遂に最後の1枚が割れてしまった。
この部屋に持ち込まれてから約8年半。
それ以前に鷺沼あたりで使われていた期間を思えば、間違いなく十数年前のモノではあり。
形あるものはやがて失われる。
とはいえ。
日常は色褪せ、記憶ばかりが日々鮮やかに。
(つまりリア充じゃないということだな)
割れた皿に、甘美な思い出があったワケでもないが。
しかし何を見てもそれがトリガーとなって、芋づる式に記憶が呼び起こされる。
そしてそれらは大概、自分に都合よく美しい。
(それが思い出というモノだろう)
陶のジョッキは既になく。
小皿の類もとっくに失われ。
一方で新たに発掘され、実用に供されるモノさえあり。
(痩せるというのは凄いことだと改めて思う)
例え謗りを受けても、壁に描かれた蔦の葉にしがみつくことをやめず。
やがて力尽きて落ちるまで。
その蔦の葉も、他でもない、自分が描いたのだ。
(2024.9.16.改訂)
この記事へのコメント