アルバム『FIGHTING』(1975年:全英60位)に伴う全英ツアーから、75年11月21日、DERBY COLLEGE OF TECHNOLOGYでのステージを、放送用音源で収録。
音質はかなり良い。
オープニングでフィル・ライノットが「録音されてるからな、騒げよ」みたいなMCをしていて。
「Fighting My Way Back」から演奏がスタート。
この時点で5枚のアルバムをリリースしていたTHIN LIZZYだったが。
ここでのレパートリーはほとんど4人編成での『NIGHTLIFE』(1974年)と『FIGHTING』から選ばれていて。
エリック・ベル在籍時の楽曲は「The Rocker」のみ。
ライヴの定番でありながらスタジオ録音が存在しなかった不思議なレパートリー「Baby Drives Me Crazy」(1978年の名ライヴ盤『LIVE AND DANGEROUS』にも収録されている)が既にこの頃から演奏されていたことがわかる。
あと、このライヴの翌年にリリースされる出世作『JAILBREAK』(全英10位、全米18位)に収録される「Cowboy Song」が「Derby Blues」として披露され。
(アレンジはかなり完成している)
ゲイリー・ムーアが最初に参加した(そしてすぐ脱退した)時に書かれた「Little Darling」が演奏されているのも嬉しい。
ラストにはサウンドチェック時のジャム(そのまんま「Sound Check Jam」とある)も収録。
『LIVE AND DANGEROUS』の時点でも円熟とは無縁なサウンドを聴かせていたTHIN LIZZYだが、それから3年前、『FIGHTING』で初めて全英チャートに顔を出したばかりで、ようやく下積み時代を脱しようとしていた彼らの演奏の熱いこと。
当時のTHIN LIZZYというと流麗でスムーズなツイン・リードというイメージが強いけど、ブライアン”ロボ”ロバートソンと思われるリードの速いプレイがけっこう聴かれるのにもグッとクる。
(言うまでもなく、ロボはその後MOTORHEADでまた素晴らしいギターを聴かせることに)
「Sha La La」でのブライアン・ダウニーのドラム・ソロもイカす。
ライナーノーツはブライアン・ダウニー自身による。
(そのせいか、ブックレットのステージ写真はブライアン主体となっている)
バンドは『NIGHTLIFE』で初めて4人編成となったものの、その時点ではまだ方向性が固まり切っていなかったらしく。
ブライアン曰く、彼らは1975年になってよりハードなロック・サウンドに変化することを決定し、ライヴのレパートリーをより”ステージ・オリエンテッド”な曲に置き換えて行ったのだそうで。
(THIN LIZZYは75年3月に初めてアメリカをツアーしている。そのことも刺激になったに違いない)
フィル・ライノットはツアー中にホテルで曲を書き、ツアーが終わってから曲を仕上げていたそうで、ここでの「Cowboy Song(Derby Blues)」のように未発表の新曲をステージで演奏することは珍しかったらしい。
ブライアン・ダウニーのライナーノーツは、”4ヵ月後、アルバム『JAILBREAK』がリリースされ、俺たちは別の時代に入った”と結ばれる。
その通り、翌年からTHIN LIZZYの快進撃が始まるのだった。
(もっとも、この4人編成はそれほど長くは続かなかったのだが)
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