そして、ガイ・ビドミードをプロデューサーに起用したのが失敗だった、と。
しかしレミーは、『ROCK 'N' ROLL』はガイ・ビドミードのせいでダメだった、とは一言も言っていない。
ガイの起用は”そもそも俺たちの最大の間違い”であり、”本当のところはガイひとりのせいじゃねえよな―俺たちのせいだよ、確実に”と語っている。
非常に冷静でフェアな見方だと思う。
実際ガイは、このブログで『ROCK 'N' ROLL』を紹介した時にも書いた通り、コージー・パウエル『TILT』(1981年)、WARFARE『METAL ANARCHY』(85年)、HAWKWIND『THE XENON CORDEX』(88年:https://lsdblog.seesaa.net/article/201810article_12.html)など、MOTORHEADとの仕事の前後に何枚もの良作を手掛けている。
(俺は『ROCK 'N' ROLL』も大好き)
もっともガイ・ビドミードは、師匠格であるヴィック・メイルのような存在にはなれなかったのだが。
『ROCK 'N' ROLL』に続くライヴ盤『NO SLEEP AT ALL』(1988年)はやはりというか今ひとつピリッとしない出来で、以後MOTORHEADがガイと組むことはなかった。
それにしても…90年代以降死ぬまでアメリカ在住だったレミーだが、合衆国のグリーンカードがないままだったというのは、『ホワイト・ライン・フィーヴァー』を読んで初めて知ったのだった。
レミー曰く、入国管理局にとって彼は”危険なドラッグ中毒患者”で”要注意人物”であり続けたと。
実際、レミーをはじめとするMOTORHEADのメンバーたちは、いつ頃までドラッグを使い続けていたのだろうか。
けっこう長いこと足を洗っていなかった様子。
『ホワイト・ライン・フィーヴァー』には、フィル”フィルシー・アニマル”テイラーとフィル・キャンベルがそろって”茶色のスピード”で倒れた話が登場する。
茶色のスピード…。
ともあれレミーはアメリカに移住すると共にメジャー契約を手にすることになる。
それも長くは続かなかったのだが。
この記事へのコメント