Original Sin

PATTI SMITH.jpg禁断の果実を口にしたことによってエデンの園を追放されたアダムとイヴ…を先祖とするすべての人類は、生まれながらに原罪を背負った罪深い存在である。
そして神は自身の子であるイエスが磔刑で死んだ時に、人類の罪をイエスに贖わせた。
…という、パウロを中心とする原始キリスト教の考えは、ローマ帝国の国教となりオーガナイズされた、後世のキリスト教団に引き継がれ。

三位一体説をはじめとするカトリック教団の教義が確立していくうえで、大きな影響を及ぼしたのは、ローマ帝国最大の教父・アウグスティヌス。
彼は、人間が自分の人生を自分の意志で決定しようとする”自由意志”こそが、人間の悪の本質であると考えた。
アウグスティヌス曰く、人間の自由意志に支配された現実世界=地上の国では、結局悪が支配することになる。
そしてアウグスティヌスは、人間の自由意志を徹底的に否定し、人間は神の恩寵を信じて生きることでしか救われないと説いた。

…なんかおっかないなあ。
しかし欧米とかのキリスト教圏では、今でも支配的な考え方なのだろう。

一方パティ・スミスは、1975年の1stアルバム『HORSES』(画像)の1曲目「Gloria」で、いきなり”Jesus died for somebody's sins but not mine”と歌い出した。
”イエスは誰かの罪のために死んだ、でも私のじゃない”…75年当時にあって、90年代のブラック・メタル勢と同じくらい、下手すりゃそれ以上に反キリスト的に響いたのでは。
(パティってニーチェとか好きそうだよなあ)

しかしパティ・スミスは『RADIO ETHIOPIA』(1976年)リリースに伴うツアー中、フロリダ州タンパでの演奏中に”何者かに突き落とされたように”突然ステージから転落し、首を骨折する重傷を負う。
復帰後のアルバム『EASTER』(78年)の「Privilege(Set Me Free)」では、パティは神に対して”私を自由にしてください”と歌った。
この曲はカヴァーだったが(ってか「Gloria」もカヴァーだ)、多分神罰のように感じられたに違いない転落事故を通して変化した、彼女の神との向き合い方…が透けているような。
それがどのような変化なのか、俺には知る由もないとはいえ。

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