
1974年5月にクロイドンでJOHNNY MOPED & THE 5 ARROGANT SUPERSTARSとして結成。
その時点で、バンド名からしてもパンク色がプンプンする。
75年1月にバンド名をJOHNNY MOPEDと短縮。
当時はのちのキャプテン・センシブル=レイ・バーンズ(ベース)が在籍していたことで知られる。
パンク・ムーヴメントが勃発するとバンドは俄然勢いを得て、有名なROXY CLUBにも出演した。
1977年7月8日にチズウィック・レコーズよりシングル「No One」でレコード・デビュー。
当時のメンバーはジョニー・モープドことポール・ハルフォード(ヴォーカル)、スライミー・トード(ギター)、フレッド・バーク(ベース)、デイヴ・バーク(ドラム)の4人。
フレッドとデイヴはクリッシー・ハインドとTHE UNUSUALSというバンドで活動していたという。
JOHNNY MOPEDはヴォーカリストの名前でもバンド名でもあった。
(初期のALICE COOPER同様。発音は”モープド”よりも”モープト”の方が近いのでは)
それにしてもスライミー・トード。
”ぬるぬるしたヒキガエル”って、凄いステージネームだな…。
ともあれ1978年3月24日、70年代当時唯一となったアルバム『CYCLEDELIC』をリリース。
この編集盤は『CYCLEDELIC』全曲と、「No One」をはじめとするシングルやアルバム未収録のスタジオ録音、そして1978年2月19日にROUNDHOUSEで録音されたライヴ音源(キャプテン・センシブル参加)を29曲79分半詰め込んだモノ。
「No One」をはじめとして、ジョニー・モープドが濁声でわめき、曲のエンディングとかそれ以外とかで”イヤイヤァ~!”とか”ア~ッ!”とか謎の絶叫が入るのがなんとも言えん。
あと、チャック・ベリー「Little Queenie」は何故裏声…。
シド・ヴィシャスもカヴァーしたエディ・コクラン「Somethin' Else」も演っている。
とにかく全体に品がない感じがたまらん。
(一方でまったくパンクに聴こえないポップ・ナンバー「Darling, Let's Have Another Baby」で音楽誌の”Single Of The Week”を獲得していたりも)
ところでリフといいソロといい…スライミー・トード、この人、実はハード・ロック上がりなのでは?
(ヒゲのルックスもそれっぽい)
で、このバンドの何が素晴らしいって、何より絶妙にダサ過ぎるルックスだろう。
ジョニー・モープド、今改めて見ると、コレ…スギちゃんじゃねえか!
「ワイルドだろお?」
(BUZZCOCKSとTHE STUKASのバッジが目を引く)
そして警官のコスプレをしたスライミー・トードに、刑事ドラマ風(?)のフレッド・バーク…。
この編集盤のライナーノーツは、デイヴ・バークが手掛けている。
曰く、”俺たちは不思議なバンドだった”と。
うん、そうだね…。
1978年11月にMOTORHEADがHAMMERSMITH ODEONでヘッドライナーとしてライヴを行なった時、前座を務めたのがJOHNNY MOPEDだった。
(大ブーイングだったらしい)
MOTORHEADがその後たちまちスターダムに登り詰めた一方で、JOHNNY MOPEDは78年末に解散。
フレッド・バークがアルコールの問題を抱ええていたことも影響したらしい。
バンド解散後、デイヴ・バークは短期間(たった3週間)THE DAMNEDに参加し、その後キャプテン・センシブルと活動する。
しかしJOHNNY MOPEDは80年代以降再結成を繰り返し、2011年からは安定した活動を継続。
ツアー活動だけでなく、アルバムのリリースも続けているのだった。
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