PHYSICALS/SKULLDUGGERY(1999)

PHYSICALS.jpg元THE RINGSのアラン・リー・ショウが、MANIACS解散後の一時期やっていたバンド…の編集盤。
活動中にはEPとシングルを1枚ずつしか出していないのに、17曲70分近く入っている。

アラン・リー・ショウ(ギター、ヴォーカル)を中心に、ドイツ人のスティーヴ・シュミット(ギター)、フィンランド人のクリスター・ソル(ベース)、スティーヴ・バイ(ドラム)というメンバーで1978年初頭に結成。
78年9月に自主制作EP「All Sexed Up」をリリース。
5000枚限定だった。

アラン・リー・ショウはPHYSICALSで、MANIACS時代よりもメロディックな方向を目指していたという。
確かにMANIACSでの性急なパンク・ロックよりも、よりR&Rに揺り戻したような感じ。
NEW YORK DOLLSやMC5に影響されていたというアランは、PHYSICALSではMANIACS以上にデイヴィッド・ジョハンセンっぽい歌い方。
一方で「All Sexed Up」や「Should Have Been You」のリフや唱法にはフィル・ライノットを思わせる部分も。
(PHYSICALSはTHIN LIZZYのアイルランド・ツアーをサポートしている)

ただ、PHYSICALSのその後の活動は曲折を経るのだった。
マネージャーのイアン・ディクソンが本業のフォトグラファーに注力するためマネージメント業から手を引き。
THIN LIZZYのロード・マネージャーだったフランク・マーレイが後を引き継ぐ。
一方スティーヴ・バイが脱退し、ドラマー不在に。
(スティーヴは本当はヘヴィ・メタルがやりたかったのだという。しかしその後スカ・バンドVILLAINSに参加している)

そこでなんとポール・クック(元SEX PISTOLS)がドラムとプロデュースを担当し、PHYSICALSはシングルをレコーディングする。
(フランク・マーレイの紹介だったという。THIN LIZZYとSEX PISTOLSのつながりを考えれば納得)
一方でアラン・リー・ショウはTHE RINGS時代に知り合っていたブライアン・ジェイムズ(元THE DAMNED)に誘われ、1978年12月にBRIAN JAMES ALL STARSのライヴに参加。
(ドラムはTHE POLICEのステュワート・コープランドだったという)
いろいろあってPHYSICALSのシングルがリリースされないまま、アランは79年3月からBRIAN JAMES AND THE BRAINSのメンバーとしても活動することに。

BRIAN JAMES AND THE BRAINSは1979年7月にリズム・セクションが交代。
一方ブライアン・ジェイムズは79年11月からイギー・ポップのバックでツアーに出てしまう。
そこでアラン・リー・ショウはフランク・マーレイの手引きで、THE BRAINSのリズム・セクション、アルヴィン・ギブス(ベース:元THE USERS)&ジョン・トウ(ドラム:元GENERATION X)にスティーヴ・シュミットを加えた4人編成でPHYSICALSとしてTHIN LIZZYのライヴの前座を務める一方、デモを録音している。

1980年初頭にはポール・クックが参加した録音がシングル「Be Like Me」としてリリースされる。
(まさにポールそのものなドラムが聴ける)
一方ブライアン・ジェイムズがイギー・ポップのツアーから戻り、BRAIN JAMES AND THE BRAINSはHELLIONSとして活動を再開。
しかし80年の「READING FESTIVAL」にも出演したHELLIONSは9月に解散。
そしてPHYSICALSもそのまま立ち消えになってしまったのだった。

このCDには「All Sexed Up」「Be Like Me」に加え、1978年と79年のデモ、そしてELECTRIC BALLROOMでのライヴも収録されている。
ライヴとデモではイギー・ポップ「Lust For Life」、THE MUSIC MACHINE「Talk Talk」、THE ELECTRIC PRUNES「Get Me To The World On Time」というカヴァーが披露されているのが興味深い。
(特にサックスをフィーチュアした「Get Me To The World On Time」は、ガレージ・パンク/サイケのカヴァーというよりもニュー・ウェイヴ/ポスト・パンクを意識したアレンジに聴こえる)

アラン・リー・ショウはその後もブライアン・ジェイムズとの腐れ縁(?)が続いていたが、彼の名前が改めて知られるようになったのは、90年代半ばの一時期THE DAMNEDに参加した時だっただろう。
00年代後半までは自身のバンドで活動していたはずだけど、最近はどうしていることか。

THE ONLY ONES(1978)

ONLY ONES.jpgTHE ONLY ONESはDOLLの『パンク天国』にもシンコーミュージックのディスクガイドにも載っているが、本当に70'sパンクと言ってよいのだろうか…。

1976年8月結成。
メンバーはピーター・ペレット(ヴォーカル、ギター)、ジョン・ペリー(ギター、キーボード)、アラン・メア(ベース)、マイク・ケリー(ドラム)という不動の4人。
ピーターは元ENGLAND'S GLORY。
ジョンは元GRAPEFRUITS、MAGIC MUSCLE他。
アランは元THE BEATSTALKERS。
マイクに至っては元ART、SPOOKY TOOTH他。
ピーター以外の全員、60年代からプロとしてのキャリアがあった。

1977年にシングル「Lovers Of Today」を自主制作した後、いきなりCBSとの契約を取り付けてメジャー・デビュー。
78年4月にリリースされたのが『THE ONLY ONES』だった。
ジャケットを見ても、多少なりともパンクっぽく見えないこともないピーター・ペレットとアラン・メアに対して、ジョン・ペリーとマイク・ケリーは…。
(ピーターは当時26歳、マイクは既に31歳だった)

改めて聴き直しても、やっぱり改めて「?」となる。
しかしまあ、ニューヨークではTELEVISIONあたりがパンクの代表格だったのだから、THE ONLY ONESもアリだろう。
(一方で、パンク・ムーヴメントがなかったら彼らのデビューもなかったかも知れない、という気もする)
この1stアルバムには代表曲中の代表曲「Another Girl, Another Planet」(全英57位)が収録されているが、パンクっぽさという点だけで言ったらむしろピーターがわめいてギターもとげとげしく鳴らされる「Language Problem」に尽きるかも知れない。
ハードな2本のギターとドライヴするベースが絡み合う「City Of Fun」もナイス。

ともあれサイケデリックを引きずりつつピーター・ペレットがダルに歌い、十分なキャリアとスキルを持つメンバーたちが縦横な演奏を聴かせる彼らのロックは、単純にカッコいい。
特にヘヴィネスと軽妙さを併せ持つマイク・ケリーのドラミングは素晴らしい。
(ラストの「The Immortal Story」では大暴れ)

ミッキー・ギャラガー(キーボード:IAN DURY & THE BLOCKHEADS)らがゲスト参加し、プロデューサーとしてブレイクする直前のスティーヴ・リリーホワイトがエンジニアを務めた『THE ONLY ONES』は、全英56位を記録する。
意外なことに、3枚のアルバムのうち一番チャート順位が低い。
1979年3月には2ndアルバム『EVEN SERPENTS SHINE』(42位)を、80年には3rd『BABY'S GOT A GUN』(37位)をリリース。
DOCTORS OF MADNESSなんかと同様に、ジャンルの狭間に落ち込んでまともに評価されなかったバンド、みたいなイメージを勝手に持っていたので、びっくりした。
しかもTHE ONLY ONESは、80年にはTHE WHOの全米ツアーの前座に抜擢されている。

しかし1982年に解散。
メンバーのドラッグ問題などが影響したのではと思われる。
(ピーター・ペレットがTHE ONEとして来日した時も、奇行が目立ったとか)

2007年にまさかの再結成。
『パンク天国』にはジョン・ペリーはドラッグで半ば廃人、マイク・ケリーはタクシー運転手と書いてあったので、コレも驚いた。
17年1月18日にマイクが亡くなって以降は活動休止していたが、19年に復活し、現在も活動中とのこと。

NIKKI AND THE CORVETTES(1980/2008)

NIKKI AND THE CORVETTES.jpg”今日の旧譜”、ここしばらく70'sパンクを紹介してきたが。
今回はオリジナル・リリースが1980年のこのアルバム。
しかしグループの発足は70年代に遡るのだった。

1977年、デトロイトでNIKKI CORVETTE AND THE CONVERTIBLESとして結成。
ニッキー・コルヴェットことドミニク・ロレンツ(ニッキーでもコルヴェットでもなかった…)、ロリ・ジェリことロリ・ジャーゼンボウスキ、サリー・ディーの3人組。
中心人物ニッキーは、16歳の時にMC5のライヴを観に行くのを親に止められて家出した、という筋金入りのR&Rガールだったのだそうで。

女性ヴォーカル・グループをバンドがバックアップするというスタイルは、デボラ・ハリーがいたTHE STILLETTOSあたりを参考にしていたのか、とも思ったが、どうもTHE RONETTES+RAMONESというセンだったらしい。
(当時STILLETTOSには音源なかったしな)
ともあれNIKKI CORVETTE AND THE CONVERTIBLESは1977年にシングル「Young & Crazy」をリリース。

俺の手元にあるのは2008年に出たボーナス・トラック入りのCD。
1977年のシングルも収録されている。
アルバム本編以上にガチャガチャした性急なパンク・ロック。

1980年にNIKKI AND THE CORVETTESと改名。
その時点ではニッキー・コルヴェット、ロリ・ジェリ、クリスティ・ケイことクリスティン・コミサーズの3人になっていた。
(アルバムにはサリー・ディー在籍時の曲も収録)
当時ニッキーの彼氏だったピーター・ジェイムズ(元THE RAMRODS~THE ROMANTICS)がプロデュースと作曲とギターを担当し、アルバムがレコーディングされる。

このアルバムについては、俺が今更あれこれ言う必要はないだろう。
とにかくポップでキャッチーな楽曲にパンキッシュな演奏、そこに乗る3人娘の激キュートな声。
ピーター・ジェイムズの貢献度は大きかったと思う。
(こんなにイイ曲書いてたのに、その後大成しなかったのは不思議だ)
2008年の再発にはニッキー・コルヴェットとピーターも関わり、ボーナス・トラック収録だけでなく、オリジナル盤では速過ぎたというピッチが修正されている。
(しかも見開き紙ジャケット)

しかし彼女たちの存在は、早過ぎたのかも知れない。
当時はほとんど評価されなかったという。
1981年にはシングル「I Gotta Move」をリリースしたが(そちらもこのCDに収録)、80年代前半には解散となる。

だがこのアルバムがその後ポップ・パンク/パワー・ポップのマスターピースのひとつとなったことは、これまた言うまでもない。
そしてニッキー・コルヴェットは21世紀に復活を果たすことに。

Mr.KITE/LIVE INNOCENT(2001)

Mr.KITE.jpg”今日の旧譜”、ここしばらく英米そしてベルギーの70'sパンクを紹介してきたのだが。
ここで日本のバンド。

Mr.KITE。
”東京ロッカーズ”で唯一女性ヴォーカルだったバンド。
活動中にはシングルとオムニバス『東京ロッカーズ』(1979年)しか音源がなかったのが、21世紀になってキャプテン・トリップ・レコーズから”日本のロック幻の音源シリーズ”第3弾としてライヴ音源を集めたアルバムが出たんで、そりゃあ驚いたよね。
(第1弾と第2弾はROUGEとSCREW BONKERS)

1977年結成。
メンバーはジーンこと三坂恵美子(ヴォーカル)、ワクこと藤江和久(ギター)、タカシこと尾崎隆(ベース)、アツシこと宮川篤史(ドラム)の4人。
(このCDでは1曲のみ入村彰一がギターを弾いている)

鹿児島出身のジーンは上京してOLをやっていたのだという。
ライオン歯磨きの懸賞で当選したチケットでTHE BEATLESを観てロックにハマったのだとか。
(BEATLES来日公演のスポンサーのひとつがライオンだったことは有名)
その後セツ・モードセミナーで学ぶ傍ら絵画の勉強と詩作に励み。
更にインドやネパールを放浪したりもしていたんだそうで。

このCDには1978年12月17日・新宿LOFTから、79年10月11日・渋谷屋根裏での最後のライヴまで、4回のライヴから11曲が収録されている。
シンプルだが腰の強いリズム・セクションに、鋭く尖ったギター。
(「共犯者」でのチキン・ピッキングはリンク・レイの影響だろうか)
そして歌詞よりかはむしろ詩と言いたくなるような文学的にしてシニカルな言葉の連なりからなる、ジーンのぶっきらぼうな、それでいて時に歌謡っぽさも感じさせるセンシティヴな歌唱。
(「無効」での”どこへ逃げても同じさ”というリフレインが耳に残る)

パティ・スミスをはじめ、ニューヨーク・パンクの影響は大きかったかも知れない。
一方で60年代の”アングラ”やサイケデリックを引きずったような感覚も。
まあそれを言ったらパティやTELEVISIONの音楽も60年代から地続きだったワケだが。
バンド名自体、THE BEATLES由来だろう。
(あと「Tokyo Make Up City」がほとんどNEW YORK DOLLSみたいなのも興味深い)

蒼黒い透明感とでも言いたくなるような歌と演奏は、別に似てはいないもののTHE DOORSあたりを思わせたりも。
(もちろん影響はあっただろう)
ダークでヘヴィで、ところどころポップにしてキャッチー。
たった2年ほどの活動だったのが惜しまれる一方、こうして音源が残されていたのは幸いだった。
(すべてカセットでの録音だったという)

バンド解散後、ジーンは九州に帰ったという。
00年代には詩集を出したり、都内でライヴを行なったりもしていたらしいが、近年の動向は不明。
Mr.KITE結成から半世紀近く、現在は多分70代のはずだ。

LA PESTE/”BETTER OFF LA PESTE”(2006)

LA PESTE.jpg『KILLED BY DEATH #9』に収録された「Better Off Dead」で知られるが、活動中にはシングル1枚しかリリースがなかった70年代ボストンのパンク・バンド。
件のシングル「Better Off Dead」に加え、1977~78年の未発表スタジオ/ライヴ録音を詰め込んだ編集盤。
26曲75分。

1976年末に結成。
60年代にTHE LOSTで歌っていたウィリー”ロコ”アレキサンダー(末期THE VELVET UNDERGROUNDにも参加!)が70年代後半にはTHE BOOM BOOM BANDで活動していたりと、プロト・パンクとパンク・ロックの境界があいまいだったボストン界隈だが、LA PESTEはボストンで最初期の”パンク・バンド”だったという。
メンバーはピーター・デイトン(ギター、ヴォーカル)、マーク・カールことマーク・アンドレアソン(ベース、ヴォーカル)、ロジャー・トリップ(ドラム、ヴォーカル)の3人。
マークのステージネームは、カール・マルクスのもじりだったとか。
(ははあ、てめえさしずめインテリだな?)
このCDのライナーノーツはピーター自身が書いている。

デイヴィッド・ボウイやROXY MUSIC、SILVERHEAD、GOLDEN EARRINGなどを好んでいたピーター・デイトンは1975年にCBGBでRAMONESのライヴを観て、その”新しいサウンド”にショックを受ける。
ピーターによれば、RAMONESを聴いてすべてが変わったとのこと。
しかもピーターは、そのショウを録音していたのだという。
そしてピーターはマーク・カールとロジャー・トリップにそのテープを聴かせ、自分たちで新しいサウンドのバンドを組むことになる。

ピーター・デイトンはボストンのTHE RATSでTHE DAMNEDも観たという。
(ピーターによれば1976年だったというが、DAMNEDのアメリカ・ツアーは77年のことだ)
ピーターはその時ブライアン・ジェイムズと話し、イギリスで何が起こっているのかと尋ねた。
ブライアンの答えは”It's just us, The Clash, The Sex Pistols, and Subway Sect.”というモノだったそうで。
その言葉(そしてRAMONESからの影響)が、LA PESTEの方向性の指針になったのだろう。

しかしLA PESTEのメンバー全員が、パンクを体験するまで楽器に触ったこともなかった。
バンドの活動はまず楽器の練習から始まる。
このCDでは1977年初頭のライヴ「After Dinner Crisis」が最も初期の音源だそうだが、バンドの活動が本格化したのは77年夏からだったらしい。
LA PESTEはボストンのストリップ・クラブ、THE BIRD CAGEで木曜から日曜の晩に演奏するようになり、一晩に100ドルのギャラを受け取っていたという。
ピーター・デイトンによれば、LA PESTEは77年の秋にはボストンのパンク・シーンでトップに位置していたとか。
78年にはシングル「Better Off Dead」をリリース。

そしてこのCDには当時の彼らのサウンドが詰め込まれている。
歪んだギターと手数の多いベース、ドコダカダカダカと忙しくオカズを突っ込むドラムに、ほとんど激することのないヴォーカルが乗る。
(ジョーイ・ラモーンのヴォーカルもそんなに激しくなかったしね)
ダークにしてクール、それでいて性急、かつメロディアスでキャッチー。
転調・展開のセンスに独特なモノを感じる。
ひょっとしてROXY MUSICやGOLDEN EARRINGとかだけじゃなく、プログレなんかも聴いていた人たちだったのでは、と思ったりも。

CBGBにも出演し、ボストンとニューヨークを股にかけて活躍していたというLA PESTEだった。
しかし、それで稼ぎがあったかというとそうではなかったらしい。
アルバムを制作するに足る資金はなく。
彼らが範としていたRAMONESも当時商業的に成功していたワケではなかったし、SEX PISTOLSもLA PESTEがシングルを出した1978年には解散してしまい。
そしてボストンのシーンの主流は、すぐにシンセサイザーと細いネクタイの、THE CARSのようなニュー・ウェイヴ/ポスト・パンクにとって代わられてしまったのだった。
(もっとも、リック・オケイセクらはLA PESTEをリスペクトし、活動をサポートしていたようだが)

ともあれ活動を続けていたLA PESTEだったが、前進はままならず。
1979年にはそれまで全曲を作詞していたピーター・デイトンが脱退。
マーク・カールとロジャー・トリップは新たにイアン・カリノスキーを迎え、80年にボストンでデモを録音。
しかし結局バンドは解散となった。

その後ピーター・デイトンはウィリー・アレキサンダーのソロ作『SOLO LOCO』(1981年)他、MISSION OF BURMAやJERRY'S KIDSなどのアルバムにゲスト参加。
(JERRY'S KIDSはLA PESTEの「Spymaster」をカヴァーしていた)
LA PESTE結成から30年近く経った2005年には初のソロ・アルバム『PETER DAYTON』をリリースしている。
ロジャー・トリップは93年の大晦日に自動車事故で亡くなったとのこと。

THE KIDS/THIS IS ROCK'N ROLL(2006)

KIDS.jpg”今日の旧譜”、ここしばらく英米の70'sパンクを紹介してきたが。
今日はベルギー。
”ベルギーのSEX PISTOLS”とも呼ばれた、かの国を代表するパンク・バンド、THE KIDSの初期2作+αな編集盤。
70分32曲。

船の修理工として働きながらUNDERGROUND STATIONというバンドでギターを弾いていたルード・マリマンが、1976年に加入したCRASH…が改名してTHE KIDSとなる。
その時点でルード(ヴォーカル、ギター)が21歳、ダニー・デ・ハース(ベース)が12歳(!)、エディ・デ・ハース(ドラム)が16歳。
76年10月9日に初ライヴ。
77年にはベルギーを訪れたイギー・ポップやパティ・スミスの前座を務め、フェスティヴァル「JAZZ BLIZEN」ではルー・リード、THE JAM、THE BOOMTOWN RATSなどと並んで出演を果たす。
そしてバンドはフォノグラム・レコーズと契約を得て、78年から86年までにメンバー交代と音楽性の変遷を経つつ、6枚のアルバムを残している。

ここに収録されたアルバム2枚はどちらも1978年のリリース。
1st『THE KIDS』は77年に1日で録音されたという。
EDDIE & THE HOT RODSとRAMONESの多大な影響を受けた、というのが透けて見える、パブ・ロック風味のシンプルなR&Rが猛然と突っ走るパンク・ロック。
「I Wanna Get A Job In The City」イントロの加速感とかもうたまらんよね。
「Do You Love The Nazis」「Fascist Cops」といった曲名からは、反ナチズム、反権力な姿勢が窺われる。
(しかもこの編集盤、歌詞&対訳が完備で素晴らしかった。あとルード・マリマン自身によるライナーノーツも)
このCDのタイトルにもなった1曲目「This Is Rock'n Roll」は、TEENGENERATEもカヴァーした名曲。

サポートだったリュック・ファン・デ・ポールが正式加入してギター2本の4人編成となった2ndアルバム『NAUGHTY KIDS』ではもう少し腰の据わった、ロック寄りな感じに。
(こちらのレコーディングは1週間だったという)
いずれにしてもカッコいい。
ここでも「Jesus Christ(Didn't Exist)」「We Are The Prisoners」といった曲名に彼らのアティテュードが現れている。

ボーナス・トラックには、1995年に俺のTHE KIDS初体験となったEP「Never Mind The Pistols, Here's The Kids」(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1024.html)の全曲が含まれる。
そのうち5曲は78年アントワープでのライヴ音源で、WIRE「12XU」のカヴァーが目を引く。
『THE KIDS』制作時のアウトテイク「No Work」でのガリガリしたベースも強烈。

バンドは1996年に再結成。
2004年にはアメリカでのライヴも果たしている。
05年以降はリリースがないが、唯一のオリジナル・メンバーとなったルード・マリマンを中心に、現在も活動している模様。

JOHNNY MOPED/BASICALLY……(1995)

JOHNNY MOPED.jpg70's英国パンクB級の帝王(?)の編集盤。

1974年5月にクロイドンでJOHNNY MOPED & THE 5 ARROGANT SUPERSTARSとして結成。
その時点で、バンド名からしてもパンク色がプンプンする。
75年1月にバンド名をJOHNNY MOPEDと短縮。
当時はのちのキャプテン・センシブル=レイ・バーンズ(ベース)が在籍していたことで知られる。
パンク・ムーヴメントが勃発するとバンドは俄然勢いを得て、有名なROXY CLUBにも出演した。

1977年7月8日にチズウィック・レコーズよりシングル「No One」でレコード・デビュー。
当時のメンバーはジョニー・モープドことポール・ハルフォード(ヴォーカル)、スライミー・トード(ギター)、フレッド・バーク(ベース)、デイヴ・バーク(ドラム)の4人。
フレッドとデイヴはクリッシー・ハインドとTHE UNUSUALSというバンドで活動していたという。

JOHNNY MOPEDはヴォーカリストの名前でもバンド名でもあった。
(初期のALICE COOPER同様。発音は”モープド”よりも”モープト”の方が近いのでは)
それにしてもスライミー・トード。
”ぬるぬるしたヒキガエル”って、凄いステージネームだな…。
ともあれ1978年3月24日、70年代当時唯一となったアルバム『CYCLEDELIC』をリリース。

この編集盤は『CYCLEDELIC』全曲と、「No One」をはじめとするシングルやアルバム未収録のスタジオ録音、そして1978年2月19日にROUNDHOUSEで録音されたライヴ音源(キャプテン・センシブル参加)を29曲79分半詰め込んだモノ。
「No One」をはじめとして、ジョニー・モープドが濁声でわめき、曲のエンディングとかそれ以外とかで”イヤイヤァ~!”とか”ア~ッ!”とか謎の絶叫が入るのがなんとも言えん。
あと、チャック・ベリー「Little Queenie」は何故裏声…。
シド・ヴィシャスもカヴァーしたエディ・コクラン「Somethin' Else」も演っている。
とにかく全体に品がない感じがたまらん。
(一方でまったくパンクに聴こえないポップ・ナンバー「Darling, Let's Have Another Baby」で音楽誌の”Single Of The Week”を獲得していたりも)
ところでリフといいソロといい…スライミー・トード、この人、実はハード・ロック上がりなのでは?
(ヒゲのルックスもそれっぽい)

で、このバンドの何が素晴らしいって、何より絶妙にダサ過ぎるルックスだろう。
ジョニー・モープド、今改めて見ると、コレ…スギちゃんじゃねえか!
「ワイルドだろお?」
(BUZZCOCKSとTHE STUKASのバッジが目を引く)
そして警官のコスプレをしたスライミー・トードに、刑事ドラマ風(?)のフレッド・バーク…。

この編集盤のライナーノーツは、デイヴ・バークが手掛けている。
曰く、”俺たちは不思議なバンドだった”と。
うん、そうだね…。

1978年11月にMOTORHEADがHAMMERSMITH ODEONでヘッドライナーとしてライヴを行なった時、前座を務めたのがJOHNNY MOPEDだった。
(大ブーイングだったらしい)
MOTORHEADがその後たちまちスターダムに登り詰めた一方で、JOHNNY MOPEDは78年末に解散。
フレッド・バークがアルコールの問題を抱ええていたことも影響したらしい。

バンド解散後、デイヴ・バークは短期間(たった3週間)THE DAMNEDに参加し、その後キャプテン・センシブルと活動する。
しかしJOHNNY MOPEDは80年代以降再結成を繰り返し、2011年からは安定した活動を継続。
ツアー活動だけでなく、アルバムのリリースも続けているのだった。

IGGY POP/HIPPODROME-PARIS 77(1990)

IGGY POP HIPPODROME PARIS 77.jpg”今日の旧譜”、ここしばらく70'sパンクを紹介してきた。
ところで1977年のイギー・ポップは70'sパンクに入れてイイでしょうか?
そりゃ入れますよ。
ってか、77年当時30歳のイギー、下手すりゃ10歳近く若いパンクスよりも全然パンクだった。

70'sパンクの一環として1977年のイギー・ポップの音源を紹介するなら、エレクトロでジャジーな『THE IDIOT』(https://lsdblog.seesaa.net/article/498220565.html)とそれに伴うツアーより、もっとR&Rに寄った『LUST FOR LIFE』…をプロモートするツアーの音源に限る。
そこでコレ。
仏リヴェンジ・レコーズから90年に発掘リリースされたモノだが、国内CD化は10年以上経った2001年だった。

1977年9月23日、パリのHIPPODROME(いわゆる建物ではなくテントだったらしい)でのライヴ。
まさに『LUST FOR LIFE』がリリースされた頃。
イギー・ポップ(ヴォーカル)を支える演奏陣は、ステイシー・ヘイドン(ギター)、トニー・セイルズ(ベース)、スコット・サーストン(キーボード、ギター:元IGGY AND THE STOOGES)、ハント・セイルズ(ドラム)。

『LUST FOR LIFE』に伴うツアーということで、当然ながら「Sixteen」「Lust For Life」「The Passenger」「Neighbourhood Threat」「Success」「Fall In Love With Me」と、レパートリーの半数以上を『LUST FOR LIFE』の楽曲が占めるのだが。
しかし「Lust For Life」をはじめ、そのパンクな勢いはアルバムの比ではない。

そして「I Got A Right」「Raw Power」「I Wanna Be Your Dog」というTHE STOOGES/IGGY AND THE STOOGES楽曲での、これまたむやみな勢い。
「I Got A Right」はオリジナルの1972年録音のスピードに勝るモノではないが、「Raw Power」とかもう、えらいことになってますよ。
曲が始まる前にイギー・ポップが曲名を絶叫しているんだけど、そこでなんかヘンな音がする。
イギーが自分の脚を叩いていたらしい(笑)。
超絶なハイテンション。

あと、のちにデイヴィッド・ボウイのTIN MACHINEでも活躍するセイルズ兄弟をはじめとするバック陣の貢献度は高い。
演奏だけでなく、時に女声のようにも聴こえる甲高いコーラスも。

で、「Raw Power」の次に来るのがMITCH RYDER & THE DETROIT WHEELSの「C.C.Rider/Jenny Take A Ride」。
デトロイト・マナー全開。
続くオーティス・レディング「That How Strong My Love Is」も、ファンキーにしてパンクなアレンジ。

そして「I Wanna Be Your Dog」で締め。
エンディングでステイシー・ヘイドンがジミ・ヘンドリックス「Purple Haze」のフレーズを聴かせるが、イギー・ポップは約10年後に「Purple Haze」を録音することになる。
(公式リリースはされなかったけど)

俺が初めてイギー・ポップのライヴを体験したのは、この1977年ライヴから22年後の89年。
当時のイギーは41歳。
そしてそれから36年後(!)の2025年、77歳のイギーを目撃したのだった。
長生きはしてみるもんだな…と思ったが、俺は今の時点ではイギーよりも全然長生きとは言えない。
とりあえずもう60年ぐらい生きようかな。

THE HAMMERSMITH GORILLAS/GORILLA GOT ME(1999)

HAMMERSMITH GORILLAS.jpg短髪にモミアゲの怪人ジェシ・ヘクター率いたTHE HAMMERSMITH GORILLAS~THE GORILLASの編集盤。
パンク・ロックというか、プロト・パンク/パブ・ロックもちょっと入ってるね。
何しろ一番古い音源は1974年。

ってかジェシ・ヘクターのキャリアのスタートは1959年(!)のTHE ROCK'N'ROLL TRIOに遡る。
彼の初レコーディングは61年。
62~64年はTHE CRAVATTESで、64~66年はTHE CLIQUEで、66~67年は再編したROCK'N'ROLL TRIOで、67~68年はTHE WAY OF LIFEとTHE MOD SECTIONで活動。
その後ジェシが69~71年にかけてやっていたCRUSHED BUTLERの音源集+DVD-R『UNCRUSHED』はこのブログでも紹介した。
https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1287.html)
この時点でメンバーの3分の2はのちのTHE HAMMERSMITH GORILLAS。

CRUSHED BUTLER解散後、ジェシ・ヘクター(ギター、ヴォーカル)とアラン・バトラー(ベース)はHELTER SKELTERとTIGERを経て、ゲイリー・アンダーソン(ドラム)と1974年にTHE HAMMERSMITH GORILLASを結成。
76年にドラマーがクリス・タウンソン(元JOHN'S CHILDREN)に交代し、バンド名をTHE GORILLASと短縮。
パンク・ムーヴメントの一角で活躍し始める。
更にドラマーがマット・マッキンタイアに交代。
その後アランが脱退してジミー・ナイトが加入、ゲイリーが戻る。

で、やってることはCRUSHED BUTLERから、と言うよりそれ以前から変わっていない。
このCDでもTHE HAMMERSMITH GORILLAS1974年のTHE KINKSカヴァー「You Really Got Me」からガツンとクるR&Rを聴かせるし、パンク時代のTHE GORILLASも基本同じだ。

このCDは、彼らが1974~81年、THE TROGGSも在籍していたペニー・ファーシングと、MOTORHEADやTHE DAMNEDで知られるチズウィックからリリースしていたシングルに、未発表音源を加えたモノ。
ペニー・ファーシングでもチズウィックでもアルバムはリリースされず、その間の78年にTHE GORILLASとしてロウからMESSAGE TO THE WORLD』が遺されたが。
ホントに74年のも81年のも(そして『MESSAGE TO THE WORLD』も)、方向性はまるっきり一緒。

ちなみに1981年の「Move It」「Song For Rita」はラット・スケイビーズがプロデュース。
81年にコレかよ、と言いたくなるような、武骨なR&Rを聴かせる。
(流石に録音はちょっと80年代っぽい感じだが)
ジェシ・ヘクター自身は60年代初頭から同じことをやっていたのが、76~78年の時点で奇跡的(?)に時代とマッチしたTHE GORILLAS。
しかし80年代には流石にもうニーズがなかったようで、バンドは解散する。

未発表で注目すべきは、THE HAMMERSMITH GORILLASとして1976年8月28日に出演した仏モン・ド・マルサンでの有名な「EUROPEAN PUNK ROCK FESTIVAL」に出演した時の音源。
(マット・マッキンタイア在籍時なのでこの頃は既にTHE GORILLASだったはずだが、ここでのクレジットはHAMMERSMITH GORILLAS)
60年代ガレージのTHE SHADOWS OF KNIGHTでも知られるボ・ディドリー「You Can't Judge A Book(By Looking At The Cover)」あたりはともかくとして、エルヴィス・プレスリー「Jailhouse Rock」にTHE TROGGS/ジミ・ヘンドリックス「Wild Thing」にこれまたジミの「Foxy Lady」って…。
「Wild Thing」はTHE DAMNEDが80年代にカヴァーしているものの、76年当時に”パンク・バンド”がこのチョイスってのは、ちょっと他に思い付かない。
「Foxy Lady」なんて、『MESSAGE TO THE WORLD』の1曲目に入れちゃったもんな。
(あと81年の「Move It」はクリフ・リチャードのカヴァーなんだぜ…)

ジェシ・ヘクター、1976~77年当時、パンク・ムーヴメントに乗っかってやろう、みたいな部分は毛ほどもなかったのではと。
以前にも書いたけど、彼はどの時期もただ自分流のハードなR&Rを演ろうとしか思っていなかった気がする。
とりあえずジミ・ヘンドリックスが大好きなことはよーくわかった(笑)。
しかしこの音、ただただ痛快。

THE GIZMOS/LIVE IN BLOOMINGTON—1977/1978(2006)

GIZMOS.jpgインディアナ州ブルーミントンが世界に誇る(?)ポンコツ・パンク集団THE GIZMOS。
活動中にわずかなリリースしかなかったのに、90年代末以降出るわ出るわ音源が。
そんな中の1枚。
タイトル通り、1977年と78年のライヴ。
それがCD2枚組48曲って…。
こんなの喜んで聴く奴が何処にいるんですか。
…俺か!

1976年初頭に結成。
ニューヨークあたりを別とすれば、アメリカでもかなり初期のパンク・バンドということに、一応はなるのだが。
しかし実際にはパンクというか…コレはあちこちで何度も書いたけど、このバンド、ファンジンとか作ってたロックおたく連中が自分たちもてんでに楽器を持ってバンドを組んでみたら、演奏技術のなさも相まってたまたまパンクみたいになっちゃった、というバンドだと思う。
(それが独自の面白さになったんだけどね)

ディスク1は1977年4月9日、MONROE COUNTRY PUBLIC LIBRARY(つまりクラブとかじゃなくて図書館)での演奏を中心に、前日4月8日の同所、および5月22日の「THE FIRST CINCINNATI PUNK ROCK FESTIVAL」(77年のシンシナティでそんなフェスティヴァルがあったのね…)のライヴを含む21曲。
4月のメンバーはテッド・ニーミエック(ヴォーカル、ギター)、ケン・ハイランド(ヴォーカル、ギター:元O.REX)、リッチ・コーフィー(ギター、ヴォーカル)、デイヴ・スラック(ベース、ヴォーカル)、デイヴィー・メドロック(タンバリン、ヴォーカル)、ドン・ジャスクルスク(タンバリン、ヴォーカル)、ジム・デヴリース(ドラム)…って、多い、多いよ!
更に体調不良で演奏に参加しなかったらしいエディ・フラワーズ(ヴォーカル他)も、”ill in the audience”とクレジットされている。
しかもオープニングMCはジョン・メレンキャンプですって(!)。
(当時は”ジョニー・クーガー”。このCDのトレイにはテッドとジョニーのツーショット写真がある)
4月のライヴではMX-80 SOUNDが前座を務めたという。
(「逆だろう!」と言いたくなる人も多そうな。MX-80 SOUNDのメンバーはTHE GIZMOSの活動を惜しみなくサポートしてくれたらしい)
5月のライヴにはケンとジムが不参加で、ジム・コールがドラムを叩いている。
(ケンは当時海兵隊にいて、GIZMOSの活動に参加出来る機会は限られていたはず)
この時、GIZMOSはフェスティヴァルのトリだったという(!)。

人海戦術(?)でぶっぱなされる、THE VELVET UNDERGROUND/ルー・リードやIGGY AND THE STOOGESやNEW YORK DOLLSやTHE DOORSやリンク・レイ、更にRAMONESやパティ・スミスその他の音楽を換骨奪胎…まで行ってない、へっぽこR&R。
THEMの「Gloria」やジョニー・クーガーの曲はともかくとして、KISSのベタベタなカヴァーを2曲も演っているのにも、この人たちのパンク的なアティテュードがDIY的なモノに限られ、いわゆるパンクに顕著なそれ以前のロックや社会に対する反発とかではなかったであろうことが窺われる。
でないとメンバーがよりによって(?)海兵隊に入ったりしないと思うし。
ただ、短くてシンプルでラウドなロックを演りたいという意識は明確だったようだ。
(このCDのジャケットで革ジャンにカーリーヘアという姿のドン・ジャスクルスクは、その後髪を短く切っている)

オリジナルのTHE GIZMOSは、1977年夏に解散。
1年余りの活動だった。
(メンバー全員がブルーミントン在住というワケではなかったため、コンスタントな活動が難しかったらしい)
しかしバンドの復活/存続を望む声は(意外なことに?)多かったようで。
テッド・ニーミエックは新たなメンバーですぐにバンドを再編。
ディスク2にはそちら、新生GIZMOSの演奏が27曲。
77年12月3日~78年末まで、やはりMONROE COUNTRY PUBLIC LIBRARYでの音源が中心となっている。
(ディスク1に較べると音質はやや悪い)
メンバーはテッド・ニーミエック(ヴォーカル、ギター)、デイル・ローレンス(ギター、ヴォーカル)、スティーヴ・フェイクス(ギター、ヴォーカル)、ビリー・ナイトシェイド(ベース、ヴォーカル)、シャドウ・マイヤーズ(ドラム)。
77年12月のライヴにはフィル・ハンドリー(パーカッション、ヴォーカル)とドン・ジャスクルスク(タンバリン、ヴォーカル)もいて、ドラムはMX-80 SOUNDの故デイヴ・マホニーが叩いている。
(デイヴはシャドウが加入するまでサポートしていた)

こちらはわりとフツーに(?)ガレージ的なパンク/R&Rになりつつあるような感じ。
「Adolescent Punk」なんて曲名からしても、意識的にパンク・ロックにアプローチしていたであろうことがわかる。
(当時のTHE GIZMOSは”NEVER MIND THE SEX PISTOLS HERE'S THE GIZMOS”と標榜し、SEX PISTOLSをカヴァーしたりもしていた)
ルー・リード「I'm So Free」、THE OUTSIDERS「Time Won't Let Me」、THE MODERN LOVERS「Astral Plane」、アリス・クーパー「I'm Eighteen」、THE MARVELETTES「Please Mr.Postman」、そしてTHE 13th FLOOR ELEVATORS「You're Gonna Miss Me」をカヴァー。
一部は初期のRADIO BIRDMANにも共通するチョイスだし、「I'm Eighteen」での凶暴さはアリスよりもむしろTHE IMPERIAL DOGSあたりを思わせる。
あと、この時点でもTHE VELVET UNDERGROUNDの影響が感じられる気がするのは、テッド・ニーミエックの志向かも知れない。
(ワイルドにプレイすることはメンバー全員が意識していたようだ)

で、聴いててどっちが面白いかというと、圧倒的にポンコツなディスク1の方なんだから始末が悪いというか(笑)。
あと、オリジナルのTHE GIZMOSと再編後で、レパートリーの重複が「Mean Screen」「Human Garbage Disposal」「Kiss Of The Rat」「That's Cool」「Amerika First」「Ballad Of The Gizmos」と6曲しかない。
パクリのツギハギみたいなの(?)も多かったとはいえ、彼らが凄い勢いで曲を作っていたことがよくわかるのでした。

再編されたTHE GIZMOSだったが、その後オリジナル・シンガーのテッド・ニーミエックが脱退。
デイル・ローレンス、ビリー・ナイトシェイド、シャドウ・マイヤーズは1979年初頭にティム・キャロル(ギター、ヴォーカル)を迎え。
そしてオリジナル・メンバーが一人もいなくなったGIZMOSは、4人編成のまっとうな(?)パンク/ロック・バンドとして80年代初頭まで活動することになる。
まさか10年代半ばになってテッドらを含むかつての大人数で再結成するとは…。