SANTA ESMERALDA STARRING LEROY GOMEZ/Don't Let Me Be Misunderstood(1977)

SANTA ESMERALDA.jpgDJで使おうと思って、渋谷のRECOfanあたりで安く買った1枚。
実際にはこのブログ始めてからの16年間で1回しか回してないらしい。

1977年、リロイ・ゴメス(ヴォーカル:元TAVARESのサックス奏者)をフィーチュアして、バンドというよりはプロジェクトみたいな感じで始まったらしい。
フランスのマイナー・レーベルからリリースしたこのシングルがヨーロッパで大ヒットして、カサブランカ・レコーズ(KISSやANGELでおなじみ)の配給を得て、アメリカ他でもヒットすることに。
国内盤7inchのスリーヴには”今や世界31ヶ国で驚異のベスト・セラーを続ける話題のディスコ・ロックが「悲しき願い」だ!”とある。

THE ANIMALSが全米15位、全英3位とヒットさせた曲(オリジナルはニーナ・シモン)を、フラメンコ風のギターと煽情的なホーンズとストリングス、そしてバスドラ四つ打ちのディスコ・ビートで料理。
俺はアルバムは聴いたことないんだけど、アルバムではB面全部を使った16分の大曲なんだそうで。
以前紹介したRARE EARTH「Get Ready」(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1629.html)と同じようなアレだな。

そしてリロイ・ゴメスの軽くて涼しげなヴォーカル。
この人、エルトン・ジョンのレコーディングに参加したのを機にヨーロッパでセッションマンをしていたんだそうで。
ヴォーカリストとして人気になるとか、自分でも思っていなかったのでは。

全米15位と、THE ANIMALSヴァージョンと同じチャート・アクションを記録。
もっと凄かったのは日本で、なんとオリコンチャート17週連続(!)1位だったんですって。

B面「You're My Everything」は甘く切ない感じのバラード。
ディスコというよりほとんど歌謡曲。
B面曲ながら、こちらも当時人気が高かったという。

ところが1978年にリロイ・ゴメスが脱退。
新たなヴォーカリストを迎えて、その後もディスコ・チャートでは何曲かをヒットさせたものの、「Don't Let Me Be Misunderstood」のようなポップ・チャートに入るヒット曲は生まれず。
地道に活動を続けたが、結局83年に解散。

しかし20年近く経った2002年、リロイ・ゴメスを中心に復活。
そこに03年の映画『キル・ビル』サントラでの使用という大きな話題があり。
リロイは「やったぜ」と思ったに違いない。
バンドは今も活動を続けているという。

THE ROLLING STONES/Jumpin' Jack Flash(1968)

ROLLING STONES.jpg俺が何枚か持っているTHE ROLLING STONESの7inchの中で、唯一DJの定番となっている1枚。
まあ最近はアナログ盤でDJすることがめっきり減って、あんまり回さなくなっているけど。
(最後に回したのは5年前)
いつ何処で入手したのかまったく記憶にない。
国内盤7inchには本来ライナーノーツと歌詞が掲載されたインサートが封入されていたはずだが、俺のには入っていない。

まあ俺なんぞが今更言うまでもない名曲です。
アンドリュー・ルーグ・オールダムと手を切ったTHE ROLLING STONESが、新たにジミー・ミラーをプロデューサーに迎えてサイケデリック期を脱し、黒っぽいR&Rに回帰した記念すべきシングル。
驚いたのは、この曲に入っているギターがすべてアコースティックで、エレキ・ギターは一切使われていないということ。
いや、完全にエレキに聴こえるんですけど…。
アコギをカセットテープに録音して、それをモニタースピーカーから出力したのを録音することで、エレキのような歪んだ音色を作り出したのだという。
カセットを用いることで音を歪ませるというのはNEU!が『NEU! 2』(1973年:https://lsdblog.seesaa.net/article/517024101.html)でやったことだが。
ROLLING STONESはその5年も前にカセットを歪み系エフェクターのように活用していたと…。

この曲ではキース・リチャードがギターとベースを担当していて、ビル・ワイマンはオルガンを弾いたのだという。
エンディングで聴こえるあの印象的なオルガン、ビルだったのか。
(ピアノはイアン・スチュワート)

単にブルーズ寄りの方向性に回帰しただけではまったく済んでいない。
同時代のブルーズ・ロック勢とはまるっきり違う、グルーヴィーに転がるR&Rに仕上がり。
結果、全米1位、全英3位の大ヒットとなった。
アレサ・フランクリン、ジョニー・ウインター、ピーター・フランプトン、アレックス・チルトン、MOTORHEADらそうそうたる顔ぶれがカヴァーしただけでなく、THE ROKKETSはこの曲を換骨奪胎(?)して「ホラ吹きイナズマ」を生み出している。

B面「Child Of The Moon」も佳曲。
こちらはニッキー・ホプキンスがピアノとオルガンを担当している。
ブライアン・ジョーンズはこっちをA面にしろと主張していたらしい。

で、そのブライアン・ジョーンズ。
スリーヴ表面では真ん中に写っている彼だが、楽曲の中での存在感は薄くなる一方だったワケで…。
(「Child Of The Moon」ではギターを弾かずにサックスを担当しているという。しかしぶっちゃけあんまり聴こえない)
スリーヴ裏面、他のメンバー4人が完全に後ろを向いているのに対して、ブライアンだけは体が前を向いたまま振り返っている。
何か暗示的な。

そしてブライアン・ジョーンズはこのシングルのリリースから1年ちょっと後に世を去ることになる。

QUEEN/LIVE IN SAO PAULO 1981(2019)

QUEEN.jpgQUEEN初の南米ツアー8公演から、1981年3月20日、ブラジルはサンパウロ、ESTADIO DO MORUMBIでの2日連続公演の初日を放送用音源から完全収録したCD2枚組。

アルバム『THE GAME』(1980年)に伴うツアー。
『THE GAME』ジャケットではフレディ・マーキュリーが初めて短髪&ヒゲというルックスになり。
そしてこのツアーで、フレディは初めてそのルックスで観客の前に姿を現したのだった。
ちなみに南米ツアー前、2月には4回目の来日を果たしている。

「We Will Rock You」(のハード・ロック風なヴァージョン)から「Let Me Entertain You」というオープニングは2年前の公式ライヴ盤『LIVE KILLERS』と同じだが、そこから先はかなり違っている。
それもそのはず、彼らは『LIVE KILLERS』の後、1980年にはオリジナル・アルバム『THE GAME』とサントラ盤『FLASH GORDON』とアルバムを2枚も出していて。
そして『THE GAME』からは「Crazy Little Thing Called Love」(全米1位:https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1051.html)、「Another One Bites The Dust」(全米1位)、「Play The Game」(全英14位)、「Save Me」(全英11位)とヒット曲を連発し、『THE GAME』も全米・全英で1位となっていたのだから。
(結局全米チャートではこのアルバムが唯一の1位となった)
ここでは、『LIVE KILLERS』との重複は全22曲中12曲、次のライヴ盤『LIVE MAGIC』(86年)との重複は6曲となっている。
もちろん上述のヒット曲は全部演奏。

『THE GAME』楽曲だけでなく、『FLASH GORDON』からも「Flash's Theme」が披露されている。
この選曲は多分この頃だけだろう。
収録された音源と関係ない時期の写真がジャケットに使われていることもある”ALIVE THE LIVE”シリーズだが、このアルバムのジャケットではフレディ・マーキュリーが”FLASH”と書かれたTシャツを着ていて、まさにここに収録されたライヴと同時期の写真であることがわかる。

それにしてもサンパウロのオーディエンスの熱気が凄い。
「Love Of My Life」での観客の大合唱!
途中でフレディ・マーキュリーもブライアン・メイも沈黙して観客の大合唱だけが響くところがあるが、コレ、フレディもブライアンもまさかポルトガル語圏のオーディエンスが「Love Of My Life」を英語で大合唱するとは予想もせず、びっくりしていたのでは、と。
(この時期の他のライヴ音源を聴いたことないからわからんけど)
ちなみにこの時の観客数は72000人だったらしい。
72000人の大合唱…。
(このCDの英文ライナーでは131000人となっているものの、ESTADIO DO MORUMBIの収容人数が72000人だそうで)
そして以降のQUEENの活動では、南米ツアーが恒例となる。

ファンキーな「Another One Bites The Dust」の商業的成功が、彼らによりダンサブルな次作『HOT SPACE』(1982年:https://lsdblog.seesaa.net/article/201609article_18.html)を作らせることになるのだったが。
一方でこの時点でのQUEENは、まだ一級のハード・ロック・バンドでもあったと思う。

PINK FAIRIES/KINGS OF OBLIVION(1973)

PINK FAIRIES 3rd.jpg”今日の旧譜”1400枚目。
そこで今更ながらコレを。
PINK FAIRIESの3rdアルバムにして、70年代の時点でのラスト・アルバム。
俺はこのアルバムを5枚持っている。
(アホや…)

MOTORHEADとイギー・ポップとBLUE OYSTER CULTが三本柱…と言い続けている俺だが、そこにMC5とPINK FAIRIESを加えると五本柱となる。
そして俺にとってPINK FAIRIESと言えば、まずこのアルバムだ。
もちろんポール・ルドルフ(あとトゥインクも)が歌っていたアルバムも素晴らしいけどね。

脱退したポール・ルドルフに代わり、新たなギタリスト兼ヴォーカリストとしてミック・ウェイン(元JUNIOR'S EYES)を迎えたPINK FAIRIESだったが。
シングル「Well, Well, Well」でミックが示した方向性に、ダンカン”サンディ”サンダーソン(ベース)とラッセル・ハンター(ドラム)は納得行かず。
そこでサンディとラッセルはセカンド・ギタリストとしてラリー・ウォリス(元SHAGRAT、BLODWYN PIG、UFO)を迎え、その上でミックをすぐさまクビにしてしまう。

焦ったのはラリー・ウォリスだった。
ギタリストとして60年代からキャリアがあったラリーだったが、それまでろくに歌ったことも作曲したことも作詞したこともなかったからだ。
ところがそんな彼がフロントに立ったPINK FAIRIESの3rdアルバムは大傑作に仕上がったのだから、世の中わからないモノですね。

ジャケットでは豚が飛んでいる。
PINK FAIRIESはPINK FLOYD『ANIMALS』(1977年)より4年も早く豚を空に浮かべたのだ。
しかし『ANIMALS』で資本家の暗喩だった豚は、ここでは貪婪なならず者を象徴している。
彼らこそ”忘却の王者たち”。
空を飛ぶ豚どもには今と未来しかなかった。

このアルバムでのラリー・ウォリスのクレジットは”ビッグ・ギター”。
まさにその通りの音が聴ける。
そして、「City Kids」がラリーとダンカン・サンダーソンの共作、「When's The Fun Begin?」がラリーとミック・ファレンの共作、「Chambermaid」がメンバー3人の共作である以外は、すべてラリーの作詞・作曲。
ラリーが秘めた才能をフルに発揮した1枚となった。
歌いっぱなしな感じのヴォーカルも実にカッコいい。

MOTORHEADのレパートリーにもなった1曲目「City Kids」から、もう名盤確定。
一級のハード・ロックでいてプロト・パンクでもあり。

そして随所に炸裂するラリー・ウォリスの豪快な曲作りと、どこかひねくれた作詞のセンス。
”俺はストリート・ファイターになんてなれなかった””トラブルになったら俺は姿をくらます””だって俺は女の子になりたかったんだ、女の子だったら良かったのにな”と歌われる「I Wish I Was A Girl」は、多分性別に違和を感じる青年の歌だろう。
1973年にコレか。
一方で”俺はホテルのメイドと寝たんだ””彼女の体の向きを変えさせて、後ろから試したのさ”と歌う「Chambermaid」や、街娼への愛情を吐露する「Street Urchin」などの露骨なセクシャルさ。
”とても不確かな時代、お前が必要としているのは金だけ”という「Street Urchin」の歌詞には、この曲が書かれてから半世紀以上経った21世紀に新宿あたりの路上に立っている女性たちを想像してしまう。

もちろんリズム・セクションの貢献度も高い。
THE DEVIANTSに加入した時点では初心者だったダンカン・サンダーソンは、印象的なベース・ラインを弾きこなし。
別に速くないはずの「Chromium Plating」がえらくエキサイティングなのは、ドカドカジャンジャン叩きまくるラッセル・ハンターのドラミングあってのことだろう。
(ホントこの人、上手いのか下手なのかさっぱりわからないプレイをする)

プロデュースは、『IN THE LAND OF GREY AND PINK』をはじめとするCARAVANの諸作や、GENESISの『FOXTROT』などを手掛けていたデイヴィッド・ヒッチコック。
意外な人選のようでいて、コレがハマった。
このアルバムがPINK FAIRIESの前2作とは違うずっしりしたスケール感を得ているのは、デイヴィッドの貢献あってのことだったと思っている。
それがあってこそ、「I Wish I Was A Girl」「When's The Fun Begin?」「Street Urchin」といったミドル/スローの曲が活きた。
ところで超絶カッコいいインストゥルメンタル「Raceway」は、元々ヴォーカルが入る予定だったのが、ラリー・ウォリスが歌入れをする前にデイヴィッドが勝手にミックスダウンしてプレスに回してしまった…とされているが、それって本当なのだろうか。
(それにしてはインストゥルメンタルとしての完成度が高過ぎる気がするんだけど)

まぎれもない大傑作『KINGS OF OBLIVION』…しかし、(信じ難いことに)当時は大して売れなかったらしく。
ポリドールとの契約も終了し、PINK FAIRIESは(最初の)解散となる。

HAWKWINDをクビになった後、MC5を範としてMOTORHEADを結成したレミーだったが、ギターにラリー・ウォリスを迎えて「City Kids」をレパートリーにしたことは、バンドの方向性に決定的な影響を与えたのでは、と思っている。
レミーとラリーがMOTORHEADで新たに録音した「City Kids」は、『KINGS OF OBLIVION』とはまるで違ったガレージ的な質感のパンキッシュなR&Rとなった。
そして「City Kids」は、ラリーがMOTORHEADを脱退してからも”ファスト”エディ・クラークのギターで再録音され、しばらくMOTORHEADのセットリストに残ったのであった。

悲しいことに、このアルバムでのPINK FAIRIESメンバーはもう一人も生きていない。

THE NEATBEATS/Spoilt Girl(1998)

NEATBEATS.jpgTHE NEATBEATSの記念すべき1st EP。
自主レーベル、マジェスティック・サウンド・レコーズより。

前身バンド・THE DEATH DEALERSを経て、1997年に大阪で結成。
この頃のメンバーはTAKASHI”MR PAN”MANABE(ギター、ヴォーカル)、KAZUYA”MR LAWDY”TOSA(ギター、ヴォーカル)、DAI”MR FOO”URA(ベース、ヴォーカル)、SHINYA”MR SHEEN”KUSUBE(ドラム、ヴォーカル)の4人。
(MR FOOはその後ステージネームをMR GULLYと改める)

タイトル曲「Spoilt Girl」と「Remember Me」がMR PANによるオリジナル曲。
「Zip-A-Dee-Do-Dah」はTHE RATIONALSもカヴァーしていたディズニー映画のテーマ曲で、「I'm Gonna Sit Right Down And Cry」はTHE BEATLESのヴァージョンも有名なロイ・ハミルトンのカヴァー。
スリーヴには誇らしげに”mono”と。

THE BEATLESもカヴァーしていた曲を取り上げている通り、いわゆるマージー・ビートへの憧憬を前面に出した小気味よいビート/R&R。
「I'm Gonna Sit Right Down And Cry」、カッコいいねえ。
一方で、当時からオリジナル曲がよく書けているのがこのバンドの強み。
その後多くのアルバムやシングルを重ねて大活躍することになる。

ドラマーは交代しているが。
MR GULLYは2001年に一度脱退した後、07年に復帰。
つまりメンバー4人中3人はとりあえずオリジナル・メンバーのままということになる。
近年の活動ぶりはあまり伝わってこないものの(公式HPのバイオグラフィも12年までしか載っていない)、MR PANは2023年に荻窪でTOP BEAT CLUBをオープンし。
俺もDJで出演させてもらったことがある。

MOTORHEAD/FUCK OFF(1979)

MOTORHEAD Fuck Off.jpg山ほど持っているMOTORHEADのブートの中で、唯一のアナログ盤。
いつ何処でいくらで買ったのかとか、全く記憶にない。
33回転6曲入り7inch、EPと言うよりはむしろミニアルバム。

タイトルは『RECORDED LIVE-BBC CONCERT MAY 26TH 1979』だと思っていたのだが。
ネットでは大抵『FUCK OFF』となっている。
”FUCK OFF”ってのはジャケットのひでえ(…)イラストに書いてあるだけじゃないのか?…と思ったんだけど。
レーベルには確かに”MOTORHEAD FUCK OFF”とあるのだった。

で、スリーヴにある1979年5月26日というのは、実はライヴの日付ではなく放送日なのだった。
79年5月16日にロンドンのPARIS THEATREで録音され、5月26日に「BBC IN-CONCERT」で放送された音源なのだそうで。
この手のブートの常として、スリーヴの裏には”not for sale : promotion”とある。
そしてこのスリーヴのコンセプトは”hypothesis”によるとクレジット。
もちろんヒプノシスのパロディだろう(笑)。

モノラルだが、放送用音源とあって音質は良好。
A面に「Stay Clean」「No Class」「Too Late, Too Late」。
B面に「White Line Fever」「I'll Be Your Sister」「I Won't Pay Your Price」。
『OVERKILL』リリース後で『BOMBER』(https://lsdblog.seesaa.net/article/505333906.html)リリース前のこの頃ならではという感じの選曲。
「No Class」の前にレミーがMCで”次のシングル云々”みたいなことを言っている。
あと”This one is called White Line Fever”と曲名を告げるMCが何故か半笑い(?)。

この時のBBC音源は2005年にリリースされたCD2枚組『BBC LIVE & IN-SESSION』に「Capricorn」「Limb From Limb」を含む8曲が収録されていて。
なのでこのアナログ・ブートには現在、音源としての価値は皆無。
ただブツ自体のレアさにのみ意味があると言ってイイ。
つまりMOTORHEADマニア以外には用のない代物なのだが、逆にマニアにとっては垂涎のアイテムということになるようで。
ネットを見るとけっこうとんでもない値段が付いている。

LITTLE RICHARD/Long Tall Sally(1977)

LITTLE RICHARD.jpgDJで使おうと思って、確か渋谷のRECOfanあたりで安く買った7inch。
300円ぐらいだったはず。
結局DJでは1~2回ぐらいしか回していないが。

アメコミ風の何とも言えない味わいがあるイラストに、”ロックン・ロール・パーティーを開いたら、リーゼントにポニー・テイルで踊りまくろう!”という意味不明な(?)コピー。
(イラストでは男女ともリーゼントでもポニーテールでもない)
同時期に似たようなイラストのスリーヴで「Good Golly, Miss Molly」もリリースされていて(コピーもまったく同じ)、スリーヴにある”Oldies Hits”というタイトルでシリーズ化されていたのかも知れない。
スリーヴノーツは当時沖縄音楽の紹介で知られた音楽評論家・岩永文夫が担当している。

ヴィージェイ原盤の7inchなので、当然ながら50年代スペシャルティ時代の音源ではない。
60年代の再録ヴァージョンだろう。
A・B面とも1965年の再録アルバム『GREAT HITS』からの音源だと思う。
(『GREAT HITS』を聴いたことがないので定かではないが)

A面「Long Tall Sally」は説明不要だろう。
THE BEATLESもカヴァーしたR&R大名曲。
先述の通り、多分オリジナルの10年近く後の再録ヴァージョンなのだが、いやまあコレも充分にカッコいいですよ。
(もちろんオリジナルには遠く及ばないとはいえ)
そしてB面はねっとりと迫る「Send Me Some Lovin'」。
(まあコレも説明不要ですね)

日本ではこのように再発が行なわれていた時期だったものの。
当のリトル・リチャードはこの頃、ドラッグとアルコールへの依存で心身ともに健康状態が悪化していたという。
そしてこの7inchが出た1977年、彼は再びR&Rをやめてキリスト教の伝道活動に戻ってしまうのだった。
(84年に再度ロック界に復帰するが)

THE KWYET KINGS/Kimberly Clarke(2002)

KWYET KINGS.jpgノルウェイの伝説的(?)パワー・ポッパー、アーネ・テリン(っていう読み方でイイの?)。
80年代半ば以降様々なバンドで活動してきた彼が、1993年に結成し、2002年に解散したのがTHE KWYET KINGS。
コレはそのバンドによる最後のシングル。
俺の手元にあるのは100枚限定のグリーン・ヴィニール。

当時のメンバーはアーネ・テリン(ヴォーカル、ギター、ハープ)、パル・アンドレアセン(ギター、オルガン:元THE COSMIC DROPOUTS)、フレドリック・ハーゲン(ギター、ヴォーカル)、スティッグ・アムンゼン(ベース:元THE YUM YUMS)、オットー・ガムスト(ドラム)…という5人だったはずだが。
(ノルウェイ語の人命のカタカナ表記は自信なし)
この7inchではスティッグは何故かA面曲「Kimberly Clarke」でバッキング・ヴォーカルを担当しているだけで、ベースはゲストのハヴァード・エイドサウネ(カジノ・スティールのバンドとかで活動していた人)が担当している。

A面「Kimberly Clarke」はハープをフィーチュアしたイントロとグルーヴィーなオルガン、甘酸っぱいヴォーカルが印象的なパワー・ポップ。
スリーヴの裸の女性がキンバリー・クラークさんらしいが、何者だろう。

B面「Upside Down」は、A面曲よりもスピーディーでR&Rなパワー・ポップ。
3本のギターを前面に出してシャウトも飛び出したりする一方で、やはりオルガンが良いアクセントになっている。
両面とも、アーネ・テリンがこの後にやるBITHAMMER!のようにパンキッシュではなく。

アーネ・テリンは2002年にはタイ(!)に移住してBITHAMMER!での活動を始めているが。
この7inchもオーヴァーダビングはタイ、編集はマレーシアのスタジオで行なわれている。
THE KWYET KINGS解散後のリリースと思われる。

2004年にBITHAMMER!のミニアルバムが出て以降、アーネ・テリンの名前はしばらく聞かれなかったが。
20年代以降はソロ・プロジェクトであるBITHAMMER!だけでなく、新バンド・DANG!!!でも活動中。

THE JOLLY GREEN GIANTS/Busy Body(2000)

JOLLY GREEN GIANTS.jpgワシントン州スポケイン出身のガレージ・バンドが1966年にリリースした唯一のシングル…の、ノートン・レコーズからの再発。

ヴァーノン・ジョインソンの『FUZZ, ACID AND FLOWERS』には4行しか説明が載っていない。
そんなバンドでもネットが普及した今ではいろいろなことがわかっていたりするモノだが、このTHE JOLLY GREEN GIANTSはわりとそうでもなかったりする。

バンド名はTHE KINGSMENの曲名から取られている。
このシングルを録音した時のメンバーはチャック・アンダーソン(ヴォーカル)、ボブ・アンダーソン(ギター)、デニス・コール(キーボード)、ハーヴェイ(サックス)、ダニー・ハート(ベース)、デイヴィッド・マドソン(ドラム)の6人だったらしい。
ヴィック(ベース)とゲイリー(ドラム)という別のリズム・セクションがいた時期もあったそうで、活動中には他にもメンバーの入れ替わりがあった様子。

A面「Busy Body」はロイ・リー・ジョンソンによる1962年のシングル曲のカヴァーで、この曲は初期のTHE SONICSもレパートリーにしていた。
THE JOLLY GREEN GIANTSはバンド名からしてもTHE KINGSMENの影響下にあったようだが、この曲での勢いは完全にSONICSと同系統。
ヴォーカルの迫力ではSONICSに及ばないものの、十分にカッコいい。
昔何度かDJで回したことがある。

B面「Caught You Red Handed」はバンドのオリジナル。
バスドラ四つ打ちが印象的なダンサブルな曲で、こちらもなかなかナイス。

バンドは60年代末まで活動していたようだが、このシングル以外にはレコーディングの機会もなく、トップ40のカヴァーを演奏するような活動で終わったらしい。
そういうバンド、レコードを残さなかったようなのも含めて、当時のアメリカにどれほどいたことか。
ちなみにヴィックは2008年に亡くなったという。

IGGY POP/BRICK BY BRICK(1990)

IGGY POP BRICK BY BRICK.jpg俺が初めてCDで買った、リアルタイムで出たイギー・ポップのアルバム。
『BLAH-BLAH-BLAH』(1986年)と『INSTINCT』(88年:https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_375.html)はLPだった。

1990年7月21日リリース。
俺が札幌から新潟に転勤する直前だった。
新潟に移って少し後には極貧生活に突入し、月に中古盤を1枚買うのもやっとの暮らしに。
ジムニー1台に積めるだけのモノを積んでの引っ越しだったので、札幌から新潟に持って行けたレコード/CDはわずかで。
(MOTORHEADやイギー・ポップの主要なアルバムはかさばらないカセットに落として持って行った)
そんな具合だったから、当時手元にあったこのCDはそれはもう随分聴いたモノであった。

それはさておき。
イギー・ポップ、ソロ・アルバムとしては9枚目。
ヴァージン・レコーズ移籍第1弾。
プロデュースはデトロイトつながりのドン・ウォズ。
(WAS(NOT WAS)には元MC5のウェイン・クレイマーも参加していたことがある)

ゲストが豪華。
GUNS N' ROSESからスラッシュ(ギター)とダフ・マッケイガン(ベース)。
他にもワディ・ワクテル(ギター)、ケニー・アロノフ(ドラム)、チャーリー・ドレイトン(ベース)、デイヴィッド・リンドレー(ヴァイオリン、マンドリン、スライド、ブズーキ、ギター、サックス)、ジョン・ハイアット(ヴォーカル)、スウィートピー・アトキンソン(バッキング・ヴォーカル)とか。
そしてB-52'sからケイト・ピアソン(ヴォーカル)。
すげえ、なんかイギー・ポップのアルバムじゃないみたいな顔ぶれ。
イギー自身がレコーディングでギターを弾いた初のアルバムでもある。

で、多彩なゲストの資質を活かした、ヘヴィなR&Rありアコースティックなバラードありの、多彩なアルバム。
しかし、ドン・ウォズが多彩なゲストを連れてきて多彩な曲をあてがったとかじゃないのだ。
ジョン・ハイアットが提供してヴォーカルでも参加した「Something Wild」とイギー・ポップとスラッシュの共作である「My Baby Wants To Rock And Roll」以外、この多彩な楽曲をすべてイギー一人で作詞作曲しているというんだから恐れ入る。

ヘヴィなR&Rがあると言っても、当時まだTHE STOOGESの幻影を追い求めていた俺には食い足りないところもあった。
曲調が多彩に過ぎてとっちらかった感もあったり。
しかしどんな曲でも、あのヴォーカルで聴かせてしまうのも確かだ。

しかも楽曲のクォリティはいずれも高い。
で、軽快なR&R「Home」からいきなり曲間なしでアコースティックでメロウな「Main Street Eyes」へ、これまたアコースティックながら力強い「I Won't Crap Out」からケイト・ピアソンをフィーチュアしたどポップな「Candy」へ、かと思ったらスラッシュがギターを弾くヘヴィな「Butt Town」へ…と、曲調だけじゃなく曲順も分裂気味。
このアルバム以降、こういう作風は聴かれなくなる。

ゲスト陣の中で最も目立った活躍は、才人デイヴィッド・リンドレー。
スラッシュとダフ・マッケイガンが参加した「My Baby Wants To Rock And Roll」ではサックスをプレイ。
スラッシュとダフ、もし同じスタジオでデイヴィッドに会っていたら、「な、何者?」とか思ったかしら…。

次のアルバムがイギー・ポップの90年代を代表する超名作『AMERICAN CAESAR』(1993年)なんで、結果としてこの『BRICK BY BRICK』は影が薄くなった気もするけど。
いやいや、改めて聴き直してみると、イギーがいろんなゲストといろんな曲をあのイイ声で楽しく歌っている良いアルバムですよ。
イギーがいわゆるアメリカーナに初めて寄ったアルバムだし、最もアメリカーナ的な部分を聴かせたアルバムとも言える。
デイヴィッド・リンドレーがブズーキを弾く「Moonlight Lady」とか最高だよね。
そして、かつては死と隣り合わせだったイギーが確信に満ちた声で”ひとつひとつ、積み重ねて行こう”と歌うタイトル曲の静かな感動。
アルバムは全米90位、全英50位を記録している。

国内盤には映画『ブラック・レイン』のテーマ曲だった「Livin' On The Edge Of The Night」を収録。
コレはイギー・ポップが書いた曲ではないが、プロデュースがアルバム本編と同じドン・ウォズなので、違和感はない。


新潟に転勤した俺は、朝食用の食パンを買いに、3日に1回ほど近くのローソンに行っていたのだが。
当時ローソンの店内ではこのアルバムの「Home」とセメントミキサーズの「東京ラッシャイ」がよくかかっていたのを、35年経った今でも思い出す。
FM新潟で当時亀田製菓の1社提供で放送されていた番組「ロック・フォルダー」でも同じ頃にイギー・ポップの特集があった。
しかし以前にも書いた通り、現在ネットで「FM新潟 亀田製菓 ロック・フォルダー」で検索しても、何も出てこない。


追記:
いや待てよ、あの頃貧乏過ぎて、朝昼晩と食パンだけ食ってた気がする。
するとローソンには毎日行っていたことに…。

(2025.11.12.)