ANGELIC UPSTARTS/THE PUNK SINGLES COLLECTION(2004)

ANGELIC UPSTARTS.jpg俺が初めて聴いたANGELIC UPSTARTSは、ラジオでかかった「Woman In Disguise」だった。
勝手に”ずんどこずんどこ、オイオイオイ!”みたいな(?)イメージを持っていたので、キャッチーな楽曲とパワフルで疾走感に満ちた演奏にぶっ飛ばされた。
その後オリジナル・アルバムのライナーノーツを担当する機会を得たりもしたのだが、一番愛聴しているのはこのシングル集だ。

1977年、メンシことトーマス・メンズフォース(ヴォーカル)、モンドことレイ・コウイー(ギター)、スティーヴ・フォステン(ベース)、デレク”デッカ”ウェイド(ドラム)の4人で結成。
78年5月にシングル「The Murder Of Liddle Towers」でレコード・デビュー。
自主制作だったこのシングルは4ヵ月後にラフ・トレードとスモール・ワンダーが共同で再発し、インディ・チャートの28位を記録。
一躍注目を集めるようになったバンドはワーナーと契約を得て、1stアルバム『TEENAGE WARNING』(79年)はメジャーからのリリースとなる。
(プロデュースはSHAM 69のジミー・パーシー)
しかしその時点でドラムが交代していて。
その後バンドはメンバー交代と音楽性の変遷を重ねるのだった。

このシングル集には、1978~85年のシングル17枚のA面曲が収録されている。
「The Murder Of Liddle Towers」の時点では、パンク・ロックというか、凄く乱雑なブルーズ・ベースのR&Rみたいにも聴こえる。
バンドはTHE CLASHの多大な影響下に結成されたというが(ライヴで「White Riot」をカヴァーしていたSHAM 69のジミー・パーシーがプロデュースすることになったのも納得)、彼らがその後THE ANIMALSの「We Gotta Get Out Of This Place」をカヴァーしていることからしても、黒人音楽に根差した60年代のビート/R&Rの影響があったことは間違いないだろう。

ただし「We Gotta Get Out Of This Place」はTHE ANIMALSが得意とした黒人音楽のカヴァーではなく、バリー・マン&シンシア・ウェイルというブリル・ビルディングの職業作曲家の曲。
この曲は他にもBLUE OYSTER CULTやジェロ・ビアフラといった、ブルーズやソウルのルーツを感じさせない白人ロッカーがカヴァーしている。
BLUE OYSTER CULTとビアフラの間にANGELIC UPSTARTSが演っていたのも、これまた納得というか。

キース”スティックス”ウォリントン(ドラム)をフィーチュアしたバンドは1979年3月の「I'm An Upstart」(全英31位)、79年7月の「Teeage Warnig」(29位)、10月の「Never 'Ad Nothin」(52位)、80年1月の「Out Of Control」(58位)と、キャッチーでわかりやすく、一方で反権力を明確に打ち出したパンク・ロックで中ヒットを連発する。
そして「Out Of Control」と件の「We Gotta Get Out Of This Place」(65位)を含む2ndアルバム『WE GOTTA GET OUT OF THIS PLACE』を最後に、ANGELIC UPSTARTSはワーナーを離れるのだった。
(バンドの反体制的な姿勢のためだったと言われる)

新たにEM傘下のゾノフォンと契約したANGELIC UPSTARTSはグリン・ウォーレン(ベース)を迎えて1980年夏に「Last Night Another Soldier」をリリース。
(全英51位)
アレンジがちょっとキラキラしてきたというか(?)、よりポップな感じに。
80年11月には「England」をリリースするが、この頃にはスティックスがCOCKNEY REJECTSへと去り。
新たなドラマーはなんと(?)元ROXY MUSICのポール・トンプソンだった。
しかも曲調はトラッド風の(?)バラード。
続いて81年1月に「Kids On The Street」をリリース。
全英57位を記録したこの曲が、彼らにとって全英チャート入りした最後のシングルとなった。
かつてを思わせるパワフルなパンク・ロック。

その後デッカ・ウェイドが復帰するが、1981年7月の「I Understand」は意表をついて(?)ダビーなレゲエ。
しかし「Last Night Another Soldier」から「I Understand」までの楽曲はすべて3rdアルバム『2,000,000 VOICES』に収録されているのだった。

バンドは新たにトニー”フィードバック”モリスン(ベース)を迎え、1982年にアルバム『STILL FROM THE HEART』をリリース。
で、シングル「Different Strokes」(81年10月)もレゲエ。
しかもプロデュースがデニス・ボーヴェル。
(B面は完全にダブ)
ここまで来るともうまるっきり別のバンドに聴こえる。
そして82年3月の「Never Say Die」はシンセ・ポップ風(!)。

アルバム『REASON WHY』(1983年)ではポール・トンプソンが復帰し、ブライアン・ヘイズ(ギター)を迎えた5人編成となってアナグラムに移籍。
シングル「Woman In Disguise」では、初期とも80年代初頭ともまるっきり違う、ポップでキャッチー、それでいてサッチャリズムに徹底的に抗うパンク・ロックを聴かせ。
このシングル、インディ・チャートで18位だったそうだが、ナショナル・チャートに入らなかったのが信じられない名曲。
83年5月の「Solidarity」は、哀感漂うロック・ナンバー。

次のシングル「Not Just A Name」ではブライアン・ヘイズとポール・トンプソンが脱退し、バンドはニック・バック(ドラム)を迎えた4人編成となっている。
そしてこのシングルを最後にモンドが脱退し、オリジナル・メンバーがメンシのみとなるのだった。

ブライアン・ヘイズを復帰させ、ロニー・ロッカ(ギター)、マックス・スプロッジ(ベース)、ダーウェント(ドラム)という新メンバーを迎えてバンドを立て直したメンシは、1984年11月に新興レーベル・ピカソから「Machine Gun Kelly」をリリースし、インディ・チャート14位を記録する。
その後ダーウェントが脱退し、何故かロニーがベースに、マックスがドラムにコンバートしたバンドは、85年6月にガスという超マイナーなレーベルから「Brighton Bomb」をリリース。
手足を切り落とされて血を噴き出すマーガレット・サッチャーというショッキングなスリーヴのこのシングル、曲自体はかなり地味だったが、インディ・チャートでは4位と高評価。

この編集盤に収録されたのはここまで。
なんでわざわざ『THE PUNK SINGLES COLLECTION』なんてタイトルにしたのかな。
全然パンク・ロックじゃない曲も入ってるし、それが全然悪くないんだから、単に『THE SINGLES COLLECTION』でよかったじゃん、とか思う。

その後40年。
メンシが一時離脱したりデッカ・ウェイドが復帰したりしながら活動を続けたANGELIC UPSTARTSだったが、メンシは2021年12月10日に新型コロナウイルスにより65歳で死去。
しかしバンドはオリジナル・メンバー不在のラインナップで存続している模様。

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