
以下は、DOLL誌2003年6月号(もう10年前か!)に掲載されたBLUE OYSTER CULTについての記事に、(原形をとどめないレベルで)大幅に加筆訂正したモノです。
アレン・ラニエはこの世を去ったが、現メンバーのBLUE OYSTER CULTがいつか新作をリリースしてくれることを願いつつ。
ロングアイランドのストーニー・ブルック大学の学生たちを中心に、BLUE OYSTER CULTの前身バンド(のそのまた前身バンド)、SOFT WHITE UNDERBELLYが結成されたのは1967年。当時のメンバーはジョン・ウィーゼンタール(ギター)、ドナルド・ローザー(ギター、ヴォーカル:元THE MONTEREYS~THE DISCIPLES~THE TRAVESTY)、アンドリュー・ウィンターズ(ベース)、アルバート・ブシャール(ドラム、ヴォーカル:元THE REGAL TONES~THE DISCIPLES~THE TRAVESTY)の4人。その後ジョンが脱退し、アレン・ラニエ(ギター、キーボード)に交代する。
“柔らかく白い下腹部”という何やら卑猥な名前のこのバンドを、ストーニー・ブルック大の学生・兼音楽ライターだったサムウェル“サンディ”パールマンがマネージメントすることになる。音楽誌「CRAWDADDY」(アメリカ初のロック雑誌と言われる)で執筆していたサンディ・パールマンは界隈で顔が利き、SOFT WHITE UNDERBELLYは初ライヴをいきなりTHE BANDの前座として行なったという。その後バンドは、マディ・ウォーターズ、GRATEFUL DEAD、COUNTRY JOE & THE FISH、JEFFERSON AIRPLANEといった大物の前座を経験する(俺が持っているMOBY GRAPEのブートCDには1969年ストーニー・ブルック大学でのライヴが収録されているモノがあるが、その時の前座もSOFT WHITE UNDERBELLYまたはOAXACAだったのだろうか)。
…マネージャーという肩書ながら、サンディはバンドに自身のコンセプトを反映させるべく、盟友だった音楽ライター、リチャード・メルツァーと共に当時のレパートリーの歌詞の大半を書いていて、SOFT WHITE UNDERBELLYの音楽性を決定付けていた。サンディは、GRATEFUL DEADの作詞を担当していたロバート・ハンターのポジションを意識していたらしい(ちょっと違うが、SEX PISTOLSにおけるマルコム・マクラーレンにも近いポジションと言えるかもしれない。いや、むしろFAUSTとウーヴェ・ネッテルベックの方が近いか)。
その後リード・ヴォーカリストとしてレス・ブロンスタインが加入。SOFT WHITE UNDERBELLYはストーニー・ブルック大学でのジャクソン・ブラウンのライヴでバックを務め、一時はそのままジャクソンのバック・バンドになるという話も出たらしいが、結局自分たちの道を歩むことになる。
バンドは1968年11月にエレクトラ・レコーズと契約してアルバムのレコーディングに入るが、翌69年、録音終了後にレスが脱退。それに伴い、アルバムのリリースも立ち消えとなってしまうのだった。ちなみにレスは後にDAVID PEEL & THE LOWER EAST SIDEに参加。その後“レス・ヴェガス”と名乗り、現在も自身のバンドで活動している(レス・ヴェガス名義のシングル「Dark Angel」にはドナルド“バック・ダーマ”ローザーが参加。アルバム『FOOL'S GOLD』にはアルバート・ブシャールが参加している)。
レス脱退後、サンディ・パールマンとリチャード・メルツァーは新たなヴォーカリストとして新進の女流詩人、パティ・スミスに加入を打診したというが、当時まだ自身が歌うことに興味を持っていなかったパティはそのオファーを断わる(その後パティが歌い出した時に歌唱法を指導したのは、アレン・ラニエだったという)。結局69年4月、バンドのロード・マネージャーだったエリック・ブルーム(元THE LOST AND FOUND)が新たにヴォーカリストとなった。
エレクトラからバンド名が良くないと言われた(まあそうだろうな)SOFT WHITE UNDERBELLYは、OAXACA(“ワハカ”と読む)と改名してレコーディングを行なうが、エレクトラはその音源に難色を示す。バンドは1970年2月には再びレコーディングに入り、更にレコーディング中の70年3月にはバンド名をTHE STALK-FORREST GROUPと改めている(当時、他にも幾つかの名前でライヴをやっていたとか)。しかし何故かその音源もお蔵入りとなり、結局エレクトラからは、70年7月に7inch「What Is Quicksand? / Arthur Comics」がリリースされただけに終わるのだった(それも一般リリースはされず、300枚のプロモ・コピーしか存在しないとかいう。レス・ブロンスタインに“第2のジム・モリソン”的なポジションを期待していたエレクトラは、エリック・ブルームのヴォーカルを気に入っていなかったらしい)。
OAXACA/STALK-FORREST GROUP時代の録音は、その後2001年になってライノ・レコーズから『St.CECILIA:THE ELEKTRA RECORDINGS』として正式にCD化されたが、全体の印象としては西海岸サイケ寄りというか、ウェスト・コーストっぽいロックで、“へヴィ・メタルの元祖”とかいうにはかなりユルい。実際、GRATEFUL DEAD、THE BYRDS、THE DOORSといった西海岸のバンドの影響は大きかったらしい(初期のSOFT WHITE UNDERBELLYは、ひとつのコードで延々と即興を繰り広げるようなジャム・バンドだったという)。そんな中でも、いかにもニューヨークのバンドらしいクールネスを感じさせる「Arthur Comics」は一聴の価値アリ。BLUE OYSTER CULTの1stアルバムに収録される「I'm On The Lamb But I Ain't No Sheep」も、既にこの時点でレパートリーとなっている。
ちなみに当時のバンド・メンバーに対し、サンディ・パールマンはステージネームを名乗らせていた。エリック・ブルームは“ジェシ・パイソン”、ドナルド・ローザーは“バック・ダーマ”、アンディ・ウィンターズは“アンディ・パンダ”(!)、アレン・ラニエは“ラ・ヴァーン”、アルバート・ブシャールは“プリンス・オメガ”といった具合。その後アンディがクビになってジョー・ブシャール(ベース、ヴォーカル)が加わると、メンバーたちは押しつけられた(?)ステージネームを捨てるが、ドナルドだけはその後も“バック・ダーマ”を名乗り続けることになる。
ともあれ、エレクトラとの関係が切れた1970年夏以降、サンディは他のレーベルとの契約を取り付けるべく奔走するのだった。バンドの方は地道なクラブ廻りを続けていたが、その間に音楽性は少しずつへヴィな方向に変化しつつあった。そして71年夏、サンディとTHE STALK-FORREST GROUPはCBS/コロンビア・レコーズとの契約を得る。
サンディは自作の長編詩「IMAGINOS」の中に登場する“BLUE OYSTER CULT”という言葉を引いて、またしてもバンドを改名させる(88年のアルバム『IMAGINOS』のコンセプトは、この時点で既に存在したのだという)。へヴィでメタリックな音を出すようになっていたバンドに対し、サンディは“アメリカのBLACK SABBATH”という路線で売り出そうと考えた。
1972年、バンドはBLUE OYSTER CULTとして、ようやくアルバム・デビューを果たす。SOFT WHITE UNDERBELLY結成から既に5年が経過していた。このあと約10年間続くことになる編成は、エリック・ブルーム(ヴォーカル、ギター、キーボード)、ドナルド“バック・ダーマ”ローザー(ギター、ヴォーカル)、ジョー・ブシャール(ベース、ヴォーカル)、アレン・ラニエ(キーボード、ギター、ヴォーカル)、アルバート・ブシャール(ドラム、ヴォーカル)の5人。メンバー全員が曲を書き、リード・ヴォーカルもとれるバンドだった。
ちなみに、アレン・ラニエはBLUE OYSTER CULTの3rdアルバム『SECRET TREATIES』では“Alan Lanier”、ライヴ盤『ON YOUR FEET OR ON YOUR KNEES』では“Allan Lanier”と表記されていて、それ以外のアルバムでは“Allen Lanier”となっている。日本では一般に“アラン・レニアー”“アラン・レイニア”と表記されることが多かったが、正確な発音に近い表記は“アレン・ラニエ”となる。ブシャール兄弟も”ブーチャード”とカタカナ表記されることがほとんどながら、発音は”ブシャール”よりもむしろ”ブシャー”に近い。
…デビュー・アルバム『BLUE OYSTER CULT』(邦題“狂気への誘い”)リリースに当たって、サンディ・パールマンはウィリアム・バロウズの作中から頂いた“へヴィ・メタル”という言葉をバンドのキャッチ・コピー的に使う。BLUE OYSTER CULTがへヴィ・メタルの元祖と呼ばれるのはここから来ている。
サンディやリチャード・メルツァーが初期のバンドに提供した歌詞は、バロウズを引き合いに出しただけあって文学的にしてシニカル、退廃的かつドラッギーなイメージのモノが多かった。代表曲「Cities On Flame With Rock And Roll」のリフをはじめ、露骨にBLACK SABBATHを意識した部分もあったせいで、バンドには長いこと悪魔崇拝的なイメージが付いて回ったが、実際に歌詞を見るとそのような要素は薄い。むしろ『BLUE OYSTER CULT』に顕著なのは、ヘロインとジンにまみれた狂気、そしてナイフの閃きだ。バラード「Then Came The Last Days Of May」でさえ、血も凍るような冷たさを感じさせる(実際に起きた殺人事件に題材を得ている)。ダークでハード、かつクールな演奏とマッチして、BLUE OYSTER CULTはNEW YORK DOLLSと並び、当時のニューヨークのロック・シーンを代表するバンドとなる。THE VELVET UNDERGROUNDはルー・リードを失ってほぼ死に体、KISSはまだデビュー前だった時期だ。
…実際、『BLUE OYSTER CULT』の音は、その後一般化するジャンルとしての“へヴィ・メタル”とはちょっと、いやかなり違って聴こえる。バロウズ云々というのからして、ハード・ロックの亜種としてのへヴィ・メタルよりかは、パティ・スミスを筆頭としてその後勃発するニューヨーク・パンク勢に近いモノを感じずにいられない。随所に聴けるひんやりした感触は、ハード・ロックよりもサイケデリックの変種、あるいはNYパンクの兄貴分的に聴こえる部分も多いと思う(メンバーには、パンクに対するシンパシーは特にないというが)。サイケデリックな感覚を幾何学的に図案化したかの如きジャケット・デザインにも戦慄。
1973年の2ndアルバム『TYRANNY AND MUTATION』(邦題“暴虐と変異”)では、前作に較べてスピード感が倍加している。特にアルバム前半における、トバしまくりのハードでメタリックなR&Rは尋常ではない。何しろこの頃のBLUE OYSTER CULTは、IGGY AND THE STOOGESを前座に従えていたりした(IGGY AND THE STOOGES「I Got A Right」のイントロは、『TYRANNY AND MUTATION』の1曲目「The Red & The Black」のイントロとそっくりだ)。「The Red & The Black」は1stアルバムからの「I'm On The Lamb But I Ain't No Sheep」の改作とも言える曲だったが、疾走感はまったく比較にならない。一方で、これまた前作以上にネジレて冷たく暗い後半。その対比は際立っている。イカレているとしか思えないジャケット・デザインも前作以上に凄まじい。
ちなみにこのアルバムから、パティ・スミスが歌詞を提供するようになる。パティは当時アレン・ラニエのカノジョだった。
そしてBLUE OYSTER CULTの最高傑作と言われることも多い3rdアルバム『SECRET TREATIES』(邦題“オカルト宣言”)が1974年に登場。サンディ・パールマンによる、第二次世界大戦を舞台としつつも、世界の“裏の歴史”とでもいうべきコンセプト(前述「IMAGINOS」の世界観が初めて作品化されたのがこのアルバム。地球空洞説とか地底王国とか、いかにも“トンデモ”な感じだが…H.P.ラヴクラフトやトマス・ピンチョンにインスパイアされたらしい)に基づいて、バンドはハードにしてクールな演奏をキメている。
ハードというか…ハードとかへヴィとかいう通り一遍のイメージが1周半くらいしてヘンなところに着地したような、演奏技術がやたらと上達してしまったガレージ・パンクのバンドがプログレを演っているような、かなりとんでもないアルバム。このアルバムからシンセサイザーが導入されて、音作りの幅も格段に広がっている。「ME262」「Dominance And Submission」といった速くてハードな曲もやたらとガシャガシャした感じな一方、ラストを飾る大曲「Astronomy」は叙情的にして謎めいた雰囲気の名曲。
ちなみにこの頃、アレン・ラニエはTELEVISIONのデモをプロデュースしている。
『SECRET TREATIES』は全米チャートの53位を記録する。一方、精力的なツアーの甲斐あって、この頃のBLUE OYSTER CULTは全米屈指のライヴ・アクトという評価を確立していた。ライヴの途中でメンバー全員がギターを弾きまくるという有名な演出も大ウケした(ジョー・ブシャールだけはベースだったが、一応“ベース・ギター”ということで)。
1975年にはその生演奏をLP2枚組に詰め込んだライヴ盤『ON YOUR FEET OR ON YOUR KNEES』(邦題“地獄の咆哮”)をリリース。全米22位と大躍進を果たす。スローな「Subhuman」に導かれて始まるが、徐々に強烈な盛り上がりを見せて行くライヴ・アルバムの名盤。スタジオ盤以上にハードにアレンジされた「ME262」の途中で、件の“5本のギター”を聴くことが出来る。
当時、ドナルド“バック・ダーマ”ローザーには“人類史上もっとも偉大なギタリスト”という宣伝文句が付いていたが、幾多の速弾きギタリストを聴いているメタルファンの大半は、バック・ダーマのプレイを今聴いても「?」とか思うだろう。バックの下降し続けるようなリフと、ライヴでの破綻気味なバンド・アンサンブルは、むしろRADIO BIRDMANやSONIC’S RENDEZVOUS BANDのような、プロト・パンクとハード・ロックの間に位置するようなバンドを聴いている人の方がグッとくるのでは、と思う(特に『ON YOUR FEET OR ON YOUR KNEES』での「7 Screaming Diz-Busters」における崩壊感覚は圧巻)。STEPPENWOLFのカヴァー「Born To Be Wild」でのラフな暴発ぶりも聴きモノだ。
ちなみにこの頃パティ・スミス(『ON YOUR FEET OR ON YOUR KNEES』でもMCとして登場)が『HORSES』でシンガーとしてデビュー。アレン・ラニエはそのアルバムで「Elegie」を作曲し、ギタリストとしてレコーディングにも参加している。
サンディ・パールマンがTHE DICTATORSやPAVLOV'S DOGなど、プロデュース業の幅を広げていく一方で、BLUE OYSTER CULTはサンディのコントロールからどんどん離れていた。元々有能なミュージシャンがそろっていて、メンバーたちは自分たちで制作をリードして行くようになる。一方で、初期のアングラなムードは薄れ、BLUE OYSTER CULTはメジャーなロック・バンドに脱皮しつつあった。しかし、何処か屈折した感覚はその後も残り続けるのだったが。
『ON YOUR FEET OR ON YOUR KNEES』でそれまでの活動を総括したBLUE OYSTER CULTは、1976年のアルバム『AGENTS OF FORTUNE』(邦題“タロットの呪い”)で吹っ切れたようなポップさを聴かせるようになる。アルバムは全米29位、シングル「(Don’t Fear)The Reaper」も全米12位の大ヒット。しかし、1曲目「This Ain’t The Summer Of Love」がいきなり西海岸のプロト・パンク・バンド、THE IMPERIAL DOGSの代表曲の改作だったりして、やはり一筋縄ではいかない(しかもこの曲は後にグランジ全盛のシアトルで、今度は曲を残して歌詞を変えた「Swallow My Pride」として多くのバンドに演奏されることになる)。他の曲も、初期3作までの直接的にドラッギーだったり暴力的だったりする世界に代わって、都市生活者の狂気のようなモノがにじみ出ている。「The Revenge Of Vera Gemini」ではパティ・スミスがゲスト参加し、アルバート・ブシャールとのデュエットを聴かせたりも。
ちなみにこのアルバムには、アレン・ラニエが初めてリード・ヴォーカルを担当した「True Confessions」が収録されている。メンバー全員が曲を書いて歌えるBLUE OYSTER CULTだったが、アレンが歌う曲はとても少ない(この曲以外にはデモ音源やアウトテイクしかない)。
機材の進化の恩恵で、各メンバーはスタジオでの共同作業で曲を作っていくのではなく、各々が一人である程度曲を完成させて持ち込むことが可能になっていた(『AGENTS OF FORTUNE』CDボーナス・トラックの「(Don't Fear)The Reaper」デモなどに顕著)。このことは、バンドの“サンディ・パールマン離れ”をますます加速させていくことになる。
1977年にはアルバム『SPECTRES』をリリース。「(Don’t Fear)The Reaper」と並ぶ代表曲「Godzilla」が収録されていて、やはりポップな感触ながら、アルバム後半の暗い透明感に満ち満ちた、リリカルにして陰影に富んだ楽曲が印象的。エリック・ブルームと親しかったイアン・ハンター(元MOTT THE HOOPLE)が「Goin' Through The Motions」でエリックと共作しているのにも注目だ。アルバムは全米43位を記録。この頃にはライヴの演出としてレーザー光線が導入されるようになり、BLUE OYSTER CULTのステージは更にショーアップされたものとなる。
そんな時期のステージの模様を収録したのが78年のライヴ・アルバム『SOME ENCHANTED EVENING』(邦題“暗黒の狂宴”:全米44位)。『ON YOUR FEET OR ON YOUR KNEES』とは1曲も重複していない。インナー・スリーヴには飛行機で移動するメンバーの写真があり、スタジアムを制したメジャーなバンドとなったBLUE OYSTER CULTの姿を刻んでいる…ようでいて、ここでいきなりMC5の代表曲「Kick Out The Jams」を猛スピードでカヴァー。前身バンドが60年代に結成され、元々の音楽性がガレージ・パンクやサイケデリックに立脚している、というのを改めて思い知らされる。
ちなみにアレン・ラニエはこの頃、パティ・スミスの3rdアルバム『EASTER』にゲスト参加している。
1978年にはTHE CLASHの2ndアルバム『GIVE 'EM ENOUGH ROPE』を手がけたサンディ・パールマンだったが、その後遂にBLUE OYSTER CULTのプロデューサーの座を降りることになる。バンドはライヴ盤を機に再び新たな方向に進み、CHEAP TRICKやテッド・ニュージェントとの仕事で知られるトム・ワーマンを制作に迎えた79年作『MIRRORS』ではアコースティック・ギターをフィーチュアした「In Thee」をはじめとして、更にポップな音に。
79年5月には初来日も果たしたBLUE OYSTER CULTだったが、思い切ったポップ路線を聴かせた『MIRRORS』は全米44位と、それまで以上に成功したワケではなく。トムとの制作もあまり上手く行かなかったようで、翌80年の『CULTOSAURUS ERECTUS』では(IRON MAIDENとの仕事で有名になる)マーティン・バーチのプロデュースで、一転して当時のへヴィ・メタルっぽい(?)スタイルに。New Wave Of British Heavy Metalのムーヴメントに呼応した部分もあったのかもしれない(実際、全英チャートで12位のヒットとなった)。このアルバムでのスピーディーなハード・ロックは明快ながら、一方で歌詞は暗いファンタジー感覚に溢れ、アルバム終盤に行くほど不穏なムードに溢れている。
ちなみにこの頃、エリック・ブルームはイアン・ハンターのアルバム『YOU'RE NEVER ALONE WITH A SCHIZOPHRENIC』(1979年)にゲスト参加している。一方、アレン・ラニエは同年ジョン・ケイル(元THE VELVET UNDERGROUND)のアルバム『MUSIC FOR A NEW SOCIETY』にゲスト参加。そしてパティ・スミス同様に詩人からシンガーへとシフトしたジム・キャロルがTHE JIM CARROLL BANDを率いて80年に『CATHOLIC BOY』でデビュー。アレンはこのアルバムでジムと「Day And Night」を共作し、キーボーディストとして録音にも参加している。
70年代後半、サンディ・パールマンはアレンをセッションマンとして自分がプロデュースしていたアルバムに参加させていたとも言われている。つまりTHE DICTATORSやTHE CLASH、PAVLOV'S DOGのレコーディングにアレンが参加しているという説があるのだが、真偽は不明。
BLUE OYSTER CULTは相変わらず精力的なライヴ活動を続けていた。1980年にはBLACK SABBATHとのダブル・ヘッドライナー・ツアーを行ない、この時の模様は後に『BLACK+BLUE』としてヴィデオ化されている。余談だがこのツアーでスタッフを務めていたのがジョーイ・ディマイオ、前座のSHAKIN' STREETに参加していたのがロス・ザ・ボス(元THE DICTATORS)で、二人はこのツアーで知り合ってMANOWARを結成することになる。
そして81年には再びマーティン・バーチを制作に迎え、アルバム『FIRE OF UNKNOWN ORIGIN』(邦題“呪われた炎”)をリリースする。バンドはここでポップさとメジャーなハード・ロックらしさ、そして何処か冷たくひねくれた感覚を見事に融合した、その後も続くBLUE OYSTER CULTのスタイルを完成させるのだった。アレン・ラニエの各種キーボードが圧倒的な存在感を放っている1枚。アルバムは全米24位と、彼らのスタジオ・アルバム中では最高のチャート・アクションを記録し、シングル「Burnin’ For You」も40位とそこそこヒット。
ちなみに『FIRE OF UNKNOWN ORIGIN』のタイトル曲はパティ・スミスの作詞で、パティがシングル「Frederick」のB面に収録していた同名曲(こちらの邦題は、原題の意味に忠実な“不審火”)の歌詞に、まったく違う曲を付けたというモノ(聴き較べるとびっくりする)。
…デビューから約10年間、同じメンバーで活動してきたBLUE OYSTER CULTだったが、ここにきてドラマーにしてヴォーカリスト、そして多くの楽曲でソングライティングに関わってきたアルバート・ブシャールが脱退、というかクビに(性格的に問題が多かったらしい)。それ以後はメンバー・チェンジが相次ぐことになる。
1980~81年にかけて行なったFOGHATとの全米ツアーはレコーディングされていて、82年にはサンディ・パールマンが4年ぶりにプロデュースを手掛けた3作目のライヴ・アルバム『EXTRATERRESTRIAL LIVE』がリリースされる。デビュー以来の10年間の集大成ともいうべき、ベスト盤的な選曲の中で、THE DOORSのロビー・クリーガー(ギター)を迎えて「Roadhouse Blues」を演っているのには、“三つ子の魂百までも”という言葉を思い出さずにはいられない。このアルバムではアルバートと、後任のリック・ダウニー(元々はライティングなどのスタッフだった)という二人のドラマーのプレイが混在している。アルバムは全米29位を記録したが、結局コレが彼らにとってトップ40入りした最後の作品となった。
『EXTRATERRESTRIAL LIVE』の出た82年にはドナルド“バック・ダーマ”ローザーが初のソロ・アルバム『FLAT OUT』をリリース。同じ82年にはTHE JIM CARROLL BANDが2ndアルバム『DRY DREAMS』をリリースし、アレン・ラニエはシンセサイザーで録音に参加。次いで83年の3rdアルバム『I WRITE YOUR NAME』にはジム・キャロルとの共作「Dance The Night Away」(元々『AGENTS OF FORTUNE』制作時に作曲されたモノ)が収録されている。バック・ダーマは同年アルバニーのコミック(?)・バンドBLOTTOの1stアルバム『COMBO AKIMBO』にゲスト参加している。
BLUE OYSTER CULTはリック・ダウニーを正式メンバーに迎えて、1983年には『FIRE OF UNKNOWN ORIGIN』に近い路線のアルバム『THE REVOLUTION BY NIGHT』をリリースする(プロデュースは故ブルース・フェアバーン)。当時新進気鋭のロッカー、アルド・ノヴァが「Take Me Away」で、イアン・ハンターが「Let Go」で、それぞれエリック・ブルームと共作しているのが目を引く。シングル「Shooting Shark」(パティ・スミス作詞)が全米83位の小ヒット。FMエアプレイでは「Shooting Shark」のB面だった「Dragon Lady」の方が好評だったらしい。
そしてBLUE OYSTER CULTは新作に取り掛かるが、その後リックが脱退。85年にはアルバート・ブシャールを復帰させてツアーするが、結局上手く行かず、アルバートはツアー終了後に再び脱退。更に新作の方向性に共鳴出来なかったアレン・ラニエも脱退してしまう。
その頃、ロニー・ジェイムズ・ディオの提唱により、“へヴィ・メタル版We Are The World”ともいうべきチャリティ・プロジェクト“HEAR'N AID”のレコード「Stars」の録音が行われ、エリック・ブルームとドナルド“バック・ダーマ”ローザーも参加している。シングル「Stars」は86年にリリース。エリックの歌声もさることながら、錚々たるメンバーによってリレーされるギター・ソロの最後を飾るバック・ダーマの奇妙なソロは聴きモノ。
ともあれBLUE OYSTER CULTは、エリック・ブルームとドナルド“バック・ダーマ”ローザー、ジョー・ブシャールのオリジナル・メンバー3人にジミー・ウィルコックス(パーカッション:元RICK DERRINGER BAND~SCANDAL)とトミー・ズヴォンチェック(キーボード:元ALDO NOVA BAND~PUBLIC IMAGE LIMITED)を加入させ、更にサンディ・パールマンをプロデューサーに復活させて再起を図り、1986年にアルバム『CLUB NINJA』をリリースする。ジミーは正式メンバーとしての参加だったというが、ドラムではなくパーカッションを担当。レコーディングにはトミー・プライス(ドラム)、フィル・グランデ(ギター)、ケニー・アーロンソン(ベース:元DUST他)というセッションマンを迎え、更に外部ライターの楽曲を積極的に取り上げての制作だった。
『CLUB NINJA』でのスペーシーなハード・ポップ路線は、同時代のHAWKWINDに通じる部分も感じられるモノだった(『CULTOSAURUS ERECTUS』収録の「Black Blade」ではHAWKWIND人脈のSF作家マイケル・ムアコックが歌詞を提供していて、BLUE OYSTER CULTにはその頃からスペース・ロック的な志向が見られる)。ジム・キャロルが歌詞を提供した「Perfect Water」はその後もライヴで演奏されることになる名曲だし、「Dancin’ In The Ruins」のPVはMTVチャートでヒット。しかし往年のマジックは蘇らなかったのか、その後ジョーも脱退。バンドは後任ベーシストにジョン・ロジャースを迎えてツアーをこなす。ツアー終了後は次のレコーディングの予定もなく、解散も噂されたが、87年夏、アレン・ラニエがバンドに復帰し、更にロン・リドル(ドラム)を迎えたBLUE OYSTER CULTは、ライヴ活動を再開する。
一方、アルバート・ブシャールがサンディ・パールマンと(1982年から)制作を進めていたソロ作『IMAGINOS』にCBSがいい顔をせず、テコ入れとしてエリック・ブルームとドナルド“バック・ダーマ”ローザーがヴォーカリストとして参加することに。結局アレン・ラニエとジョー・ブシャールも合流し、名作『SECRET TREATIES』の続編とも言えるコンセプチュアルにしてハイテンションな大作『IMAGINOS』は、オリジナル・メンバー5人がそろう形で88年7月に“BLUE OYSTER CULTの新作”としてリリースされる。
しかし実際には、オリジナル・メンバー全員参加のアルバムが出来た、というだけで、オリジナル編成でのバンドが復活した訳ではなかった。『IMAGINOS』では、アルバートはほぼヴォーカルとソングライティングに専念し、ジョーはベースではなくキーボードをプレイしている。そのためリズム・セクションは『CLUB NINJA』同様ケニー・アーロンソンとトミー・プライスが担当した。また、ゲストとしてトミー・ズヴォンチェック、アルド・ノヴァ(ギター)、ジョー・サトリアーニ(ギター)、ロビー・クリーガー(ギター)などが参加している。
『IMAGINOS』は気合の入った名作だったが、セールス的にはまたも不振。その後アルバート・ブシャールは自身のバンド、THE BRAIN SURGEONSでの活動に入る一方で、『IMAGINOS』を自身のソロ・アルバムからBLUE OYSTER CULT名義に変更する上での取り決めが守られなかったとしてサンディ・パールマンとCBSを訴えたりも。ジョー・ブシャールは元ALICE COOPERのニール・スミス(ドラム)と活動し(ニール・スミスは『THE REVOLUTION BY NIGHT』でジョーと「Shadow Of California」を共作している)、1989年にはDEADRINGER名義でアルバム『ELECTROCUTION OF THE HEART』をリリースしている(ドナルド“バック・ダーマ”ローザーもゲスト参加)。
一方BLUE OYSTER CULTはエリック・ブルーム、バック・ダーマ、アレン・ラニエ、ジョン・ロジャース、ロン・リドルというメンバーで活動を継続する。『IMAGINOS』を最後にCBSとの契約は切れたが、ライヴを中心にバンドの活動は続いた(一方でバック・ダーマはジョン、ロンとのTHE RED AND THE BLACK名義でも活動していた)。その後91年にロンが脱退し、ドラマーがチャック・バーギ(元RAINBOW)に交代。92年にはホラー(?)映画『BAD CHANNELS』の音楽を担当。コレはサントラ盤もリリースされている。
日本では考えられないほど、BLUE OYSTER CULTのアメリカでの人気と知名度は高く、代表曲の数々は映画などでも盛んに使用されている。しかし『BLUE OYSTER CULT』から『IMAGINOS』までの楽曲の版権はCBSが所有していて、BLUE OYSTER CULTの楽曲があちこちで使用されてもメンバーたちには版権料が入って来ない、という問題が生じていた。そこでバンドは、1994年に70~80年代の代表曲を再レコーディングしたアルバム『CULT CLASSIC』をリリースしている(後に『E.T.I.REVISITED』として再発)。つまり楽曲使用はこのアルバムのヴァージョンからにしてくれ、ということだった訳だが、それがどれほど功を奏したかは知らない。
その後95年にジョン・ロジャースが脱退。新たにダニー・ミランダ(ベース、ヴォーカル:元MORNING WOOD)を迎え、CMCレコーズと契約を得たBLUE OYSTER CULTは久々となる新作アルバムの制作に着手する。そして98年、『IMAGINOS』から10年ぶり、『CLUB NINJA』からでは12年ぶりとなるオリジナル・アルバム『HEAVEN FORBID』をリリースする。メタリックなスピード・ナンバー「See You In Black」をはじめ、かつてのテイストを保持したまま、90年代的なサウンドにアップトゥデイトしようという意志が感じられる傑作だった。サイバー・パンク系SF作家ジョン・シャーリーが歌詞を提供し、80年代以降のSF/スペース・ロック的な方向性も堅持している。シングル「Harvest Moon」もリリースされたが、ヒットはしなかったようだ(しかしその後ライヴの重要なレパートリーとなる)。
『HEAVEN FORBID』ではチャック・バーギが叩いていたが、90年代はチャックを始め数人のドラマーが出入りを繰り返したBLUE OYSTER CULTだった。その後ドラマーがボビー・ロンディネリ(元RAINBOW~RONDINELLI)に交代し、1999年5月には20年ぶり2度目の来日を果たしている(俺は3日間通った。実に素晴らしかった)。この頃エリック・ブルームとドナルド“バック・ダーマ”ローザーの二人は、ロングアイランドのバンド・TOO HIP FOR THE ROOMの全曲BLUE OYSTER CULTカヴァー・アルバム(!)『DON'T FEAR THE REMAKE』にゲスト参加している。
その後2001年にはアルバム『CURSE OF THE HIDDEN MIRROR』がリリースされる。『HEAVEN FORBID』の流れを汲みつつ、OAXACA/THE STALK-FORREST GROUP時代の曲名をアルバム・タイトルにしているところには原点回帰のようなモノも感じられる良作。
そして02年にはライヴ・アルバム『A LONG DAY'S NIGHT』(画像)をリリース。アルバム・タイトルは、レコーディングされたのが夏至だったことに由来している。単なる代表曲のオンパレードではなく、長いバンド史を反映した幅広い選曲と衰えぬ現役感が魅力的な1枚。
2004年にはダニー・ミランダとボビー・ロンディネリが脱退したが、QUEENをサポートしていたリッチー・カステラーノ(ベース)、そしてジュールス・ラディーノ(ドラム)が加入している。
その後ツアー活動から引退したアレン・ラニエに代わって、07年にはリッチーがキーボード兼ギターに転向。新たなベーシストとしてルディ・サーゾ(元QUIET RIOT他)が加入している。しかしルディは他のバンドやプロジェクトでも忙しく、ジョン・ロジャースやダニーが代役を務めることも多かった。
結局ルディは12年6月に脱退し、新たにカシム・サルトン(元UTOPIA)が加入する(ドナルド“バック・ダーマ”ローザーはカシムのソロ・アルバムに参加していたことがあるので、その縁だろう)。『A LONG DAY'S NIGHT』を最後にCMC/サンクチュアリとの契約が切れて再びリリースが途絶え(以後のBLUE OYSTER CULTはレコード契約がない状態が続いているという)、『HEAVEN FORBID』を最後に国内盤リリースもない(再発を除く)のは残念だが、メンバー交代を重ねつつ今もツアー中心にBLUE OYSTER CULTの活動は続いている。
時にリリカルで透明感溢れるピアノで、そして時に攻撃的で怜悧なオルガンやシンセサイザーでBLUE OYSTER CULTのサウンドを彩ってきたアレン・ラニエだったが、彼は2006年秋にツアー生活から引退し、その後バンドを完全に脱退してミュージシャンを引退。12年11月のBLUE OYSTER CULTデビュー40周年を記念するライヴでは久々にステージに立ったものの、残念ながらこの8月14日、COPD(煙草などの影響による呼吸器疾患)のため亡くなっている。67歳だった。
バンドを脱退していた時期がしばらくあり、1999年の来日時には出戻り故の負い目のようなモノが態度にも表れていた、との話も聞かれたアレンだったが、オリジナル・アルバムに限って言えば、彼が参加していないのは『CLUB NINJA』だけで、BLUE OYSTER CULTにおいてやはり重要なメンバーだったと思う(来日時のステージでもキーボードにギターにと大活躍だった)。アレンの御冥福をお祈りします。
BLUE OYSTER CULTの楽曲はMETALLICAやTREATやセバスチャン・バックなどのメタル系バンドにもカヴァーされているが、“へヴィ・メタルの元祖”と言われながら、BLUE OYSTER CULTの影響はむしろパンク以降のバンドに顕著な気がする。特にRADIO BIRDMANやLIME SPIDERSをはじめ、オージー・パンク勢への影響は絶大。RADIO BIRDMANはBLUE OYSTER CULTの楽曲を何曲もカヴァーしているだけでなく、そもそもギター2本にキーボードをフィーチュアした編成自体がBLUE OYSTER CULTをお手本にしていたとしか思えない。
他にもスウェーデンのTHE NOMADS、アメリカのマイク・ワット(元MINUTEMEN~FIREHOSE、現IGGY AND THE STOOGES)やGUMBALL(アルバート・ブシャールがゲスト参加)やSMASHING PUMPKINSやELECTRIC FRANKENSTEINやFU MANCHU、イギリスのローズ・マクドウォール(元STRAWBERRY SWITCHBLADE)やWALKINGSEEDS、そして日本のCHURCH OF MISERYなど、BLUE OYSTER CULTの曲はメタル系以上にパンク/ニュー・ウェイヴ/オルターナティヴ以降のバンド/ミュージシャンたちによってカヴァーされ続けている。ノルウェイのMOTORPSYCHOのように、アルバム・タイトルをBLUE OYSTER CULTの歌詞から頂いているバンドや、オーストラリアのME262のようにバンド名自体をBLUE OYSTER CULTの曲名から付けているバンドも。
追記:
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(2014.4.13.)
(2023.12.25.改訂)