”ドイツと日本て言う、バンドにとっての2大マーケットでちゃんと契約があって、新作を求められてたんだから、何がどうあれ俺たちは粛々と邁進する以外になかったのさ”
…当時MOTORHEADのアルバムを買い続け、来日ライヴにも足を運んでいた日本の忠実なファンたちは、堂々と胸を張ってイイってことだぜ。
(あと当時BURRN!で”底築”とかボロクソに言われてたテイチクのメタル部門のディレクターさんたちも)
ってかその頃のMOTORHEADにとって、最早英国は主たるマーケットじゃなかったんだなあ。
その『SACRIFICE』、もちろん傑作だったが、レミーにとっては”モーターヘッドの全作品の中でも個人的に思い入れの強いアルバムだ”そうで。
プロデューサーのハワード・ベンソンが多忙を極めていたせいであまりきちんと関われず、ワーゼルの心がもうMOTORHEADにないことが明白になる中で次々と”グレイトな曲が生まれた”と。
「Make'Em Blind」のギター・ソロを録っている最中に、カウチでギターを弾いていたフィル・キャンベルが床にひっくり返ってしまい、そのまま弾き続けたテイクが一発でOKになった…というエピソードには、『ACE OF SPADES』の「We Are The Road Crew」で”ファスト”エディ・クラークがまったく同様に床にひっくり返ったまま最高のソロをキメた、という伝説を思い出さずにいられない。
『SACRIFICE』は『ACE OF SPADES』のような大ヒットにはならなかったが、力作であることは間違いない。
結局『SACRIFICE』リリース後、ワーゼルがバンドを脱退する。
レミーは新たなギタリストを補充しなければと考えたが、ここでフィル・キャンベルが”覚醒”。
以後のMOTORHEADはレミーが亡くなるまで、エディ・クラークやブライアン・ロバートソンがいた頃と同様のパワー・トリオとして20年駆け抜けたのだった。
『ホワイト・ライン・フィーヴァー』で、レミーはフィル・キャンベルを”フィルはどんな体調の時でも良いソロをプレイ出来る”と評し、続けて”ブライアン・ロバートソンも似たようなところがあったな”と語っている。
クビにしたロボのこともこんな風に言うんだよね。
レミーってホントにフェアな人物だったと思う。
ともあれMOTORHEADはアメリカのCMCとも契約し、久しぶりにアメリカでもまともにアルバムがリリースされる状況になったのだった。
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