前半でもそうだったけど、明晰にしてとてもチャーミングな人、というのがわかる内容になっています。
後半は80年代後半の話から。
―1988年のTHE DAMNEDリユニオンは誰が言い出したんですか?
「言い出しっぺはラットだよ。最初はよかったんだ。イギリスで何本かギグをやって、上手く行って、アメリカでも何本かやって、それも上手く行った。それから半年後、イギリスでまたやろうという話になった。その時の俺の気持ちとしては、まあLORDS(THE LORDS OF THE NEW CHURCH:以下LORDS)ももう終わっちゃうし、今はソロ・アルバムのための曲を書いているだけだし、副収入があるのも悪くないな、なんてそんな感じだったんだ。1回目が楽しかったから、2回目も楽しいといいな、なんてそんな感じだよ。ところが2回目はちっとも楽しくなかった。やるべきじゃなかったんだ」
―その後スティーヴ・ベイターが亡くなりましたが、彼の死をどこで知りましたか?
「電話がかかってきたんだよ、ラモーナって女から。彼女は俺の親友の一人、アイヴァーって男のカミさんなんだ。彼が最初に訃報を聞いて、自分じゃ(辛過ぎて)俺に電話出来ないから、ラモーナにかけさせたんだ。そしてその2日後、俺とデイヴ、そして他の数人と一緒に、ロンドンからパリに、奴の葬式へと出かけていったというワケだ。そこで彼の両親にも会ったよ。ひどい経験だった」
―ソロ・アルバム『BRIAN JAMES』以後、THE DRIPPING LIPSまでは情報があまりありませんでしたが、その間の活動状況は?
「そう、ソロ・アルバムは確か1990年のリリースだったかな。そして、2ndアルバム(註:THE DRIPPING LIPSのアルバム『READY TO CRACK?』のこと)というのは、おかしな話で、元々アルバムにしようとか、リリースしようという予定でレコーディングされたものではなかったんだ。1993年に俺は家族と一緒にフランスに引っ越したんだよ。で、ずっと連絡をとり続けていたベルギーのブリュッセルの友達連中とまた会おうということになって、会いに行ったんだ。ブリュッセルを訪問中に、映画音楽をやりませんかという話が舞い込んだ。2曲書いて、他には全体のスコアをやってくれという話だ。フランスとベルギー合作の、『アブラカダブラ』というスリラー映画だった。そのプロジェクトで、ロビー(ケルマン)というミュージシャンと知り合いになったんだ。彼とは気が合って、一緒に仕事がしやすかった。ロビーの知り合いで、ジミー・ミラーというプロデューサーがいてね。ジミーは60年代の終わりから70年代初期のROLLING STONESなどのアルバムをプロデュースした人だったんだ。MOTORHEADなんかを手がけた有名な人だよ。彼が、俺たちがその映画のために作った音楽を部分的に聴いてくれて、気に入ってくれたんだ。一緒に仕事がしたいというんだ、信じられないよ。超有名プロデューサーだよ? その数年後、カリフォルニアのBOMP!レコーズのグレッグ・ショウという男が連絡してきて、どういうルートで手に入れたんだか知らないが、THE DRIPPING LIPSと呼ばれるテープを聴いたというんだ。そしてそれをリリースしたいと。俺は二つ返事でOKしたよ。思ってもいないことだったからね。面白い実験だったし、ある意味、俺にとってはイギー・ポップと一緒に仕事をしたときみたいな、夢の実現というような経験だった。この素晴らしいプロデューサーと一緒に何か出来るなんてね。そしてそれがリリースされた。だから、ある意味ではなんとなくそれが2ndソロ・アルバムみたいな位置づけになっちゃったけど、そういうつもりで作ったモノでは全然なかったんだ。むしろ、今回やったばかりのBRIAN JAMES GANGのアルバムが、1990年のソロ・アルバムのフォロー・アップという感じなんだよ。俺が書いた曲を俺が歌っている、非常に個人的な、純正のソロ・アルバムだからね。さっきのやつは、ジミー・ミラーと一緒に仕事をするための言い訳として設定したものだったから。DRIPPING LIPSがレコーディングされたのは1994~95年あたりで、リリースされたのは1999年とか2000年とか、そんな感じ(註:正確には98年)。リリースされたのが数年後だったから、1stソロと2ndソロの間に10年も空いちゃった。ブライアンは何やってたんだ、ってみんなは思っていただろう。だけど、俺としてはその間にフランスに引っ越して、ベルギーの映画のやつがあって。私生活でも両親が亡くなったりして、スティーヴや他にも亡くなった友達もいたりして、個人的にちょっとつらい時期だったんだ。だからイギリスから逃げ出して、フランスに引っ越した。そんな混乱で、1~2年が過ぎていった。作曲もしていたし、実際には“何もやっていなかった”っていうのは、そんなに長い時期ではないんだよ。DRIPPING LIPSをレコーディングしてから、1年後くらいにはイギリスに戻り、そしてウェイン・クレイマー(註:元MC5のギタリスト)と仕事(MAD FOR THE RACKET)を始めたんだから」
―ウェインとは以前から付き合いがあったんですか?
「うん、何回かは会ったことがあったよ。俺がフランスに住んでいた時、彼がパリでライヴをやっていて、それを観に行ったこともあった。なんとなくお互いに、いつかは何か一緒に仕事をすることになるんじゃないかと思っていたんだ。フランスを引き払ってイギリスに戻った時、俺は今まで一緒に仕事をしたミュージシャンたち、あるいは一度は一緒に仕事してみたいと思っていたミュージシャンたちをみんな集めて、何かの形でアルバムに出来ないかなという考えを持っていたんだ。その時にまず電話をかけたのがウェインだったんだ。集まって、一緒に何曲か書いてみないかって誘ったんだよ。それから、ドラマーのステュアート・コープランドにも電話した。彼とは以前に一緒に仕事をしたことがあって、既にTHE POLICEは解散していたから、出来れば彼とまた何か一緒にやりたいなって思ったんだ。彼はその時には映画音楽をやったりしていて、ロックンロールはまったくやっていなかった。だから、俺の話にはすぐに乗ってきたよ。「いいね! ロックンロールなんてもう何年も演ってないぜ! すぐ集まって練習しようぜ!」なんてね。ウェインも「いいね、ステュアートには会ったことがないから、是非一緒にやってみたいよ」なんて言ってね。ステュアートは、前のマネージャーのマイルズ(コープランド)の弟で、だから知っていたんだ。THE POLICE結成以前からの友達なんだよ。俺のソロ・シングルにも彼は参加してくれたりもしているんだ。そんな話をしていたら、ウェインが電話をかけてきて、「コレは、数曲とは言わず、アルバム丸ごと作るべきなんじゃないか」なんて言うんだ。トラック毎にドラマーを変えたりして演るのはどうだろう、なんていうから、いいねって言ったんだ。そして、BLONDIEのクレム(バーク)にも電話をした。彼とは1977年にTHE DAMNEDが初めてアメリカに行った時以来の友達だから、すぐに話はまとまった。そして、次は誰をベースに誘うか、ってことになった。1990年頃、GUNS N’ ROSESが「New Rose」をレコーディングして、それのおかげで俺はだいぶ経済的に潤った。フランスに移住出来たのもそのおかげだと言っていい。GUNSのベーシスト、ダフ(マッケイガン)には会ったことがなかったんだけど、彼は、あのバンドの、なんというか、パンク担当という位置づけだったんだな。だから、彼の電話番号を教えてもらって、連絡をとってみたんだ。「ブライアン・ジェイムズと申しますが、ウェイン、ステュアート、クレムというメンバーで、こういうことをやろうとしてるんだけど、よかったらベースを弾きに来ませんか?」なんてね。そしたら、彼はそれに飛びついてきたんだ。彼は俺やウェインの大ファンだったんだね。MC5が大好きだったんだって。それで、一緒にアルバムをやることになったんだよ。ところが、アルバムが完成して、ライヴをやろうということになったとき、ダフは大学に戻りたいと言ったんだ。GUNS N’ ROSESで大成功した大金持ちなのにね。GUNSを始めた時に、彼はまだ大学生で、学校が途中になっていたというんだ。そして、戻って卒業したいと。だから、俺たちは、元STONE ROSES、現PRIMAL SCREAMのマニっていう新しい奴を入れて、ギグをやることにしたんだ。凄く変化に富んだバンドだったんだよね。面白かったよ!」
―2003年にTHE LORDS OF THE NEW CHURCH名義でアルバム『HANG ON』を制作していますが、LORDSとしてパーマネントな再活動を考えていたんですか?
「その話は、どうだったかというと、ある知り合いを通して、スティーヴン(マーキー)という男を紹介されたんだ。LORDSのファンで、俺に詞を見てほしいということだった。その男の詞を見てみると、コレがなかなか良くてね。で、テキサスのオースティンで“イースト・イースト・ウェスト・フェスティヴァル”にMAD FOR THE RACKETとして出演している時、そのスティーヴンというのはフロリダの奴だったんで、会いに来ないかと声をかけたんだ。そこで初めて会って、話をしたりして、「君の歌詞を気に入ったから、イギリスに戻ったらそれに合うような曲を書いてみるよ」なんていう話をしたんだ。そして帰国後に、LORDSのベーシストのデイヴと連絡をとって、その詞を見てもらったんだ。またLORDSでやらなきゃね、なんて話をしていて、だけどスティーヴの跡を継ぐには、一人のシンガーだけじゃダメだっていうことになった。そこで、イギリス人のジェズという奴を探してきて、EPを作って、それからジェズは抜けて、次にアメリカ人のアダム(ビーヴァー)という奴が入って、アルバムをやった。OK、じゃあ、アルバムが出来るんだから次はギグだっていうことになって。実際には、ツアーに出る予定が先に決まっていて、その出発日の2日前くらいにやっとアルバムが完成したという感じだったんだ。とりあえずヨーロッパ・ツアーをやって、帰ってきてからレコード会社を探して、そしてリリースしようといっていたのが『HANG ON』アルバムだったんだ。ところが、ライヴをやってみて初めてわかったんだけど、このスティーヴンという男は、ライヴ・パフォーマーとしてはひどくヘタクソだったんだ。作詞家としては、とてもよかった。スタジオでも、大丈夫だった。だけど、ステージに上がると、なにしろ、全然ダメなんだ。俺は「もう一度やらせてやろうよ」って言ったんだけど、デイヴは「嫌だ。もう二度とあいつとは同じステージに立たない」なんて言ってね。LORDSは俺とデイヴの二人がいなければLORDSじゃなくなってしまうんだ。だから、デイヴがそう言うなら、仕方がないなという感じで、そのプロジェクトはお蔵入りということになってしまった。結局、そのアルバムはどこからもリリースされなかったんだよ。そのアルバムを買うことが出来た人たちというのは、ヨーロッパ・ツアーのコンサート会場で買った人たちだけなんだ。スティーヴンがもうちょっとマシなライヴ・ミュージシャンだったら、LORDSは今でも活動していたかも知れないよ」
―今回のアルバムはBRIAN JAMES GANG名義ですが、このバンド名はハード・ロック・バンドのJAMES GANGをもじったんでしょうか?
「やっとその質問が来たか! イェーイ! アメリカのロック・バンドだろ? 無関係だよ。JAMES GANGはどっちかっていうと、ジェシー・ジェイムズとか、そういうところから引っ張ってきた名前だろ? ビリー・ザ・キッドとかさ、そういう西部劇のアウトローにちなんでいるんだろう。こっちの場合は、俺の名前がブライアン・ジェイムズなんで、そのグループっていうことで付けただけ」
―新作の参加メンバーを改めて紹介してください。
「LORDSで一緒だったデイヴ・トレガンナ、セカンド・ギターを弾くオースティン・ゲイトン、ドラマーのスティーヴ・マーレー。俺とオースティンとスティーヴは、ブライトンっていうところに住んでいるんだけど、ご近所つながりで知り合った仲間なんだ。地元の音楽シーンっていう感じでね。オースティンは「284」っていうスタジオを持っていて、FLATPIGっていうバンドをやっていたんだ。5年前、パンク25周年っていうときに、「New Rose」の2001年ヴァージョンをレコーディングしたんだけど、その時に一緒にやったのがFLATPIGだったんだよ」
―アルバムの制作期間はどれくらいでしょうか。久々の自分名義のアルバムで、制作にあたって期するところはありましたか?
「ほとんどの曲は去年1年間くらいをかけてレコーディングしたものなんだ。だけど2曲くらいは、俺がブライトンに引っ越してすぐの頃、オースティンとも知り合ったばかりで、まだお互いによく知らない頃に録音したものもあるんだ。とても個人的なプロジェクトだから、思い入れは強いよ。フランス在住中に書いた曲も2曲ほどあるし。つまり8年前くらいかな。曲はずっとあったんだけど、誰に演奏してもらったらいいかわからなかったような、そんな曲が2曲ほどあるね。スティーヴやオースティンと知り合って、彼らと演奏するようになってから書いた曲もあるよ。去年、レコーディングが半分ほど終わった時点で、たった1回だけギグをやったんだ。ブリュッセルでフェスティヴァルがあってね。凄く上手く行って、評判も良かった。だから、このメンバーで早くツアーに出たいなとずっと思っているんだよ。あと3~4週間すると、最初の正式なコンサートをイギリスでやるんだ。ロンドンのBORDERLINEでね。8月15日だよ。新しいアルバムの曲も全部演るし、THE DAMNEDの古い曲も何曲か演るし、いいショウになるよ。新しいファンにも、古いファンにも、楽しんでもらえるライヴにするつもりだよ」
―元X-RAY SPEXのポリー・スタイリーンがアルバムに参加した経緯を教えてもらえますか?
「ポリーは、パンク時代からの古い知り合いでね。ブライトンに引っ越してきた時に、地元の友達が「近所に誰が住んでると思う? ポリーだよ」なんて教えてくれて、じゃあ電話してみようってことになったんだ。で、レコーディングの時に1曲いかがですか、なんて誘ってみたんだ。アコースティックなナンバーで、男の意見も歌っているが、女の意見も必要な曲だったから。女性シンガーについては二人ほど他の候補もいたんで、ちょっと考えていたところだったんだ。だけど、ちょうどその頃ポリーとしゃべる機会があって、彼女に曲を聴いてもらうためにヴォーカルを自分で入れて、送ったんだよ。そしたら、ポリーがその曲を凄く気に入ってくれて、是非歌いたいと言ってくれてね。で、「女性の部分の歌詞は私が書きましょうか? それともあなたが書く?」って彼女が言うから、「ポリー、君の好きにしてくれよ」なんていって、そしたら「じゃああなたが私のために書いて」って言うから、俺が書いて、そして彼女が歌ってくれたんだ。ポリーとは友達だったけど、一緒に仕事するのは初めてでね。とても面白かったよ。パンク時代の初期からの友達だったから、なんとなく夢が叶ったなあって感じ」
―今回のライヴには彼女も登場しますか?
「いや、それは全然、考えていなかったなあ。だけど、うん、そのアイディア、いただくよ! ありがとう!(笑)」
―今後の活動の予定は?
「そのライヴが終わった後については未定なんだけど、もしかしたら1週間ほどアイルランドに行くかも。それからフランス。それからもっとイギリスで演って、出来れば新年には本格的にヨーロッパで演りたい」
―日本公演の可能性はありますか?
「もちろん、なんとか日本に行きたいね。だけど遠いからなあ。アルバムの売れ行き次第なんだよ。20年くらい前かな、日本に行ったとき、本当に楽しかったから、また行きたいなあって、真剣に思っているんだ。キングレコードの人たちにお願いしておいてよ!」
―最後に、日本のファンにメッセージをお願いします。
「新しいアルバムを気に入ってくれるといいなあと思ってるよ。キングレコードに手紙を書いて来日をリクエストしてくれ! ホントだよ?(笑)」
このインタヴューは2006年の夏にメールで行なわれた。
それから3年…残念ながら、BRIAN JAMES GANGの来日は実現していない。
(2022.12.31.改訂)
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