートでぶっ放される「I Got My Mojo Working」「Boom Boom」「You Can’t Judge A Book」といったカヴァー曲はガサツな勢いに満ち、実にR&Bパンクの真骨頂といった感じ(ほとんどがワンテイクでの録音だったらしい)。そしてアルバムは全米49位、シングル「Oh Yeah」は全米39位、とそこそこのヒットを記録する。

 …ところで、アルバムのレコーディング中に、ウォーレン・ロジャースとジョー・ケリーがリード・ギターとベースを交代するという事態が起こる。ジョーの方が明らかに演奏スキルが上だった、というのが主な理由らしいが、早くもこのあたりからバンド内部では少しずつ歯車が狂い始める。ガレージ・パンクは若き日の一瞬のきらめき…当然というか、旬は短い。
 1966年8月には3rdシングル「Bad Little Woman / Gospel Zone」がリリースされ、全米91位。66年10月には4thシングル「I’m Gonna Make You Mine / I’ll Make You Sorry」が90位。…チャート・アクションは一気に盛り下がってきていたが、音楽的なクォリティが落ちていた訳じゃない。特にジョー・ケリーの強烈なパワー・コードで始まり、トム・スキッフォーのドラムが縦横に暴れる「I’m Gonna Make You Mine」のラウドなビートは、まさにパンクのルーツというにふさわしい。実際、後に多くの90’sガレージ・バンドにカヴァーされている。

 1966年10月、シングル「I’m Gonna Make You Mine」と同時に、2ndアルバム『BACK DOOR MEN』もリリースされている。相変わらずカヴァー曲が多かったが、ジム・ソーンズのヴォーカルは黒っぽさを増し、オリジナル曲も充実、聴きどころは多い。インストゥルメンタル「The Behemoth」では既にサイケデリックな要素が入り込んできているのも聴き取れる(多分THE BYRDSのヒット曲「Eight Miles High」の影響があったモノと思われる)。
 しかし、『BACK DOOR MEN』は全米チャートにひっかかりもしなかった。そしてメンバー中で最もパンク的なアティテュードの持ち主だった(というか、奇行が多かった)ウォーレン・ロジャースはバンドをクビになり、『BACK DOOR MEN』でキーボードを担当していた“ザ・ホーク”ことデイヴ・ウォリンスキーが後任ベーシストとして加入することに。

 …商業的には明らかに下り坂だったとはいえ、バンドとしてのTHE SHADOWS OF KNIGHTにはこの頃まだまだ勢いがあった。THE CELLARでの当時のライヴ演奏を収めたアルバム『RAW 'N ALIVE AT THE CELLAR, CHICAGO 1966!』(1992年リリース)では、激烈なパフォーマンスが聴ける(ホークがベース初心者だったということが却ってイイ方に作用しているような)。
 しかし、バンドの活動には更なる影が忍び寄っていた。バンドは67年2月に、『BACK DOOR MEN』からのカットとして5thシングル「Willie Jean / The Behemoth」をリリース。A面のヴォーカルはトム・スキッフォーで、メロウなバラード・ナンバー。この時点で「Gloria」からは随分と遠くに来た気がするものの、出来は良い。しかし、ヒットとは無縁。67年…時代はガレージからサイケデリックに移行しつつあり、バンド内にもドラッグが入り込む。それにつれてメンバー間の軋轢も拡大。67年春には状況に嫌気が差したトムが脱退し、SHADOWS OF KNIGHTはガタガタになっていった。

 1967年8月、6thシングル「Someone Like Me / Three For Love」リリース(B面は『BACK DOOR MEN』収録曲で、ヴォーカルはジェリー・マクジョージ)。曲はよかったが、ホーンとコーラスを大フィーチュアした「Someone Like Me」のブラス・ロック/バブルガム的(?)アプローチは、今度こそ「Gloria」のあのバンドとはまるで別モノのように聴こえる。そしてTHE SHADOWS OF KNIGHTは「Someone Like Me」リリース前の67年7月には解散してしまっていた。
 バンド解散後、ジェリー・マクジョージはH.P.LOVECRAFTに加入。トム・スキッフォーとデイヴ・ウォリンスキーはBANGOR FLYING CIRCUSを、そしてジョー・ケリーは自身のTHE JOE KELLEY BLUES BANDを結成…と、メンバーは散り散りになる。


 …ガレージ・パンクとしてのTHE SHADOWS OF KNIGHTに限れば、話はここまでだ。しかしバンドの歴史は、実は終わっていなかった。ジム・ソーンズは一人でSHADOWS OF KNIGHTの名前を受け継ぎ、メンバーを集めて活動を再開する。新たなラインナップは、ジム・ソーンズ(ヴォーカル)、ウッディ・ウッドラフ(リード・ギター)、ダン・バーグマン(リズム・ギター)、ジョン・フィッシャー(ベース:元GLASS MENAGERIEのギタリスト。つまりTHE VELVET UNDERGROUNDのダグ・ユールと一緒にやっていた人)、ケニー・ターキン(ドラム)の5人。
 バンドはダンウィッチを離れてブッダ・レコーズと契約。バブルガム・ポップの制作チームとして有名なジェリー・カセネッツ&ジェフ・カッツのプロデュースを得て、1968年10月にシングル「Shake / From Way Out To Way Under」をリリース、全米チャート46位と健闘するのだった。「Shake」はポップなオルガンをフィーチュアしたバブルガムっぽい曲だが、「Someone Like Me」の次に来るシングルとしては自然な流れに思われるし、実際名曲。ガレージ系のDJイヴェントとかに行ってもよくかかっている。
 ブッダと契約したSHADOWS OF KNIGHTは、当時ニューヨークを拠点にしていたらしい。メンバーの中にボストンで活動していたGLASS MENAGERIEの元メンバーがいたのは、そのせいだろう(一方で、この時点でのバンドはイリノイ州の若者たちのバンドではなく、ジムを中心とした寄せ集めだった、ということも言えると思う)。

 ブッダ/カセネッツ=カッツの傘下で、バンドはバブルガム系ポップ・バンドのバッキングなどを務める一方、1969年に入るとカセネッツ=カッツのレーベル、スーパーKからシングル「My Fire Departments Needs A Fireman / Tour Us」がリリースされる。69年、既にLED ZEPPELINやGRAND FUNK RAILROADがデビューし、人気を博していた。最早サイケデリックの時代も過ぎ、シーンの主流はハード・ロック。ここでジム・ソーンズは臆面もなくハード・ロックへアプローチする。そしてコレがかなりカッコよかったりする。
 ブッダ/カセネッツ=カッツはTHE SHADOWS OF KNIGHTをバブルガム・ポップ系のバンドとして再ブレイクさせようと考えていたらしいが、ジムの方は時流に即したハード・ロックを志向していた。結局バンドはカセネッツ=カッツとの関係を解消したものの、契約が残っていた関係で、69年にはアルバム『THE SHADOWS OF KNIGHT』がリリースされている。元々まとまったアルバムとして制作されたモノではなく、カセネッツ=カッツがデモ音源その他を寄せ集めてでっち上げた1枚…といわれている。確かに内容は雑多ながら、まあ巷間言われるほど悪い内容ではない、と思う。

 ブッダ/スーパーKとの契約が切れると、今度は古巣アトランティック傘下のアトコ・レコーズからシングル「Gloria ’69 / Spaniard At My Door」がリリースされる。A面はオリジナルの「Gloria」にジム・ドンリンガー(ギター)とピーター・セテラ(ベース:CHICAGOのあの人)がオーヴァーダブしたとかいうモノだったらしい(未聴)。
 …ジム・ソーンズは、THE SHADOWS OF KNIGHTで再び成功することをまったく諦めていなかった。1970年8月には、アトコからの最後のシングルとなった「I Am The Hunter / Warwick Court Affair」をリリース。ウッディ・ウッドラフに代わって新たに加入したジャック“ホークアイ”ダニエルズ(リード・ギター)と、69年に加入したポール・スカーペリ(ドラム)をフィーチュアしたその曲は、完全にハード・ロックだ。ジムの、多分ロバート・プラントあたりを意識しまくったんだろう「アア~ッ!」というハイトーンのシャウトには苦笑するしかないが、しかしきちんと(?)当時のハード・ロックになっている。それはジムが昔の看板を使いながら、音楽の中身をリアルタイムに更新しようとしていた証でもあった。

 「I Am The Hunter」に続き、バンドは次のシングルでFREE(!)の「Fire And Water」をカヴァーしようとしていたとか、ニューヨークでアルバム用に録音した音源があるとかいわれるが、「I Am The Hunter」が商業的にまったく成功せず、バンドはアトコからも契約を切られる。そうしてシーンの変遷の中で消えていったTHE SHADOWS OF KNIGHTだった。
 …と思っていたら1992年になって、72年のライヴ音源(!)というのが発掘されて、一部で話題になった。そのアルバム『LIVE』(そのまんま)にクレジットはないが、当時のバンドは多分ジム・ソーンズ(ヴォーカル)、ジャック“ホークアイ”ダニエルズ(ギター)、ポール・ロイ(ギター)、リー・ブロヴィッツ(ベース:後にシンディ・ローパーとBLUE ANGELを結成)、ポール・スカーペリ(ドラム)の5人だったと思われる。かつての代表曲である「Gloria」や「Shake」も演奏しているものの、長いベース・ソロや速弾きのギター・ソロがバリバリ入るような、ツイン・リードのハード・ロックになっていて、ダンウィッチ時代のバンドしか知らない人が聴いたら、愕然とするだろう。最初から最後まで時代に流され続けたバンドだったともいえる一方、ジムがSHADOWS OF KNIGHTというバンド名を冠して音楽を続ける、ということにどれだけこだわっていたか、ということでもある。


 …90年代前半に、ジェリー・マクジョージが生まれ故郷のインディアナに帰省した際、地元のホリデイ・インでTHE SHADOWS OF KNIGHTが演奏しているのを見て、びっくりした…というエピソードがある。そう、ジム・ソーンズは70年代以降もバンドを続けていたのだ。
 70年代半ばのジムはSHADOWS OF KNIGHT以外のバンド名でもクラブ廻りをしていたらしいし(ポール・スカーペリは1972年に脱退したそうだが、ジムは少なくとも76年頃まではSHADOWS OF KNIGHTとしてやっていた様子)、70年代末には他のバンドのマネージャーをやったりもしていたという。その後80年代にはドラッグ絡みでしばらく刑務所に入っていたこともあったらしい(そしてジムは刑務所の中でもバンドをやっていたという…)。

 80年代後半、ジム・ソーンズは、出所後の何処かの時点で、THE SHADOWS OF KNIGHTを復活させていたらしい。そして地道な活動を続けて、ジェリー・マクジョージをびっくりさせることにもなったワケだ。そんなジムの根性(?)に、遂に時代の方が二回りくらいしてかみ合うことになる。
 80年代以降、ガレージ・パンクは若いバンドやリスナーによって再評価されるようになっていた。1984年にはライノ・レコーズの『NUGGETS』シリーズにSHADOWS OF KNIGHTが収録され、90年前後にはTHE DEVIL DOGSやTHE WOGGLESといったバンドが「I’m Gonna Make You Mine」をカヴァーしている。92年には『LIVE』や『RAW 'N ALIVE AT THE CELLAR, CHICAGO 1966!』が発掘リリースされ、94年にはベスト盤『DARK SIDES』も登場。98年には『GLORIA』と『BACK DOOR MEN』がリマスター再発となる。


 そして2006年、ジム・ソーンズとリー・ブロヴィッツを中心とする新生THE SHADOWS OF KNIGHTは、遂に『THE SHADOWS OF KNIGHT』以来となる新作アルバム『A KNIGHT TO REMEMBER』をリリースするのだった。06年10月には、リトル・スティーヴンの主催した“Rolling Rock & Roll Show”で堂々のトリを務めることになる。
 続く08年には(トッド・ラングレン抜きで)再結成したTHE NAZZとツアーし、アルバム『ROCK 'n’ ROLL SURVIVORS』(実に絶妙なタイトル!)もリリースしている。近年の音は、やはりというかかなりハード・ロック入っているが(見た目も)。
 最近はどうしているか知らないが、メンバーに交代がなければ、現在のメンバーはジム・ソーンズ(ヴォーカル)、リー・ブロヴィッツ(ベース)、マイケル・キャンベル(ギター)、マイケル・ジャンクロスキー(ドラム)の4人…のはず(ジムだけでなく、リーもかなりしぶといと思う)。


 …ともあれ、初期のTHE SHADOWS OF KNIGHTが、その後に与えた影響はデカい。「Gloria」は60年代のグループ・サウンズから70年代のパブ・ロック~ロンドンやNYのパンク勢(EDDIE & THE HOT RODSとかジョニー・サンダースとか)から90年代のガレージ勢(大阪のMAGNITUDE 3とか)まで本当に多くのバンドがカヴァーしているし、「Oh Yeah」はTHE DAMNEDがNAZ NOMADとかTHE SPOOKS名義で演奏していた。「I’m Gonna Make You Mine」は先に書いたとおり、THE DEVIL DOGSやTHE WOGGLESなんかがカッコよくカヴァーしているし、「I’ll Make You Sorry」はDEMONSがカヴァーしている。


 1965年にTHE SHADOWS OF KNIGHTに参加したジョー・ケリーは、それ以前もシカゴのブルーズ・バンドでプレイしていたという。SHADOWS OF KNIGHT解散前後には、「Time Won't Let Me」で有名なTHE OUTSIDERS(オランダじゃなくてアメリカの方)のシングル「Gotta Leave Us Alone」に客演もしたのだとか。
 68年にTHE JOE KELLEY BLUES BANDを結成したジョーは、そのバンドで10年以上活動し、その後もシカゴでブルーズをプレイし続けていたという。THE ALLMAN BROTHERS BANDやウィリー・ディクソン、フレディ・キングなどと共演し、シカゴのブルーズ・シーンでは一目置かれたギタリストだったらしい。2002年にはフランク・バンディ(ベース)、マーティ・バインダー(ドラム)とのトリオ編成で、唯一のソロ・アルバム『THE BLUE SHADOW』もリリースしている(アルバム・タイトルに“Shadow”の一語が入っているのにグッとクるのは、俺だけじゃないだろう)。
 そしてジョーは、去る9月1日に癌のため亡くなっている。ジョーの冥福を祈ると共に、ジム・ソーンズにはまだまだ頑張ってほしいと願う。


追記:
ちなみに、THE SHADOWS OF KNIGHTのメンバー中、その後プロフェッショナルなミュージシャンとして一番成功したのは、実はデイヴ“ホーク”ウォリンスキーであります。
キーボーディストやソングライターとして、RUFUSやCHICAGOやピーター・セテラやマイケル・ジャクソンやグレン・フライ他、幾多のレコーディングに参加している。

(2014.4.24.)


(2024.1.1.改訂)

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