ダグがマネージャーになる前の一時期は、ツアー・マネージャーのホブスとWTGのレズリー・ホリーがレミーを大いに助けたという。
ともあれバンドは活動を続けていた。
しかし次のアルバム『MARCH OR DIE』の制作に入って早々に、フィル”フィルシー・アニマル”テイラーがクビになる。
『MARCH OR DIE』ではオジー・オズボーンのバンドのメンバーとしてレミーとは旧知だったトミー・アルドリッジがほとんどの曲を叩いた。
そして新たに迎えられたのがミッキー・ディー(元KING DIAMOND他)だったことは、言うまでもない。
ところでレミー自伝『ホワイト・ライン・フィーヴァー』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1867.html)では、レミーとミッキー・ディーのなれそめについて「?」と思うところが幾つかある。
MOTORHEADはブライアン・ロバートソン在籍時にMERCYFUL FATEとツアーしたことがあり、当時ミッキーはMERCYFUL FATEにいた…とあるが、ミッキーがいたのはMERCYFUL FATEではなくKING DIAMONDだ。
MOTORHEADはKING DIAMONDとツアーしたことがあるので、レミーとミッキーが知り合ったのはその時だろう。
(ちなみにロボの在籍時ではなく、ピート・ギルを含む4人編成の時期だったはず)
また、フィル・テイラーが最初に脱退してピート・ギルが加入する直前にも、レミーはミッキー・ディーに声をかけたことがあったという。
しかしミッキーはDOKKENに加入するところだった、と。
コレもレミーの記憶違いと思われる。
ピートの加入は1984年、ミッキーが(DOKKENではなく)DON DOKKENに加入したのが90年のことだからだ。
『ホワイト・ライン・フィーヴァー』を読んでいると、レミーの記憶の確かさに驚かされるところが多々あるのだが。
一方、記憶があいまいなこともそりゃあいろいろあっただろう。
ともあれ新たにトッド・シンガーマンがマネージャーとなり、バンドは『MARCH OR DIE』を完成させる。
テッド・ニュージェント「Cat Scratch Fever」のカヴァーが入っているのは、テッドと仕事をしていたダグ・バンカー(デトロイト在住)とは関係なく、フィル・キャンベルの提案だったらしい。
しかし残念なことに、『1916』でイイ仕事をしたピート・ソリーとは、『MARCH OR DIE』では上手く行かなかったようだ。
(そもそも『1916』でMOTORHEADと上手くやれたのが不思議な気もするが…)
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