HAWKWIND/HALL OF THE MOUNTAIN GRILL 7CD/2Blu-ray EDITION

HAWKWIND HALL OF THE MOUNTAIN GRILL 7CD 2BD EDITION.jpgHAWKWIND、1974年の傑作アルバム『HALL OF THE MOUNTAIN GRILL』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201806article_11.html)が、オリジナル・リリースから51年という中途半端なタイミングで…CD7枚とBlu-ray2枚の9枚組BOXだと?
73年の名作ライヴ『SPACE RITUAL』の11枚組BOX(https://lsdblog.seesaa.net/article/501173582.html)にもびっくりしたけど、『HALL OF THE MOUNTAIN GRILL』絡みでそんなにネタあんのかよ、と思ったらあったんですねえ。

ディスク1は、オリジナルの『HALL OF THE MOUNTAIN GRILL』の最新リマスター+ボーナス・トラック7曲。
ボーナス・トラックはドイツ盤シングルをはじめとするレア音源。

ディスク2&3は、1974年1月、ロンドンのEDMONTON SUNDOWNでのライヴ。
未発表音源だ。
おお、オープニングでステイシアの煽りMCが聴けるぞ。
サイモン・ハウス加入後、「Seven By Seven」にメロトロンが入っていたりと、アレンジがあちこち違う。
「The Watcher」もドラムが入ってテンポアップしていて、その後のMOTORHEADヴァージョンを予感させたり。
『SPACE RITUAL』には収録されていない「Silver Machine」を演ってるのもポイント高い。
(『SPACE RITUAL』の元になった72年の3公演では「Silver Machine」は一度も演奏されなかった)
それにしてもライヴでのレミーのリード・ベース的な存在感は凄いな。

ディスク4&5は、1974年3月21日、シカゴのTHE AUDITORIUMでのライヴ。
コレは1997年にEMIから『LIVE AT THE CHICAGO AUDITORIUM MARCH 21 1974』としてリリースされていたモノと同一音源だが、今回は新規ミックスとなっている。
曲目・曲順は1月とけっこう違う。
「Sonic Attack」の途中からドラムが派手に鳴らされたり。

ディスク6&7は、1974年3月22日、シカゴの翌日にクリーヴランドのTHE ALLEN THEATREで収録されたライヴ。
(うへっ、シカゴとクリーヴランドって、500km近く離れてるんだぜ。多分飛行機で移動したと思うけど、もし車だったらえらいことに…)
未発表音源。
内容はシカゴと大体同じだが、こちらは「Welcome To The Future」の後に「Orgone Accumulator」を演っていて。
EDMONTON SUNDOWNでもそうだけど、「Orgone Accumulator」が途中から「You Shouldn't Do That」になるのな…。
(こっちの方が少し長い)

ディスク8は『HALL OF THE MOUNTAIN GRILL』の5.1サラウンド・ミックス。
そしてディスク9はクリーヴランド音源の5.1サラウンド・ミックスとなっている。

しかしまあ、半世紀も経ってから未発表ライヴ音源とか出てくること出てくること。
レミー在籍時のHAWKWINDのアルバムでは、コレですべてのアルバムでCD2枚組以上の”なんとかエディション”みたいなのが出たことになる。

MOTORHEAD/THE MANTICORE TAPES

MOTORHEAD THE MANTICORE TAPES.jpgええ、MOTORHEAD大好きですけどね。
ここ何年かはもう、次々に出るアルバム『○○○○』の”××エディション”みたいなのを買い集める金も気力もなかった。
(特に金がない)
しかしコレだけは買わないワケにはいかんのだった。
(カードで)
忙しくて発売日に買いに行けなかったし、買ってすぐに聴くことも出来ず、紹介遅れてしまったが。

1976年8月、イアン”レミー”キルミスター(ベース、ヴォーカル)、”ファスト”エディ・クラーク(ギター)、フィル”フィルシー・アニマル”テイラー(ドラム)という”黄金トリオ”編成になったばかりのMOTORHEADが、当時ロンドンにあったEMERSON, LAKE & PALMERのマンティコア・レコーズ本社のスタジオ(レコーディング・スタジオではなく、リハーサル・スペースだったらしい)にロニー・レインのモービル・ユニットを持ち込んでレコーディングしたという、彼らの初録音。
バンドはここでリハーサルと、レーベル向けのショウケースをやっていたのだそうで。
ジャケットはわざわざ中古盤っぽく仕上げられている。

デモとか言うよりも、リハーサルをそのまんま録ったみたいな感じに聴こえる。
まあ、大体予想通りの音。
「Motorhead」をはじめとする初期レパートリーが、RAWでガレージ的な質感で収められている。
ラリー・ウォリス(ギター、ヴォーカル)在籍時の『ON PAROLE』と黄金トリオの正式なデビュー・アルバム『MOTORHEAD』の間のミッシング・リンクみたいなサウンド。

ともあれあちこち興味深い。
後に「Beer Drinkers EP」(https://lsdblog.seesaa.net/article/202009article_10.html)に収録されることになる「Instro」(ここではアルバムのイントロとしてそのまんま「Intro」と表記)がこの時点で演奏されていたり。
「Motorhead」「The Watcher」「Leavin' Here」「Vibrator」という、『ON PAROLE』にも『MOTORHEAD』にも収録された曲があるのは当然として。
(「Motorhead」でのエディ・クラークのギター・ソロは、この時点でほとんど完成している)
少々意外なのは、「City Kids」「On Parole」「Lost Johnny」そして「White Line Fever」あたりが入っていないこと。

俺はこのブログで”黄金トリオの3人による初のオリジナルは多分「White Line Fever」”と書いてきたのだが、ここに「White Line Fever」がなくて「Keep Us On The Road」(この時点では「Help Keep Us On The Road」)が入っているということは…ひょっとしたら「Keep Us On The Road」の方が先だったのかも知れない。
ただし「Keep Us On The Road」はMOTORHEADの3人とミック・ファレンの共作なので、黄金トリオ3人の作詞・作曲による純然たるオリジナル曲はやっぱり「White Line Fever」だったということかも知れん。
(いずれもミドル/スローだというのが興味深い)

それにしてもフィル・テイラーのドラム。
なんだろう、このせわしなくヘンテコなオカズの数々は。
「何故そこでそのハイハットさばきが入る…?」とか思わざるを得ないプレイの連続。
(この独特過ぎるシンコぺイトのセンスはその後「Live To Win」あたりで完成を見る)
あちこちミスもあるけど(それはフィルシーだけじゃない)、ファンにはむしろ楽しく聴けるだろう。

「Witch Doctor」と「Iron Horse/Born To Lose」はインストゥルメンタルとクレジットされているが、よーく聴くとどっちもうっすらヴォーカルのようなモノが聴こえる。
コレはインストゥルメンタルとして演奏・録音されたんじゃなくて、機材の不具合とかでヴォーカルが録れてなかったんじゃないかと思う。
(このブログで紹介したHAWKWINDの編集盤やフランク・ザッパのブートにも、ヴォーカルが録れてなくて結果的にインストゥルメンタル、みたいなのはあった)

残念なのは、英文ブックレットのクレジットに誤りがあること。
ホランド/ドジャー/ホランドの(というかTHE BIRDSの)「Leavin' Here」が何故かMOTORHEADのオリジナル曲とされている。
クリス”オーヴァー・ザ・トップ”ニーズによる英文ライナーノーツ(国内盤ブックレットに対訳がある)ではちゃんとカヴァーである旨が書いてあるのだが。
ただしこのライナーにも不正確な部分があり。
ラリー・ウォリスがPINK FAIRIESに加入したのはポール・ルドルフがレミーの後任としてHAWKWINDに参加した後、みたいに書いてあるんだけど、それはもちろん間違い。

まあそれはそれとして。
中身の方は、黄金トリオのファンには間違いなしですわ。
国内盤はSHM-CD+ボーナス・トラック(1977年ライヴ2曲。音質は悪い)入り。

英文ライナーには、これまでにあらゆるところで引用されてきた(俺もMOTORHEADについて書く時に引用していた)SOUNDSやMELODY MAKERやNMEの初期MOTORHEAD評(=悪評)がまたしても引用されているが。
1975年当時、ジェフ・バートンはMOTORHEAD/ラリー・ウォリスのプレイの何処にDEEP PURPLE的なモノを見出だしたのだろうか…。

ともあれマンティコア・スタジオでのショウケースは実を結ばず。
翌1977年春には、レミーたちは解散を考えるところまで追い込まれる。
しかしMOTORHEADはゴキブリ以上にしぶとかった…。

SACRIFICE/TEARS - REMASTER

SACRIFICE.jpg日本が文字通り世界に誇る80年代へヴィ・メタルの雄・SACRIFICE…の3rdアルバムのリマスター再発。

1985年9月に結成。
87年7月に『CREST OF BLACK』でアルバム・デビュー。
88年に杉内哲(ヴォーカル)以外のメンバーが全員脱退するも、89年には新編成で活動再開。
90年12月に2ndアルバム『TOTAL STEEL』をリリース。
そして92年8月にリリースされたのが『TEARS』。
しかし93年に杉内が脱退し、バンドは以後27年間沈黙することになる。

1992年と言えば、個人的には一番メタルを聴いていなかった時期、ということになると思う。
(ROLLINS BANDやFISHBONE、NIRVANAやSONIC YOUTH、そしてPINK FAIRIESやMC5なんかを聴いていた。もちろんMOTORHEAD、BLUE OYSTER CULT、MERCYFUL FATE/KING DIAMONDあたりは聴き続けていたが)
ほとんど惰性で(?)BURRN!を買い続けていた頃だ。
このアルバムのことも、全然知らずにいた。

当時のメンバーはAkira Sugiuchi(ヴォーカル)、Hiroyuki Murakami(ギター)、Toru Nishida(ベース)、Kenji Suzuki(ドラム)の4人。
コレが…グランジ/オルターナティヴ全盛の1992年にリリースされたとはにわかに信じ難い、漢のメタル。
当時”日本のVENOM”などと呼ばれたらしいんだけど。
いや…VENOMと言うよりは、むしろTANKあたりをはじめとするNew Wave Of British Heavy Metal勢と80年代後半のスラッシュ・メタル/パワー・メタルの影響を、日本的とも言えるウェットな感覚と不可分に混ぜ合わせて練り上げたような、ヘヴィでタフな漢のメタルだ。
MOTORHEADあたりの影響ももちろんあったようだが、R&R色はわりと希薄で、徹頭徹尾重厚にして埃っぽい、ピュアなヘヴィ・メタルを聴かせる。
うはあ、こりゃカッコいい。

特に「Breaking The Silence Of The Night」とかの、初期TANKからR&Rっぽさを抜いてアグレッションと疾走感マシマシにしたような爆走ぶりには痺れずにいられない。
「Broken Heroes」なんかの、ミドルでザクザク刻む重いリフとかも。
METALLICAがアレだった頃に、コレですか、と。
このアルバムを出す約1年前の1991年10月にはSODOM初来日のオープニング・アクトを務めたというが、それも納得。
(そうか、SODOMの初来日って91年だったのか、と改めて思った)

”日本が文字通り世界に誇る”というのは、この後の展開からも明らか。
SACRIFICEが27年ぶりの復活を果たしたのは、2020年1月…アメリカに招かれ、MIDNIGHTやTOXIC HOLOCAUSTらを向こうに回してヘッドライナーとしてニューヨークでライヴを行なった時だった。
海外でそれほど愛されていたワケだ。
その後コロナ禍を経て、23年10月からは国内でもライヴ活動を再開。

結成40周年となる来年は1月にLAでヘッドライナーとしてのライヴ、その後も日本や各国でのライヴが予定されているという。
再発を寿ぐだけでなく、今後にも大いに期待、なSACRIFICEなのでした。


『TEARS - REMASTER』、20日リリース。

Les Rallizes Denudes/屋根裏YaneUra Oct. '80

裸のラリーズ.jpg17日リリース。
昨日入手。
今日はヘヴィ・ローテーション中で、ほとんどこのアルバムしか聴いていない。
このブログを御覧の皆様にも、同じような人が3桁ぐらいいるのでは。

1980年夏から81年春までしか続かず、その間に7回しかライヴをやらなかったという、山口冨士夫在籍時の裸のラリーズによる、3回目のライヴ。
80年10月29日、渋谷屋根裏。
ブートやプライヴェート・テープはあったそうだが、俺は初めて聴いた。

メンバーは水谷孝(ヴォーカル、リード・ギター)、山口冨士夫(ギター)、ドロンコこと高田清博(ベース)、野間幸道(ドラム)の4人。
かつて数少ない裸のラリーズの公式音源のひとつだった『77 LIVE』から3年後だが、水谷以外は全員入れ替わっている。

プロデュース、ミックス、マスタリングは水谷孝の盟友・久保田麻琴。
音質は非常に良い。
複数のカセット音源をミックスして仕上げてあるのだという。

ライナーノーツ(当時を知る松山晋也氏による、非常に興味深い内容)にもある通り、4人編成の裸のラリーズでは、2本のギターの役割はリードとリズムにはっきり分かれていて。
リズム・ギターは文字通りリズム・セクションの一部であり、3人の演奏をバックに水谷孝が存分に弾き倒す、というスタイルだった。
それは『77 LIVE』でも、俺が実際に観た1997年のライヴでも同様だった。
しかしここでの演奏はそうではない。
クレジットでは水谷が”リード・ギター”となっているものの、実際には水谷と山口冨士夫がそれぞれにノイジーな、それでいてタイプの違うサウンドを縦横に繰り出し、絡み合う。
ライヴ前半を収録したディスク1も素晴らしいが、後半/ディスク2では更にアセンションと言いたくなるような、すべての音が螺旋状に上昇していくような、その一方で真っ黒な次元の裂け目の何処かへと渦を巻いて下降していくような、そんな感覚を味わうことが出来る。

2本のギターが爆音で交わるのだからそれはもちろんノイジーなのだが、そればかりではない。
「Enter The Mirror」は『77 LIVE』のヴァージョンよりも―誤解を恐れずに言えばーとてもメロウに響き、水谷孝の歌もギターも艶やかだ。
PEARLS BEFORE SWINEやGRATEFUL DEADやQUICKSILVER MESSENGER SERVICEなども聴いていたらしい水谷だけでなく、そのような水谷をきっちりサポートする山口冨士夫の貢献もあっての、このみずみずしさだろう。

一方で「夜、暗殺者の夜」は『77 LIVE』以上にリズミカルでグルーヴィー。
水谷孝が当時パンクをどのように捉えていたのか全く知らないのだが、ある意味パンキッシュにも聴こえる。
コレもこの4人編成あってのモノだろう。
しかし村八分で日本のプロト・パンクの筆頭に挙げられる山口冨士夫、ここでのプレイは村八分ともソロ『ひまつぶし』とも、もちろんのちのTHE TEARDROPSとも違い。
それでいてまさにフジオそのものとしか。
これまたライナーにある通り、天才であった。

そして18分に及ぶ「The Last One」。
どんどんラウドになっていき、終盤でベースとドラムが例の反復リズムを刻むのを止めると、2本のギターが美しいノイズの壁を築き上げる。
永遠に聴いていたいと思われてならない。
で、ディスク2が終わると再びディスク1をCDプレイヤーにセットしてボタンを押す。
今日はずっとそれを繰り返している。

梅雨明けの炎熱の中で、エアコンのコンセントを抜いたままの部屋でホットコーヒーを飲みながら聴くのも良かった。
陽が落ちて、扇風機の涼しい風を感じながら焼酎のオンザロックを飲みつつ聴くのも格別だ。
全人類必聴とは言わないが、少なくともこのブログを御覧の皆様全員にお勧めします。


それにしても、この時の4人のうち、ドロンコ以外の全員があちらにいるとは。

THE BRAT/ATTITUDES "LP"

BRAT.jpg昨年6月のリリース。
12月に入手。

デンマークのBRATSじゃなくて、アメリカ西海岸のTHE BRAT。
いわゆるチカーノ・パンク。

メンバーはテレサ・コヴァルビアス(ヴォーカル)、ルディ・メディナ(リード・ギター)、シドニー・メディナ(リズム・ギター)、ルイス・ソト(ベース)、ロバート・ソト(ドラム)の5人。
ルディ&シド・メディナは兄弟ではなく、叔父と甥とのこと。
(歳は近かったという)
ルー&ロバート・ソトは兄弟だろう。
(顔はそっくり)

テレサ・コヴァルビアスは大学で心理学を学ぶ一方、ボブ・ディラン、THE ROLLING STONES、デイヴィッド・ボウイ、そしてベニー・グッドマンなどを好んで聴いていたという。
一方ルディ・メディナとシド・メディナは共にクラシック・ギターの教育を受け、特にルディはUCLAでクラシックを専門的に学んで卒業したとのこと。
そしてルディとシドはTHE CLASH、デイヴィッド・ボウイ、NEW YORK DOLLS、THE SPARKSなどのロックも愛好していたらしい。

1978年4月14日、THE JAMのライヴ会場でテレサ・コヴァルビアスとルディ・メディナが出会ったことをきっかけに、バンド結成となる。
(JAMってそんな早い時期にアメリカをツアーしていたのね)
彼らはパンク、レゲエ、そして60年代ガール・グループなどの影響を融合して、自分たちのオリジナリティを模索していく。
THE PLUGZのヴォーカル兼ギターだったティト・ラリヴァとポール・A・ロスチャイルド(THE DOORSのプロデューサー!)のプロデュースで録音された5曲は、ティトが主宰したファティマ・レコーズの第1弾として、80年にリリースされた。

このアルバムは、1980年の10inch「ATTITUDES EP」の5曲に、81~85年に録音された8曲を追加した全13曲入りの編集盤。
なるほど、EPのA面1曲目「Swift Moves」からレゲエ。
一方82年録音の「The Wolf」は、イントロといいギター・ソロといい、DEAD BOYS「Sonic Reducer」を思いっきり意識しているような。
テレサ・コヴァルビアスはキュートな声質で、いかにもパンクっぽい速い曲でも激することなくポップに聴かせる。
そしてポップな曲はほとんどパワー・ポップと言ってイイ曲調。
クラシックを学んだ二人のギタリストだけでなく、リズム・セクションも演奏はかなり上手い。

聴きやすくポップな曲が多い一方で、”Everything I say is wrong, Everything I do is wrong, It's just my attitude”と歌われる「Attitude」をはじめとして、歌詞はイーストLAのチカーノ、そして女性であるテレサ・コヴァルビアスが直面してきたであろう差別や不平等や暴力などを歌うモノが多かったようだ。
アルバム中で歌詞が載っているのは「Attitudes」だけだが、「Leave Me Alone」「The Cry」「Misogyny」「Dirty Work」といった曲名からも、シリアスなメッセージ性を想像することが出来る。

1985年録音の「Chains」「Over And Over」になると、パンク色は希薄で、キャッチーでよく出来た女性ヴォーカルのポップ・ロック/パワー・ポップという感じ。
実際、EPリリース以降、地元のクラブ・シーンでのTHE BRATの人気は上々で、R.E.M.などの有名バンドの前座を務めることも度々だったという。
しかし、バンドが望んでいたメジャー契約は得られず。
メンバーはそのことに失望し、結局BRATは85年に解散したという。
埋もれさせておくには惜しいクォリティのバンドだったと思うのだが。
(メッセージ性の強さが嫌われたのだろうか…)

THE PLUGZやLOS LOBOSなんかに較べると音楽性にチカーノっぽい部分がほぼなくて、BLONDIEとかTHE GO-GO'Sとか好きな人にもフツーにお勧め出来る1枚です。
(半面、チカーノ・パンクらしいアクの強さを求める人には物足りないかも知れないが)

V.A./GUERRILLA GIRLS! SHE-PUNKS & BEYOND 1975-2016

GUERRILLA GIRLS!.jpg1月のリリース。
4月頃入手。
最近まで聴けず。

信頼の英エイス・レコーズ編纂の、女性による、あるいは女性ヴォーカルを擁するパンク/ポスト・パンクの編集盤。
タイトル通り、1975~2016年の音源が大体年代順(一部前後するが)に収録されている。
パティ・スミス「Gloria」に始まり、THE BAGS「Survive」にX-RAY SPEX「Iama Poseur」…ときて、THE TUTS「Let Go Of The Past」、THE REGRETTES「Hot」、SKINNY GIRL DIET「Silver Spoons」と10年代のバンドまで、25曲がCDの収録時間いっぱいに収められている。

他にもBLONDIEとかTHE RAINCOATSとかESSENTIAL LOGICとかTHE SLITSとか、おおむね納得な選曲だが。
俺なんかは名前も知らなかったようなバンドも入っていて、非常に興味深い。
ノー・ウェイヴ勢からはTEENAGE JESUS AND THE JERXでも8 EYED SPYでもリディア・ランチのソロでもなくBUSH TETRASが収録されていて「ほう」と思ったり。
(ひょっとすると権利関係の絡みとかもあったのかも知れない)
あと最初期のBANGLESって初めて聴いた。
(このアルバムで唯一のインストゥルメンタル)
あ、のちにエイプリル・マーチとなるエリノア・ブレイクがいたTHE PUSSYWILLOWSも。

後半からはやはりライオット・ガールズ勢が目立つようになる一方で、一番驚いたのはWE'VE GOT A FUZZBOX AND WE'RE GONNA USE IT!!(覚えてる人いるかしら。のちにFUZZBOXとしてポップ・バンドになりましたね)が収録されていたこと。
こう来たか、と。
あと、THE MUFFSは入ってないけどTHE PANDORASはしっかり入っている。

分厚いブックレットにはコンパイルを担当したミック・パトリックによる解説だけでなく、一部バンド・メンバーのインタヴューも掲載。
このへんの入門編になるだけではなく、ある程度聴き込んでいるような人にもいろいろと聴きどころの多い1枚。

KLAUS NOMI/IN CONCERT

KLAUS NOMI IN CONCERT.jpg先月21日のリリース。
入手が遅れた。

クラウス・ノミ没後40周年記念ということで、『KLAUS NOMI』(1981年)、『SIMPLE MAN』(82年)、『ENCORE!』(84年)、『IN CONCERT』(86年)の4作がデジパック+Blu-spec CD 2という仕様で国内発売。
『ENCORE!』は以前このブログでも紹介したが(https://lsdblog.seesaa.net/article/202102article_11.html)。
今回の目玉は『IN CONCERT』初CD化(!)だろう。
オリジナル・リリースから37年、遂にCDで聴けるようになった。

クラウス・ノミが1983年8月6日に亡くなって2年半近く経った86年1月にリリースされた『IN CONCERT』だが、内容は79年8月1日にニューヨークのクラブ・HURRAH'Sで行なわれたライヴ。
参加メンバーのクレジットは皆無ながら、山田順一氏によるライナーノーツでは、当時のノミがクリスチャン・ホフマン(キーボード:元THE MUMPS)らとやっていたNOMI BANDによる演奏ではないかと推測されている。
(「Total Eclipse」のみサックスが参加し、ソロを吹きまくる)

収録されているのは「Keys Of Life」「Falling In Love Again」「Lightning Strikes」「Nomi Song」「The Twist」「Total Eclipse」「I Feel Love」「Samson And Delilah: Aria」の8曲。
ワーグナー「ワルキューレの騎行」に導かれて始まる「Keys Of Life」(収録曲中唯一クラウス・ノミ自身の手になる)をはじめ、ドナ・サマーのカヴァー「I Feel Love」以外はすべて『KLAUS NOMI』と『SIMPLE MAN』に収録された曲だが。
しかし『KLAUS NOMI』より2年も前のライヴなので、各曲のアレンジはスタジオ・ヴァージョンとかなり違っている。

ヴォーカルも、スタジオ作と歌い回しや歌詞が多少違うだけでなく、チャビー・チェッカーの「The Twist」はほとんど地声で歌われていたり。
「Total Eclipse」は『ENCORE!』でも80年代のライヴ・ヴァージョンが聴けて、そこでもシンセ・ポップっぽいスタジオ・ヴァージョンに較べてかなりロック・バンド然とした演奏と思わされたモノだが、1979年のライヴでは更にロックっぽいアレンジになっている。
(サックスをフィーチュアしたイントロが延々と続いた後、クラウス・ノミが入りのタイミングを見失いかけているような感じで歌い出すのが、また何とも言えない味わい)
「Keys Of Life」からマレーネ・ディートリッヒで有名な「Falling In Love Again」に入るところで「1,2,3,4」と小さくカウントが聞こえるのも、いかにもバンドっぽくて興味深い。
「Lightning Strikes」のイントロだけでなく曲中にも入ってくる雷鳴など、SEが多用されるのも印象的。
(相当シアトリカルなステージを展開していたようだ)

唯一「Samson And Delilah: Aria」(サン=サーンスのオペラ『サムソンとデリラ』中のアリア「あなたの声に私の心は開く」。クラウス・ノミが憧れたマリア・カラスの歌唱で有名)だけは『KLAUS NOMI』収録のテイク(こちらもライヴ音源)とほとんど同じに聴こえる。
コレは生演奏ではなく、バッキングには同じテープが用いられていたのではと思われる。
(あと「Nomi Song」も、この時点ですべてのアレンジがほぼ完成していたのがわかる)

一番の聴きモノはオリジナル・アルバムに収録されなかった「I Feel Love」だろう。
(シングルのみのリリース)
この曲は80年代にBRONSKI BEATとマーク・アーモンドもカヴァーしていたが、クラウス・ノミの異形ぶりの足元にも及ばない。
ってかバックの演奏がほとんどSUICIDEみたいだよな…。

それにしても、オペラとオールディーズとポスト・パンクを融合してぶちまける、このあまりにも異常な音楽。
クラシカルでポップでニュー・ウェイヴィーでキッチュでゴスい。
クラウス・ノミに興味があって音源持ってないという人には、まず『KLAUS NOMI』『SIMPLE MAN』というオリジナル・アルバム2枚をお勧めするが。
出来ればこの機に4枚全部買って欲しい。

ともあれ初CD化の『IN CONCERT』、2023年も半ばにして今年のリイシュー部門のベスト候補。

THE KRAYOLAS/HAPPY GO LUCKY

KRAYOLAS.jpg昨年7月のリリース。
11月に入手。
最近まで聴けず。

テキサス州サンアントニオでチカーノの若者たちによって結成され、”TEX MEX BEATLES”と呼ばれたというパワー・ポップ・バンド、THE KRAYOLAS。
彼らの1stアルバム『KOLORED MUSIC』(1982年)をリマスターして改題、曲目も曲順も入れ替え、ジャケットも変更しての再リリース。

ヘクター・サルダナ(ギター、ヴォーカル)とデイヴィッド・サルダナ(ドラム、パーカッション、ヴォーカル)の兄弟がバンドを結成したのは1975年。
デイヴィッドは16歳だったという。
バリー・スミス(ベース、キーボード、ヴォーカル)とジョン・ハリス(ジュジュ・スティック、ヴォーカル)が参加して、オリジナル・ラインナップが完成。
”ジュジュ・スティック”というのは、スティック状のシェイカーのことだそうで。
(検索すると画像が出てくる)
全員がリード・ヴォーカルをとれる4人編成。
当時のライヴ写真を見ると、デイヴィッドがフロントで歌っていてジョンがドラムを叩いているモノがある。
ライヴでデイヴィッドが歌う曲ではそのようにしていたらしい。

バンドはR&Rやラテンやソウル/R&Bに影響された自分たちのサウンドを”バブルガム・ソウル”と称していたという。
ヘクター・サルダナはTHE KRAYOLASの音楽性について、THE BEATLESとTHE JAMとエルヴィス・コステロとTHE ROCHESの間の何処か、と語っている。
一方THE KRAYOLASというバンド名は同じテキサスのRED CRAYOLA/RED KRAYOLAとは関係なく、頭文字をTHE KINKSと同じKにしたかったから、とのこと。

1978年にシングル「All I Do Is Try」でデビュー。
その後82年1月に3日間で録音されたのが『KOLORED MUSIC』だった。
しかし、ホーンズもフィーチュアしたかなりゴージャスなサウンドには、チープさのかけらもない。
全員が歌えるだけに、R&Rからバラードまで、非常に幅広い曲調。
実際のところは、それほどTHE BEATLESっぽくはない。
「Happy Go Lucky」や「You're Not My Girl」といったいかにもパワー・ポップ然とした曲が耳を惹く一方で、ハーモニーばっちりなバラードはBEATLESというよりもむしろTHE BEACH BOYSっぽかったりするし、ノヴェルティでガレージなR&R「Roadrunner John」なんてのもある。
クォリティは非常に高い。

『KOLORED MUSIC』リリース後、1982年夏にジョン・ハリスが脱退。
バンドはその後もメンバー交代を重ねながら精力的に活動したものの、テキサス州とオクラホマ州以外にファンベースを拡大出来ず、『KOLORED MUSIC』以降は87年にカセットをリリースしたのみで88年に解散となる。

しかし2007年にベスト盤をリリースしたのを機に、サルダナ兄弟を中心にバンドを再編。
08年以降はコンスタントなリリースを重ねている。

ヘクター・サルダナは、『KOLORED MUSIC』のジャケットに使われたバンドの写真も、白黒のアートワークも気に入っていなかったのだという。
そこでオリジナル・リリースから40年経っての再リリースと相成った。
リマスターの効果か、今聴いてもショボさのない音圧。

ジョン・ハリスは現在テキサス州オースティン在住とのこと。
バリー・スミスは2019年8月に亡くなったという。
一方サルダナ兄弟を中心とするTHE KRAYOLASは現在もサンアントニオで活動を続けていて、現在はヘクター・サルダナの息子たちがギターとドラムを担当しているのだそうで。

THE ELECTRIC BANANA/THE COMPLETE DE WOLFE SESSIONS

ELECTRIC BANANA.jpg昨年10月のリリース。
今月入手。

THE PRETTY THINGSの変名バンドとして知られるTHE ELECTRIC BANANA。
編集盤が何種類かリリースされていたが、遂に登場した全曲集がコレ。
これまでELECTRIC BANANAの全貌を把握するにはレアなアナログ盤を探すしかなかったので、実にありがたいリリースだ。
(俺はもちろん?ELECTRIC BANANAのアナログ盤なんて持ってないから、この全曲集で初めて全体像がわかった)

1967年の3rdアルバム『EMOTIONS』を最後にフォンタナ・レコーズとの契約を切られてしまったTHE PRETTY THINGSメンバーが、当座の小金を手っ取り早く稼ぐための‟仕事”として取り組んだのがTHE ELECTRIC BANANAの始まり。
ELECTRIC BANANAのレコードを制作したミュージック・デ・ウルフというレーベルは通常のレコード・レーベルではなく、‟ライブラリー・ミュージック”を手掛けるレーベルだった。

ライブラリー・ミュージックというのはTVや映画のテーマやBGMなどのために制作・使用される音楽のこと。
イギリスやヨーロッパでは、ひとつのTV番組や映画のためにわざわざ音楽を制作したり既存の楽曲を使用したりすると制作費や版権料で経費がかさんだりするため、番組や映画に使用するための雑多な音楽をあらかじめライブラリーとして制作しておき、それを提供する専門のレーベルというのがあるのだそうで。
デ・ウルフはそのようなレーベルのひとつだった。
そういう性格の音源なので、THE ELECTRIC BANANAの‟オリジナル・アルバム”は市販されることがなく、レアになったワケだ。

ともあれTHE PRETTY THINGSのメンバーはTHE ELECTRIC BANANAを名乗り、1967年半ばに1stアルバム『ELECTRIC BANANA』を録音する。
変名バンドということで、当然ながらレコードに参加メンバーのクレジットはなかったものの(ソングライティングのクレジットはアリ)、この時のメンバーはフィル・メイ(ヴォーカル)、ディック・テイラー(ギター)、ウォリー・ウォラーことウォリー・アレン(ベース)、ジョン・ポヴィ(ドラム、キーボード)の4人。
当時のPRETTY THINGSにはスキップ・アラン(ドラム)が在籍していたはずだが、何故かこのアルバムの録音には参加しておらず、PRETTY THINGSにキーボーディストとして加入する以前はTHE FENMENでドラマーだったジョンが叩いている。

『ELECTRIC BANANA』のジャケットにはアレンジャーとして、デ・ウルフと契約していた作曲家・編曲家であるレジナルド・ティルズレーの名前が表記され、彼はTHE ELECTRIC BANANAの演奏にホーンズなどを加えている。
レグ・ティルズレーはTHE PRETTY THINGSの『EMOTIONS』でもホーンズやストリングスのアレンジを担当した人。
『EMOTIONS』でのホーンズなどのオーヴァーダビングはフォンタナが勝手に指示したことで、メンバーは不満だったというが、一方バンドがデ・ウルフでの仕事を得たのはティルズレーの紹介だったのかも知れない。
アルバムはA面がヴォーカル入りの5曲、B面が同じ曲のインストゥルメンタルという構成。
収録曲中の2曲はこれまたデ・ウルフの専属作曲家だったピーター・レノが書いていて、それ以外の曲も『EMOTIONS』以上にポップ。
元々PRETTY THINGSが演っていたようなロックよりも、むしろポップスやソフト・ロックに近いスタイル。
しかし1曲目「Walking Down The Street」をはじめ、楽曲の出来はとても良い。
レノが作曲した「'Cause I'm A Man」は後にジョージ・A・ロメロの映画『ゾンビ』(DAWN OF THE DEAD)に使用されたという。
(全然覚えてない…)

続いて1967年末には2ndアルバムが録音され、68年に『MORE ELECTRIC BANANA』としてプレスされた。
メンバーは前作と同じ4人。
録音時にはまだTHE PRETTY THINGSに在籍していたはずのスキップ・アランはやはり参加しておらず、彼は68年3月にバンドを脱退している。
ここでもA面がヴォーカル入りの6曲、B面がインストゥルメンタルで、ピーター・レノが2曲を作曲。
しかしこのアルバムではホーンズは入っておらず、バンドのメンバーだけによる演奏は前作よりもかなりヘヴィ、かつサイケデリック。
1曲目の「I See You」はPRETTY THINGSの名作4thアルバム『S.F.SORROW』(68年)で再録されることに。
レノが書いた「Street Girl」(ヴォーカルはフィル・メイではなくウォリー・ウォラー)はベルギーでシングルとして発売され(つまりTHE ELECTRIC BANANのレコードはまったくレコード店に出回らなかったとかではないワケだ)、その後76年には『SNAKE DANCER』というポルノ映画(?)で使用されたという。

1969年には3rdアルバム『EVEN MORE ELECTRIC BANANA』が制作される。
同じようなアルバム・タイトルを引っ張るだけでなく、ここまでの3作のジャケット・デザインはほぼ同じ。
ひょっとしてデ・ウルフの製作陣にポップ・アート的なセンスを持つ人がいたのかも知れない。
このアルバムは使途がはっきりしていなかったライブラリー・ミュージックの前2作と違い、『WHAT'S GOOD FOR THE GOOSE』という映画のサントラ盤として制作され、THE ELECTRIC BANANAはその映画に出演も果たしている。
(何それ観たい)
この時点ではジョン・ポヴィがキーボードに専念し、ドラマーはあのトゥインク。
1曲目「Alexander」(超名曲!)からトゥインクのワイルドなドラムが炸裂。
このアルバムだけは歌入りとインストゥルメンタル半々ではなく、ヴォーカル曲の方が多い。
ソングライティングも1曲を除いてメンバーの手になるモノで、ハードにして絢爛たるサイケデリック・サウンドはもう1枚の『S.F.SORROW』といった趣。
ELECTRIC BANANAの全作品中でも最高の1枚だと思う。
ちなみに俺が初めてELECTRIC BANANAを聴いたのはこのアルバムに収録された「Blow Your Mind」で、80年代にFMでかかったのを聴いたのだった。

その後THE PRETTY THINGSはメンバー交代と5thアルバム『PARACHUTE』(1970年)のリリースを経て71年半ばに解散するが、半年ほどで復活、72年12月には6thアルバム『FREEWAY MADNESS』をリリースしていた。
復活したPRETTY THINGSが初のアメリカ・ツアーを経験するなど地道に活動していた73年、『EVEN MORE ELECTRIC BANANA』収録の「It'll Never Be Me」がBBCのTV番組「Dr.Who」で使用される。
デ・ウルフはTHE ELECTRIC BANANAの音楽にまだ需要があると見込み、新しいアルバムの制作を持ち掛けるのだった。
この時のメンバーはフィル・メイ(ヴォーカル)、ピーター・トルソン(ギター:元EIRE APPARENT)、ステュアート・ブルックス(ベース:元BLACK CAT BONES~LEAF HOUND)、ジョン・ポヴィ(キーボード、ヴォーカル)、ゴードン・エドワーズ(キーボード他:元SUNSHINE)、スキップ・アラン(ドラム)の6人。
そしてアルバム『HOT LICKS』が制作された。
今回はまた歌入りとインストゥルメンタル半々に戻ったが、全曲をメンバーが自分たちで書いている。
ところでこのアルバムには何処にもELECTRIC BANANAの名前がない。
どうやらバンドの名義自体がHOT LICKSだったようだ。
時代は73年…流石にもうELECTRIC BANANAでもないだろう、ということか。
ともあれポップなハード・ロックあり、スワンプ/パブ・ロック風ありと、同時期のPRETTY THINGSに近い多彩な楽曲が聴ける。
オリジナルLPの裏ジャケットには各楽曲の曲調が簡潔に書いてあって、「ああ、本当にTVや映画で使うためのカタログみたいなもんだったんだなあ」と納得。

その後THE PRETTY THINGSは7thアルバム『SILK TORPEDO』(1974年)、8th『SAVAGE EYE』(76年)を経て再び解散。
THE ELECTRIC BANANAは78年に通算5作目となる『THE RETURN OF THE ELECTRIC BANANA』を制作しているが、この時のバンドはPRETTY THINGSの変名ではなく、その正体はPRETTY THINGS解散後にフィル・メイが結成したPHIL MAY & THE FALLEN ANGELSだった。
当時のメンバーはフィル・メイ(ヴォーカル)、ミッキー・フィン(ギター:元STEVE MARRIOTT'S ALL STARS)、ビル・ラヴレディ(ギター)、ウォリー・ウォラー(ベース、ヴォーカル、ギター)、チコ・グリーンウッド(ドラム:元MOONRIDER)、ブライアン・ジョンソン(キーボード)の6人。
今回も歌入りとインストゥルメンタル半々で、全曲をウォリーとエレクトラ・ステュアート(フィルの妻)が共作し、THE FALLEN ANGELSと同じような方向性のポップなロックを演っている。
「James Marshall」はもちろんジミ・ヘンドリックス(ジェイムズ・マーシャル・ヘンドリックス)に捧げられた曲。

『THE RETURN OF THE ELECTRIC BANANA』が制作された1978年にはまたしてもTHE PRETTY THINGSが復活。
以後のバンドはTHE ELECTRIC BANANAとして活動することはなかったが、ウォリー・ウォラーは自身のバンドを率いてデ・ウルフで2枚のアルバムを制作したという。
その後84年には『THE RETURN OF THE ELECTRIC BANANA』収録の「Take Me Home」と「James Marshall」がZAC ZOLAR & ELECTRIC BANANA名義でシングルとしてリリースされたとのこと。
(ザック・ゾーラーって誰や)
そしてELECTRIC BANANAの楽曲は21世紀に入っても映画で使われているのだそうで。

そんなTHE ELECTRIC BANANAの音楽。
今回はCD3枚組のBOXセットで、ディスク1には『ELECTRIC BANANA』と『MORE ELECTRIC BANANA』が、ディスク2に『EVEN MORE ELECTRIC BANANA』と『HOT LICKS』が、そしてディスク3には『THE RETURN OF THE ELECTRIC BANANA』と、収録時間の関係でディスク2から漏れた『EVEN MORE ELECTRIC BANANA』の1曲が収録されている。
(ちょっと苦しい構成)
ELECTRIC BANANAの音楽が使用された映画のスチール写真をふんだんにあしらったブックレット付き。
ただ、本文中の随所に様々なバンド名やアルバム名や曲名などを混ぜ込んだライナーノーツはえらく装飾的というか詩的(?)な文体で、ぶっちゃけかなり読みづらい。
(‟the soft white underbelly of 1960s British pop…”とか言われても、BLUE OYSTER CULTの前身バンドであるSOFT WHITE UNDERBELLYのことを知らなければ「は?」ってなもんだろう)

正直言ってマニア向けな箱。
しかし、長い歴史の中でメンバーも音楽性も変化させてきたTHE PRETTY THINGSの全貌を知るうえで、ファンには興味深いセット。
『EVEN MORE ELECTRIC BANANA』の全曲が聴けるというだけでも、PRETTY THINGSマニア以外にも聴く価値があると思う。


(2025.12.8.全面改訂)

CRAIG SMITH/MAITREYA KALI/APACHE/INCA

CRAIG SMITH MAITREYA KALI.jpg1月のリリース。
先月入手。
当時店舗にも入荷せず通販もされず、数百枚プレスされてLAの路上で手売りされた(!)というアメリカン・サイケ激レア中の激レア盤。
20年ぐらい前にもCD化されていたが、今回初めてのオフィシャルな再発とのこと。
(クレイグ・スミス/マイトレーヤ・カリの兄であるゲイリー・スミスがエクスキューティヴ・プロデューサーとしてクレジットされている)
昨年2枚組LPでリリースされていたのに続くCD化。
元々1972年にバラでリリースされた後に2枚組として再販売されていたモノで、今回のCDはLP2枚分の内容を1枚のCDに収めている。

オリジナル・リリースではマイトレーヤ・カリ名義だったのが、今回のCD化では本名であるクレイグ・スミスの名前も併記。
そのクレイグ・ヴィンセント・スミスは、1945年にLAで生まれている。
高校時代、同じ学校にはミッキー・ドレンツやジム・ゴードンが通っていたという。
勉強もスポーツも出来て笑顔を絶やさない優等生で、学級委員長も務めていたクレイグは、高校を卒業する際に奨学金を得て進学するというオファーも受けていたが、在学中からギターを手にしてフォークを歌っていた彼は音楽の道に進むのだった。
(それが間違いの元だったのか…)

クレイグ・スミスはGOOD TIME SINGERSという10人組のフォーク・グループに参加し、グループはNEW CHRISTY MINSTRELSの後釜として1963年9月からNBC TVの「Andy Williams Show」に2年間レギュラー出演。
GOOD TIME SINGERSは番組でジュディ・ガーランドやロイ・ロジャースやペギー・リーと共演し、キャピトル・レコーズから2枚のアルバムをリリースしている。
クレイグは歌とギターだけでなく作曲でも才能を発揮し、彼が書いた「Christmas Holiday」はアンディ・ウィリアムズのレパートリーとなる。
その印税収入でクレイグはポルシェを買ったという(!)。

1965年秋、クレイグ・スミスはクリス・デューシー、スザンナ・ジョーダンと共に「The Happeners」というTV番組に起用される。
グリニッチ・ヴィレッジで活動するフォーク・ロック・トリオが主人公のミュージカル・コメディだったという。
この頃クレイグはTHE MONKEESのオーディションも受けている。
(最終選考に残ったそうだが、結局採用されたのは彼ではなくピーター・トークだった)

「The Happeners」の仕事が軌道に乗らなかったことから、クレイグ・スミスはTV業界を離れて1966年にクリス・デューシーとフォーク・デュオCHRIS & CRAIGを結成し、キャピトルからシングルをリリース。
二人はその後マイケル・ネスミス(THE MONKEES)をプロデュースに迎え、ドン・グラット(ベース)、ボビー・ドナホ(ドラム)のリズム・セクションを加えてTHE PENNY ARKADEを結成。
この頃にクレイグが書いた「Salesman」はMONKEESに、「Holy」はアンディ・ウィリアムズとLETTERMENに取り上げられている。

1967年秋にアルバムのレコーディングを行なったTHE PENNY ARKADEだったが、マイク・ネスミスの売り込みにもかかわらずレコード契約は取れず。
68年になるとクレイグ・スミスはLSDをやるようになり、瞑想を始める。
ドラッグと瞑想を通じて神とコミュニケートするというヴィジョンに急速に傾倒したクレイグはエンタメ業界に対する興味を失い、THE MONKEESやアンディ・ウィリアムズへの楽曲提供で受け取った多額の印税を手に放浪の旅に出てしまうのだった。

ギター1本担いで1968年5月にイギリスへと発ったクレイグ・スミスは68年10月にイスタンブールにたどり着き、その後インドまで旅することになる。
その間毎日LSDと大麻をキメていたクレイグは、今や完全にヒッピーとなっていた。
しかしアフガニスタンのカンダハルで地元の男たちに襲われた彼は、パスポートもギターも失ってしまうのだった。

1969年初頭にクレイグ・スミスがLAに戻ってきた時、彼の顔からはかつての笑顔や快活さが消え失せ、すっかり暗い性格になっていたという。
アフガニスタンでは男たちにレイプされたとかで、いわゆるホモフォビアにもなっていたらしい。
それでもクレイグは曲作りだけは続けていた。
この頃にはグレン・キャンベルがTHE PENNY ARKADEの「Country Girl」を取り上げたりして、ソングライティングはクレイグの重要な収入源だった。

同じ頃、クレイグ・スミスは大学を卒業してたまにモデルの仕事をやったりしていたシェリル・ニッケルベインと恋仲になる。
東洋思想や瞑想への興味が高じてクレイグと付き合い出した美しいシェリル。
彼女のことをソウルメイト、ミューズと持ち上げていたクレイグだったが、一方で精神状態は悪化するばかりで(多分LSDの影響だろう)、結局シェリルはクレイグの元を去ってしまう。
当時のクレイグは短気で暴力的なところがあり、父親を殴って精神病院に入れられたりもしていたという。

1970年、クレイグ・スミスは中米~南米を旅する。
ペルーでインカ帝国の遺跡を見たクレイグは、自分がインカ皇帝アタワルパの生まれ変わりであると信じるようになるのだった(…)。
その後クレイグはカリフォルニアのヨセミテ国立公園で過ごし、それらの体験がのちのアルバム『APACHE』『INCA』のテーマとなる。

一方でクレイグ・スミスの性格はますます暗く気難しいモノとなり、家族や友人たちからも避けられるようになるのだった。
1971年3月29日、それ以前から既にマイトレーヤ・カリと名乗るようになっていたクレイグは、姓名を法的にもマイトレーヤ・カリと改名する手続きを行なう。
役場に現れたクレイグ改めマイトレーヤは、頭を剃り上げていた。
そしてその日は、同様に頭を剃り上げたスーザン・アトキンスらシャロン・テート殺害事件の実行犯3人が死刑判決を受けた日だったという(…)。
直後、マイトレーヤは額に黒い蜘蛛のタトゥーを入れている。
それはチャールズ・マンソンが額に刻んだカギ十字のタトゥーを思わせるモノだった。
(マイトレーヤ本人は古代のアステカ族にインスパイアされたと語っているが)


そして1972年初頭、マイトレーヤ・カリはアルバム『APACHE』を完成させる。
(はい、ここまで長い長い前置きでした)
それが今回リリースされたCDの前半に当たる。
サブタイトルには‟Sound Track from Yosemite”‟Dedicated to Jimi Hendrix”とある。
アルバムはマイク・ネスミスのプロデュースで67年に録音されながらお蔵入りになっていたTHE PANNY ARKADEの音源と、マイトレーヤ/クレイグ・スミスが67~72年までの間に録音していたマテリアル(ほとんどがギター弾き語りのデモ音源)が混ぜ合わされたモノで、クレイグがTHE MONKEESに提供した「Salesman」のクレイグ自身によるヴァージョンも収録されている。
(「Salesman」のバッキング・ヴォーカルはマイク・ラヴとのこと)
ここまで書いてきた「あちゃあ…」なエピソードからは信じられないほど、内容は良い。
PENNY ARKADEの3曲はクレイグとクリス・デューシーの声とギターが絡み合うフォーキーなサイケデリック・ロック。
「Voodoo Spell」は、60年代にクレイグたちと付き合いがあったフランク・ザッパのお気に入りだったとか。
弾き語りも、ソフトな声と美しいメロディが際立つ一級品のアシッド・フォークだ。
「I'm Walkin' Solo」はGOOD TIME SINGERS時代の65年に書かれた曲で、「Love Is Our Existence」はCHRIS & CRAIG時代のレパートリーの改作だという。
それらがほとんど曲間なしで続くのだが、作曲や録音の時期がバラバラなのにえらく統一感がある。

しかし、マイトレーヤ・カリ自身によると思われるスリーヴノーツはかなりひどい。
自分こそが救世主であるみたいなことが延々と書いてある代物。
本名のクレイグ・スミスがヒトラー(!)、ガンジー、ケネディらと並べられている。
そして‟I Love Cheryl Knicekelbein”とも。
マイトレーヤは3年前に別れたシェリルとの復縁を信じて疑わなかったらしい。
(ちょっとぞっとするね…)


『INCA』は1972年夏に完成している。
音源は『APACHE』同様、THE PENNY ARKADE時代の録音とマイトレーヤ・カリのソロの混合。
PENNY ARKADEが67年の時点で12分の長尺ナンバー「Knot The Freize」(元々の曲名は「Not The Freeze」)をモノにしていたことに驚かされる。
グレン・キャンベルが取り上げた「Country Girl」のPENNY ARKADEヴァージョンも収録。
カッコいいカントリー・ロックに仕上がっている。
「Jesus Owns」は65年頃に書かれた曲の改作とのこと。
一方でシェリル・ニッケルベインと付き合っていた頃の録音と思われる「Sam Pan Boat」、そしてそのまんまの「Cheryl」という曲も。
(女性の声が聴こえるのはシェリルだろう)
アルバムの最後に収録されている「King」もシェリルに向けて書かれた曲らしい。
‟さあ、もし私が王なら、君は永遠に私の女王とわかるだろう…”と歌い始めるや、8秒でブツッと途切れて、アルバムはそのまま終わる。

スリーヴノーツとクレジットはやっぱりひどい。
クリス・デューシーは‟クリストファー・コロンブスの生まれ変わり”とクレジットされていて、「Knot The Freize」はクレイグ・スミスとクリスが1965年7月に書いたロック・オペラ、とある。
(その時点でクレイグとクリスはまだ出会っていなかったはず…)
そして‟I Love My Wife”と。
(やっぱりぞっとするね…)

その後『APACHE』と『INCA』は2枚組LPとして再度プレスされる。
先述したとおり、出来上がったレコードはすべて手売りで販売されたという。
THE PENNY ARKADE時代のパーティー仲間だったフランク・ザッパ、ニール・ヤング、マイク・ラヴ、ガボール・ザボらにも送られたらしい。
(そしてブライアン・ウィルソンにも)


1973年、マイトレーヤ・カリ/クレイグ・スミスは母親を殴りつけ、家中の家具や窓ガラスを壊して血まみれで外に飛び出す。
4日後に逮捕されたクレイグはカリフォルニア州立刑務所で半年間服役することに。
CDのブックレットには収監時の彼の写真が載っているが、額に蜘蛛のタトゥーを入れて薄笑いを浮かべるその表情は、何かが決定的に壊れてしまった人間のそれとしか言いようがない。

刑務所の後は施設に入れられたクレイグ・スミスは3年後に出てくるが、精神が元に戻ることはなかったらしい。
その後のクレイグはLAでホームレスとして暮らしていたという。
他の家族が彼を見放した一方で、兄であるゲイリー・スミスだけは援助を続けた。
結局クレイグは2012年3月16日、ノース・ハリウッド・パークで寝袋にくるまったまま気管支肺炎で死亡する。
66歳だった。
70年代後半以降、30年以上ホームレスだったことになる。
寝袋の中からは彼の作曲ノートが見つかったという。


…という長い物語は32ページのブックレットに掲載されたマイク・スタックスによるとんでもなく詳細なライナーノーツ(マイクが2016年に出したクレイグ・スミス/マイトレーヤ・カリの評伝からの抜粋とのこと)から、ほとんど訴えられそうな勢いで抄訳してみました。
(あとネットからも)
ともあれこの数奇な運命をたどった男の音楽、その内容は実に素晴らしい。
LPに10000ドルの値が付いたというのはただ単に激レアだったからではなく、内容が伴っていたからこそだろう。
それがフツーにCDで聴けるありがたさ。
かなりお勧めの1枚。


(2025.12.3.改訂)