5.6 Miles High(Hiroshima)

画像車を走らせていて、急に思ったこと。
「広島と長崎に原爆を落としたB29に対して、迎撃の動きはまったくなかったのか?」
幾ら大編隊ではないとはいえ、都市の上空にまんまとB29の侵入を許すほど、当時の日本の防空体制はダメだったのだろうか、と。

帰宅して検索してみた。
いろいろな人がいろいろなことを書いているので、正直言って何が本当のことなのかを完全に把握し切ることは出来なかったが。
それでも疑問に対して幾多の情報が得られるのだから、インターネットというのはやはり便利なモノだ。
(その分、こっちのリテラシーも大事になって来るとはいえ)

いろいろなサイトの情報から総合して考えると、結局のところ組織立った迎撃はほぼ皆無だった、ということになるようだ。
広島の場合でいうと、飛んで来たのは原爆を積載した“エノラ・ゲイ”と随伴機、合計3機。
通常の空襲と違い、小編成で護衛の戦闘機も連れず、しかも約9000mの高高度を飛行。
四国上空で1機だけ上がった陸軍の戦闘機(二式複座戦闘機「屠龍」)があったという話もあるが、B29に損害を与えることは出来なかったらしい。

一般的な空襲の際には大編隊がやって来るし、高度も2000~5000m。
それに対して9000mの高高度をたった3機で飛んで来たエノラ・ゲイたちは、偵察目的と判断されたようで。
当時、爆弾を落としたりすることのない偵察機に対して迎撃機を編隊で上げるような余裕は、もう陸軍にも海軍にもなく。
そして高度9000mを飛ぶ敵機を撃墜出来るような高射砲もなく。
(ほぼ唯一その能力を持っていたのは当時最新鋭の五式15センチ高射砲だったが、コレとて杉並区久我山に2門配備されていたのみ)

組織的な、そして有効な迎撃の可能性が低いと判断したからこそ、米軍もB29をたった3機で日本の都市の上空に送り込んだのだろう。
もちろん迎撃の可能性はまったくゼロじゃなかったし、真偽は知らないが屠龍と遭遇したという話もあるワケだから、乗組員たちは肝を冷やしたかも知れない。
それで結局どうなったかは、多くの人が知るとおりだ。

都市の上空に飛んで来た敵機を迎撃することも出来ない。
日本軍、とっくに終わってたと思う。
原爆投下がなければ米軍の本土上陸でもっと悲惨なことになったはず、みたいな話もあるが。
しかし、当時の日本軍の末期的な戦力低下や、日本の国力自体の低下を思えば、原爆投下なんて雑なダメ押しをしないでも終われたんじゃないだろうか。

いろいろなことを考えるが、結果は変えられない。
そんな今日は広島原爆忌。
世界に平和を。


追記:
長崎については、当初小倉が第1目標だったのが、流石に広島の件があり、陸海軍とも迎撃機を上げ、結果として長崎に原爆が投下されることになったのだという。
小倉では(軍ではなく)八幡製鉄所の従業員たちがコールタールを燃やして煙幕を張ろうとしたという話もあるが、それがどれだけ有効だったかはわからない。

(2025.5.26.)

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