SACRIFICE/TEARS - REMASTER

SACRIFICE.jpg日本が文字通り世界に誇る80年代へヴィ・メタルの雄・SACRIFICE…の3rdアルバムのリマスター再発。

1985年9月に結成。
87年7月に『CREST OF BLACK』でアルバム・デビュー。
88年に杉内哲(ヴォーカル)以外のメンバーが全員脱退するも、89年には新編成で活動再開。
90年12月に2ndアルバム『TOTAL STEEL』をリリース。
そして92年8月にリリースされたのが『TEARS』。
しかし93年に杉内が脱退し、バンドは以後27年間沈黙することになる。

1992年と言えば、個人的には一番メタルを聴いていなかった時期、ということになると思う。
(ROLLINS BANDやFISHBONE、NIRVANAやSONIC YOUTH、そしてPINK FAIRIESやMC5なんかを聴いていた。もちろんMOTORHEAD、BLUE OYSTER CULT、MERCYFUL FATE/KING DIAMONDあたりは聴き続けていたが)
ほとんど惰性で(?)BURRN!を買い続けていた頃だ。
このアルバムのことも、全然知らずにいた。

当時のメンバーはAkira Sugiuchi(ヴォーカル)、Hiroyuki Murakami(ギター)、Toru Nishida(ベース)、Kenji Suzuki(ドラム)の4人。
コレが…グランジ/オルターナティヴ全盛の1992年にリリースされたとはにわかに信じ難い、漢のメタル。
当時”日本のVENOM”などと呼ばれたらしいんだけど。
いや…VENOMと言うよりは、むしろTANKあたりをはじめとするNew Wave Of British Heavy Metal勢と80年代後半のスラッシュ・メタル/パワー・メタルの影響を、日本的とも言えるウェットな感覚と不可分に混ぜ合わせて練り上げたような、ヘヴィでタフな漢のメタルだ。
MOTORHEADあたりの影響ももちろんあったようだが、R&R色はわりと希薄で、徹頭徹尾重厚にして埃っぽい、ピュアなヘヴィ・メタルを聴かせる。
うはあ、こりゃカッコいい。

特に「Breaking The Silence Of The Night」とかの、初期TANKからR&Rっぽさを抜いてアグレッションと疾走感マシマシにしたような爆走ぶりには痺れずにいられない。
「Broken Heroes」なんかの、ミドルでザクザク刻む重いリフとかも。
METALLICAがアレだった頃に、コレですか、と。
このアルバムを出す約1年前の1991年10月にはSODOM初来日のオープニング・アクトを務めたというが、それも納得。
(そうか、SODOMの初来日って91年だったのか、と改めて思った)

”日本が文字通り世界に誇る”というのは、この後の展開からも明らか。
SACRIFICEが27年ぶりの復活を果たしたのは、2020年1月…アメリカに招かれ、MIDNIGHTやTOXIC HOLOCAUSTらを向こうに回してヘッドライナーとしてニューヨークでライヴを行なった時だった。
海外でそれほど愛されていたワケだ。
その後コロナ禍を経て、23年10月からは国内でもライヴ活動を再開。

結成40周年となる来年は1月にLAでヘッドライナーとしてのライヴ、その後も日本や各国でのライヴが予定されているという。
再発を寿ぐだけでなく、今後にも大いに期待、なSACRIFICEなのでした。


『TEARS - REMASTER』、20日リリース。

Les Rallizes Denudes/屋根裏YaneUra Oct. '80

裸のラリーズ.jpg17日リリース。
昨日入手。
今日はヘヴィ・ローテーション中で、ほとんどこのアルバムしか聴いていない。
このブログを御覧の皆様にも、同じような人が3桁ぐらいいるのでは。

1980年夏から81年春までしか続かず、その間に7回しかライヴをやらなかったという、山口冨士夫在籍時の裸のラリーズによる、3回目のライヴ。
80年10月29日、渋谷屋根裏。
ブートやプライヴェート・テープはあったそうだが、俺は初めて聴いた。

メンバーは水谷孝(ヴォーカル、リード・ギター)、山口冨士夫(ギター)、ドロンコこと高田清博(ベース)、野間幸道(ドラム)の4人。
かつて数少ない裸のラリーズの公式音源のひとつだった『77 LIVE』から3年後だが、水谷以外は全員入れ替わっている。

プロデュース、ミックス、マスタリングは水谷孝の盟友・久保田麻琴。
音質は非常に良い。
複数のカセット音源をミックスして仕上げてあるのだという。

ライナーノーツ(当時を知る松山晋也氏による、非常に興味深い内容)にもある通り、4人編成の裸のラリーズでは、2本のギターの役割はリードとリズムにはっきり分かれていて。
リズム・ギターは文字通りリズム・セクションの一部であり、3人の演奏をバックに水谷孝が存分に弾き倒す、というスタイルだった。
それは『77 LIVE』でも、俺が実際に観た1997年のライヴでも同様だった。
しかしここでの演奏はそうではない。
クレジットでは水谷が”リード・ギター”となっているものの、実際には水谷と山口冨士夫がそれぞれにノイジーな、それでいてタイプの違うサウンドを縦横に繰り出し、絡み合う。
ライヴ前半を収録したディスク1も素晴らしいが、後半/ディスク2では更にアセンションと言いたくなるような、すべての音が螺旋状に上昇していくような、その一方で真っ黒な次元の裂け目の何処かへと渦を巻いて下降していくような、そんな感覚を味わうことが出来る。

2本のギターが爆音で交わるのだからそれはもちろんノイジーなのだが、そればかりではない。
「Enter The Mirror」は『77 LIVE』のヴァージョンよりも―誤解を恐れずに言えばーとてもメロウに響き、水谷孝の歌もギターも艶やかだ。
PEARLS BEFORE SWINEやGRATEFUL DEADやQUICKSILVER MESSENGER SERVICEなども聴いていたらしい水谷だけでなく、そのような水谷をきっちりサポートする山口冨士夫の貢献もあっての、このみずみずしさだろう。

一方で「夜、暗殺者の夜」は『77 LIVE』以上にリズミカルでグルーヴィー。
水谷孝が当時パンクをどのように捉えていたのか全く知らないのだが、ある意味パンキッシュにも聴こえる。
コレもこの4人編成あってのモノだろう。
しかし村八分で日本のプロト・パンクの筆頭に挙げられる山口冨士夫、ここでのプレイは村八分ともソロ『ひまつぶし』とも、もちろんのちのTHE TEARDROPSとも違い。
それでいてまさにフジオそのものとしか。
これまたライナーにある通り、天才であった。

そして18分に及ぶ「The Last One」。
どんどんラウドになっていき、終盤でベースとドラムが例の反復リズムを刻むのを止めると、2本のギターが美しいノイズの壁を築き上げる。
永遠に聴いていたいと思われてならない。
で、ディスク2が終わると再びディスク1をCDプレイヤーにセットしてボタンを押す。
今日はずっとそれを繰り返している。

梅雨明けの炎熱の中で、エアコンのコンセントを抜いたままの部屋でホットコーヒーを飲みながら聴くのも良かった。
陽が落ちて、扇風機の涼しい風を感じながら焼酎のオンザロックを飲みつつ聴くのも格別だ。
全人類必聴とは言わないが、少なくともこのブログを御覧の皆様全員にお勧めします。


それにしても、この時の4人のうち、ドロンコ以外の全員があちらにいるとは。

THE BRAT/ATTITUDES "LP"

BRAT.jpg昨年6月のリリース。
12月に入手。

デンマークのBRATSじゃなくて、アメリカ西海岸のTHE BRAT。
いわゆるチカーノ・パンク。

メンバーはテレサ・コヴァルビアス(ヴォーカル)、ルディ・メディナ(リード・ギター)、シドニー・メディナ(リズム・ギター)、ルイス・ソト(ベース)、ロバート・ソト(ドラム)の5人。
ルディ&シド・メディナは兄弟ではなく、叔父と甥とのこと。
(歳は近かったという)
ルー&ロバート・ソトは兄弟だろう。
(顔はそっくり)

テレサ・コヴァルビアスは大学で心理学を学ぶ一方、ボブ・ディラン、THE ROLLING STONES、デイヴィッド・ボウイ、そしてベニー・グッドマンなどを好んで聴いていたという。
一方ルディ・メディナとシド・メディナは共にクラシック・ギターの教育を受け、特にルディはUCLAでクラシックを専門的に学んで卒業したとのこと。
そしてルディとシドはTHE CLASH、デイヴィッド・ボウイ、NEW YORK DOLLS、THE SPARKSなどのロックも愛好していたらしい。

1978年4月14日、THE JAMのライヴ会場でテレサ・コヴァルビアスとルディ・メディナが出会ったことをきっかけに、バンド結成となる。
(JAMってそんな早い時期にアメリカをツアーしていたのね)
彼らはパンク、レゲエ、そして60年代ガール・グループなどの影響を融合して、自分たちのオリジナリティを模索していく。
THE PLUGZのヴォーカル兼ギターだったティト・ラリヴァとポール・A・ロスチャイルド(THE DOORSのプロデューサー!)のプロデュースで録音された5曲は、ティトが主宰したファティマ・レコーズの第1弾として、80年にリリースされた。

このアルバムは、1980年の10inch「ATTITUDES EP」の5曲に、81~85年に録音された8曲を追加した全13曲入りの編集盤。
なるほど、EPのA面1曲目「Swift Moves」からレゲエ。
一方82年録音の「The Wolf」は、イントロといいギター・ソロといい、DEAD BOYS「Sonic Reducer」を思いっきり意識しているような。
テレサ・コヴァルビアスはキュートな声質で、いかにもパンクっぽい速い曲でも激することなくポップに聴かせる。
そしてポップな曲はほとんどパワー・ポップと言ってイイ曲調。
クラシックを学んだ二人のギタリストだけでなく、リズム・セクションも演奏はかなり上手い。

聴きやすくポップな曲が多い一方で、”Everything I say is wrong, Everything I do is wrong, It's just my attitude”と歌われる「Attitude」をはじめとして、歌詞はイーストLAのチカーノ、そして女性であるテレサ・コヴァルビアスが直面してきたであろう差別や不平等や暴力などを歌うモノが多かったようだ。
アルバム中で歌詞が載っているのは「Attitudes」だけだが、「Leave Me Alone」「The Cry」「Misogyny」「Dirty Work」といった曲名からも、シリアスなメッセージ性を想像することが出来る。

1985年録音の「Chains」「Over And Over」になると、パンク色は希薄で、キャッチーでよく出来た女性ヴォーカルのポップ・ロック/パワー・ポップという感じ。
実際、EPリリース以降、地元のクラブ・シーンでのTHE BRATの人気は上々で、R.E.M.などの有名バンドの前座を務めることも度々だったという。
しかし、バンドが望んでいたメジャー契約は得られず。
メンバーはそのことに失望し、結局BRATは85年に解散したという。
埋もれさせておくには惜しいクォリティのバンドだったと思うのだが。
(メッセージ性の強さが嫌われたのだろうか…)

THE PLUGZやLOS LOBOSなんかに較べると音楽性にチカーノっぽい部分がほぼなくて、BLONDIEとかTHE GO-GO'Sとか好きな人にもフツーにお勧め出来る1枚です。
(半面、チカーノ・パンクらしいアクの強さを求める人には物足りないかも知れないが)

V.A./GUERRILLA GIRLS! SHE-PUNKS & BEYOND 1975-2016

GUERRILLA GIRLS!.jpg1月のリリース。
4月頃入手。
最近まで聴けず。

信頼の英エイス・レコーズ編纂の、女性による、あるいは女性ヴォーカルを擁するパンク/ポスト・パンクの編集盤。
タイトル通り、1975~2016年の音源が大体年代順(一部前後するが)に収録されている。
パティ・スミス「Gloria」に始まり、THE BAGS「Survive」にX-RAY SPEX「Iama Poseur」…ときて、THE TUTS「Let Go Of The Past」、THE REGRETTES「Hot」、SKINNY GIRL DIET「Silver Spoons」と10年代のバンドまで、25曲がCDの収録時間いっぱいに収められている。

他にもBLONDIEとかTHE RAINCOATSとかESSENTIAL LOGICとかTHE SLITSとか、おおむね納得な選曲だが。
俺なんかは名前も知らなかったようなバンドも入っていて、非常に興味深い。
ノー・ウェイヴ勢からはTEENAGE JESUS AND THE JERXでも8 EYED SPYでもリディア・ランチのソロでもなくBUSH TETRASが収録されていて「ほう」と思ったり。
(ひょっとすると権利関係の絡みとかもあったのかも知れない)
あと最初期のBANGLESって初めて聴いた。
(このアルバムで唯一のインストゥルメンタル)
あ、のちにエイプリル・マーチとなるエリノア・ブレイクがいたTHE PUSSYWILLOWSも。

後半からはやはりライオット・ガールズ勢が目立つようになる一方で、一番驚いたのはWE'VE GOT A FUZZBOX AND WE'RE GONNA USE IT!!(覚えてる人いるかしら。のちにFUZZBOXとしてポップ・バンドになりましたね)が収録されていたこと。
こう来たか、と。
あと、THE MUFFSは入ってないけどTHE PANDORASはしっかり入っている。

分厚いブックレットにはコンパイルを担当したミック・パトリックによる解説だけでなく、一部バンド・メンバーのインタヴューも掲載。
このへんの入門編になるだけではなく、ある程度聴き込んでいるような人にもいろいろと聴きどころの多い1枚。

KLAUS NOMI/IN CONCERT

KLAUS NOMI IN CONCERT.jpg先月21日のリリース。
入手が遅れた。

クラウス・ノミ没後40周年記念ということで、『KLAUS NOMI』(1981年)、『SIMPLE MAN』(82年)、『ENCORE!』(84年)、『IN CONCERT』(86年)の4作がデジパック+Blu-spec CD 2という仕様で国内発売。
『ENCORE!』は以前このブログでも紹介したが(https://lsdblog.seesaa.net/article/202102article_11.html)。
今回の目玉は『IN CONCERT』初CD化(!)だろう。
オリジナル・リリースから37年、遂にCDで聴けるようになった。

クラウス・ノミが1983年8月6日に亡くなって2年半近く経った86年1月にリリースされた『IN CONCERT』だが、内容は79年8月1日にニューヨークのクラブ・HURRAH'Sで行なわれたライヴ。
参加メンバーのクレジットは皆無ながら、山田順一氏によるライナーノーツでは、当時のノミがクリスチャン・ホフマン(キーボード:元THE MUMPS)らとやっていたNOMI BANDによる演奏ではないかと推測されている。
(「Total Eclipse」のみサックスが参加し、ソロを吹きまくる)

収録されているのは「Keys Of Life」「Falling In Love Again」「Lightning Strikes」「Nomi Song」「The Twist」「Total Eclipse」「I Feel Love」「Samson And Delilah: Aria」の8曲。
ワーグナー「ワルキューレの騎行」に導かれて始まる「Keys Of Life」(収録曲中唯一クラウス・ノミ自身の手になる)をはじめ、ドナ・サマーのカヴァー「I Feel Love」以外はすべて『KLAUS NOMI』と『SIMPLE MAN』に収録された曲だが。
しかし『KLAUS NOMI』より2年も前のライヴなので、各曲のアレンジはスタジオ・ヴァージョンとかなり違っている。

ヴォーカルも、スタジオ作と歌い回しや歌詞が多少違うだけでなく、チャビー・チェッカーの「The Twist」はほとんど地声で歌われていたり。
「Total Eclipse」は『ENCORE!』でも80年代のライヴ・ヴァージョンが聴けて、そこでもシンセ・ポップっぽいスタジオ・ヴァージョンに較べてかなりロック・バンド然とした演奏と思わされたモノだが、1979年のライヴでは更にロックっぽいアレンジになっている。
(サックスをフィーチュアしたイントロが延々と続いた後、クラウス・ノミが入りのタイミングを見失いかけているような感じで歌い出すのが、また何とも言えない味わい)
「Keys Of Life」からマレーネ・ディートリッヒで有名な「Falling In Love Again」に入るところで「1,2,3,4」と小さくカウントが聞こえるのも、いかにもバンドっぽくて興味深い。
「Lightning Strikes」のイントロだけでなく曲中にも入ってくる雷鳴など、SEが多用されるのも印象的。
(相当シアトリカルなステージを展開していたようだ)

唯一「Samson And Delilah: Aria」(サン=サーンスのオペラ『サムソンとデリラ』中のアリア「あなたの声に私の心は開く」。クラウス・ノミが憧れたマリア・カラスの歌唱で有名)だけは『KLAUS NOMI』収録のテイク(こちらもライヴ音源)とほとんど同じに聴こえる。
コレは生演奏ではなく、バッキングには同じテープが用いられていたのではと思われる。
(あと「Nomi Song」も、この時点ですべてのアレンジがほぼ完成していたのがわかる)

一番の聴きモノはオリジナル・アルバムに収録されなかった「I Feel Love」だろう。
(シングルのみのリリース)
この曲は80年代にBRONSKI BEATとマーク・アーモンドもカヴァーしていたが、クラウス・ノミの異形ぶりの足元にも及ばない。
ってかバックの演奏がほとんどSUICIDEみたいだよな…。

それにしても、オペラとオールディーズとポスト・パンクを融合してぶちまける、このあまりにも異常な音楽。
クラシカルでポップでニュー・ウェイヴィーでキッチュでゴスい。
クラウス・ノミに興味があって音源持ってないという人には、まず『KLAUS NOMI』『SIMPLE MAN』というオリジナル・アルバム2枚をお勧めするが。
出来ればこの機に4枚全部買って欲しい。

ともあれ初CD化の『IN CONCERT』、2023年も半ばにして今年のリイシュー部門のベスト候補。

THE KRAYOLAS/HAPPY GO LUCKY

KRAYOLAS.jpg昨年7月のリリース。
11月に入手。
最近まで聴けず。

テキサス州サンアントニオでチカーノの若者たちによって結成され、”TEX MEX BEATLES”と呼ばれたというパワー・ポップ・バンド、THE KRAYOLAS。
彼らの1stアルバム『KOLORED MUSIC』(1982年)をリマスターして改題、曲目も曲順も入れ替え、ジャケットも変更しての再リリース。

ヘクター・サルダナ(ギター、ヴォーカル)とデイヴィッド・サルダナ(ドラム、パーカッション、ヴォーカル)の兄弟がバンドを結成したのは1975年。
デイヴィッドは16歳だったという。
バリー・スミス(ベース、キーボード、ヴォーカル)とジョン・ハリス(ジュジュ・スティック、ヴォーカル)が参加して、オリジナル・ラインナップが完成。
”ジュジュ・スティック”というのは、スティック状のシェイカーのことだそうで。
(検索すると画像が出てくる)
全員がリード・ヴォーカルをとれる4人編成。
当時のライヴ写真を見ると、デイヴィッドがフロントで歌っていてジョンがドラムを叩いているモノがある。
ライヴでデイヴィッドが歌う曲ではそのようにしていたらしい。

バンドはR&Rやラテンやソウル/R&Bに影響された自分たちのサウンドを”バブルガム・ソウル”と称していたという。
ヘクター・サルダナはTHE KRAYOLASの音楽性について、THE BEATLESとTHE JAMとエルヴィス・コステロとTHE ROCHESの間の何処か、と語っている。
一方THE KRAYOLASというバンド名は同じテキサスのRED CRAYOLA/RED KRAYOLAとは関係なく、頭文字をTHE KINKSと同じKにしたかったから、とのこと。

1978年にシングル「All I Do Is Try」でデビュー。
その後82年1月に3日間で録音されたのが『KOLORED MUSIC』だった。
しかし、ホーンズもフィーチュアしたかなりゴージャスなサウンドには、チープさのかけらもない。
全員が歌えるだけに、R&Rからバラードまで、非常に幅広い曲調。
実際のところは、それほどTHE BEATLESっぽくはない。
「Happy Go Lucky」や「You're Not My Girl」といったいかにもパワー・ポップ然とした曲が耳を惹く一方で、ハーモニーばっちりなバラードはBEATLESというよりもむしろTHE BEACH BOYSっぽかったりするし、ノヴェルティでガレージなR&R「Roadrunner John」なんてのもある。
クォリティは非常に高い。

『KOLORED MUSIC』リリース後、1982年夏にジョン・ハリスが脱退。
バンドはその後もメンバー交代を重ねながら精力的に活動したものの、テキサス州とオクラホマ州以外にファンベースを拡大出来ず、『KOLORED MUSIC』以降は87年にカセットをリリースしたのみで88年に解散となる。

しかし2007年にベスト盤をリリースしたのを機に、サルダナ兄弟を中心にバンドを再編。
08年以降はコンスタントなリリースを重ねている。

ヘクター・サルダナは、『KOLORED MUSIC』のジャケットに使われたバンドの写真も、白黒のアートワークも気に入っていなかったのだという。
そこでオリジナル・リリースから40年経っての再リリースと相成った。
リマスターの効果か、今聴いてもショボさのない音圧。

ジョン・ハリスは現在テキサス州オースティン在住とのこと。
バリー・スミスは2019年8月に亡くなったという。
一方サルダナ兄弟を中心とするTHE KRAYOLASは現在もサンアントニオで活動を続けていて、現在はヘクター・サルダナの息子たちがギターとドラムを担当しているのだそうで。

ASYLUMの再発

画像現在配布中のFOLLOW-UPに掲載されているインタヴュー(特にHIROSHIの方)が各方面で話題の(笑)ASYLUM。
メジャー・デビューを果たしたビクター時代のアルバム2枚が遂に再発。
どちらも中村宗一郎(PEACE MUSIC)によるリマスター、更にボーナス・トラック2曲ずつ+α…と、元トランスギャルの皆さんにも当時を知らない皆さんにも必聴必携の2枚となった。


『ASYLUM』(画像)

1989年、通算2作目にしてメジャー・デビュー・アルバム。
俺はことある毎にこのアルバムがASYLUMの最高傑作だと言ってきたし、いずれ“今日の旧譜”で取り上げようと思っていたが、その前にめでたく再発となった。
パーソネルはGazelle(ヴォーカル)、HIROSHI(ギター)、Aki(ギター)、有賀正幸(ベース)、Mitsu(ドラム)の5人。
Gazelleの出自であるハードコア由来の激烈さ、彼が愛してやまないVAN DER GRAAF GENERATORをはじめとするプログレの複雑精緻さ…が、融合されることなく継ぎ足されているような音楽。
(「Plastic Clay」なんかはまんまハードコアだ)
ルーツであるTHE BEATLESについては、メロディアスさより実験性を範として取り入れたか。
(いや、そうでもないか…「Out Of My Times」あたりにはやはりBEATLES好きとしてのメロディ志向の片鱗を感じないでもない)
叙情と激情、それぞれの頂点から頂点へと一瞬にして切り替わるヴォーカル。
それらが、HIROSHIのキテレツなギター・リフや有賀の異様なベース・ラインに乗せて放たれる。
リマスターによって、音の分離が更によくなり、左右のチャンネルにきっぱりと分かれた2本のギターの対比もより鮮やかになった。
ボーナス・トラックは2曲ともライヴで、アルバム収録曲「Stained Grass」と未発表曲「U.H.S」。
音質はブートレグ並みながら、この時期はライヴをほとんどやっていないとのことで、貴重な音源。
Gazelle自身による、メジャー・デビューからバンド崩壊に至る経緯を追ったライナーノーツ付き。


『THE PIECE OF THE FOOLS』

1990年、メジャー2作目にして通算では3rdアルバム。
AkiとMitsuが脱退し、ヤマジカズヒデ(ギター)が加入、そしてMitsuが出戻り、『ASYLUM』とはギターの片割れが違うという編成に。
HIROSHIはこのアルバムを「曲がつまらない」と酷評している…。
しかし、実際楽曲単体の魅力では(俺がASYLUMの最高傑作と見ている)『ASYLUM』に軍配が上がるものの、コンセプチュアルなアルバムとしての構築性、そして音響面ではとても素晴らしい。
マイクの立て方に工夫を凝らし、“疑似バイノーラル”を目指したという録音は、オリジナルのCDでもかなりイイ音だった。
今回のリマスターで、更に深みのあるサウンドとなっている。
ギターは『ASYLUM』に較べるとかなり常識的な定位になっていて、『ASYLUM』でHIROSHIが否定していた“2本のギターの絡み合い”はここではナチュラルに(?)実現している気がする。
「When The River Knows Part Ⅰ」ではスライドのような音が聴こえるが、HIROSHIによればスライドは弾いていないとのこと。
前作に較べるとサイケデリックなテイストが増していて、そこも良い。
一方で「On The Cross Road」など、ハードコア色も健在。
ボーナス・トラック2曲はこちらもライヴで、「Godgilla」(「Whe The River Knows Part Ⅰ」の原曲)と「Out Bound」。
Gazelleの28年越し(!)の念願がかない、今回のブックレットにはオリジナル・リリースの時に封入出来なかったアルバムのストーリーが掲載されている。


2枚とも30年近く前のリリースだが…ASYLUM、恐ろしいことに現在進行形で、今この時もこの頃のアルバムを超える作品を作ろうとしているのだった。
『ASYLUM』『THE PIECE OF THE FOOLS』、11日リリース。
14日には高円寺HIGHで再発記念ワンマン・ライヴがあります。


(2025.5.12.改訂)

THE NUNS/CBS DEMO 1977

画像昨年11月のリリース。
先月購入。
今月まで聴けずにいたブツ。

“西のBLONDIE”とも呼ばれるTHE NUNS。
アルバム・デビューは1980年だが、結成は75年で、サンフランシスコのパンクとしては最初期のバンド。
ライヴ音源が発掘されたり、1stシングルが『KILLED BY DEATH』に収録されたりで、初期はかなりRAWでワイルドだったことが知られている。
で、CBSとの契約を得るために77年にスタジオ・ライヴ形式で録音されたデモ音源が登場。

この時点でのパーソネルはジェフ・オールナー(ヴォーカル)、リチャード・ディートリック(ヴォーカル)、ジェニファー・ミロ(ヴォーカル、キーボード)、アレハンドロ・エスコヴェード(ギター)、マイク・ヴァーニー(ベース)、ジェフ・ラファエル(ドラム)の6人。
マイクは、後にシュラプネル・レコーズで速弾きギタリスト発掘に精を出すあの人。
なんと、パンク・バンドでベース弾いてたのね…。

このデモもやっぱり後のアルバムとは違って、思いっきりサヴェージで荒々しいパンク・ロックが聴ける。
アルバムに収録される曲も全然勢いが違う。
『KILLED BY DEATH』に収録された「Decadent Jew」も、当然ながらシングルとは別テイク。
THE MUSIC MACHINE「Talk Talk」のカヴァーに、60年代ガレージから連綿と続いていたアメリカのパンクの水脈を見る思い。
ヴィジュアル・イメージ的な戦略だったのか紅一点ジェニファー・ミロを前面に押し出したイメージなのは初期からだったようだが、このデモを聴くとジェニファーはあくまでもキーボーディスト兼トリプル・ヴォーカルの一人という位置づけで、ジェフ・オールナー&リチャード・ディートリックという男性陣のヴォーカルの方がむしろフィーチュアされている。

このデモがメジャー契約に結び付くことはなく。
バンドは1979年に一度解散していて、BOMP!からアルバム・デビューを果たしたのは再結成後のことだった。
アレハンドロ・エスコヴェードの楽曲をフィーチュアしながら、アレハンドロは再編したバンドに参加せずRANK AND FILEを結成、その後いわゆるカウ・パンクやオルターナティヴ・カントリーの世界で活躍する。
そしてヴォーカリストは既に3人ともこの世の人ではないという…。


(2025.4.14.改訂)

V.A./BEST OF DOWN & WIRED 3&4

画像昨年6月のリリース。
入手したのは昨年末。
最近まで聴けずにいた。

で、元々のリリースは更に前の2014年。
昨年再発されている。

サブタイトルに“a dose of psychedelic funk & blue-eyed soul”とある。
まあ大体そんな感じの内容。
60~70年代にかけて地方のマイナーレーベルとかから出ていた、知られざるホワイト・ファンクや黒っぽいロックなんかを集めたシリーズ。
(ただし例外もかなりアリ)
で、タイトル通り第3弾と第4弾に各11曲収録された中から、“BEST OF”と銘打って全18曲を1枚のCDに収めてあるんだけど。
俺が持ってるCDは、何故か表ジャケットだけ第4弾のがそのまま使われている。
裏ジャケには“3&4”と書いてあるんだが。
(それにしてもこのシリーズはジャケットのデザインが謎。なんだこりゃ)

全18組18曲、確かに全然知らないような…と思ったら、ナニゲにマット“ギター”マーフィーとGEORGE BRIGMAN AND SPLITが収録されている。
他は本当に知らないのばっかり。
それらの中で一番メジャーなシーンに行ったのは、60年代後半にネブラスカで活動していたソウル/ファンク・バンドTHE FABULOUS IMPACTS(このCDには1967年にリリースしたアラン・トゥーサン「Get Out Of My Life Woman」のカヴァーを収録)のキーボーディスト、レスター・エイブラムスだろうか。
この人はFABULOUS IMPACTS解散後も活動を続けて70年代後半にカリフォルニアに移り住み、THE DOOBIE BROTHERSの『MINUTE BY MINUTE』(79年)のレコーディングに参加、ソングライティングにも関わり、その後も00年代初頭まで様々なミュージシャンとプレイしたという。

18曲の中で一番古い録音は、30~80年代(芸歴長い!)にアメリカとヨーロッパを股にかけて活動した黒人シンガー、エメット“ベイブ”ウォラスが歌う1960年の「Dizengoff」だろう。
ちょっとエキゾチックなメロディの、ジャズともジャンプ・ブルーズともR&BともR&Rともつかない、かなり迫力ある曲。
逆に一番新しいのは、テキサスのHEATHER BLACKによる「Come On And Get It」(78年)か。
あと、アメリカのバンドばかりじゃなくて、ドイツの白人ソウル/サイケ・バンドTAKE 5+2なんてのも収録。

ライナーノーツはかなり詳細…というか、やたら詳細に書いてあるバンドと一言たりとも触れてないバンドに分かれる。
そんな中、共に正体不明のTHE TURKSと49TH BLUE STREAKがどちらもジミ・ヘンドリックスを取り上げているのが目を引いたりも。

ガレージ・パンクやサイケのオムニバスによくあるズッコケっぽいのがほとんどなくて、どのバンドも無名ながらかなりクォリティの高い演奏を聴かせる。
HEATHER BLACKなんて相当カッコいい。
(ただし1978年の音には聴こえない。そこらへんがメジャーになれなかった理由か)
サブタイトルにあるほどはサイケデリックでもないんだけど、全曲楽しめる良いオムニバス。


(2025.4.11.全面改訂)

NEON/Neon

画像スイスの知られざる女性パンク・バンドによる2曲。
ドイツのスタティック・エイジというレーベルから昨年リリースされていたが、こちらはアメリカのウォーター・ウィングというレーベルからこの6月にリリースされた盤。
スタティック・エイジからライセンスを得てリリースしたようで、スリーヴの裏にはスタティック・エイジのロゴもあるが、表面の写真は今回何故か逆版で印刷されている。
メンバー自身によると思われるライナーノーツ封入。

バンドの結成は1978年5月、チューリッヒにて。
メンバーはアストリッド・スピリヒ(ヴォーカル)、ダグマー・ハインリッヒ(ギター)、ロレダナ・ザンドネッラ(ベース)、ジッタ・グセル(ドラム)の4人。
全員、楽器の経験はなかったという。

4ヵ月の練習で4曲のオリジナルが出来上がり、NEONは1978年11月1日にチューリッヒで初ライヴを行う。
ライヴではネオン管を用いたセットを使っていたとか。
しかし活動は順調ではなく、フェスティヴァル出演を含む数回のライヴと1回のTV出演だけで、79年夏には解散したという。
活動期間は1年余りで、リリースもなかった。

ところが2016年になって、ダグマー・ハインリッヒが自宅で2曲を収録したカセットテープを発見。
それが今回の7inchとなった。
「Neon」「Nazi Schatzi」の2曲。
レコーディングは、まったく上手く行かなかったらしい1978年12月のTV出演に際して行なわれたモノ。
あんまり歪まないギターがペンペン鳴るシンプルかつプリミティヴな楽曲と演奏は、パンク・ロックというよりもちょっとポスト・パンクっぽい。
アストリッド・スピリヒのヴォーカルも、歌うというより語るという感じ。
(ちょっと芝居がかった抑揚もあったり)
この時点で結成から半年ちょっと、こういう風にしかならなかったんだろうけど。

左翼政党の集会で演奏していたそうだし、「Nazi Schatzi」という曲名からしても、ポリティカルな姿勢を持ったバンドだったことが窺われる。
(“Schatzi”は宝を意味するドイツ語の“Schatz”を“Nazi”に合わせてもじったと思われ)

NEON解散後、アストリッド・スピリヒは1981年1月にLiLiPUTの3代目シンガー“アストリッド・スピリット”となり、83年10月まで活動。
カート・コベインのフェイヴァリット・バンドのひとつとしても知られたLiLiPUTだったが、現在のアストリッドは“スピリチュアル・カウンセラー”とのこと。
ダグマー・ハインリッヒはアートの道に進み。
ロレダナ・ザンドネッラはオランダに移住し、現在はアムステルダム在住。
ジッタ・グセルは10年のニューヨーク暮らしを経て90年にチューリッヒへと戻り、現在は映画のディレクターをしているという。


(2025.3.5.改訂)