…タイトルはちょっと無理があったね…。
AC/DC。1973年結成。活動歴既に36年。その歴史のスタートはRAMONESよりもMOTORHEADよりも古い。R&R史上において絶対に外すことの出来ないバンドのひとつだ。…しかし、日本のロック・ファンというのは総じて昔からストレートでシンプルなR&Rよりも込み入ったロックや泣きの入ったロックや斜に構えたロックの方を好む、ような気がする。アメリカン・ハードより英国ロック、RAMONESよりSEX PISTOLS、ってな具合で。AC/DCも然りで、海外での絶大な人気に較べると昔からここ日本では今ひとつパッとしない感があった。その上契約上の空白などもあり、しばらく前までAC/DCの旧作は国内盤CDがない、という状況も続き。
しかし、その後状況は激変した。2007年11月、70年代から00年代までのAC/DCの映像を網羅した3枚組DVD『PLUG ME IN』がリリースされ、続いて07年12月から08年2月にかけての3ヶ月連続で75~00年までの旧作オリジナル・アルバム(&編集盤)計18作が紙ジャケ&リマスターで国内CD化となった。そして08年10月には久々の新作アルバム『BLACK ICE』もリリースされ、遂に来年3月には01年以来の来日も実現。時は来たれり、だ。ここで改めてAC/DCを紹介しておこう。
…欧米ではなんでもかんでも(いい意味でも悪い意味でも)ロッケンローの一言で済ませがちな気がする一方、日本ではカテゴライズの意識がわりと強く、AC/DCというバンドは昔から、MOTORHEAD以上にヘヴィ・メタル/ハード・ロックのバンドとして認知されていた部分がある。最初に書いたとおり、この文章は元々DOLLに掲載されたモノだが、基本的にパンク系の雑誌だったDOLLで、俺がこうして書くまでまとまった特集とかがなかったのも、そこのところがあったと思う(2001年の来日時、てっきりDOLLで特集を組むもんだと思い込んでいたら…なかった!)。
だがしかし実際のところはAC/DCというバンド、結成以来現在まで徹頭徹尾ピュアでシンプルなR&Rを演り続けてきたバンドだ。もちろんいわゆるパンク・バンドではないが、そのアンチ・ヒッピー的アティテュードとストレートでハードな音楽性はかなりの割合でパンクと同じ(または近い)成分から成り立っていたし、70年代末から現在に至るまで、パンクやあるいはグランジ/オルターナティヴ以後のバンドに与えた影響も大きい。
マルコムとアンガスのヤング兄弟(リズム&リード・ギター)は、スコットランドのグラスゴー出身。両親と8人兄弟のヤング一家は1963年にオーストラリアのシドニーへ移住することになる。しかしイギリスに残った三男アレックス・ヤングは、GRAPEFRUITSでアップル・レコーズと契約。一方、家族と共にオーストラリアに渡った五男ジョージ・ヤングはハリー・ヴァンダとTHE EASYBEATSを結成し、「Friday On My Mind」で全英6位の大ヒットを飛ばす。そんな兄たちに憧れてギターを手にしたマルコムとアンガスだった。
そして彼らが1973年11月に結成したのがAC/DCだ。バンドは73年12月31日に初ライヴを行なっている。EASYBEATSを解散していたジョージとハリーがバンドをバックアップし、AC/DCは74年7月にシングル「Can I Sit Next To You Girl」でレコード・デビューを果たしている。ヤング兄弟以外のメンバーは流動的だったが、74年9月には新ヴォーカリスト、ボン・スコットことロナルド・ベルフォード・スコット(元THE VALENTINES。彼もスコットランド出身)が加入。ワイルドでセクシーなボンと小学生スタイルで暴れまくるアンガスのパフォーマンスで、AC/DCの人気はぐんぐん上昇して行くのだった。
そして1975年2月、AC/DCはオーストラリア国内でのデビュー・アルバム『HIGH VOLTAGE』をリリースする。1曲目はTHEMで有名なビッグ・ジョー・ウィリアムズのカヴァー「Baby Please Don't Go」。テッド・ニュージェントのTHE AMBOY DUKESのデビュー曲と同じ…という点に、このバンドの本質を見る思いがする。
『HIGH VOLTAGE』のレコーディングではジョージ・ヤングがベースを弾いたりと、相変わらずリズム・セクションが固定しなかったAC/DCだったが、『HIGH VOLTAGE』リリースと前後してマーク・ウィットモア・エヴァンス(ベース)とフィリップ・ヒュー・ラッド(ドラム)が加入し、よく知られる初期AC/DCのラインナップが完成。そのメンバーで75年12月には2ndアルバム『T.N.T.』をリリースし、オーストラリア国内のチャートで1位を獲得する。パンクもメタルも超越したAC/DCのアメイジングなR&Rは、既にそこにあった。
AC/DCのシンプルでワイルドな楽曲と強烈にエネルギッシュなライヴの噂はオーストラリア以外でも注目されるようになり、1976年4月には英国で初めてライヴを行なう。そして、オーストラリア盤の『HIGH VOLTAGE』と『T.N.T.』から9曲収録した英米向け編集盤『HIGH VOLTAGE』を76年5月にリリースし(現在国内盤CDなどで“1stアルバム”として流通しているのはコレ)、英国でのツアー活動を始める。そして76年9月には新作アルバム『DIRTY DEEDS DONE DIRT CHEAP』もリリース(オーストラリアでは通算3作目ということになるのだが、英国では2作目として76年12月にリリース、アメリカを含め世界的に流通したのは80年代…と、このへんは錯綜している)。前座としてスタートした英国ツアー活動はすぐに評判となり、夏にはあの「READING FESTIVAL」出演を果たす。そして10月には早くもヘッドライナーとしてツアーすることに。
76年、イギリスにはパンクの波が巻き起こりつつあった。当時、一部のメディアはAC/DCをオーストラリア版のパンク・バンドと捉えていたらしいが、ブルーズや初期のR&Rをルーツとしながらドライにしてタフな独特のリズム感を持ったAC/DCのハードR&R、そして破天荒なパフォーマンスがパブ・ロックやパンクと同一視されたとしても、それはある意味当然だったと思う(一方で、メンバー自身は当時パンクに対して否定的な発言をしている)。
そして1977年。AC/DCは精力的なツアーに明け暮れる一方、77年5月には名盤中の名盤『LET THERE BE ROCK』をリリースする。名曲中の名曲「Whole Lotta Rosie」と「Let There Be Rock」の両方が収録された、奇跡の1枚。特にタイトル曲。旧約聖書の“天地創造”になぞらえてロックの創造を物語る、神がかった1曲。THE VELVET UNDERGROUND(というかルー・リード)の「Rock & Roll」と双璧を成すR&Rアンセムだと、個人的には思っている。
その後マーク・エヴァンスが脱退し(FINCHに加入、その後もオーストラリアで活動を続けた)、英国人クリフ・ウィリアムズ(元HOME:ちなみに同じHOMEにいたローリー・ワイズフィールドはWISHBONE ASHに加入している)に交代。そしてAC/DCはアメリカにも上陸する。KISSの生まれた国だ。AC/DCのイカレたパフォーマンスがウケないはずはなかった。78年4月にはアルバム『POWERAGE』を、続いて彼らの本領ともいえるステージ・パフォーマンスの精髄を詰め込んだライヴ盤『IF YOU WANT BLOOD YOU’VE GOT IT』をリリース。『LET THERE BE ROCK』と並んでボン・スコット在籍時のAC/DCを代表する傑作。同時期のライヴ・アルバムとしてはDr.FEELGOODの『STUPIDITY』あたりと並んで、シンプルなR&Rのエキスを存分に味わえる名盤だと思う。
ここまでのAC/DCのアルバムは、すべて元THE EASYBEATSのハリー・ヴァンダ&ジョージ・ヤングがプロデュースしていたが、1979年7月にリリースされた『HIGHWAY TO HELL』では、当時まだ無名だった若手プロデューサー、ロバート・ジョン“マット”ランジが起用され、録音もロンドンで行なわれている。AC/DCのサウンドはここで一気に、ファットにしてヘヴィな厚みのある音になった。AC/DCが後々までメタル・バンドとして認知されることになるのは、マット・ランジがプロデュースした時期のサウンドによるモノ、と俺は思っている。このブログをいつもチェックしてるような皆様にはヴァンダ&ヤングによるRAWなR&Rの方がアピールすると思うものの、ポップ・チャートを狙うならメジャー感溢れる『HIGHWAY TO HELL』の音作りは大正解だった。アルバムは全米チャートの17位というヒット作となる。
しかしここで事件が起こる。1980年2月19日、泥酔して眠り込んだボン・スコットが、吐瀉物を喉に詰まらせて窒息死。33歳の若さだった。
…残されたメンバーたちはいつまでも落ち込んではいなかった。活動を続けることこそ、ボンへの弔いだ…とばかり、ブライアン・ジョンソン(元GEORDIE)を後任ヴォーカリストに迎えて、ボンの死から半年も経たない80年7月にはアルバム『BACK IN BLACK』をリリース。タイトル曲や「You Shook Me All Night Long」など後々までライヴの定番となっている楽曲、そしてブライアンの凄まじい金切り声をフィーチュアしたこのアルバムは全英1位、全米4位の大ヒットとなり、AC/DCは健在どころか新生面を世界に知らしめる。『BACK IN BLACK』同様ボン追悼の意味があったのか、81年3月にはそれまでアメリカでリリースされていなかった『DIRTY DEEDS DONE DIRT CHEAP』が発売され、全米3位に。
『BACK IN BLACK』以降、AC/DCはオーストラリア、イギリス、アメリカだけでなく、世界を回るバンドになる。1981年2月には初めての来日も実現した。
続いて81年11月にはアルバム『FOR THOSE ABOUT TO ROCK(WE SALUTE YOU)』がリリースされる。ブライアン加入後のタメの利いたミドル中心の楽曲とマット・ランジによるヘヴィな音作りの合体はここで最高潮となり、アルバムは遂に全米チャートの1位を獲得する。スタジアム・ロックの巨星としてAC/DCがそびえ立った瞬間だった。82年6月には二度目の来日を果たしている。
しかし、その頃の作り込まれたサウンドに飽きたのか(?)、1983年8月リリースのアルバム『FLICK OF THE SWITCH』はバンドによるセルフ・プロデュースとなり、初期のシンプルさをやや取り戻した感がある(当時の評判は良くなかったが、俺は大好きなアルバム)。翌84年には初期の音源を収録したミニ・アルバム『‘74 JAILBREAK』をリリースしている(コレはもちろんヴァンダ&ヤングのプロデュース)。
『FLICK OF THE SWITCH』リリース後にフィル・ラッドが脱退、後任にサイモン・ライト(元TYTAN)が加入して、85年6月にはアルバム『FLY ON THE WALL』がリリースされる。フィルに較べると遥かにヘヴィ・メタル・ドラマーなサイモン(歴代メンバー中、初の完全なメタル人脈の人だろう。その後DIOに加入)がシンバルをジャンジャン鳴らし、ジャケットもAC/DCらしからぬ感じではあったが、基本的にはやはりシンプル路線(プロデュースはマルコム&アンガス・ヤング)。この時点で遂にAC/DCは、メンバー全員が英国人及び英国出身者となった。
1981年と82年の来日をピークに、ここ日本ではAC/DCの存在感は急速に薄れていったが、欧米では全くそんなこともなかったし、70年代みたいに1年1枚以上のハイペースではなかったものの、バンド自体もかなり活発に活動していた。86年にはスティーヴン・キングの映画のサウンドトラック盤としてアルバム『WHO MADE WHO』がリリースされた。コレは一種のベスト・アルバムとしても聴けるユニークな1枚。
87年は新作の制作準備と実際のレコーディング作業で一度もライヴをやらなかったAC/DCだったが、その一方で、バンドのシンプル指向というか原点回帰的な姿勢は続いていた。88年1月リリースのアルバム『BLOW UP YOUR VIDEO』では久々にハリー・ヴァンダ&ジョージ・ヤングがプロデュースを担当し、軽快ともいえるR&Rを聴かせる。
『BLOW UP YOUR VIDEO』リリースに伴ってライヴ活動も再開したAC/DCだったが、その後サイモン・ライトが脱退し、名手クリス・スレイド(元THE FIRM他)が加入している。1990年9月にはアルバム『RAZOR’S EDGE』をリリース。プロデュースはBON JOVIやAEROSMITHといった売れセンのハード・ロックを手がけていたブルース・フェアバーンが担当し、確かに聴きやすいというかクリアな感じの音に(そのせいか全米2位と久々の大ヒット)。92年にはコレもブルースのプロデュースによる集大成的ライヴ盤『LIVE』(そのまんま)をリリースする。そしてその後なんと全盛期を支えたフィル・ラッドが復帰するのだった。
『BACK IN BLACK』当時のラインナップに戻ったAC/DCは95年9月にアルバム『BALLBREAKER』をリリース。プロデュースはSLAYERその他で有名なリック・ルービンが担当した。シンプルこの上ないフィルのドラミングが戻ってきたバンド・サウンドは、相変わらずハードではあったがブルージーなムードを強めている。メンバーも流石にトシをとったか?
…といっていたら次のアルバムが出るまで5年もかかってしまい、アルバム『STIFF UPPER RIP』がリリースされたのは2000年2月のことだった。ジョージ・ヤングのプロデュースで、更にブルーズ回帰、かなり枯れた感じのアンサンブルになっている。しかし『BALLBREAKER』は全米4位、『STIFF UPPER RIP』は全米7位とAC/DCは相変わらず人気で、01年には遂に19年ぶりの来日も実現させたのだった。俺も横浜アリーナで観たけど、興奮したなー。
そして『STIFF UPPER RIP』から約8年半を経て、2008年10月にアルバム『BLACK ICE』がリリースされた。まるで1981~82年頃のAC/DCを聴いているような、回春アルバム!…このままどんどんブルージーな方向に行ってしまうのかと思っていた俺には、嬉しいサプライズだった。
…で、『BLACK ICE』から1年以上もかかってしまったが、遂に久々の来日だ!…最近の写真を見ると、メンバー全員、完全におじいちゃんです(苦笑)。しかし、AC/DCは死ぬまでAC/DCだ。アンガス・ヤングは薄くなった髪の毛を振り乱してステージを転げまわるに決まっておるのです。
『BLACK ICE』と今回のツアー、果たして最後のアルバム、最後の来日になるのかどうか…とりあえず行ける奴は行っとけ。
(2023.1.6.全面改訂)
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