
1月のリリース。
先月入手。
当時店舗にも入荷せず通販もされず、数百枚プレスされてLAの路上で手売りされた(!)というアメリカン・サイケ激レア中の激レア盤。
20年ぐらい前にもCD化されていたが、今回初めてのオフィシャルな再発とのこと。
(クレイグ・スミス/マイトレーヤ・カリの兄であるゲイリー・スミスがエクスキューティヴ・プロデューサーとしてクレジットされている)
昨年2枚組LPでリリースされていたのに続くCD化。
元々1972年にバラでリリースされた後に2枚組として再販売されていたモノで、今回のCDはLP2枚分の内容を1枚のCDに収めている。
オリジナル・リリースではマイトレーヤ・カリ名義だったのが、今回のCD化では本名であるクレイグ・スミスの名前も併記。
そのクレイグ・ヴィンセント・スミスは、1945年にLAで生まれている。
高校時代、同じ学校にはミッキー・ドレンツやジム・ゴードンが通っていたという。
勉強もスポーツも出来て笑顔を絶やさない優等生で、学級委員長も務めていたクレイグは、高校を卒業する際に奨学金を得て進学するというオファーも受けていたが、在学中からギターを手にしてフォークを歌っていた彼は音楽の道に進むのだった。
(それが間違いの元だったのか…)
クレイグ・スミスはGOOD TIME SINGERSという10人組のフォーク・グループに参加し、グループはNEW CHRISTY MINSTRELSの後釜として1963年9月からNBC TVの「Andy Williams Show」に2年間レギュラー出演。
GOOD TIME SINGERSは番組でジュディ・ガーランドやロイ・ロジャースやペギー・リーと共演し、キャピトル・レコーズから2枚のアルバムをリリースしている。
クレイグは歌とギターだけでなく作曲でも才能を発揮し、彼が書いた「Christmas Holiday」はアンディ・ウィリアムズのレパートリーとなる。
その印税収入でクレイグはポルシェを買ったという(!)。
1965年秋、クレイグ・スミスはクリス・デューシー、スザンナ・ジョーダンと共に「The Happeners」というTV番組に起用される。
グリニッチ・ヴィレッジで活動するフォーク・ロック・トリオが主人公のミュージカル・コメディだったという。
この頃クレイグはTHE MONKEESのオーディションも受けている。
(最終選考に残ったそうだが、結局採用されたのは彼ではなくピーター・トークだった)
「The Happeners」の仕事が軌道に乗らなかったことから、クレイグ・スミスはTV業界を離れて1966年にクリス・デューシーとフォーク・デュオCHRIS & CRAIGを結成し、キャピトルからシングルをリリース。
二人はその後マイケル・ネスミス(THE MONKEES)をプロデュースに迎え、ドン・グラット(ベース)、ボビー・ドナホ(ドラム)のリズム・セクションを加えてTHE PENNY ARKADEを結成。
この頃にクレイグが書いた「Salesman」はMONKEESに、「Holy」はアンディ・ウィリアムズとLETTERMENに取り上げられている。
1967年秋にアルバムのレコーディングを行なったTHE PENNY ARKADEだったが、マイク・ネスミスの売り込みにもかかわらずレコード契約は取れず。
68年になるとクレイグ・スミスはLSDをやるようになり、瞑想を始める。
ドラッグと瞑想を通じて神とコミュニケートするというヴィジョンに急速に傾倒したクレイグはエンタメ業界に対する興味を失い、THE MONKEESやアンディ・ウィリアムズへの楽曲提供で受け取った多額の印税を手に放浪の旅に出てしまうのだった。
ギター1本担いで1968年5月にイギリスへと発ったクレイグ・スミスは68年10月にイスタンブールにたどり着き、その後インドまで旅することになる。
その間毎日LSDと大麻をキメていたクレイグは、今や完全にヒッピーとなっていた。
しかしアフガニスタンのカンダハルで地元の男たちに襲われた彼は、パスポートもギターも失ってしまうのだった。
1969年初頭にクレイグ・スミスがLAに戻ってきた時、彼の顔からはかつての笑顔や快活さが消え失せ、すっかり暗い性格になっていたという。
アフガニスタンでは男たちにレイプされたとかで、いわゆるホモフォビアにもなっていたらしい。
それでもクレイグは曲作りだけは続けていた。
この頃にはグレン・キャンベルがTHE PENNY ARKADEの「Country Girl」を取り上げたりして、ソングライティングはクレイグの重要な収入源だった。
同じ頃、クレイグ・スミスは大学を卒業してたまにモデルの仕事をやったりしていたシェリル・ニッケルベインと恋仲になる。
東洋思想や瞑想への興味が高じてクレイグと付き合い出した美しいシェリル。
彼女のことをソウルメイト、ミューズと持ち上げていたクレイグだったが、一方で精神状態は悪化するばかりで(多分LSDの影響だろう)、結局シェリルはクレイグの元を去ってしまう。
当時のクレイグは短気で暴力的なところがあり、父親を殴って精神病院に入れられたりもしていたという。
1970年、クレイグ・スミスは中米~南米を旅する。
ペルーでインカ帝国の遺跡を見たクレイグは、自分がインカ皇帝アタワルパの生まれ変わりであると信じるようになるのだった(…)。
その後クレイグはカリフォルニアのヨセミテ国立公園で過ごし、それらの体験がのちのアルバム『APACHE』『INCA』のテーマとなる。
一方でクレイグ・スミスの性格はますます暗く気難しいモノとなり、家族や友人たちからも避けられるようになるのだった。
1971年3月29日、それ以前から既にマイトレーヤ・カリと名乗るようになっていたクレイグは、姓名を法的にもマイトレーヤ・カリと改名する手続きを行なう。
役場に現れたクレイグ改めマイトレーヤは、頭を剃り上げていた。
そしてその日は、同様に頭を剃り上げたスーザン・アトキンスらシャロン・テート殺害事件の実行犯3人が死刑判決を受けた日だったという(…)。
直後、マイトレーヤは額に黒い蜘蛛のタトゥーを入れている。
それはチャールズ・マンソンが額に刻んだカギ十字のタトゥーを思わせるモノだった。
(マイトレーヤ本人は古代のアステカ族にインスパイアされたと語っているが)
そして1972年初頭、マイトレーヤ・カリはアルバム『APACHE』を完成させる。
(はい、ここまで長い長い前置きでした)
それが今回リリースされたCDの前半に当たる。
サブタイトルには‟Sound Track from Yosemite”‟Dedicated to Jimi Hendrix”とある。
アルバムはマイク・ネスミスのプロデュースで67年に録音されながらお蔵入りになっていたTHE PANNY ARKADEの音源と、マイトレーヤ/クレイグ・スミスが67~72年までの間に録音していたマテリアル(ほとんどがギター弾き語りのデモ音源)が混ぜ合わされたモノで、クレイグがTHE MONKEESに提供した「Salesman」のクレイグ自身によるヴァージョンも収録されている。
(「Salesman」のバッキング・ヴォーカルはマイク・ラヴとのこと)
ここまで書いてきた「あちゃあ…」なエピソードからは信じられないほど、内容は良い。
PENNY ARKADEの3曲はクレイグとクリス・デューシーの声とギターが絡み合うフォーキーなサイケデリック・ロック。
「Voodoo Spell」は、60年代にクレイグたちと付き合いがあったフランク・ザッパのお気に入りだったとか。
弾き語りも、ソフトな声と美しいメロディが際立つ一級品のアシッド・フォークだ。
「I'm Walkin' Solo」はGOOD TIME SINGERS時代の65年に書かれた曲で、「Love Is Our Existence」はCHRIS & CRAIG時代のレパートリーの改作だという。
それらがほとんど曲間なしで続くのだが、作曲や録音の時期がバラバラなのにえらく統一感がある。
しかし、マイトレーヤ・カリ自身によると思われるスリーヴノーツはかなりひどい。
自分こそが救世主であるみたいなことが延々と書いてある代物。
本名のクレイグ・スミスがヒトラー(!)、ガンジー、ケネディらと並べられている。
そして‟I Love Cheryl Knicekelbein”とも。
マイトレーヤは3年前に別れたシェリルとの復縁を信じて疑わなかったらしい。
(ちょっとぞっとするね…)
『INCA』は1972年夏に完成している。
音源は『APACHE』同様、THE PENNY ARKADE時代の録音とマイトレーヤ・カリのソロの混合。
PENNY ARKADEが67年の時点で12分の長尺ナンバー「Knot The Freize」(元々の曲名は「Not The Freeze」)をモノにしていたことに驚かされる。
グレン・キャンベルが取り上げた「Country Girl」のPENNY ARKADEヴァージョンも収録。
カッコいいカントリー・ロックに仕上がっている。
「Jesus Owns」は65年頃に書かれた曲の改作とのこと。
一方でシェリル・ニッケルベインと付き合っていた頃の録音と思われる「Sam Pan Boat」、そしてそのまんまの「Cheryl」という曲も。
(女性の声が聴こえるのはシェリルだろう)
アルバムの最後に収録されている「King」もシェリルに向けて書かれた曲らしい。
‟さあ、もし私が王なら、君は永遠に私の女王とわかるだろう…”と歌い始めるや、8秒でブツッと途切れて、アルバムはそのまま終わる。
スリーヴノーツとクレジットはやっぱりひどい。
クリス・デューシーは‟クリストファー・コロンブスの生まれ変わり”とクレジットされていて、「Knot The Freize」はクレイグ・スミスとクリスが1965年7月に書いたロック・オペラ、とある。
(その時点でクレイグとクリスはまだ出会っていなかったはず…)
そして‟I Love My Wife”と。
(やっぱりぞっとするね…)
その後『APACHE』と『INCA』は2枚組LPとして再度プレスされる。
先述したとおり、出来上がったレコードはすべて手売りで販売されたという。
THE PENNY ARKADE時代のパーティー仲間だったフランク・ザッパ、ニール・ヤング、マイク・ラヴ、ガボール・ザボらにも送られたらしい。
(そしてブライアン・ウィルソンにも)
1973年、マイトレーヤ・カリ/クレイグ・スミスは母親を殴りつけ、家中の家具や窓ガラスを壊して血まみれで外に飛び出す。
4日後に逮捕されたクレイグはカリフォルニア州立刑務所で半年間服役することに。
CDのブックレットには収監時の彼の写真が載っているが、額に蜘蛛のタトゥーを入れて薄笑いを浮かべるその表情は、何かが決定的に壊れてしまった人間のそれとしか言いようがない。
刑務所の後は施設に入れられたクレイグ・スミスは3年後に出てくるが、精神が元に戻ることはなかったらしい。
その後のクレイグはLAでホームレスとして暮らしていたという。
他の家族が彼を見放した一方で、兄であるゲイリー・スミスだけは援助を続けた。
結局クレイグは2012年3月16日、ノース・ハリウッド・パークで寝袋にくるまったまま気管支肺炎で死亡する。
66歳だった。
70年代後半以降、30年以上ホームレスだったことになる。
寝袋の中からは彼の作曲ノートが見つかったという。
…という長い物語は32ページのブックレットに掲載されたマイク・スタックスによるとんでもなく詳細なライナーノーツ(マイクが2016年に出したクレイグ・スミス/マイトレーヤ・カリの評伝からの抜粋とのこと)から、ほとんど訴えられそうな勢いで抄訳してみました。
(あとネットからも)
ともあれこの数奇な運命をたどった男の音楽、その内容は実に素晴らしい。
LPに10000ドルの値が付いたというのはただ単に激レアだったからではなく、内容が伴っていたからこそだろう。
それがフツーにCDで聴けるありがたさ。
かなりお勧めの1枚。
(2025.12.3.改訂)