THE MONKS:GARY BURGER追悼

MONKS.jpg 世界にガレージ・パンクの嵐が吹き荒れた1966年に、“ザビエル系サイコティック・ガレージ”(?)をぶちかましたミラクルなバンド、THE MONKS。そのフロントマンだったゲイリー・バーガーが亡くなったという。
 以下はゲイリーへの追悼の意を込め、DOLL2004年7月号(もう10年前か!)に掲載されたMONKSについての記事に大幅に加筆訂正の上再掲載するモノです。
 DOLL誌掲載当時、資料面において音楽ライター・白谷潔弘氏に多大な協力をいただきました。ここで改めて白谷氏に感謝の意を表します。


 時に1964年。世界はアメリカ合衆国とソヴィエト連邦の“冷戦構造”真っただ中で、東西に分断されていたドイツは一触即発の状態だったし、アジアではヴェトナムがヤバいことになっていた。一方で、THE BEATLESが世界を席巻しつつあった。そのBEATLESが下積み時代を過ごした西ドイツでは、その頃多くのビート・グループが国中に溢れていた。
 そんな中で、61年からフランクフルトに駐留していたアメリカ兵たちによってTHE FIVE TORQUEYSが結成される。当時のレパートリーはやはりというかBEATLESやTHE ROLLING STONESやTHE KINKSなどの英国ビート、それにチャック・ベリーやTHE BEACH BOYSといった米国R&RやR&Bなどのカヴァーが中心。この時点では、音楽性も髪型も普通だった。

 THE FIVE TORQUEYSのメンバーたちは軍を除隊した後も西ドイツに残ってバンド活動を続けることに。そうして活動を続けるうちに(当然のことながら)オリジナルを志向し始める。1965年にはシングル「Boys Are boys / There She Walks」をリリース。A面の「Boys Are Boys」は後にTHE MONKSでも再録されているが、この時点ではかなりユルめなポップ・ソングだ。
 しかし、バンドがオリジナルなサウンドを追求するうち、音楽性はオーソドックスなR&R/R&Bからかけ離れていき、ドラマーも交代。リズム・ギタリストだったデイヴ・デイはエレクトリック・バンジョーにコンバート(この時点でバンジョーを選択するあたりが、既に狂ってる)。
 新しい音楽性に合わせて新しいバンド名を。そして彼らはTHE MONKSと名乗るようになる。メンバーはゲイリー・バーガー(ヴォーカル、ギター)、デイヴ・デイ(エレクトリック・バンジョー、ヴォーカル)、ラリー・クラーク(オルガン、ヴォーカル)、エディ・ショウ(ベース、ヴォーカル)、ロジャー・ジョンストン(ドラム、ヴォーカル)の5人。もうカヴァー曲は演っていなかった。

 …自分たちのバンドに“僧侶”と名付けるセンスがそもそもよくわかりません。しかも黒い僧服とロープのネクタイでキメただけでは飽き足らず、THE MONKSの5人は頭を剃ってザビエル風にしてしまう(俺だったら絶対イヤだ!…実際、ロジャー・ジョンストンは最初抵抗したらしい)。インパクトはある、確かにインパクトはあるが…どーしてこんなこと考えたんだろうな~…(マネージャーのアイディアだったらしい)。ともあれ、フツーのビート・グループとは似ても似つかないルックスとなったMONKSはかつてTHE BEATLESも出演していたハンブルクのTOP TEN CLUBでライヴ活動を開始し、大評判となった。
 当時のレコーディング風景の写真を見ると、メンバーが普通の髪形をしていたり帽子をかぶっていたりするモノもあるんで、最初から最後までずっとザビエル・カットで通していたワケじゃなくて、多分撮影とかツアーとかの時だけ例のヘアスタイルにしていたのではないかと推測される。それにしても、それにしてもだ…やっぱり普通の神経じゃないと思う。

 ドイツ・ポリドールは70年代にジャーマン・ロック最大の奇形バンド、FAUSTを世に送り出したレーベルだが、1965年にTHE MONKSと契約した時点で十分に狂ってたと言ってイイだろう(そして、FAUSTは実際MONKSに影響を受けていたという)。バンドはシュツットガルト(ポルシェの本拠地だ)でレコーディングに入る。アルバム1枚分の音源が完成したものの、それは何故かお蔵入りに。ともあれバンドはTHE EASYBEATSやTHE CREATIONやTHE KINKSといったバンドのドイツ・ツアーでサポートを務めたり、有名なTV番組「BEAT CLUB」に出演したりと活動を続けていた。

 その後改めてレコーディングした音源は無事にリリースにこぎつけ、1966年3月、シングル「Complication / Oh, How To Do Now」とアルバム『BLACK MONK TIME』が発売される。当時のTHE MONKSは深夜3時までのステージを毎晩続ける人気だったらしいが、それはキテレツなルックスのせいではなくその最高にイカレた音のせいだったということは、このアルバムを聴けばよくわかる。
 ひたすらプリミティヴかつシンプル、しかし猛然とドライヴするリズム・セクションにブチ切れたオルガンと歪んだギターが絡む。そこにアンプリファイされたバンジョーが“がっちょんがっちょんがっちょんがっちょん”…ガレージとかいうよりは、ほとんどインダストリアルみたいに聴こえる。異常に覚醒的なビート。リズム・セクションの二人は元々ジャズ志向だったとかいうが、この時点でMONKSは黒人音楽の影響から完全に自由だ。
 そしてその直情的アンサンブルに、ゲイリー・バーガーのすっとんきょーなハイトーン・ヴォーカルが斬り込む。しかもその歌は“ひーぐるだーいーぴーぐるだーいーひぐるだーいーぴーぐるだい”とか“おはだどぅっなっおはだどぅっなっ”とか呪文みたいなコーラスに乗せて、短いセンテンスの歌を執拗に反復するというインパクトありまくりのスタイル(後期THE STALINが目指した“タンク(短句)・ロック”とはこのようなモノであったか?)。音楽的にはTHE PRETTY THINGSの影響を受けていたらしいが、それでどうしてこうなるのか、さっぱりわからん。

 THE MONKSのメンバーたちは、THE BEATLESをはじめとする、ラヴ・ソング中心のポップなR&Rに飽き飽きしていた(当時“We Are The Anti-BEATLES!”と宣言したりも)。MONKSは軍隊生活から生まれたバンドだったし、彼らが駐留していた西ドイツは冷戦の狭間で混乱した状況にあった。そんなモロモロは当然ソングライティングにも影響しないはずがない。ゲイリー・バーガーが歌詞の題材としたのは“戦争”“死”“憎悪”といった、当時のバンドがほとんど取り上げていないようなテーマだった(こういうネガティヴな歌詞は、通常この少し後のTHE DOORSやTHE VELVET UNDERGROUNDなんかから始まっている)。そして黒いユーモア。アルバムの曲名を見ても「黙りやがれ」とか「オマエが憎い」とか「酔っ払いのマリア様」とか…。MONKSの5人は、同時期の母国アメリカのガレージ・パンクともまたかなり違う感覚を獲得していた。『BLACK MONK TIME』リリースの翌年・1967年にはそこいらじゅうでラヴ&ピースが叫ばれるようになるというのに、MONKSは66年の時点で既にパンクな歌を歌っていたワケで。

 バンドはドイツ国内で活動を続けながら、母国アメリカのポリドールからも『BLACK MONK TIME』をリリースしようとしたが、実現しなかった。英語が通じにくいドイツならいざ知らず、聖職者の格好をしたバンドが「Shut Up」とか「I Hate You」とかいう曲を歌ってるってのは、やっぱりちょっと、というかかなりヤバかったんだろう。
 一方、ライヴ活動は盛況だったものの、儲かるというワケでもなく。そしてアルバム、シングルともセールスは思わしくなく。ゲイリー・バーガー、エディ・ショウ、ロジャー・ジョンストンの3人は既に結婚して家庭を持っていたが、生活は苦しかった。THE MONKSは軌道修正を強いられる。

 果たして、2枚目のシングル「Cuckoo / I Can’t Get Over You」はかなりポップな仕上がりになっていた。続く1967年の3rdシングル「Love Can Tame The Wild / He Went Down To The Sea」は更にソフトなサウンドになっていて、ワイルドでフランティックな持ち味はまったく失われてしまうのだった(そしてセールスも上向かず)。2ndアルバム『SILVER MONK TIME』の制作及び、ヘリコプターでタイやヴェトナムやインドネシアやシンガポールや香港や日本を回って各国駐留のアメリカ兵を慰問する、というアジア・ツアーを計画していたTHE MONKSだったが、それらの構想を実現出来るあてはどこにもなかった。
 そうこうするうちロジャー・ジョンストンがバンドを脱退し、妻と共にアメリカに帰ってしまう。とりあえずバンドは新しいドラマーを加入させて活動を継続したが、音楽的方向性を巡る対立やメンバー間の人間関係悪化などで、68年には解散となる。


 バンド解散後、デイヴ・デイ以外のメンバーは各々地元(ゲイリー・バーガーはミネソタ、エディ・ショウはカリフォルニア、ラリー・クラークはシカゴ)に帰って行った。一人ドイツに残ったデイヴは、その後9年間世捨て人同然の生活を送ったとか。
 その後、エディがCOPPERHEADというバンド(QUICKSILVER MESSENGER SERVICE人脈の同名サイケ・バンドとは別)に参加したり、デイヴがソロ名義でシングルを出したりした以外は目立った音楽活動もなく。ゲイリーはミネソタでAV機器の会社を興し、エディはCOPPERHEADの後、小さな出版社を経営。ラリーは地元の大学を卒業して定年までIBMに勤めたという。THE MONKSはほとんど忘れられた存在になっていた。

 だが80年代半ばにガレージ・パンクの発掘が進むにつれて、THE MONKSもパンクの元祖として少しずつ再評価されるようになる。1992年にUGLY THINGS誌で特集された頃から注目されるようになり、94年にはドイツの再発レーベルとして有名なレパートワーから『BLACK MONK TIME』が正式に再発されて、誰もがMONKSの強烈なサウンドに触れられるようになった(俺が初めてMONKSを聴いたのもその頃だ。もの凄い衝撃だった。こんなのガレージ・パンクじゃないと思った)。同じ94年にはエディ・ショウによるバンドのバイオ本『BLACK MONK TIME』も出版されている。

 その後1999年には65年録音のお蔵入り音源も『FIVE UPSTART AMERICANS』(画像)としてCD化されている。『BLACK MONK TIME』よりは気持ちユルいが、THE MONKSの音楽性はこの時点で完成していたことがよくわかる(THE FIVE TORQUEYSの音源も収録。MONKSの初期音源集はその後もリリースされている)。
 そして99年11月、ニューヨークで開催された「CAVESTOMP FESTIVAL」で、MONKSは復活する(あの“Mr.NUGGETS”レニー・ケイの仕切りだったらしい)。フェスティヴァルのトリを務めたというこの時の演奏は録音されて、2002年にライヴ・アルバム『…LET’S START A BEAT!』としてリリースされた。約30年ぶりの再結成とはとても信じられないぐらいにそのまんまな演奏にシビレる(アルバムの最後にはレニーも登場)。「Pretty Suzanne」「Hushie Pushie」といった、『BLACK MONK TIME』に入っていない曲(『FIVE UPSTART AMERICANS』録音当時のレパートリー)も聴けて、かなり興味深い。

 元祖パンク的な音を出していながら、長い間忘れられた存在だっただけに、THE MONKSが70年代のパンクに影響を与えたとかカヴァーされたとかいう話は聞いたことがないが、80年代半ば以降に再評価が進んでからは、ジョン・スペンサーをはじめとする多くの尖ったミュージシャンが多大なリスペクトを表明している。個人的に一番身近だったのは、日本が世界に誇るフリークアウト・ガレージ・モンスターTEXACO LEATHER MANの存在だ。彼らのライヴでオープニングを飾った「Fun」(TEXACO LEATHER MANのアルバム『DUKE』にも収録)は、MONKSの代表曲「Monk Time」の替え歌(?)だった。
 2006年には前述のジョン・スペンサー以下、アレック・エンパイア、THE RAINCOATS、アラン・ヴェガ(元SUICIDE)をフィーチュアしたSILVER APPLES、THE FALL、PSYCHIC TV、S.Y.P.H.、アレクサンダー・ハッケ、THE 5.6.7.8’s、FAUST他、ジャンルも国籍も超越した豪華メンツによるMONKSトリビュート・アルバム『SILVER MONK TIME』もリリースされている。ゲイリー・バーガーも2曲に参加し、アレック・エンパイアとFAUSTとのコラボレーションが聴ける。

 そうして再評価の機会を得たTHE MONKSだったが、2004年11月8日にロジャー・ジョンストンが亡くなる。その後も07年まではライヴ活動を行なっていたものの、08年1月10日にはデイヴ・デイが亡くなっている。そしてこの3月14日、ゲイリー・バーガーが膵臓癌により72歳で亡くなったとのこと。
 1999年の再編時には(60年代に計画していた)日本行きも熱望していたというMONKS。もうライヴを観ることはかなわなくなったが、その強烈なサウンドは音盤に刻まれ、いまだその強烈さを失っていない。


(2024.4.17.改訂)

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