その死神はその後も地道に活動を続け、昨年“死神紫郎”と改名。
改名後初となるアルバムがコレ。
(“死神”名義を含めると通算4作目)
全10曲35分ほどの短いアルバムだが、内容は濃密。
逆にこの方向性で70分とかあったらしんどいかも知れない。
ギター弾き語りで活動する、いわゆるシンガーソングライター、しかしアルバムではギター以外の楽器もすべて自分で演奏して重ねている。
シンセサイザーをはじめとする多重録音によるシンフォニックな「序幕」に続いて歌われる「続・自殺の唄」から“投身自殺をした人は なかなかきれいに死ねなくて”とクる。
アタックの強いアコースティック・ギターに朗々とした“イイ声”で放たれる、自死を選んだ人たちの悲惨な死にざま。
(曲の前後に入る、スマホのヴァイブが鳴動するような音がまた怖い)
ピアノ弾き語りによる「二足、影絵踏み」で描かれるぎくしゃくとした歩行の模様は、ただ最終的な死に向かって進み続けるだけの人の一生を象徴したモノだろうか。
アルバム中で最も速い曲である「牛は屠殺を免れない」も然りで、“牛舎で産まれ 牛舎で飼われ 牛舎で育って屠殺場へ”という歌詞には、人間も大して変わりゃしないという暗い暗い暗喩が込められているようにも思われる。
2015年にリリースされたシングル曲のライヴ・ヴァージョンである「どうせいつか壊れてしまう人間は悲しい肉の飴細工だから」も含め、とにかくアルバム全体を覆う死の影。
それでいて単に重く暗いだけの作品になっていないのは、死神紫郎がすべての人間に避けがたく等しく訪れる死というモノにそれだけ真摯に向き合い、歌として“昇華”させようとしているからなのかも知れない。
その歌い口には、随所にユーモアさえ感じられたりも。
いわゆるヴォイス・パフォーマンスあるいはヴォイス・パーカッションというべき「なにかの拍子」は、木幡東介(マリア観音)が提唱する、メトロノームに即さない自分自身のリズムや間の探求にも通じるモノがあり。
風呂を沼に見立てた「四角い浴室」も、その曲名からマリア観音「懺悔の風呂場」を思い出す人がいるかも知れない。
実際対バンすることもあるようで、マリア観音のファンにもお勧め出来るアルバムだと思う。
タイトル曲には“わたしのフォークよ”という歌詞があるが、昭和的な色彩を感じさせながらも古風なフォークにはなっていないし、なりようもないだろう。
デジタル世界の用語が頻出する死神紫郎の弾き語りは、タイトル通り平成に別れを告げて令和の世に向けて放たれる。
間違いなく聴き手を選ぶ1枚でありつつ、このブログを読んでくれているような人なら少なからず刺さる作品になっているのでは。
『さよなら平成』、27日リリース。
「牛は屠殺を免れない」MV
https://www.youtube.com/watch?v=KrPMWJRodmU
(2025.11.5.改訂)
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