Some Dance To Remember, Some Dance To Forget

HOTEL CALIFORNIA.jpg浴室で、ボディソープやシャンプーを詰め替えて使っていたポンプボトルが、次々に壊れたとか。
枕カバーが破れてきたとか。
仕方がないので、とりあえずポンプボトルは、100均ショップで代わりのを買ってきた。

失われてゆく、思い出の品々。
(そんな大層なもんでもないんだろうけどさ)
仕方がない。
形あるモノはやがて壊れ、失われていく。
記憶だけが、しばらくは残るだろう。

まあ、仕方がない。
部屋を埋め尽くすCDにしても、コレ100年後も聴けるかっつったら、なんかダメになるらしいよね。
大事にすればLPの方が長持ちするのかもだけど、アナログレコードをきれいな状態で保存し続けるのもホネだよなあ。
聴けばその分だけ傷んでいくモノだし。


一方で。
某友人からメールがあり、4年半音信不通だった別の友人と連絡が付いたとのこと。
死んではいないだろうと思ってはいたものの、改めて消息を聞けばやはり安堵。
そうか、あの野郎、ちゃんと生きてたか。
とりあえず、良かった。


画像ともタイトルとも関係なく、今夜はFAUSTの1st(ダジャレじゃないよ)を聴いている。
CDで2枚持ってるんだけど(←アホ)、ここは敢えてLPで。


2ヵ月近くに及んだ歯医者通いが、この週末でようやく終了。
やっと一息。
次は車の点検整備。


追記:
そのFAUSTのLPも、その後クリアビニールのジャケットがすっかり黄色くなってしまった。

(2021.4.7.)


追記2:
この頃完全に頭おかしくて死ぬ気満々だったはずなんだが、歯医者に通ったり車を点検に出したり、忙しくしてるなあ。

(2023.10.11.)

いやいや

DEMON★.jpg





もー少し冷静に考えようぜ俺。
迂闊だったよ。
大体、3ヵ月弱で体重が2割近く落ちてるのに。
目一杯で前みたいに動けるはずもなかった。
ダウンもするさ。




追記:
この頃完全に精神を病んでいて、今思えば摂食障害は深刻なレベルだった。
そしてそれはしばらく続くことになる。

(2023.8.23.)

I can't live with or

U2.jpgどっこい生きてる血の小便













追記:
この数日前まで体重80kgあったのが、このあたりからどんどん痩せていき、結局いまだに戻っていない。

(2023.8.9.)

ちょっと

BLACK.jpg調子崩した。
いやまあ、むしろ1年半近くも、よくもちこたえたというべきか。












追記:
精神のバランスが完全に崩れたのがこの頃だった。
今思えばよく生き残ったモノだ。

(2020.12.12.)


(2023.8.9.改訂)

朝日新聞4月2日夕刊

MICHIGAN MELTDOWN.jpg他のこと書くつもりだったんだけど。

なんだかんだで、新聞読むのが3日遅れ。
で、タイトルの通り2日の夕刊を読んでいたんだけど。

クラシックのコンサート評。
その中に出てきた一言に、一瞬目を疑った。

「検出限界値以下のところでとんでもないことが起きていそう」

ミニマムな音で凄い演奏をしていた、とかそういうのを、なんか強くアピール出来る言葉で表現しようとしたんだと思う。
それはわかる。
でも、この表現は、なしだと思うんだ。

俺も大概不謹慎な人間で、周囲の顰蹙を買うことはたまにあるけど。
でも、今、コンサート評で、クラシックの演奏を(いや、クラシックに限らず)、わざわざこういう言葉で表現するのは、やっぱりなしだと思う。

この話は前にも書いたけど、昔、雲仙岳が噴火してた頃に「“火砕竜”っていう力士がいたら強そうだな…」と思ったことがある。
(当時“戦闘竜”という力士がいて、それにひっかけた)
思ったけど、その頃付き合ってた彼女に話したくらいで、公言はしなかった。
(今ここで改めて言うのもやっぱり憚られる)

“検出限界値以下のところで~”というのも、思いついたときに「上手い表現だ」と思ったとしても、少し考えたら、控えようとならなかったのかな。
少なくとも、コンサート評の中でそういう言い方をする必然性は、あまりないと思う。
ちょっと前の、何でもかんでも自粛ムード、みたいなのには抵抗があったけど、コレはそういう話とはまた違うと思うんだ。
(ちなみに、原発周辺を“死の街”と言って叩かれたアレは、過剰な言葉狩りだったと思ってる)

俺が気にし過ぎてるんだろうか。


画像は全然関係ないけど、わざわざ“MELTDOWN”なんて言葉を持ってきたこのLPも大概だよなあ、と改めて思ったもんで。


(2023.8.1.改訂)

1年を経た

BLACK.jpg今夜は震災1年、というネタでブログを書く人が星の数ほどいそうな気がするが、やっぱり俺も書いておこう。

あれから1年…関東圏の暮らしは、拍子抜けするくらい普通に戻った。
常に放射能の影を意識しながらではあるが。
そして野菜は、予想通り高価くなった。

あの日、帰宅に5時間かかった。
散乱するあれやこれやを押しのけてパソコンの前まで来ることが出来たのが、13日の晩。
数日後、ガソリンスタンドに4時間並んだ。
10日ほど牛乳と食パンが手に入らなかった。
都内に出たのは月末になってからで、その時点でも湘南新宿ラインは動いていなかった。

そして、被災地には今も平穏な生活を取り戻せない人たちがたくさんいる。
避難生活を余儀なくされた茨城の知人が再びギターを手にしてステージに立てたのは、今月のこと。
俺も周囲の人間たちも、上手く行かないことの方が多いのは震災の前からだが、「なぁに、被災地に較べれば」というのは今でも合言葉のように使われる。

絆を謳いながら、瓦礫の受け入れを徹底的に拒絶し、福島ナンバーの車を忌避した、善良な市民。
“絆”とか“日本一心”とかいう言葉が、半分くらい嘘っぱちだった、そのことは、誰の目にも明らかだろう。
それでも、残り半分にすがるようにして、日々は巡る。

個人的には、放射能のことは心配していない。
元々健康で長生きするつもりなどなかったのだから、今更な話だ。

しかし人生これからの子供たちのことは、本当に心配だ。
放射能の影響について、学術的には「わからないということがわかっている」レベルらしい。
過剰反応とパニックは避けたいが、子供たちが十分に守られることを願ってやまない。
ひょっとしたらもう、必要十分に守られることはないのかも知れないとはいえ…。

とりあえず、10代の頃から原発容認の立場をとったことがなかった自分に少し安心している。
この1年で供出した募金額の合計はせいぜいが4ケタだが、これからも折ある毎に続けようと思う。
(俺が参加している「CLUB-D」はただのパーティーじゃなくて、義援金を募るイヴェントでもある)


15年以上使っていたコーヒーメーカーが壊れてしまった。
仕方がない、買い替えよう。
コーヒーの心配が出来るだけ、ましな生活だ。


追記:
2011年に福島ナンバーが忌避されたように、10年近く後、コロナ禍の緊急事態宣言下では東京ナンバーが忌避された。
関東大震災時の朝鮮人虐殺以来、日本人は変わっていない、ということがよくわかる。
そして愚行は今後も繰り返されるだろう。

(2023.7.26.)

アブドーラ・ザ・ブッチャー引退、または昭和のプロレスシリーズ第908回

ANTiSEEN.jpg“五輪怪力男”ケン・パテラのことをつらつら考えていたら、「そういやアブドーラ・ザ・ブッチャー引退かあ…」というところに思い至った(なんでだ?)。

最近のプロレスはまったく観てないんだけど、大体アブドーラ・ザ・ブッチャーがまだ“現役”だったということ自体驚きだ。
(ズビスコかよ!)
まあ、今回の来日では“歩行器”が手放せず、リングに上がれなかったというから、体調は推して知るべし、というかとっくに現役じゃなかったと言った方がイイような気もするが。

よく思い出してみれば、俺が中島スポーツセンター(もうないんだって)に通っていたのは80年代前半のほんの数年のことで、熱狂的なプロレスファンだったのはごくわずかの期間、ということになるんだけど、何しろあの時代はスタン・ハンセンとブルーザー・ブロディがタッグで全日本プロレスに参戦してた頃で、TV(今と違って当時はガンガン観てた)でも会場でも本当に楽しめたもんだった。
で、話をアブドーラ・ザ・ブッチャーに戻すと、まあその頃既に全盛期はとっくに過ぎてたと思うが…。
俺がブッチャーをナマで見たのは多分1回きりじゃないだろうか。
1981年とか82年くらいの新日本プロレスで、ワフー・マクダニエル(!)とのシングルマッチ。
正直、ブッチャーよりもワフーを楽しみにしていた。
しかし、両者リングに上がる前に場外で大乱闘を始めて、試合が始まらないうちにノーコンテスト(苦笑)。
乱闘が行なわれていたのは、俺がいた席からはリングを挟んで反対側で、ブッチャーもワフーもほとんど見えなかった(涙)。
(“見た”と言ってイイのかどうかすら怪しい…)

それにしてもあの体型だから、いわゆる“格闘家”として本当はどれぐらい強かったのか、というとアレだが、ダイナマイト・キッドが自伝本の中でアブドーラ・ザ・ブッチャーを評して、対戦相手に痛みを与えることにかけては天才的、みたいなことを言っていた記憶が。
まあ何しろあのキャラクター、アレに尽きる。
劣化コピー(?)としてキラー・トーア・カマタ(違うか)、そのまた劣化コピーとしてグレート・マーシャルボーグ(アレは何だったんだ)が登場したりで、ヒールのひとつのパターンとして影響力は大きかったと思う。
で、当然ながらオリジナルにかなうモノはなかった。
そういやANTiSEENに、ブッチャーのことを歌った「Dear Abby」って曲があったなあ。
(シングルにもなってた)

それにしても70歳って、本当かなあ。
確かもうちょっとトシ行ってたような気がするんだが。
(1941年生まれという話だが、33年とか36年とかいう説もあったはず…)
いずれにしても、お疲れさまでした。


(2023.7.12.改訂)

激辛との決別

GG ALLIN.jpgとにかく、辛いモノが好きだった。
以前懇意にしていた某激辛王ほどではないが、とにかく辛いモノが好きだった。

若い頃、「COCO壱番屋」に行けば、“8辛”を頼んでいた。
その後流石にしんどくなったが、近年に至るまで、“4辛”を食い続けていた。
自炊にハマっていた頃は、そりゃもういろんなモノが入った超辛いカレーを半月食べ続けたりもした。
(カレーを作って、3日食って、また作る、の繰り返しを5回)

今でも、辛いモノを食う自体は平気だ。
むしろ、今年あたりからはかなり味覚障害気味らしく、唐揚げに“サンバル・アスリ”(インドネシアの超辛いチリソース)をたっぷりかけて食っても、あまり何とも思わない、という状態で。

しかし。
胃に収めるまでは問題ないのだが、そこからが大問題だ。
近頃、翌朝の腹痛と下痢が、耐えがたいモノになってきた。
つまり、腸が悲鳴を上げ始めたのである。

先月あたりから遂に、「COCO壱番屋」に行っても、フツーの辛さのカレーを食うようになってしまった。
そもそも、先月どころかそれ以前から、滅多に「COCO壱番屋」とか行かなくなった自分がいる。
(ってえか今は外食自体あんまりしないんだけど。居酒屋なんてもう何ヵ月も行ってない)

仕方がない。
コレも加齢というモノなのである。
(別に“カレー”にひっかけたワケではない)

腸に限らず、昨年体壊して以来、体力その他、全体に衰退が著しいんだけど。
唯一元気なのは肝臓だ。


幸いにして(?)音楽は、まだまだ激辛大好きだ。
辛いのだけじゃなくて、腐りかけ(笑)とかも全然イケる。
いや、完全に腐ってるのとかも…。
コレは多分死ぬまで変わらないだろう。


(2023.7.7.改訂)

ほー

SCREAMING LORD SUTCH.jpg今度の正月は、全国民挙げて「あけましておめでとうございます」を言わぬがよい、という意見があるそうで。
まあ、そう思ってる人たちが言わないのは勝手だけど。
服喪中の人たちは言わない方がいいと思うし。
こんな年だからこそ、次の正月には「あけましておめでとうございます」とでっかい声で言った方がいいんじゃないか、と個人的には思う。
俺自身はどうでもいい、というか、実際あんまりそんな気分になれそうもないとはいえ、多分言うだろう。

被災地の復興については、複雑な気持ちだ。
被災地の作物を買うのをやめよう、そして、誰も買わないんだから被災地(この場合は放射能に汚染された地域ね)の人たちに復興の幻を見せずに国が新たな居住地を用意すべきだ、汚染された地域は放棄しよう…みたいなことを言う人たちもいて、それもわからないでもない。
一方で、故郷に戻る日を待ちわびる人たちには本当にそれを実現させてほしいと思う。
何十年も人が住めないという意見もあった広島や長崎が見事に復興した反面、チェルノブイリの周辺はいまだ人が住めないままだ。
あちこちで無造作に保管されたラジウムが問題になっている一方で、それによる健康被害があったという話は聞かないし、神経質になって線量を測るから今まで問題にならなかったモノが急に問題に見えてくるのだ、と思わないでもない。
結局、俺には知識も判断材料も足りな過ぎる。

目下の問題はむしろ、腰の痛みだったり思うに任せない日々のスケジューリングだったり。
今日も疲れた。
明日も疲れるだろう。
とりあえず慌ただしい日常が俺にはある。
かつての日常に戻れない人がたくさんいる。
俺にもかつての日常はもうないが。
それでも今を生きるしかない。

疲れても、腰が痛くても、たとえ死にそうに絶望していても、年が明けたら多分言うだろう、「あけましておめでとうございます」と。
言えない人の分も。


11月21日か。
例の協議書から、1年経った。


(2023.7.7.改訂)