…というワケで、以下の文章はDOLL2008年7月号に掲載されたザッパについての記事に、加筆訂正したモノです。ザッパの全体像に迫るなんてのはとても無理だし(そもそもアルバム全部なんて持ってない…)、DOLLはパンクの雑誌だったんで、ここではパンクに通じる反骨の人、という一面を中心にザッパを語っています。
このブログはパンクに限らずいろいろな音楽を取り上げているし、日頃ここを読んでくださっている皆様の中には、フランク・ザッパ聴いてるとか好きとかいう人は多いんじゃないかと思う。しかしパンク云々を持ち出すと、とりあえず音楽性の点ではザッパとの共通点はほとんど見出せないだろう。ただパンクの…ひいてはロックの本質のひとつであるエスタブリッシュメントとの対立と自由の追求、というのを考える上でザッパの活動は興味深い。
フランク・ヴィンセント・ザッパ。1940年12月21日に生まれ、93年12月4日に死す。
10代前半にはR&Bに入れ込み、10代半ばの時には現代音楽家エドガー・ヴァレーズに傾倒し、大学で音楽を学ぶ。ギタリストとしても有名なフランク・ザッパだが、ギターを始めたのは比較的遅く、18歳頃だったらしい(プレイヤーとしてはドラムの方が先だった)。R&Rが生まれる前の50年代初めから黒人音楽を聴き込み、ノイズ的な要素を大胆に取り入れたヴァレーズの前衛音楽に親しみ、クラシックの和声と作曲法、音楽理論も勉強したザッパ。R&Rが登場し、自身もギターを手にした50年代末以降には、それまでに受けたモロモロの影響を自分の作品に注ぎ込んで世に出て行くことになる。
フランク・ザッパは1964年にTHE MOTHERSを結成(後にTHE MOTHERS OF INVENTIONと改名)。66年にデビュー・アルバム『FREAK OUT!』をリリース。いきなりLP2枚組。MOTHERS結成からMOTHERS OF INVENTIONデビューにかけての時代は、ブリティッシュ・インヴェイジョン~フラワー・ムーヴメント直前の頃だ。ザッパももちろんそういう時代の影響は多少受けていただろうが、他の多くのロック・バンドとは違って、その時代そのもの、の音楽は演っていなかった(むしろいつでも流行には否定的だった)。ザッパが演ろうとしたのは、自身が根源的に影響を受けたR&Bと現代音楽、そしてその間にあるモノすべて。
『FREAK OUT!』の時点で、ザッパが目指したモノはとりあえずすべて入っていたし、その後の膨大な作品も、様々な方向性を持ちながら、実はすべてつながっている(はずだ)。その世界にはR&Bもジャズも現代音楽も全部あるし、演奏も歌詞もとにかく自分のやりたいことをやりながら、その根源にはそもそもロック・ミュージックの根源にある自由への希求…が強烈に渦巻いていた。
ジャズや現代音楽をロックと融合したとかいっても、そこにはR&Bやドゥーワップなんかも全部ごっちゃになっていたから、フランク・ザッパの音楽はいわゆるプログレッシヴ・ロックとはまるっきり違ったモノになっていた(逆に、言葉通りの“プログレッシヴ”なロックということも出来るかも知れない)。『FREAK OUT!』前半のR&B風な曲は同時代のガレージ・パンクっぽくも聴こえるだろうし(実際はかなり違うが)、アルバム後半(アナログD面)のアヴァンギャルドとかいうにはアホアホ過ぎる展開も、聴けばけっこう親しみやすい。ユーモアもたっぷり(かなり黒いしエロいが)。
アルバム・タイトルがすべてを物語っているといえるだろう。“Freak Out”とは、旧態依然の規範から抜け出すこと。何のためかといえば、それは“完全な自由”のために。
完全なる自由。果たして1967年にリリースされた2ndアルバムは『ABSOLUTELY FREE』と題されていた(画像)。前作同様R&B風な部分も多く、ガレージの定番「Louie Louie」をモチーフにした「Plastic People」なんて曲も入っているが、アルバム全体では現代音楽からR&Rまでを全部細切れに解体して再度ミックスしようとするような、前作以上にとんでもない展開を持つ作品。様々な曲調が切れ目なく続くだけでなく、1曲の中でも転調やリズム・チェンジがもの凄い。
当然、そんな演奏をこなすためには、とんでもない演奏力が求められる。完全なる自由、やりたいことを自由に全部やるために、必要とされるとんでもない鍛錬。自由には責任(あるいは義務)が伴う…とはよく言われることだが、フランク・ザッパのいう自由もまた、単なる野放図や無責任を自由と解釈するのとは180度違うモノだった。
やりたいことは全部やりたい、そんなフランク・ザッパは、形式としてのロックからも最初から自由だった。最初からオーケストラを持てたならオーケストラで演奏しただろうし、かといってオーケストラだからといって杓子定規なクラシックになるはずもなし。というか実際、1968年にはソロ名義でアルバム『LUMPY GRAVY』をリリースし、ここでオーケストラを導入している。
それと前後して、『ABSOLUTELY FREE』と同じ1967年にはTHE MOTHERS OF INVENSIONとしてアルバム『WE’RE ONLY IN IT FOR THE MONEY』をリリース。タイトルからいきなり“俺たちは金のためにやってるだけだ”という…何のことかと中ジャケを見れば、そこにはTHE BEATLES『Sgt.PEPPER’S LONELY HEARTS CLUB BAND』のパロディが。
あのTHE RESIDENTSがBEATLESの(悪意に満ちた)パロディを提示するのは70年代に入ってからのことだった。それに先んじただけでなく、BEATLES活動中のリアルタイムでやってのけたフランク・ザッパ、しかも単にBEATLESをネタにするだけでなく、それを通じて同時代のフラワー・ムーヴメントに痛烈なアンチを叩きつけている。ドラッグを介しての意識の拡張とか、ラヴ&ピースとか、ザッパは全然信じちゃいなかった。ロック・シーンの誰もがラリッてた60年代後半に、覚醒の先にしか自由だの本質だのは存在しない、と見極めていた、それがザッパだ。
『WE’RE ONLY IN IT FOR THE MONEY』には「Flower Punk」という曲が収録されている。曲名にまずびっくりするが、コレはもちろんパンク・ロックとは関係ない。ここでいう“Punk”とはこの言葉が本来持っていたチンピラとかそういう意味合いだ。THE LEAVES~ジミ・ヘンドリックスで有名な「Hey Joe」のメロディに乗せて、ザッパはビーズのネックレスを着けて花を手にしてサンフランシスコへ向かうヒッピーたちのノー天気な理想主義を徹底的に笑いものにする。
THE MOTHERS OF INVENTIONの名義は1970年のアルバム『WEASELS RIPPED MY FLESH』(LITTLE FEAT結成前のロウエル・ジョージが参加)を最後に使われなくなり、フランク・ザッパは単にTHE MOTHERSだとかZAPPAだとかいろいろな名義で、その後もとんでもないペースでリリースを続けていくことになる(75年のアルバム『ONE SIZE FITS ALL』は何故かMOTHERS OF INVENTION名義になっている)。そのすべてをここで紹介するのは無理な話だが…(デビューの66年からザッパが亡くなる93年までのオリジナル・アルバムだけでも40枚以上あって、俺も全部なんて持ってないし、ザッパの死後も音源が出ている…)。
…ともあれ、俺がフランク・ザッパとパンクの間に“結び付き”を見出したのは、もう20年ほども昔のことだったと思う。いつだったかのDOLL誌上にてDEAD KENNEDYSが特集されていて、その中にジェロ・ビアフラとザッパのツーショット写真が掲載されていたのでありました。
その頃は単に「おお」とか「ふーん」とか思って済ませていた俺だったが、ずっと後になってからその写真の持つ意味について思い当たり、ハッとした。…DEAD KENNEDYSといえば、1985年のアルバム『FRANKENCHRIST』に添付されたポスター(H.R.ギーガーの手になる)が猥褻のカドで問題になり、裁判に苦しんだバンドだ。一方ザッパといえば、歌詞の面でセクシュアルな部分を重視し続けた人(シリアスなインストゥルメンタルがある一方で、強烈に変態じみた歌モノを作り続けた。特に有名なのは「The Illinois Enema Bandit(イリノイの浣腸強盗)」だろう)。
『FRANKENCHRIST』と同じ1985年に、フランク・ザッパはアルバム『MEETS THE MOTHERS OF PREVENSION』をリリースしている。当時のアメリカでは議員の奥様方によるPMRCという団体が活発に活動していて、ロックの反社会的な歌詞を検閲し規制しようという動きが取り沙汰されていた。アメリカのロック界でも猥褻な歌詞が抜群に多いことで有名な(笑)ザッパも目をつけられて…というか目をつけられる前から、PMRCやなんかの動きに対して積極的に反対の姿勢を見せていたのだった。ロック・ミュージシャンの立場を代表して上院議会の公聴会にも出席している。『MEETS THE MOTHERS OF PREVENTION』は公聴会の模様をサンプリングしたりもして、検閲反対のメッセージを打ち出したアルバム。そうか、DOLLに載っていたあの写真は、ザッパとジェロ・ビアフラが「おお、同志よ」とか言ってたところか。もっとも、ザッパは60年代からずっとお上に楯突き続けていたんだが(猥褻云々に関しては若い頃に警察のおとり捜査で不当逮捕され、刑務所にぶち込まれたこともあり)。
歌詞に関しては言葉遊びなどが多く、ザッパ自身も歌詞にあまり意味はないなどと発言しているが、『MEETS THE MOTHERS OF PREVENTION』以外にも政治的だったり反体制的だったりする内容のアルバムは多い。『JOE’S GARAGE ACTⅠ~Ⅲ』(79年)ではSFの体裁をとりながら表現の自由を抑えつけようとする国家との戦いが描かれていたし、アメリカ大統領選挙に合わせてのツアー(88年)の模様を収録したライヴ盤『BROADWAY THE HARDWAY』(89年)では共和党政権や拝金主義の教会をコケにするような歌詞が聴ける。
ともあれ徒党を組むことなく自身の自由を追求し続けたフランク・ザッパ、実のところパンクに対しても「ヒッピーと変わらない」と否定的だったらしいが、自分自身がやりたいことをやり続けたのと同様に、どんなロックであれその表現は自由に行なわれるべきだという姿勢は堅持。検閲や規制には最後まで反対し続けたし、インディペンデント・レーベルの有用性・重要性は誰よりも認識していた。当然心情的にはDEAD KENNEDYS(というかジェロ・ビアフラ)に近かったはずだ。
実際、よく“難解”とかいわれる(アルバムにもよるが、意外とそうでもないと思う)、少なくとも商業主義的ではない音楽(1969年の『HOT RATS』が全英1位とか、74年の『APOSTROPHE(‘)』が全米10位とか、売れたアルバムもある)…を創造し続けたザッパの周囲には、かつて契約していたMGMやワーナーといったレーベルとのトラブルが多発。ザッパは昔のアルバムの版権を自分で買い取って、自分のレーベルから再リリースしたりということを活発にやっていた。彼はインディーズの古参(?)でもあったのだ。
60年代から90年代まで、同時代のどんな音楽とも較べられないくらいの極端にハイテクな演奏を前面に出したフランク・ザッパ。そんなワケで、先に書いたとおり、アティテュードはともかくとして音楽的にはパンクとの親和性は限りなく低かったが、反体制的な姿勢、ユーモラスで皮肉に満ちた歌詞、ソリッドでアヴァンギャルドな演奏はパンクの前後や周辺に位置するいろいろなミュージシャンに大きな影響を与えている。
まずはTHE MOTHERS OF INVENSIONの名曲「Who Are The Brain Police?」からバンド名を付けた、我が日本の頭脳警察。同じく名曲「Plastic People」から命名したチェコのアンダーグラウンド・バンドPLASTIC PEOPLE OF THE UNIVERSE。これまた名曲「King Kong」をカヴァーしたTHE RESIDENTS。ここまではパンク以前の話だが、パンク以後の1978年には元THE DEVIANTSのミック・ファレンが「Trouble Every Day」をカヴァー。あと、カヴァーじゃないが、その「Trouble Every Day」とマーヴィン・ゲイの「Trouble Man」にインスパイアされて「Trouble Man Every Day」なんて曲を作ったミック・コリンズ(THE DIRTBOMBS他)なんてのもいた。
…で、ここ数日、久しぶりにフランク・ザッパを聴き直してるけど、影響力やらアティテュードやら置いても、やっぱり何より聴いて面白いや、ザッパ。画像は『ABSOLUTELY FREE』ですが、今夜は『SHUT UP 'N' PLAY YER GUITAR』(1981年)。
追記:
あっ、気が付いたらアクセス数が55万件超えている。
皆様、ありがとうございますありがとうございます。
(2013.12.19.)
(2024.3.5.改訂)
この記事へのコメント
大越よしはる
コメントありがとうございます。
俺が持ってる昔の国内盤CDの邦題は「ザ・ギタリスト・パ」といいます(笑)。
確かにフランク・ザッパ、なんと記名性の強いギターを弾くことか。
晩年の作品で本人のギターがほとんど聴けないのはちょっと残念ですね。
Fripper
「黙ってギターを弾いてくれ」、最高ですよね。
いろんな側面で語られるザッパですが、リード・ギター・プレイヤーとしても凄いと思います。
あの弾力のある音色とフレーズが...