Live Alone, Die Alone

MOTORHEAD ANOTHER PERFECT DAY.jpg100人以上を巻き添えに落っこちた、ドイツのパイロット。
マキシマムな自殺にして、同時に虐殺。

最低なことをしでかした理由が、あれこれと取り沙汰されている。
曰く「視覚障害だったらしい」
「欝病だったらしい」
「失恋で苦しんでいたらしい」

どの理由にしても、とにかくひどいことをやらかしたもんだが。
「失恋を苦に自殺」だったとしたら、巻き添えに死んだ人たちは一番浮かばれないな。
まあ、どの理由でも浮かばれないけど。

いわゆる“ストーカー殺人”も後を絶たないが。
付き合ってた女子高生を殺した上にあられもない画像を世界に向けてばらまいた某チャールズトーマスなんてのもいた。
別れた女を殺して自殺した奴も多い。

女と別れて、おかしくなって、何年も苦しんで。
挙句、女を殺して自殺して。
気持は、わからなくもない。
わからなくもないが。

それでも、一人で死ね。
別れた女なり、赤の他人なり、とにかく人を巻き込むな。
一人で死ね。

鉄道自殺もするな、みんなに迷惑だから。
仕事を辞めて、交友も断って、誰も知らないうちに一人で死んで、数ヵ月後に発見されろ。
一人で死ね。


画像はMOTORHEADのアルバム。
ここから、誰かを巻き添えに死ぬ奴に1曲。
「Die You Bastard」


追記:
三鷹ストーカー殺人の犯人は懲役22年。
有期刑では最長の刑期とのことだが、それでもあまりに短過ぎると思う。

(2024.7.31.)

普通のボールペンはないのか

ボールペン.jpg小学校低学年の時、親に日記を書くことを勧められ、ボールペンを与えられた。
以来ウン十年、ボールペンを使い続けている。
原稿はパソコンで書いてメールで送ってるけど、机の周りはいつも手書きのメモだらけ。
取材の時も、必ずボールペンを持って行く。

インクの質的に、ゼブラが好きじゃなくて、長いことパイロットか三菱だった。
ノック式とかも嫌いで、ずーっと昔ながらのキャップ式の“普通”のボールペン。
写真みたいなやつ。

ところが最近売ってない、こういうの。
先日ボールペンのインクが切れ、閉店時間間際の大きな書店兼文房具屋に寄り。
ノック式のこじゃれたやつしかないぞ。
「まあいいか」と、ゼブラのノック式を購入。
使ってみた。
ダメだこりゃー!
全然サラサラじゃないやん、ボテボテやん!

今日、いつもボールペンを買っていた小さい文房具屋に行った。
な…ない!
“普通”のボールペンが、ない!
ノック式のこじゃれたやつしかない!

結局、文房具屋のはしごをして購入。
今にも潰れそうな、店内の照明を半分しかつけてない文房具屋に、三菱の“普通”のボールペンがあった。
ナニ、こういうフツーのボールペン、本当になくなってきてるの?
昔愛用してた手帳(システム手帳とかじゃない、シンプルなやつ。ちなみにダイゴーの「グラヴィス」っていうの)も製造中止になっちゃったしなあ。
ワープロもなくなっちゃったしなあ。
(↑実は今でも使ってる)

白熱電球もどんどんなくなっちゃってるけど、LEDもイイことばっかりじゃないぞ!
シンプルでベーシックな昔のモノ、なくしてほしくない…と思う俺は、時代に取り残された人間なんだろうな。
大体携帯電話だって4年ちょっと前まで持ってなかったしな。


関係ないけど、パソコンで音楽聴くのが大嫌い。
レコードかCDの方がイイよね、絶対。


追記:
”いつもボールペンを買っていた小さい文房具屋”はその後潰れてしまい。
”今にも潰れそうな、店内の照明を半分しかつけてない文房具屋”にも、今では俺の求めるボールペンはない。
結局ボールペンと手帳はAmazonでまとめ買いしている。
そしてワープロも随分前に壊れてしまった。

(2021.12.13.)


(2024.7.24.改訂)

Beautiful Dreamer

METALLICA.jpg創元推理文庫の『ラブクラフト全集』を読み直している。
80年代後半に買い始めたのだけど、1989年に第6集が出た後、第7集で完結するまで15年以上待ち続けた。
読み直す…というか、その後出た別巻は買ったきり読んでいなかったことに改めて気づいた(苦笑)。

やっぱりというか、「クトゥルフの呼び声」とか「インスマウスの影」とかが大好きなんだけど、一方でH.P.ラヴクラフトの活動中期に書かれたいわゆる“ランドルフ・カーターもの”は、あんまり好きじゃなかった。
だって、夢の世界で冒険したり彷徨したりするカーターって…「結局、寝てるだけやん!」って(←ミもフタもないなー)。
“ランドルフ・カーターもの”を代表する長編「未知なるカダスを夢に求めて」なんて、終盤、ナイアルラトホテップ(ナイアーラトテップ)の姦計で“魔王”アザトホース(アザトース)の元へ送り込まれそうになったカーターが窮余の末に繰り出した最終手段が…“起きる”って(笑)。

しかし、改めて読み返してみると、あんまり好きじゃなかった“ランドルフ・カーターもの”にしても、夢の世界で繰り広げられる波乱万丈荒唐無稽の一大スペクタクルには、改めて恐れ入る。
とんでもない想像力というか妄想力というか。
そしてそこに見え隠れする、H.P.ラヴクラフトという人の、カフカとタメ張る現実世界との折り合いの悪さ。
20世紀のアメリカを全力で拒否しようとするかの如き、古き佳きニューイングランドへの偏愛。
(そしてWASP以外の人種に対する超あからさまな偏見)
自分の作品世界の全体性・統一性に命を賭け、勢い余ってそれ以外のバランス(人生そのものを含む)が全部台無し。
いやー、作品も面白いけど、本人が一番面白いわ。

「ダニッチの怪」(「ダンウィッチの怪」…俺が初めて読んだ時は単に「怪」というタイトルだったと記憶する)を読んだのが小学3年生の時。
その時から俺の人生もかなり狂った気がする。
ってか、そんなもん図書室に置いとくなよ旭川市立神楽小学校(笑)。
『ネクロノミコン』が市立図書館に置いてあるようなもんだぞ(苦笑)。


METALLICAの「The Call Of Ktulu」あたりを筆頭に、ロック界にもH.P.ラヴクラフトの影響は色濃い。
そのあたりの話はまた今度書こうと思う。
それにしても、今みたいにH.P.ラヴクラフトが一般的(?)人気を得るとは、俺が『ラヴクラフト全集』を読み始めた時点ではまったく想像もつかなかったなあ。
しかし、“Nyarlathotep”を“ニャルラトホテップ”と読むのは馴染まない。


(2024.6.25.改訂)

Doomsday

やみのさんしまい.jpg図体だけデカい、古色蒼然たる我が家のステレオ。
もう何年も前からアンプもカセットデッキもスピーカーも不調で、だましだまし使ってきたのだが。

一昨日の深夜、CDプレイヤーが逝った。
ウンともスンとも言わん。
レヴュー仕事をやろうとしたところだったのに、肝心のCDが聴けない。
パニクった。

「いやいや、CDウォークマンがある…ああっ、電池が入ってない!…ぐああっ、電池の買い置きがない!…いやいや、8月に壊れたDVDプレイヤーのACアダプターが流用出来るはず…」
…などと悪戦苦闘の末、「パソコンでCD聴けるじゃん」となったのは翌朝だった。
相当動転していたらしい。

とりあえずパソコンでCD聴いてる。
レコードとカセットはまだ聴ける。
しかしターンテーブルもカセットデッキも不調。
何よりアンプがかなりひどい状態。
しかも今CDを聴きながらこのブログ書いてるPCにしてから、6年近く使っていて最近は著しく信頼性が低い…。

一新すべきか…。
いや、そんな金、何処にもねえぞ。
自分の下層民っぷりを実感するな…。
じっと手を見る。


手ェ見てたって何も起こりゃしねえよ。
原稿書いて寝よう。


追記:
結局CDプレイヤーは某氏にいただいて事なきを得る。
しかし7年後の今はそのCDプレイヤーも不調。
レコードプレイヤーとカセットデッキは相変わらず不調。
アンプもひどいまま。
この記事を書いた時点でPCは3代目だったが、現在は5代目となっている。

(2021.10.17.)


追記2:
その後遂にカセットデッキが死んだまま現在に至る。

(2024.6.24.)

名探偵登場

BLUES BROTHERS.jpg少し前、夏目漱石が生きていた時代から探偵というのはカッコいい職業じゃなかったらしいのに、小説の中の探偵は警察みたいに事件を捜査したり犯人を捕まえたりするのが当たり前なのは何故だろう?…という話を書いたけど。
その直後の朝日新聞に、名探偵についての記事が載っておりましたよ。

そういう名探偵の元祖は、エドガー・アラン・ポー『モルグ街の殺人』に出てくるオーギュスト・デュパンなんだそうで。
1841年。
太平洋戦争開戦の100年前であります。

新聞記事によると、近代の都市化によって教会の存在感が薄れる中で、近代社会での死を合理的に解き明かす探偵の存在は“祭司”の役割を云々…とありますが。
なんだか小難しいこと言ってますね…。

そう言われても、じゃあどうしてその役割を担うのが刑事とかじゃなくて探偵だったんだろう、とか思ってしまう。
科学誌「ネイチャー」で、指紋の鑑定が捜査に役立つと発表されたのが1880年。
イタリアで、いわゆる“うそ発見器”が開発されたのも同じ頃。
エドガー・アラン・ポーやコナン・ドイルが探偵を描いていた時代に、科学と合理性で犯罪の真実に迫ろうとしていたのは、やっぱり探偵じゃなくて警察だったんじゃないかと思うんだけどねー。

そして、こないだも書いたけど、探偵が素行調査や浮気調査をして、時には犯罪の片棒も担いだり…というのが誰にも明らかになっている現代でも、探偵が活躍する小説や漫画やドラマは人気…というのもやっぱり不思議だ。
フィクションとはいえ…実際の探偵というのがあんまりカッコいい職業じゃなさそうというイメージは広く流布してるはずなのに。
現在の現実世界に、事件に迫る名探偵なんているんだろうか。

その点では、殺人事件を解決するとかじゃなくても、探偵の仕事には警察に頼めないような案件を解決に持って行くようなのもあったりはするらしい。
企業に潜り込んだ産業スパイを見つけ出したりとか。
でも地味だよな…。
ああ、不思議だ。


ところで、探偵じゃなくて、敵対する悪の組織の話になるけど、『名探偵コナン』のウォッカって、やっぱりジョン・ベルーシだよなー。


(2024.5.31.改訂)

探偵程劣等な稼業は又とあるまいと

ダヴィンチ.jpgその昔、俺が通っていた小学校の、道を隔てた隣に酒屋だか米屋だかがあって。
店の前は俺の通学路になっていたんだけど。

その店は確か1階が商店で、脇に小さな扉があり、その扉は2階に通じる、という構造だった。
(記憶が定かでない。扉は商店の隣の別のビルにあったのかも知れない。それはさておき)
ある日の学校帰り、なんとはなしにそのみすぼらしく小さなガラス扉に目が留まった。
「!」となった。

ガラス扉には“日本秘密探偵社(ニッタン)”と書いてあった。

日本秘密探偵社!
探偵事務所だ!
ものすげーワクワクした。

ワクワクしながら社名の横の小さい字を見ると。
「?」となった。

なんか、浮気調査とか素行調査とか書いてあるんですけど。

ワクワクがプシューと音を立ててしぼんだ。
探偵業が一般に興信所と呼ばれ、別に殺人事件を解決したりする仕事ではないと知ったのはほとんど同時だったと思う。

今夜のタイトルは夏目漱石の短編「趣味の遺伝」(明治39年)から。
“探偵程劣等な稼業は又とあるまいと自分にも思い、人にも宣言して憚らなかった自分が”というくだり。
探偵がカッコよく事件を解決する仕事でないことは、明治から変わりなかったようだが。
一方でその後江戸川乱歩が明智小五郎を大活躍させていたり。

探偵が警察よろしく事件を調べたり犯人を捕まえたり、といったイメージは、いつ頃からどのようにして定着したんだろうか。
探偵もの小説の歴史なんぞまるで知らない俺には、さっぱり想像もつかない。
そしてシャーロック・ホームズや明智小五郎の時代ならいざ知らず、探偵がストーカーの片棒を担いだりするような側面が知られたりもしているこの21世紀になっても、探偵が活躍する漫画やドラマは後を絶たない。
昔から不思議に思っているんだけど、結局今でも不思議だ。


ちなみに、フィクションに登場する探偵のキャラクターで俺が一番好きなのは、『奇生獣』の倉森だ。


追記:
シャーロック・ホームズ以前の英国や、明智小五郎以前の日本に、殺人事件を捜査するような探偵が実在したのだという。
コナン・ドイルや江戸川乱歩はそのような探偵の存在に影響を受けて探偵小説を書いたらしい。
現在の私立探偵の業務は大半が浮気調査だというが、前世紀のヒーロー然とした探偵像がいまだに受け継がれているというのは、やっぱり不思議だ。

(2024.5.23.)

諸行無常

T.REX.jpg下北沢の飲食店「ぶーふーうー」がこの15日に閉店したという。
そんなに何十回も行ったことがあるワケじゃないけど、下北沢でバンドにインタヴューとかする時は、DOLLでもFOLLOW-UPでも、取材場所は大抵あのお店だった。
界隈に住んでいてよく利用していたような人は、なおのこと残念だろう。
今度から下北沢で取材の時は、場所何処にするんだろう。

下北沢には、駅が新しくなって以降、まだ1回しか行ってないんだが。
駅が新しくなったの自体、元々方向音痴の俺には恐怖だった。
その1回の時も、駅を出たら自分がどこにいるのかまったく把握出来ず。
南口のマクドナルドを見つけた時、どれほどほっとしたことか(苦笑)。
一時期再開発であのへん全部ぶっ潰してみたいな話があったけど、その話は進行中なんだろうか。

「ぶーふーうー」が閉店した翌日の16日に、インフォレストが倒産。
あの有名な雑誌「小悪魔ageha」を出してた出版社。
当然ながら(?)「小悪魔ageha」を買って読んだりしたことは一度もないけど、コンビニなんかでパラパラ見て「なんじゃこりゃああ」なんてことは何度かあった。
こんなに早くなくなってしまうとは、予想もしなかったよな。

あと、秒速で1億稼ぐ、とか言われていた太っちょの人が、なんだかよく知らないが破産状態になったとかで。
俺なんかは仮に1億円あったらそれを更に転がそうとかは絶対考えないよなあ。
…とか言って、実際にそんなことがあったらどうなるかわからん(笑)。
友人のそのまた知り合いに、なんか宝くじで6億円とか当てた人物が存在するそうだけど、その人が現在左うちわで悠々自適かというと、そうじゃないとかいうし。
お金持ちでも、何処に穴があるかわからんのだなあ。
(でも出来ればお金持ちにはなりたいなあ。…無理だなあ)


それでも、金儲けの才覚のある人は、また金儲けが出来るんじゃないかと思う。
少なくとも、生きてりゃ何とかなるだろう。
熱狂の“Tレクスタシー”を巻き起こしたマーク・ボランは、数年後にはもうこの世にいなかった。
どん底から這い上がった人の話は時々見かけるが、冥土から舞い戻った人の話は、昔話や小説の中でしか見たことがない。


追記:
結局その後下北沢で取材したことは多分1回しかない。
そして俺の予想通り、金儲けの才覚がある太っちょの人は再びお金持ちになった。

(2021.9.13.)


(2024.5.10.改訂)

僕と○○○と荒川で

NO IMAGE.pngよく晴れた冬の早朝、荒川河川敷をうろつく馬鹿二人。
うち、厳寒の中、荒川にボチャンとハマる激馬鹿一人。
よろよろとしか歩けない俺は、助けにも行けず。

夕方から、RCサクセションを聴いて、ボロボロ泣きながら合唱する馬鹿二人。
(いや…『シングル・マン』って、あの曲順は、ちょっと…反則でしょう)

本当は『ZIGGY STARDUST』を聴いて、二人で「ふぁぁ~いぶいやぁずっ♪」ってやるつもりだったのに、見つからなかったんだよデイヴィッド・ボウイがさ。
整理した方がイイよあの部屋。

そして、深夜になって爆音で町田町蔵を聴く馬鹿二人。
(近所迷惑)
更に、『プライヴェート・ライアン』のVHSだかDVDだかが見つからないと言って、探しながら更に部屋をぐちゃぐちゃにしていく激馬鹿一人。

そして結局、こないだも観たばっかりの『ガンダムユニコーン』を観て泣きそうになってる馬鹿二人。
つける薬がない…。
飲み薬をもらいに行こう…。


今月、というか年明け以降、ブログの更新が時々滞りがちですが。
昨年秋頃からもうあんまりここでは言わないようにしてたけど、改めて言うと体調が良くなく。
昨年5月に80kg以上あった体重が、先週半ば、一時60kgを切ったりして。
(身長183cmでスーパーフェザー級の体重は、ありえないと言われた)
少し前にもコメントで宣言した通り、2013年の「LAZY SMOKEY DAMN!」は、多分新譜レヴューもライヴレポートも激減の予定でございます。
DJもしばらくお休みの予定。

でもまだまだ死なないよ。
駄文を書き散らすよ。
皆様どうか、よろしくお付き合いくださいませ。


…タイトルはもちろんポール・サイモンの(以下略)


追記:
正直言って当時心身共に限界で、このあたりでいったん底を打った感があった。
もっとも、それで終わりではなかったのだが。

(2023.10.25.)

Hawaii 2006

NO IMAGE.pngハワイが大好きなんです!

人生二度目のハワイに行ったのは、2006年だった。
(1回目は何年だっけ?)
そりゃもう楽しかった。
猛烈に楽しかった。

朝遅く起きて、バーガーキングとかで食べるモノを買って。
ABCマートでビール(バドワイザー)を買って、警官に見とがめられて(苦笑)。
ビーチで(紙袋に入れた)ビールを飲んで。
ホテルに戻ってセックスして。
昼寝して。

夜はフードコートに行って。
食べるモノを買って。
“キャプテン・ザック”の店でビールを買って。
(毎晩通ってたのに、“Two Beer!”と言う度“Two Passports!”と言われた)
ビール飲みながら夕食とって。
寝る前にもう1回セックスして。

そして、寝て起きて食べて飲んでセックスして。
…を約1週間繰り返した。
ロックのロの字もなく。
ただハワイ(笑)。

ハワイ行ったことない人には、是非お勧めします。
この世の天国です。
…ハワイ行く金と時間さえあれば、の話だが(笑)。


ハワイ!


(2023.10.25.改訂)

15 Years

BLUE OYSTER CULT SYMBOL.jpg1997年10月30日:
初めて独りで池袋に出かけた。
その時、運命が転回する音がしていたのだが、当時の俺には聞こえていなかった。
名古屋まで行ってMOTORHEADを観たのは、その半年ほど前のこと。


1999年10月19日:
今度は新宿だった。
再び人生がもの凄い音を立てて動いていたが、やはり俺は気付かなかった。
気が付いたのは、それから7年ほど経ってからのこと。
六本木でBLUE OYSTER CULTのライヴに3日通ったのは、5月だった。


2006年3月22日:
「SOUND CAFE」@新宿OTO
今度こそ人生がひっくり返ったが、その時も俺はまだ半信半疑だった。
1ヵ月経っても、まだ半信半疑だった。
確信が深まるまでに3ヵ月かかった。
その3ヵ月の間にNASHVILLE PUSSYを観た。


「アレはああいうことだったのか」とか「あのときああしておけば」とか、そういうことがわかるのは後になってからのこと。
後悔とかだけじゃなく、たとえ良いことでも、15年前の自分に会って、「お前、11年後に○○するぞ!」とか言っても、絶対信じたはずがない。
結局、生きているうちは、その時にやれることをやっておかなくては、ということだ。
生きているうちは、というよりかは、やれるうちは、と言った方がいいな。


森光子がミス・ワカナに倣ってヒロポンに手を出していたら、92歳までは生きられなかっただろう。
当のミス・ワカナも、ヒロポンで自分の寿命が縮むとは思っていなかったんだろうけど。
(なんか、当時合法だったみたいだし)
何処が分岐点だったのかは、結局ずっと後になってみないとわからない、ということで。


追記:
アップは日付変わって22日になってるが、この文章書いてたのは11月21日。
その2年前には、例の協議書に署名捺印している自分がいた。
今となっては仕方のないことだ。

(2013.5.3.)


追記2:
どうあれ、2006年春から10年春にかけての約4年は、間違いなく俺の人生のピークだった。

(2023.10.13.)