LOST ACAPULCO INTERVIEW 2008

LOST ACAPULCO.jpg 昨夜、小仲ペールワンの名前を出したが、ここ数日、どうしてかプロレスのことを考えることが妙に多い(今のプロレスは、全然知らないんだけどね)。
 だからというワケじゃないが、今夜はメキシコのルチャ・リブレ・サーフ・ガレージ・バンド、LOST ACAPULCOのインタヴューをDOLLから再掲載しよう。ゴーグルエースでお馴染みのサザナミ・レーベルが5周年を迎えた2008年8月に、その記念イヴェントで彼らは初来日を果たしている。音の方はパンク/ガレージ度低めの、極めてオーソドックスなサーフ・サウンドながら、ステージではマスク着用でルチャ・リブレ(メキシカン・プロレス)の香りをプンプンさせて、妙にモンドな雰囲気を振りまくバンドだったな。
 メンバーは、クランチー・アカプルコ(ギター:ロン毛)、レヴェレンド・アカプルコ(ギター:ちっこい)、Sr.ラミレス・アカプルコ(ベース、ヴォーカル:でっかい&顔が全く見えない)、エル・ウォーピッグ・アカプルコ(ドラム:超巨大)の4人。インタヴューは08年8月26日深夜、複数のメンバーに対して行なわれたが、覆面バンドであるからして、特に表記のないところは特定のメンバーではなくバンドとしての発言ということで。元の記事はDOLL08年12月号に掲載されている。

(Translated by ノリコ・オリーブ)


―…正直に白状すると、サザナミ・レーベルからCDが出るまで、LOST ACAPULCOのことを知りませんでした。…というワケで、バンドの基本的なところから聞かせてください。結成は何年ですか?
「バンドの結成は1995年だよ」
―メンバーは最初から今の4人ですか?
「最初にいた4人から2人交代して、今のメンバーになって10年目だな」
―これまでの音源は?
「LPが2枚にEPが7枚。あとLOS STRAITJACKETSのギタリスト、ダニー・エイミスと一緒にCDを1枚作ってる」

―LOST ACAPULCOというバンド名の由来は?
「長い物語だよ(笑)。LOST ACAPULCOというのは、メキシコで一番有名なビーチ、アカプルコから来ている。アカプルコは知ってるだろ?…日本人なら絶対知ってるはずだ(笑)。アカプルコというのは、昔は本当に素晴らしいビーチだった。しかしその本来の素晴らしさは、今では失われてしまったんだ。観光化が進み過ぎたりとかでね。それで我々は“失われたアカプルコ”を名乗ることにしたのさ。それと…英語の“The”はスペイン語だと“Los”になるだろ?…その“Los”と“Lost”をかけて、LOST ACAPULCO…というわけさ」
―確かに、普通、スペイン語圏のバンド名ならLOSなんとかですよね。
「そう。一種の言葉遊びだね」
―ロス・ビジャーノスとかロス・ブラソスとかロス・ミショネロスとか…バンドじゃなくてルチャ・リブレのタッグ・チームの名前しか出てこないですけど(笑)。ビジャーノⅢは昔日本で観ましたよ。
「おおっ(笑)」

―ところで、日本は初めてですよね。どうですか、初めての日本は。
「素晴らしい! 最高! クレイジーだ!…メキシコとは全然違うね。日本のオーディエンスも、メキシコとはまた全然違うんだけど、凄くクレイジーで最高だよ」
―今日が日本での初ライヴでしたよね?
ラミレス「最高だったけど、俺のマスクは何にも見えないんだよね(笑)。でも楽しかったよ」
―あのマスク、見えないでしょう?
ラミレス「全然見えない!(笑)」
―そもそも、何故覆面を?
「それは俺たちがブサイクだから…いや、嘘だけど(笑)。メキシコの、ルチャ・リブレの文化をバンドに取り入れてるんだ。俺たちはルチャ・リブレがもの凄く大好きだから、ルチャのヴィジュアルをバンドに取り入れることにしたのさ。LOST ACAPULCOがマスクをしてステージに立ち始めた頃、メキシコのロック・シーンでもそんなことは全くポピュラーじゃなかった。マスクをかぶるのはルチャ・リブレだけだと思われていたわけだ。みんな“どうしてマスクなんかかぶって出てくるんだ?”ってな具合だったんだが。今はもの凄くポピュラーだ(笑)。メキシコのいろんなバンドが、マスクをして演奏してる」
―俺も80年代はプロレス・ファンで、ルチャ・ドールも会場で見たりしたもんです。
「ミル・マスカラス?」
―マスカラスとドス・カラス!…あとロス・ブラソス!
「ロス・ブラソスのブラソ・デ・プラタは今、スーパー・ポルキーって名前でやってるよ」
―ブラックマンとホワイトマンとウルトラマン!
「そうそう、いたいた!(笑)」
―日本に来なかった人も含めて、いろんなルチャ・ドールがいましたよね。クン・フーとかカトー・クン・リーとか。
「イェー!…その頃は空手使ったりとか、サムライっぽいのが流行ってたね」
―日本人が相撲を愛するよりも、メキシコ人がルチャ・リブレを愛する心の方が勝ってると思いますが。
「そうだと思うよ。ルチャ・リブレをやってる会場は毎週末いっぱいだし」
―アレナ・メヒコ?
「そう!」
―ちなみにメキシコでは、プロレス以外の格闘技は?…日本では今、プロレスよりもむしろ総合格闘技の方が人気ですが。
「メキシコにももちろんいろいろな格闘技があるけど、人気で言ったら、一番がルチャ・リブレ、次がボクシング、それ以外はあんまり人気ないね。ルチャ・リブレの中にもいろんなスタイルの試合があるしね」
―それにしても、何故ルチャ・リブレと、サーフ・ガレージを融合するに至ったんでしょうか?
「昔、サント・ムーヴィー(註:ルチャ・リブレのスーパー・ヒーロー、エル・サントが主演して60年代に多数制作されたヒーロー映画のシリーズ)で使われていたサントラには、サーフ系が多かったんだ。だから、自分たちでバンドをやるときに、ルチャ・リブレとサーフ系のミックスというのを思いついたんだ。LOST ACAPULCOがそういう方向性を確立したことで、お客もマスクをかぶってライヴに来るようになった(笑)。ルチャ・リブレとサーフの融合というのは、バンドだけじゃなくて、そういうオーディエンスも一緒になって作り上げた文化、と言ってもいいだろうね」

―そもそもメキシコで、サーフ・ミュージックとかガレージ・パンクとかは、ポピュラーだったんですか?
「昔は…北米のR&Rバンドの演奏をコピーして、それをスペイン語で歌う、というのがメキシコのR&Rの主流だった」
―60年代の話ですね。
「そう。そして、LOST ACAPULCOの前には、インストゥルメンタル系のロック・バンドというのは、メキシコにはほとんど存在しなかった。何故かというとそんなの売れないからね(笑)。LOST ACAPULCOは、メキシコのインストロR&Rとして最初のバンドだと思う」
―60年代のガレージ・パンクのコンピレーションとか聴くと、当時のメキシコのバンドとかも聴けるんですけど、メキシコや中南米のロック・シーンというのは今どういう風なんですか?
「最近は“ガレージ・ロック”のシーンが大きくなってきていて、メキシコ全土で、サーフも含めるとガレージ・バンドが40組ぐらい」
―そもそもメキシコにどんなロックがあるのか、俺たち日本人はほとんど知りません…。
「今でもそうなのかい?…今ではMySpaceという、世界中のバンドを知ることが出来る凄いツールがあるじゃないか!…もちろん、メジャーなレコード・カンパニーからリリースされない限りは、それほどのポピュラリティは得られないかもしれないけどさ。今は、MySpaceなんかを通じて、小さなバンドも世界中に発信することが出来る。俺たち自身、MySpaceのおかげで、日本のいろいろなバンドを知ることが出来たよ」

―やっぱりMySpaceの存在はデカいんですね。…LOST ACAPULCOがサザナミ・レーベルからリリースすることになったのも?
ノリコ・オリーブ「それは…私が6年前、TIKI TIKI BAMBOOSでスペインをツアーした時に、メンバーと知り合っていたんです。それから今年の2月にメキシコ旅行をしていて、再会した訳です。その時に、是非一緒に何かやろうと…。彼らは日本に行きたいと言い出したんですけど、私はその時にはゴーグルエースから“引退”していて。その後サザナミ・レーベルの人たちと話をしていたら、彼らもLOST ACAPULCOのことは知っていたし(註:LOST ACAPULCOはサザナミのオムニバスCD『Wild Sazanami Beat! Vol.3』に参加している)、LOST ACAPULCOはメキシコじゃ凄い人気で、サーフ・バンドとしては南米ではNo.1なので。メキシコと日本というのは面白い組み合わせじゃないか、ということになって、じゃあサザナミから(単独アルバムを)出そう、ということになって」
―なるほど。…ちょっと話は戻りますが、メキシコで英語はどれくらいポピュラーですか?
「あんまりポピュラーじゃないね。でも、例えば日用品には英語の名前がついたものが多いよ。説明書とかはスペイン語だけど。映画も、スペイン語のサブタイトルや字幕が付くし。英語をしゃべれる人間はあんまり多くないけど、製品の名前とかで日常に入り込んできているから、なんとなくどっかで親しんでいる感じかな」
(註:このインタヴューは俺が日本語で質問し、通訳ノリコ嬢とメンバーはスペイン語と英語のちゃんぽんで会話していた)
―そのへんは、日本と同じですね。…なので、MySpaceとかがあっても、言葉の壁というのがあると思うんですけど。
「そうだね。MySpaceは凄い発明だと思うけど、それは確かに」
―LOST ACAPULCOの音楽がインストロなのは、言葉の壁を克服するというのもあったのでは、と推測しているんですが。
「そのとおり!…サーフ・ミュージックというのはインターナショナルなもので、誰にでも理解することが出来るよね」
―たとえば、同じようにして言葉の壁を越えたのが、日本ならJACKIE & THE CEDRICSとか。
「日本のバンドのことも、何年も前から知っていたよ。特にサザナミ・レーベルは、日本のバンドを知るいいきっかけになったね」
―日本人も、メキシコ人と同じような言語の問題を抱えているので、凄く分かり合えると思いますね。
「そうだね!」

―あと、メンバーについてもう少し教えてください。ウォーピッグは、“メタルヘッド”なんですか?
「ウォーピッグはメタル系の大ファンだ。もの凄くメタルが好き。LOST ACAPULCOに参加する前は、ハードコア・バンドのドラマーもやっていた」
―そうですか。確かに…音源で聴けるドラムが、微妙にサーフっぽくない(笑)。
「多分メタルとかの影響を強く受けてるからね(笑)」
―他のメンバーの音楽的嗜好は?
「ウォーピッグ以外の3人は、サーフ系に凄く入れ込んでいるよ。小さい頃からサーフ・ミュージックを聴いていた。おじさんからVENTURESを聴かされていたしね」
ラミレス「俺はディック・デイル」
―メンバー間に年齢差がありますよね。何年生まれですか?
ラミレス「1982年」
―若いなあ!
レヴェレンド「彼はバンドのベイビーなのさ(笑)」
―(他のメンバーの年齢は、秘密ということでした)…では最後に、読者様にメッセージを。
ラミレス「いっぱい飲め! セックスもたくさん!…以上!(笑)」
レヴェレンド「音楽とセックスは、人生を楽しむためのすべてだ。みんなLOST ACAPULCOを絶対聴いてくれよ!…サーフ・ミュージックは、最高にセクシーだからね。少なくともメキシコでは最高にセクシーと言われている(笑)。メキシコじゃ、LOST ACAPULCOのライヴでは、オーディエンスの女の子たちがみんなオッパイ見せてくれるんだ。俺たちの演奏で、みんなセクシーな気分になるからさ(笑)」


このバンドのその後を全然知らないんだけど、最近どうしてんのかな。


追記:
LOST ACAPULCO、調べてみたらその後も当時と同じメンバーで活動を続けている模様。

(2020.3.20.)


(2023.3.20.改訂)

THE VON BONDIES INTERVIEW 2004

VON BONDIES.jpg (このブログには全く反映されていなかったが)ここ数日個人的にデトロイトづいていたのは、毎日DEATH(もちろんフロリダのじゃなくてデトロイトの)を聴いていたり、「BEATLEG」誌(正直立ち読みばっかりで、初めて買った)のデトロイト特集の影響があったりしたのかも。
 それでというワケじゃないが、思い出したのが、2000年代の半ば、THE STOOGESやMC5やTHE DIRTBOMBSなんかのデトロイト勢の来日や重要なリリースが集中した時期があったなあ、と。
 その頃に来日して俺がインタヴューしたバンドのひとつに、やはりデトロイトの若いバンド、THE VON BONDIESがあった。GUITAR WOLFの多大な影響を受けたという、素敵なバンドだったな。
 今夜はその時のDOLL誌向けのインタヴューを再掲載、例によってほぼノーカットで。インタヴューは2004年4月14日に行われ、それを4000字にまとめたヴァージョンはDOLL04年7月号に掲載された。
 当時、THE WHITE STRIPESの人気に乗っかる形で(?)、ワーナーもVON BONDIESにかなり力を入れていて、この時の取材はワーナー社屋の一室に控えたメンバーと通訳さんのところに、30分交代くらいで各メディアがインタヴューに入る、という形式だったと記憶している。
 インタヴュー前夜、渋谷CLUB QUATTROでライヴを観て、そして当日インタヴュールームに入ったら…(以下本文)


ジェイソン・ストールスタイマー(ヴォーカル、ギター)「昨日ライヴに来てたよね? サウンドボードの前にいたでしょ?」(いきなり立ち上がって握手を求める)
―よ、よく見てるなあ!…じゃあ、始めさせてください。よろしくお願いします。
ジェイソン「OK!」
―え~と、DOLLって雑誌なんですけど、その雑誌でGUITAR WOLFとかミック・コリンズとかともインタヴューしたことがあるんです。今日は楽しみにしてきたんですよ。
ジェイソン「うん、凄いパンク・ロックの雑誌なんだよね?」
―今日インタヴューする中では一番パンクな雑誌だと思いますよ。
ジェイソン「それはいいね!」
―まず、GUITAR WOLFの国に来た感想は?
ジェイソン「ドキドキものだったね! GUITAR WOLFのパフォーマンスはもの凄くクレイジーで、爆発的だよね! その彼らが客席にいたんだから、とてもナーヴァスになってたんだけど、目をつぶって演奏したよ(笑)」
キャリー・スミス(ベース)「日本は本当に素晴らしい国だし、来るのを本当に楽しみにしてたのよ」
―昨日も、グレイト・パフォーマンスでした。
ジェイソン「Oh,Thank You!(日本語で)ドーモ!」
キャリー「ドーモ(笑)」

―THE VON BONDIESっていう語感はとてもかわいらしく聞こえるんだけど、バンド名の由来は何処から?
ジェイソン「これはまったくの造語なんだけど…じゃあ例えば、“GUITAR WOLF”っていうのはどういう意味? 僕たちはそんな風に、自分たち独自の名前が欲しかったんだ。飲み物の名前とか靴の名前とかじゃなくて、VON BONDIESって聞いたら僕たち4人のことでしかない、そういう特別な名前にしたかったんだ。…(DOLLに載っているVON BONDIESのグラビアを眺めながら)凄くいい雑誌だね! こういうモノクロのグラビアって、凄くいい感じだよね!」
―今回は、こんなところにも…(巻末の方にも彼らの写真が使われているのを見せる)。
ジェイソン「Oh!Very Cool!…Thank You!」
キャリー「(日本語で)アリガトウ!」
―いや、俺がやったんじゃないんだけど…(苦笑)。それで、今回のアルバムは、凄くメジャーな音作りになりましたよね?
ジェイソン「聴きやすいアルバムになってるよね。でもR&Rであることに変わりはないと思うんだ。例えばGUITAR WOLFの1stアルバムとそれ以降のアルバムでは、音質的にはかなり違うけど、心からの音楽っていうことでは変わりがないよね? 僕たちの1stアルバム『LACK OF COMMUNICATION』は、2日で録音したんだ。今回は1ヵ月以上かけたんで、音の感じが違うと思うんだ。1stアルバムはそれこそライヴに近いノリで、間違いもたくさんあるんだけど、今回はバンド4人でいろいろ努力して作ったんだ。1stアルバムの時は、キャリーが加入してからまだ3ヵ月半しか経っていなかったんで、いろいろな意味で荒削りだったよね」
―今回は音の分離が良くなって、各楽器の粒立ちがはっきり聴こえるっていう、その中でも、今日ここにはいないけど、ドン(ブラム)のドラムが特に凄くて、こんなに凄いドラマーだったのか、と…。
ジェイソン「アメイジングだよね! ハイハットなしの、凄く小さいドラムキットなんだけどさ。凄くトライバルな感じで。…THE MONKSっていうバンドがいるんだけど(いきなりカン高い声でMONKSの「Monk Time」を歌いだす)…MONKSからヒントを得て、そういうトライバルでシンプルなドラミングにしたんだよね。シンバルなしの…」
―あと、1stアルバムに較べるとコーラスが多用されるようになって、本当の意味でバンドのアレンジっていう感じになっているのも良かったと思うんです。
ジェイソン「バンドとして成長したし、演奏も上達したし、より良い曲を書けるようになった…前作の時は3ヵ月半しか一緒にいなかったのに対して、今はもっと“歴史”があるよね? 僕たちは同じようなアルバムを何度も作りたいと思うようなバンドじゃないんだ。パンク・ロックのアティテュードがあって、ギターを20回も録り直したりとかはしないで、いいものを目指しながらも、その時のライヴなフィーリングっていうのは大事にしていると思うんだ」

―音作りが向上した反面、前作でのプリミティヴな部分は大幅に後退したと思うんですけど、これについては意図的にそうしたとか、割り切ったとかいう部分が大きかったでしょうかね?
ジェイソン「アルバム2曲目の「Broken Man」とか5曲目の「Been Swank」とかに、まだまだプリミティヴな要素は残ってると思うよ! ひとつのリフの繰り返しだし。そう聴こえないとしたら、やっぱり僕たちがより上手く演奏出来るようになったから、ちょっと複雑に聴こえるのかもしれないね」
―そのアルバムのプロデュースが、ジェリー・ハリスン(元THE MODERN LOVERS~TALKING HEADS他)なんですけど…どうして彼になったんですか?
ジェイソン「ジェリー・ハリスンは元MODERN LOVERSで、僕たちと同じパンク・ロック/DIYのバックグラウンドを持ってる。凄くいい人で、正直なところが気に入ったんだ。アルバムを作る前にバンドの4人で集まって、自分たちのプロデューサーに求めるものっていうのをいろいろ話し合ったんだけど、ジェリーは正にそれに合ったキャラクターを持ってたんで、彼に決めたんだ。彼はとてもオープン・マインドで僕たちの意見を聞いてくれたし、こうしろああしろとも言わなかった。曲作りにもまったく関わってない。スタジオに入る前に曲は全部出来上がってたからね。彼は僕たちの求めていた、ライヴ・サウンドでありながら、さっき君が言ったとおり楽器ひとつひとつの音がはっきり聴こえるサウンドを作ってくれたんだ」
―じゃあ、制作面でジェリーの手腕が活かされたのは、楽曲ではなく完全にサウンド・メイキング?
ジェイソン「そう、彼は僕たちの言うことにいちいち耳を貸してくれるんだ。1曲ごとに、こういう風な音にしたいって説明すると、ちゃんと聞いてくれた。彼ほどのビッグなプロデューサーなのに、エゴなんかまったくなくて、こういうサウンドにしようみたいな指示はまったくなかったんだ。彼がこのバンドに持ち込んでくれたのは、彼自身の多大な経験だね(といいつつDOLLのテッド・ニュージェントの記事を見ている)」
―…ちなみにその記事、俺の連載ですよ。
ジェイソン「テッド・ニュージェント! AMBOY DUKES! Very Cool!(笑)デトロイトだよね!」
―その連載ではTHE STOOGESやMC5についても書きましたよ。
ジェイソン「ワァオ!Very Cool!」
―NEW YORK DOLLSとかも。THE SONICSやTHE OUTSIDERSも。
ジェイソン「グレイト!」

―え~と、話戻しますね。…二人とも25歳ですよね?
ジェイソン「僕は来週26歳だけどね。…年をとると心がケガレるよね…(苦笑)」
―じゃあ俺なんかケガレまくりだ!(笑)
ジェイソン「でも日本人は食生活がちゃんとしてるから大丈夫だよ。僕はあと1~2年で終わりかなあ(笑)」
―…25歳っていうと、TALKING HEADSってリアルタイムで聴いてないですよね?
キャリー「私のパパは凄く音楽の趣味が良かったんで、TALKING HEADSも聴いてたの。だから8歳くらいの時には私も聴いてたと思うわ。リアルタイムではなかったかもしれないけど…」
ジェイソン「僕は聴いてなかったなあ。「Burning Down The House」や「Psycho Killer」は知ってるけど。僕とマーシー(ボレン:ギター)がやってたTHE VON BONDIESの前身バンドBABY KILLERSは、GUITAR WOLFの最悪なコピーみたいなパンク・バンドだったんだけど、その頃「Psycho Killer」をカヴァーしていたんだ。サビの歌詞を“Baby Killer”に変えてね(笑)。今でもその時のテープを持ってるよ」

―音質面・プロデュース面だけでなく、作曲の面も凄く進歩しましたよね? 1stアルバムに較べると、何々風じゃないTHE VON BONDIES独自のモノを獲得しましたね。
ジェイソン「(日本語で)ドーモアリガトウ! まさにそれを目指して頑張ってきたわけで、そう言ってもらえるのは本当に光栄だなあ。バンドとして成長した成果じゃないかな」
―今回、キャリーのヴォーカルも聴けるんですが、これまでにも歌ってたんですか?
キャリー「いわゆるリード・ヴォーカルっていうのはやったことがなかったの。好きな曲に合わせて一人で歌ったり、あと高校生の時にパンク・バンドをやっていたんで、ヴォーカルみたいなことはやってたけど、“歌”じゃなくて“絶叫”だったわね(笑)。1stアルバムではバック・ヴォーカルくらいだったし…」
ジェイソン「(相変わらずDOLLを熱心に眺めている。ジョン・フォックスの写真を見て)この人のことは知らないけど、まるでデイヴィッド・ボウイみたいだね?」
―昔ULTRAVOX!っていう凄いカッコいいバンドをやってたんですよその人は…(笑)。
ジェイソン「ああ、パンク・バンドだよね」
―…で、1stアルバムではキャリーがベースを弾いてない曲もありますが、バンドに参加したのは一番最後ですか?
キャリー「そう、一番最後ね」
ジェイソン「このアルバム(1st)を作った時は本当に時間がなくて、BABY KILLERS時代の録音も使っているんだよ」
―今ではマーシーと並んで、二人のコーラスがバンドになくてはならないモノになっていますよね?
ジェイソン「そのとおり!」
キャリー「そんなに重要かしら?(苦笑)でも、女性ヴォーカルが入ることによって、やさしさもフィーチュアすることが出来ていいんじゃないかと思うの」
―(今度は柴山俊之インタヴューのページを一生懸命見ているジェイソンに)…ちなみにそのインタヴューも俺ですよ。
ジェイソン「これは誰?」
―それは(以下、サンハウスについて説明)
ジェイソン「ワァオ! Very Cool!」

―…で、俺が今度のアルバムで一番好きなのは「The Fever」なんですけど、サビのコーラスのところで一人称と三人称がくるくる切り替わるところのスリリングさはこのメンバーでなければ出せないですね。
ジェイソン「ありがとう! でも、ちゃんと出来てるかなあ?(笑)」
―いやあ、ライヴでもきちんと再現されてたし、ヴォーカルがよく出てましたよね。
ジェイソン「他の曲でも? 毎晩心から歌うよう努力してるからね!」
―こうして自分たちならではのモノを獲得したTHE VON BONDIESですけど、世間的にはTHE DIRTBOMBSやTHE WHITE STRIPESなんかの影響もあって、VON BONDIESも“デトロイトのバンド”とか“ガレージのバンド”とかいう括りで見られることが多いんじゃないかと思うんですけど…。
キャリー「他の素晴らしいバンドと較べられることは嬉しいし、光栄なんだけど…そういう狭いカテゴリーの中に押し込められるとクリエイティヴになれないっていうか、アーティストとして成長出来ない気分になるわね。でも、新しいアルバムで、私たちはそれ以上の存在だということを証明出来たと思うの」
ジェイソン「みんな“素晴らしい大阪のバンド”とか“最高の日本のバンド”とかじゃなくて、単に“最高のバンド”って呼ばれたいよね? 僕たちも“デトロイトから出たガレージのVON BONDIES”とか呼ばれるんじゃなく、“最高なVON BONDIES”と呼ばれるようになりたいね!」
―“デトロイトの”っていう括りで聴くことは、観る側・聴く側からはわかりやすいんだろうけど…。こないだミック・コリンズにインタヴューした時に言ってたんだけど、今のデトロイトはA&Rとかが溢れてて、地元の人間がライヴを観られないみたいに言ってたんですけど、そういうのも一時的なもので、“デトロイトの~”みたいなのもすぐ廃れちゃうよ、みたいに言ってたんですけど、やっぱりそう思いますか?
ジェイソン「君はそうなればいいと思ってるんだろ?(笑)」
キャリー「今はずっとツアーで、地元に帰っていないからクラブ・シーンがどういう状況かはわからないんだけど…シアトルも一時期大騒ぎされて、スポットライトが当たるとみんな飽きちゃったみたいに、デトロイトもそういう状況になるのかなあ…」
ジェイソン「本当の音楽ファンがショウを観に行けないのは悲しいことだよね」

―今回は凄く変則的な来日で、新作(2ndアルバム『PAWN SHOPPE HEART』)の国内盤が出ていない状況で(国内盤リリースはこのインタヴューの1週間後だった)、しかも東京のみワンショットのライヴ…当然、アルバム・リリースに伴う日本全国のツアーを、ファンはみんな望んでると思うんですけど。
ジェイソン「是非また日本に戻って、東京だけでなく他の街にも行ってみたいね。今はファンを焦らしてるようなものだけど、僕らも焦らされてる感じでつらいよ(笑)」
キャリー「夏のフェスティヴァルに参加する話なんかも来てるのよ」
―今回は、お客さんもけっこう入ってて良かったんですけど、なんていうか…俺自身が東京の小さいライヴハウスで会うような、DOLLを読んでるような若い子に会わなくて、耳の早いファンだけが来てたと思うんだけど、DOLLの読者は、ひょっとするとあんまり来てなかったかも知れない。次に来日する時に、今度のアルバムを聴いてDOLLの読者がたくさん来てくれるように、彼らにメッセージをひとつ。
ジェイソン「THE VON BONDIESは心からのパンク・ロックだよ!」
キャリー「パンクが好きな人なら私たちの音楽を気に入ってもらえると思うし、女の子にも共感してもらえる要素が大きいと思うの。誰でも、私たちの音楽にアッと思う部分があると思うわ」
ジェイソン「こういう雑誌を見てると、ほとんどが男性のバンドだよね? 僕らのバンドには女性のメンバーもいる。女の子のパンク・ロッカーもたくさんいると思うし、そういう子達が僕らのバンドに刺激されて、バンドをやったりするきっかけになればな、と思うよ!」


 …当時ジェイソン・ストールスタイマーはジャック・ホワイト(THE WHITE STRIPES)との不仲・喧嘩騒ぎで注目されていて、雑誌によってはそのへんのことを訊いていたインタヴューもあったが、御覧のとおり俺はそこらへん敢えて一切訊かないようにした。
 バンドのその後の躍進には少なからず期待していたんだけど、メンバー交代を経て(このインタヴューで答えてくれているキャリー・スミスも脱退)3rdアルバムがリリースされたのは5年後の2009年。国内発売もされなかったんだっけ? でもバンドは今でもジェイソンとドン・ブラムを中心に活動中。


追記:
結局THE VON BONDIESはこのインタヴューをブログにアップした翌年の2011年に解散。
ジェイソン・ストールスタイマーは現在PONYSHOWというバンドで活動しているとのこと。

(2020.1.20.)


(2023.2.20.改訂)

クルブシーズ・インタヴュー 2007

KRUVCIES 2nd.jpg 6月3日に東高円寺UFO CLUBでクルブシーズのライヴがあって、行きたかったんだけど、行けなかった。行ってたらまたここで何か書いてたと思う。…その代わりというワケじゃないんだけど、今夜はそのクルブシーズが2007年に2ndアルバム『KRUVCIES Ⅱ』をリリースした時のインタヴューをお届けしましょう。
 このバンドにインタヴューしたのはこの時が2回目だったのだが、メンバーは以前インタヴューしたときとはまるっきり変わってしまっていて、唯一のオリジナル・メンバー:ジョニーこと岩瀬隆之(ヴォーカル、ギター)、“宮城マリオ”としても有名な宮城剛(ベース)、相馬正士(ドラム)の3人。岩瀬のよく歌うギターを中心にした繊細にしてハードなサイケデリック・サウンドは、あんまり売れてないんだろうけど(←大きなお世話)聴きどころ多し。
 インタヴューは07年3月28日に新宿で行われ、DOLL誌07年6月号に掲載された。その時は2000字余りだったが、ここでは約4000字、ほぼノーカットで掲載。


―6年ぶりのアルバム…オリジナル・メンバーはジョニーくん一人になっちゃいましたけど、今のメンバーで何年くらい経ちました?
宮城剛「ちょうど2年くらいですね」
―ヴォーカルの性別も音楽性も変わっちゃったけど、バンド名自体を変えるとかは考えなかった?
岩瀬隆之「…考え、は、しましたけどね…でも、はたから見てて音楽性も変わったように見えるんでしょうけど、僕自身は変わったつもりはなくて。なので…バンド名もこのままでいいんじゃないかと思ったんですけど」
―宮城くんはエアギターでも有名だけど、バンドや仕事との比重はどんな感じ?
宮城「僕が今やってる仕事は、バンド活動が出来るっていう前提でやってる仕事なんで、そこのバランスは変わらないんですけど、そこに一個、エアギターっていうでっかいのがバーンと入ってきてしまって(苦笑)、わりと四苦八苦してます」
―紅白出てるからねえ(笑)。
宮城「ただ、僕自身はわりと別物と考えていて、エアギターの観衆をクルブシーズには持って来てないので」

―では本題行きましょう、アルバムの話。タイトルが『KRUVCIES Ⅱ』って、やっぱり2作目っていう位置づけで。
岩瀬「そうですね」
―前のアルバムは、メンバーも違うし、CD-Rだったし、ここで“再デビュー”みたいなのもと思ったんだけど、やっぱりジョニーくんの中では続いてるモノと?
岩瀬「そうですね。うん…」
―アルバム・タイトルはシンプルに『KRUVCIES Ⅱ』となってるけど、最初は『I DON’T LIKE MYSELF』とかいう…。
岩瀬「ああ!…そうですね、ちょっと、大仰過ぎるかなと思って、やめにして」
―『KRUVCIES Ⅱ』とか付けると、アメリカのサイケのアルバムみたいで…『ULTIMATE SPINACH Ⅲ』とか。
岩瀬「AMON DUUL Ⅱとかね」
―ああ、なるほどね…ってそれバンド名じゃん!(笑)
宮城「僕は個人的に『LED ZEPPELIN Ⅱ』とか」

―ジョニーくんって、以前にヴォーカルは?
岩瀬「高校の頃とかに…」
宮城「大学の時に弾き語りやってましたよね?」
岩瀬「ああ、うん。それくらいですね」
―以前はサウンドがもっとストレートな印象があったんだけど、今回のアルバムはデリケートな感じが前面に出ていると思うんだけど。
岩瀬「録る前も、今回録音したようなイメージで曲作りはしてたんですけど、ただ、ライヴではそういう風に見えなかったんでしょうね」
―以前、“自分たちはステージ上で起きることしか信じない”みたいなコメントがあって、凄く印象的だったんだけど、スタジオ録音に当たって、意識は変わった?(1stアルバムはライヴ録音)
岩瀬「…当時思っていたようなことは今でも思ってますけど、ただ…どう言ったらいいのかな…」
相馬正士「録り方的には一発録りで、本当に自分たちで録音して自分たちでミックスして、って感じだから、ライヴ録音みたいなノリで作ったんで」
宮城「ギター重ねたりとか、録音でしか出来ない入れ方っていうのは試しました」
岩瀬「やり直そうと思えば、何回でもやり直せますしね。ただ…前回のアルバムを作ってからこれだけ間が空いちゃったっていうのは、メンバーチェンジがわりとちょこちょこあったってのもあるんですけど、どうやったら自分が思い描いている形で、録音物に形を残せるのかっていうのを模索していて、“こうやったらいいんじゃないか?”と思った矢先に続々とメンバーが抜けていったという…(苦笑)。録音物っていうのは、絵画だったら画集とかそういうものだと思うんですけど。音ってやっぱりその場その場で瞬間のものだけど、録音物って時間を越えていくわけですよね、何十年も何百年も。それは凄いことだと思うんですよ。そういう形に残せるものに対する興味は凄くあったんですけど。ライヴ録音だって録音物には違いないわけですからね」
―そこのところでは、根底は変わってないと?
岩瀬「そうですね。さっき宮城くんも言ってたけど、違う魅力があるんですよね」

―ヴォーカルとギターに、ニューヨーク・パンク的な感覚があると感じるんだけど。
岩瀬「そうですね、やっぱり、凄く好きだし、影響も受けたと思います」
―リフにちょっとTELEVISIONっぽいところも。
岩瀬「そうですね、ギター2本の絡みとかね」
―初期から、サイケデリックな音を出していたけど、いわゆるジャンルとしてのサイケデリック・ロックではなかったよね?
岩瀬「そうですね」
―今現在はサイケデリック・ロックといって差し支えないものになってる気がするんだけど。
岩瀬「そうなのかな?…う~ん、まあ、確かにサイケと呼ばれる音楽は好きで、よく聴きますけど。サイケ的な要素は、クルブシーズの中にもきっとあると思うんですけど、でも、サイケ・バンドじゃないと思うんですけど。広い意味ではサイケだとは思いますけど」

―今度のアルバムから感じるのは、ある種の“とりとめのなさ”みたいな。
岩瀬「そうですね」
―以前ジョニーくんが言ってたけど、“何処にも着地しない”感じ…それを言葉で敢えて説明すると?
宮城「…メンバー同士で、こういう音楽が好きとか最近こんなの聴いてるとかいう話はするんですけど、じゃあクルブシーズはこういうジャンルでとかこういう方向性でとかいう話はないですよね」
岩瀬「…上手い説明になってるかわからないけど…さっきニューヨーク・パンクの話が出たけど、リチャード・ヘルの音楽とか凄く好きで、でもアレもなんか凄く不思議な音楽ですよね。普通のロックに求める魅力的な部分が見事に削げ落ちてるっていう印象があって。聴いてて気持ちよくはないんだけど、昔からなんかひきつけられるような感じがあって。“どこにも着地しない”…おきまりな感じになるのが凄くイヤなんですね。ここでこういうキメがあったりとか、するとみんな安心する、みたいな、無言のお約束みたいなものが、いっぱいあるじゃないですか。ライヴだったら、2~3曲やったらMCしなきゃいけないとか、次のライヴの告知をしなきゃいけないとか(笑)。面白くないんですよね、そういうのって」
宮城「サイケの様式美とか、パンクだったらこういうリズムでとか、スカだったら裏打ちで、みたいなジャンルに寄りかかるやり方はやってない。結果そうなってるのかなっていう気も」
―わかりやすいモノを目指すつもりはない。
岩瀬「そうはいっても、自分たちのやっていることはロックの範疇に入ると思ってますけどね。ロックというフォーマットの上で、既製の何ものでもないようなものをやりたいと思ってますけどね」
―ジャンルに関係なく、メンバーの中での了解事項みたいなモノはあるワケだよね?
岩瀬「価値観みたいなものはありますよね」
―それを敢えてわかりやすい方向に持っていこうとしないとか、離れていこうとか?
相馬「敢えて、はしてないと思うんですけど」
宮城「3人の共通点として、微妙にひねくれてて、微妙に恥ずかしがり屋で、微妙に人見知りで…的な部分が、音楽にも。様式美になっちゃうとちょっと恥ずかしかったり(笑)」

―メンバーの好きなバンドもバラバラだったりする?
岩瀬「バラバラですね」
―ジョニーくんは?
岩瀬「やっぱり60年代とか70年代の、メインストリームじゃなかったロックって、ハマっちゃうことが多いですね」
―最近はアシッドフォーク?
岩瀬「そうですね。大好きです」
宮城「僕は凄く広く浅くなんで。最近好きなのは、ザ・コレクターズ。最近のバンドだとフジファブリックとか。それと並行して、今SLY & THE FAMILY STONEが自分の中でキてて。スライ聴いたり、ジェームス・ブラウン聴いたり」
相馬「僕は、プログレ全般。でも、出来ないんですよね(苦笑)。5拍子とか7拍子とか」
岩瀬「前のメンバーのときは、僕も含めて各々プレイヤー志向な感じがけっこうあって。今のメンバーになってからそういう感じが薄まったっていうか。それで僕も、自分がギタリストっていうこだわりが薄れてきて。歌うようになったのも関係してると思うんですけど、各々のパートがどうとかじゃなくて、全体的な仕上がりを全員で思い描くっていう感じになってきてますね」
―それは納得するね。3人でひとつの、有機体としてのバンド。個人的には、ゆらゆら帝国が好きな人とかに好まれそうな気がするんだけど。
岩瀬「好まれるといいですね(笑)。どうなんでしょうね?…僕の周りにもゆらゆら帝国が好きな人はたくさんいるんですけど、その人たちがゆらゆら帝国を好きって言ってる部分が、僕らにはないので…(苦笑)。(クルブシーズの)どのへんがゆらゆらファンにウケそうですか?」
―個人的には、歌詞の世界観と、ギターとヴォーカルのバランス。
岩瀬「なるほどね」

―アルバムの間隔が空いたけど、今後の希望は?…来年もまたアルバム出したいとか。
岩瀬「出したいですねえ!」
相馬「曲がたまらないと…(苦笑)」
岩瀬「次にやってみたいことは、漠然とあるんですけど、ただ、まだちょっと…具体的にそれをどうやったら形になるかっていうのが見つかり次第っていう感じですね。やり方が見つかったら、来年にでもアルバム作りたいくらいですけど」
―最後に、読者様にメッセージをお願いします。
宮城「ワンマン観に来てください!」(このインタヴューはレコ発ワンマンライヴの直前に行われたモノ)
岩瀬「…なんか、そんなに、変な音楽じゃないと思うんですよ(笑)。言うほどヘンな音楽じゃないと思うけれども…とらえどころみたいなのが、聴いたり観たりしてくれた人に、ロックってこういうもんだとか、ライヴってこういうもんだとか、そういう気持ちで聴こうとすると、本当にとらえどころがないと思うんですよね。そうじゃなくて、まっさらな状態で聴いてもらえたら、それなりに楽しんでもらえるんじゃないかと思いますけどね」


 かのう葉蔵(中学生棺桶)あたりに言わせれば、“U.F.O.CLUBによくいる、2番まで歌終わったらギターソロでファズ踏めばいいと思ってるようなバンド”とかいうことになってしまうのかもしれないけど、個人的にはそんなにありふれたバンドじゃないと思ってる。俺は好きだな。


(2023.2.13.改訂)

ONEPERCENTRES INTERVIEW 2005

ONEPERCENTRES PLATINUM BUNDLE.jpgこの4月に3rdアルバム『DAYDREAMING HORSES』をリリースした埼玉の星・ONEPERCENTRES。
2000年結成。
新作リリースに乗じて、ってワケでもないが、今夜はこのバンドが1stアルバム『PLATINUM BUNDLE』をリリースした06年のインタヴューを再掲載。
個人的に、こういうエモいバンドって、このバンド以前は全然聴いていなかったんだが、THE BEATLESみたいにポップなメロディをグランジ/オルターナティヴ以降のロックな音で、みたいなところを目指してスタートしたこのバンド、実際疾走感溢れまくりの楽曲に超エモーショナルなヴォーカルで、特にライヴで聴くと盛り上がったよなー(最近全然観てないな…)。
インタヴューは06年9月25日、下北沢で行われた。
当時のメンバーはOsamu Seino(ヴォーカル、ギター)、osm(オサム:ギター)、yumi(ベース:現在は脱退)、den den(ドラム:現在は脱退)の4人。
初出はDOLL誌06年12月号で、その時は1ページ、2100字。
今回はほぼノーカットの5000字超でお届けします。


―バンド名の由来は?
osm「小説で、“10PERCENTERS”というジャズのバンドが出てきまして、いいなと。(候補は)いろいろあったんだよね?…わりとイメージで。先にロゴ作ってみたりとか。イメージ作りっていうか。スペルに関しては、“~RES”っていうのが、ブリティッシュ風というか。まあ、その頃、「ブリットだろう!」とか言ってたんで…そんな、イメージ先行な感じで」
―皆さん、どんなバンドに影響受けましたか?
osm「僕はVELVET UNDERGROUNDですね。衝撃を受けた。…順番からいうと、Char。…PINK CLOUDですね。それで、VELVET UNDERGROUND」
―凄い順番(笑)。
Seino「元々このバンドは、僕が自分で作ったんですけど。どんな音をやりたいかなと思って。WEEZERとかのパワー・ポップとか、オルタナとか、グランジとか、全部合わさったのが出来たらカッコいいかなあと思って。バンドでいうと、WEEZERとか、スマパンとか、NIRVANAとか、そのへん…90年代後期というか。で、まあ、ベースは女の子がいい、とか(笑)。イメージから入っていったりして。ルーツ的な部分でいったら、BEATLESとかのメロディが凄く好きで。ロックというよりめっちゃポップ・ソング的な感じの…それをグランジとかの汚い音で、行けたらいいなっていう感じで。70年代のロックとかも聴いたりしてたし」
yumi「…HANOI ROCKS」
―いきなり!
osm「僕らの世代って、HANOIってみんな通ってますよね。辛うじてラズルが生きてたっていうか。ZIGGYとかもまだ出始めで。出る前か。あとMOTLEY CRUEとか」
den den「私もけっこう…古い、BEATLESとか好きで。あとはVELVETとかも凄いハマッてたし…。日本でいうと、最近になっちゃうけどくるりとか聴きまくってたりしてて。一番ドラムで影響受けたのは、やっぱりBEATLESとかくるりとか…大分年代は離れちゃうんですけど」

―バンド自体はosmさんとSeinoさんで立ち上げたんですよね?
osm「そうですね。前に同じバンドやってて」
―新バンドの構想を練るために、二人で渡米したとか。
osm「そうなんですよ。渡米しました」
―何故アメリカだったんですか?
osm「あの…前のバンドだと、Seinoが曲を書いて、僕も曲を書いて、ヴォーカルの奴も曲を書いて。今よりもうちょっとポップなんですが、そんなに変わらないバックで、日本語でやってたんですよ。それでまあ、Seinoが抜けて、自分の曲を自分が歌ってっていうのをやりたいなってなった時に、まあそれに僕も乗ったっていうか、そんな感じになって。で、英語でやろうよっていう話になったんですよ。で、英語でやるのであれば、やっぱりアメリカとか見ておかないとまずいんじゃないかという話に。けっこう僕は、プラプラ外国とか行ってたもんで、まあ、バンドも終わったし、とりあえず英語でやるんじゃ…Seinoがアメリカとか行ったことなかったんで、見るしかないでしょ!っていって。ライヴハウスとか、向こうの…あるじゃないですか、やっぱり。なので…とりあえず、サンフランシスコへ」
―で、ライヴハウス行ってたんですか?
osm「そうですね、まあ、あの…普通に観光してました(笑)。ライヴハウスも行きましたけど」
―方向性を探るためにわざわざアメリカに行ったってことは、方向性そのものが最初から決まっていたワケじゃなかった?
osm「…でも、わりと決めてたよね?…こういうのやろうとか」
Seino「さっきの話にもつながるんですけど、ジャンル的にはパワー・ポップっぽいっていうか、オルタナ/グランジ系で、英詞でやるっていうところで、よりなんかそういう、日本語で同じような曲やっても、やっぱり印象が全然違ったりするじゃないですか。何度も言ってるけどイメージ重視っていうか(笑)。そのイメージをどれだけ近づけるかっていうところで。鼻歌で作った時の感じを一番伝えやすいのが英語だったり。最初のイメージを大事にしたいなっていう…そこを追求していったって感じですね」
osm「BEATLESも好きだし、VELVET UNDERGROUNDも好きだし。とりあえず、コレやろうよ、コレ面白くない?…って感じで。とりあえずアンプはデカいの積むでしょう、っていうか」

―遂に1stフルレングス・アルバムが完成したワケなんですけど。…結成は2000年ですよね?
Seino「そうですね」
―シングルとかぼちぼち出てたんですけど、アルバムまでけっこう時間がかかったのは、なんででしょうか?
osm「まあ、あの、ひとつの大きな要因としては…僕ら、自分で制作してるんですね。で、最初、自分でCDを作るっていうことが、全く最初はわからなかったし…一番最初は、出入りしてたライヴハウスの紹介で、原盤を作ってライセンスで、っていう感じだったんですけど、それももう、作ったけどどうしようって感じで。で、正直、出し方がわからなかったっていうのが、あると思うんですね。結局、それだけの単価のものを作るわけじゃないですか。聴いてもらわなきゃ意味がないなっていうのがあったんで。どういう形でリリースすればいいんだろうっていう感じで。それで、マキシ・シングルみたいな形…とにかくコンパクトで、手に入れやすい価格で」
―「CURRENTLY」(ミニアルバム。2005年2月リリース)出してからは、けっこうサクサクと進んできましたよね。
osm「そうですね」
Seino「作りたいなという気はあったんですけどね、アルバムを。ただきっかけが、自分たちで作れなかったっていう…。とりあえず次出そうっていって、ポンポンポンと出していって…まとめてドンってやる方向もあったと思うんですけど」
―今回のドラムはもうden denさんが叩いてる?
den「いや、私は3曲だけです。まだ入って3ヵ月くらいなんで」
―5年前からメンバーが固まってたバンドに、一人だけ新加入して、どうですか?
den「まだ始まったばっかりですけど。最初は本当に、自分が叩くことになるとは思ってなかったんで。出来ることは全部やっておこうと思って、もらった曲を一生懸命覚えて。それで合わせたら、やることになったんで、「あ、やるんだ?」みたいな感じで(笑)。びっくりした!…そんなに、幅っていうか距離っていうか、私は感じてないです」

―アルバムなんですけど、これまでの音源と較べて、個人的な感想としては、若干疾走感抑え目な印象があったんですけど、単にコレは、曲多くなったせいかなと。…メンバー的には、そうでもない?
osm「そうですね、そういう感想を聞かせていただいて、そうかもしれないな、と思ったりするっていうか。特にそれを日々考えてるっていうことはないですね」
―反面、丁寧に練りこまれた曲になってるっていうか、完成度は格段に高まってると思うんですけど。
Seino「そうですね、シングルとアルバムでは違う、っていうのを、作ってる側でも意識してるかもしれないですね。アルバムサイズで、ゆっくり聴いてもらいたいっていうことで」
―曲も、テンポチェンジとかコード進行とかが、ONEPERCENTRES節というか、独特の展開があるんですけど。曲作りは主にSeinoさんが?
Seino「そうですね」
―どんな感じで?
Seino「大体僕、まず一人でボケーッと考えて、ある程度形を作ってしまうんですよ。で、だんだんイメージを膨らませていって、デモみたいな形で、音にしていって。そのイメージをなるべく伝えたいんで、そのまま渡しちゃうんですけどね、、形にしたものを、ベースとかドラムとか、コーラスとかも入ってて。それを渡して、コピーしてもらって、ドンと出して、また修正するっていう、感じの作り方が、一般的な形で…」
―非常に独特の声質ですね!
Seino「そうなんでしょうか?」
―男性としては高めだと思いますし、非常にエモーショナル…だから、(ライヴで)お客さん泣いちゃうっていうのもわかる気がするんですけど。それまでのバンドでは歌ってなかったんですか?
Seino「そう…ですね。ヴォーカルをやった経験はありますけど、それはもう高校生の頃とかなんで。だから、メインで歌うのはこのバンドからですね」
―ヴォーカリストとして影響を受けた人っています?
Seino「特に意識はしたことないですね」
―歌詞の内容って、主にどんなのが多いですか?
Seino「大体、グズグズなラヴソングですね(笑)。ラヴソングも、どっちかっていうと内向的な…泣き虫系(笑)。メガネかけてます、みたいな」
(一同爆笑)
Seino「寂しさ溢れる…」
―そうですね。常に哀愁漂う感じが。
Seino「明るい曲とかも多いんですけど、明るいままで終わらないっていうパターンが多いんで」

―音源制作の上でネックになってたのは、流通の面ですよね?…さっきの話からすると。
osm「形の上では、簡単じゃないですか。問屋さんがいて、持ち込んでっていう。その形をとればいろんな人に聴いてもらえるかっていうと、そうではない気がしたんですよね。…現状、僕らが出来ることの中で、より手を伸ばしやすいことをしたかったので…アルバムの話は出ることは出てたんですけど、まだ早いだろうって感じで。去年ぐらいだよね?」
Seino「言ってるのは言ってたよね」
osm「話はあったんですけど、断ったりしつつ」
―レコーディング自体は…お二人ともレコーディング関係のお仕事ですよね?
(註:Seino Osamuは、その筋では知らぬ者のない敏腕エンジニアとして活躍中)
osm「そうですね、二人とも、同じところに勤めてるんで」
―音作りの上では凄く楽っていうことがいえますよね。
osm「そうですね」
Seino「あると思います」

―このバンドの特徴として、絶妙のハーモニーっていうのがあるんですけど…yumiさんのコーラス。音源を初めて聴いた時、メンバーが歌ってるとは思わなかったんですよ。別にゲストでコーラスが入ってるんじゃないかと。これまでにリードヴォーカルとかとった経験は?
yumi「ないです」(即答)
―これから、yumiさんがリードヴォーカルをとる予定とかは…。
yumi「(質問終わらないうちに)ないです」
―即答? 速っ…(苦笑)。
Seino「わかりません、それは(笑)。実際そういう声はあります…アンケートなんかでは」
―聴きたいですよねえ。今回、特に7曲目「The Stage Of Ennui」での、歌いだしのユニゾンのところなんかもう、涙なしには…。あそこはハーモニーとかコーラスというより、ツインヴォーカル状態ですよね。
Seino「そうですね、聴かせ方としては」
yumi「出来なくてカットしてもらったところとかもあるんですよ(苦笑)」
―あ、そうなんだ?…コレは、最初から意図してました?…こういうハーモニーを。
Seino「してました」
yumi「なんか、ベースは女がいいっていう…のがあったらしくて、たまたま、「いたいた!」って(笑)。「おいでおいで」って言われて(笑)」
osm「イメージで(笑)」
Seino「基本的に、ハーモニー好きなんですよ。で、女の子のヴォーカルのバンドもやってみたいなっていうのはあったんです。女の子の声が欲しいなと思って…そういうのがあって、じゃあ楽器の出来る女の子を…で、ベースで加入と、そういうことに。彼女を誘う前に、彼女が当時やってたバンドを観に行ったんですけど、ああ、出来る出来る、って。歌えるっていうのを前提に考えてました。特徴もけっこうあると思うんですよ。一番最初の頃は、どう馴染ませようかなと思ったりもしてたんですけど、途中からそれは違うなと思って…これは、出していくんだなと」
yumi「馴染まないから(笑)」
Seino「馴染まない(笑)。プラスとプラス、マイナスとマイナス」

―ここまでにけっこう時間がかかったワケですけど、これからはリリースペースも早くなると、思ってイイんでしょうかね?…ある種方法論が確立されたと。
osm「そうですね」
Seino「つもりとしてはそのつもりです。頑張ろうと思ってます」
osm「まあ、実際、そろそろ考え始めなければならないと。制作に関しては全部バンドでやってるもので、そこらへんの関連作業が…終わりが見えてくると、自然と次へのタイミングが、どういう風につながるかっていうのが見えてくるんですが」
Seino「ヴィジョンとしては、来年ぐらいにもう1枚行きたいなっていうのがあるんで。レコーディング自体は録り終わってて…まだ発売じゃないですけど。録り終ってから何ヵ月か、次の構想を考えつつ、考え始めたというか」
―楽しみですね。期待してます。最後に、読者様にメッセージを。
Seino「とりあえず、音を聴いてもらえば早いと思うんですけど、やっぱりライヴを観て欲しいというのが大きいですね。声とかコーラスとかもありますけど、音だけ聴くとどうなんだろう、ちょっといい子ちゃんぽい感じかもしれないんですけど、ライヴはもっと違った印象を与えられると思うんで。アルバム、聴いてもらって、その上でライヴも来て欲しいですね」
osm「そうですね、やっぱり…ステレオで聴ける音量って、限界あるじゃないですか。ドカンとギターサウンド出してますんで…まあドラムにしろベースにしろ、音圧感というか、ライヴでしか味わえないと思いますので、是非ライヴに」
yumi「うちのコをよろしく(笑)」
―最後にden denさん。
den「…来てっ!(笑)…来て、聴いて。聴いて、来て(笑)」


このインタヴューから4年。
その後、Seinoを除く全員が入れ替わってしまったが、バンドはまだ頑張っている、はず。


追記:
結成から23年、ONEPERCENTRESはSeino(現・SayNo)を中心とするトリオとして活動を続けている。
メンバーは入れ替わったが、ベーシストが女性というのは不変。

(2023.2.3.)

NASHVILLE PUSSY INTERVIEW 2006(後編)

NASHVILLE PUSSY GET SOME!.jpg NASHVILLE PUSSYインタヴュー、以下は後編。
 当時の最新アルバム『GET SOME!』及びその他の話を、昨日の前編に続けてどうぞ。








―バンドの変化として、デビュー以来アルバム毎にブルージーなテイストが自然に増えてきましたが、今度のアルバムでも更にそうなっていますね。その一方でポップな部分にも磨きがかかったと思うんです。
ライダー「イェー、ブルージーでポップ。そのとおり、私もそう思うわ。グッド!(笑)」
―メロディがポップになってきたのは、“ダニエル・レイ効果”でもあるんでしょうか?
ブレイン「確かに、ダニエルがバンドに潜在していたキャッチーさを引き出してくれたね。元々彼はキャッチーさを強調するような曲作りが上手いし、それで今回ポップな部分が前面に出てきたんだと思う」
―オリジナル曲も凄くよく書けてるし…一方でNASHVILLE PUSSYというバンドは、カヴァー曲のセンスが凄くイイですよね(…と褒めたせいか、この晩のライヴでは「DOLL MAGAZINEに」とMCしてエース・フレーリーのカヴァー「Snowblind」を演奏)。
ライダー「ありがとう! やっぱり自分たちのセンスがイイからだと思うわ(笑)。ウチのレコード・コレクションは膨大なものがあって、ハウス・パーティーなんかすると、ブレインがよくDJ役を買って出るんだけど、何か回すと“この曲は何?”とみんなから質問攻めに遭うくらい、いろいろなレコードを持ってるのよ」
―前作に入ってたMOLLY HATCHETの「Flirtin’ With Disaster」(2002年のアルバム『SAY SOMETHING NASTY』国内盤のボーナス・トラック)も凄く良かったし、今回はIKE & TINA TURNERの「Nutbush City Limits」なんて…。
ライダー「MOLLY HATCHETは、今までカヴァーした曲の中で一番難しかったわね。あの曲をレコーディングしたのはコリーが辞めてトレイシーが加入する前の時期で、(ブレイン、ライダー、ジェレミーの)3人でレコーディングしたの。ブレインが短いギター・ソロを2回弾いて、私がギター3本とベースを重ねたの。大変だったわ。凄く面白かったんだけど、ライヴで演るにはもの凄くいっぱい練習しなきゃならなかったし!…腕が何本もあれば簡単なんだけど(笑)。でも、MOLLY HATCHETの前のヴォーカリストには“いいカヴァーだ”って褒めてもらえて嬉しかったわ」
―大体、MOLLY HATCHETのカヴァー演ってるバンドなんて、他に知りませんよ。
ライダー「あははは」
ブレイン「確かに(笑)。あとは最近のMOLLY HATCHET自身か?…今のMOLLY HATCHETにはオリジナル・メンバーは二人くらいしかいないし、ほとんど昔のMOLLY HATCHETをカヴァーしてるような状態だ」
―MOLLY HATCHET自身は、LYNYRD SKYNYRDの「Free Bird」をカヴァーしてましたね。
ブレイン「それは知らなかったな。でも昔の彼らはそういうのも演ったかもな」

―今回、リック・リチャーズ(元GEORGIA SATELLITES)が参加していますが(スコット・アラン・ビラムのカヴァー「Raisin’ Hell Again」でスライド・ギターをプレイ)…彼とは以前から知り合いだったんですか?
ブレイン「思い出させてくれてありがとう。彼には電話する用事があったんだ(笑)。…彼とはここ2~3年で凄く親しくなったんだけど。ライダーは元々リックのガールフレンドと仲がよかったんだが、リック本人とは最近になってから共通するところがたくさんあるのを実感してね。これまでNASHVILLE PUSSYが演ってきたような、クソ溜めみたいなクラブとかホテルとかレストランとかでの演奏は、リックも全部経験済みだしね(笑)。ただひとつ違うのは…リックの方はプラチナ・レコードを持ってるってことだな(笑)。今はリハーサルの場所も同じビルにあるスタジオだよ」
ライダー「(新作に入っている)「Come On Come On」は元々12~13分あるようなブルーズ・ジャムから出来た曲なんだけど、スタジオでジャムっている時に、外で聴いてたリックが“GEORGIA SATELLITESかと思った”って(笑)。これ以上はない褒め言葉で、凄く感動したのよ。それ以来お互いのことを意識するようになったっていうのもあるわね」
―当然、80年代当時はGEORGIA SATELLITESのファンでしたよね?
ブレイン「初期の彼らがドサ廻りみたいなツアーをしていた1986年に、ケンタッキー州のレキシントンで初めてライヴを観たんだ。俺がまだNINE POUND HAMMERをやってた頃で、NINE POUND HAMMERのヴォーカルの奴と観に行った。で、客は俺達だけだった(笑)。彼らはその晩3セット演って、俺達はそれを全部観て帰った。メンバーにハッパを調達してやったこともあるし(笑)、ライヴは6~7回観たよ。アルバムは全部持ってるし、ブートレグも新宿の「AIRS」で買ったし(笑)、大ファンだったよ。アトランタ周辺のそんなシーンからGEORGIA SATELLITESやBLACK CROWSやBUCKCHERRYみたいな、南部独特のギター・バンド…ハード・ロック、そしてTHE FACESやTHE ROLLING STONESみたいな70年代のロック、それにパンクを掛け合わせたようなフィーリングのバンド連中がたくさん出てきたね」

―今話に出てきましたけど、ブレインはNINE POUND HAMMERもやってますね。『KENTUCKY BREAKDOWN』(再結成アルバム:2004年)も凄くよかったです。DOLLでもレヴューしましたよ。
ブレイン「ありがとう。そのレヴュー読んでみたいな(笑)。10年前、NASHVILLE PUSSYが結成された時期が、NINE POUND HAMMER解散の時期だったんだが、その直前に日本ツアーの話があって、とりあえず日本に行こうということになった。日本では5回ライヴをやって、もの凄く楽しかったんだ。今NINE POUND HAMMERは再結成しているんだけど、日本から声がかかればメンバー全員すぐ飛んでくるだろうね。俺も『KENTUCKY BREAKDOWN』は大好きなアルバムだよ。それで今回俺は、70日間のツアーをやってるんだ。NASHVILLE PUSSYのヨーロッパ・ツアーが終わって、俺はそのままNINE POUND HAMMERのヨーロッパ・ツアーに入って、12時間飛行機に乗ってアメリカに戻って、すぐにオーストラリアと日本」
―はあ…(驚愕のため息)。NINE POUND HAMMERはシングルも出ましたね。コレも俺、DOLLでレヴューしたんですけど…。
ライダー「ありがとう!」
―このシングルが出たとき、再結成NINE POUND HAMMERもコンスタントに活動してたのか、と思ったんです。
ブレイン「2~3年前に一度NINE POUND HAMMERとして再結成ライヴをやって、その後も『KENTUCKY BREAKDOWN』が出るまでに何回かライヴをやったよ。『KENTUCKY BREWAKDOWN』と同時に昔のアルバムも再発されたりして、その後はヨーロッパで2回ツアーした。ただ、俺以外のメンバーみんな昼間の仕事を持っていて、サラリーマンとかソーシャル・ワーカーもいるんで、NINE POUND HAMMERとして長期のツアーはなかなか難しいね。最近の活動は…アメリカに“カートゥーン・ネットワーク”っていう、大人向けのアニメばかり流すTV局があって、そこにNINE POUND HAMMERの大ファンがいて、是非番組のテーマソングを作ってくれといってきた。それがクレイジーな作品でさ、“タクシー運転手をやってるアル中のネズミ”が主人公で(笑)。それで「12 oz. Mouse」(12オンスのネズミ)って曲を作った。32秒の曲だが、NINE POUND HAMMER節全開のイイ曲だよ」
―今回、両バンドのメンバー全員連れてきて、NINE POUND HAMMERとNASHVILLE PUSSYの二本立てでツアーしてほしいと、DOLLでも書いたんですが。
ブレイン「メンバー全員が仲良く出来るかどうか微妙だな(笑)。まあ、ベルギーのフェスティヴァルで、金曜日のヘッドライナーがNASHVILLE PUSSY、土曜日のヘッドライナーがNINE POUND HAMMERってことはあったけどな」
ライダー「ブレインがベルギーの王様になった週末よ(笑)」
ブレイン「ベルギーにはもう王様がいるじゃないか…」
ライダー「二番目の王様ってことで(笑)」

(ここで二人ともパスタを注文。食事しながら、AC/DCのマニアックな話題でしばらく盛り上がる。NASHVILLE PUSSYオーストラリア・ツアーのローディーに、初期AC/DCのベーシスト、マーク・エヴァンスの親戚がいたとか、そういう話)

―で、今回の来日は、普通のプロモーターを通さずDEE(当時DIRTRUCKS、現BROKEN COUNTRY GIRLS)が個人でコーディネイトしたような感じですよね。
ライダー「そう、DEEが全部やってくれたのよ。とても感謝してるわ。前回の来日は自由が少なくて…楽屋から出ちゃいけないとか言われて、対バンの演奏も全然観られなかったのよね…私たちが暴れるとか警戒されたんだろうけど(笑)」
―今回は精一杯パーティーしてくださいね!…俺はライヴ観たら帰って仕事しますけど(苦笑)。今回は東京公演2回だけですが、聞くところによると大阪あたりからもファンが来るみたいですよ。
ライダー「NASHVILLE PUSSYでは今まで東京でしか演ってないのよね…。NINE POUND HAMMERでは大阪や名古屋でもライヴしたんだけど。次に日本に来る時は、日本全国を回りたいと思ってるわ。…とりあえず昨日は横浜で野球を観てきたんだけど。球場で暴動が起こってた(笑)」
ブレイン「ニュース見たけど、そのことは取り上げられてなかったなあ。昨日の夜遅かったからかなあ」
―何があったんですか?
ライダー「最後の方でフェアかファールか怪しい判定があって、ファンがグラウンドになだれ込むような暴動になってたのよ」
―そうだったんですか…。
ライダー「アメリカじゃ野球の試合で気に入らないことがあるとお客のブーイングが凄いし、選手に向かってなんか硬いものとか投げつけたりするのよ(苦笑)。日本の野球ファンはおとなしい、いい子ちゃんたちだと思ってたんだけど、最後に凄い盛り上がりで面白かったわ(笑)」
―(笑)今日と明日はもっと盛り上げましょう! DJも素晴らしいですし。
ライダー「そうね!…DJといえば、オーストラリアのシドニーとニュージーランドのオークランドではブレインがDJをしたのよ。でもブレインがDJをやってるのは秘密にしてね(笑)。DJとしての名前も持ってないし」
―(笑)…では最後に、DOLLの読者様にメッセージをお願いします。遠くて来られない人とかもいると思うんで。
ブレイン「(来られない人は)また次の機会に!」
―あっさりしてるなあ!(苦笑)
ライダー「(東京まで)ドライヴして来なさい!(笑)」


この晩のライヴは、渋谷のDeSeOで行われた。そりゃもうカッコ良かったさ。また観たいな、NASHVILLE PUSSY。


(2023.1.25.改訂)

NASHVILLE PUSSY INTERVIEW 2006(前編)

NASHVILLE PUSSY GET SOME!.jpg アメリカの“女アンガス”(?)、ライダー・サイズを擁するナスティR&R4人組、NASHVILLE PUSSY。この前のアルバム『FROM HELL TO TEXAS』は国内発売されなくて残念。で、その前のアルバム『GET SOME!』(2005年)が出た後に2度目の来日を果たしたときの、インタヴューが以下。
 インタヴューはブレイン・カートライト(ヴォーカル、ギター)とライダー・サイズ(ギター)の、真性R&R夫婦に行ないました…が、この二人、オフではステージでのワイルドなイメージと全然違ってた。物静かで紳士なブレイン、キュートでチャーミングな姐さんライダー。二人ともカフェラテ飲んでましたよ。
 話を聞いたのは渋谷で。元の記事はDOLL2006年10月号に掲載された。まずは前編。

(2006年6月2日/Translated by 吉田香織)


―3年前の池袋でライダーに指舐められたんだけど、覚えてますか?
ライダー・サイズ「アナタだったの?…Oh My God!…忘れようと思ってたのに!(笑)」
―(笑)3年ぶりの日本へようこそ!…再来日までの3年は長く感じましたか? 短く感じましたか?
ブレイン・カートライト「毎年日本に来たいくらい待ち遠しかったよ」
ライダー「呼んでくれればいつでも来るわよ!(笑)」
―アルバム・リリースも3年ぶりでしたが、その間の活動はどんな感じでしたか?
ライダー「9年ぶりのヴァケーションを楽しんだり。…っていうか、実際にはヴァケーションにはならなかったんだけど(笑)。ケイティ(3代目ベーシスト)が抜けたときに、いったん活動を休止して、余暇を楽しみながら新しいベーシストを探そうとか思ってたんだけど、結局そうはならなかったわね」
―新しいベーシストのカレンはいつ加入したんですか?
ブレイン「2年前くらいかな。彼女とは、共通の友人を介して知り合ったんだ。彼女が入ってから新作の曲作りを始めて…とにかく自分たちが納得出来る、完璧な曲を仕上げたかった。もちろんその間にライヴもこなして。今回はプロデューサーのダニエル・レイとの曲作りにかなり時間をかけたね。これまではいつもスケジュールに追い立てられていたところを、今回は時間的な制約も少なく、自分たちが何故バンドをやっているのかとか、その存在意義なんかも考えながら制作することが出来たね」

―ちなみに前任ベーシスト、ケイティの脱退の理由は何だったんですか? 差し支えなければ、教えてください…。
ブレイン「彼女は、俺たちのツアーのサウンドマンで、前座を務めたカナダのバンドBIONICのメンバーでもあったイアン・ブラートン(元CHANGE OF HEART)と恋に落ちてしまってね…。やっぱり色恋にはかなわないよなあ(笑)」
ライダー「NASHVILLE PUSSYのモットーは“Keep On Fuckin’”だから、文句は言えなかったワケ(笑)」
―ケイティは今、新しいバンドやってますね。
ブレイン「ああ、C’MONってバンド。カナダをツアーしたりしてるね。…ケイティがバンドにいてよかったことは、日本語が出来たってことだな。日本ツアーの間はとても便利だった(笑)。みんなで飲んでいて、ジェレミーがバーにジャケットを忘れたことをタクシーに乗ってから気付いて…で、ケイティが携帯電話でバーに電話して、確認してくれたりとかさ」
―カレンはどんな人ですか?
ブレイン「とてもいいミュージシャンだよ」
ライダー「しかもクレイジー!(笑)…このバンドにはパーフェクトね。遺伝子レベルでNASHVILLE PUSSYメンバーって感じの(笑)」
―NASHVILLE PUSSY参加以前のHEMI CUDAではかなりエロい衣装で有名だったようですが、NASHVILLE PUSSY加入後はパンツルックみたいですね。
ライダー「(笑)以前のバンドでは派手なカツラをかぶったりプラスチック製のコスチュームを着たりもの凄いハイヒールを履いたり、そんな感じでライヴをやっていて、NASHVILLE PUSSY加入直後も“ライヴでは毎回衣装を変えるんだ!”とか言ってたんだけど、結局途中で面倒臭くなったみたいで(笑)、“もういい! ロックに専念する!”とか言って今のスタイルになったのよ。でも今でも凄くセクシーよ」

―コリー(初代ベーシスト)から数えてベーシストも4代目ですけど、ブレインの両サイドに女性メンバー、というのはもうNASHVILLE PUSSYのお約束というか、決まりごとなんですね!
ブレイン「そう。コリー、トレイシー(2代目ベーシスト)、ケイティ…みんなとてもキュートだった。両脇に女性メンバー、それがNASHVILLE PUSSYの方程式さ」
ライダー「女独りに男3人だと、けっこう気持ち悪いわよ(笑)。ただ、ブレインとジェレミーは、典型的なマッチョじゃなくて、ちゃんと女性に対しての思慮をわきまえたクールな男たちなの。それでNASHVILLE PUSSYはバランスが取れているのよ。男ばかりのマッチョなバンドよりこっちの方がクールだし、上手く行ってると思うわ。見た目もいいし、第一私は今まで、しっくり来る男性ベーシストに会ったことがないのよ(笑)」
―基本的にマッチョな音楽性なのに、フェミニンな要素も持っている、凄く珍しいバンドですよね。
ライダー「よくバンド内のジョークとして言ってるのが、“このバンドにPussyはいない”って(笑)」(この場合の“Pussy”は“女々しい奴”とかそういう意味)

―じゃあ、新しいアルバムの話をしましょうか。ジャケットがいいですね。ピンボールみたいで。
ライダー「ウチにはピンボール・マシーンがあるのよ~」
―うわ~、アメリカだなあ。
ライダー「実はこれまでのアルバムも、アートワークには必ずピンボール風のデザインを取り入れてきたのよ。アルバムのクレジットにも、ウチにあるピンボール・マシーンのメーカー“Williams And Bally”へのサンクスが載ってるし。でもこのメーカーはもう倒産しちゃって存在しないんだけど…。新作のジャケットの下の方に書いてある“Ballsy”(この場合“タマが据わっている”くらいの意味)っていうロゴは、このメーカー名にひっかけたの(笑)」
―日本ではピンボールは絶滅寸前です。俺の友人たちはピンボール振興会みたいなのを作って啓蒙活動してるくらいで、日本滞在中にピンボール・マシーンは見かけないと思いますよ…。
ライダー「私たちは、お酒を飲んでもピンボールの話ばかりになってしまうの。いろいろヘンなアイディアを出し合ったり(笑)。“ボールがここに当たったらNASHVILLE PUSSYのサインをゲット!”とか、“ここに当たったらバックステージにご招待!”とか(笑)。日本のメーカーからNASHVILLE PUSSYヴァージョンのピンボール・マシーンを出してくれないかしら?…少なくともこのバンドの4人は買うわよ!(笑)」

―(笑)…さて、アルバムの中身の話も。リリースまでには3年あいてますけど、実際の制作期間は?
ライダー「プリプロダクションは長かったんだけど、実際のレコーディングは13日か15日くらい。レコーディング日程の後にもうツアーがブッキングされちゃってて、レコーディングの後には機材をそのままツアー・バスに積み込んで、ツアーに出ちゃったのよ。プリプロダクションには5~6ヵ月かけたわね。今回は、偉大なるRAMONESのプロデューサー、ダニエル・レイとのソングライティングに時間をかけたから」
―その、ダニエル・レイがプロデュースを担当した経緯は?
ブレイン「彼は元々、NASHVILLE PUSSYのマネージャーの友達だったんだ。ダニエルの前に、BLACK CROWSや映画『TEAM AMERICA』のサントラを手がけたジョージ・ジャキュラスっていうプロデューサーと話をしていたんだが…」
通訳さん「ジャ…ジャキュラス?」
ライダー「(笑)なんか“ドラキュラ”みたいなスペルなのよね。ギリシャ系の名前ですって」
ブレイン「その後、ダニエルと電話しているうちに意気投合してね。ダニエルはニュージャージー出身なんだが、ニュージャージーっていうのは“北部のケンタッキー”とでも言うべき田舎っぽさがあるんだよ。そういうところも俺たちに合ってたね。ダニエルは最近ロニー・スペクターともやってたし、長いキャリアがあるのに決してコマーシャリズムに走らず、クールで良質な音楽を作ろうという誠意に溢れてる」
―ダニエル・レイのプロデュースの特徴として、プロデュース作品の作曲やアレンジに深く関わる、というのがあります。今回もそうなっていますね。
ブレイン「壁にぶち当たったりするといつもすぐにアイディアを提供してくれて、制作はスムーズだったよ。ダニエルほどの豊富なアイディアの持ち主とは今までやったことがなかったね」
ライダー「今までは、プロデューサーにも曲作りにはタッチさせなかったのよ。でもダニエルはアイディアをたくさん出してくれて、いつも新しいことをやろうと励ましてくれたの。もしそれが上手く行かなかったらまた別のことをやってみようって、とにかく次から次へと新しいアイディアを出してくれた。それまでは、曲のことを自分の子供みたいに思ってて、誰にも手出しはさせなかったんだけど…それは愚かなことだったわ(苦笑)。今回は曲に自由度を与える試みをダニエルが気付かせてくれたの」

―確かに、いろいろな意味で変化のあったアルバムだと思います。特に個人的に一番印象的だったのは、これまでのアルバム以上にコーラスが多用されていたことで。コレは、主にメンバーが変わったことによるモノでしょうか。
ライダー「そう、大人になったのよ(笑)」
ブレイン「うん、新しいベース・プレイヤーが加入してから、コーラスの比重が高まったね」
ライダー「ケイティがいた頃から、私もだんだんステージで歌うようになってきて。その後、歌えるベーシスト(カレン)も加入したし、私も自分のヴォーカルに自信が出てきて、それらがちょうどタイミングよく重なった感じね。これまでは、女性メンバーということで却って人一倍ハードさを意識して、フェミニンじゃないイメージを打ち出していたんだけど、最近はこのバンドなりのイメージも受け入れられるようになって、そろそろ女性コーラスが聴こえたからってリスナーがギョッとすることもなくなったでしょう(笑)」
―今回初めて、正式にライダーとカレンが楽器以外に“バッキング・ヴォーカル”とクレジットされてますね。
ライダー「カレンはとってもイイ声してるのよ」
ブレイン「NASHVILLE PUSSY加入以前にも歌ってたしね」
ライダー「NASHVILLE PUSSYではキタナイ声でコーラスさせてるけど、他のバンドではちゃんとキレイな声で歌ってるのよ(笑)」
―今後、ライダーのリード・ヴォーカルとかは?
ライダー「あるかもしれないし、ないかもしれない!(笑)」


 …以下、後編に続く。お楽しみに。


(2023.1.25.改訂)

MICK COLLINS INTERVIEW 2004(後編)

DIRTBOMBS 2nd.jpg ミック・コリンズのインタヴュー、以下が後編です。笑顔の絶えない陽気な語り口から連発される屈折トーク。そして漫画・アニメファンとしての素顔が!









―そもそも、この特殊なバンド編成は、どこから来てるんでしょう?今回のアルバムを聴いて、「Motor City Baby」に凄くびっくりして、その時に思ったのが、ひょっとしてこのツイン・ドラムって、ゲイリー・グリッターなのか?…と思ったんですけど。
「(笑)ある時、車の中で「どんなバンドにしようかな?」と考えていて、ふと「ドラムとベースが二人ずつっていうバンドはないよな」と思いついて、面白そうだと思って始めたんだ。で、後になって、ゲイリー・グリッターもツイン・ドラムだったって知ったんだよ。でも君の言うとおり、「Motor City Baby」「21st Century Fox」と「I’m Through With White Girls」の3曲は、確かにゲイリー・グリッター、T.REXそれにSWEETといったグラム・ロックに影響された曲だ。最初は全編グラム・ロックのアルバムにしようかと思ったんだけど(笑)、それはやめにした」
―それはそれで聴きたかったですね!
「その頃グラム・ロックは流行ってなくて、ダサいと思われていたんで是非自分たちでやってみようと思ったんだが(笑)、そのうちグラムの人気がちょっと盛り返してきて、みんながそういうのをやり出すと、僕はもうやりたくなくなっちゃうんだな(笑)」
―…(屈折してるなあ…)。
「…例えば、パンク・バンドは聴き手にショックを与えたり毒づいたりというのを、過激なサウンドとかで実行するワケだよね。DIRTBOMBSも、基本的にそういうことをやりたいんだけど、そのままの方法論ではやらないんだ。聴き手の期待を、いきなり裏切るようなアルバムを作り続ける(笑)。それで、人の気持ちを逆なでするという(爆笑)…そういう方法を取っているんだ。だから毎回サウンドが変わる。DIRTBOMBSのアルバムを買う人っていうのは、どこかでTHE GORIESみたいなのが聴きたいと期待している人がほとんどだろう?(笑)…でもアルバムを出すたびにそういう期待はことごとく裏切り続けるワケだよ(笑)。ガレージ・パンクのファンも気に入らないようなモノを作ってみせる、それが僕にとってのパンクなのさ(笑)。それがようやくヨーロッパのファンの間でも理解されるようになって。過激な音や暴力なんかじゃなく、聴き手を急激な変化にさらす、そうしてハズし続けていくのがコンセプトなんだ」
―(ホントに屈折してんなあ…!)…DIRTBOMBSに限らず、いろいろなバンドでのリリースがあって、実際GORIES以来のファンがついていけてるのかは心配だったんです(笑)。俺みたいに(各リリースがどれも)いちいちストライク・ゾーンっていう人間はミックさんから見てどうなのかと思うんですけど?
「全部好きでいてくれるならもちろん嬉しいよ。DIRTBOMBSももう3枚出してるし、GORIES以来のファンはもういないと思ってたんだけどね(笑)」
―い、いや、そんなことないですって!(苦笑)
「好きでいてくれる人がけっこういるんだよね?…それは僕にとってはけっこうな驚きで。GORIESのファンを寄せ付けないようなのをやってたつもりだったから(笑)。特にコレ(テーブルの上にあったVOLTAIRE BROTHERS名義のアルバム。ちなみに、完全にファンク)は全然違う。…GORIESも、DIRTBOMBSのファンさえも無視したモノだから。僕のやってることのうちのどれかひとつが好きって人は多いよね。複数とか、全部好きとかいう人はもの凄く少ないと思う。でもそういう人は、音楽のジャンルに関わらずミック・コリンズという一人のアーティストを認めてくれているということだろうから、それは凄く嬉しいよ。当初の予定とは違ってるけどね、ワハハハハ」

―このアルバム(VOLTAIRE BROTHERS)は買ってすぐにDOLLのレヴューのトップに持っていって。ただレヴュー書きながら「DOLLの読者、わかるかなあ…?」とか思いながら書いてたんですけど(笑)。完全にファンクですよね。
「そう、モロにファンクだ(笑)」
―同じグループで次々に違う音楽性を追求するのも凄いですけど、更にいろんなバンドをやっちゃうっていう、そのヴァイタリティはどこから来てるんでしょうか?
「わからないね~(笑)。ただ、やりたいことは凄くたくさんあって、VOLTAIRE BROTHERSにしても97年からレコーディングしたいと思っていたものなんだ。でも予算の関係とかもあって、出来なかった。やっと環境も整って、もう1枚作ろうかと思ってるんだけど…やっぱり、レコードを作りたいっていう気持ちが常にあるから。もうひとつ、実は漫画家になりたいという夢もあるんだけど(笑)、それを実現するだけのエナジーは流石に…。あと、テクノもまだやらないよ(笑)」
―やりそうですね(笑)。
「(DOLLは)パンク・ロック誌だろ?そのへんはあまり語らないでおくよ。フフフフフフ」

―VOLTAIRE BROTHERS、次も出るとしたら楽しみですね。ここではドラムも自分で叩いてますよね?
「元々ドラマーだったんだよ。THE GORIESで初めてギターを弾いたんだ」
―そうなんですか!…どうりでドラムが上手いと…。ところで、(VOLTAIRE BROTHERSは)ストレートなファンクなんですけど、聴けば、マーヴィン・ゲイとフランク・ザッパをくっつけたりとか、一筋縄ではいかないこともやってたりしますよね?
「フランク・ザッパは60年代末にあるソウル・バンドのために「Trouble Coming Everyday」っていう曲を書いていて(註:THE MOTHERS OF INVENTIONの1stアルバムに「Trouble Everyday」として収録)、マーヴィン・ゲイには「Trouble Man」っていう曲があって…この曲(「Trouble Man Everyday」)自体はJ.C.グレイ(VOLTAIRE BROTHERSのベーシスト)が作ったオリジナル曲だけど、インスピレーションの源としてフランクとマーヴィンの名前をクレジットしてあるワケだ」
―いろいろなバンドで、カヴァー曲もいろいろやってますよね?…フランク・ザッパの曲はTHE SCREWSでも出てくるんですけど、ザッパ好きなんですか?
「ザッパについては複雑な思いがあってね…。ソングライターとしてもギタリストとしても素晴らしいんだけど、何であんなに有名になれたのかちょっとわからない(笑)。70年代のザッパはプログレっぽいじゃない?…僕はプログレ大嫌いでさ(笑)。ザッパはプログレだけじゃなくてR&Bやソウルもやってて、そういう部分は高く評価しているんだ」
―フランク・ザッパもメタルは大嫌いだったんで、そこはミックさんと共通してますね(笑)。
「(笑)少なくともそこはね」

―俺はこれまでに、ミックというファースト・ネームの人ともう一人インタヴューしたことがあって、それはTHE DEVIANTSのミック・ファレンなんですけど、彼もやってますよね、フランク・ザッパの「Trouble Coming Everyday」。
「ハハハハ! グレイトなレコードだよね。(テーブルの上のミック・ファレンのアルバムを指して)僕は今持ってないけど。出た当時(1978年)に聴いたね」
―リアルタイムですか!
「凄くいいアルバムだよね。買おう(笑)」
―コレは日本盤なんですけど、ライナーノーツは俺なんですよ。
「おお! 素晴らしいね!(笑)」
―(ミック・ファレンを)観たことありますか?
「いや、デトロイトでは演ってないと思う。彼は今でもライヴ活動してるのかい?」
―たまにやってるみたいですよ。でもスポークン・ワードみたいな。東京で1回観ましたけど。
「グッド・ショウだった?」
―やっぱり、スポークン・ワード+演奏、みたいな感じでしたね。
「なるほど」
―凄く太ってました(笑)。
「(笑)」
―(やっぱり好きだったか…)
「彼の「Let’s Loot The Supermarket」っていい曲だよね」
―ああ! 俺もフェイヴァリット・ナンバーで! いつもDJで使ってます!
「好きな曲なんで、今度THE DIRTBOMBSでカヴァーしようかと思ってるんだよ」
―それは是非!
「ハッハッハ!…でも、バンドであの曲知ってるのは僕だけなんだよね(笑)」
―そうだろうなあ…(苦笑)。
「でも、これからやるかもね」

―…で、80年代からずっと活動してきて、今みたいに日本に2回も来たり、ガレージ系が人気出るとか、予想したことがありましたか?
「(テーブルの上にあったDIRTBOMBSのEP『CHARIOTS OF THE GODS?』を見て)それ、入手困難だよ。そのEPのアートワークを手がけた人間すらそれを持ってなくて、僕もずっと持ってなかったんだけど、ベン(DIRTBOMBSのドラマー)がどこかで見つけてくれたんで、自分で買ったんだ(笑)。コレを出した後にレーベル(オーストラリアのAU-GO-GO)が潰れちゃったんでさ 。以前ツアーに出た時に、レーベルから「物販で売れ」といって送られてきたのを売り切っちゃって、その後レーベルが潰れちゃって、持ってなかったんだ。今度アナログ盤で再発しようと思ってるんだ」
―そう、コレは出てすぐ買って、ずっと持ってたんですけど、どういうポジションの作品なのか謎だったんです…。
「ディスコグラフィーを作ってるような人でもコレの存在を知らない人は多いだろうね。多分1900枚くらいしかプレスされていないはずだし。今度自分でホームページにディスコグラフィーを作るんで、そこには載せるよ。…7インチシングルを除いたら、それが一番レアだと思うね。…で、質問に答えると、日本には前からずっと来たかったんだ。THE GORIESの頃はそんなこと考えもしなかったけど、99年にTHE SCREWSで来た時に凄く楽しかったんで、今度は絶対DIRTBOMBSで来ようって思ってたんだ」
―明日、凄く楽しみです。
「気に入ってもらえるといいんだけど(笑)。2日間オフだったんで、調子を戻さないとね…」

―最後に、全然関係ない話でシメようと思うんですけど…さっき、漫画家になりたいという発言もありましたが、日本のマンガやアニメもお好きだそうですが?
「日本のアニメはアメリカでも人気があるよ。僕は宮崎駿が好きだね。アメリカでは、漫画というのは子供向けか“ドウジンシ”しかなくて…」
―に、日本語で同人誌って言ったよこの人!
「…で、大人の鑑賞に堪えるものはあまりないんだけどね…。CLAMPとか人気あるよ」
―CLAMP知ってんですか!
「アメリカではかなり有名だよ(笑)。あと、『うる星やつら』とか。ええと…」
―高橋留美子?
「そう、アメリカでもTVでやってる。マニアック過ぎてDOLLの読者にはついてこられないだろうね…(笑)」
―『HORNDOG FEST』(DIRTBOMBSの1stアルバム)のジャケを見た時、コレは完全に日本のコミック文化の影響を受けたイラストだなあ、と思ったんです。
「“ケモノ”(また日本語で)と呼ばれるサブカルチャー系のアーティスト集団がいて、その中でも有名な一人が手がけたんだよ。日本人でこういうの(アニマライズ・コミックとでもいうか…)専門にやってる人は逆にいないだろ? それも皮肉な話だがね(笑)」
―ちなみに、宮崎駿の新しい映画は今年の秋に完成するそうですよ。
「Super!…『魔女の宅急便』にしても『となりのトトロ』にしても、ストーリー以上に背景なんかのアートワークが素晴らしくて…それで何度も観てしまうんだよね」
―あと、宮崎駿は昔、日本のTVシリーズで、登場人物が全部犬のシャーロック・ホームズものを作ったことがありますよね。
「ダハハハハハハ!…アメリカでも手に入るんだけど、英語吹き替え版が出てないんで買ってないんだ。あと、子供向けに作られてる感じだったんで…」
―なるほど。…ともあれ、質問はこれで全部です。どうもありがとう!
「アリガトウ!(日本語で)」


 翌日のライヴは本当に素晴らしかった。剛性と弾力性を兼ね備えた真っ黒いグルーヴにぶっ飛ばされた。THE DIRTBOMBS、4thアルバムから2年くらい経ってるし、そろそろ新作出ないかな。


追記:
インタヴュー中で「テクノもまだやらないよ」と語っていたミック・コリンズ、その後THE DIRTBOMBSでデトロイト・テクノの人力カヴァー・アルバム『PARTY STORE』をリリースすることになるのだった。

(2023.1.20.)

MICK COLLINS INTERVIEW 2004(前編)

DIRTBOMBS 3rd.jpg デトロイト・ガレージの黒い魔神、ミック・コリンズ!…THE GORIESやTHE DIRTBOMBS他、次々にいろいろなバンドやプロジェクトで活動して、その度にガレージ・ファンを唸らせたり熱狂させたりし続けている男。そのミックが2003年にDIRTBOMBSの3rdアルバム『DANGEROUS MAGICAL NOISE』(名作!)をリリースした後、04年にそのDIRTBOMBSを率いて2度目の来日を果たした(99年の初来日はTHE SCREWSとして)。その時に実現したインタヴューを、今回は御紹介しよう。
 インタヴューは来日公演初日の前日、04年2月3日に代々木八幡で行われた。その時のインタヴュー記事はDOLL誌04年4月号に掲載されたが、今回はほぼノーカット版でお届けします。

(Translated by 川原真理子)

―今回のインタヴューの前に、THE SCREWSで来日した時のインタヴューを読み返してみたんです。そこでは「今後ライヴ活動をストップする」とか「音楽活動はコンピューター・プログラミングを使ってやっていく」みたいな発言があったんですけど、無事にライヴ活動を続けて、日本にも来てくれて嬉しいです。
「あの頃はちょっと荒んでて(苦笑)…音楽活動を続けるかどうかもわかってなかったんだ。当時のTHE DIRTBOMBSには内部的に問題があって…っていうか、ある人物と関わることでえらくモメていて、そのせいでメンバーが二人辞めてしまって…僕自身、もう音楽はやめて普通の仕事をしようかとか思っていたんだよ。でもその後、すべてがイイ方に向かって行って、音楽も続けられたし、当時よりずっとハッピーな状態だと思うよ」
―レコーディング・アーティストに専念するかと思っていたんで、日本でまた観られることになって凄く安心しました。
「僕にとってはやっぱりDIRTBOMBSでツアーをするのが何より楽しいことで、しかもそれを日本でやれるんだから…凄く楽しいね!」

―この何年かの間に、周りを取り巻く状況も変化したと思うんですよね。デトロイト周辺のガレージ系の音楽が今盛り上がってきてるんですけど、そのことがミックさん自身に影響した、みたいなことはありましたか?
「う~ん…確かに状況は変わって…デトロイトのバンドの露出がずっと多くなって、プレスからも注目されるようになったんだけど…僕からすると、その状況ってちょっと、笑っちゃうよね(苦笑)。僕は15年間ずっと同じようなことをやってきたワケでさ?…誰も見向きもしてくれなかったのが、突然盛り上がっちゃって、レポーターやらレコード会社の人間やらが押し寄せて、地元の人間が観に来られないような状況で…それって一体何なんだ?…とか思っちゃうんだよね。こういう状況も流行りだからさ、どうせ1~2年すればまた誰も見向きもしなくなるさ。僕らはずっと変わらないスタンスでやって行くだけで…」
―THE WHITE STRIPESがブレイクしたことがきっかけになってると思うんですけど、THE GORIESの頃からあったはずの音楽がどうして今頃盛り上がってきたのかっていうのがミックさんなりの考えとか分析って、ありますか?
「WHITE STRIPESがきっかけになった…事実としては間違いないよね。だけど、僕たちにしてみれば、WHITE STRIPESは特別な存在でもなんでもなくて、デトロイトの一バンドに過ぎないんだよ。ところがプレスでは「THE BEATLES以来のスーパースター!」みたいにもてはやされているワケじゃない?…そのギャップが凄いんだよね。地元ではバーでジャック・ホワイトが歩いてる、それだけなのに、例えばヨーロッパに行ったりすると、誰も彼もがWHITE STRIPESのことを話してるワケだよ。確かにその恩恵はあるワケだ…特にジャック・ホワイトがTHE GORIESのファンだったってのもあって、それでGORIESが注目されるってのも事実としてあるワケで、それはまあ…ありがたいと言えば、ありがたいんだけどさぁ…(苦笑)」
―個人的には、WHITE STRIPESってあんまりピンと来ないんですよね。JON SPENCER BLUES EXPLOSIONよりもGORIESの方がずっと好きだったし。でもそのへんの人たちとは、仲はいいんですよね?
「(笑)うん、仲は良くて…ジョン・スペンサーとは12~3年くらいの付き合いだし、ジャック・ホワイトとも96~97年くらいから知り合いだし」

―今のデトロイト周辺の盛り上がりっていうのはジム・ダイアモンド(デトロイトのスタジオ、ゲットー・レコーダーを運営。当時THE DIRTBOMBSのベーシストでもあった)の手腕によるところが大きいんじゃないかと思ってるんですが、実際ゲットー・レコーダーでの録音に関わってきて、そのへんどう思いますか?
「(思わず吹き出して)ジムが聞いたらさぞ喜ぶだろうな。まあ実際のところ、ジムだけの功績とはいえないね(笑)。デトロイトから多くのバンドが出てきて、たまたまその大半にジムが関わっていた、みたいな?…僕自身がジムに負うところは、ほとんどないんじゃないかと思うけど(爆笑)。ジム本人は自分の功績だって言うだろうけどね。ワハハハハ。ともあれこの記事にジムの名前が出ていれば、彼は喜ぶだろうね(笑)」
―自分自身の話をすれば、2001年末にDOLLで毎月レヴューを担当する話が来て、それ以来新譜を買うことが以前よりも増えたんです。買って、裏を返すと、(エンジニアが)ジム・ダイアモンド、またジム・ダイアモンド。…ジム・ダイアモンドって誰なんだろう?っていうのがあって。
「ジムがスタジオを作ってレコーディングの仕事を始めたのが96年で、最初に手がけたのがBANTAM ROOSTER。DIRTBOMBSは3番目だったんだ。ジムはDIRTBOMBSのファンで、曲も知ってて、彼の方からバンドに入れてくれと志願してきたんだよ。最初は一時的なモノのつもりだったんだけど、結局7年一緒にやってる(笑)。DIRTBOMBSよりもスタジオの仕事の方が全然稼ぎになるんだけど(笑)、彼はツアーが好きで、それで今でもバンドにいるらしいよ」

―…では周辺の話はこれくらいにして、今度のアルバムの話をしましょうか。…THE DIRTBOMBSというのはアルバム毎にかなりサウンドが違うんですけど…今回は、ロックしてますよね!
「フハハハハハハ。確かに、アルバムを作る度に違ったモノを目指してきた。ひとつのイメージで捉えられたくなくて、いつもイイ意味で聴き手の期待を裏切るようなモノを作ろうとしてきたね。今回は、ポップ・アルバムを作ろうと思ったんだ。思いっきりラジオ向けのモノをね。で、成功したと思う。僕は基本的にラジオ向きのポップ・サウンドなんてモノは嫌いなんだ。…で、出来上がったアルバムは気に入らなかった(笑)。…ということは、ラジオ向きという狙いは成功したということで(爆笑)」
―(苦笑)…どうツッコんだらいいんだ?!…き、嫌いなんですか?…凄くいいアルバムになってると思うんですけど…。
「(笑)出来上がった作品自体は凄くイイと思うんだよ。ただ、例えばこの「Stop」っていう曲がラジオでかかったとして、自分がこのアルバムを買うかって言ったら、買わないね(笑)。大体最近ラジオは聴いてないんで、どっちみちそんな曲に出会うこともないだろうけど(笑)。でもこの「Stop」を作った時はとにかくラジオでかかる曲というのを前提にしていたんで、ラジオをいろいろと聴いたりして、今売れそうなモノを心がけて作ってみたんだよ。でも全部がそうかというと、今のラジオには当てはまらないモノもあって、「21st Century Fox」とか「Motor City Baby」とかは、例えば74年のラジオでかかってる曲、って感じだよね。そんなワケで僕としては複雑な気分なんだ。自分たちはポップ・バンドじゃない。でもこのアルバムを作ったことによって、DIRTBOMBSというのはただのガレージ・バンドじゃなくて、ポップな面もあり、一方でノイジーなこともやるんだ、とみんなにわかってもらいたかったのさ」
―実際、メジャーなプロダクションでラジオ向けな感じはしますね。ただ、これまでのDIRTBOMBSのレコードっていうのは、どれも“ダンス・レコード”だったと思うんです。でも今回はダンス・レコードの部分が半減して、頭からの3曲みたいにストレートにハードなロックで“モッシュ・レコード”みたいになってる部分もあるかな、って感じですね。
「フフフ。面白い意見だね。アメリカでは今回のアルバムはまったくハードとは言われてなくて、1stの『HORNDOG FEST』よりもハードじゃないとされているんだよ。だから、そういう風に言ってもらえると嬉しいね」

―アルバムの中でも曲が多彩で。特に今回はボーナス・トラックを除くと全曲オリジナルですよね。それで、これだけ幅を持たせた作曲が出来るということには、凄く驚いたんです。
「アリガトウ(日本語で)。THE DIRTBOMBSの場合、ひとつの音楽に固執しないというのが常にあって、デトロイトでも昔は、ひとつのスタイルしかやらないバンドはマジにやってない、みたいに捉えられる風潮があったんだよ。例えば同じ人のライヴを3日連続で観に行ったとしても、1回ずつ違う音楽をやってのけるみたいなことが当たり前のように行なわれていたんだよ。最近になって、ひとつの方向性だけをやり続けるバンドっていうのも多くなったんだけど、その中でも僕は今でも常にいろんなことをやりたいと思ってるんだ。DIRTBOMBSのユニークな部分というのは、ひとつにはドラムが二人、ベースも二人という編成にあるワケだけど、この編成でどれだけのことが出来るかというのも、ひとつの挑戦でもあるし。一言でロックといっても、実にさまざまな形態があるワケだから、違う音楽をやろう、という時に編成を変えるという手もあるワケだけれど、DIRTBOMBSの場合、あくまでも同じ編成で、その中で如何に違う音楽をやっていけるかというところをひとつの目標にしているんだ。基本はR&Rだけど、R&Rと言ってもいろいろあるし、いろいろなR&Rをやらない手はないね。…でもメタルはやらないよ(笑)。メンバー全員メタルは大嫌いなんだよね」
―(笑)

 …以下、後編に続く。ミックさん、更にディープに語ります。お楽しみに。


(2023.1.19.改訂)

波流乱満インタヴュー・2009

波流乱満2.jpg DOLL2009年6月号に掲載された、波流乱満のインタヴュー…は2100字だったが、ここに5000字超の(ほぼ)フルヴァージョンをお届けしよう。
 波流乱満(はるらんまん、と読みます)。自身のギターとヴォーカルによるソロ、しゃあみん(チェロ、ベース)と二人での睡蓮ノ弦、ハード・ロック的なトリオ:吉原炎上の三つをメインに、ゲスト参加的なユニットも多岐にわたる、美貌のワーカホリック。変幻自在のヴォイスと、闇の中にキラキラと弾け飛ぶ光の破片のような独特のギターを武器に、今日もゆく。
 インタヴューは2009年3月16日、中野で行われた(あんまりにも美人さんなんですげー緊張した)。

(Photo:名鹿祥史)


―吉原炎上に睡蓮ノ弦、ソロ…それ以外にもいろいろやってますよね。ソロは、基本的にヴォーカルとギター…。
「意外と、ギターの音色にこだわってる。出来るだけ表に音が出るように。強く出るように、印象に残るように」
―吉原炎上は、乱満さんと、ベースがしゃあみんさんと、ドラムがかおるさん。睡蓮ノ弦は、乱満さんと、しゃあみんさんがチェロで。
「チェロと、ヴァイオリンを時々」
―ソロ、吉原炎上、睡蓮ノ弦は、それぞれいつ頃からやってるんですか?
「吉原はちょうど3年くらい。睡蓮は4年ぐらい。ソロを今の形でやってるのは…今のスタイルになったのは10年前。原型があったのは13年前、ソロでやり出したのは。その頃は、もうちょっとフォーク調の…森田童子とか、ああいう、歌がもっとしっかりしてて、ギターがそれに備わってる感じ」
―基本、歌と伴奏みたいな。
「歌の世界に合わせた効果音、だったのが、今は効果音に合わせた詩の朗読、っていう形で」

―以前のキャリアは?
「その前は、QUEEN BEEっていうバンドをやってて、ずっとツアーばかりやってて」
―どんなバンド?
「3コードの美学っていうか」
―R&R?
「ロックンロール。和製ロックみたいな感じの、ちょっとハード・ロックみたいな感じの。ずっとやってきて、2枚リリースしてるんだけど…自分とこのレーベルから。3枚目を作るときに、ちょっとよそのレーベルさんっていうか、何軒かが一緒になって、インディーズ・ユニットっていうか、インディーズのオムニバスみたいなのを出して、それが、メジャーレーベルなんやけどインディーズレーベルみたいな。そのときに一緒にどうですかっていう話があって、それで、音源の発売をちょっと止めてくださいって。で、止めたんだけど、結局、そのあとすぐに「フルアルバム出すから、曲を8曲用意して欲しい」って言われて。そのとき4曲で出そうと思ってたから…8曲っていうことで、追加したこの4曲が駄作で(苦笑)。「もうやっていけない!」と」
―それでQUEEN BEEはやめちゃったんですか?
「一応、休止っていう形にして、私だけ「東京に行きます、もっと自分の世界観について考えたい」ということで。それが28歳くらい」
(註:QUEEN BEEは徳島市を中心に活動していた。1996年に『からくり人形』、97年に『深緑の隙間風』と2枚のアルバムをリリースしている。波流乱満は当時“TAKA”というステージネームで、ヴォーカルとギターを担当。かなりカッコいい)

―その後、ソロ、吉原炎上、睡蓮ノ弦と、音源はどれくらい出てるんですか?
「睡蓮は年に1回だけ。“○○年版”ってことで1年に1回しか出さない。吉原はDVDを、プロモーション用に1枚、最初に作った。で、今回、メンバー同士の一体感が出てきたから、この形でとりあえず行きます、っていう形の、ライヴ盤で今回出そうかと」
―吉原炎上は、公式リリースは今回初めて?
「…公式じゃないの(笑)」
―(笑)ソロは何枚?
「自分でも把握出来ない(笑)」
―全部CD-R?
「ソロは…うん、そうだね、全部CD-R」
―プレスのCDとかは?
「いや…プレスは、やんないと思う。随時求めてるのが新しいものだから、どんどん変えていくから。一番新しい音源を、現在に近いものを。少数を、種類を変えてっていう感じで、ライヴで売って。古い音源を探してる人にはもう全部(中野の)「タコシェ」に任せてあるから」

―音楽性についてですけど…ソロと睡蓮ノ弦は、比較的近いような気がするんですけど、吉原炎上は…睡蓮ノ弦とメンバーかぶってるのに、全然違いますね。
「方向性がまったく違ってて。睡蓮の方は、音の完成形。睡蓮は…しゃあみんさんのこと私尊敬してて、初めて「この人について勉強しよう」とか、その音に惹かれて…。どこまでも深い。そこで、学びたい。それで、一緒にやらせてもらってるっていうか。まあ、こういう機会があって、一緒に睡蓮やってきて。…で、吉原って、しゃあみんさんが2代目(ベーシスト)なんですよ。歴代おかっぱ(笑)。一番最初は、踊りをやってた人。で、かおると私が、昔からけっこう二人でちょくちょくユニットをやってるような状態で。それで、いつまでもモノにならんままダラダラやっててもしょうがないから、いっそのこと表に出してみようか、っていうことで、それでライヴを…でも舞踊の人が入ってるとき「コレはアカン…」と思って、すぐ切って。それで、考えてる時にしゃあみんさんが「よかったらベース弾こうか?」って言ってくれて、試しにやってみたら手ごたえがよくて、「コレで行こう!」となって、それでしゃあみんさんをメンバーとして迎え入れて、3人でやっていこうと。…“音響系”なんですよ、波流乱満と睡蓮ノ弦は。吉原は、エンターテインメント系」
―ロックですよね。
「体動かして表現したり、お客さんと絡んでみたり、客席と舞台との一体感、っていう感じの演出力。で、ソロと睡蓮というのは、どっちかというたら音の真髄、みたいな感じで。お客さんは、それでよかったら聴いてください、みたいな(笑)」

―ソロと睡蓮ノ弦は、音楽性は似てますけど、しゃあみんさんとの化学反応みたいなモノを追及して、ソロが自分自身の…。
「自分の世界観、崩したくない世界観」
―吉原炎上の方は、和風ハード・ロックっていうか…連想したのは人間椅子とかなんですけど。
「私も人間椅子、好きなんですけど。詞とかがけっこう気に入ってた」
―元々、ハード・ロック好きなんですか?
「や、音楽、元々聴かないんですよ。聴くのは歌謡曲…昭和歌謡しか聴かない(笑)。スナックで、みんなが歌ってるような曲。仕事場でも有線でそういうのがずっと…。日本の情緒があって、ロマンチックで。歌メロの抑揚が好きで。今聴かれてる音楽って、リフで何とかっていう感じだけど、昭和歌謡は、歌の物悲しいところでは、物悲しくギターが鳴る…“鳴り”がある。それが好き。ホントに詞の世界がちゃんと表現されてる楽器のアレンジになってるところが好き」
―それぞれに音楽性は違うけど、表現しようとしてることの根底は、自分の中で共通したモノが?
「音楽活動に懸ける意気込みみたいなのは、みんな同じ。(吉原炎上の衣装を)誰かが着物にしようって言ったわけでもなくて、見た目に派手な方が楽しいって、どんどんみんな重ね着になってきてる感じで…アレも3kgぐらいになってきて(笑)。ギターは重いわ衣装は重いわで。ステージにいるときはあんまり感じんけど、降りたらもう歩けない(笑)」
―もろ肌脱ぎになったところなんて、ステージ上に花が咲いたような。
「(笑)ありがとうございます。グッピーみたいなシルエット(笑)」

―そんなにいろいろバンドやユニットをやっていて、ライヴもやってるし…その原動力はどこから?
「なんだろう?…わかりません(笑)」
―ああそうですか(笑)。
「わかりませんけど、そこに誰かが待ってくれている…ホントはもう、表にも出たくないし、引きこもってたいぐらいな気分なんだけど…“仮面”が変わる、やっぱり、出て行くと。プライヴェートの自分と、“波流乱満”っていう肖像、そういうのがはっきりと変わる」
―ソロとか睡蓮ノ弦で見せるシャーマニックな面と、吉原炎上でのハードな女ロッカーのイメージと、MCとか普段しゃべってるときの素の自分…の変わりっぷりが凄いですけど、自然なモノですか?
「そのときそのとき、自分が今何をやらなければいけないのか、っていうのが…染み付いてる?…意識してるんじゃなくて、そうしようと思ってるんでもなくて、何かが“オン”に入るっていうか。吉原やってるときは、意外と飲んだくれてたりする。でも、睡蓮とかソロやるときには、お祈りしてたりする(笑)。それも、決まってるからそうじゃなくて、自然と。あと、しゃあみんちゃんが環境管理もしてくれて、私がやりよいようにやってくれるんで」

―祈り、というキーワードが出たんですけど…何に対して?
「生に対して、かな。魂、命。ここに生かされている意味っていうか。一刻一刻を無駄にしちゃいけない。それが、一人でも多くの人に伝われば」
―既にある“神”じゃないですよね。…ライヴを観てびっくりするのがパフォーマンスなんですけど、ギターは、特に…どうしてああいう音が出るのかな、っていう…ギタリストとして影響を受けた人は?
「ホントに好きだったのは、山口冨士夫」
―全然似てないよ(笑)。
「山口冨士夫が最初で最後だったのかもしれない。それで、凄く練習したんです。ギターが上手くならなくて。3年くらい山口冨士夫ばっかりをコピーしてて」
―上手くなんないよそれ(苦笑)。
「ホンットに上手くならなくて(笑)、力尽きそうになってたときに、エフェクターをお誕生日プレゼントでもらって。それが、ファズと…クライベイビーをもらって。それをちょっといじり出して。そしたら、スタジオでバイトしてたときにそこの師匠っていうかオーナーが、「コーラスなんか入れてみたらどうだ?」っていって、コーラスをもらったんです。しばらくその三つでやってて。それで…私、きちんとギターが弾けないんで、“弾く”のをやめよう、と。どこでどの音が鳴るっていうのはわかるから、それだけわかればいいや、と。それで、ちょっと日差しが差してきて、楽しくなってきて「コレは幾らでも出来る」と。それで、シモーヌ深雪のアルバム聴いてたら…娼婦が、物悲しく、好きな男と別れていきますって、一人で埠頭を歩いていくのに、ヒールの音と船の汽笛の音が鳴る…それで、「コレが要る!」と思って。「音楽の世界にこの雰囲気を作る、コレが要るんだ」と思って。何とかギターでそれを作ろうと四苦八苦して10年(笑)」
―じゃあ音響系のアプローチも、完全に独学というか…。
「そこからなんか、うにゃうにゃしながら(笑)。みんな、「エフェクター何使ってる?」って訊くんですけど、エフェクター同じの使っても、ほとんどっていうくらい同じ音は再現出来ない」
―でもステージ上では、完璧にコントロールしてますよね、一音一音を。
「そのつもりなんだけど、かおるは「ゴチャばっかり弾いて」って言うから(苦笑)。今はコレ、って思いながら弾いてて、あとは無駄が嫌いだから、雑音を鳴らしたくない。そこは神経質にやってる。でも「ゴチャばっかり弾いてる」って言われる(苦笑)。挙句の果てに最近「弾いてないだろう」って言われる(苦笑)。弾いてるって!」

―ヴォーカルも、影響受けたヴォーカリストとかがいるわけじゃなくて?
「ヴォーカルは…私、かなり珍しい声色で、人が親しみにくい声をしてる…って、大阪へツアーで行ったときに、(ハコの)ブッキングマネージャーに言われた。それが耳についてしまえば、“フリーク”はいっぱい出来るけど、それまでの道のりは長いよ、って言われて。ガッカリしてた時に割礼が(ツアーに)来て。そのときサポートで一緒にやって。打ち上げで「いい声してるよね」って言われたのが初めてで、それをきっかけに、(唱法を)自分で研究したん」
―宍戸さん(割礼)がキーだったと(笑)。…山口冨士夫以外に、日本のアンダーグラウンドといわれてるものは、聴いてない?
「全然聴いてないんだけど、村八分は大好きで。村八分のヴォーカルの人(チャー坊)は、能か歌舞伎か何かを土台に詞を作る…それ、素晴らしい。人間椅子の歌詞もカッコいいなあ、と。日本語にこだわるのも、日本情緒とか、郷土系とか、伝統芸能とか、そういうのが絡んでいって…今は、ちょっと能の勉強をしようかなと」

―さっきシャーマニックという言い方をしたけど、シャーマンというのは“降ろす”モノでしょう?…実際は、降ろすというより自分の中から出てくるモノ?
「(波流乱満のキャッチフレーズ的な)“宇宙神秘”っていうのは、私が思ってるのは“中”での宇宙、人間が持ってる無限大の力…そういうものに対して。…だから、神秘主義者なんです(笑)。5年ぐらい前はシャーマンになりたいと思ってたん。でも、(それは)あとから付いてくるもんだから、やりたいことをまっとうしよう。やりたいことをやってれば、何かはあとから付いてくる。だから、自分のやりたいことを重視していって、どんどん変わってもいい」
―なるほど。コレで少し謎が見えてきた気が。
「私、謎だったんだ?(笑)」
―謎だよ(笑)。…では最後に、皆様にメッセージを。
「今最近、凄く強く思ってるのは、人が持ってる力っていうのは無限大であって、もし限界を感じたとしたら、それは自分が知らず知らずに自ずと決めた限界であって、それを断ち切ることが出来たら何でも出来るよ…という、力を持ち合わせて生まれてきてる。…ゴニョゴニョしとらんとバリバリやった方がいい(笑)。…という感じでやって行きたいと思います。…(かわいらしい声で)ライヴ観に来てください」


…ってなワケで、音源はライヴ会場と中野のタコシェで入手可能です。よろしければ是非ライヴをチェックしてみてください。


(2023.1.16.改訂)

DAVID PEEL INTERVIEW 2003(後編)

DAVID PEEL POPE SMOKES DOPE.jpg …はい、恐怖の大魔王デイヴィッド・ピールのインタヴュー、以下が後編です。ますます飛ばす、というか話がトぶというか、ホントに何なんでしょうこのおっさん。もっとも、本人的にはブレのないひとつのことを言ってるだけなんだろう。ともあれお楽しみください。





―(話を戻そうとする)アップルからのアルバムは発禁でほとんど出回らなかったワケですが、そのこともあって自分でオレンジ・レコーズを興したんですか?
「アップルからのレコードは、知ってのとおり発禁になった。アメリカやカナダでは出たんだが、すぐに検閲にひっかかった。それは当時のジョン・レノン、オノ・ヨーコ同様、(権力側からの)イジメに遭ってたようなものだ。俺はアンダーグラウンドの人間だが、俺と組むことによってジョンの行動も非常にラディカルなものになった。その中でジョンは殺されてしまったけれど、俺とヨーコは生きている。3人の音楽は生き続けていて、今回のBOXセットにもちゃんと入っているってワケだ。俺はいかなるレコード・レーベルも信用しない。誰かの音楽を他人が所有するってことがそもそも間違ってる。マイケル・ジャクソンがTHE BEATLESの権利を持ってるみたいに。あの犯罪者は、死ぬべきだ(と言って、「We Are The World」の替え歌を歌い出す)。あのピーターパン野郎の、ミッキーマウス、いやモンキーマウスが! 牢屋にぶち込まれるか、いっそ自殺してもらいたいな。そうすれば許してやろう。それがパンク・ロックだ。いつか審判が下されるだろう。パンクの対極にいる奴だな。ブラックジャックでぶん殴ってやれ!」
―(苦笑)ジョン・レノンの…。
「(遮って)レーベルの話をもう少しさせてくれ!」
―ど、どうぞ。
「Apple To The Core。俺のレーベルの趣旨として、誰も人の音楽を所有しない、ということがある。たとえば制作費をつぎ込んで誰かのレコードを出したりするが、その音楽の権利を所有しようとは思わない。GGアリンにしても、版権は彼に持たせていた。そこをしっかりすることで、インディペンデントであることの自由さを保つことが出来る。その中で、誰もが自由に発言して、新聞みたいに情報を発信する。その媒体が、オレンジ・レコーズなんだ。パンクといえばSEX PISTOLS。パンクにおいて重要な存在だ。西海岸のラジオ局の番組で、ジョニー・ロットンにインタヴューされた。奴は「自分はデイヴィッド・ピールの音楽を聴いて育った」と言った。「Anarchy In The U.K.」「God Save The Queen」「Pretty Vacant」「EMI」…そしてPILに至るまで、完璧でなくても、自分らしさがあればいいんだ。パンクというのは、システムに反抗する気持ちが大事なんであって、自分自身を表現するのがパンクなんだ。ジョニー・ロットンは俺に言った。「君は花をちりばめた、いわゆるヒッピーではないね。拳と拳銃を持ったヒッピーだ」と。アナーキー・イン・ザUK。アナーキー・イン・ザUSA。世界中にパンクがいるんだ。…エルヴィスとBEATLESの影響が重要だ。俺に言わせれば、RAMONESはカッチリし過ぎてる(「We’re Happy Family」を歌い出す)。そこに“ヨゴレ”とか、そういったものがない。(RAMONESは)BEATLES風の髪型が良くなかったな。SEX PISTOLSはその逆で、ああいう自己表現は…ジョニー・ロットンの中に、ジョン・レノンに次いで共感出来るアルター・エゴを俺は見つけたね。MC5についてもそうだ。凄いパンク・ロックだったし、パンクとは何かといえば、音楽性であれ生き方であれアナーキーであること、システムに組み込まれることを拒絶するのがパンクというもんだ。その中にいろいろな表現があって、ドラッグやったりとかタトゥー入れたりとかいろいろあるだろうが、そこで唯一線を引かなければいけないのが、自虐的になることだ。自虐的になるのは、アル・カーイダの連中がアラーのためにとか自分の国のためにとか言って自爆テロをするのが美しいとか勘違いしてるのと一緒で、間違ってる!…(時計を見ながら)時計があるから時間は大丈夫だ!(笑)」

―『KING OF PUNK』というアルバムの中では、PISTOLSやRAMONESを含むいろいろなバンドのことを“Fuck”と言ってるんですけれども、必ずしもそのバンドのことを嫌いだったというワケではないんですね?
「RAMONES!…RAMONESはダニー・フィールズに見出された。MC5もダニー・フィールズに見出された。イギー・ポップもダニー・フィールズに、このデイヴィッド・ピールもダニー・フィールズに見出された。あとニコも。ニコ、DAVID PEEL & THE LOWER EAST SIDE、MC5、IGGY AND THE STOOGES、そしてRAMONES。RAMONESはフィル・スペクターと組んでたな。それはパンクと言えるのか?…まあイイ部分もあったが、ちょっと作り過ぎている部分の方が多かったような気がするな。(再び「We’re The Happy Family」を歌い出す)ちょっときっちりし過ぎてると思う。パティ・スミスは今ニューヨークの5番街に住んでるんだぜ! 彼女がパンク・ロック・レヴォリューションの中で何をしたっていうんだ? 「CBGB's」で演ってたからってそれがどうした? NEW YORK DOLLS? デイヴィッド・ジョハンセンは今じゃバスター・ポインデクスターって…名前変えてどうするんだ?…みんなイイ奴だったし、才能のあるいいバンドばかりだが、イイ部分と悪い部分があって、悪い部分を指摘したまでだ。パティ・スミスはBLUE OYSTER CULTのギタリストと一緒に住んでたんだよなあ?」
―キーボード・プレイヤーですよ。
「ポール・マッカートニーにも一緒にやろうって誘われたことがあるんだが、「いや、俺はショウビズはいいから」って言って断っちまった。元BEATLESからの誘いも断る、それこそパンクだろう(笑)。ポール・マッカートニーといえばBEATLESでも最も有名なメンバーだが…ロンドンの「ハロッズ」の前で、ポール・マッカートニーがタクシーに乗ったジョニー・ロットンを見かけたんだ。それで彼はタクシーに近づいてあいさつしようと思ったら、ジョニーはタクシーの窓を閉めて、運転手に「大至急発進してくれ」と言ったそうだ(笑)。これがRAMONESだったら喜んだんじゃないか?…つまりポール・マッカートニーはパンクの追っかけに過ぎないってことさ(笑)。タクシーの運転手はジョニー・ロットンに言ったそうだ。「BEATLESから逃げる奴なんて初めて見たぞ」ってな(笑)。マイケル・ジャクソンも捕まったし、フィル・スペクターも女優を殺して捕まったな。ポール・マッカートニーにはThank YouでもNo Thank Youでもある。ジョニー・ロットンはもうSEX PISTOLSのアルバムを作るつもりはない。その潔さ、それこそがパンクなんだ。…もうそろそろ時間だな。最後の質問に答えよう。あと、BOXセットの話もしたいな」

―…すべてにおいて不寛容になりつつある今の世の中で、音楽によって異議申し立てをして、変革していくことは今でも可能だと思っていますか?
「(質問を聞かないうちに)パンク・ロックというのはひとつの生き方だ。特に若い連中にとっての表現方法。拳銃を持ったりせずに音楽で自分たちを表現することで、システムには同調しない、自分たちは違うことをやっていくんだ、ということを伝えられる音楽であり、生き方であり、そういう生き方をしっかり提示していけるモノ、それがパンク・ロックなんだ」
―今ので半分くらい答えになってるなあ。…じゃあちょっと内容を変えましょう。…そのパンクすら、今では変革を歌うものではなくなっている現状の中で…。
「(また勝手にしゃべりだす)」
―ちょっと待って!(苦笑)…という現状の中で、音楽が実際に社会に異議申し立てをしたり、変革していくパワーがあると今でも思いますか?
「だが今回日本に来て、日本のパンク・バンドを見てみると、なんだか凄くアンダーグラウンドな感じで、自分たちなりの表現をして、何かを変えていこうという心意気を凄く感じて、面白いと思ったよ。特に東京は人がたくさんいて、抑圧されているところで、多分若い連中は自由を求めて音楽に表現の場を求めているように感じたな。パンク・ロックというのはよりディープなR&Rだ。Punk Rock Forever, Forever Punk Rock。そして俺こそがKing Of Punkだ! …ちょっとBOXセットのことについて触れておきたい。キャプテン・トリップ・レコーズが今回のBOXセットを出してくれたことには非常に感謝している。彼らは好きなことをやって、結果を出している。実に素晴らしいことだ。そこに根付いているのがインディペンデントということで、それぞれが自分らしく、自分の好きなことをやって、その中で最善の方法で仕事をどんどんやって行ってる、そんな連中と一緒に仕事が出来たのは嬉しかったよ。俺はMC5の二人のリード・ギタリストを知っているが、キャプテン・トリップはBLUE CHEERと仕事をしていた。BLUE CHEERこそはラウド・ミュージックの元祖だ。MC5もBLUE CHEERの影響を受けていた。今回、松谷健とジョニー・サンシャインという、共にジミ・ヘンドリックスの影響を受けた二人のギタリストが、ステレオ状態でもの凄くラウドなギターを弾いてくれている。MC5みたいなハード・ロック・サウンドだ。R&Rはインディペンデントなモノだ。ジョニー・サンシャインはそれを貫いている。MARBLE SHEEPも、LOWER EAST SIDEもな。「ポケモン」にもメッセージがある。主人公の少年が戦おうとするところにしっかりした理念があって、非常にメッセージ性がある」


…以下、ポケモンとシンプソンズの話が延々と続いたのだった。


(2023.1.9.改訂)