帰国してすぐのライヴでは逆にオジーが前座だった。
この頃が、自他共に認めるMOTORHEADの絶頂期だったろう。
同様に、かつてMOTORHEADを前座に従えたBLUE OYSTER CULTも、ニュルンベルクの「SUMMERNIGHT FESTIVAL」でMOTORHEADの後塵を拝することになる。
ただし、レミー自身は1980~81年頃がMOTORHEADの商業的成功の頂点だったことは認めつつも、(まあ当然とは思うが)バンドの活動自体やクリエイティヴィティのピークはそこではなかったことを主張している。
レミー自伝『ホワイト・ライン・フィーヴァー』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1867.html)では、82年までのトリオを”歴代最高のラインナップ”とする声に対して”そう主張する連中は恐らく近年の俺たちの作品を聴いてないんだろう”と語っていた。
まあ俺も『ACE OF SPADES』当時のトリオを毎度”黄金トリオ”と書いてるけどね。
ともあれ『IRON FIST』を最後に、黄金トリオはあっさり崩壊。
後任は元THIN LIZZYのブライアン”ロボ”ロバートソン。
レミー曰く、”加入当初のあいつは完璧だった”と。
実際、ロボが参加した唯一のオリジナル・アルバムとなった『ANOTHER PERFECT DAY』は素晴らしかったし、『LIVE 1983』(画像)をはじめとする、わずかに残された当時のライヴ音源を聴いても、ロボは非常にナイスなプレイを聴かせている。
しかし(この話は以前にも書いたが)、『ANOTHER PERFECT DAY』リリース後のツアーで、ブライアン・ロバートソンは「Ace Of Spades」「Overkill」「Bomber」「Motorhead」といったそれまでの代表曲を演奏することを拒絶。
実際『LIVE 1983』にはそれらの曲は収録されていない。
ってかレミー、よくそんなことを承諾したもんだよな…と今でも思う。
結局酒浸りでどうにもならなくなったブライアン・ロバートソンは解雇。
ロボがMOTORHEADに加入したのが1982年6月で、解雇されたのが83年12月。
たった1年半の在籍だった。
しかしその間に『ANOTHER PERFECT DAY』という傑作が残されたことは、素直に喜ばしい。
(あとロボの在籍期間はラリー・ウォリスやルーカス・フォックスよりかはずっと長い)
ともあれ再びギタリストを失ったMOTORHEADは新章に向かうのだった。
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