そこで、というワケでもないが、久々の“DOLL ARCHIVES”。
以下の文章はDOLL誌2006年12月号、ニューヨーク・パンク特集の一環として掲載された記事を、手直ししたモノ。
RAMONES。
…いきなり言い切ってしまえば、RAMONESはニューヨーク・パンクの一バンドではない。RAMONESはRAMONES、それだけのことだ。
RAMONESだけが特に例外的に、というワケじゃないが…。基本的に同じような音楽的影響源を持ちながら、NYパンクのバンドはそれぞれにかなり異なった音を出していた。しかしその中でも、やはりRAMONESは特異だと思うのだ(特異性だけならSUICIDEにかなわないとはいえ)。スピーディでカラッとしたその高速R&Rは、当時のNYでは他のどのバンドとも違っていた(唯一多少なりとも近いのはMISFITSだろうか)。RAMONESがいなければ、現在のポップ・パンクの様相は随分と違ったモノになっていたに違いない。
RAMONES。1976年のデビュー作から95年の『ADIOS AMIGOS』まで、金太郎飴20年(最初の3枚に至っては、全部14曲入りで収録時間も大体30分で、全曲3分以下という…)。世界のパンクに多大な影響を与え続け、南米では大スター。しかし本国アメリカでは最後の最後まで商業的な大成功とは縁がなく、風雪の(?)20年に耐え続けたR&R。ワンツースリーフォーで20年。そしてライヴアルバムを出す毎にアップし続けたスピード。
同じような音楽的影響源…とさっき書いたが、特にニューヨーク・パンクのバンドの多くが、ガレージ・パンクの影響を受けている。RAMONESももちろんそうだった。カヴァー曲集『ACID EATERS』(1993年)を聴けば、そこにはやはり『NUGGETS』系のカヴァーが何曲か。
ただし、ここに収録されているネタは、よく見ると純然たるガレージというよりややサイケ入ってるのが多かったりする。THE AMBOY DUKES「Journey To The Center Of The Mind」然り、LOVE「7 And 7 Is」然り、THE SEEDS「Can’t Seem To Make You Mine」然り(この曲はジョニー・サンダースもカヴァーしている)。そしてERIC BURDON & THE ANIMALS「When I Was Young」やJEFFERSON AIRPLANE「Somebody To Love」なんかは完全にサイケ。
そして、そのあたりの曲のオリジナルを探して聴いたとしても、そこから単純にRAMONES的なモノを聴き取ることはまず出来ないだろう。『ACID EATERS』はなんというか、RAMONESの影響源というよりも単にメンバーの好きな曲集めただけか?…とか思いたくなるが、60年代のTHE AMBOY DUKESがよりによって一番若いC.J.ラモーンの選曲らしいんで、ますますそういう気もしてくるというもんだ。あるいは、その影響は一聴してわからないレベルで消化されている、とか深読みするのも可能ではある。
…そんな深読みをしなければ、RAMONESの根っこはもっと別のところでサクッと見つけることが可能。というか今更言うまでもないことだが、例えば『ACID EATERS』で言うならやはりJAN & DEAN「Surf City」、そして(国内盤ボーナス・トラックだった)THE BEACH BOYS「Surfin’ Safari」。更に『ACID EATERS』以外で言えば『RAMONES』(1976年)収録のクリス・モンテス「Let’s Dance」、『LEAVE HOME』(77年)でのTHE RIVIERAS「California Sun」、『ROCKET TO RUSSIA』(77年)でのTHE BEACH BOYS「Do You Wanna Dance?」(「California Sun」と「Do You Wanna Dance」はそれぞれRIVIERASとBEACH BOYSのオリジナルじゃないので、カヴァーのまたカヴァーということになる)…といった具合。そこから漏れ出てくるのは60年代アメリカン・ポップスへの異常な愛情。
今でこそポップス系の曲をパンク風にアレンジして高速でカヴァーするなんてのは珍しくもなんともないが、それは今だからそう思うんであって、RAMONES以前にそういうことをやったバンドは多分全然いないか、またはほとんどいなかったはずだ。まあデイヴ・エドマンズ(後にROCKPILE)のバンドLOVE SCULPTUREが1968年にハチャトリアンのクラシック・ナンバー「剣の舞」を高速ロッキン・カヴァーしていたり、更に例外というか反則気味なネタとしてはLED ZEPPELINがリトル・リチャードを演ろうとして「Rock And Roll」になっちゃったとか、例がないこともない。とはいえRAMONESの特異な先進性は光る(ただ「California Sun」に限ってはRAMONES以前にTHE DICTATORSがカヴァーしている)。
しかもRAMONESの恐ろしいところは、特に初期3作のアルバムで見れば、カヴァー曲とオリジナル曲の聴き分けがもの凄くつきにくいというところだ。コレはカヴァー曲の出来がよかったということでもあるし、オリジナル曲が60年代のポップス名曲群と較べて遜色ないメロディを持っていたということでもある。もちろん初期3作に限らず、ハードコア寄り(?)になった『TOO TOUGH TO DIE』(84年)やメタルっぽいサウンドになった『BRAIN DRAIN』(89年)の頃にも、60年代ポップ的なメロディは生み出され続けていたワケで。
そんなグッド・メロディを、MC5ばり(あるいはTHE VENTURESばりともいう)のモズライト・ギターでガシガシ(ダウンピッキングで)弾きまくる高速R&R。繰り返しになるが、RAMONESみたいなパンクが今フツーに聴こえるのは今だからこそで、RAMONES登場前にはそんなもんなかったということを考えると、つくづく恐ろしいバンドだRAMONES。
そんな風に本当にオリジナルな存在だったから、何十年も後じゃなくその当時リアルタイムで周囲に影響したのがRAMONESだ。THE CLASHのポール・シムノンがベースを練習するためにRAMONESのレコードを聴いてお手本にしたという有名なエピソードがあるし、日本のSSの超高速歌謡曲パンク(?)はやっぱりRAMONESの影響があったことだろう。
それにしても…1976年にデビューして、96年に解散、その後10年の間に、先に抜けてしまったトミー・ラモーン(ドラム)以外の、オリジナルのラモーン3人が相次いで他界。一体どういうことだ。そんなに体に悪いバンドだったのかRAMONES…(トミーも今じゃ元RAMONESにはとても見えない白髪の老人だしな)。
(2023.2.1.改訂)
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