THE ELECTRIC BANANA/THE COMPLETE DE WOLFE SESSIONS

ELECTRIC BANANA.jpg昨年10月のリリース。
今月入手。

THE PRETTY THINGSの変名バンドとして知られるTHE ELECTRIC BANANA。
編集盤が何種類かリリースされていたが、遂に登場した全曲集がコレ。
これまでELECTRIC BANANAの全貌を把握するにはレアなアナログ盤を探すしかなかったので、実にありがたいリリースだ。
(俺はもちろん?ELECTRIC BANANAのアナログ盤なんて持ってないから、この全曲集で初めて全体像がわかった)

1967年の3rdアルバム『EMOTIONS』を最後にフォンタナ・レコーズとの契約を切られてしまったTHE PRETTY THINGSメンバーが、当座の小金を手っ取り早く稼ぐための‟仕事”として取り組んだのがTHE ELECTRIC BANANAの始まり。
ELECTRIC BANANAのレコードを制作したミュージック・デ・ウルフというレーベルは通常のレコード・レーベルではなく、‟ライブラリー・ミュージック”を手掛けるレーベルだった。

ライブラリー・ミュージックというのはTVや映画のテーマやBGMなどのために制作・使用される音楽のこと。
イギリスやヨーロッパでは、ひとつのTV番組や映画のためにわざわざ音楽を制作したり既存の楽曲を使用したりすると制作費や版権料で経費がかさんだりするため、番組や映画に使用するための雑多な音楽をあらかじめライブラリーとして制作しておき、それを提供する専門のレーベルというのがあるのだそうで。
デ・ウルフはそのようなレーベルのひとつだった。
そういう性格の音源なので、THE ELECTRIC BANANAの‟オリジナル・アルバム”は市販されることがなく、レアになったワケだ。

ともあれTHE PRETTY THINGSのメンバーはTHE ELECTRIC BANANAを名乗り、1967年半ばに1stアルバム『ELECTRIC BANANA』を録音する。
変名バンドということで、当然ながらレコードに参加メンバーのクレジットはなかったものの(ソングライティングのクレジットはアリ)、この時のメンバーはフィル・メイ(ヴォーカル)、ディック・テイラー(ギター)、ウォリー・ウォラーことウォリー・アレン(ベース)、ジョン・ポヴィ(ドラム、キーボード)の4人。
当時のPRETTY THINGSにはスキップ・アラン(ドラム)が在籍していたはずだが、何故かこのアルバムの録音には参加しておらず、PRETTY THINGSにキーボーディストとして加入する以前はTHE FENMENでドラマーだったジョンが叩いている。

『ELECTRIC BANANA』のジャケットにはアレンジャーとして、デ・ウルフと契約していた作曲家・編曲家であるレジナルド・ティルズレーの名前が表記され、彼はTHE ELECTRIC BANANAの演奏にホーンズなどを加えている。
レグ・ティルズレーはTHE PRETTY THINGSの『EMOTIONS』でもホーンズやストリングスのアレンジを担当した人。
『EMOTIONS』でのホーンズなどのオーヴァーダビングはフォンタナが勝手に指示したことで、メンバーは不満だったというが、一方バンドがデ・ウルフでの仕事を得たのはティルズレーの紹介だったのかも知れない。
アルバムはA面がヴォーカル入りの5曲、B面が同じ曲のインストゥルメンタルという構成。
収録曲中の2曲はこれまたデ・ウルフの専属作曲家だったピーター・レノが書いていて、それ以外の曲も『EMOTIONS』以上にポップ。
元々PRETTY THINGSが演っていたようなロックよりも、むしろポップスやソフト・ロックに近いスタイル。
しかし1曲目「Walking Down The Street」をはじめ、楽曲の出来はとても良い。
レノが作曲した「'Cause I'm A Man」は後にジョージ・A・ロメロの映画『ゾンビ』(DAWN OF THE DEAD)に使用されたという。
(全然覚えてない…)

続いて1967年末には2ndアルバムが録音され、68年に『MORE ELECTRIC BANANA』としてプレスされた。
メンバーは前作と同じ4人。
録音時にはまだTHE PRETTY THINGSに在籍していたはずのスキップ・アランはやはり参加しておらず、彼は68年3月にバンドを脱退している。
ここでもA面がヴォーカル入りの6曲、B面がインストゥルメンタルで、ピーター・レノが2曲を作曲。
しかしこのアルバムではホーンズは入っておらず、バンドのメンバーだけによる演奏は前作よりもかなりヘヴィ、かつサイケデリック。
1曲目の「I See You」はPRETTY THINGSの名作4thアルバム『S.F.SORROW』(68年)で再録されることに。
レノが書いた「Street Girl」(ヴォーカルはフィル・メイではなくウォリー・ウォラー)はベルギーでシングルとして発売され(つまりTHE ELECTRIC BANANのレコードはまったくレコード店に出回らなかったとかではないワケだ)、その後76年には『SNAKE DANCER』というポルノ映画(?)で使用されたという。

1969年には3rdアルバム『EVEN MORE ELECTRIC BANANA』が制作される。
同じようなアルバム・タイトルを引っ張るだけでなく、ここまでの3作のジャケット・デザインはほぼ同じ。
ひょっとしてデ・ウルフの製作陣にポップ・アート的なセンスを持つ人がいたのかも知れない。
このアルバムは使途がはっきりしていなかったライブラリー・ミュージックの前2作と違い、『WHAT'S GOOD FOR THE GOOSE』という映画のサントラ盤として制作され、THE ELECTRIC BANANAはその映画に出演も果たしている。
(何それ観たい)
この時点ではジョン・ポヴィがキーボードに専念し、ドラマーはあのトゥインク。
1曲目「Alexander」(超名曲!)からトゥインクのワイルドなドラムが炸裂。
このアルバムだけは歌入りとインストゥルメンタル半々ではなく、ヴォーカル曲の方が多い。
ソングライティングも1曲を除いてメンバーの手になるモノで、ハードにして絢爛たるサイケデリック・サウンドはもう1枚の『S.F.SORROW』といった趣。
ELECTRIC BANANAの全作品中でも最高の1枚だと思う。
ちなみに俺が初めてELECTRIC BANANAを聴いたのはこのアルバムに収録された「Blow Your Mind」で、80年代にFMでかかったのを聴いたのだった。

その後THE PRETTY THINGSはメンバー交代と5thアルバム『PARACHUTE』(1970年)のリリースを経て71年半ばに解散するが、半年ほどで復活、72年12月には6thアルバム『FREEWAY MADNESS』をリリースしていた。
復活したPRETTY THINGSが初のアメリカ・ツアーを経験するなど地道に活動していた73年、『EVEN MORE ELECTRIC BANANA』収録の「It'll Never Be Me」がBBCのTV番組「Dr.Who」で使用される。
デ・ウルフはTHE ELECTRIC BANANAの音楽にまだ需要があると見込み、新しいアルバムの制作を持ち掛けるのだった。
この時のメンバーはフィル・メイ(ヴォーカル)、ピーター・トルソン(ギター:元EIRE APPARENT)、ステュアート・ブルックス(ベース:元BLACK CAT BONES~LEAF HOUND)、ジョン・ポヴィ(キーボード、ヴォーカル)、ゴードン・エドワーズ(キーボード他:元SUNSHINE)、スキップ・アラン(ドラム)の6人。
そしてアルバム『HOT LICKS』が制作された。
今回はまた歌入りとインストゥルメンタル半々に戻ったが、全曲をメンバーが自分たちで書いている。
ところでこのアルバムには何処にもELECTRIC BANANAの名前がない。
どうやらバンドの名義自体がHOT LICKSだったようだ。
時代は73年…流石にもうELECTRIC BANANAでもないだろう、ということか。
ともあれポップなハード・ロックあり、スワンプ/パブ・ロック風ありと、同時期のPRETTY THINGSに近い多彩な楽曲が聴ける。
オリジナルLPの裏ジャケットには各楽曲の曲調が簡潔に書いてあって、「ああ、本当にTVや映画で使うためのカタログみたいなもんだったんだなあ」と納得。

その後THE PRETTY THINGSは7thアルバム『SILK TORPEDO』(1974年)、8th『SAVAGE EYE』(76年)を経て再び解散。
THE ELECTRIC BANANAは78年に通算5作目となる『THE RETURN OF THE ELECTRIC BANANA』を制作しているが、この時のバンドはPRETTY THINGSの変名ではなく、その正体はPRETTY THINGS解散後にフィル・メイが結成したPHIL MAY & THE FALLEN ANGELSだった。
当時のメンバーはフィル・メイ(ヴォーカル)、ミッキー・フィン(ギター:元STEVE MARRIOTT'S ALL STARS)、ビル・ラヴレディ(ギター)、ウォリー・ウォラー(ベース、ヴォーカル、ギター)、チコ・グリーンウッド(ドラム:元MOONRIDER)、ブライアン・ジョンソン(キーボード)の6人。
今回も歌入りとインストゥルメンタル半々で、全曲をウォリーとエレクトラ・ステュアート(フィルの妻)が共作し、THE FALLEN ANGELSと同じような方向性のポップなロックを演っている。
「James Marshall」はもちろんジミ・ヘンドリックス(ジェイムズ・マーシャル・ヘンドリックス)に捧げられた曲。

『THE RETURN OF THE ELECTRIC BANANA』が制作された1978年にはまたしてもTHE PRETTY THINGSが復活。
以後のバンドはTHE ELECTRIC BANANAとして活動することはなかったが、ウォリー・ウォラーは自身のバンドを率いてデ・ウルフで2枚のアルバムを制作したという。
その後84年には『THE RETURN OF THE ELECTRIC BANANA』収録の「Take Me Home」と「James Marshall」がZAC ZOLAR & ELECTRIC BANANA名義でシングルとしてリリースされたとのこと。
(ザック・ゾーラーって誰や)
そしてELECTRIC BANANAの楽曲は21世紀に入っても映画で使われているのだそうで。

そんなTHE ELECTRIC BANANAの音楽。
今回はCD3枚組のBOXセットで、ディスク1には『ELECTRIC BANANA』と『MORE ELECTRIC BANANA』が、ディスク2に『EVEN MORE ELECTRIC BANANA』と『HOT LICKS』が、そしてディスク3には『THE RETURN OF THE ELECTRIC BANANA』と、収録時間の関係でディスク2から漏れた『EVEN MORE ELECTRIC BANANA』の1曲が収録されている。
(ちょっと苦しい構成)
ELECTRIC BANANAの音楽が使用された映画のスチール写真をふんだんにあしらったブックレット付き。
ただ、本文中の随所に様々なバンド名やアルバム名や曲名などを混ぜ込んだライナーノーツはえらく装飾的というか詩的(?)な文体で、ぶっちゃけかなり読みづらい。
(‟the soft white underbelly of 1960s British pop…”とか言われても、BLUE OYSTER CULTの前身バンドであるSOFT WHITE UNDERBELLYのことを知らなければ「は?」ってなもんだろう)

正直言ってマニア向けな箱。
しかし、長い歴史の中でメンバーも音楽性も変化させてきたTHE PRETTY THINGSの全貌を知るうえで、ファンには興味深いセット。
『EVEN MORE ELECTRIC BANANA』の全曲が聴けるというだけでも、PRETTY THINGSマニア以外にも聴く価値があると思う。


(2025.12.8.全面改訂)

CRAIG SMITH/MAITREYA KALI/APACHE/INCA

CRAIG SMITH MAITREYA KALI.jpg1月のリリース。
先月入手。
当時店舗にも入荷せず通販もされず、数百枚プレスされてLAの路上で手売りされた(!)というアメリカン・サイケ激レア中の激レア盤。
20年ぐらい前にもCD化されていたが、今回初めてのオフィシャルな再発とのこと。
(クレイグ・スミス/マイトレーヤ・カリの兄であるゲイリー・スミスがエクスキューティヴ・プロデューサーとしてクレジットされている)
昨年2枚組LPでリリースされていたのに続くCD化。
元々1972年にバラでリリースされた後に2枚組として再販売されていたモノで、今回のCDはLP2枚分の内容を1枚のCDに収めている。

オリジナル・リリースではマイトレーヤ・カリ名義だったのが、今回のCD化では本名であるクレイグ・スミスの名前も併記。
そのクレイグ・ヴィンセント・スミスは、1945年にLAで生まれている。
高校時代、同じ学校にはミッキー・ドレンツやジム・ゴードンが通っていたという。
勉強もスポーツも出来て笑顔を絶やさない優等生で、学級委員長も務めていたクレイグは、高校を卒業する際に奨学金を得て進学するというオファーも受けていたが、在学中からギターを手にしてフォークを歌っていた彼は音楽の道に進むのだった。
(それが間違いの元だったのか…)

クレイグ・スミスはGOOD TIME SINGERSという10人組のフォーク・グループに参加し、グループはNEW CHRISTY MINSTRELSの後釜として1963年9月からNBC TVの「Andy Williams Show」に2年間レギュラー出演。
GOOD TIME SINGERSは番組でジュディ・ガーランドやロイ・ロジャースやペギー・リーと共演し、キャピトル・レコーズから2枚のアルバムをリリースしている。
クレイグは歌とギターだけでなく作曲でも才能を発揮し、彼が書いた「Christmas Holiday」はアンディ・ウィリアムズのレパートリーとなる。
その印税収入でクレイグはポルシェを買ったという(!)。

1965年秋、クレイグ・スミスはクリス・デューシー、スザンナ・ジョーダンと共に「The Happeners」というTV番組に起用される。
グリニッチ・ヴィレッジで活動するフォーク・ロック・トリオが主人公のミュージカル・コメディだったという。
この頃クレイグはTHE MONKEESのオーディションも受けている。
(最終選考に残ったそうだが、結局採用されたのは彼ではなくピーター・トークだった)

「The Happeners」の仕事が軌道に乗らなかったことから、クレイグ・スミスはTV業界を離れて1966年にクリス・デューシーとフォーク・デュオCHRIS & CRAIGを結成し、キャピトルからシングルをリリース。
二人はその後マイケル・ネスミス(THE MONKEES)をプロデュースに迎え、ドン・グラット(ベース)、ボビー・ドナホ(ドラム)のリズム・セクションを加えてTHE PENNY ARKADEを結成。
この頃にクレイグが書いた「Salesman」はMONKEESに、「Holy」はアンディ・ウィリアムズとLETTERMENに取り上げられている。

1967年秋にアルバムのレコーディングを行なったTHE PENNY ARKADEだったが、マイク・ネスミスの売り込みにもかかわらずレコード契約は取れず。
68年になるとクレイグ・スミスはLSDをやるようになり、瞑想を始める。
ドラッグと瞑想を通じて神とコミュニケートするというヴィジョンに急速に傾倒したクレイグはエンタメ業界に対する興味を失い、THE MONKEESやアンディ・ウィリアムズへの楽曲提供で受け取った多額の印税を手に放浪の旅に出てしまうのだった。

ギター1本担いで1968年5月にイギリスへと発ったクレイグ・スミスは68年10月にイスタンブールにたどり着き、その後インドまで旅することになる。
その間毎日LSDと大麻をキメていたクレイグは、今や完全にヒッピーとなっていた。
しかしアフガニスタンのカンダハルで地元の男たちに襲われた彼は、パスポートもギターも失ってしまうのだった。

1969年初頭にクレイグ・スミスがLAに戻ってきた時、彼の顔からはかつての笑顔や快活さが消え失せ、すっかり暗い性格になっていたという。
アフガニスタンでは男たちにレイプされたとかで、いわゆるホモフォビアにもなっていたらしい。
それでもクレイグは曲作りだけは続けていた。
この頃にはグレン・キャンベルがTHE PENNY ARKADEの「Country Girl」を取り上げたりして、ソングライティングはクレイグの重要な収入源だった。

同じ頃、クレイグ・スミスは大学を卒業してたまにモデルの仕事をやったりしていたシェリル・ニッケルベインと恋仲になる。
東洋思想や瞑想への興味が高じてクレイグと付き合い出した美しいシェリル。
彼女のことをソウルメイト、ミューズと持ち上げていたクレイグだったが、一方で精神状態は悪化するばかりで(多分LSDの影響だろう)、結局シェリルはクレイグの元を去ってしまう。
当時のクレイグは短気で暴力的なところがあり、父親を殴って精神病院に入れられたりもしていたという。

1970年、クレイグ・スミスは中米~南米を旅する。
ペルーでインカ帝国の遺跡を見たクレイグは、自分がインカ皇帝アタワルパの生まれ変わりであると信じるようになるのだった(…)。
その後クレイグはカリフォルニアのヨセミテ国立公園で過ごし、それらの体験がのちのアルバム『APACHE』『INCA』のテーマとなる。

一方でクレイグ・スミスの性格はますます暗く気難しいモノとなり、家族や友人たちからも避けられるようになるのだった。
1971年3月29日、それ以前から既にマイトレーヤ・カリと名乗るようになっていたクレイグは、姓名を法的にもマイトレーヤ・カリと改名する手続きを行なう。
役場に現れたクレイグ改めマイトレーヤは、頭を剃り上げていた。
そしてその日は、同様に頭を剃り上げたスーザン・アトキンスらシャロン・テート殺害事件の実行犯3人が死刑判決を受けた日だったという(…)。
直後、マイトレーヤは額に黒い蜘蛛のタトゥーを入れている。
それはチャールズ・マンソンが額に刻んだカギ十字のタトゥーを思わせるモノだった。
(マイトレーヤ本人は古代のアステカ族にインスパイアされたと語っているが)


そして1972年初頭、マイトレーヤ・カリはアルバム『APACHE』を完成させる。
(はい、ここまで長い長い前置きでした)
それが今回リリースされたCDの前半に当たる。
サブタイトルには‟Sound Track from Yosemite”‟Dedicated to Jimi Hendrix”とある。
アルバムはマイク・ネスミスのプロデュースで67年に録音されながらお蔵入りになっていたTHE PANNY ARKADEの音源と、マイトレーヤ/クレイグ・スミスが67~72年までの間に録音していたマテリアル(ほとんどがギター弾き語りのデモ音源)が混ぜ合わされたモノで、クレイグがTHE MONKEESに提供した「Salesman」のクレイグ自身によるヴァージョンも収録されている。
(「Salesman」のバッキング・ヴォーカルはマイク・ラヴとのこと)
ここまで書いてきた「あちゃあ…」なエピソードからは信じられないほど、内容は良い。
PENNY ARKADEの3曲はクレイグとクリス・デューシーの声とギターが絡み合うフォーキーなサイケデリック・ロック。
「Voodoo Spell」は、60年代にクレイグたちと付き合いがあったフランク・ザッパのお気に入りだったとか。
弾き語りも、ソフトな声と美しいメロディが際立つ一級品のアシッド・フォークだ。
「I'm Walkin' Solo」はGOOD TIME SINGERS時代の65年に書かれた曲で、「Love Is Our Existence」はCHRIS & CRAIG時代のレパートリーの改作だという。
それらがほとんど曲間なしで続くのだが、作曲や録音の時期がバラバラなのにえらく統一感がある。

しかし、マイトレーヤ・カリ自身によると思われるスリーヴノーツはかなりひどい。
自分こそが救世主であるみたいなことが延々と書いてある代物。
本名のクレイグ・スミスがヒトラー(!)、ガンジー、ケネディらと並べられている。
そして‟I Love Cheryl Knicekelbein”とも。
マイトレーヤは3年前に別れたシェリルとの復縁を信じて疑わなかったらしい。
(ちょっとぞっとするね…)


『INCA』は1972年夏に完成している。
音源は『APACHE』同様、THE PENNY ARKADE時代の録音とマイトレーヤ・カリのソロの混合。
PENNY ARKADEが67年の時点で12分の長尺ナンバー「Knot The Freize」(元々の曲名は「Not The Freeze」)をモノにしていたことに驚かされる。
グレン・キャンベルが取り上げた「Country Girl」のPENNY ARKADEヴァージョンも収録。
カッコいいカントリー・ロックに仕上がっている。
「Jesus Owns」は65年頃に書かれた曲の改作とのこと。
一方でシェリル・ニッケルベインと付き合っていた頃の録音と思われる「Sam Pan Boat」、そしてそのまんまの「Cheryl」という曲も。
(女性の声が聴こえるのはシェリルだろう)
アルバムの最後に収録されている「King」もシェリルに向けて書かれた曲らしい。
‟さあ、もし私が王なら、君は永遠に私の女王とわかるだろう…”と歌い始めるや、8秒でブツッと途切れて、アルバムはそのまま終わる。

スリーヴノーツとクレジットはやっぱりひどい。
クリス・デューシーは‟クリストファー・コロンブスの生まれ変わり”とクレジットされていて、「Knot The Freize」はクレイグ・スミスとクリスが1965年7月に書いたロック・オペラ、とある。
(その時点でクレイグとクリスはまだ出会っていなかったはず…)
そして‟I Love My Wife”と。
(やっぱりぞっとするね…)

その後『APACHE』と『INCA』は2枚組LPとして再度プレスされる。
先述したとおり、出来上がったレコードはすべて手売りで販売されたという。
THE PENNY ARKADE時代のパーティー仲間だったフランク・ザッパ、ニール・ヤング、マイク・ラヴ、ガボール・ザボらにも送られたらしい。
(そしてブライアン・ウィルソンにも)


1973年、マイトレーヤ・カリ/クレイグ・スミスは母親を殴りつけ、家中の家具や窓ガラスを壊して血まみれで外に飛び出す。
4日後に逮捕されたクレイグはカリフォルニア州立刑務所で半年間服役することに。
CDのブックレットには収監時の彼の写真が載っているが、額に蜘蛛のタトゥーを入れて薄笑いを浮かべるその表情は、何かが決定的に壊れてしまった人間のそれとしか言いようがない。

刑務所の後は施設に入れられたクレイグ・スミスは3年後に出てくるが、精神が元に戻ることはなかったらしい。
その後のクレイグはLAでホームレスとして暮らしていたという。
他の家族が彼を見放した一方で、兄であるゲイリー・スミスだけは援助を続けた。
結局クレイグは2012年3月16日、ノース・ハリウッド・パークで寝袋にくるまったまま気管支肺炎で死亡する。
66歳だった。
70年代後半以降、30年以上ホームレスだったことになる。
寝袋の中からは彼の作曲ノートが見つかったという。


…という長い物語は32ページのブックレットに掲載されたマイク・スタックスによるとんでもなく詳細なライナーノーツ(マイクが2016年に出したクレイグ・スミス/マイトレーヤ・カリの評伝からの抜粋とのこと)から、ほとんど訴えられそうな勢いで抄訳してみました。
(あとネットからも)
ともあれこの数奇な運命をたどった男の音楽、その内容は実に素晴らしい。
LPに10000ドルの値が付いたというのはただ単に激レアだったからではなく、内容が伴っていたからこそだろう。
それがフツーにCDで聴けるありがたさ。
かなりお勧めの1枚。


(2025.12.3.改訂)

V.A./都市通信

都市通信.jpg1月29日にリリースされていたが、入手が遅くなった。
実際、あちこちで品切れ・再入荷待ちの状態となっている話題作。

東京のポスト・パンク/ニュー・ウェイヴにおける幻のアルバムとして語られてきたオムニバスが、オリジナル・リリースからなんと40年を経て奇跡の再発。
1980年にオリジナルがリリースされた直後に企画者が失踪し、通信販売を申し込んでいた人たちの大半は代金を支払ったきり現物を手にすることはなかったといういわくつきの1枚。
そんなブツであるからして再発はあり得ないこととされていたのが、まさかのCD化となった。
そのあたりの事情については現在、当時の企画者である森未来(野本耕作)氏自身がネット上で明らかにしているので、ここではコレ以上触れない。

収録されているのはSynchronize、美れい、NON BAND、螺旋の4組。
アルバムをリリースしていてCD化もされているNON BAND以外は、初めて聴いた。
Synchronizeも螺旋もこのオムニバス以外には7inchやソノシートしか音源がなく、美れいは単独音源がなかったはず。
オムニバスに付随するブックレットでは“東京パンクシーン気骨の4バンド”とされているが、4バンドとも先に書いたとおりいわゆるポスト・パンク/ニュー・ウェイヴに分類されると思う。

Synchrionizeはシンセサイザーをフィーチュアした4人組で、意外なほどにポップなサウンドを聴かせる。
しかし歌詞は無機質というかダークな感じ。
曲によっては歌詞の乗せ方やヴォーカルのリズム感など、突然段ボールあたりに通じるモノを感じたり。

美れいはリズム・ボックスを用いた二人組。
シンプルにして冷たいマシーン・ビートに乗せて、突き放すように短い言葉を連続的に放つ。
やはりというかSUICIDEっぽいところもアリ。
このバンドはアルバム中最多の5曲を収録。
(LPのA面にSynchronizeと併せて8曲も収録されていた)

NON BANDは「Vibration Army」「Home」の2曲。
このバンドについては多くの説明は不要だろう。
アルバム『NON BAND』(1982年)のCD化に際してボーナス収録された曲でもある「Vibration Army」のプリミティヴでセクシャルな表現は、何度聴いてもぞくぞくさせられる。

螺旋はSynchronize同様にシンセサイザーを前面に出しているが、曲によってはオーソドックスなロックと言える演奏も聴かせる。
メンバー全員が曲を書いていたようで、収録された4曲はすべて作詞・作曲のクレジットが違い、それぞれに違ったテイスト。
突然テンポアップして疾走&シャウトしたかと思えばまたミドルに戻ったり、シンフォニックなキーボードが入ったりする「地獄に堕ちた勇者共」が特に面白い。

当時のブックレットが復刻されている他、ブックレットにはMr.エレクト(エレクトレコード)、タイロウ(原爆オナニーズ)、小西昌幸(「ハードスタッフ」)、野々村文宏(美術評論家・メディア論研究者:なんとこのオムニバスの録音に関わっていたとのこと)という濃い4氏によるライナーノーツが掲載されている。
スマホのアプリでも音楽が作れてしまう今と違い、リハーサルも録音も音源の制作も流通も何もかもが制約の中での手探りだった時代(俺が札幌のU.K.EDISONに通い始めた80年代半ばの時点でも、エサ箱の仕切りには”インディーズ”とかではなく“自主制作盤”とあった)、音源を出すのに多分今とは比べ物にならないほどの苦労と熱量が必要とされた時代の記録が、真空パックされて21世紀に蘇ったかのごとし。
当時の状況を知る4氏のライナーからも、時代の空気が伝わってくるようだ。

2020年の再発盤ベストの有力候補が早くも出た。


(2025.11.28.改訂)

MIKE WILHELM/ROCKS & GRAVEL

MIKE WILHELM.jpg昨年10月のリリース。
今月に入って入手。
かつてTHE CHARLATANSやFLAMIN' GROOVIESで活躍し、惜しくも昨年5月に亡くなったマイク・ウィルヘルムが、2000年3月(またえらく前だな)にテキサス州オースティンで行なっていたセッションの音源が、何故か今頃になって世に出た。

マイク・ウィルヘルムはヴォーカルとアコースティック・ギター(12弦&6弦)、そしてリゾネイターを担当。
バックを固める地元オースティンのミュージシャンたちの顔ぶれが、なかなか地味に凄い。
まずドラムが、かつてロッキー・エリクソンのバックも務めたTHE EXPLOSIVESのフレディ・ステディ・カーク。
彼はリリース元であるステディ・ボーイ・レコーズのオーナーでもあり、このアルバムのプロデュースも手掛けている。
で、ベースも元EXPLOSIVESのソニー・コリー。
つまりリズム・セクションが二人とも元EXPLOSIVES。
更にエンジニアのジム・インモンもEXPLOSIVESの録音を担当していた人物。
そしてギターはなんと、元THE NUNS~RANK & FILEのアレハンドロ・エスコヴェード。
ピアノのライリー・オズボーンはマーク・ベノやウィリー・ネルソンやキャンディ・ケインの録音に参加した人で、現在はTHE KENNY WAYNE SHEPHARD BANDのメンバー。
フィドルのチャンプ・フッドはジェロ・ビアフラとモジョ・ニクソンの連名作他に参加していた人。
ブルーズ・ハープのゲイリー・プリミッチはジミー・カール・ブラックやティシュ・イノホーサと活動。
1曲でバッキング・ヴォーカルを担当しているマリアン・プライスは元DAN HICKS & HIS HOT LICKS~ASLEEP AT THE WHEELのメンバーで、THE KINKSやマリア・マルダー、そしてORANGE COUNTY BROTHERSのレコーディングにも参加している。
フレディと共にプロデュースを担当したランディ・ポーはライノ・レコーズ他でルーツ・ミュージック系の編集盤を制作していた人。

…といった顔ぶれで、イイ感じにリラックスしたルーツ・ミュージック三昧。
全14曲の大半がロバート・ジョンソン、マ・レイニー、ビッグ・ビル・ブルーンジーといったカヴァー曲。
ロバート・ジョンソンとマンス・リップスカムは2曲ずつ取り上げられている。
その合間にマイク・ウィルヘルムのオリジナル曲が4曲挿まれる。
オリジナル曲のうち3曲はインストゥルメンタルで、マイクの達者なギターの腕前を堪能出来る。
で、かつての盟友ダン・ヒックスの曲が1曲含まれているのが泣かせる。
(ダンもこの時点ではまだ現役だった)

このセッションの時点でマイク・ウィルヘルムは58歳。
まだまだ若かったと言える一方、90年代半ばの来日時よりもイイ意味で枯れ、ややアクが薄まった感じのヴォーカルがまたよい。
バック陣の演奏も絶妙。
ロバート・ジョンソンとマンス・リップスカムの曲が多め…というとフォーク・ブルーズ寄りの演奏を想像しそうなモノだが、フィドルが参加していることでわかるとおり、カントリーやブルーグラスっぽいアレンジも聴かれ。
マイクが参加していた初期THE CHARLATANSから、基本的な志向は一貫。
(むしろ彼のキャリアの中ではFLAMIN' GROOVIESが特異だったと言える)

派手さはないが滋味に溢れた1枚。
ナイス。


(2025.11.21.改訂)

DEEP PURPLE/LIVE IN NEWCASTLE 2001

DEEP PURPLE LIVE IN NEWCASTLE 2001.jpg昨年11月のリリース。
何故今頃になってこんなのが出てきたのかは知らないが、DEEP PURPLEが2001年3月14日にオーストラリアのニューキャッスル(イギリスじゃなくてね)、NEW CASTLE ENTERTAINMENT CENTREで行なったライヴを収録したCD2枚組。

当時のメンバーはイアン・ギラン(ヴォーカル)、スティーヴ・モーズ(ギター)、ジョン・ロード(キーボード)、ロジャー・グローヴァー(ベース)、イアン・ペイス(ドラム)の5人。
以前にも書いたが、俺はライヴ盤『NOBODY'S PERFECT』(1989年)あたりでDEEP PURPLEに対する興味を失い、90年代前半にイアン・ギランが出戻ったあたりからはほぼ聴いてない。
リッチー・ブラックモアがいない編成ならなおのこと…だったんだけど、往年の楽曲たんまりのライヴ盤ということもあって、コレがなかなか楽しめたのでありました。

いきなり「Woman From Tokyo」という意表を突いた選曲でスタート。
80年代の再編時でさえ声出なくなったと思っていたイアン・ギランなのに、いやいや、再編から20年近く経った2001年の時点で声よく出てますやん。
当然ながら、少し前に紹介した2016年のドン・エイリーのバンドとのライヴ盤の比ではない。
(実のところ16年の時点でも予想外に声が出るのにびっくりしたワケだが)
ピアノとオルガンを行き来するジョン・ロードのプレイも冴えている。
もちろん(?)イアン・ペイスはいつでも絶好調。

スティーヴ・モーズのギターもナイス。
リッチー・ブラックモアが弾いていた70年代の有名曲のリフや「Highway Star」みたいにイメージが固定しているソロはしっかり再現しつつ、そうでもないところでは随所で自分らしいフレーズを入れてくる。
大半が往年の名曲で、スティーヴ参加後の楽曲は少ないながら、『PURPENDICULAR』からの「Sometimes I Feel Like Screaming」での泣きのテーマ・リフなんかはリッチーとはまるっきり違ったセンスだし、「Lazy」や「Fools」なんかで聴かせるソロも独自性とテクニックが光る。

アレンジ面では「Perfect Strangers」など何曲かでホーンズをフィーチュアしているのもユニーク。
その「Perfect Strangers」では、イントロでジョン・ロードが長いソロを聴かせ。
本編ラストの「Smoke On The Water」イントロではスティーヴ・モーズがTHE ANIMALS「The House Of The Rising Sun」を弾いたと思ったら、イアン・ペイス、更にロジャー・グローヴァーも加わってLED ZEPPELIN「Whole Lotta Love」やAC/DC「Back In Black」やジミ・ヘンドリックス「Foxy Lady」やFREE「Alright Now」やTHE ROLLING STONES「Brown Sugar」のイントロを弾きまくる。
DEEP PURPLEがさわりだけでもLED ZEPPELINやAC/DCの曲を演奏するとは、リッチー・ブラックモア在籍時だったら考えられないようなサービス。

イアン・ギランは歌唱だけでなくMCも快調で、オーストラリアでのライヴなのに英語以外のいろんな言葉でお礼を言ってみたり(日本語まで…)。
アンコールの「Speed King」を“Small Italian Ballard”と紹介してみたり。
そして「Speed King」ではベース・ソロとドラム・ソロを挿入した後にオーストラリアで活動するスコットランド人シンガー、ジミー・バーンズ(懐かしい)を迎えて、途中でTHE EASYBEATS「Good Times」に転じたり。
(ジミーはINXSとこの曲をカヴァーしていた)

「Hush」を挿んでラストの「Highway Star」では再びジミー・バーンズ、そしてこれまたオーストラリアのミュージシャン、イアン・モスが登場して大騒ぎ。
イアン・ギランとジミーはギター・ソロの最中も、あの4連符さえ口で歌いまくったり絶叫したりで、ギターが聴こえん(苦笑)。
ともあれ楽しい大団円。


コレが19年前。
ジョン・ロードも既にこの世の人ではなく。
しかしバンドは今も活動している。
最年長のイアン・ギランが今年で75歳。
ところがDEEP PURPLEの活動がオフの時は課外活動をやっていたりするのだから、まだまだ当分頑張るのだろう。


追記:
その後スティーヴ・モーズが脱退したが、DEEP PURPLEは今も活動している…。

(2025.11.19.)

THE PRIME MOVERS BLUES BAND/THE PRIME MOVERS BLUES BAND

PRIME MOVERS BLUES BAND.jpgイギー・ポップがまだジェイムズ・オスターバーグだった頃、THE IGUANASとTHE PSYCHEDELIC STOOGESの間に在籍していた、ミシガン州アナーバーの白人ブルーズ・バンド。
これまでにもイギーがヴォーカルも兼任する「I'm A Man」がオムニバスに収録されたりしていたが、なんと全10曲1時間以上の音源集の登場。

ただし、いきなり疑問を呈しておくと、ジャケットには6人のメンバーの名前が掲載されていて。
マイケル・アールワイン(ヴォーカル、ハープ)、ダニエル・アールワイン(ギター)、ジャック・ドウソン(ベース)、ロバート・シェフ(キーボード)、J.C.クロフォード(ドラム)、イギー・ポップ(ジェイムズ・オスターバーグ:ドラム)。
ドラマーが二人。
で、アルバムにはどっちのドラマーがどの曲で叩いているのかのクレジットがない。
(録音日時などのデータもない)
つまり、どの曲でイギーが叩いているのかがわからないのである。
「I'm A Man」でイギーが叩きながら歌っているのは間違いないとして、下手すると他の曲は全部J.C.が叩いてるとかいう可能性もないワケではない(?)のだ。
その点ちょっと怪しい。

もっともイギー・ポップの参加曲云々を抜きにしても、60年代半ばのミシガンで活動していたシカゴ・スタイルの白人エレクトリック・ブルーズ・バンドの未発表音源集としてなかなか楽しめる内容。
特にダニエル・アールワインの鋭いギターとロバート・シェフの達者なキーボードは聴きモノ。
全てライヴ録音で、音質はかなり良好。
オリジナルは1曲だけで、他はすべてメンフィス・スリムやジミー・ロジャーズ、エルモア・ジェイムズ、B.B.キングなどのカヴァー曲となっている。
10曲で約64分…エルモアの「Yonder's Wall」が10分以上あって、他の曲もインストゥルメンタル・パートを重視した長めの演奏。
わりとコテコテのブルーズ・ナンバーの中で、イギーが歌う3分に満たない「I'm A Man」(もちろんボ・ディドリーのカヴァー)はちょっと例外的な感じ。
イギーのヴォーカルはこの時点でやっぱりイギーだ。

バンドは1965年の夏に、マイケルとダニエルのアールワイン兄弟によって結成されている。
(マイケルによれば、活動期間中に37人ぐらいのメンバー交代があったという。ジャケットなどの写真を見ると、なるほど5人だったり4人だったり、ギター2本の6人だったり)
イギー・ポップは67年初頭にバンドを抜け、その後任がJ.C.クロフォード。
その後バンドは解体して70年頃には兄弟デュオ・THE ERLEWINE BROTHERSとなり、71年頃にはマイケルが一人でピアノの弾き語りをするようになって、結局音楽活動から離れた様子。

このTHE PRIME MOVERS BLUES BAND、イギー・ポップを輩出したバンド、というだけでは済まない。
リーダーのマイケル・アールワインはなんと“AllMusic”の設立者。
ダニエル・アールワインはギター修理工として“Dan Erlewine's Guitar Shop”を成功させ。
ジャック・ドウソンはシカゴに移って、かの地でTHE SIEGEL-SCHWALL BAND(元THE PAUL BUTTERFIELD BLUES BANDのドラマー、サム・レイが在籍)で活動し、現在も音楽を続けているという。
ロバート・シェフは70年代前半にIGGY AND THE STOOGES(スコット・サーストン参加前)を手伝い、その後“ブルー”ジーン・ティラニーと名乗って現代音楽の作曲家として成功。
J.C.クロフォードはバンド脱退後は音楽をやめて活動家となり、MC5の1stアルバム『KICK OUT THE JAMS』冒頭で聴けるあの有名なアジMCでロック史に残る存在となった。

国内盤はマイケル・アールワイン自身によるライナーノーツ(この人多分カート・ヴォネガットが好きなんじゃないだろうか)の対訳が付いている。
12月20日から発売中。


追記:
このアルバムを国内配給したMSIがこのあと3年と経たずになくなってしまうとは、この時点では想像もしなかったな。

(2025.11.19.)

BRATS/1980

BRATS.jpg5月のリリースで、先日やっと購入。
長らく廃盤状態で入手困難だったBRATS唯一のアルバム(タイトル通り1980年作)が嬉しい再発。
CD化は実に20年ぶり。
スリップ・ケース入り、ポスター付き、ベース兼ヴォーカルだったイェンスによるライナーノーツも。
残念ながらマスター・テープからではなくオリジナルLPからのCD化だが、音質的には問題なし。

当時のメンバーは“イェンス”ことイェンス・ハーステッド(リード・ヴォーカル、ベース、アコースティック・ギター)、“ハンク”ことレネ・クロルマーク(リード・ギター:もちろんのちのハンク・シャーマン)、“デナー”ことマイケル・デナー(リード・ギター、ヴォーカル)、“モンロー”ことラーズ・ニボ(ドラム、ピアノ)の4人。
1977年に結成されたオリジナルのBRATSが解散状態になった後、唯一残ったハンクがイェンスとモンローに声をかけて79年2月に新生BRATSとして復活、79年秋にデナーが加入して4人編成に。
バンドはデンマークCBSと契約を得て、80年2月と3月にこのアルバムを録音。

オリジナルのBRATSは純然たる(?)パンク・バンドだったが、新しい編成ではハード・ロック/ヘヴィ・メタル色を強め。
BRATSと言えばあのMERCYFUL FATEの前身バンドとして語られることも多いものの、この時点では大半の曲をイェンスが書いていて、音楽性はMERCYFUL FATEどころかキム・ベンディクス・ペーターゼン(ヴォーカル:のちのキング・ダイアモンド)加入後の末期BRATSともかなり違う。
イェンス(バンド脱退後GEISHA他を経て、現在も音楽活動を続けているはず)は、RAMONESやTHE STOOGESやKISSやUFOといった幅広い音楽的影響を自分の楽曲に取り入れていたという。
(デナーはこの頃は1曲も書いていない)
結果としてこのアルバムに収められた音楽は、まさにメタルパンク/パンクメタルの元祖とでも言うべきモノになっている。
1分半でぶっ飛ばす「Punk Fashion」なんて曲がある一方で、6分半を超える「Heavy Rocker」などという曲もアリ。
レザーに身を固めたメンバーの写真を見ても、メタルともパンクとも判然としない。
(NWOBHMの影響もかなりあったのではないかと)

のちのMERCYFUL FATEと音楽性は違うとはいえ、字余り気味な速弾きを聴かせるハンクとメロディアスなデナー、という両ギタリストの対比はこの時点でもけっこう感じることが出来る。
(MERCYFUL FATEのアルバムのように、どの曲でどちらがソロを弾いているかというクレジットはないものの)
その後デナーが脱退、キング・ダイアモンドとカーステン・ファン・ダー・フォルシング(ギター)を迎えたBRATSは5人編成でよりメタリックかつドラマティックな音に転じるが、デンマークCBSはバンドにコマーシャルな方向性を求め。
(いらんことを…)
CBSとの契約を失うと共にイェンスとカーステンが脱退、デナーが戻ってティミ・G・ハンセン(ベース)が加入したバンドはMERCYFUL FATEへと生まれ変わることになる。

ともあれこのブログ読んでるような奇特な(?)皆様には多分ぴったりのアルバム。
今年の再発盤ベストの候補入り決定。
持ってない人は売り切れないうちに入手をお勧め。


(2025.10.29.全面改訂)

DAVID GILMOUR+SYD BARRETTの10作

DAVID GILMOUR.jpgデイヴィッド・ギルモアのソロ・アルバム6作、シド・バレットのソロ・アルバム2作とレア音源集、そしてPINK FLOYDとシドのソロをまたいだベスト盤…の計10作が、紙ジャケ+Blu-spec CD2で一挙再発。







DAVID GILMOUR『DAVID GILMOUR』(画像)

1978年、デイヴィッド・ギルモアの1stソロ・アルバム。
PINK FLOYDのアルバム『ANIMALS』に伴う大規模なツアーを終えた77年後半から制作に取り掛かったという。
PINK FLOYD以前にギルモアと活動していたリック・ウィリス(ベース:元COCHISE。のちにFOREIGNER)、ウィリー・ウィルソン(ドラム:元QUIVER~COCHISE)とのトリオを基本に、WYNDER K. FROGのミック・ウィーヴァー(キーボード)も参加。
この時点で巨大な存在となったPINK FLOYDからいったん離れてソロを制作するうえで、昔馴染みのリズム・セクションがプロとしてシーンに残っていたのは、ギルモアにとって幸運だったはず。
基本的にはPINK FLOYDでのギルモア楽曲と同傾向ながら、ずっとシンプルでブルージーとも言える演奏が聴ける。


DAVID GILMOUR『ABOUT FACE』

1984年、デイヴィッド・ギルモアの2ndソロ・アルバム。
俺が洋楽初心者だった頃に大ヒットした「Blue Light」が収録されていて、個人的には一番馴染み深い。
プロデュースはボブ・エズリン。
前作と違って参加メンバーは超豪華で、ジェフ・ポーカロ(ドラム:TOTO)、スティーヴ・ウィンウッド(キーボード)、ピノ・パラディーノ(ベース)、ジョン・ロード(シンセサイザー:DEEP PURPLE)、アン・ダッドリー(シンセサイザー:THE ART OF NOISE)、エルトン・ジョンとの仕事で知られるレイ・クーパー(パーカッション)、ポール・ヤングと活動していたイアン・キュリー(キーボード)、そしてTHE WHOのピート・タウンゼンドが2曲で作詞している。
その後ソロでヒットを飛ばすサム・ブラウンがコーラスで参加しているのは、ジョン・ロードの引きがあったのかも知れない。
前作とはまるっきり違った、いかにも80年代的な華美なプロダクションとポップなメロディが聴ける1作。


DAVID GILMOUR『ON AN ISLAND』

2006年、前作から実に22年ぶりとなったデイヴィッド・ギルモアの3rdソロ・アルバム。
ギルモアとフィル・マンザネラ(元ROXY MUSIC)とクリス・トーマスの共同プロデュースとなっている。
ロジャー・ウォーターズが離れたあとにギルモアと共にPINK FLOYDを支え続けたリチャード・ライト(キーボード)が全面参加。
もちろんマンザネラも演奏に参加し、他にもデイヴィッド・クロスビー&グレアム・ナッシュ(ヴォーカル:CSN&Y)、ロバート・ワイアット(トランペット)、ジュールス・ホランド(キーボード:元THE SQUEEZE)、ジョージー・フェイム(キーボード)、ウィリー・ネルソン(ヴォーカル)、そしてロジャーに代わって80年代後半以降のPINK FLOYDのボトムを担当したガイ・プラット(ベース)、更にはPINK FLOYD最初期のメンバーだったボブ・クローズ(ギター)まで参加している。
音楽性はロジャー離脱後のPINK FLOYDを更にレイドバックさせたような、盤石のギルモア節。
全英1位、全米6位の大ヒット作となった。


DAVID GILMOUR『LIVE IN GDANSK』

2008年、デイヴィッド・ギルモアのソロとしては初のライヴ・アルバム。
『ON AN ISLAND』に伴うツアーの最終日、ポーランドのグダニスク造船所でのライヴをCD2枚に完全収録している。
楽曲はもちろん『ON AN ISLAND』収録曲と、PINK FLOYDの名曲群。
ギルモアを支えるバンドはガイ・プラット(ベース)とスティーヴ・ディスタニスラオ(ドラム)のリズム・セクションに、ガイ同様80年代後半以降のPINK FLOYDをサポートしてきたジョン・キャリン(キーボード)、そしてリチャード・ライト(キーボード)にフィル・マンザネラ(ギター、ヴォーカル)という鉄壁の布陣。
加えてオーケストラとの共演もあり。
『ON AN ISLAND』がまるっきり後期PINK FLOYD路線で、往年の名曲群と並べてもまったく違和感がないことがよくわかる。
一方でロジャー・ウォーターズ時代初期を代表する「Echoes」どころか、ギルモアが参加していなかったPINK FLOYDの1stアルバムから「Astronomy Domine」(イントロで大歓声)がほとんど完全再現のように演奏されるのには、ギルモアこそが(シド・バレットのスピリットを継承するバンドとしてのPINK FLOYDではなく)思想云々を抜きにした“PINK FLOYDの音楽そのもの”を継承しているのだという自負を感じずにいられない。
そこに賛否はあると思うが…。


DAVID GILMOUR『RATTLE THAT LOCK』

2016年、『ON AN ISLAND』から約10年ぶりとなったデイヴィッド・ギルモアの4thアルバム。
全英1位。
ギルモアとガイ・プラット(ベース)、スティーヴ・ディスタニスラオ(ドラム)のトリオを基本に、フィル・マンザネラ(キーボード、アコースティック・ギター)、ロジャー・イーノ(ピアノ)、デイヴィッド・クロスビー(ヴォーカル)、グレアム・ナッシュ(ヴォーカル)、アンディ・ニューマーク(ドラム)、ロバート・ワイアット(コルネット)、ジュールス・ホランド(ピアノ)といった豪華メンツを迎えて制作。
80年代後半以降のPINK FLOYDに聴ける重厚さを維持しつつ、『ABOUT FACE』のポップさ、キャッチーさにやや揺り戻した感のある作風。


DAVID GILMOUR『LIVE AT POMPEII』

2017年リリース。
PINK FLOYDでのレコーディング以来実に45年ぶり(!)に、16年7月、ポンペイの“円形闘技場”に登場したデイヴィッド・ギルモア。
その円形闘技場に2600人以上の観客を入れて録音されたライヴ・アルバム、CD2枚組。
これまたギルモアとガイ・プラット(ベース)、スティーヴ・ディスタニスラオ(ドラム)を中心に、ブライアン・フェリーやマドンナやシールと活動したセッションマン、チェスター・ケイメン(ギター、ヴォーカル)、THE ROLLING STONESとの活動でも有名なチャック・リーヴェル(キーボード:元THE ALLMAN BROTHERS BAND~SEA LEVEL)、かつてミニー・リパートンやマイケル・ジャクソンと活動し、あの「We Are The World」でキーボードを担当したグレッグ・フィリンゲインズ(キーボード)らを加えたバンドで、『ON AN ISLAND』『RATTLE THAT LOCK』、そしてPINK FLOYDの名曲群を演奏する。
「Wish You Were Here」での観客の大合唱は鳥肌モノ。
しかし『LIVE IN GDANSK』同様に、ロジャー・ウォーターズ色の強いレパートリーが完全に排除されているのには「やっぱりなあ…」と思ったりも。
その点このアルバムで「One Of These Days」のベースを弾いたガイ・プラットは大変だったろうな。
チェスター・ケイメンのヴォーカルが意外と重要な役割を担っている一方で、「The Great Gig In The Sky」でのスキャットがヴォーカリスト3人がかりというのは、ちょっとトゥーマッチな感も(苦笑)。


SYD BARRETT『THE MADCAP LAUGHS』

PINK FLOYDを脱退したシド・バレットが1970年にリリースした1stソロ・アルバム。
全英40位。
当時のSOFT MACHINEのメンバーとHUMBLE PIEのジェリー・シャーリー(ドラム)、元JOKERS WILDのウィリー・ウィルソン(ドラム)、そしてデイヴィッド・ギルモアとロジャー・ウォーターズが参加。
コレについては今更あれこれ言うことがあんまりない。
バンド編成の曲以上に、音数が少ないほどシドの狂気と天才がむき出しになる気がする。
シドの死後に遺族が語ったところでは、シドはいわゆる発達障害だったという。
世間一般に言うドラッグに伴う“狂気”というよりも、元々まったく違った感覚を持って生まれて来た男がありのままに歌ったのがコレだった、ということなのか。
もっとも、LSD他を介した感覚の異化がどれほど作用していたのかに関しては、今では真実はわからない。
ともあれ音数が圧倒的に少ないのに絢爛たるサイケデリック。
コレはいわゆるアシッド・フォークなどではない。
「わかる奴にはわかる」などとは絶対言いたくないのだが、一方でPINK FLOYDの1stアルバムやシドのソロを「退屈」と断じる人間がいまだにいるということは、多分「わからない奴にはわからない」世界なのだろう。


SYD BARRETT『BARRETT』

1970年、前作から1年足らずでリリースされたシド・バレットの2ndアルバム。
そこから推測する限り、当時のシドには相当の創作意欲があったはずなのだが、結局彼にとって最後のオリジナル・アルバムになってしまった。
「誰もシドをプロデュース出来ない」と言い残してロジャー・ウォーターズが制作から離れ(ロジャーはいつでも思わせぶり)、デイヴィッド・ギルモアとリチャード・ライトが前作同様ジェリー・シャーリーやウィリー・ウィルソンらとバックを務めている。
基本的には前作の方向性を受け継いでいるものの、リチャードの全面参加で音楽的にはややソフィスティケイトされた感もアリ。
前作に較べると聴きやすい一方で、切っ先はやや鈍いかも。
シドはこの後故郷ケンブリッジでトゥインク(ドラム:元PINK FAIRIES)とTHE STARSを結成したりするものの、結局リリースのないままシーンから消える。
(STARSの録音はトゥインクが持っているとも噂される。しかし今後世に出る可能性は限りなく低い)


SYD BARRETT『OPEL』

『BARRETT』から実に18年後(!)、1988年にいきなりリリースされたレア音源集。
コレがリリースされた時は大騒ぎだったのを覚えている。
ほとんどがギター弾き語りによるデモ音源だが、一方でSOFT MACHINEとの「Clowns And Jugglers」(「Octopus」の原曲)もあったり。
オリジナル・アルバム2作以上に重要な作品だとは思わないものの、天才で奇才で異才なシドの音楽の、“原型”に近い部分が垣間見られる1枚として非常に興味深い。


SYD BARRETT & PINK FLOYD『AN INTRODUCTION TO SYD BARRETT』

2006年にシド・バレットが60歳の若さで亡くなった後、10年に初期PINK FLOYDとシドのソロ活動をまたぐ形でリリースされたベスト盤。
今回初の紙ジャケ化となる。
オリジナル・アルバムを全部持っていれば無用の作品…かと思いきや、曲によりデイヴィッド・ギルモアがベースを重ねたり大胆にリミックスしていたりするので、賛否は別として無視を決め込むことも出来ない。
(特にPINK FLOYDの「Matilda Mother」はオリジナルとかなり違う感じに仕上がっている)
個人的にはPINK FLOYDの曲を外してシドのBBC音源を入れてくれた方がよかった…と思っているのだが、多分権利関係で無理だったのだろう。
これからシドを初めて聴くような人には、入門編としては最適かも知れない。


以上10枚、21日リリース。


(2025.9.22.改訂)

BILLY BREMNER/SINGLED OUT

画像昨年10月のリリース。
先月入手。
元ROCKPILEのギタリスト、ビリー・ブレムナーのシングルと、デモなどの未発表音源を集めた21曲65分。

元ROCKPILE…デイヴ・エドマンズとニック・ロウはともかく、ビリー・ブレムナーのことはあんまりよく知らなかったんだけど。
ライナーノーツでは“グレート・サイドメン”として、ジョージ・ハリスン、ロン・ウッド、ダニー・カーワン、マルコム・ヤング、ブラッド・ウィットフォード、イジー・ストラドリンと共に称賛している。
(ジョージを“グレート・サイドメン”っていうのはちょっとアレな気もするが…)

ウィリアム・マレイ・ブレムナー。
1946年8月4日、アバディーン生まれ。
ジャンゴ・ラインハルトやジョー・パスやチェット・アトキンスに憧れてギターを手にし、16歳の時には曲を書き始める。
66年にTHE LUVVERS(ルルのバックを務めたことで知られる)に加入してプロのミュージシャンになるが、ビリー・ブレムナー参加後のLUVVERSはシングル1枚リリースしただけで解散。
その後幾つかのバンドでリトル・リチャードやブレンダ・リー、デュアン・エディやTHE WALKER BROTHERSのバックを務める。

70年代に入るとCOMPASSを経てニール・イネスのFATSOに加入。
このバンドのドラマーは元PATTOのジョン・ハルジーで、バンドはBBCのモンティ・パイソンの番組でジョージ・ハリスンのバックを務めたりして、その後ジョンはTHE RUTLESのメンバーに抜擢されることに。

そして1977年、ビリー・ブレムナーはビリー・マレイと名乗ってソロ・デビュー。
この時点で既に30歳を過ぎていた。
で、78年の2ndシングル「Heart And The Stone」って…ROCKPILEの「Heart」じゃないですか。
ROCKPILEのアルバムでも「Heart」はビリーが歌っているものの、作曲クレジットはニック・ロウとバンド名義だったはずだし、今ではむしろニックのレパートリーとして有名な気がするんだけど。
何コレ、元々ビリーの曲だったの?
もちろんこの編集盤には「Heart And The Stone」もバッチリ収録されている。

ROCKPILEは短命に終わったが、ビリー・ブレムナーはその後もニック・ロウ、デイヴ・エドマンズのソロ・アルバムの多くに参加。
デイヴのレパートリーとして知られる「Trouble Boys」「The Creature From The Black Lagoon」もビリー(ビリー・マレイ名義)の曲で、ビリー自身によるそれら2曲のデモもこの編集盤で聴くことが出来る。
「Trouble Boys」はTHIN LIZZYもカヴァーしているけど、元々ビリーの曲だったとは…。

80年代に入ってスティッフ・レコーズでソロ・シングルをリリースする一方、シェイキン・スティーヴンスやフィル・エヴァリーやカーレン・カーターやTHE PRETENDERSのアルバムでプレイするなど忙しくしていたビリー・ブレムナー。
彼がようやく初のソロ・アルバム『BASH!』をリリースしたのが1984年のこと。
既に40代目前だった。

その後もアルヴィン・スターダストやANY TROUBLEと仕事して、90年代には短期間THE PRETENDERSのリード・ギタリストとして活動。
そしてPRETENDERS加入を機にアメリカに移住、元THE LONG RYDERSのシド・グリフィン率いるTHE COAL PORTERSで活動する一方でFOREIGNERのレコーディングにも参加。
そんなにいろいろやっていた人だったとは。

そしてスウェーデンのTHE REFRESHMENTSと知り合ったビリー・ブレムナーは、生活するのに何かと物入りなアメリカに見切りをつけてスウェーデンに移住。
かの地で1998年に14年ぶりとなる2ndソロ・アルバム『A GOOD WEEK'S WORK』を、更に8年後の2006年に3rd『NO IFS, BUTS, MAYBES』を、そして12年に4th『BILLY BREMNER'S ROCK FILES』をリリース。
現在はストックホルムのTROUBLE BOYSというバンドで活動しているという。
そのバンド名はもちろんビリーがデイヴ・エドマンズに提供したあの曲からだ。

で、この編集盤には90年代以降の曲も含むビリー・ブレムナーのソロ楽曲が収録されている。
ROCKPILEやデイヴ・エドマンズで知られることになった曲ばかりにとどまらず、どれも実にイカしたパワー・ポップ。
最近の曲もとても良い。
ウィザード・イン・ヴァイナル(復活祈願)のバンド群が好きだった人なんかにも相当アピールすると思う。
16ページのブックレットには80年代にビリーのソロ・シングルをプロデュースしていたウィル・バーチによる愛情溢れる寄稿もアリ。
ビリー72歳、まだ現役。


(2025.8.27.改訂)

TWINK/THINK PINK(MONO)

画像3月にPINK FAIRIESのレア音源集『RARE LIVE RECORDINGS & RADIO BROADCASTS: 1970-1971』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201903article_2.html)を紹介した時、コレも紹介しますよ…と言ったきり2ヵ月以上経ってしまったが、改めて。
THINKPINK50thより、トゥインクの名盤1stソロ・アルバムのモノラル・ミックス。
『THINK PINK』、なんだかんだでCDとLP合わせて5枚ぐらい持ってることに…。
(↑馬鹿)
そんな中でも正直言って一際雑な作りの1枚になってしまっている。
裏ジャケットは縦横比がヘンで文字もボケボケだし、インサートは紙1枚でクレジットも皆無だし。
(アカーマ盤の紙ジャケCDは悪くなかったよなー)

ともあれ『THINK PINK』は当時モノラル・ミックスとステレオ・ミックスの両方が作られていて、モノラルの方はリリースされないままになっていたんだとか。
2017年にカナダのレーベルから発売されていたが、俺は今回ので初めて聴いた。
(モノラル・ミックスなんて知らんかったよ)

内容の方はもう説明不要だろう。
ミック・ファレンのプロデュースで、THE PRETTY THINGSのメンバーや元メンバー(ドラムはトゥインク本人とヴィヴ・プリンス)、THE DEVIANTSの元メンバー(ポール・ルドルフ)、JUNIOR'S EYESのメンバーやTOMORROWの元メンバー、そしてスティーヴ”ペレグリン”トゥックなど、当時のトゥインク周辺のキメ仲間(?)が大挙集合して繰り広げるサイケデリックの魔宴。
とにかくとりとめがないんだけど、それでいてまとまりがないとはなっていない、恐るべき1枚。
トゥインク(ヴォーカル、ドラム)、ポール・ルドルフ(ギター)、ジョン”ジュニア”ウッド(ベース)、ジョン・ポヴィ(メロトロン)という組み合わせで録音された「Ten Thousand Words In A Cardboard Box」は、英国サイケ史上に残る名曲となった。
「The Sparrow Is A Sign」ではトゥインクではなくスティーヴ・トゥックがリード・ヴォーカルを担当していたり。

で、モノラル・ミックス。
ステレオ・サウンドで定位がグルグルと渦を巻いたりするのが当時のサイケデリック・ロックのレコードの常道であり聴きどころでもあったと思うんだけど、それを廃したモノラル・サウンドってどういうことよ、ガレージ・パンクやDr.FEELGOODの1stアルバムならいざ知らず…などと思ったりしたこともある。
しかしTHE SEEDSの再発アルバムをステレオとモノラルの両ヴァージョンで聴いてみたりして、ああ、こういう音楽でもやっぱりモノラルにはモノラルの魅力があるのねえ、と納得した。
『THINK PINK』の場合も同様で、凝縮感とか、音が塊になって前に出てくるような感じはモノラルならでは。
ヘッドホンで聴くと、すべての音が左右の耳のちょうど真ん中で炸裂する。
このパワフルさみたいなのはステレオだと逆に出ない。
別にどっちが上ということもなくて、このアルバムみたいに両方聴いてどちらにもフムフムなるほど、などと言って楽しむのが吉、なのだろう。
(とか言いながら同じアルバムのヴァージョン違いを何枚も買う馬鹿がここに)

ところでTHINKPINK50th、このアルバムの後はPINKWINDのCD-Rを出しただけで、今年に入ってからはリリースがない模様。
しかし『THINK PINK』の本当の50周年は来年。
まだ何か出してくるだろうか。


(2025.8.20.全面改訂)