THE STEVE MILLER BAND/GREATEST HITS 1974-78(1978)

STEVE MILLER BAND.jpgコレは何かでただで入手した1枚だったと記憶する。
THE STEVE MILLER BANDのベスト盤…というには非常に変則的な(?)編集盤で、タイトル通り”GREATEST HITS”とすべきなのだろう。

1966年にサンフランシスコでTHE STEVE MILLER BLUES BANDとして結成。
67年6月にあの「MONTEREY POP FESTIVAL」に出演したのを機に注目を集め、キャピトル・レコーズとの契約を得る。
秋にスティーヴ・ミラー(ヴォーカル、ギター他)の旧友ボズ・スキャッグス(ギター、ヴォーカル)が加入して、68年6月にTHE STEVE MILLER BAND名義で1stアルバム『CHILDREN OF THE FUTURE』(全米134位)をリリース。
同年10月には早くも2ndアルバム『SAILOR』をリリースし、全米24位と躍進するも、翌69年にボズが脱退し(その後ソロとしてAORで成功を収めるのは今更言うまでもないだろう)、その後も出入りを繰り返すベン・シドラン(キーボード)らが参加。
とにかくメンバー交代の多いバンドだった。
69年6月には3rdアルバム『BRAVE NEW WORLD』(全米22位)、69年11月に4thアルバム『YOUR SAVING GRACE』(同38位)、70年11月に5thアルバム『NUMBER 5』(23位)とアルバムを連発するが、その頃にはスティーヴ以外のメンバーは全員入れ替わっていた。

その後1971年9月にはロス・ヴァロリー(ベース:もちろんその後JOURNEYで活躍するロスその人)を迎えた6thアルバム『ROCK LOVE』(全米82位)、72年3月には7thアルバム『RECALL THE BEGINNING…A JOURNEY FROM EDEN』(同109位)…と、長くとも1年以内というインターバルで精力的にアルバムを出し続けるも、『BRAVE NEW WORLD』の全米22位が最高で、大きくは売れず。
しかし、ずっと前にこのブログで紹介したREO SPEEDWAGON(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_935.html)や、少し前に紹介した70年代のビリー・ジョエル(https://lsdblog.seesaa.net/article/202005article_3.html)同様、ほどほどのセールスが続く中堅勢にリリースの機会を与え続けることが出来たのが、この頃の米国レコード産業だった。
(正直、今では考えられない)

大ヒットが出ないうえにメンバーが固定せず、存続が怪しかったTHE STEVE MILLER BAND…は、皮肉なことに(?)スティーヴ・ミラーの負傷による活動休止を経て、バンド史上初めて1年以上の感覚を開けて1973年10月にリリースした8thアルバム『THE JOKER』で大逆転を果たす。
シングル「The Joker」が全米1位、アルバムも全米2位の大ヒット。
60年代からの長い下積み生活が遂に報われた瞬間だった。
スティーヴ・ミラー(ヴォーカル、ギター、ハープ)、ディック・トンプソン(ハモンド、クラヴィネット)、ジェラルド・ジョンソン(ベース)、ジョン・キング(ドラム)…という、スティーヴ以外は完全に入れ替わったバンドは、遂にスターダムに上り詰める。
白人ブルーズに発した音楽性は、この時点でキャッチーかついなたいアメリカン・ポップ・ロックにシフトしていた。

この頃のアメリカン・ロック・バンドの常道として、24時間のうち22時間をツアー生活に費やすような暮らしをしていたTHE STEVE MILLER BAND…は、アルバムとシングルの大ヒットを得て、すぐに次のヒット曲を追い求めることなく、敢えて初めて活動のペースを落とす。
9thアルバム『FLY LIKE AN EAGLE』がリリースされたのは、『THE JOKER』から3年近く経った1976年5月だった。
スティーヴ・ミラー(ヴォーカル、ギター、シンセサイザー、シタール)、デビュー当時に参加していたのが出戻ったロニー・ターナー(ベース)、ゲイリー・マラバー(ドラム)のベーシックなトリオに、多くのゲストが参加しての制作。
果たして「Take The Money And Run」が全米11位、「Rock N' Me」が全米1位、全英11位、「Fly Like An Eagle」が全米2位、そしてアルバムは全米3位、全英11位を記録する。
本国アメリカでしか注目されていなかったバンドが、初めてイギリスでも人気を得たのがこの頃だった。

本来ワーカホリックだったらしいスティーヴ・ミラーは、『FLY LIKE AN EAGLE』制作時に大量に作曲して結局採用しなかった楽曲をそのままにせず、それらの曲を集めた10thアルバム『BOOK OF DREAMS』を1977年5月にリリースする。
メンバーはまたしても入れ替わっていて、スティーヴ・ミラー(ヴォーカル、ギター、シンセサイザー、シタール)、デイヴィッド・デニー(ギター)、グレッグ・ダグラス(ギター、スライド)、バイロン・オールレッド(ピアノ、シンセサイザー)、ロニー・ターナー(ベース)、ゲイリー・マラバー(ドラム)+ゲスト陣という編成だった。
このアルバムからは「Jet Airliner」が全米8位、「Swingtown」が同17位、「Jungle Love」が23位とヒットし、アルバムも全米2位、全英12位を記録している。

アルバムが全米トップ10に入るようになったTHE STEVE MILLER BANDは、アリーナやスタジアムで演奏する大人気バンドとなる。
そこでライヴ盤のリリースを考えたスティーヴ・ミラーだったが、当時のライヴ音源に納得いかず。
さりとてすぐにスタジオ新作…というワケにもいかなかったバンドは、結局ベスト盤をリリースするのだった。
ただし、1968年以降のオールタイム・ベストではなく、バンドが大ヒットを記録するようになった(当時の)近作からの選曲となった。
それがこの『GREATEST HITS 1974-78』。

結局、『FLY LIKE AN EAGLE』からの6曲+『BOOK OF DREAMS』からの7曲に、「The Joker」(アルバムは1973年のリリースだったが、この曲は74年1月にヒット)を加えた14曲という、”ベスト盤”としては非常に変則的な1枚となっている。
しかし、「The Joker」(全米1位)、「Take The Money And Run」(全米11位)、「Rock N' Me」(全米1位)、「Fly Like An Eagle」(全米2位)、「Jet Airliner」(全米8位)、「Swingtown」(17位)と、14曲中半数近くが全米20位以内のヒット…”GREATEST HITS”というタイトルはなるほど似つかわしい。
白人ブルーズをベースにしたいなたいポップ・ロックに、シンセサイザーやシタールをフィーチュアしたスペーシーでサイケデリックな、独自なサウンドが堪能出来る。

THE STEVE MILLER BANDは、『BOOK OF DREAMS』を最後に再び沈黙。
残念ながらここ日本では初期も全盛期もあまり注目されないままだったが、しかし本国アメリカではその後も根強い支持があり。
活動再開後、1981年の11thアルバム『CIRCLE OF LOVE』からはタイトル曲が全米1位・全英2位の大ヒットとなり、アルバムも全米26位を記録。
82年には12thアルバム『ABRACADABRA』が全米3位、全英10位の大ヒットで、第二の黄金期と言われている。

俺が洋楽ロックを聴き始めたのは1983年夏で…その時点では『ABRACADABRA』のヒットも過去(!)のことだった。
(DURAN DURANやKAJAGOOGOOやEURYTHMICSやHUMAN LEAGUEなどの英国勢がヒットを飛ばしていた当時、ヒットチャートの移り変わりはそれほど激しかった)
THE STEVE MILLER BANDは78年に計画のあったライヴ盤を、改めて83年に『STEVE MILLER BAND LIVE!』としてリリースしたものの、全米125位止まり。
84年の13thアルバム『ITALIAN X RAYS』は106位、86年の14thアルバム『LIVING IN THE 20th CENTURY』は65位、88年の15thアルバム『BORN 2 BE BLUE』は108位。
そしてバンドはキャピトルとの契約を失う。

それでもアメリカには確たるファンベースがあったようだ。
ポリドールと契約しての16thアルバム『WIDE RIVER』(1993年:全米85位)、長いブランクを経ての17thアルバム『BINGO!』(2010年:全米37位)、18thアルバム『LET YOUR HAIR DOWN』(11年:全米189位)と…このバンドのアルバムは60年代以来、すべてが全米200位以内に入り続けている。
(すげえ…)

そして彼らは今も活動中である。
この”GREATEST HITS”アルバムも、当時全米18位を記録している。
大ヒットした曲以外でも、まるでWISHBONE ASHみたいな(?)「Winter Time」をはじめ、良い曲山盛り。
THE STEVE MILLER BAND、聴いたことない人は是非聴いてみてください。

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