フィラデルフィア出身、グラム・ロック大好き(特にスージー・クアトロのファンだったらしい)で、13歳でギターを始めたジョーン・ジェット(ギター、ヴォーカル)がLAでオール・ガールズ・バンドを結成しようと思い立ったのは1975年のことだった。ジョーン、当時15歳(!)。同じく当時15歳のサンディ・ウェスト(ドラム)に19歳のミッキー・スティール(ベース、ヴォーカル)が加わって、THE RUNAWAYSはトリオとしてスタートする。
この時点で早くもRUNAWAYSに目をつけていたのが、シンガーにして敏腕(悪徳?)プロデューサー、ギョーカイに暗躍する謎のフィクサーたる魔人キム・フォウリーだった。RUNAWAYを金のなる木と考えたキムは、早速陰に日なたにバンドのバックアップを開始する。
この、結成当時のTHE RUNAWAYSによる1975年8月のレコーディングというのが存在する。聴いたことのある人も多いだろう。『BORN TO BE BAD』と題されたそれは、キム・フォウリーによると“バンド結成5日後”の演奏ということだ。THE TROGGS「Wild Thing」やTHE VELVET UNDERGROUND「Rock And Roll」といった、後々までステージでのレパートリーとなるカヴァー曲や、「American Nights」「Is It Day Or Night?」といったキム・フォウリーの提供曲、そして「You Drive Me Wild」といったジョーン・ジェット自身のオリジナル曲が既に用意されていたことがわかる。一方でFREEの「All Right Now」とか、古典的なロックのカヴァーも演奏されている。…パンク・ムーヴメントの時代に出てきたバンドではあったものの、RUNAWAYSの場合、若い娘さんたちがシンプルなR&Rを演ったらその後たまたまパンクとリンクしていった、みたいな感じだったと思う(しかもバンドの成り立ちはパンクというより実にゲーノー界的だ)。
短い活動期間の中でもメンバー交代の相次いだRUNAWAYSだったが、ともあれ彼女たちの音楽は最初から最後までブレのないシンプルなR&Rだった。それはこの『BORN TO BE BAD』の時点でも同じだ。演奏自体はまさに結成5日の素人バンドのリハーサルそのもので、作品としてどうこう言えるようなもんじゃないとはいえ、微笑ましくも楽しめると思う。
その後年齢的なギャップ(?)もあったのか、ミッキー・スティールが脱退(後にTHE BANGLESに参加)。新ベーシストとしてペギーが参加。次いでリタ・フォードが参加してギター2本となったところに、シェリー・カリーが専任ヴォーカリストとして参加する(この人、昔からTVドラマ「奥様は魔女」の“タバサちゃん”役だったという噂があったが、ガセだったみたいね)。ベーシストはその後ジャッキー・フォックスに交代し、よく知られるTHE RUNAWAYSのラインナップが完成。
キム・フォウリーがマーキュリー・レコーズとの契約を取り付けて、RUNAWAYSは1976年春にデビュー・アルバム『THE RUNAWAYS』をリリースする。当時の邦題は“悩殺爆弾/禁断のロックン・ロール・クイーン”というとんでもないモノだったが、それは代表曲となった「Cherry Bomb」を歌うときにシェリーがステージで披露する妖艶なコルセット姿のイメージが大きく影響していた(曲中に悩ましいあえぎ声も入ってるし)。しかもリタ(当時17歳)を除く全員が16歳の女の子。何もかもが当時のロック界では異例なことで、キムの狙いどおり確かに話題にはなった。反面、RUNAWAYSにはその後もイロモノ的なイメージがついてまわることになる。
ここ日本でも、アルバムの邦題どおり下世話なイメージが先行して週刊誌などで面白おかしく取り上げられるような状況があったTHE RUNAWAYSだったが、一方でピュアなロック少年少女の間でも確実に人気は上昇していた。特に日本での女性ファンの多さは本国アメリカの比ではなく、RUNAWAYSはアイドル的にもてはやされることになる。
実際、当時のRUNAWAYSはキャラの立ったバンドだった。当時の演奏を写真や映像で見ても、各メンバーの個性は際立っている。看板はもちろん下着姿でセクシーに迫るシェリー・カリーだったが、それだけじゃなかった。細身の体に赤いジャンプ・スーツで凛としたたたずまいを見せるジョーン・ジェット(歌の方も、コーラスをつけるというよりほとんどツイン・ヴォーカル状態)。ほとんどマイク・スタンドから離れ(られ)ないジョーンに代わって、金色のホット・パンツ姿で腰をくねらせながらステージ中を練り歩くリタ・フォード。ルックスだけなら(?)メンバー中ピカ一の、キュートなジャッキー・フォックス。そしてたくましい姐御然としたサンディ・ウェスト(16歳だったんだけど…)。
ヴィジュアル・イメージを抜きにしても、『THE RUNAWAYS』はシンプルでイイ曲のそろったR&Rアルバムだ。大半の曲にキム・フォウリーのクレジットがあり、彼のインプットも大きかったとは思うが。それにしてもTHE VELVET UNDERGROUNDのカヴァー「Rock And Roll」のアレンジがミッチ・ライダー率いるDETROITのヴァージョンに準じているというのなんか、実に印象深い。
そして1977年春、THE RUNAWAYSは2ndアルバム『QUEENS OF NOISE』をリリースし、77年5~7月にかけて来日を果たす。その時のライヴの模様はアルバム『LIVE IN JAPAN』に収録され、(当時は)日本のみでリリースされた。ブートレグで聴けるアメリカでのライヴは男どもの野太い歓声に包まれているが、『LIVE IN JAPAN』で聞けるのは耳をつんざくばかりの女の子たちの嬌声だ。RUNAWAYSが本当にアイドル的な人気を獲得していたのがよくわかる。演奏はまるで学園祭のバンドみたいな必要最低限のレベルながら、シンプルなR&Rの楽しさが十分に伝わってくる。
しかし、バンド内には不協和音が流れ始めていた。『THE RUNAWAYS』『QUEENS OF NOISE』とも話題にはなったものの、日本以外では人気に結び付くことなく、全米アルバム・チャートでは2作とも100位にも入らず。来日に際して、あの篠山紀信による写真集『激写ランナウェイズ』なんてのも発売されたが、内容はシェリー・カリーに偏っていて、それもメンバー間の不和を招いた(年頃の女の子たちですから…)。
決定的な亀裂は1977年7月、来日ツアー中に発生した。ジャッキー・フォックスがいきなりバンドを脱退、一人で帰国してしまう。既にコンサートは全日程を終えていたが、残された「東京音楽祭」への出演は急遽ジョーン・ジェットがベースを担当しての4人編成で乗り切ったTHE RUNAWAYS。だが、事態はそれだけでは済まなかった。
77年8月には後任ベーシスト、ヴィッキー・ブルーが加入し、RUNAWAYSは新作のレコーディングに入る。ところがレコーディング開始直後、今度はバンドの看板であるシェリー・カリーが脱退し、ソロ活動に入ってしまう。ジョーンは後任シンガーを入れずに自分が歌うことを決意し、新作『WAITIN’ FOR THE NIGHT』は4人編成で完成となった。
脱退したシェリー・カリーはポップな方向性を追及し、残されたTHE RUNAWAYSはよりハードなサウンドに向かった。それは1977年秋にリリースされた『WAITIN’ FOR THE NIGHT』ジャケットでのメンバーのデニム&レザー姿に象徴されている。ジョーン・ジェットが歌っているから、既に後のBLACKHEARTSに近い感じだが、作曲と制作にはもちろんキム・フォウリーも絡んでいるし、リタ・フォードのハード・ロック志向もかなり前面に出ている感じ。
しかし…『WAITIN’ FOR THE NIGHT』はまったく売れなかった。頼みの(?)キムにも見限られ、バンドはジョン・アルコックのプロデュースで78年にアルバム『MAMA WEER ALL CRAZEE NOW』(後に『AND NOW…THE RUNAWAYS』というタイトルで再発)をリリース。SLADEやTHE BEATLESのカヴァーがあったり、スティーヴ・ジョーンズ&ポール・クックからの提供曲「Black Leather」(SEX PISTOLSも録音しているが)が収録されていたりと、ポップでパンキッシュな方向に揺り戻した感もある佳作。
…だが、かつての勢いは戻らず。79年に入るとヴィッキー・ブルーも脱退し、新たにローリー・マカリスターが加入したが、結局その直後にRUNAWAYSは解散となる。
そうしてTHE RUNAWAYSはかなり悲惨な最期を遂げたが、RUNAWAYSでの活動がその後のメンバーの活動の土台となり肥やしとなったのは間違いない。THE BLACKHEARTS結成後のジョーン・ジェットの活躍については、ここで詳細に書くまでもないだろう。グラム・テイストのパンキッシュなR&Rという、初期RUNAWAYSからの基本線にこだわり続けたジョーンは、その正しさを証明するかのごとく、JOAN JETT & THE BLACKHEARTSとして2作目のアルバム『I LOVE ROCK N’ ROLL』(1981年)で全米No.1の座を手に入れることに。
一方、本格的なハード・ロックを志向したリタ・フォードは、83年のソロ・デビュー後はメタル・クイーンとかいわれたことも。90年代以降はマイペースな活動ぶりだが、今も現役。シェリー・カリーが2000年に来日していたなんてこともあった(DOLLにもインタヴューが載ってた)。ジャッキー・フォックスは完全に引退状態だし(なんか、今回の映画化にも一人反対したらしいね…)、サンディ・ウェストは残念ながら06年に癌で亡くなっているが…。
活動中は不遇な時期もあったTHE RUNAWAYSだが、今やオール・ガールズ・バンドの先鞭をつけたバンドとしての存在意義はゆるぎない。それにしても、映画にまでなろうとは…。
(2023.5.26.改訂)
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