DEEP PURPLE/MADE IN EUROPE(1976)

DEEP PURPLE.jpgなんだかんだでDEEP PURPLEはこのブログでけっこういろいろ紹介してきたんだけど、それらはほとんどが第2期を中心に、イアン・ギランが歌っているやつだった。
まあベスト盤『DEEPEST PURPLE』(1980年:https://lsdblog.seesaa.net/article/202101article_19.html)には第3期の曲も入ってはいたが。
第3期として単独の作品を紹介するのは、コレが初めて、のはず。

第3期DEEP PURPLE最後の日々を記録した1枚。
1974年12月にリリースされたアルバム『STORMBRINGER』に伴うヨーロッパ・ツアーでの、75年4月4日・オーストリアのグラーツ、4月5日・ドイツのザールブリュッケン、そして7日・フランスのパリでのライヴ音源を編集したモノ、と言われている。
しかし実際にはほとんどがザールブリュッケンの音源らしい。
俺の手元にある国内盤CDは、背表紙にもインサートにも”ディープ・パープル・ライヴ・イン・パリ”と書いてあるのだが…。
(パリ公演はその後単独でCD化)
ともあれパリ公演を最後に、リッチー・ブラックモアがバンドを脱退することになる。

1972年の名作『LIVE IN JAPAN』(『MADE IN JAPAN』)のような2枚組にはならず、LP1枚でのリリース。
…とあって、「Smoke On The Water」も「Highway Star」も全部カットして、第3期のレパートリー5曲だけ収録するという、かなり思い切った(?)内容に。
LPの両面に上手いこと収めるためだろう、曲順も改変されている。
それだけでなく、かなりの切り貼り・編集が行なわれているらしい。

バンドが一斉にズギョ~ンと音を出した後、デイヴィッド・カヴァデールが”Rock 'n' Roll…”とつぶやくと、「Burn」がスタート。
グレン・ヒューズのファンク志向にうんざりして脱退を決意し、ヨーロッパ・ツアーの直前に『RITCHIE BLACKMORE'S RAINBOW』のレコーディングを済ませていたリッチー・ブラックモアの心は、とっくにDEEP PURPLEから遠く離れていたはずだが、一切手抜きを感じさせないプレイ。
「Burn」でも、スタジオ・ヴァージョンとまるっきり違う、アグレッシヴなソロを弾き倒す。
グレンのベースもスタジオ作以上のノリ。
(そして転調部での絶叫…)
もちろんイアン・ペイスは言うに及ばず。

12分近い「Mistreated」の終盤にはB.B.キング「Rock Me Baby」が歌い込まれる。
「Smoke On The Water」に続けてグレン・ヒューズがレイ・チャールズの「Georgia On My Mind」を歌うのには我慢がならなかった(苦笑)というリッチー・ブラックモアも、「Rock Me Baby」なら(多分)OKだったでしょう。

そこからスピーディーな「Lady Double Dealer」。
「Burn」ではちょっと怪しいところもあったデイヴィッド・カヴァデールの歌唱は、ここでは冴えている。
ソロはリッチー・ブラックモア以上にジョン・ロードが頑張る。

ハイライトは17分近い「You Fool No One」かも知れない。
デイヴィッド・カヴァデールが曲名をコールした後、ジョン・ロードのちょっとしたオルガン・ソロに始まり、本当のイントロに入るまで2分半以上ある。
そしてイントロが始まると、リッチー・ブラックモアが弾いているのは…『RITCHIE BLACKMORE'S RAINBOW』に収録されるTHE YARDBIRDSカヴァー「Still I'm Sad」の有名なイントロ・リフではないですか。
シャレがキツいぜリッチー。
(しかもイアン・ペイスもカウベル叩いてるし)
ツイン・ヴォーカルが歌い出すまで4分もあり。
更に、ギター・ソロだけではなくドラム・ソロも入る。

ラストは、本当は2曲目に演奏されていたはずの「Stormbringer」。
リッチー・ブラックモアのスライドが光る。
ジョン・ロードのソロもカッコいい。
ただ、ライヴ盤の最後がこの曲ってどうかな、と思わなくもない。
(よく聴くと、曲が終わった後の観客の長い歓声はテープをループさせて引っぱっている)

エンジニアはもちろん(?)マーティン・バーチ。
各楽器のバランスは完璧。
ただし音圧が今ひとつなので、ヴォリュームを上げないと楽しめないのは残念。
(あとリッチー・ブラックモアは「ギターが小さい、ベースがデカ過ぎる」とか言ってそうな気がする)

ともあれリッチー・ブラックモアはDEEP PURPLEを去った。
1975年8月に来日する予定が組まれていたそうだが、結局第3期DEEP PURPLEが日本のファンの前で演奏することはなかった。
その後75年12月には、質の悪いヘロインのせいで指が動かなくなってしまったトミー・ボーリンを擁する第4期DEEP PURPLEが、日本で悪夢のライヴを行なうことになる。

そしてこのアルバムがリリースされたのは1976年11月。
第3期どころか、第4期DEEP PURPLEも既に存在していなかった。
それでもワーナーは『MADE IN JAPAN』(全米6位、全英16位)の夢よ再び、と思っていたのかも知れない。
タイトルもジャケット・デザインも、『MADE IN JAPAN』を模したような感じ。
しかし実際には、全英チャートでは12位と『MADE IN JAPAN』を上回ったものの、全米チャートでは148位と惨敗。
アメリカのファンがDEEP PURPLEを見限るのは早かった。
その後全英1位を獲得した『DEEPEST PURPLE』も、全米チャートでは148位止まり。
皮肉なことに、『MADE IN EUROPE』と同じ順位であった。

でもこのアルバムは好きだ。
グラーツやパリでの演奏がほぼ完全に近い形で聴けるようになった今でも、LP1枚もののライヴ・アルバムという”作品”として作り込まれた『MADE IN EUROPE』には、このアルバムなりの価値が存在すると思う。
同じように思っている人は少なくないのでは。

この記事へのコメント