興味持った人は『アナキストに煙草を』を是非読んでみてください。
マイケル・アンソニー・ファレン。1944年9月3日、英国チェルトナム出身。エルヴィス・プレスリーとジーン・ヴィンセントに感化され、62年からバンド活動を始める。その後ボブ・ディランの英国公演を観て多大な影響を受け、詩作を重視する一方で、フランク・ザッパにも影響され、R&Rにとどまらないアヴァンギャルドな音楽と詩の融合を模索し始める。そして66年、ミック・ファレンはTHE SOCIAL DEVIANTSを結成する。
当時のパーソネルは、ミック(ヴォーカル)、クライヴ・マルドゥーン(ギター)、ピート・モンロー(ベース)、ラッセル・ハンター(ドラム)の4人。その後クライヴとピートが脱退、シド・ビショップ(ギター)とコード・リーズ(ベース)を迎えたバンドは67年にバンド名をTHE DEVIANTSと短縮。ロンドンの「UFO CLUB」を中心に、初期PINK FLOYDやSOFT MACHINEといった先鋭的なバンドたちとの対バンを重ねる。
1967年秋、ミック・ファレンはスポンサーを捕まえて700ポンドを出資させ、THE DEVIANTSの1stアルバム『PTOOFF!』を自主制作でリリースする。エンジニアは後にMOTT THE HOOPLEやTHE CLASHをプロデュースするガイ・スティーヴンスだった。グチャドロのどす黒いサイケ。THE ROLLING STONESっぽいと言えないこともないこともない(どっちだよ)R&B経由のビートものを一応は基調にしつつ、西海岸サイケに通じるフォーキーな部分や、プリミティヴなボ・ディドリー・ビートや、ジミ・ヘンドリックスばりのサイケデリックなギター、そして同時代のESPレーベルの諸作を思わせるぐちゃぐちゃでアヴァンギャルドな音のコラージュ、それらに乗っかるミックのひしゃげたヴォーカル…この時点で音楽性自体がパンクっぽいかといえばそんなことはないと思うが、アナーキーなことは間違いない、毒々な闇鍋ロック。そこにあるのは、いわゆるヒッピーとは関係ない、アナーキーなサイケデリック、だ。
サイケデリック、といえばヒッピー、ヒッピーといえばパンクスとは完全に対立する存在、とか簡単に思いこんじゃいけません(ANTiSEENにも「Hippy Punk」って曲があったな)。もちろんもともと全然違うもんだし、パンクというのがヒッピー的なモノの大部分に対してアンチだったことは間違いないんだが、そうはいってもヒッピーもパンクも既存の体制や社会に対する反抗、という点では共通しているし、たとえばCRASSなんかが実践していたコミューンでのDIY生活/活動というのも、元をただせばヒッピーたちがやっていたことだ。マリワナ吸ってユルユルの音を出していたバンド群に混じって、その頃からパンキーな、ハードでラウドな音を出してたバンドもけっこういた。DEVIANTSもそんなバンドのひとつだった。
最初はアングラ紙「IT」を通じた通販とかで売っていた『PTOOFF!』だったが、反響は大きかったらしい。その後デッカ・レーベルの配給を得て、8000枚を売り上げたという。しかし、ドラッグに溺れて使い物にならなくなっていたコード・リーズはアルバム完成前にバンドをクビになっていた。後任としてマック・マクドネルとダンカン“サンディ”サンダーソンの二人が加入し、THE DEVIANTSはミック・ファレン(ヴォーカル)、シド・ビショップ(ギター)、マック(ギター、ベース)、サンディ(ギター、ベース)、ラッセル・ハンター(ドラム)という変則的な編成になる。そしてキーボーディストとしてデニス・ヒューズも準メンバー的に参加。『PTOOFF!』でもコーラスで参加していたサンディは、DEVIANTSに加入するまでベースを弾いたことはなかったらしい(変則ラインナップはそのせいか)。
そして新生DEVIANTSは2ndアルバムの制作にかかる。レコーディングには豪華なゲスト陣が参加した。ディック・ヘクストール=スミス(サックス:元GRAHAM BOND ORGANISATION~JOHN MAYALL & THE BLUESBREAKERS)、ピート・ブラウン(当時CREAMの作詞を担当)など。
THE DEVIANTSの2ndアルバム『DISPOSABLE』は新興インディー・レーベル、ステイブル(レミーの在籍したSAM GOPALのアルバムをリリースしたことでも知られる)から1968年末にリリースされた。コラージュ的な要素も多かった『PTOOFF!』と違い、『DISPOSABLE』では基本的にギター、ベース、ドラムによるロック・バンド然とした演奏が基調となり、DEVIANTSの3作中で最もガレージ/パンク的な演奏が聴ける。SUPERSNAZZも取り上げたTHE RIVINGTONS1962年のヒット曲(というかTHE TRASHMEN「Surfin' Bird」の元ネタ)「Papa-Oom-Mow-Mow」のカヴァーに顕著(本作では「Pappa-Oo-Mao-Mao」と表記されているが)。『PTOOFF!』とはまた違った意味でとっ散らかった感じがありつつ、不穏な空気感。“使い捨て”というアルバム・タイトルからして、かなりキている。
『DISPOSABLE』は売れなかったらしい。アルバムのリリース後、マック・マクドネルが脱退し、ダンカン・サンダーソンが正式にベーシストとなる。次いで、ドラッグ漬けだったデニス・ヒューズも脱退(その後精神を病み、76年に自殺)。更にシド・ビショップも結婚を機に脱退する。
メンバーだけでなく、マネージャーもスティーヴン・スパークスからカナダ人のジェイミー・マンデルコウに交代。ジェイミーは新ギタリストとしてヴァンクーヴァー出身のポール・ルドルフを迎え入れる。そうして1969年2月、ミック・ファレン(ヴォーカル)、ポール(ギター)、ダンカン・サンダーソン(ベース)、ラッセル・ハンター(ドラム)による新たなTHE DEVIANTSがスタートするのだった。
そしてDEVIANTSの3rdアルバム『THE DEVIANTS』はトランスアトランティックから1969年9月にリリースされる。演奏自体は4人編成のバンド然とした、これまでになくタイトなモノだったが(オルガンでトニー・ファーガソンが参加)、一方で相変わらずの真っ黒けなユーモア感覚、曲ともいえないようなヘンな曲の連続(ここまでの3作で、このアルバムが一番笑える。特に「Black George Does It With His Tongue」は一度聴いてみて欲しい )。それまでの荒々しさやラウドさはやや後退しているものの、ミック・ファレンの気持ち悪い声を聴くと、このバンドが一般的な演奏の上手さやきれいなメロディとかいったモノからはるかに離れたところを目指していたことがよくわかる。それが後のパンクに通底するモノだったことは、パンク時代のミックの活動や評価を見れば明らかだ(それについては後で)。
サイケデリックやアヴァンギャルドの方面に片足、もしくは両足を突っ込んだ奇妙な音楽を演奏するバンド、というのがレコードでのTHE DEVIANTSだったが、一方その当時のDEVIANTSは、ステージ上ではポール・ルドルフ、ダンカン・サンダーソン、ラッセル・ハンターらのハードな演奏で盛り上がるタイトなR&Rバンドでもあった。ミックがアナーキーでアヴァンギャルドなバンドとしてDEVIANTSを続けようとしていた一方で、ポールたちはギター、ベース、ドラムを前面に出したストレートなバンドとしてやりたがった。
バンド内の不協和音が収まらないままの1969年10月、DEVIANTSは初の北米ツアーに出るが、カナダのヴァンクーヴァーでミック・ファレンと他の3人が大ゲンカ。ミックは一人でイギリスに帰ってしまい、DEVIANTSは遂に崩壊した(レミーもカナダでHAWKWINDをクビになったし、カナダってのはなんかあるのか?)。
ロンドンに戻ったミックは、TYRANNOSAURUS REXをクビになっていたスティーヴ“ペリグリン”トゥックたちと組んで“PINK FAIRIES”名義でライヴを行なうが、ロクなリハーサルもしていなかったバンドはまともに演奏出来ず、モノにならなかった(その後アメリカから帰国したDEVIANTS残党の3人と元THE PRETTY THINGSのトゥインクがツイン・ドラムの新バンドを結成し、結局このバンドが後に知られるPINK FAIRIESとなる)。
結局ミック・ファレンは、ソロ・アルバムを作ることになる。クリス・ファーロウのバック・バンドとして結成されたTHE HILLのメンバーを軸に、再びスティーヴ・トゥックやトゥインクを引き入れて、ミックの1stソロ『MONA(THE CARNIVOROUS CIRCUS)』は1970年にリリースされた。『PTOOFF!』を更にひどくしたような(?)、グチャグチャのアシッド・サイケデリア全開。曲とはいえない、どころか音楽ともいえないような部分がもの凄く多くて、俺は大好きなんだが(国内盤CDのライナーノーツも書いたし…)、ここ読んでる皆様の誰もがOKかというとOKじゃないかも。でも名盤。
60年代末から70年代初め、時代は大きく変わりつつあった。サイケデリックの時代にひと回りもふた回りも大きくなったロックだったが、それはロックが素朴な楽しみからビジネスの道具へとどんどん変化していくことにもつながった。アイディア一発・ノリ一発のビートやサイケやアヴァンギャルドよりも、凝った曲作りやテクニック重視のプログレッシヴ・ロックやハード・ロックが主流になっていく。ミック・ファレンにとって、そんなモノはロックの堕落としか思えなかった。変わっていくロック・シーンに失望したミック・ファレンは、この後しばらく音楽活動から離れる(まあ本当にいろいろあったらしい)。
70年代前半のミックは、作家兼アンダーグラウンド系の編集者として活動していた(ミック自身によれば、本業はミュージシャンじゃなく作家だ、ということで)。その間にも、HAWKWINDなどに歌詞を提供したりで、バンド連中とのつながりはずっと続いていたのだが。
そんなミック・ファレンが音楽シーンに復帰するのは、パンク・ムーヴメントの頃。その頃ニューヨークで執筆活動をしていたミックだったが、そこで知り合ったオーク・レコーズ(もちろん、TELEVISIONのシングルを出したあのレーベル)のオーナー、テリー・オークからレコーディングを持ちかけられて、1976年にシングル「Play With Fire」をリリースする(A面はTHE ROLLING STONESのカヴァー、B面「Lost Johnny」はHAWKWIND~MOTORHEADでも有名な、レミーとの共作曲)。ちなみにこの時のドラムは当時RICHARD HELL & THE VOIDOIDSにいたマーク・ベル、つまり後のマーキー・ラモーンその人だ。
コレをきっかけに、ミックは久々に本格的な音楽活動に乗り出す。既にパンクの時代に突入していたが、ミックの復帰が当然ながら単なる中年ビートニクのカムバックじゃなかったことは、この頃のミックの作品を聴けば明白だ。PINK FAIRIESやWARSAW PAKTのメンバーをバックに従えてあのスティッフ・レコーズからMICK FARREN & THE DEVIANTS名義でリリースしたEP「Screwed Up」(1977年)、ウィルコ・ジョンソン(ギター)他を迎えてのソロ・アルバム『VAMPIRES STOLE MY LUNCH MONEY』(78年)と、それに続くシングル「Broken Statue」(79年)…どれも60年代のTHE DEVIANTSとは打って変わって、パブ・ロック的ともいえるシンプルでソリッドなR&Rを聴くことが出来る。ただしイレモノが少々変わっただけで、ミックの音楽の本質―飼いならされないアナーキーなロック、というのは実は60年代から変わっちゃいない。
ここで音楽活動の“第2期”を一区切りしたミック・ファレンだったが、80年代もニューヨークとロンドンを行ったりきたりしながら、たまにライヴやレコーディングをやったりしていた。1984年にはMC5(!)のウェイン・クレイマーとPINK FAIRIESのラリー・ウォリスという豪華ギター・コンビにダンカン・サンダーソン(ベース)、ジョージ・バトラー(ドラム:THE LIGHTNING RAIDERS)というメンバーでTHE DEVIANTSとしてライヴを行ない、それはアルバム『HUMAN GARBAGE』としてリリースされている(ちなみに俺が初めて書いたライナーノーツは、そのアルバムがCD化されたときのモノだったりする)。
その後90年代に入るとミックは西海岸で暮らすようになり、アンディ・コルホーン(ギター:元WARSAW PAKT、PINK FAIRIES他)を片腕として再び本格的な音楽活動に入る。96年からはまたDEVIANTS名義で活動するようになり、99年以降DEVIANTSやソロで何度か来日も果たしている(アルバム『Dr.CROW』リリースに伴う2004年の来日ライヴはCD化されている)。最近も時々はステージに立っているみたいだし、『アナキストに煙草を』も翻訳されたし、おっさん(いや、既に爺さんだが)まだまだ健在だ。
ここではわりとざっと流したが、『アナキストに煙草を』にはミックの強烈な人生がこれでもかと書き連ねてある。本当に面白い。
(2023.2.15.改訂)
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