初期IRON MAIDENとNWOBHMを改めて。

IRON MAIDEN.jpg 以下はDOLL誌2008年10月号に掲載された「LUCIFER SAM’S DINER」の記事を手直ししたモノです。一応IRON MAIDENをテーマにしつつ、実はIRON MAIDENをダシにしてDOLLでNew Wave Of British Heavy Metalを語ってみたかった、それだけなんだけど。何故ならこのへんはパンクとも密接に(?)つながっているからだ。




 …パンク・ロックが勃興する以前、最も猛々しいロックといえばハード・ロックだった。60年代末にLED ZEPPELINなんかが登場して扇情的なリフや歌をラウドな音でドカンと叩きつけ、当時の若い衆は「くぅ~っ」となったワケだ。しかし時は過ぎ、ロックはビッグ・ビジネスとなり、一方でミュージシャンのスキルは更に向上。そうするとテクニック至上に走ったりポピュラリティを狙い過ぎたりということが起きてくるモノで、ハード・ロックは…というかロック全般、猛々しさはどんどん失われていくのだった。
 そこに、猛々しさ以外をほとんど取っ払ったパンク・ロックなるモノが登場して、ストリート・レベルの若い野郎どものリアルなロック…の座はほとんどすべてパンク・ロックに独占されることになる。1977年以降しばらくの間…特に“ニュー・ウェイヴ”という語が登場して以後は殊更、ハード・ロックを含む旧来のロックは“オールド・ウェイヴ”の名の下に斬って捨てられる日々が続いた(ハードコアやヒップ・ホップにおける“オールド・スクール”と違って、オールド・ウェイヴってのは完全に蔑称ですから)。
 しかし、万物は流転する。時代がパンクからニュー・ウェイヴ/ポスト・パンクに移行し、パンク以降の音楽も多様化。その中で、あるモノはソフィスティケイトされ、もう一方ではいわゆるハード・パンクからハードコアへと先鋭化。その一方で時代の空気を吸収したハード・ロック勢の巻き返しも、また進むことになる。

 …その萌芽は、実はかなり早い段階から見えていた。英国ハード・ロックの代名詞ともいうべきDEEP PURPLEが1976年に解散、それ以後パンク・ロックばかりが元気な印象のあった英国ロック・シーンだったが、パンクの勃興とほぼ同時期に、ロンドンからはあのMOTORHEADが登場し、オーストラリアからはAC/DCが英国進出。それまでの美麗・流麗なハード・ロックとは違ったシンプルで野蛮なR&Rを提示する。
 あと、もうひとつ挙げておきたいのはJUDAS PRIEST。70年代前半から活動していたバンドながら、77年頃から音楽性を転換し、ツイン・バスドラムをフィーチュアしたやたらスピーディーな新種のハード・ロックを打ち出し始める。それと共に、いかにもオールド・ウェイヴ然としていたファッションをレザー&スタッドのハードなイメージに変更。その後のヘヴィ・メタル界に大きな影響を与えることになる(そのスタイルがハード・ゲイのファッションから来ていたのは、ヴォーカルのロブ・ハルフォードがゲイだったことによる)。

 若いリスナーたちも、当然ながらみんながみんなパンクだけを聴いていたワケじゃなかった。そしてJUDAS PRIESTやTHIN LIZZYやUFOなど、70年代前半あるいはそれ以前にスタートしつつ、パンクの時代にも精力的に活動していたハード・ロック・バンドを聴く若い連中は次第に増えていき、ハード・ロックの揺り戻しは確たるモノになっていく。
 1978年、ロンドンのDJニール・ケイがハード・ロックばかりを回すクラブ・イヴェント「BANDWAGON」をスタート。音楽新聞SOUNDSの副編集長、ジェフ・バートンが紙上で「BANDWAGON」を紹介すると、若いハード・ロック・ファンたちが店を賑わせるようになる。水曜日の夜に細々とスタートした「BANDWAGON」はやがて週3日、週4日…と勢いを拡大。そして似たような“ハード・ロック・ディスコ”がロンドン以外の各地にも登場する。ハード・ロックを好む若い連中が新しいバンドを組むようにもなり、シーンは活性化していくのだった。

 …70年代後半に登場した若いバンドの多くに共通していたのは、それまでのハード・ロックと一線を画したスピード感とアグレッションだった。実際にはパンクから直接影響を受けたりということはそんなに多くなかったはずだが、パンク・ムーヴメントを経由した時代の空気感のようなモノが、はっきりと音に出ていた(初期のIRON MAIDENのライナーノーツとかで、かの伊藤政則先生が“パンクのフィルターを通過した…”と書いていたのは、上手い言い方だったなあ、と今でも思う)。
 ジェフ・バートンはそんな新しいバンド連中の新しいハード・ロックを、“ヘヴィ・メタル”と呼ぶようになる。ヘヴィ・メタルという言葉自体はBLUE OYSTER CULTやらHEAVY METAL KIDSやら一部のハード・ロック勢が既に使っていた言葉であり、特別目新しい言葉ではなかった。しかし、それがハード・ロックの亜種を指す音楽ジャンルの名前として完全に定着したのは、70年代末の新しいハード・ロックのムーヴメントからだった。
 パンク・ムーヴメントの時に全英で無数のパンク・バンドがわいて出たのと同様、70年代末から80年代初頭にかけて、新しい“ヘヴィ・メタル”バンドが続々と登場した。そして、そんな中から出てきたのが、今回の(一応)主役・IRON MAIDENだ。結成はパンク前夜の1975年。スティーヴ・ハリス(ベース)を中心に活動を始めたものの、当然というかパンクの活況に圧されて、演奏の場も少なくレコード契約なんぞ夢のまた夢、という状況。数年の間にメンバー交代もひっきりなしだったIRON MAIDENだった(今では信じ難いことに、キーボーディストがいた時期さえあった)。しかしヴォーカリストとして新たにポール・ディアノが加入した頃には「BANDWAGON」が盛り上がり始めていて、ようやく追い風が吹き始める。

 果たしてIRON MAIDENが録音した3曲入りのデモ・テープはニール・ケイの目にとまり、「BANDWAGON」で大人気となる(その後EP「The Soundhouse Tapes」としてレコード化)。1979年半ばにはSAXONやDEF LEPPARDといった地方出身のバンドもロンドンのライヴハウスで演奏するようになり、“ヘヴィ・メタル”の勢いはどんどん増大していく。
 それが旧来のハード・ロックの単純なリヴァイヴァルではない、ということを強調するために、ジェフ・バートンが言い出したのが“New Wave Of British Heavy Metal”(以下NWOBHMと略す)という呼称だった。新しいバンドたちの音は“ハード・ロック界のニュー・ウェイヴ”であり、それこそがヘヴィ・メタルである…というワケだ。

 そして無数のバンドが登場した。一言に“へヴィ・メタル”と言っても、その音楽性は実に様々で、個性豊かだった。
 …60年代から連綿と続く“バイカー・ロック”的R&Rを新時代のへヴィ・メタルに置き換えたかの如き無類の疾走感で売ったSAXON。グラム・ロックやモダン・ポップの影響を受けつつ、アメリカナイズされた明るめのサウンドを押し出したDEF LEPPARD。更にグラム寄りというかJAPANあたりに近いセンスさえ感じさせ、中性的なルックスもウリになったGIRL。BLACK SABBATHの影響下に禍々しいイメージを打ち出したANGEL WITCHやWITCHFYNDEやWITCHFINDER GENERAL。一方、イメージこそサタニックだったものの中身はメロディアスでオーソドックスなハード・ロックだったDEMON。ブルーズ寄りのベーシックなロックをメタルに仕立て上げた異色のバンド、SAMSON。メロディアスなツイン・リードが売りだったPRAYING MANTIS。まだスラッシュ・メタルが存在していなかった時代に当時類のない猛スピードでぶっ飛ばしたRAVEN。MOTORHEADの弟分・“激烈リフ軍団”TANKに妹分・GIRLSCHOOL。LED ZEPPELINを範としつつもあのMETALLICAに多大な影響を与えたDIAMOND HEAD。硬質なメタリック・ブギーで駆け抜けたVARDIS。IRON MAIDENやSAMSONにも参加した覆面ドラマー、サンダースティック率いるTHUNDERSTICK。名ギタリスト:ジョン・サイクスを輩出したTYGERS OF PAN TANG。RUSHあたりの影響を感じさせるプログレッシヴな方向性を聴かせたLIMELIGHT。その他諸々…。

 スピード感とアグレッション、というのはそれらのバンドの多くに共通していた要素だが、それだけならわざわざここで紹介することもなかったと思う。俺はよくNWOBHMのことを“ハード・ロックにおけるパンク・ムーヴメント”と言ってきた。それはNWOBHMの多くのバンドに見られたパンク的な姿勢(?)による。
 もっとも、そのあたりのバンド群が、そろっていわゆる“パンク的”なアティテュードやアンチ・プロフェッショナリズム、反商業主義を狙っていたかといえば、そうじゃなかったと思う。しかし、スキルが整わなくてもとにかくバンドを組んでステージに立ち、すぐにレコードをリリースする…という活動姿勢は、パンクの勃興とインディペンデント・レーベルの隆盛がなければあり得なかった(NWOBHM勢に影響を与えたMOTORHEADやPINK FAIRIESはパンクの牙城ともいうべきスティッフ・レコーズから出していたし)。ハード・ロック/ヘヴィ・メタルといえば、ギター速弾きとかテクニカルな印象がある一方で、NWOBHMには初期パンク同様に自主制作のシングルやアルバム1枚で消えていったようなバンドも多く。そんな連中のテクニカルにはほど遠い演奏とショボい音質は、(結果として)パンクに共通する(既にいろんなところで言っている通り、NWOBHMのマイナーどころは初期パンクやガレージの好きな人もかなり聴けると思う)。
 そして、そんな多くのマイナーなバンドたちの活動こそが、当時のシーンに豊かさと独特な味わいを与えていた…と俺は思っている。中でも、RAWな演奏とRAW過ぎる音質を意に介さずドタバタと突っ走ったVENOMが後のハードコア・パンクからブラック・メタルまで、エクストリームなロックに与えた影響の大きさよ。

 …話をIRON MAIDENに戻そう。百花繚乱というか百家争鳴というか、のNWOBHMにあって、IRON MAIDENの個性はまた際立っていた。このバンドもやはりというか演奏巧者ばかりが集まっていたワケじゃなかったが、スティーヴ・ハリスだけは完全に別格だった。当時としては異例なまでの手数とドライヴ感を誇るスティーヴのリード・ベース(?)を中心に組み立てられる異様なアンサンブル、そして短髪にレザー・ジャケット…のパンク風なルックスでステージに立つポール・ディアノ。放たれるのはハード・ロック然とした伸びやかなハイトーン・ヴォーカルじゃなく、怒鳴るようなシャウト。IRON MAIDENは、当時他のどんなバンドにも似ていなかった。

 そして1980年4月、IRON MAIDENはデビュー・アルバム『IRON MAIDEN』をリリースする。強烈なジャケット(画像)と相まって、ロック史上に残るアルバムのひとつだ。ギタリストの交代を経て81年2月には2ndアルバム『KILLERS』をリリースし、5月には初の来日も果たしている。
 どちらのアルバムも、ドライヴするベースに凶悪なヴォーカルにアグレッシヴなリフ、そのくせプログレッシヴ・ロックの影響を受けたやけに複雑な展開…と、聴きどころ満載の作品だ。『KILLERS』では演奏力もプロダクションも随分向上しているが、それでも「Murders In The Rue Morgue」なんかは初期パンクと一緒に聴いてもそれほど違和感ないのでは(と思う)。

 …しかし急激な成功とそれによるプレッシャーは、ポール・ディアノの心身を圧迫していた。結局1981年にポールが脱退し、稀に見る特異なバランス、あるいはアンバランスぶりを見せた初期IRON MAIDENのアンサンブルは永遠に消え去った。後任には元SAMSONのブルース・ディッキンソンが加入し、バンドはブームとしてのNWOBHMが衰退した後もヘヴィ・メタル界のトップ・バンドとして現在まで君臨し続けているが、ここで持ち上げたいのはブルースの朗々としたヴォーカルよりもやっぱりポールの刺々しいヴォーカルだ。


 80年代半ば以降にスピード・メタルとハードコア・パンクがクロスオーヴァーする…それより前の時代には、メタルとパンクのリスナーはかなりはっきり分かれていた。俺が学生の頃、“様式派メタル命!”の諸先輩方はパンクどころか、METALLICAさえ雑音扱いして、認めようとはしなかった(そのへんの世代の人たちは、今でもきっとMETALLICAとかあんまり聴いてないんじゃないかな)。だが今となってはそれも昔話だ。
 IRON MAIDEN、この記事を書いた時点でもDOLL的にはメインディッシュじゃなかったはずだが、IRON MAIDENなんてダメだ、というパンクスは今ではそう多くないはず(BURNING SOULみたいにバリバリIRON MAIDEN入ったパンク・バンドもあることだし)。機会があればNWOBHMの泡沫バンド(昨今は発掘音源のCD化なども相次いでいる)なんかも是非聴いてみて欲しいところです。


(2023.1.13.全面改訂)

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