SKEW SISKIN(1992)

SKEW SISKIN.jpgレミー/MOTORHEAD絡みで注目した、ベルリンの4人組の1stアルバム。

1990年結成。
バンド名は英語で”CRAZY BIRD”を意味するとか。
メンバーはニーナ・C・アリス(ヴォーカル、キーボード)、ジム・フォックス(ギター、キーボード)、ヨギ・ラウテンベルク(ベース)、ニック・テリー(ドラム)の4人。
ジムはパンク・バンドPVC5の、ヨギは同じくCLUB Xの元メンバー。
アルバムにはヴェテラン・セッションマンのトマス・グランツ(キーボード)も2曲で参加している。
(トマスはその後のアルバムにも参加)
国内盤CDの帯には”ベルリン最強のリズム・セクション“”噂のジャーマン・メタル”という勇ましい惹句が躍っている。

レミーに目をかけられ、MOTORHEADのツアーのサポートを務めたバンド…ということで注目したのだが、音楽性はMOTORHEADっぽくはない。
ずっしり重くてシンプルなリズム・セクションに甲高いアグレッシヴなヴォーカルは、むしろブライアン・ジョンソン参加後のAC/DCに近いタイプ。
(速い曲では『ORGASMATRON』当時のMOTORHEADを思わせる部分も)
つまり、帯にあるようなジャーマン・メタルではない。
アメリカでウケそうなハードR&R。

ハイライトは5曲目「In Another World」だろう。
中盤でのジム・フォックスのギターは明らかにジミ・ヘンドリックス「Voodoo Chile」を思わせ。
そのあとのサイケデリックなギターとニーナ・C・アリスのヴォーカルの絡みはほとんどLED ZEPPELIN「Whole Lotta Love」。
更にドラム・ソロまで入る。
グランジ全盛の時代とは思えない、実に12分半に及ぶクラシック・ロック影響下の熱演。

他のオリジナル曲もキャッチーなリフに引っかかりのあるヴォーカルでなかなか聴かせる。
THE KINKSのカヴァー「All Day & All Of The Night」もユニーク。

バンドはリズム・セクションを交代させながら、2007年までに6枚のアルバムをリリース。
03年の『ALBUM OF THE YEAR』ではレミーがバッキング・ヴォーカルでゲスト参加している。
その後15年ほどアルバムのリリースがなく、ニーナ・C・アリスはレミー死後にスリム・ジム・ファントムらがやっていたHEAD CATの活動にも関わっていたが、SKEW SISKINは解散したワケではなさそう。


さて、コレが2022年最後の投稿になる予定です。
苦しいなりに、どうにか年は越せそう。
皆様、来年もどうぞよろしくお願いします。

V.A./MITOHOS Ⅳ

MITOHOS.jpgLAのレーベル、デフ・タッチ・レコーズから25日にデジタル・リリースされた、日本のバンドを集めたオムニバスの第4弾。
このブログで何度か紹介してきた札幌のシンガー、ハシモニュウ率いるHasymonew Band…改めNOT SUNCHILDSが参加している。

2010年に東京で結成されたバンド、Loolowningen & The Far East Idiots(俺は2017年に一度ライヴを観ている)による制作。
『MITOHOS』(”見通す”?)というタイトルは、彼らが主催するシリーズ・イヴェントのタイトルにちなむらしい。
そのイヴェントは、”新しいフィーリング、スタイル、サウンドを提供する日本全国のバンドやミュージシャンを紹介”する意図があるのだという。
そしてこのオムニバスは”日本国内でいわば「ガラパゴス化」したサウンドと呼ばれることも多い、未知の素晴らしいミュージシャンを日本国外に住む方に紹介すること”を目的としているのだそうで。

Loolowningen & The Far East Idiotsをはじめとして、18組18曲。
で、Loolowningen & The Far East IdiotsとNOT SUNCHILDS以外には、名前だけでも知っているバンドはメシアと人人しかない。
なるほど、未知のバンドが集められているのですね。
1分49秒しかないマクマナマン「おまつり」から6分12秒ある皆木大知「不思議な旅」まで、バラバラな方向性の18曲が収められている。

お目当てのNOT SUNCHILDSは6曲目に「tutu」を提供。
現在の4人編成では初の音源という。
ハシモニュウとしては珍しい(?)ブルーズ・ロックをベースにした感じの(?)楽曲。
サビで繰り返される”言葉が愛を見出だしたよ”というフレーズと、それに重なるノイジーなギターが印象的な佳曲。

他にも聴きどころ多数。
個人的には、ムーディーなエレクトロニカ/トリップ・ホップといった感じのfolk enough「Black Frug(ANGELO REMIX)」、札幌の水玉さがしあたりにも通じるジャジーな雰囲気と儚げな女性ヴォーカルが印象に残る? Meytel「This Is Not A Lullaby」、テクニカルなドラムとブリブリのシンセ・ベースがカッコいいCowbellsのインストゥルメンタル「Melo」、エスニックというか汎アフリカ的な雰囲気を醸す電子音に柔らかい女性ヴォーカルが乗る5kai「drifter(demo)」あたりが良かった。


俺の知らない良いバンドが日本に、世界に、まだまだある…というのを痛感する。
金と時間がもっとありゃあな、とも思う。
(特に金)

夕べの終わり

イブニング.jpg講談社「イブニング」が来年2月28日発売号を以て休刊するという。

https://evening.kodansha.co.jp/news/5159.html

マジっすか…。
一瞬言葉を失った。

もう随分前から毎号追いかけることは出来ない状態だった(何しろ近所のコンビニや本屋にほとんど置いてなかったので。そして金もない)イブニング…とはいえ、現行の作品では『JJM 女子柔道部物語』とか『紫電改343』とか『賊軍 土方歳三』とか、それなりに楽しみにしていたんだけどな。
特に『創世のタイガ』。

毎号欠かさず買っていた頃は、『いとしのムーコ』(このブログでも紹介した)をはじめ、『オールラウンダー廻』とか『極悪がんぼ』とか『恋風』とか『サトラレ』とか『とろける鉄工所』とか『モテキ』とか『よんでますよ、アザゼルさん。』とか『レッド』とか、一生懸命読んでたよなあ。
しかし、2001年に月刊誌としてスタートした時点で35万部だった発行部数が、22年には7分の1以下(!)の4万部台に。
それは、休刊もやむなしか…。

”いくつかの連載作品”は「コミックDAYS」でWEB連載として継続されるという。
『創世のタイガ』は、続くんだよね?
一方で、”いくつかの連載作品”は容赦なく打ちきりか…。


自分自身がイイ歳こいて明日をも知れぬ不安定極まりないフリーランス生活を続けていることもあり(現状ブログ休みがちなぐらい仕事が忙しいのも、ホント有難いッスよ…)、同じく不安定な(ただし俺みたいな木端ライターと違って漫画家は大ヒットで一攫千金も可能だが)漫画家さんたちに幸あれ、と願う。
ってかイブニング、お世話になりました。

REAL AX BAND/NICHT STEHEN BLEIBEN/MOVE YOUR ASS IN TIME(1977)

REAL AX BAND.jpg1976年夏に結成されたドイツのジャズ・ロック/フュージョン・バンド、唯一のアルバム。
活動はドイツ国内ではなくスイスのヒルシュベルクを拠点にしていたらしい。
オリジナルLPは1977年12月(7月説も)リリースで、プレス枚数は2000枚とも2500枚とも言われ、今では激レアという。

メンバーはロンドン生まれのガーナ人、マリア・アーチャー(ヴォーカル:元EMBRYO)、ハインツ・オットー・グヴィアスタ(ギター、ヴォーカル、フルート他)、クリストファー”トフィ”マッヘ(ベース)、ディーター・ミーカウチェ(キーボード:元EMBRYO)、マーロン・クライン(ドラム、パーカッション)の5人。
最年少のマーロンはレコーディング当時若干17歳(!)だったそうだが、一方このバンドのリーダーは彼だったという。
リズム・セクションが結成したバンドに、アフリカで活動していたEMBRYO組の二人が合流してラインナップが完成したらしい。

アナログA面が”NICHT STEHEN BLEIBEN”、B面が”MOVE YOUR ASS IN TIME”と題されている。
ベースになっているのはジャズだが、そこにロック、ラテン、ファンク、アフロ、サイケデリックを全部ぶち込んだ雑食性が魅力。
クラシックのパーカッションを学んでいたというマーロン・クラインをはじめとして、非常にテクニカルで手数の多い演奏を聴かせる。
EMBRYO人脈でありつつ、同時期のEMBRYOのいなたい感じとは無縁で、とてもシャープ。
かなりファンキーでありつつも、いかにもドイツ人らしい(?)正確無比なリズム・ワークは、黒人音楽としての本来のジャズやファンクとは趣を異にする、彼ら独自の個性になっている。
そこに乗るマリア・アーチャーのソウルフルなヴォーカルがまた素晴らしい。
(ハインツ・オットー・グヴィアスタも2曲で歌っている)
収録曲「Samba Mortale」はのちにクラブ・ジャズ方面で知られるようになったのだそうで。

バンドはこの1枚しか残さなかった。
(のちに発掘ライヴ音源が出ている)
マーロン・クラインはその後DISSIDENTENを結成して、いわゆるワールド・ミュージックの領域で世界的に知られるようになる。
このアルバムはそのマーロンが、2001年のCD化に際してリマスターを手掛けている。
(俺が持っているのも01年の独フュンフウントフィアツィヒ盤)
70年代にドイツのジャズ・シーンで活動していたというマリア・アーチャーは、その後イギリスに戻ったという。

EL ZINE VOL.58

EL ZINE VOL.58.jpgはい、EL ZINE最新号です。
明日23日発売。

今回はなんと、DISCHARGE最大の問題作『GRAVE NEW WORLD』特集!
(狂ってる!←その特集に参加してる俺は?)
で、山路編集長の依頼により、『GRAVE NEW WORLD』の影響源その他を改めて検証してみる、という記事を書きました。
題して”『GRAVE NEW WORLD』解体新書”。
LED ZEPPELINとBLACK SABBATHだろ、と1行で済みそうな話を、4ページにわたって展開しております。
実際に書いてみたら、凄くいろいろな方向に話が飛んで、自分でもびっくりした。
(もちろんDEMONの名前は出てくる)
皆様、是非お読みください。

で、いきなり間違いがあった。
1986年サンフランシスコでのDISCHARGEのライヴ、「トリはD.R.I.だったようだ」とか書いちゃってるけど、いやいやトリはもちろんDISCHARGEでした。
DISCHARGEの演奏(YouTubeで聴ける)の間にD.R.I.コールが起きていたのは、トリがD.R.I.だったのではなく、オーディエンスは出番を終えたD.R.I.を呼び戻そうとしていたのね…。

特集の柱はNegative Insightの記事の翻訳だけど。
(1986年のDISCHARGEを特集してその影響を日本に波及させるNegative Insighjtも大概だよな…)
RECORD BOY大倉了さんの寄稿”Q: Grave New World Children? A: Grave New World Children”も最高に面白いです。


今年ももう終わりなんだなあ、というのを実感するのが、各レコード屋さんの2022年オススメ音盤紹介コーナー。
他にも読みでのある記事がいっぱいです。

次々と冬に散る

COLOURFIELD.jpgようやくブログ再開。
しかし休んでいた間にも訃報相次ぐ。

10月30日に聖悠紀が亡くなっていたという。
パーキンソン病からの肺炎。
72歳。
『超人ロック』シリーズがスタートしたのが、1967年(!)。
商業誌で連載が始まるまでに10年、それから40年以上も描き続け。
まさに『超人ロック』と共に歩んだ人生だった。
(もちろん『くるくるパッX』とか、他にも傑作多数。『超人ロック』以外では、意外とセクシーなお話とかも描いたりしてた)
俺は10年ほど前までは「ヤングキングアワーズ」を毎号買っていたので、それまではずっと『超人ロック』を読み続けていたことになる。
悠久の時の中を変わらない姿で生き続けるロックは、老境に入ってからも若い漫画家たちに混じって人気連載を続ける自身を反映するモノになっていたかも知れない。

今月18日にはテリー・ホールが。
膵臓癌。
63歳。
THE SPECIALS…という人が圧倒的に多いかも知れないが、SPECIALSが完全に後追いだった俺には、リアルタイムで接したTHE COLOURFIELD(画像)に尽きる。
険しい顔つきに似合わぬ(?)ジェントルなヴォーカルとポップなソングライティング。
カヴァーのセンスがまた絶品だった。
SLY & THE FAMILY STONEの「Running Away」はCOLOURFIELDのカヴァーで初めて聴いたのだった。
しかし、63歳とは…。

そして今日、高見知佳が亡くなったと。
子宮癌が発見されたのは先月のことだったという。
60歳。
16歳でデビューして、唯一の大ヒット曲「くちびるヌード」(オリコン16位)まで6年。
歌手としては大成しなかったけど、のちの相原勇とか、ああいう元気印系の女性タレントの元祖的な存在だったよなあ。
夏の参院選で立憲民主党から出馬して落選したのが、生前最後の大きなニュースだったか。


俺はとりあえず生きて年を越せる予定。
年を越したら、また次の正月を迎えるのが目標になるだろう。
しかしそんなに先のことはわからない。

冬に散る

STRANGLERS BLACK AND WHITE.jpg仕事がアレで先月末からブログ休みがちになり。
その間に訃報が相次いだ。
アイリーン・キャラも、クリスティン・マクヴィーも、佐川一政も、渡辺徹も、志垣太郎も、佐藤蛾次郎も、水木一郎も亡くなってしまった。


4日にマニュエル・ゲッチングも亡くなっていたという。
死因は不明。
70歳。

ASH RA TEMPELの1stアルバム(1971年)の時点で19歳。
多重録音で作り上げた『INVENTIONS FOR ELECTRIC GUITAR』(75年)の時点でもまだ23歳。
まさに早熟の天才だった。

初期ASH RA TEMPELで聴かせた、疾走する轟音ギター。
ASHRAやソロで追及した、透明感と浮遊感に満ちた何処までもヘヴンリーなギター。
いずれにしてもサイケデリックを極めた男であった。

遂にASH RA TEMPELのオリジナル・メンバーが、全員逝ってしまった。


そして、6日にジェット・ブラックが。
死因は不明。
84歳。
演奏活動からは既に引退していたし、年齢を考えれば仕方ないとも思うものの。
遂に逝ってしまったか。

1930年代生まれのパンク・ロッカー。
74年にJOHNNY SOX/THE GUILDFORD STRANGLERSに加入した時点で既に36歳。
実業家として成功した後に、プロのミュージシャンとしても成功した稀有な存在。
そして、彼こそがTHE STRANGLERSの魂であった。

2013年にツアー活動から退き、15年には単発のギグで叩くこともやめ。
18年に完全に引退となった時点で80歳。
来月新作をリリースするというイギー・ポップが何歳まで現役を続行するかわからないが、80歳で引退するパンク・ドラマーは今後も現れないだろう。

PACK(1978)

PACK.jpgドイツのパンク・シーン最初期のバンドのひとつ、唯一のアルバム。
しかし、メンバーたちには実はそれ以前からのキャリアがあった…というのはジャケットのメンバー写真から想像出来るかも知れない。

中心人物、ユルク・エヴァース(ギター、ヴォーカル)は1950年ミュンヘン生まれ。
14歳でギターを始め、60年代には幾つかのバンドでTHE ROLLING STONESやTHE WHO、THE PRETTY THINGなどをカヴァーしていたという。
しかし60年代末以降ドイツのロック・シーンがサイケデリックに染まると、ユルクもそちらに向かう。
EMBRYO『ROCKSESSION』(73年)、18 KARAT GOLD『ALL-BUMM』(73年)、SAMETI『HUNGRY FOR LOVE』(74年)と、AMON DUUL Ⅱ人脈のバンドでギターやベースを務め。
更にAMON DUUL Ⅱ『MADE IN GERMANY』(75年)ではストリング・アレンジ(!)を担当している。
(10代でバンドをやっていただけではなく、正規の音楽教育も受けていたのかも知れない)

ユルク・エヴァースとSAMETIで活動していたのが、フランス人ドラマーのダニエル”ダイナマイト”アルーノだった。
幼少時に両親を亡くしたダニエルは伯父に育てられたが、伯父とは上手く行かず、結局口論の末に怪我を負わせて出奔し、フランス外人部隊に入隊(!)。
そこでも上官を撃つというトラブルを起こして(命中はしなかったそうで)不名誉除隊。
ドイツに移ったダニエルはベルリンで売春婦のヒモとして暮らしてから教会の鐘撞き男(!)になり、それから楽器を始めて、GILAの『GILA』(1971年)を経てSAMETIに加入。

マルセイユ近郊で育ったフランス人、ジェラルド・カーボネル(ベース)は、父親が密造酒を作っていたという。
ところがその密造酒(粗悪なモノだったに違いない)を飲んだ流れ者が死体となって発見される。
警察の追及を逃れようとした父親は、あろうことかジェラルドに密造酒製造の罪を着せようとし(ひどい父親だなー)。
ドイツに逃げ出したジェラルドは、ミュンヘンでユルク・エヴァース、ダニエル・ダイナマイトと出会ったのだった。

サイケ/プログレ方面で活動してきたユルク・エヴァースだったが、THE PRETTY THINGSやTHE MONKSなどからの影響は残っていて、SAMETI在籍時からRAWでワイルドなR&Rを書いていたという。
そこにパンク・ムーヴメントが勃興する。
GURU GURU脱退後のアクス・ゲンリッヒがTHE STRANGLERSのカヴァーとか演っていたぐらいだから、ユルクが反応しないはずもなかった。
ユルクとジェラルド・カーボネルが結成した新バンドには、当初元AMON DUUL Ⅱのシュラトことクリスチャン・ティエール(ドラム)が参加していたというが、間もなくダニエル・ダイナマイトに交代。
そのバンドこそ、AMON DUUL Ⅱ人脈のパンク・バンドという奇特な存在・PACK。
ユルクは既に28歳だった。
(既に28歳というか、ジャケット写真見ると逆に「コレで28歳?」とか思う老け顔)

アルバム『PACK』のレコーディングは石炭倉庫に2チャンネルの録音機材を持ち込んでの一発録り、オーヴァーダビング一切なしどころか、エフェクト類も一切使わず、アンプ直だったという。
何故かヴォーカルが左チャンネルからしか聴こえないという、1978年とは思えない定位は、その録音方法の賜物か。
結果として”『KILLED BY DEATH』系”好きなら万歳三唱な感じの、RAWでワイルドでダーティーな、まさにパンク・ロックそのものな音が聴ける。
ユルク・エヴァース曰く、「SEX PISTOLSのレコードはクリーン過ぎる。連中はパンクだったがレコードはパンキーじゃない」と…。
「Looking For Danger」が西海岸ローファイ・ガレージの旗頭THE MUMMIESにカヴァーされたことからも、PACKのRAWパンクぶりはわかろうというモノだ。
CD化に際してのボーナス・トラック2曲はまとも(?)な定位&かなりクリアな音質だが。
ボーナス・トラック「Harakiri」なんて、曲名からは西海岸のCRIMEを思い出す一方で、フランス語の歌詞にはジャン・ジャック・バーネルの三島由紀夫好きを連想したりも。

ライヴもかなりアグレッシヴだったようで、CDブックレットの写真を見ると、革パンツに上半身裸で熱演するユルク・エヴェース…以上に、興奮して物を壊しまくっている観客が怖い(苦笑)。
(この時のライヴではダニエル・ダイナマイトが身の危険を感じて途中でステージから逃げ出したという)

しかし間もなくポスト・パンク=ノイエ・ドイッチェ・ヴィレが盛り上がるとPACKの人気は低下。
更にユルク・エヴァースがバイク事故で腕を負傷してしまい、PACKは短い活動で解散となってしまった。
ユルクがその後パンク的な音楽を再び演奏することがなかったことからして、THE PRETTY THINGSなどのファンだったとはいえキャリアもスキルもあったユルク…が一時的にパンクの流行に便乗しようとした側面もあったのでは、と思っている。
もっとも、それがPACKの価値を曇らせることはない。

その後のユルク・エヴァースはサントラの仕事をしたり、ソングライティング、スタジオ経営、プロデュース業などで活躍。
AMON DUUL Ⅱが解散していた1980年にクリス・カーラーがリリースしたソロ・アルバム『CHRIS KARRER』の録音にはPACKの3人が再び顔をそろえたという。
(クレジットはなかったはず)
更にAMON DUUL Ⅱの一時的な再編アルバム『VORTEX』ではユルクが久々にベーシストとして参加し、プロデュースも手掛けていた。

1994年にドイツのエヴァーソングスからCD化された『PACK』は、8年も経った2002年にキャプテン・トリップ・レコーズから国内配給され。
ライナーノーツは俺が書いた。
コレはかなり売れたはず。
(Discogsではけっこうとんでもない値段が付いている)

80年代以降、ユルク・エヴァースの作曲家・プロデューサーとしてのキャリアは堅調だったようで。
ユルクは2009年以降、ドイツの著作権管理団体GEMAの会長(!)を務めている。
ダニエル・ダイナマイトとジェラルド・カーボネルの二人も結局フランスに戻ることはなかったようで、現在もミュンヘンのあるバイエルン州在住という。

流血ブリザードVSアナル玄藩@下北沢SHELTER

20221209.jpg9日。
吉野屋(またかよ!)で腹ごしらえして、実に6年ぶりのSHELTER。
そして約4ヵ月ぶりの流血ブリザード。
今回はアナル玄藩との2マン。
両バンドの対バン自体は4年前に吉祥寺Club SEATAで観ているが、2マンは10年ぶりなのだそうで。

イヴェントの開演予定は19時半だったが、定刻を7分ほど過ぎて、フツーにライヴが始まるはずもなかった。
燕尾服を着た司会進行役”SUZAN”の仕切りで、両バンドのメンバーが登場してステージ上でにらみ合うオープニング・セレモニー。
続いてユダ様(流血ブリザード)、ゲンバ(アナル玄藩)という両バンドのヴォーカリストのインタヴュー、というか対談。
さっきまでの対決ポーズは何処へやら、二人とも完全に素でしゃべっているのが、異常に面白い。

で、20時頃からアナル玄藩のステージ。
ベーシストが女性になっている。
渡辺直美の背を高くしたような、でっかくてチャーミングな感じの子。
黒いスーツで登場したゲンバは1曲目のギター・ソロの間に全部脱いでしまい、帽子にジャケットにネクタイ、女物のパンツというスタイルに。
(ジャケットもわざわざさっきまでの黒いのと違うモノになっている)
もちろん金玉がはみ出している。
「恥ずかしい」と連呼していたけど、本気で言ってるのかな…。
そしてキャッチーで超ナンセンスなパンク・ロックが展開。
(ギターはナニゲに上手い)
後半はゲンバが晩年の美空ひばり風の羽飾り(10000円とのこと)を着け、「アナルひばりでございます!」と宣言。
35分ほどのステージ。
熱烈なアンコールに応えて演奏陣の3人がステージに戻ったものの、ゲンバは現れず。
「ゲンバさん帰っちゃいました、やっぱりやりません、ありがとうございました!」というMCで終了。
神戸から車でやって来た彼ら、駐車料金が10000円を超えていて心が折れたとか…。


白いスーツに着替えてカーリーヘアのカツラをかぶったSUZANがアコースティック弾き語りで両バンドに捧げる曲を熱唱した後、流血ブリザードが登場(画像)。
ハードコアでスカムなパンク・ロックを連発する。
おやユダ様、そのGGアリンのシャツいいね…。
観る度に髪型の変わるベルゼブブ・ヨゴレ(ベース)は緑色のオールバック。
素顔のミリー・バイソン(ギター)がかなりの美人さんであることは多くの人が知るところと思うが、ステージで次々に繰り出す変顔には彼女のプロ根性を思う。
そしてセットチェンジ中のわずかなプレイからも、見た目に反した(?)確かな実力を感じさせるセクシーダイナマイトプッシーガロアⅧ世(ドラム)。

お約束のメンバー紹介、ベルゼブブ・ヨゴレの「わはははは、俺は悪魔だ!」という軽~い声とへにょっとしたアクションにはいつも笑わされる。
そして「最後はハードコアで」みたいなMCから飛び出す「I Love Me」の楽しさと多幸感。
この曲聴くといつも思うんだけど、ユダ様って実はかなり優れたソングライターよ?
一方で、本人たちが標榜するほどパンクでもアナーキーでもない…のが透けて見えるところが、この人たちの愛すべきポイントというか(?)。
バンドを長い間牽引してきたフロントの二人、実は人一倍の常識人であるからこそ、非常識をよくわかってパフォーマンスしている…鬼畜でナンセンスな楽曲やライヴが長きにわたって愛されるのはそのせいなのかも、と思ったりする。


「アイヘイトスポーツ」で終わったアンコールの後、再びSUZANが登場して締めに入ったが、日付が変わる前に寝てしまいたい俺は退出。
ともあれ楽しいイヴェントでした。
多分今年最後のライヴ、のはず。

室井大資『イヌジニン』5話・6話・7話

イヌジニン5話.jpg漫画家・室井大資がツイッターに告知用のアカウントを開設したのが先月のこと。
電子書籍化はされているものの紙の本にはAmazonで3万円以上の値が付いている『イヌジニン』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1931.html)の単行本が無料公開され。
(俺は紙の本で持ってるんでそっちで改めて読み直したが)

そして昨日、『イヌジニン』の、単行本化されることのなかった3話がアップロードされた。

https://twitter.com/hellblaze661/status/1600033442401435648

うおー。
一気に読んだ。

鬱などで絵もお話も思ったようにならなかった時期の作品ということで、作者本人は全く気に入っていないらしく、世に出すつもりはなかったようだが。
いやいやいやいや。
面白いっスよ室井先生。

失踪者を探して甲信越地方N県(丸わかりだな)野沢郡の田舎町にやってきた犬神人(イヌジニン)・三隅と副島。
そこに協力者”トレーサー”として(カウンタックで)現れたのは、三隅の宿敵(?)にして犬神人の頭脳・守谷の部下である石和。
(人間ダウジングロッドみたいな人)
果たして失踪者たちをさらっていた犯人は、シリアルキラーでありつつ、一方で町の住人達を”鬼”として駒のように使役する、恐るべき呪力の持ち主であった。
…という第5話。
気を放つ力を失った三隅が生まれ故郷の島で育ての親”姉ちゃん”と再会する第6話。
そして第5話に登場した”怪(け)”が三隅たちに襲い掛かり、絶体絶命となる第7話(最終話:なるほど、このあたりになると作画が一部崩壊しかかっている…)。
しかし、犬神人の”声”としてのみ存在を許されていた樹が”自分の声”を発するところとか、グッとくるではありませんか…。
守谷も大活躍。


是非読んでみてください。
(『イヌジニン』読んだことない人は同じく公開中の単行本からどうぞ)


本当ならもっと続く連載になってたんだろうけどなー。
実写映画とかにならないかなー。
(いや、それは…)


ってか染野…。