EMTIDI/SAAT(1972)

EMTIDI.jpg先日(ってかもう昨年な)紹介したBLACKWATER PARKやCLUSTER同様、1972年リリースのドイツのバンドなのだが、コレはまたえらく違う。

バヴァリア地方でホテルを経営する両親の元で育ったマイク・ハーシュフェルト(紙媒体でもネットでも何故か”イギリス出身のマイク・ハッシュフィールド”とされているのが散見される…)はいわゆるヒッピーとなり、ロンドンに渡ってヴァンクーヴァー出身のカナダ人、ドリー・ホルムズに出会う。
二人が1970年にロンドンで結成したのがEMTIDIだった。

EMTIDIはロンドンの路上やバーやクラブなどで演奏していたというが、時代は既に1970年。
同時期にロンドンで活動していたAMBER(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1455.html)あたりと同様に、サイケデリックを引きずったフォークという方向性では、70年にかの地で成功するのは難しかったのでは、と思う。

EMTIDIはベルリンに拠点を移す。
当時の西ドイツはサイケデリックな有象無象がうごめいていた頃…ベルリンに移ったのは正解だっただろう。
EMTIDIはソロフォンというレーベルと契約を取り付けて、1970年に1stアルバム『EMTIDI』をリリース。
この時点では、フツーにフォークと呼べる方向性だった。
当時の写真を見ると、二人ともいかにもフラワー・チルドレンという感じ。
(ドリー・ホルムズの服装からは、彼女がノーブラだったことがわかる)

そんなEMTIDIにジャーマン・サイケデリック界の仕掛人ロルフ=ウルリッヒ・カイザーが目を付ける。
オール他のレーベルを主宰し、短期間のうちにGURU GURUやASH RA TEMPEL、TANGERINE DREAMを世に出した男である。
カイザーはEMTIDIを自身のレーベルのひとつであるピルツに迎え入れ、自らのプロデュースで2ndアルバムを録音させるのだった。

そうしてリリースされたのが『SAAT』だった。
”Saat”というのは英語で”Seed”、つまり種子のこと。
邦題は”芽生えの時”となかなかしゃれている。
マイク・ハーシュフェルト(各種ギター、ベース、シンセサイザー、フルート、シンバル、ヴィブラフォン、ジューズ・ハープ、ヴォーカル)とドリー・ホルムズ(オルガン、ピアノ、スピネット、メロトロン、ヴォーカル)に、ロルフ=ウルリッヒ・カイザーの元でASH RA TEMPEL1973年の『SEVEN UP』(https://lsdblog.seesaa.net/article/202109article_20.html)にも参加していたディーター・ディエルクス(ダークス)がベースとパーカッションとメロトロンで参加し、ミックスも手掛けている。

…で、ドリー・ホルムズのリリカルで透明感あふれる声をフィーチュアしたアシッド・フォーク的な基本線に、シンセサイザーやメロトロンなどがミックスされた、この時代のドイツでなければ生まれないような、幻想的なプログレッシヴ・フォークになっている。
(全曲ドラムレス)
部分的にはスペース・ロックと言っても差し支えなさそう。
「Touch The Sun」とマイク・ハーシュフェルトがドイツ語で歌う「Die Reise」の2曲は10分以上あり、どちらもシンセやメロトロンがうなりを上げる。
(オルガンやフルートも)
プログレ・ファンにもそれなりにアピールする1枚だろう。
一方で、中ジャケットのケシ畑と思われるイラストからしても、サイケデリック・ドラッグの影響も相当大きかったのでは。

印象的なシンセやメロトロンがEMTIDIの二人のプレイであることからしても(メロトロンはディーター・ディエルクスも弾いているが)、単にロルフ=ウルリッヒ・カイザーの言いなりに作らされたような作品ではなかったはず。
特にマイク・ハーシュフェルトはアコースティックなフォークの人だったとは思えないようなエレキ・ギターによるリードも聴かせ、ドリー・ホルムズ共々ミュージシャンとしてかなりのスキルがあったのではと思わされる。
教会風のオルガンから始まる1曲目「Walkin' In The Park」、哀感に満ちたフォーク…と思わせておいて、後半いきなり疾走し、マイクがハードなソロを取る。
(マイクは幽玄なアコースティック・ギターも素晴らしい)
カイザーがEMTIDIに目を付けたのも、二人の才能あってのことだろう。
(アメリカのカウンター・カルチャーに憧れていたカイザーにとって、北米大陸出身のメンバーを含み英語で歌うEMTIDIはもってこいだったはず)

しかし、『SAAT』のリリース後にドリー・ホルムズはマイク・ハーシュフェルトとのコンビを解消し、カナダに帰ってしまう。
マイクはメンバーを補充してEMTIDIをバンド形態とし、3rdアルバムを制作しようとしたものの、ドリーの後任としてふさわしいヴォーカリストは見つからず。
結局EMTIDIは1975年に解散している。
75年と言えば、LSDで精神を病んだと伝えられるロルフ=ウルリッヒ・カイザーがレーベルをたたんで音楽業界を去った時期でもあった。
そしてマイクも音楽活動をやめてしまい。
ドリー脱退後にEMTIDIに参加したメンバーたちはNIAGARAを結成し、その後もドイツのジャズ・シーンで活動を続けたという。

カナダに帰ったドリー・ホルムズが母国で活動したという話は聞かない。
故郷バヴァリアに戻ったマイク・ハーシュフェルトは両親からホテルの経営を引き継ぎ、一方でヴィンテージカーの愛好家として、ドイツ国内では名の知れた存在だったらしい。
(ただのボンボンではなく、経営の才覚があったのかも知れない)
そしてマイクは2014年10月に65歳で亡くなっている。

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