THE DICTATORS。単なるニューヨーク・パンクの一バンドじゃなく(というかNYパンクの中でもかなり変なポジションにいたバンドだが)、後々に至るまで影響は大きい…にもかかわらず、ここ日本での評価はあんまり高くない、気がする。しかしそういうバンドこそ俺の好物だったりする(笑)。ともあれ改めて DICTATORSを紹介しよう。
THE DICTATORS。アンディ・シャーノフ(ベース、ヴォーカル)とスコット“トップ・テン”ケンプナー(リズム・ギター)がTOTAL CRUDDというバンドにいたロス“ザ・ボス”フニチェーロ(リード・ギター)を引き入れて新たなバンドを結成したのは1973年初頭。バンドの頭脳であるアンディはファンジンもやっていたディープなR&Rファンで、ガレージ・パンクやデトロイト・ロック、それにFLAMIN’ GROOVIESなんかをディグしまくっていた(あとプロレスも)。バンド結成の時点でベース未経験だったアンディだが、数年後にはニューヨークでもロンドンでもそんなバンドは珍しくなくなる。
初ライヴは73年冬、BLUE OYSTER CULTとIGGY AND THE STOOGES(!)の前座としてだったという。ドラマーは何人か交代したが、ステュ・ボーイ・キングが参加したところでバンドは本格的に始動する。
…と、ベーシックな4人編成のバンドとしてスタートしたDICTATORSだったが、トップ・テンの旧友でローディー兼コックとしてバンドに関わっていたリチャード・ブラム…この男がDICTATORSの強烈なスパイスとして炸裂することに。ずんぐりした体型にアフロ・ヘアというリッチー・ブラムはマッチョ志向でFuck Youアティテュード、そしてプロレスファン。とにかく強烈にキャラが立ちまくった男で、リッチーはその個性を買われて時々バンドと一緒にステージに立つ様になる。ステージネームはハンサム・ディック・マニトバ!…ステージネームというよりはほとんどリングネームだが。
ほとんどの曲を書いて、バンドを牽引していたのはアンディ・シャーノフ。傑出したプレイヤーではなかったアンディだが、英国ビートからTHE BEACH BOYSなどのアメリカン・ポップ/R&R、そしてTHE STOOGESやMC5なんかのデトロイト・ロックまで聴きまくっての蓄積による体系的音楽知識、そして非凡な作曲センス…はホンモノだった。アンディのポップでハードな楽曲とロス・ザ・ボスのハード・ロックなギターをミックスして、THE DICTATORSは自分たちの音楽性を研ぎ澄ましていく。
…とはいえDICTATORSがラインナップを固めて活発に活動するようになった時点では、当然ながらニューヨーク・パンクとかクラブ・シーンとかは存在していなかった。DICTATORSは主にメジャーなバンドの前座でオーディエンスに無視されながら実力を磨いていくのだった。DICTATORSの音楽性が多分にハード・ロック的なのは、メンバーの趣味趣向もさることながら、前座での苦労をバネにして、大向こう受けしやすいわかりやすさを狙った…ということもあったと思う。
いずれにしても極めて独自なTHE DICTATORSのスタイル。BLUE OYSTER CULTを世に送り出し、後にTHE CLASHの2ndアルバムをプロデュースしたことでも知られるサンディ・パールマンはこのバンドに目をつけて、マネージメントとプロデュースを手がけていた。そしてパールマンとDICTATORSは大手エピックとの契約を取り付けて、1975年に1stアルバム『GO GIRL CRAZY!』をリリースする。
SONNY & CHERの「I Got You Babe」やTHE RIVIERASの「California Sun」といった60年代のヒット曲カヴァーを交えながら、極めてポップなメロディとメタリックなギターが融合。そしてアメリカの若い野郎どもの生活を等身大に切り取った歌詞。当時から売れなかったらしいし、意外なほど評価されていないアルバムだと思うが、80年代後半以降のポップ・パンクとかファン・パンクの類には大きな影響を与えていると思う。
00年代後半をあっという間に駆け抜けたあのロマーンズ…も日本語でカヴァーしていた「California Sun」はRAMONESのヴァージョンで有名だが、DICTATORSのヴァージョンはRAMONESよりも2年も早かった。そして名曲「Teengenerate」は日本のパンク史上に残るバンド名にもなっている。
この時点ではリード・ヴォーカルはあくまでアンディ・シャーノフ。ハンサム・ディック・マニトバは“秘密兵器”とクレジットされて、あちこちで声を張り上げている。何しろインパクト大だったのは有名なアルバム・ジャケットだろうが。
で…アルバムは、売れなかった。バンドはエピックから切られ、ステュ・ボーイ・キングもいなくなった。新しいドラマーとしてリッチー・ティーターが加入したが、アンディ・シャーノフは何を思ったかキーボードに転向。ハンサム・ディック・マニトバよりもでっかいアフロ・ヘアを誇るマーク“ジ・アニマル”メンドーサが新ベーシストして参加した。
サンディ・パールマンはエピックに代わってエレクトラ/アサイラム・レコーズとの契約を取り付けて、THE DICTATORSの2ndアルバム『MANIFEST DESTINY』は1977年にリリースされた。アフロ/カーリー・ヘア率の高いメンバーがキーボード含めて6人も、なんかメタルっぽい格好してポーズをキメている…というジャケットもアレだが、中身もわりとハード・ロック寄り。ハンサム・ディック・マニトバは秘密兵器から正式なリード・ヴォーカリストに昇格したものの、実のところヴォーカルはマニトバ、アンディ、そしてリッチーの3人で分け合っていた。
歌モノっぽいソフトな(?)曲に聴きどころが多く、パンクっぽいとは言い難い『MANIFEST DESTINY』だが、最後にいきなりIGGY AND THE STOOGESのカヴァー「Search & Destroy」なんてのが入っていたりする。大歓声をかぶせたライヴ仕立てでスタジアム・ロック風に(?)ぶっ放される演奏ぶりは、IGGY AND THE STOOGESのオリジナルとも同時期のDEAD BOYSのヴァージョンともまるっきり違う、DICTATORSならではの味わいだ。
そして1978年には3rdアルバム『BLOODBROTHERS』がリリースされる。マーク・メンドーサが脱退し(後にTWISTED SISTERに参加)、アンディ・シャーノフがベースに復帰しての5人編成で、ハンサム・ディック・マニトバが改めて全曲を歌うリード・ヴォーカリストとして君臨することに。
中身はといえば、1曲目「Faster & Louder」からラストのFLAMIN’ GROOVIES「Slow Death」カヴァーまで、ソリッドなリフが炸裂しまくり、これまでのTHE DICTATORSには聴かれなかった硬質なスピード感に貫かれた素晴らしいアルバムに仕上がっている。名曲「Stay With Me」は後にあのTHE DEVIL DOGSにカヴァーされたし、「No Tomorrow」はレーベルの名前にもなった。ロイ・ロニー在籍時のFLAMIN’ GROOVIESやMC5の2ndアルバム、そしてDEVIL DOGS周辺のロッキン・パンクとかいわれた連中が好きならマストな1枚だ。
しかし…やっぱり売れなかった。THE DICTATORSはエレクトラ/アサイラムからも契約を切られてしまう。バンドは当時既に「16 Forever」「Loyola」といった後々まで語り継がれる名曲を生み出していたものの、それらは宙に浮いたまま、DICTATORSは解散を余儀なくされるのだった(前後して『TATORS ALIVE』という限定ライヴ盤が出ているが、激レア)。
…ところが、バンドの歴史はそこで終わりじゃなかった。ロス・ザ・ボスはSHAKIN' STREET~MANOWARでメタル道を追及し、スコット“トップ・テン”ケンプナーはTHE DEL-LORDSでソウルフルなR&Rをプレイ…とメンバーそれぞれの活動に入っていながら、DICTATORSはその後も毎年のように再結成ライヴを繰り返し、1981年のライヴはROIRから『FUCK'EM IF THEY CAN'T TAKE A JOKE』としてカセットでリリース、後にはCD化もされた(98年には『NEW YORK NEW YORK』というタイトルで再発されている)。そこで既に解散したはずのバンドが「New York New York」とか「Loyola」とかの“新曲”を演っているんだから、メンバーのやる気はガンガン伝わってくるのだった。しかも「New York New York」も「Loyola」も「16 Forever」もすこぶる付きの名曲ばかりだったし。
その後1990年にはハンサム・ディック・マニトバ、アンディ・シャーノフ、ロス・ザ・ボスの3人がMANITOBA'S WILD KINGDOMの名で再結集、アルバム『…AND YOU?』をリリース、ファンを興奮させる。当時「なんでTHE DICTATORS名義じゃないんだろう?」と思っていたんだが、よく考えたらスコット“トップ・テン”ケンプナーがいない。ドラマーが誰であれ、“ペースメーカー・ギター”と呼ばれたトップ・テンの鉄壁のリズム・ギターがないと、DICTATORSは名乗れないワケだ。
その頃、世界的にDICTATORS再評価の波が来ていた(と思う)。80年代末から90年代初めにかけて、THE DEVIL DOGSが「Stay With Me」を、YOUNG FRESH FELLOWSが「Teengenerate」をカヴァー…それだけじゃなく、スウェーデンのTHE NOMADSは「16 Forever」、ニューヨークのTHE VACANT LOTは「Loyola」といった具合に、オリジナル・アルバムに収録されていなかった曲までカヴァーされるようになる。俺が当時やっていたファンジンでDICTATORSを特集したのも94年のことだったし、96年にはトリビュート・アルバム『DICTATORS FOREVER FOREVER DICTATORS VOL.1』もリリースされている。
そして再評価の波が、THE DICTATORSの背中を押した。Top Ten's Back!!…90年代後半に入るとツアーも組まれるようになり、シングルもリリース。2001年には23年ぶりのスタジオ・アルバム『D.F.F.D』まで登場。05年にはライヴ盤『VIVA! DICTATORS!』もリリースされて、健在ぶりをアピールした。ルックス以外全然変わっていないDICTATORSが、そこにはあった。02年には『MANIFEST DESTINY』と『BLOODBROTHERS』が国内CD化されたし(ライナーノーツは俺が書いた)、07年には1973~02年までのデモなどレア音源満載の編集盤『EVERY DAY IS SATURDAY』もリリースされている。
DICTATORSとして活動する一方で、アンディ・シャーノフがFLESHTONESのキース・ストレングらとTHE MASTERPLANで活動したり、ロス・ザ・ボスがDICTATORSの現ドラマー、J.P.“サンダーボルト”パターソンとTHUNDERBOLTS名義でアルバムを出したり、ハンサム・ディック・マニトバは飲食店経営に忙しかったり…と、それぞれいろいろやっていた。そうこうするうちに年月が過ぎ…ニュースも少なくなっていたのだが、TEENGENERATEのドキュメンタリー映画『GET ACTION!!』をきっかけに登場したオムニバス『I don't like SEX』に、なんとアンディが「Teengenerate」の新録ヴァージョンを提供。そしてまさかの来日実現…。
21日新代田FEVER、行ける、はず…いや、行かねば…。
(2024.6.21.改訂)
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