KLAUS NOMI:地球に落ちてきた男

KLAUS NOMI.jpg 昨夜ちょろっとクラウス・ノミのことを書いたんで、今夜は古い文章を引っ張り出してみました。以下は、DOLL誌2008年12月号(もう3年近く前か)に掲載されたノミについての記事に(原形をとどめないレベルで)大幅に加筆・訂正したモノです。







 1980年前後のわずかな期間にニューヨークで活動し、ニュー・ウェイヴ/エレ・ポップとオペラの間にいびつな橋を架けて消えた男、クラウス・ノミ。NY…といっても出身はドイツなんだが。一時期は80年代の徒花みたいな扱われ方だったのが、今世紀に入って彼を取り上げた映画が作られたりして、今も新たなファンが増え続けている(らしい)のは、とても喜ばしいことだ。
 それにしても、なんだか知らないが、気が付くとドイツとNYの間を行ったり来たりしている俺がいるのだった(いや、気持ち的な話で、実際にはどっちも行ったことがない)。NYパンクについての記事も、70年代ジャーマン・ロックの記事も、あちこちでさんざん書いた。だからドイツとNYを股にかけたこの男、クラウス・ノミなんかは、俺的に実にグッとクルのだ。コレを読んでいる皆様にもグッとキていただけると幸いだが…。

 クラウス・ノミ。本名クラウス・スパーバー(←英語読み。ドイツ語読みだと多分スペルバーかシュペルバー)。長い間、生年月日や出身地は不祥とされていたが、現在では1944年1月24日、ドイツのバヴァリア(バイエルン)地方出身、ということが明らかになっている。
 厳格な両親の元でオペラをはじめとするクラシックを聴かされて育ったクラウス少年は、12歳のときにR&Rに目覚める。しかしエルヴィス・プレスリーのLPを買って帰ったクラウスは母親にとがめられ、母親はエルヴィスのLPをマリア・カラスのLPと取り替えてきてしまった…。

 …というのはクラウス・ノミを語る際によく出てくる有名なエピソードだが、なんか、あまりにもそれらし過ぎないか?…個人的には、この話、創作ではないかと思っている。ともあれ、クラシックばかり聴いていたクラウス少年が多感な10代の頃にR&Rと出会った、そのこと自体は間違いないと思う。そして死ぬまでロックとオペラの融合に挑み続けたクラウスの中で、実際エルヴィス・プレスリーとマリア・カラスの相克も続いたに違いない。
 ともあれ音楽の道を志し、西ベルリン(当時)の音楽学校で声楽を学んだクラウス・スパーバーは、卒業後にスイスのベルンで上演されたモーツァルトのオペラ「バスティアンとバスティエンヌ」で歌手としてデビューした、と言われていたが、真偽のほどは定かでない。その後西ベルリンの“Deutsche Opera Berlin”に所属していたとか、いやいや実は歌劇場の案内係に過ぎなかったとか諸説あったものの、実のところそれらの諸説どれも怪しい。
 ニューヨークに渡ったのが1973年頃の事で、その時既に30歳近い…ということは、とにかく20代のほとんどをドイツで過ごしていたことになる。それは60年代半ば~70年代初頭ということになるワケで、70年前後の西ベルリンではTANGERINE DREAMやASH RA TEMPEL、AGITATION FREEといったいわゆるクラウト・ロック(今で言うベルリン・スクール)勢が登場していた。クラウスがそれらに何らかの刺激を受けた可能性も否定出来ないが、それも推測の域を出ない。ともあれ、オペラだけに留まらない、アーティストとしての自己実現をより創造的な環境で邁進すべく、西ベルリンを出てNYを目指したクラウスだった。

 1973年前後のニューヨークといえば、ルー・リード不在のTHE VELVET UNDERGROUNDが緩慢な死を迎え、一方でBLUE OYSTER CULTやNEW YORK DOLLS、そしてKISSといった次の世代が台頭。更にパティ・スミスやSUICIDE、ウェイン・カウンティら、のちにパンクと呼ばれる連中も活動を始めていた時代だ。リチャード・ヘルよりもジョニー・サンダースよりも全然年上だったクラウス・スパーバー(ルーの2歳下)は、“クラウス・ノミ”と名乗り、NYの深淵へと単身斬り込んだ。
 ところでその“NOMI”というステージ・ネームは、SF雑誌「OMNI」のアナグラムだったという。ノミはSFファンだったらしい。そういえば彼のわざとらしいドイツ訛りの強調は、映画『ROCKY HORROR SHOW』に登場するDr.スコットの影響だろうか。映画は75年の作品なので、その可能性は充分にありうる、と思っている。
 ともあれノミはそのヴォイス・パフォーマンスに磨きをかけつつパントマイムを学び、オペラティックなヴォーカルをR&Rやポップスと融合させつつパントマイム風の動きで歌う…という、なんだかかなり独特なスタイルを築き上げ、クラブやライヴハウスへの出演を重ねる。詳細は不明ながら、当時はNOMI BAND名義で活動していたらしい(後にパフォーマーとして有名になるジョーイ・アリアスが在籍していたという)。

 残されたノミの写真の中に、1978年のニューヨークでジム・ジャームッシュと一緒に写っているモノがある。ノミの特異なファッションは、ミュージシャンだけでなく映像作家にもかなりアピールするところがあっただろうし、ノミ自身も映像にはかなりの興味があったに違いない(リチャード・ヘルの主演映画『BLANK GENERATION』を監督したウーリー・ロメルとも知り合いだったという)。ヴィジュアルと音楽における独自なアプローチは、パンク・ムーヴメント以降のNYという土壌で、SF的にしてプラスティックなイメージに結実していった。
 …しかし実際のところは、随分長い間、ミュージシャンあるいはダンサーとして食うことは出来ず、NYでのノミは菓子職人として生計を立てていたらしい。後述する映画『THE NOMI SONG』では、TV番組に出演してにこやかにお菓子作りの腕を振るうノミ、というシーンも登場する。

 独特なスタイル…といえば、何よりも独特だったのがクラウス・ノミのルックスだった。極端に広い(つまり禿げ上がった)額の上に、頭上の3点で盛り上げた奇怪な髪型(コレは多分リーゼントのデフォルメで、実はサイコ刈りに通じるモノがある…と最近考えるようになってきた)。白塗りに、歌舞伎とゴスのいいとこどりをしようとして何か間違ったかのような、イカレたメイク。裃(かみしも)とタキシードと宇宙服が合体したような謎のコスチューム。“ドイツ表現主義”の映画やなんかの影響も大きかったと思うが、結果として出来上がったその姿は、あまりにも人間離れしていた。まさに、地球に落ちてきた男というか。
 音楽が独特で、ルックスが超独特。ノミは70年代末~80年代初めにかけて、その異様に立ちまくったキャラクターであちこちから注目されることになる。そしてノミに注目した大勢の中に、かのデイヴィッド・ボウイがいた。1980年、有名なTV番組「Saturday Night Live」に出演したボウイは、ノミ(と盟友ジョーイ・アリアス)をバッキング・ヴォーカル兼ダンサーとして起用。「The Man Who Sold The World」「TVC15」「Boys Keep Swinging」の3曲で歌い踊るノミの姿が電波に乗った(俺はその時の映像を90年代になってからNHKで観た。動くノミをほとんど見たことがなかったんで、本当にもの凄い衝撃だった。今では映画『THE NOMI SONG』のDVDで観ることが出来る)。ボウイの偉業。ノミの異形。

 クラウス・ノミがドイツを離れてニューヨークを目指したのは、やはり正解だった。70年代末、NYでは様々な動きがあちこちで同時に進行していた。TELEVISIONが解散、パティ・スミスが引退し、70年代半ば以降のNYパンクが終息していく一方で、いわゆるノー・ウェイヴ勢が台頭していたし、そんな動きとは全く関係ないかのようにイギリスからやってきたLEVI & THE ROCKATSのネオ・ロカビリーが人気を得たりもしていた。そんな何でもありの状況の中で、ノミは更に多くのライヴ活動をこなし、知名度を上げていくのだった。
 ノミがNYで暮らし始めてから既に7年ほどが経過していたが、そんなこんなで露出もアップし、努力は遂に実を結ぶこととなった。RCAレコーズとの契約を得たノミは、1981年暮れにデビュー・アルバム『KLAUS NOMI』をリリースする(当時RCAからリリースしていたデイヴィッド・ボウイの口添えがあったのかどうかは不明ながら、可能性は否定出来ないと思う)。
 『KLAUS NOMI』。後に日本で発売されたLPとCDの邦題が『オペラ・ロック』。まあそのまんまの内容、といえなくもない。ただ、単にオペラとロックの融合というよりは、オペラとアメリカン・ポップス/R&Rを合体させて、それをシンセ・ポップで演る…という、当時、いやそれ以前もそれ以後も類を見ない、ユニーク過ぎる音楽がそこにはあった。そしてポップ・アートの奇妙な明るさと、ドイツ表現主義の世紀末的な暗さは、そこで完全に並び立っていた。同年リリースのYMOのアルバム『BGM』に収録されていた「Cue」を思わせる歌詞を持つ「Keys Of Life」に導かれて、聴き手はノミの“オペラ・ロック”の世界に引き込まれていく…。

 収録曲中の3曲は、50~60年代アメリカン・ポップスのカヴァー。必殺ファルセットが炸裂するルー・クリスティ「Lightning Strikes」や、レスリー・ゴーア1963年全米2位のヒット曲「You Don't Own Me」あたりは、クラウス・ノミ自身が若い頃にリアルタイムで聴いていたポップスへのオマージュ、と捉えることが出来るが、一方で同時代のB-52'sみたいに、レトロ風なサウンドをニュー・ウェイヴ的感覚で異化する試み、でもあったのかもしれない。
 それにしてもチャビー・チェッカーの代表曲「The Twist」に至っては、押し潰されねじ曲げられたような、あまりにも奇怪なアレンジ。もう言われなければあの曲とわからないレベル。しかしこういうの、他にも聴いたことがある。…THE RESIDENTSが黄金時代のポップスやR&Rを叩き壊して撒き散らした残骸のような傑作『THIRD REICH’N ROLL』(76年)だ。俺がノミとRESIDENTSに共通性を感じたのは90年代後半のことで、当時はそんな妄想じみたことは俺くらいしか考えまい…と思ったのだが、『KLAUS NOMI』が2005年に国内CD化された際のライナーノーツに同じようなことが書いてあったんで、ちょっと安心した(思えばノミと同時代、イギリスでもFLYING LIZARDSがヒット・チューン解体作業に精を出していた)。
 ポップスのダダイスティックなカヴァーの一方で、シンセサイザーの似非ストリング・アレンジで歌い上げられるはオブスキュアなクラシック/オペラ曲。特に17世紀英国の作曲家ヘンリー・パーセルの「The Cold Song」でのノミの詠唱は、曲名どおりに聴く者を死の世界へと凍りつかせんばかりの、ノミの真骨頂といえるだろう。オールディーズのシンセ・ポップ化と暗欝なクラシックの歌曲…この二極性が、ポップス/ロックとクラシックの間で引き裂かれるノミのアイデンティティを象徴しているように思う。

 “オペラ・ロック”的な方法論は、1stアルバムで既に完成の域に達していた。方向性が元来ゲテモノ的(?)な上に、どう考えても発展性の望みにくいスタイルなので、クラウス・ノミがもし夭折しなかったとしても、そのまま長く活動出来たかは定かでない。しかし、そんな分析をはねのけるような、異様な存在感、過剰な逸脱ぶりが、ノミの音楽にはあった。そしてその“オペラ・ロック”は、次のアルバムに向けて転げ落ちるように(?)その完成度を高めていくのだった。
 『KLAUS NOMI』収録曲「The Cold Song」は桑原茂一・伊武雅刀・小林克也による“スネークマン・ショー”によって日本に紹介され、ノミの名はYMOなんかのファンにも浸透することになる。そのキテレツなルックスは広告のキャラクターとしても使われることに。本拠地であるアメリカでの当時の人気がどうだったのかはわからないが(あまりの異形っぷりに、ライヴでブーイングを浴びたことも少なくなかったらしい)、ともあれノミはその奇怪な音楽性を更に推し進めた2ndアルバム『SIMPLE MAN』を、1982年にリリースするのだった(82年にはノミのアルバムに参加していたキーボーディスト、マン・パリッシュのアルバム『MAN PARRISH』へのゲスト参加もアリ)。

 『SIMPLE MAN』。方向性は『KLAUS NOMI』とまるっきり同じ。ただ、ともすればチープさが先に立った前作に較べると、サウンドの完成度というか深みはグッと増している。リンダ・ロンシュタットで有名な「Just One Look」や映画『オズの魔法使い』の挿入曲「Ding Dong」、そしてマレーネ・ディートリッヒが映画『嘆きの天使』で歌った「Falling In Love Again」といったポップなはずのカヴァー曲はいびつなグロテスク・ニュー・ポップに(って違うか)。“一目見ただけで/僕にはわかってしまったあぁ…!/いつの日か君をモノにするってね/おぉ、おぉ…!”と歌われる「Just One Look」なんて、ほとんどストーカーの独り言だ。
 アルバム2枚でのクラウス・ノミのレパートリー中、作詞・作曲をノミ自身が手がけているモノは、『KLAUS NOMI』収録の「Keys Of Life」「Wasting My Time」の2曲しかない。オリジナル曲のほとんどは録音に参加したミュージシャンたちが提供したモノだ。カヴァーを含めても、その歌詞は読めば他愛のないラヴ・ソングの類が多い。ノミにソングライティングの才がなかった(多分)というのも理由だろう。しかし、外部からもたらされた曲、という素材がノミというフィルターを通した時、そこに出現する作品はまさにノミの音楽としか言いようのないグロテスクにしてポップ、美しくもいびつな、過剰に振り切れた歌になってしまう。
 そしてクラシックの歌曲は、ノミが真剣に歌えば歌うほど、得体の知れない深淵へと落ちていくかのよう。特にヘンリー・パーセルのオペラから選曲された「Death」は、もはや真骨頂とか通り越して、絶唱としかいえない。“私を忘れないでおくれ!/私を思い出しておくれ!/しかし、嗚呼!/忘れておくれ、我が運命を…”ノミの悲哀に満ち満ちた歌声は、まるでその後の彼に訪れる絶望的な運命を暗示するかのごとく、透明な暗闇の中にこだまする。17世紀の曲だというのに、なんとノミの行く末を暗示するような歌詞なのだろう、と思う。

 オールディーズやクラシックを歌いながら、クラウス・ノミはダダイズム、あるいはグラム・ロックを支えた“キャンプ”感覚、パンク的な“なんでもあり”、そしてノミの逝去と入れ替わるように登場した、いわゆる“ゴス”(『SIMPLE MAN』のジャケットを見れば、ノミこそはまさにゴスの元祖と知れる)、そして“モンド”…その他多くの要素を内包しつつ、あるいは過剰に振りまきながら、消えていくことになる。
 様々な要素を抱え込みながら、それを書き割り風のチープなシンセ・ポップに無理矢理詰め込み、デカダンスの壁を必死でよじ登ろうとして、そして力尽きた…それがノミだった。

 『SIMPLE MAN』リリースに伴う大規模なツアー、そして3rdアルバムの制作…それらの構想は、クラウス・ノミの体調悪化によって実現不可能となる。ゲイだったノミはインタヴューで「私はセックスなどしない!」と断言していたらしいが、それは“女性とは”ということだったのだろう(彼はいわゆる”ハッテン場”でよく見かけられていたという)。ノミはHIVに感染し、AIDSを発症していた。1983年1月に入院。まだAIDSの治療法や治療薬がまったく確立していなかった時代だ。そのまま成す術もなく病状は進行し、83年8月6日、ノミはこの世を去る。39歳という若さだった。
 動物からも鳥からもつまはじきにされた、物語の中のコウモリのように、ニュー・ウェイヴの時代にポップス/R&Rとオペラを融合しようとしてそのどちらからも逸脱した男、ノミ。むしろ逸脱の集積、その向こうにこそ彼自身のトータルなアートがあったのだろうが、逸脱の果てに彼を待っていたのは、この世からの逸脱という、残酷な運命だった。あの世への逸脱。これほどの逸脱ぶりはないだろう。そして、火葬されて灰となったノミは、ニューヨークの街に撒かれて散ったという…。

 生前はパルコや石橋楽器の広告にも登場し、日本でも妙に有名だったクラウス・ノミだが、『KLAUS NOMI』と『SIMPLE MAN』が国内発売されたのは、彼の死後、1984年になってからのことだった(同年、仏RCAからはベスト盤『ENCORE!』がリリースされた)。すべては遅過ぎた。その後もベスト盤やライヴ盤『IN CONCERT』などがリリースされたものの、当時の世間的にはノミ=一発屋以前のイロモノ、という認識がほとんどだった、と思う(何しろいろいろ凄過ぎて、かなり笑えるしな…)。
 しかし2003年、ノミの生涯を取り上げたドキュメンタリー映画『THE NOMI SONG』が制作されると、この不世出のシンガーに再び注目が集まることとなる。映画は05年に日本でも公開され、『KLAUS NOMI』『SIMPLE MAN』そしてベスト盤『THE COLLECTION』の3枚が国内CD化。ノミの死後22年を経ての快挙だった。
 更に07年には、ノミのアルバムでバックを務めたジョージ・エリオット(ギター他)らが未発表音源に手を加えて完成させた新作(!)『ZA BAKDAZ』がリリースされている。その後もノミをモデルにした新しい映画の制作が計画されるなど(…と書いたのは08年のことだが、その後どうなってるんだろう)、今も一部では注目され続けているノミだ。日本盤CDは限定リリースだったが、今でも輸入盤のCDは簡単に入手出来る(はずだ)し、『THE NOMI SONG』のDVDやYouTubeで動く姿を観ることも簡単になっている。


 …あまりにも特異過ぎる存在のため、フォロワーの類がほぼ存在しないクラウス・ノミ。突き抜けるファルセットでポップな曲を歌う、という点だけ見れば、やはりジミ・ソマーヴィルが近い、と言えば言えるのだろうが、実際には立っている次元があまりに違う。
 そんなノミの影響が見られる数少ない例のひとつは、意外にも遠藤賢司。1983年のミニアルバム『オムライス』に収録された「寒い朝」は、アレンジといい歌唱といいかなりノミに肉薄している。エンケンのファルセット唱法はよくタイニー・ティムの影響と言われるが、「寒い朝」については80年代にラジオで本人がノミの影響を語っていた。
 もう一人、影響、ではないものの、ヴォーカル・スタイルに類似が見られるのは、デンマークのへヴィ・メタル・シンガー、キング・ダイアモンドだろう。音楽性は全く違うとはいえ、中・低音の地声とファルセットの間を行き来する歌唱法は、ノミに共通している。
 更にもう一人挙げると、性別も音楽性も歌唱スタイルもかなり違うが、同じドイツ出身のニナ・ハーゲン。オペラ風の曲があるかと思えばSWEETのカヴァーを演ったりといった具合で、影響云々ではなく、クラシックとロック/ポップスを融合するという試みの点で、ノミと同時代に同じような方向を見ていたのでは、と思われる(二ナの方がかなりパンクっぽい)。

 フォロワーほぼ皆無、という点でも、まさにワンアンドオンリーなクラウス・ノミだ。


追記:
コレの原型をDOLLに載せた時も、ここにこうしてアップした時も、正直言ってまったく反響がなかったんだけど、実は今もって毎日のようにアクセスが増え続けていて、1000本以上書いたこのブログの記事の中でもアクセス数は相当上位になっているのでした。
MOTORHEADやイギー・ポップなんかを聴くようになる前、本当に夢中になって聴いたのがクラウス・ノミだった。
今でも大好きだし、ノミを大好きな人や、これから興味を持つ人が増えていくと思えるのは、とても嬉しいことです。

(2014.3.21.)


追記その2:
コメントもいろいろいただいていたのだけど、残念ながらウェブリブログのリニューアルの時に一部消えてしまった。
ともあれこの記事はかなり注目されたようでありがたいことです。

(2020.8.11.)


追記その3:
そしてその後もこの記事にはアクセスが相次いでいる。
そういえば某サイトでパクられたなんてこともあったなあ。

(2023.6.16.)


追記その4:
2023年6月21日、クラウス・ノミ没後40年記念として、『KLAUS NOMI』『SIMPLE MAN』『ENCORE!』『IN CONCERT』の4枚がBSCD2+デジパックという仕様で国内発売されている。
ライナーノーツも詳しく、レコード・デビュー以前のNOMI BAND時代についても書かれているので、ノミに興味を持ったけど音源持っていない、という人には超お勧めです。

(2023.7.3.)

この記事へのコメント

  • 今日初めて

    TITLE: 無題
    知りました。クラウス・ノミという人物自体を。
    彼の存命時にはまだ生まれていなかったので、リアルで彼を見れなかったことがとても悔やまれます。たった1日で異様にハマってしまいました(笑)
    2016年07月23日 22:44
  • 大越よしはる

    TITLE: ようこそノミの世界へ(笑)
    コメントありがとうございます。
    俺は30年前からハマりっぱなしです(笑)。
    残された音源が少ないので、今から手に入るだけのCDを買っても大した金額にはならないと思いますよ。
    2016年07月23日 22:44
  • 唐揚げ太郎

    TITLE: 懐かしいですね
    自分は高3(1985)の頃ハマってました。
    そして、数年前にencoreを購入して聴いていた時に映画の話題が出てましたが見に行けませんでした。

    今はYouTubeで動画が見れるので凄い時代になりましたね♪
    2016年07月23日 22:44
  • Land2

    TITLE: Re: ようこそノミの世界へ(笑)
    > コメントありがとうございます。
    > 俺は30年前からハマりっぱなしです(笑)。
    > 残された音源が少ないので、今から手に入るだけのCDを買っても大した金額にはならないと思いますよ。
    >突然「裃の原型は宇宙服ではないか?」と思い立って入力したら『宇宙から落ちて来た男』が出て来て裃を着ていたのにはビックリしました。どなたかなにか?
    2016年07月23日 22:44
  • willy

    TITLE: 私も
    スネークマンショーでその存在を知った一人です。
    時代ですかね~?
    2016年07月23日 22:44

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